Walking with GORO

SMAP稲垣吾郎さん大好きな主婦の日記 【無断転載禁止】

世界中の山が自分の居場所 (「ゴロウ・デラックス」 7/14)

オープニング。
「今日は最年少尽くしの冒険家の方がゲストです。」(外山さん)
「そういえば、以前史上最高齢で大冒険した三浦(雄一郎)さんがゲストでいらした…」(吾郎)
「そう、あちらは最年長、今日は最年少ですから。」(外山さん)
多彩なゲストをお迎えする読書バラエティが「ゴロウ・デラックス」です。

探検家グランドスラム。この言葉を私は初めて聞いたのですが、「世界最高峰のエベレストを含む世界7大陸最高峰を登頂しさらに南極点・北極点を踏破する事」だそうです。達成者は世界で50人ほどしかいないそうですが、今年4月史上最年少でこれを達成した日本人女性がいます。その方が今日のゲストです。
南谷真鈴(みなみや まりん)さん、20歳。高校生の時から計画を始め、わずか2年4カ月で探検家グランドスラムを達成しました。普段は普通の女子大生の彼女がなぜ自分一人で道を切り拓き前人未到の記録を打ち立てることが出来たのでしょうか?

課題図書 : 「自分を超え続ける」 南谷真鈴

「私是非お会いしたかったんです。こういう方がいらっしゃるんですね。」(外山さん)
「もうスゴイしか言えないですよね。19歳ですよ、19歳で世界7大陸最高峰…。(僕は)月9を始めてやったのが19歳。楽しみですね。」(吾郎)
入ってきたのはすらりと背が高く白のワンピースに黒のジャケットを着こなしたロングヘアの綺麗なお嬢さん。「はじめまして。よろしくお願いします。」とにこやかに挨拶すると席に着きました。
「山に登っているっていう風に思えないようなしなやかな感じですね。」(外山さん)
「さっきそこでご挨拶した時『わぉ、ゴロウさんやっぱりウェービーヘアー!』って(笑)」(吾郎)
まずは南谷さんの業績を紹介。
1996年(スマスマが始まった年!)12月20日生まれ、現在20歳の南谷さんは、
【探検家グランドスラムを世界最年少で達成。】
【7大陸最高峰制覇は日本人最年少、世界第2位。】
【エベレスト登頂は日本人最年少。】
しかもその探検家グランドスラム達成に要した時間は2015年1月から今年4月までのわずか2年4カ月!
「エベレストに登った時なんかは南極点→カルステンツ・ピラミッド→エルブルース、その2日後にエベレストへ出発して、エベレストの10日後にデナリ、みたいな…。」(南谷さん)
「そんな頻繁に上ってて大丈夫なんですか。ちょっと間を開けないととか?そうじゃないんだ、山は。」(外山さん)
「この本にも書いてあったけど、僕らが今飛行機でエベレストに連れて行かれたらすぐ死んじゃうでしょ。」(吾郎)
「(酸素の量が)今の空気の1/3なので、今吸っているペースの3倍で(ハッハッハッと)ずっと息してないといけない、寝る時も。一番のトレーニングは山を登ることなので。高度順応というのは、こういう東京みたいな所にいると一週間でなくなってしまうので、(なくならないように)次から次へと山に登っていたらこのペースになっていた。」(南谷さん)
オセアニア最高峰のカルステンツ・ピラミッドは標高4884mで最もテクニカルな山と言われています。
「山というと想像するのは草木が生えていてとか雪が積もっていてとかだと思うんですけど、カルステンツ・ピラミッドはもう岩の塊。地面からニョキッと岩が生えているので。」と南谷さん。登頂時の映像が流れると
「怖いよ、怖いじゃん!」(吾郎)「えー!」(外山さん)と二人はびっくり。何しろ上を見ても下を見てもつるんとした岩の壁が続いているだけなのですから。
「こういう山なんですけど、岩と岩の間がすごく離れていて、その間にロープが張ってあって綱渡りしなきゃいけないところがあるんです。」(南谷さん)
「もうこれ山登りじゃないじゃないですか!」と外山さん。
「これ下見たらさ…(カメラが上から下に振られると岩の壁に吸い込まれそうな感じがします)、これ絶対無理!絶対無理!」と吾郎は大騒ぎ。
「でここ、綱渡りが…」(南谷さん)「無理無理無理!!怖くないの?」(吾郎)
「怖いですよ。」(南谷さん)「だってこれもう漫画漫画。ジャッキー・チェンの世界ですよ。」(吾郎)
「帰りは豚の丸焼きみたいに逆さになって(ロープにぶら下がって)行くんですよ、足を引っかけて。」(南谷さん)
そう、行きだけじゃなく帰りもあるんですよね。それにしてもどうやってここにロープを張ったんでしょう?最初にこの山に登った人はどうやって登ったのか気になります。
「マリオとかさ…テレビゲームの世界だよ。」吾郎は信じられないという顔をしていますが、南谷さんは涼しい顔で笑っています。
「でも掴めなかったらどうなるんですか?」(外山さん)「ツルッみたいな(笑)」(いや、笑い事じゃないっすよ、真鈴ちゃん!)
ここでAD山田くんが大きな荷物を持って登場。登山で実際に使う道具を見せてもらいました。大きな黒いリュックを開けるとまず赤いリュックが出てきました。
「このザックでエベレストを登りました。」(南谷さん)
黄色い棒を外山さんは手に取りました。「これは滑落停止の時とかに(使う)」(南谷さん)
「それからこれがエベレストに登った高所用のブーツ。」南谷さんはそれを机の上にドンと置きました。
「あ、固い。」外山さんは甲の部分に触ると思わず声を上げました。一方吾郎はヘルメットをなぜか山田くんにかぶせました。
南谷さんが黒いビニール袋の中身をジャラジャラと机の上にあけると金属製の色々な道具が出てきました。
「これは何ですか?」と外山さんが訊くと南谷さんはその中の一つを手に取り、
「これは、岩場の間を登る時にこれを入れてひっかけて…あの、まあ…、今度山登った時に見せてあげますよ。」外山さん、今度の登山に同行決定でしょうか?
「で、本の中にめちゃくちゃ食べる、って書いてあったじゃないですか。どんなものをどれくらい食べるのか一日の食事を用意しました。」(外山さん)
「お待たせしました。」AD山田くんが色々な食べ物をお盆に載せて入ってきました。
ご飯や卵焼きやチーズなどに交じって目を引くのが辛ラーメン(袋入り)。お湯に入れるのではなく袋の中で砕いてパウダーをかけてそのまま食べるのだそうです。その他にはエナジーバー(10本!)エナジージェル、エナジーグミも必需品だそうです。
「エナジージェルおいしいよ。」いつの間にか吾郎はちゃっかり試食しています。
「飴1個では足りなくてシュンとしてしまう所が(エナジージェルを食べると)1個で1時間半はOK、みたいな。」(南谷さん)「ポパイだ、ポパイ。」(吾郎)食事は本当に大事なんですね。

続いては地球の端っこ南極点の話(2016年1月に制覇)。元々南谷さんは探検家グランドスラムではなくエベレスト登頂を目指していて、その予行演習の為に南極最高峰のビンソン・マシフを登ったのですが、そこから予定を変更して南極点へ向かいました。その理由は、
「ビンソン・マシフに登頂して、南極大陸にいるんだし南極点に行かないとこのチャンスは一生来ないかもしれない。って。」
というあっさりしたもの。
「最初は思ってなかったんですよね、南極点に行こうと思ってビンソン・マシフに登ったわけじゃないんだよね。これがすごいよね。下りてきてから思ったんだよね。ここすごくない?ここのくだり。」(吾郎)
「南極点に到達した後に(あれ?北極点も行けば探検家グランドスラムが達成するんじゃないか?)って…。」(南谷さん)
「どうせなら、ってみたいな…。ハチ公も見たからドン・キホーテも寄っていこうかな、って。」(吾郎)「その感覚がすごい…」(外山さん)
「あ、中目黒のドン・キホーテも行ったら渋谷区のドン・キホーテ全部行った事になる。」吾郎のユニークな例えに南谷さんは思わず笑いました。「そういう事でしょノリ的には。」(吾郎)
ここで南極点の映像も流れました。「360度何にもない、全部雪。」と南谷さん。

20歳で探検家グランドスラム達成は常識破りの偉業です。彼女を突き動かしたものは何でしょうか。
南谷さんは父親の仕事の関係で生後1年目からマレーシア、中国の大連、香港などで暮らしました。4年に一度は国を変え、2年に一度は学校を買える慌ただしい生活だったそうです。
「日本人という事でちょっと嫌な目に遭ったりという事はなかったですか?」(外山さん)
「そうですね、私が通っていた中国の現地の学校ではものすごい反日教育を行っていて、私自身『自分って誰なんだろう』『日本人って何なんだろう』って思う事が良くありましたね。小学校でも高学年の子から『竹島返せ』って言われたこともありましたし…。その中で自分の中のアイデンティティがどんどん失われていった。」(南谷さん)
外国で暮らし「自分は誰なのか?」と葛藤する中、出会ったのが香港の学校の授業で登った山でした。
「自分の居場所を探している時に、山は私にとって自問自答する場所でもあって、山を一歩一歩登りながら、自分の心の中の大きな山も一緒に登れる気がしたんです。山は『私の足が自分の靴に入ってるところが居場所なんだ』と教えて下さった先生のような存在です。」(南谷さん)
そして14歳の頃ネパールのアンナプルナへ登った時、ひときわ高くそびえる美しいエベレストを見て、いつか必ずこの山に登頂すると決めたのだそうです。
南谷さんがエベレスト登頂を具体的に計画するきっかけになった出来事の部分を外山さんが朗読。
香港で友達を家に招んだ時に起きた小さな事件から、ご両親の関係が完全に壊れてしまったのです。
「そういう家族の事情もあって日本に帰国しなくてはならなくなって、(私はどんなに自分の人生においてコントロールがないんだろう)と改めて思って。で17歳の時に両親が離婚して自分で自分の人生を設計しなくてはならない、と。それで14歳のあの時決めたエベレストに登るという夢を今叶えようと思ってプロジェクトにしたんです。」
南谷さんの言葉を吾郎は真剣に聞いていました。そして「夢をかなえたんだもんね。」と一言。
「他の人が持つ自分のイメージを生きようとしてもがき続けてきたけれど、そんな事なんて必要ないんだ、って。」南谷さんは自分に言い聞かせるように言いました。

高校生の時たった一人で動き始めた南谷さん。だんだん多くの人の共鳴を得て数々の苦難を乗り越え昨年5月、夢だったエベレスト登頂に成功しました。
「もう本当に大変でしょ?色々な挑戦を次々と達成していったんですけど、一番ほっとするのはやはり自宅だという事で、なんと!お宅にお邪魔させて頂きました!ありがとうございます!」(外山さん)
「あのさ…スタッフ間違えてない?ドサクサに紛れてだよね?」(吾郎)
VTRを見始めると、吾郎はさっそく「誰?この男」と一言。取材に行ったのは男性スタッフだったのです。
それはともかく南谷さんのお部屋はまるでモデルルームのように綺麗。いかにも女性大生のお部屋という感じですが、その中にマナスル登頂時の記念写真やエベレスト登頂証明書が飾ってあったり、トレーニング用のダンベルや登山用具が置かれていたりするのが探検家グランドスラムらしいです。南谷さんは7大陸全部を一緒に登ったというスキーのポールを見せてくれて
「ずっと同じ道具で遠征するのが好き。思い入れのある道具を使いたい。」とにっこり。
その一方で棚にはコウモリの剥製も飾られています。「実家にはダチョウの卵もあって…。こういうものが好きなのでコレクションしていきたい。」とも。
自宅にいる時はごろごろするのが一番好きという事で、南谷さんは最後ベッドに入ってバイバイしてくれました。

「魅力がギュッと詰まってますよ。」(吾郎)「ほんと可愛らしい。」(外山さん)
「ほんとにおっしゃってますか?」南谷さんはテーブルをドンと叩いて吾郎の方に乗り出しました。
「ホントに言ってるよ。」と吾郎が答えると「嬉しい。」と南谷さん。
「(吾郎さんは)嘘つけないので。」と外山さんが言うと「分かってますよ、同じ射手座なので。」と南谷さんはにっこりしました。

2017年4月北極点に到達し、探検家グランドスラムを達成した南谷さん。今何を思うのか、その部分を吾郎が朗読。

山を通して私の心は結構厚みを増しました。つらい事があるたびに弱い部分に泣きながらバンドエイドを貼り、それでもつらければそこにもう1枚バンドエイドを貼り、そうやってどんどん弱い心を分厚くしていきました。
夢の邪魔をするのは自分の情熱不足だけれど、自分を信じてあげる事が自分を守るバンドエイドになるのかもしれません。

私はこれからどんな私になっていくのか、まだわかりません。
でも今と同じように、心から笑って心から泣いていたいと思います。
いつもどんな時でも、弱い自分も強い自分もすべて自分だと受け入れて。


「そして今…。」(吾郎)
「そうですね。『自分って何だろう』と言っていたけど『自分になれた』っていう…。」(外山さん)
「自分になれたんだったら、今はもうプロローグじゃない?これから始まるんじゃない?」(吾郎)
「そうですね。」と南谷さんは嬉しそうに笑いました。
「楽しみだね。だってまだ20歳だし。もうお父さんの気持ちだよ。」(吾郎)
そこへAD山田くん登場。
山の上から手を振る南谷さんの消しゴムはんこでしたが「実際にお会いしたらおきれいだったのでね…女性はおきれいになってくるので…難しいです…」と言いながらスケッチブックを背中の後ろに隠してしまいました。

国籍や家庭環境に左右される事なく自分の夢をよりどころにして世界中の山を自分の居場所にした南谷真鈴さん。これからも注目したい方ですね。


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一人の時間を大事に生きる「孤独」という豊かな人生 (「ゴロウ・デラックス」 7/7)

オープニング。
「今日のゲストはこちらに並んでいる本の著者の方です。」と外山さん。机の上にはズラリと本が並んでいます。
「ノンフィクションの作家さんですね。僕はご一緒させて頂いた事があるんですよ。面白いロケをした事がありまして。」そう、吾郎は以前「マイ・フェア・レディ」でご一緒した事がありますね。あの時もとても面白かったので今回も楽しみです。

課題図書 : 「孤独という名の生き方」 家田荘子

「まさに…僕たちの事ですね。」と言って吾郎は外山さんを笑わせました。
今回のゲストは家田荘子さん。1986年出版した「極道の妻たち」は何度も映画化され興業総収入70億円の大ヒットを記録。その後も歌舞伎町の人々、エイズ患者、女子刑務所などを取材し、社会に一石を投じる作品を精力的に書き続けています。
「以前ロケのゲストに来ていただいて。歌舞伎町のディープな夜を探検、みたいなロケだったんですけれども。」(吾郎)
「中華料理を頂きましたね。」(家田さん)
「そうですね。それからドン・キホーテに行ったりして。面白いロケだったんですけれども。」と吾郎。8年ぶりの共演です。

まずは家田さんの経歴を紹介。家田さんはどうやってノンフィクション作家になったのか?
1982年、ノンフィクション作家の原点といえる取材記者としてスカウトされる。
そのきっかけは自分が出演した映画を一人で売り込んでいたことでした。女優さんだったんですね。
「『女優としては色気と身長が足りない。』と言われてなかなかプロダクションが採ってくれなくて。」(家田さん)
「あ、プロダクションがないから自分で売り込むしかない?」(吾郎)
「はい。自分でいろんな会社に売り込んでて、その果てに雑誌社へ行ったら『何が流行ってるの?』と訊かれたんです。少女売春がありましたし、薬物を医大生たちがいっぱいやってましたし、そういう事を喋ったら、『それ書いてみてよ』と言われて。当時は”風俗”を書く人がいなかったんですね。」(家田さん)
「だってまだ当時は20代の女性ですもんね。」(吾郎)
そして色々取材して記事を書いているうち、ある作品が生まれます。
1986年、「極道の妻たち」を出版し大ヒットとなる。
「これ、20代の時だったんですね!」(吾郎)「私もこれ、びっくりしました。」(外山さん)なんと23、4歳くらいの頃だったそうです。
1985年、暴力団間の抗争が激化。家田さんは女性目線で極道の生活を書く事を思いつき、暴力団幹部に直談判し自宅に住み込み取材をしました。
「1年8カ月取材期間があったんですけど、全国レベルで取材していたので一つの暴力団にだけ行っているわけじゃなかったんです。全部の暴力団に住み込みしていると、胃痙攣と神経性胃炎で髪の毛は白髪になって後ろはハゲちゃって。」(家田さん)
「ええ?!それは気を遣って、ですか?」(外山さん)
「抗争の最中ですもん。いつどこからピストルの弾が飛んできてもおかしくないですから。」(家田さん)
「日本ですけどそこまで?」(吾郎)
「あの当時は全国で抗争が起こってて、火炎瓶が投げ込まれたりとかダンプカーが突っ込んできたりとか、いろんな事がありました。」(家田さん)
「へえ…でも白髪になっちゃったりとか後ろがハゲちゃったりとかしたら、途中で止めちゃおうと思いますよね、若かったら。」(外山さん)
「そうですねえ…でも『愛した男がたまたま極道だった』というセリフを聞いた時にこの言葉を世に出したいと思ったんですよ。そのためには連載をしないといけなくて、もっともっと多くの方に会って取材しなくちゃと思ったんです。」(家田さん)極道の妻たちの思いを社会に伝えたいという熱意で取材と執筆をやり遂げたんですね。
1991年(30代)「私を抱いてそしてキスして」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞、後に映画化される。
「エイズに関してはすごく偏見を持たれている時だと思うんですが、家田さんによって払拭されましたね。」(外山さん)
「ええ、日本では『受話器でエイズが移る』とか『握手でエイズが移る』とか、言われて…。」(家田さん)
「平気でそういう事言う人いましたよね。」(吾郎)
「そういう誤解を解くには私がエイズを理解して報道することだと思ったんですが、私の心の中にも偏見があるのでなかなかうまくいかなかったんです。でちょうど良い事に当時の夫がアメリカ本土に転勤になったので一緒について行って、アメリカではエイズが身近な事に驚いて。そこでボランティアをさせて頂いて取材をさせて頂いたんです。」(家田さん)
「相手の方はすぐに心を開いてくださったんですか?」(外山さん)
「私がお世話させてもらった方は女性で、エイズと分かった途端に家を追い出されたんですね。『死にたくない」と言って泣きながら抱き着いてきた時もあったし、喧嘩して『帰る』と言って帰ってきた時もありましたし。」(家田さん)
「アメリカの時もそうですけど、取材の時には必ず一人で行かれるんですか?」(吾郎)
「はい、私一人で。その方の心の中に入っていかないといけないので、私がその方と会って、感情を分け合っていかなければいけないですね。」(家田さん)
「そこまでの取材をしないと、こちらもそれだけの事は受け取れないよね。自分もそうやって身を削って。」(吾郎)
「本当に向き合わないと。」(外山さん)
1998年(40代)「三浦和義氏からの手紙 ― 「ロス疑惑」心の検証」を発表
「このきっかけは何だったんですか?」(吾郎)
「三浦和義さんはロズ疑惑の人ですけど、”どういう人かな?”という疑問から。私の顧問弁護士のひろなか先生が三浦和義さんも担当されていたので『どういう人なの?』と訊いたら『自分で手紙書いてみたらいいじゃん』と言われまして。それでコンタクトを取って4年間やり取りをしました。あとは向こうからお手紙を頂くこともありまして。逮捕されてまだ懲役とか判決が決まっていない方たちは拘置所から自由に手紙を出せるんですね。私の場合は出版社に届きますので。」(家田さん)
「へえ…。これは作品にはされていないですよね。」(吾郎)「してないです。」(家田さん)
「やはり自分の中で整理付かないですよね。」(吾郎)
「はい。手紙を読んで(この言葉さえなければ)と思う事があるんです。でも本にするために書いていく上でそこだけを書かない、とかこの言葉さえなければ…とか思いながら書きたくないので。」(家田さん)
「その場合は書かない。」(吾郎)
「はい。」家田さんはきっぱりと言いました。
「その中でも何か救いになる光があればいいなぁと思って行くんですか?最初はだって怒りの方が強いじゃないですか。」(吾郎)
「はい。”何故この事件を起こしたんだろう?”という所から始まりますよね。それでそうせざるを得なかった。(語気を強めて)人殺しや人を傷つける事は絶対しちゃいけませんけれども、でもそうせざるを得なかった理由を聞きたい、と思うんですね。」(家田さん)
「色々危険な目にも遭ったりしてそうですね。」(外山さん)「危ないよね。」(吾郎)
「取材対象者と信頼関係を築いていくんですね、何回も何回もお会いして。だから危険な目はないんですけど、でも駆け出しの頃薬物の取材をしていた時に、当時政治家がやってるという話があって、それをやろうとしたら脅しがきました、裏世界から。」(家田さん)
「こわっ!…怖いですね。」(吾郎)命がけの取材ですね。

「今日は家田さんを作家としてお呼びしているんですが、もう一つの肩書があるんですよね。」(外山さん)
「はい、僧侶でもあります。得度(入門の儀式)をしたのは1998年なんですけど、修行して伝法灌頂という僧侶になるための儀式を受けたのが2007年です、」(家田さん)
「じゃ10年前ですね。僧侶になられて書くものが変わったりはしましたか?」(吾郎)
「ノンフィクションの目をつける所は変わってないです。」(家田さん)

ここからいよいよ今回のメインテーマへ。
課題図書は”孤独”とうまく付き合えない現代人に”孤独”との向き合い方を指南する本です。
「外山さん、孤独を感じるときあります?」(吾郎)
「病気になって2日人と話さないとちょっと寂しいなと思いますね。」(外山さん)
「私一週間平気!口数少ないので。」(家田さん)
「朝ご飯とか独りだとちょっと寂しくない?」(吾郎)
「あ、朝ご飯ね。吾郎さんそれ言いますよね。」(外山さん)
「朝って食卓を家族でしていた(囲んでいた?)イメージが強いから。」と吾郎が言うと家田さんも外山さんも納得したようです。
「朝ご飯作られるんですか?」(家田さん)「はい、作ります。」(吾郎)「すごいですね!」(家田さん)
「作ってまでやってると意外と独りだとね…。」と吾郎がボソッとこぼすと
「作るからですよね」(家田さん)「ねえ」(外山さん)とあっさり言われ
「作った方が体にはいいんですよ。」と反論しました。
「あとある?夜独りで飲みに行くの平気でしょ?」(吾郎)「平気です。」(外山さん)
「家で独りでいるのも?」(吾郎)「基本独りですし。」(外山さん)
「独りで…散歩とか?」(吾郎)「それは当たり前…(笑)」と家田さんが突っ込むと、
「いや、僕も独りで散歩しているんですけど、近所の公園を散歩する時は話し相手がいてもいいかなとたまに思うんです。」吾郎が説明しました。
「そういうカップルも羨ましいというか、ほのぼのしてていいですね。」(家田さん)
「で、たとえカップルであっても僕の場合散歩は出来ないんですよ。」(吾郎)
「ああ、写真とか。」(外山さん)「大変ですよね。」(家田さん)
「そうなんですよ。だからお忍び旅行とかお忍びレストランとかはあってもお忍びお散歩とかないじゃないですか。」(吾郎)
「お忍び旅行行かれるんですか?」と家田さんはすかさず身を乗り出して訊きました。
「お忍び旅行は…最近は行ってないですけどね。以前行ったことはありますけど(苦笑)。」(吾郎)
「どういう所に行かれるんですか?」家田さんは畳み掛けます。
「お忍び旅行は…(上を向いて考え込むふりをする)取材上手いですね。(笑)」(吾郎)
家田さん、下を向いてくっくっくという感じで笑いました。

ここで吾郎の朗読。僧侶・家田荘子が考える孤独との向き合い方について。

「孤独」というと最近では「孤独死」とか「孤独生活」といったマイナスのイメージで捉えられがちです。
(中略)
でも「孤独」の本当の意味は違うのではないでしょうか。「孤独な人」というのは独りで過ごすことの楽しさも知っている人、ひとりの時間を自分らしく過ごすことのできる、味のある人ではないかと私は思うのです。
(中略)
孤独を受け入れられる人というのは、人に媚びず自分自身をよく理解したうえで、ひとりでいる時間を大切に生きている人だと私は思います。


「そう言って頂けるとちょっとホッとするというか。」(外山さん)
「今思ったんだけど、僕の周りにいるお友達もみんなそうですね。ヒロ君とかしのぶ君とか皆独りでいる事が上手ですね。だから付き合いやすい。じゃあ今日は一緒に会おうか、って。」(吾郎)
「孤独というのは社会生活を拒否しているわけでもないし、人と一緒に過ごすことから離れてるわけでもなくて、社会生活をちゃんとした上で、しているからこそ自分の時間を大切にできるんです。」(家田さん)
「そうですよね、世の中を捨てているわけではない。」(吾郎)
外山さんも頷いています。
「なんで孤独って言われちゃうんだろう。かわいそうな人、みたいに。特に女性はすごくそういうのあるよね?」(吾郎)
「言われますよね…。なんか性格に問題があって独りなんじゃないか、って。それもあるかも知れないけど、ほっといてくれよ、って思いますね。」(外山さん)
「頑張っている女性に限って余計そう言われませんか?」(家田さん)「言われますね。」(外山さん)
「その孤独に着目したのはなぜですか?」(吾郎)
「今ね、65歳以上で1週間誰とも喋らない、そういう環境の人がとても増えているんです。私みたいに喋らなくても平気な人じゃなくて、喋りたくても人と話す機会がない人が。でもそこで自分に閉じこもってしまうとどんどん追い込まれてしまうので、自分が何をしたいのか、自分を見つめて考えて一歩前に出なければいけないと思うんです。”孤独にさせられる”んじゃなくて”孤独は自分で掴んでいくもの”だったら全然寂しくないし辛くもない。」(家田さん)
「そうですよね。僕らは孤独が嫌で孤独をやっているわけではなくて、僕らは孤独を掴んでいるわけだから、どっちかというと。」(吾郎)
「そうですね。一人でいる時間って大切ですね。」(外山さん)
「人といると麻痺しててね。淋しくはないというか満たされる事はあるんだけど、あっという間に時間が過ぎてしまって振り返る時間がなくなってしまったり。」(吾郎)
「ストレスを背負ってまでみんなと一緒の事をしなくても、自分の時間を大切にして自分の生き方を大切にして、孤独の時間をどう利用して楽しんでいくか、という事でその人の生き方が出来てくるんじゃないかなと思います。」(家田さん)

家田さん自身も経験した、いわれなき誹謗中傷や偏見に負けない考え方の部分を外山さんが朗読。

「離婚を繰り返すとんでもない女」と陰口だけでなく面と向かって言われたこともありました。
(中略)
言いたいことを言わせておけばそのうちその人たちも飽きることでしょう。
そういう人達の言葉やSNSに一喜一憂していたらストレスだらけになって自分自身がかわいそうです。
誰に何と言われようと、その人たちは私の人生を背負ってくれるわけではありません。
人それぞれの人生に答も正解も一つではありません。


「すごいですよね、ネットはねぇ。僕はあまり見ないですけど。」(吾郎)
「繋がっているようで繋がっていないような…。」(外山さん)
「浅いですもんね。繋がっている人が少ないとかっこ悪いとか恥ずかしいとかいう気持ちがあって、無理して多くの人と繋がろうとする人もいると思うんですね。」(家田さん)
「上手く活用する分にば、SNSとか全然良いものだと思うんですけど。」(吾郎)
「でも…離婚を繰り返すっていうのは…何回…?」外山さんはためらいがちに家田さんに訊きました。
「今4回目の結婚をして、もう15年位経つのかなあ…。」(家田さん)
「4度の結婚で分かった事を教えて頂けますか?」外山さんの口調は慎重です。すると、
「まだ4度しかしていない未熟者ですけど(笑)人は何回でも花を咲かせられると思いました。そしてもし、離婚すると人から色んなことを言われるとか寂しいからと思ってしがみ付いてるとしたら、散っていく花びらを落とすまいと執着するよりは、潔く一回全部花びらを落としちゃってそこから新しいスタートをするのもいいんじゃないですか、と私は思いますね。」
家田さんは吾郎の目をまっずぐに見て言いました。色々な意味のある言葉ですね。
「では今はいい意味で孤独にもさせてくれるし、いい私生活なんですね?」(吾郎)
「はい。お互い仕事を持っているので、隣町に住んでいて別居みたいになっていますが。原稿を書いてる時に人がいるっていうのはちょっと…。」(家田さん)。
「でもまあ、やっぱりパートナーがいた方が…」(吾郎)
「そうですね。一人で解決できない時もありますので、その時はアドバイスを貰ったりします。」(家田さん)
「へえ…。山行とか水行とかには一緒に行かれたりするんですか?」(吾郎)
「遍路は、私はすごくはやいので、ついてこれないんですね。ただ山行は富士山に年3回一緒に行きますし、大峰山にも行きますし、元々大峰山の行で出会った人なので。あと水行もお正月に一緒にやってくれます。」(家田さん)
「水行が大変そうだよ。」(吾郎)
ここで家田さんの水行のVTRが流れました。白い着物に身を包み夜の海に入って行きます。グループで砂浜から海に入っていましたが「普段は独りでいきなり海に入るので。」と家田さん。
「夜の海に独りでだよ。」(吾郎)「飲み込まれそう。」(外山さん)二人は驚いていました。

家田さんがノンフィクション作家として今注目しているテーマは「熟年婚活」だそうです。
「今若い方よりもずっと多いですね。離婚している方も多いし、ストレス社会で早くして亡くなる方も多いので、独りの方がとても多いんですね。そういう方たちの婚活ツアーバスに乗ったりして。」(家田さん)
「乗ってみてどんな感じですか?」(外山さん)
「東京と大阪のツアーバスに乗ったんですけど、大阪はトレーニングウェアみたいな格好で来る方もいるんですが、東京は皆さんオシャレですねえ。」(家田さん)
「へえ、違うんですね。」(吾郎)
「はい、でも会話は少ないです。大阪の方は会った瞬間からワーと盛り上がってる。」(家田さん)
「ねるとん紅鯨団みたい。」と吾郎が言うと、家田さんも外山さんも笑いだしました。
「恋愛したいっていう気持ちが素敵ですね。」(外山さん)
「だから楽しそうですよ。でカップルになった後メールでやり取りしたりして。恋してて楽しそうです。」(家田さん)
「どうぞどうぞ」と吾郎はいきなり外山さんに婚活を勧めました。
「まだもうちょっと先に…。今後の楽しみにしておきます。」外山さんのはにかむ笑顔が可愛かったです。

「さあ、これからどうやって生きていきましょうかね、僕らは。」吾郎が言うと
「え?もう自分らしくそのままでよろしいじゃありませんか?」と家田さんが答えたので
「そうですね。変わらないね。」ご吾郎もすんなりと納得しました。
そこへAD山田くんが登場。
「『孤独という名の生き方』という本なので、僕が部屋で孤独に彫ってるっていう…」と言いながら消しゴムはんこを披露しました。
「この手元を拡大すると家田さんの顔なのね。」(外山さん)
「孤独に、誰にも褒められず、ADで…。」と自虐気味の山田くん。
「でも楽しんでるじゃない。」(吾郎)「はい、楽しいです。」(山田くん)
「それでいいと思います。」と家田さんも認めて下さいました。

最後に吾郎は「気をつけて下さい、深夜の海は。」と家田さんを気遣う言葉をかけていました。


拍手ありがとうございます


(需要は少ない(というか、ない)とは思いますが、「マイ・フェア・レディ」の家田さんと吾郎の歌舞伎町ロケの感想も参考までに出しておきます)




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剛、お誕生日おめでとう!

剛、43歳のお誕生日おめでとうございます!

これからの1年は、どうなるのでしょう。新しい航海に出るようなワクワクドキドキした気持ちでしょうか。
とにかく身体に気を付けて、これからも輝いてください。

そして、吾郎とのロハスコンビが早くまた見られますように。その日を待っています。


拍手ありがとうございます

世界が広がる朗読劇 (「ゴロウ・デラックス」 6/30)

課題図書 : 「ムロ本、」 ムロツヨシ

先週に引き続き、「ムロ本、」より、ムロさんの人となりが分かる部分を紹介。
【ムロツヨシx新井浩文 対談――[人間・ムロツヨシについて]】
【福田雄一インタビュー――[役者・ムロツヨシについて]】
【若葉竜也x永野宗典x本田力 鼎談――[演出・ムロツヨシについて]】

「ムロ本、」にはムロさんをよく知る人たちによる対談やインタビューも収録されています。芸能界随一の交友関係を誇るムロさん。この本に登場した有名人についてのエピソードを聞きました。
「ムロ本、」の中には後輩芸人の方々の名前も出てきます。
「好きな後輩と飲むと説教が始まる、僕の悪い癖がありまして。それをそろそろ直そうと思っているんですけど、まだ直りきっていない時に彼らは説教を浴びているので、最近連絡くれないですね。」とムロさん。
お笑いコンビ阿佐ヶ谷姉妹のお二人はムロさんの部屋を掃除しに来てくれたり、洗濯までしてくれたりするほど仲良しですが
「今お二人お忙しくなっちゃって最近会えてないですね。」とムロさんは嬉しそうに言いました。家まで来てくれると聞いて吾郎は「面白い関係だね。」と大笑い。
さらには「小泉孝太郎くんはモニタリングを撮ってたんで会いに行って、この後飲みに行く事になりました。」とムロさんは最新情報(?)を話してくれました。
「リリー・フランキーさんとも…ねえ。」と吾郎が言うと
「リリーさんとは一時期よく飲まさせてもらった時期があって、一度本当に怒られてことがありまして。はっきり言うと永山絢斗くんとその時期飲んでたんですが、ある日僕すごく仕事もなくてお金もなかったんですよ。で飲む事になって『絢斗ごめん、ちょっと今日お金ないかも…』『ああいいですよ。』『今度絶対返すからごめんね。』という感じで。友達(瑛太さん)の弟に格好悪いけどどうしても無理だったんです。なんとそれをリリーさんが聞きつけて、呼び出され『座れ』と。」(ムロさん)
聞いている吾郎の背筋がピッと伸びました。
「『お前絢斗にお金出させたらしいな。みっともない事は止めろ。』と怒られました」。(ムロさん)
「えー!」(吾郎・外山)
「『お前はどんな事があっても格好つけなさい。もうそういう歳だし、友達の弟に金を出させる、そんなみっともない事絶対するな。』と。その時からどんな手段を使ってでもお金を出し始めた。わたくしどんな手段を使ってでも、年下と飲むときは、どんな手段を使ってでもお金を出すようにしています、リリーさんの教えの通り。でも小泉孝太郎とかは払わせてくれないんですよ。」(ムロさん)
「当時?」(吾郎)「今も。」(ムロさん)「なんでですか?」(外山さん)
「分かんないです!」ムロさんは興奮して話し始めました。ムロさんのよく行くお店にマネジャーさんと仕事仲間がご飯を食べに行ったとお店の人から聞いて、ムロさんがそのお金を払おうとしたのに、たまたまそのお店に飲みに行った小泉さんが先に払ってくれていたとか。
「うちのマネジャーの飲み代まで払ってくれて!格好良すぎじゃないですか!だから僕怒りに行きましたよ、『たまには手柄よこせ!』って。」
「じゃあ今日が勝負ですね。」(吾郎)
「今日が勝負です。彼、『いいじゃんいいじゃん』って言ってましたけど。『いいじゃん』じゃないですよ。うちのマネジャーが一番恐縮して『すみません、ありがとうございました。』って。」(ムロさん)
「あはは!…瑛太さんにもご馳走になったって。」(吾郎)
「瑛太さんにもご馳走になりましたね。最初の映画(「サマータイムマシン・ブルース」)の時から一緒だったので。彼はその頃からお仕事をしていたので食事に行くとご馳走してくれて。…で最近久々に会って僕がお金を出そうとすると『何格好つけてるの?昔払わなかったくせに。』って。『ちょっと金持ったからって格好つけるな。』ってワザとそういう言い方をして払わせてくれない。」ムロさんは照れくさそうに言いました。
「まあ…何でも言える仲というか。」(吾郎)
交友関係の中には笑福亭鶴瓶さんの名前も。
「鶴瓶さんは最近飲むんですけど、僕の同級生まで『呼んでいいよ』と言って一緒に飲んだり。」(ムロさん)
「A-Studioの感じだよね。」(吾郎)
「ホント、そのままだなと思って。同級生の友達も『えっなんで?鶴瓶と飲めるの?わけわかんない。』って。そりゃそうだよ!って言いながら連れて行ったら本当に鶴瓶さんがいらして…。行きは『鶴瓶』と言ってたのにみんな『鶴瓶さん』と言いながら帰る、同級生たちが(笑)。」(ムロさん)
「理想のお酒の飲み方ってありますか?」(吾郎)
「リリーさんと飲んでると下ネタとか言いながら楽しいんですよ、後輩でも楽しく飲めるようなお酒の飲み方ですね。鶴瓶さんもそうなんですけど、難しい話とか説教とかなくてワイワイガヤガヤと…。そういう飲み方をしたいですね。変わりたいです。」(ムロさん)
{ちょっと熱くなっちゃうのかな?」(吾郎)
「熱くなっちゃうんです。ホントにホントに頑張ってほしくなっちゃう、後輩たちに。『急げ!』って。『今急がないとダメじゃない?なぜ今のんびりしてるの?』って。」(ムロさん)
「でもそこはサラッと。飲むときは割り切って。」(吾郎)
「そうですね、だから今こうやって言うようにしてる。自分のかっこ悪い飲み方を言って変えていこうとしてます。」(ムロさん)
「でもお友達がすぐ出来そうですね。」(外山さん)
「そうですね。仲良くなりたいと思っちゃう。八方美人、十六方美人、三十二方美人になりたくて。」(ムロさん)
「でも苦手な方とかいないですか?大勢と飲んでると…。僕は2~3人で飲むのが好きなんです。大勢で初対面の人とかいるとどうしても1人はダメな人とか…。」(吾郎)
「嫌われる事はあります。やっぱりこういう風に誰とでも仲良くなろうとする人が嫌いな人もいますから。そういうのは嘘っぽいとか、浅く広くみたいなのは嫌いなんです、とか。でも最初は嫌われてもいいと思っているので、嫌われても何とか会話して次どこかで会った時に『あの時一緒に飲まさせてもらって…。』って会話を継続して『コイツどんどん話しかけてくるから嫌いになってる方がキツイな。』と思わせる。(吾郎・外山さん笑いだす)嫌いになってると労力使うんですよ。それでも僕がどんどんいくので、皆諦めてくれる。その瞬間が好きです(笑)。好きにならなくても嫌う事を諦める瞬間ってあるんです。…僕は仲良くなりたいんです、人を知りたいので。」(ムロさん)
「この人はもういいや、とか興味ないや、という人は?」(吾郎)
「ないですないです。」(ムロさん)
「どんな人でも?自分と全く違うと思っても?」(吾郎)
「出来る限りお話はしたいです。」(ムロさん)人間に興味があってオープンマインドなんですね。

【どっか、の台本――シナリオ集的な】
舞台では演出も手掛けるムロさんが書いた短編シナリオ集です。ムロさんが台本を書く理由とは?
「この連載を始めた8年前の事なんですけど、役者という職業をしてると、台本を手にする事が嬉しかったり読み方ひとつで芝居が変わったり、いろんな台本には関わりがあるので、台本のありがたみや読み方を知るために何をしたらいいだろうと考えまして。、自分で台本を書く場所があればいいのかなと思いまして。連載の話を頂いた時に『台本を書かせてもらってもよろしいでしょうか?』と話して、1ページの連載だったので、1ページで収まる、時間にして1~2分の台本を書かせてもらえないですか?と始めました。」(ムロさん)
「1話完結の台本が全22本。」(外山さん)
「いやあ、締切があるから書けるんですね。迷惑をかけちゃいけないから書く。書きたいから書くんじゃない。約束したから書くんだ!」(ムロさん)
「でも作家さんはみんなそうおっしゃいますよね。締切がないと書けない、って。」(吾郎)
「今回はムロさんが最も思い入れの強いという連載1回目の『黒船』を基にムロさんとゴロウさんで特別朗読公演をして頂きます。」(外山さん)
「初めての(ゴロウさんとの)お芝居…。」(ムロさん)
「なんかこう…なんでゴロウ・デラックスなんだろうね。ドラマでやろうよ。でもなかなかないよね、朗読で共演できるって。俳優さん同士で。」(吾郎)
「でもちょっと緊張しますね。自分が書いたものをゴロウさんが読んでくれて相手役も演るというのは。」(ムロさん)
「いやいやそんな事を言われたら僕の方が緊張しますよ。」(吾郎)
「ね、楽しみ!この間のロバート秋山さんの子役のみち君…(笑)」(外山さん)
「あれ見た!」(ムロさん)(←観て下さってありがとうございます♪)
「ぺぺー!ぺぺー!」(吾郎)「あれ以来」(外山さん)「あれはコントだから」(吾郎)
「そうですよ、今回は本気の俳優さん同士の朗読です。」(外山さん)

【「黒船」ムロ本、どっか、の台本――シナリオ集的なより】
そしていよいよお待ちかねの朗読劇。

吾郎が兄、ムロさんが弟。
飼い猫の「黒船」が死んで気落ちしている母を思う兄弟の会話から人の優しさや家族の温かさが伝わってきました。

「いやあ良いですねえ。なんか兄弟みたいに思えてきた。」(吾郎)
「最初緊張しちゃったんですけどやっぱり嬉しくなっちゃった。書いた時の事を急に思い出して『これあの稲垣吾郎が朗読するんだぜ』って。しかもテレビの前で、って。それと最初のト書きを外山さんが読んでくれた時嬉しくなっちゃって(プロが読んでる!)と思って(笑)。(この8年前の稚拙な文章たちをプロが!プロが!)と思ったら…。最初本当に照れくさくて…。」(ムロさん)
「照れくさいですよね。さっきまでバラエティでトークしてて、こっちはちゃんとお芝居っぽいし…しかもご自身で書かれたもので、ねえ。」(吾郎)
「ほんと最初は嫌で『今からでも断れねえかな。』って思ってたんです。だけど…」ムロさんは感極まったのか顔を手で覆いました。
「ちょっと様子変でしたもん。」(吾郎)
「でも外山さんがト書きを読みだした時、隣に吾郎さんがいてそれでハッとして、書いた時の自分をハッと思いだして『おーい!』って話しかけてました。『これすげぇぞ!』って。」(ムロさん)
「え、それ後付けですよね(笑)?」(吾郎)
「あはは…そこまで言っちゃったら後付けっぽく聞こえます?でもちょっとはホントです。」ムロさんは照れているけど本当に嬉しそうでした。

【ムロツヨシ インタビュー――独り語り的な】
「『ムロ本、』はムロさんのインタビューで締められているんですが、全体の印象として家族の話が多かった感じがしました。」と外山さん。「結婚して新しい家族を作る気持ちはあるんですか?」と訊くと
「そうなんですよね。僕も本になって改めて読んだ時本当に家族の事について理想をいっぱいこの本の中に書いていて、恥ずかしんですけど、自分も親になりたい気持ちは少し出てきているのかなと思いました。」とムロさんは答え
「…結婚願望はお二人はあるんですか?」と逆に訊きました。
「いやあ…」と吾郎は考え込み、外山さんを見ながら「…ないとは言い切れないよね。」と同意を求めました。外山さんは無言で頷いています。
「独身の経験はある訳じゃないですか…。この(独身の)幸せは。結婚は全く未知の世界ですからね。そういう経験をするとまた役者としてお芝居も…って思いますよねえ。」(吾郎)
「やっぱり先輩たちは『結婚した方が良い』って言いますね。『お前なんかもっと軽い気持ちで、失敗してもいいからしろ』って言う先輩や同級生はたくさんいます。でも失敗しちゃいけないと思ってるので。親がそうだったので。」(ムロさん)
「そうですよね。この歳になると失敗したくないですよね。この歳から結婚だと。」(吾郎)やはりそこがネックなのでしょうか。

「さて、喜劇役者としての今後の目標は?」(吾郎)
「うーん…。僕を覚えてくれてる人が少しずつ増えた実感はあるんですけど、ムロツヨシの顔が浮かんで作品が浮かぶのはまだ無いと思うんです。作品が浮かんだとしても僕が主役じゃなくて誰かが看板を背負ってくれてる作品だと思うので、いつか自分が主演の代表作で、ムロツヨシの顔を見たらこの作品が出てくるという作品を作りたいのと、それを積み重ねて、もちろん主演だけがやりたいわけではなくて主演以外でも楽しい喜劇を作っていき、最終的に『あなたの好きな喜劇役者は?』『気になる喜劇役者は?』の質問に『ムロツヨシです』と答える人が一人でも多く作れたらな、と。そのためには代表作を作らなきゃいけないしもっとふざけなきゃいけないし、ふざけるために自分をわざと隠す場所を作らなきゃいけないのかなと考えたりして。こういう風に真面目に語ってるところを意識づけさせようと思ったり…」(ムロさん)
「ちょっと自信なくなってきた(笑)。」(吾郎)
「僕ね、最近もっとキュッと話せたらなと思うんですよ。言ってることをもっとキュッとできたらいいと思うんですけど、キュッと(コンパクトに)しようとしても説明しているうちにこうなって(広がって)きちゃうんです。」(ムロさん)
「いや大丈夫大丈夫。良かったから。」吾郎はフォローし外山さんはなぜか笑い転げていました。

AD山田くんの消しゴムはんこは仲良しのムロさんの「メイクしていない顔」。とても良く感じが出ているとムロさんは感激しました。しかしそれだけで終わるはずはなく、ムロさんからこんな暴露話が。
「この間家でばったり会った時、これに出る事が決まる前だったんですけど、『アレたまに見てるよ。』と言ったら『そうなんですよ、はんこの知ってます?』『知ってるよ、だって見てるもん。』『あれ面倒くさいんですよ。』って(吾郎爆笑)。『前情報も何もなくて。あのスタッフちょっと頭おかしいですよ。』って。『突然言ってきて突然やれと言われて本当に閉じ込められてるんですよ。』。そう聞いてて僕今日このスタジオに入ってくるときに見たら本当に閉じ込められてて(笑)。『本当に言ったとおりだ!』と思って。『この子に作り話は一切なかった!』って。(山田くん含めスタジオ内爆笑)…でも本当に感動しちゃった。ありがとう、嬉しいです。」
最後にムロさんはとてもスマートに山田くんに感謝の気持ちを伝えました。

リアルタイムで見た時はムロさんと吾郎の朗読劇がとにかく良くてその印象が一番強く残ったのですが、録画を見てみたらその他の話題もたくさん話していました。久しぶりに役者モードの吾郎を見られたのでとても嬉しかったです。

最後に「今度はお芝居で共演しましょう。」とお互いに挨拶していた吾郎とムロさん。実現すると良いですね。


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映画語りもかっこよく (「an・an」)

現在発売中の「an・an」は絶対買いです。吾郎ファンは買わないと後悔します!

恒例の「映画と本と」の特集の中で、ラジオで映画評をしているラッパーのライムスター宇多丸さんと吾郎が「夏に見たい映画」という対談をしているのですが、このグラビアが最高です。久々の眼鏡なし吾郎がこんなに色っぽいとは!
ゴロデラの時よりワイルドに仕上げたヘアスタイルと髭がよく合っていて、大人の男の危険な色気が…(ムフフ)。太めのストライプのジャケットを粋に着こなしているのも流石です。
スキンヘッドの宇多丸さんと並ぶとパンクな雰囲気がしてよりカッコよさが強調され、思わずため息が出ます。本文を読む前にグラビアを眺めるだけで十分楽しめます。

対談では吾郎も宇多丸さんもかなりマニアックな作品をお勧めしています。宇多丸さんお勧めの「ときめきに死す」はむかーし一度TVで放送したような記憶がありますが…。吾郎お勧めの「100歳の華麗なる冒険」は見たくなりました。

もちろん、連載の「シネマ・ナビ」もいつも通りあります。こちらでは「歓びのトスカーナ」を紹介しています。

今ビジュアル最高の吾郎をこういう形で見せてくれた「an・an」には深く感謝しているので、「シネマ・ナビ」書籍化のお願いも添えてお礼のはがきを出すつもりです。


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これは、喜劇 (「ゴロウ・デラックス」 6/23)

オープニング。3週間ぶりに吾郎の衣装が変わりました。黒シャツに黒タイ、チャコールグレーのスーツ。ベージュのスーツも上品で素敵でしたが、今回はグッと渋いです。
「今日のゲストはドラマ映画バラエティ番組で抜群の存在感を発揮している喜劇役者さんです。」(外山さん)
「役者の方がゲストなのも珍しいんですけど、喜劇役者さんですか。」吾郎は早くも興味津々の様子です。

今最も注目を集める喜劇役者、ムロツヨシさん。独特の強い目力を持ち、映画・ドラマ・舞台・バラエティ番組の司会など幅広い分野で活躍する唯一無二の存在。そのムロさんが月刊誌「プラスアクト」でブレイク前から書き続けた連載をまとめたのが今回の課題図書です。

課題図書 : 「ムロ本、」 ムロツヨシ

400ページを超えるボリュームのこの本には、自身の壮絶な体験を基にした私小説やオリジナルの劇台本、芸能界の交友関係などが書かれていて、ムロツヨシさんのすべてが詰まった渾身の一冊となっています。
「肩書が”喜劇役者”なのはなぜですか?」まず外山さんが訊きました。
「僕らが子供の頃は『喜劇役者って誰?』って聞いたら植木等さんとか渥美清さんとか名前が挙がったんですけど、今『喜劇役者で誰が好きですか?』と訊かれても『喜劇役者って誰の事を言うんだろう?』ってなってる。僕はずっと喜劇を舞台でやりたいと思っていて、それならあえて自分から言うのも良いのかなと思って、恥ずかしいんですけど(喜劇役者と)名乗らせて頂いてるんです。」とムロさん。喜劇に特に思い入れがあるんですね。その一方で
「で『喜劇役者だから笑わせてみろ!』と言われたら『いえ、喜んで劇をする役者なんです』と言い訳も作ってあります(笑)。」とも。
ムロさんと吾郎は今回初共演ですが、
「でもこれを読んでからお会いするから…不思議ですよね。」(吾郎)
「お会いする前に読んでもらっている事と、そこを今テレビカメラたちが写している現状にもう…とち狂ったのか髪結んじゃいました。テレビで髪結んだことほとんどないのに。」(ムロさん)「ちょっとおしゃれですよね。」(吾郎)
ムロさんいわく、「森山未來を意識してる」そうです(笑)。
雑誌の連載をまとめた本なので、
「結構前の連載も多い?」(吾郎)
「はい、一番古いのは8年前ので。まさか8年かけて本になると思わなかったですし。」(ムロさん)
「ムロ本、」では「。」の代わりに全て「、」が使われています。これについては
「初めてパソコンで台本を書いた時に、セリフでよくある「…」をどうやって出せばいいか分からなかったんです。」とムロさんが言ったので吾郎は一瞬きょとんとなりました。
「どうやっても違う記号が出てくる。で「、」を打ったらその通りに出てきたので『もうこれでいいや』と。(吾郎笑い出す)それで始めて…。「、」「。」を使わない人=俺って決めたんです。」(ムロさん)
「でも流れがいいからいいじゃないですか。」(吾郎)
「「。」を使わなくなっちゃったので嘘をついて後付けの理由で『「。」をつけたら終わっちゃう。「、」は続くじゃないですか』って。」(ムロさん)「後付けうまいですね!」(吾郎)
「後付け上手いんです。結構後付けの理由を沢山使っているんですよ。」(ムロさん)
「この『ムロ本、』は喜劇役者ムロツヨシのすべてを書いた台本になっています。この番組ではこの『ムロ本、』の目次に沿ってお話を伺っていきます。」と外山さん。課題図書の目次が本日の番組の台本というわけです。

【ムロツヨシ、―――序章的な】
8年続く連載の中で一番新しいこの章ではムロツヨシさんの日常が描かれています。「序章的な、」という事で、ムロさんが今まで出演した映画・ドラマ・バラエティ番組を振り返りました。AD山田くんがボードを持って入ってくると、
「よく会うんですよ。」と言いました。ムロさんが小栗旬さんと友達で、山田くんが義兄小栗さんの家にいる為よく会うようです。
「この間会ったのは、僕が酔っぱらって帰ってきて小栗さんに40分くらい説教食らってた時でしたね。」(山田くん)
「ちゃんと兄としての説教でしたね、人生の先輩としてこれは良くないんじゃないか、と。」(ムロさん)
「酔っぱらってたんで何も覚えてない。」(山田くん)
「お前、(小栗さんが)これ観たらまた怒られるよ!」(ムロさん)山田くんは焦りまくりでした(笑)。

ムロさんが最初に本格的に映像作品に出演したのは「交渉人 真下正義」(2005年)。しかし吾郎は
「観たよ…いた?」と首を傾げました。「結構いい役で。」(ムロさん)「犯人?」(吾郎)
「あれ犯人出ない映画ですから(笑)。…実は僕、真下(ユースケ・サンタマリアさん)の隣にいるんですよ、階段で室井管理官とすれ違うシーンとか。よく見て下さい、僕いますから。」(ムロさん)
「えー、絶対見てるはずだよね。」(吾郎)
「よく見ている作品が多いですよ。」(外山さん)確かに作品リストには「ガリレオ」などの有名ドラマもあります。しかし、
「ワンシーンもない、ワンカット(だけの出演)。自分の事を”ワンカット役者”って呼んでましたから。」とムロさん。
「僕らはいつ知ったんでしょうかね、ムロさんの事を。いつの間にか…。」(吾郎)
「僕はいつも必死なんですけど、すべてに爪痕を残そうと(笑)。でも多分『勇者ヨシヒコと魔王の城』という深夜ドラマをやった時に『あの人誰?』って感じになって、役名で街で呼ばれるようになりました。今までそういう事はなかったので大きな転機だったのかな。」(ムロさん)
「街で呼ばれるのって役者にとって…びっくりだよね。」吾郎の言葉には実感がこもっていました。
「あと、世間の皆さんが知ってくれたのは『ごちそうさん』というNHKの朝ドラで。それが年上の世代の方に覚えて頂けるきっかけになりました。」(ムロさん)
「朝ドラってびっくりするぐらい人に声かけられますよね。」(吾郎)「かけられます。」(ムロさん)
「僕も人生で初めてドラマに出たのが朝ドラなんです。」と吾郎が言うと
「え!そうなんですか?」とムロさんは身を乗り出しました。
「平成元年、15歳の時に。」(吾郎)
「すげー…」ムロさんは尊敬のまなざしで吾郎を見ました。
「現代版の朝ドラだったんです、『青春家族』っていう。びっくりしましたよ、ハワイに行って気付かれたましたから。…朝ドラすごいですよね。そう思いませんでした?」(吾郎)
「すごいです、おばあちゃんに話しかけられたりとか。『何で見て下さったんですか?』と訊いたら『ごちそうさん』で観た、って。」(ムロさん)
この朝ドラトークでムロさんと吾郎が一気に打ち解けた感じがして嬉しかったです。
しかしそこまで有名になっても
「まだバイトされてたんですか?」(吾郎)
「バイトしていたのが30歳までですよ。この頃ユースケさんによくご飯に連れて行ってもらっていて。29歳の時に『ムロくんいい加減バイト辞めなさい。』と言ってくれて。『バイトをやってたら君の性格ではのらりくらり食べていけちゃうから、とにかく(役者に)絞りなさい、バイト辞めなさい。』と言ってくれて。で30歳の誕生日の前の日までやって30歳からピッと止めるようにしました。」(ムロさん)「のらりくらり君は出来ちゃうから、って、良く分析してますね。ムロさん確かに器用でできそうですもんね。」(吾郎)

ムロさんはバラエティ番組にもたくさん出演されていますが、
「舞台でお客さんが入るには知ってもらわなきゃいけない、僕と言う存在を。そこでバラエティ番組で『ムロツヨシです』と連呼させてもらって『何なんだよこいつ』って覚えてもらってから『舞台やってるんだ、じゃ1回観に行ってやろうかな』となるためにバラエティ番組に出させてもらっている気持ちはあります。もちろん番組に一生懸命貢献したいと思いますが。ユースケさんや大泉洋さんといった先輩を見ているので『観てて楽しい、でも役者が本業』と、いつか逆転すればいいんだと思って。バラエティ番組ではまず覚えてもらおうと。」バラエティ番組ではまず自分を知ってもらおうというスタンスです。
そして舞台活動をずっと続けているムロさん。それについて吾郎が
「贅沢だけど僕はそういう経験をしてきてないからそういう人にしかできないお芝居ってある。そういうのは絶対羨ましいなっていうのはある、自分には出来ないことだし。でもそれにこだわり過ぎてもいけないと思うし。まあ、道が違ったと思えば。」と言うと
「はい、そうですね。」とムロさんは深く頷きました。
違う道を歩んできた事をお互いに認め合う役者同士の会話が素敵でした。

【数、ある記憶の中から―――自伝的な】
この章は、ムロさんが自身を「数」という主人公に置き換えて幼少期から今までの経験を赤裸々につづった短編小説集です。

父親と母親は喧嘩ばかりしていた。
祖母がそれを止めている。
布団を被って、終わるのを待った。
喧嘩が終わると母親が布団に入ってきて笑いかけてくる。


両親の離婚や役者としての転機など、今まであまり語られてこなかったムロツヨシの過去とは?

「これは本当に事実なんですか?」(吾郎)
「はい。自分の最初の記憶って何だろうと考えた時に、両親が喧嘩してるところと産んでくれたお母さんの赤い口紅とかが断片的に…。」(ムロさん)「ねえ、リアルですよね。」(吾郎)
「怒鳴り声、布団を被る、終わるのを待つ、でおばあちゃんが出てきて喧嘩を止めて、お母さんが荷物をまとめて出て行って玄関で泣いて終わる、それが毎回という記憶になっていますね。」(ムロさん)
「ちょっとしんどい記憶だよね。」(吾郎)
「そうなんですよね。両親が離婚した話を中学高校の時にしてたけど、何人かの友達に『不幸自慢になるから止めろ』と言われたんです。自分は事実を話しているだけなのに『俺って不幸でしょ』と聞こえてしまうのかなと思い、言い方を色々変えてきた。字に起こす際も『俺こんな事があったけど今は笑ってます、と思われたいです。』と捉えられるのかなと言う恐怖や不安はあったんですけど、ここは自分に向けてでもいいから書いてみようと思い書かせてもらった部分です。」(ムロさん)
「じゃあ離婚された後にご両親と会う事は?」(吾郎)
「この後母親とは会っておりません。」(ムロさん)
「そっか、うーん…。お父様とも会っていない?」(吾郎)
「21歳で家を出るのと同時にそこから会ってないですね。」ムロさんはおばあちゃん子だったそうで、
「じゃあ、役者になるといったらお父さんおばあちゃんは大変だったんじゃないですか?」(吾郎)
「おばあちゃんがすごく泣いてましたね。僕が役者になるといったら『ツヨシには郵便局員になってほしかった』って。でも僕大学が理学部数学科だったので絶対郵便局員にはならないと思ってたんですけど(笑)、おばあちゃんは大学を出たら郵便局員になると思っていたみたいで。」(ムロさん)

「無名時代に監督直々に指名されて出演が決まった映画があるそうで。」(外山さん)
「はい、『サマータイムマシン・ブルース』です。そのころ小劇場という所で役者仲間同士で舞台を作っていて、それを見に来てくれたのが本広克行監督で。小劇場って本番が終わった後飲みに行くんですね、見に来てくれた方とかと。で『体の大きい人が飲んでるな、あの人誰?』と訊いたら『バカお前、”踊る(大捜査線)”の監督だよ!』と。『そうか、俺行ってくるわ!売り込みに』って行って『モロツヨシです』って連呼したんです。」(ムロさん)「すごい勇気ですね!」(吾郎)
「『お酒美味しいですね、ムロツヨシです。』『お代わり何にします?ウーロンハイですか?…ウーロンハイお願いします、ムロツヨシです。』『僕もそう思います、ムロツヨシです。』…とにかく覚えてもらおうと思って。映画に出られるなんてことはあり得ないと思ってましたけど。そしたら本当に急にプロデューサーさんから連絡があって『夏空いてるの?』『…はい』『じゃ空けといて。監督が指名だよ。』と。他の人はみんなオーディションしてるのに生意気にムロごときが、と言われながら…。だから小さい役だと思っていたんですけど、台本渡されたらメインの役で。」(ムロさん)
「へぇー!」(吾郎)
「びっくりしました。で本広監督に言われたのは『お前の野心は綺麗だ。そこまで言うなら1回使ってやる。自分の思うように出来るか試してみなさい。』。もう期待を裏切っちゃいけないという思いだけでがむしゃらにやって。その時のお芝居を見ると(わぁっ)でなりますけど、この時の全力は(間違いなくこれだな)というのが残っているので、恥ずかしいですけど残せてよかったなと思っていますし、そこの場所をくれた本広監督にも感謝してますし。」(ムロさん)
当時の思い出をムロさんは熱っぽく語り、吾郎は微笑みながら聞いていました。
「『サマータイムマシン・ブルース』の後全くお芝居する場所がなくて。『踊る大捜査線』のスピンオフをやるという噂を聞きつけて本広監督に会いに行って『出させてください!』とお願いしたら『じゃ考えとくわ。』と言ってくれたんですけど。台本を渡してくれたプロデューサーさんが『実は前からあなたが出る事は決まっていて、でも監督から、ムロが絶対出してください!と言いに来るからそれまで待て、と言われてたんです。』と。『こっちから先に出させてやると言ったらあいつ絶対調子に乗るから、言うな、絶対言うな。』と指令が下っていたらしいです。来た来た!って感じだったみたいですよ。」(ムロさん)
「へえ、(ムロさんの性格を)よく分かっていらしたんですね。(笑)」(吾郎)
ユースケさんにしても本広監督にしても、ムロさんは人との出会いに恵まれていますね。そのチャンスを自分で切り開くパワーが素晴らしいと思いました。

最初の朗読は、主人公数が従姉妹の志世と幼馴染の大介に初めての映画出演を報告するシーン。吾郎と外山さん、そして山田くんで朗読します。
「今日はムロさんが来てるから出番が多いんですよ。」(山田くん)
「いいじゃん、出番が多くて。」と吾郎。するとムロさんが
「この収録の前に彼が言ってたことがちらっと耳に入ったんですけど、台本もさっき読んだみたいな…。(山田くん固まる)そういうの聞こえないところで喋った方がいいよ、外山さんに『ダメじゃない、現場に入って読みなさいよ。』と言われてるくだりが聞こえてて、え?まさか俺のその台本の事じゃないよな?と思ったら案の定出てきた。」と山田くんにダメ出ししました。
「何で読まないの?」(吾郎)
「だってあのう…どうせゴロウさんいじってくれないし、(台本に)書いてある通りに言っても誰も拾ってくれないし…。」(山田くん)
「台本ディスった!」(ムロさん)「違う!」山田くんは突っ込まれて大慌てです。
「これ、思い入れのある話だから。」(ムロさん)
「もう止めないでやろう!嚙んでもとりあえず。」と吾郎も山田くんにプレッシャーをかけます。
主人公数が吾郎、志世が外山さん、大介が山田くんです。

数に呼び出された志世と大介。てっきりまた借金の申し込みだと思っている二人に数は出演が決まった映画の台本を見せます。

たった8年、だが、かかった8年。
やはり嬉しい役者8年目の初めての台本。
今の数は思う。
でも、この映画の撮影終わったら、
またバイト生活に戻ってたけどな。
また、スタートライン付近で準備体操してたがな。
甘かない世界ですな。
そして思う。でも、これは喜劇。


「緊張してた?」吾郎が山田くんに訊きました。
「いや、久しぶりに読むなと思って。」(山田くん)
「だって役者さんだよ?!」(吾郎)
「最近何もやってないからカメラが回ると汗かいちゃって…。」と山田くんは首に巻いたタオルで顔の汗を拭きました。しかし
「君の久々に芝居した感想を言う展開じゃないから。」とムロさんは厳しい言葉を。
「志世と大介の二人はもう期待もしてなかったけれど、多分(数が)辞めることはないだろうなと思っていたと思うんです。成功するかどうかじゃなくて辞めないだろうから、仕方ないこっちが何とかするしかない、と。うまくいかなくてもしょうがねえな、とまで思ってくれていた。」(ムロさん)
「おばあちゃんは喜んでくれましたか?」(吾郎)
「おばあちゃんは…。喜んでくれるというよりも『あ、そう』という感じで。とにかく言い出したら辞めないだろうと見抜いていたみたいで、『借金しても何でも身体さえ元気でいてくれれば』と言ってくれていたみたいですね。」(ムロさん)

「最終話はおばあちゃんとの別れですけれども…。」(外山さん)
「育ててくれたお礼として、選んだ職業で成立してる時間を見せられたのが良かったかな、と。偉そうですけれどももう行っていいよ、という話が出来たので。待ってたんだなぁ、と思います。」ムロさんはしみじみと噛みしめるように言いました。
「全部の話が『これは、喜劇』で終わる理由はあるんですか?」(吾郎)
「主人公数は…自分の事ですけど、自分が最後…死ぬ時なのか何か終わる時に喜劇だったなと思いたい。自分が喜劇役者を名乗るのもそうなんですけど、自分の記憶とかこれから作るだろう作品、自分の周りで起こせる事すべてを出来れば喜劇にしたいという願いと、そうあろうという意志を皆さんに伝えさせてもらう為に。そして自分の事を書いたので、両親の別れも猫との悲しい別れも全部喜劇と捉えていますよという意志表示ですね。」ムロさんは自分で自分の意志を確かめるように力強く話しました。

そして次週は役者ムロツヨシと稲垣吾郎の特別朗読公演です。これは見逃せません!


拍手ありがとうございます


字が汚い!! (「ゴロウ・デラックス」 6/16)

オープニング。いつもと違い字幕の「外山恵理」「稲垣吾郎」の字が本人の自筆です♪外山さんの字は初めて見ました。かわいらしくてしっかりした字ですね。
「吾郎さん、コンプレックスってありますか?」(外山さん)
「コンプレックスですか?字が汚い。(きっぱり)」(吾郎)
「じゃあ今日の課題図書は吾郎さんにピッタリ。」(外山さん)
「言ってることとやってることの字が違う。」(吾郎)「吾郎さんっぽくないんだ。」(外山さん)
「だから絶対字は書きたくない!」と吾郎は更にきっぱり。セットに上がりかけて立ち止まったのでプリケツをしっかりと拝めました。サンキューです♪(←不謹慎)

席に着くと吾郎は白い紙を開いて掲げて見せました。「バラエティ番組でこういう手書きのクイズの答えとか。」
「じゃ本当は嫌なんですか?」(外山さん)
「すっごい嫌だ!だから今回この本にめちゃくちゃ共感しちゃいましたよ。」
「『字が汚い!』(笑)」(外山さん)
「だから色々と…まあお会いしてからお話を聞きましょう。」(吾郎)

新保信長(しんぼ のぶなが)さん、52歳。西原理恵子さんの「できるかな」シリーズを担当するフリー編集者であり、ライターとしても数々の著書があります。因みに奥様は「重版出来!」で知られる漫画家の松田奈緒子さんです。その新保さんの最新刊が今回の課題図書です。

課題図書 : 「字が汚い!」 新保信長

「練習すれば字はうまくなるのか?」
「なぜ私の字はこんなに汚いのか?」

自分の字の汚さに気づいた新保さんが、ペン字練習帳で綺麗な字を目指したり様々な手書き文字をリサーチしたり、字をめぐる右往左往を描いた体験ルポです。
「すごいタイトルですね!」(外山さん)「もうそのまんまですね。」(新保さん)
「僕もまさにこれがコンプレックスなので。もうちょっと頑張ればいけるのかな、今からでも何とかなるかなって。」と吾郎はさっそく共感しました。「外山さんはどう?自分の字は。」(吾郎)
「私もあんまり好きじゃないですけど、はがきを書くことが多いのでやっぱり綺麗になりたいなと思いました。」(外山さん)
「自分の名前くらいは綺麗に書けると良いなと思っていろいろやってみました。」(新保さん)
そうそう、やはり自分の名前くらいは綺麗に書けるようになりたいんですよね。更に
「読んでいて(字の)好みってあるんだなって思いました。」(外山)
「さっき僕が言ったことと一緒。字って自分のキャラクターとか生きてきた証じゃない?『自分はこういう人間』って表すものとしてすごく重要だよね。」(吾郎)

新保さんがなぜ自分の字に向き合う事になったのか、そのきっかけの部分を吾郎が朗読。
新保さんは某大物漫画家に手紙を書く事になりました。その大物漫画家抜きでは成り立たないプロジェクトへの協力を求める手紙。アナログ世代編集者としては、ここぞという時には手書きの手紙で誠意を見せたい、という事で何年かぶりで万年筆を手に取り書き始めたのですが…、

1枚目の半分くらいまで書いたところで手が止まった。
「何じゃこりゃ?!」
脳内で故・松田優作のセリフが再生される。
目の前の便箋には自分でイメージしていたよりはるかに汚い文字の羅列。
(中略)
なんというか筆跡そのものが子供っぽくて拙いのだ。
とても五十路を迎えた分別ある大人の字には見えない。
つかそもそも自分が分別ある大人なのかというとかなり疑わしい所ではあるが、
それにしたってこの字はないわ―。


画面にその手紙の画像が映し出されました。
「もうすごくその気持ちわかりますけれども。いい字じゃないですか。」(吾郎)「一所懸命書いてるのが分かりますね。」(外山さん)
「ええ、読めないわけじゃないんですけど子供っぽくて、真剣にお願いしているんだけどふざけた感じに見えちゃうのかな、と。」(新保さん)
「結局その手紙は送ったんですか?」(吾郎)
「いや、これを送ったらかえって逆効果かなと思いまして、結局打ち直して、手書きっぽい書体でプリントしたのを送って…。」(新保さん)
「送らなかったんだ(笑)。でまだオファーの返事がもらえてないとか…。」(吾郎)
「その時はまだだめ、という感じでした。」(新保さん)
たかが字というなかれ、なわけで…、
「綺麗に超したことはないじゃないですか、展覧会とか名前書いてください、ってなるし。」と外山さんが言うと
「そうだ結婚式!結婚式!」と吾郎は顔をしかめました。「縦書きだし難しいよね。」
「筆ペンとか渡されるとどうしよう、と思う。」(外山さん)
「一つ言い訳いいですか?僕左利きなんですよ。漢字の書き順が自分なりの書き順になってることが多いね。うまく書きようがない。…キャラに合っていればいいんだけどね。」(吾郎)
「確かにね、吾郎さんもうイメージが…。」(外山さん)「字、綺麗であってほしくない?」(吾郎)「『ペン字です』くらい綺麗そう。」(外山さん)
「そのパブリックイメージと現実とのギャップにずっと苦しんでいます。」(吾郎)
ファンにとってはそのギャップですら魅力なのですが、吾郎本人にとっては本当にコンプレックスなのですね。

ところで今回の内容は…
【新保さんの手書き文字調査】
1.ペン字練習帳に挑戦!
2.文豪たちはどんな文字だった?
3.理想の字を探す
4.「字は人を表す?」筆跡診断

1.ペン字練習帳に挑戦!
新保さんは自分の字をどうにか綺麗にしようと4冊のペン字練習帳を実践。
「ゆっくり丁寧に書く」「全体的なバランスを考える」など基本的なコツを学びながら実践していった結果、明らかに字が綺麗になっていきました。
一番最初に取り組んだのが「30日できれいな字が書けるペン字練習帳」。「美文字ブーム」を作った大ベストセラーです。
「すごいね、これを全部やったって。…ちょっと練習してみます?」(吾郎)
「してみたいですね。練習帳ってやったことがないですもんね。…どこが難しかったですか?」(外山さん)
「これは初めは字を書くんじゃなくて、たて線よこ線を引くコーナーがあるんですよ。」(新保さん)
「ほんとだ!『線を書く練習をしよう』。」(外山さん)
「これがまず出来ないですね、まっすぐ線を引くという事が。」(新保さん)
「出来ない。意外とまっすぐ引けない。」と吾郎は悪戦苦闘しています。
「問題の横ですよ。(左利きだから)押して書くの。…横が難しいね。横が欠点なんだ。自分の欠点が分かる。」吾郎は問題点に気付いたようです。
「じゃひらがなも書いてみます?」と新保さんに促され、吾郎は「あ」「い」にもトライ。書きながら今まで気にしていなかったカープの線に気をつけたり、「お」の丸(正確には三角)が小さい事に気付いたり。
「この丸を大きく書くと子供っぽくなります。それから漢字よりひらがなは小さく書くとか。」(新保さん)
「すごいですね、下手だったのが嘘みたいですね。」(外山さん)
4冊のペン字練習帳の中で新保さんが特に「響いた」というのが「練習しないで、字がうまくなる!」だそうです。
「発想の転換があって、どういう風に考えて字を書けばいいか、コツを教えてくれる本です。例えば香典袋とかに名前を書く時には鉛筆で線を引いて、そこに丁寧に名前を書いて後で鉛筆の線を消せばいい。」(新保さん)
「確かに香典袋難しいですもんね。」(外山さん)
「『下手ならひと手間かけろ!』という発想なんですね。なるほどと思いました。」と新保さん。吾郎は笑顔で頷いていました。

2.文豪たちはどんな字だった?
練習していくうちに新保さんは他の人の書く字も気になりだし、文豪たちの字も調べてみたそうです。今回はそのうちのいくつかを紹介。
太宰治の「人間失格」の原稿を見て「太宰っぽくない。」と吾郎が一言。「心中する人の字ではないですね。」と新保さんも同意。
夏目漱石の「道草」には「人が好さそう」と吾郎。
江戸川乱歩が友人に宛てた手紙は筆書きです。「字が雑、おどろおどろしい。」と新保さん。「これで原稿が来たら読めなさそう。」(外山さん)「若干厳しいですね。」(新保さん)
とここで登場した原稿を見て吾郎が
「ちっちゃ!もっと大きく書こうよ!しかも(マスの)右端に…」を思わず叫びました。
「これは直木賞の直木三十五です。この小ささはちょっと不思議ですね。」と新保さん。(ここまで小さいと読みにくいですよね。)
芥川龍之介、谷崎純一郎など作家によって字は様々で見ていると楽しいです。(ちなみに私が気に入ったのは谷崎の字。大きくて堂々として華やかでいいなと思いました。)
一方で、
「でも最近はパソコンが多いのか…。」(吾郎)
「そうですね。年代の上の方はまだ手書きの方もいらっしゃいますけど、若い作家さんは全部パソコンで。」(新保さん)
「その方がやりやすいのかな。」(吾郎)
「ただ、パソコンで書くとああいう手書きの原稿はないわけじゃないですか。ところが芥川賞・直木賞を受賞した作品は、手書きの原稿を日本近代文学館に資料として収めるという慣習がありまして、なのでわざわざ原稿用紙に最初の1枚分を書いてもらってるらしいです。」(新保さん)
「やっぱり字を見たいというのがありますよね、作家さんの。」(外山さん)
「でも編集の方はどうなんだろう。字を見た方が作家さんのその時の気分とか心とかが読み取れるかも…どうなんでしょう。」(吾郎)
「でも原稿を頂くなら、ぶっちゃけメールで頂いた方が間違いも少ないし早いのでありがたい(笑)。」(新保さん)
編集の仕事にとっては手書き原稿よりパソコンの方が便利ですよね。

字について調査する中で新保さんは自分の理想とする時に気付いたそうです。
3.理想の字を探す
ここで外山さんの朗読。

そもそも自分はどんな字を書きたいのか。個人的にはか必ずしもペン習字のお手本のような字を理想としているわけではない。
(中略)
日常的にはむしろちょっと隙があるというか、愛嬌がありつつ全体的には整っていて、読みやすい字が書ければいいなあ、と思うのだ。


「美文字じゃなくていい感じの字が書きたい!という事に気付いたんですよ。」と新保さん。
そんな新保さんの理想の字は…。
「色々な方の字を見てきて、大人っぽさがありつつ愛嬌もあるという点で、アラーキー、荒木経惟さんの字が非常に魅力的だと思いまして。」(新保さん)
「お会いしたけど字は見てなかったね。」(吾郎)
新保さんが文春の雑誌「マルコポーロ」の編集者としてアラーキーさんを取材した時、新刊の写真集をアラーキーさんが贈ってくださったそうで
「その時の編集部の宛先を書いた紙がどう見ても直筆としか思えなくて大切に取ってあるんです。」
(その字の画像も出ましたが、「ダ・ヴィンチ」のアラーキーさんの連載の題字と同じだから確かに自筆ですね。)
「でも物凄い癖のある…味と言うか…。」(吾郎)
「大人の色気ですね。」(新保さん)
吾郎が「これが好き」と言った字はペン字の先生の字でした。
「5回生まれ変わっても無理だね。」
「でも吾郎さん字がそこまできれいになっちゃうとどうします?」(外山さん)「いやいや、綺麗な字になりたいよ。」(吾郎)「だって…それこそ完璧になっちゃう。」(外山さん)
(外山さんの吾郎に対するイメージはどうやら「完璧な人」らしいです。)
「外山さんはどういう字がいい?」吾郎が訊きました。
「私はやはり永(六輔)さんの字が好きでしたね。はがきを持ってきたんですけど。」と外山さんは永さんからのはがきの束を取り出して新保さんと吾郎に見せました。はがきに大きな字で一言書いてあります。
「なんかポッと書いたんだけど…。」(外山さん)
「いいですねえ。」「いやいやいいねえ。」と新保さんと吾郎は感心しています。
「『さん』の書き方とか好きだし…上手じゃないんだけど『永さん』なんですよね、字がね。」と外山さんがしみじみと言いました。
吾郎も言っていましたが、永さんのキャラクターを彷彿とさせる字です。
そして、ただ練習するだけじゃなくて、「こうなりたい」という字を具体的にイメージすることが大事なんですね。

話は変わって。
「『字は人を表す』とも言います。」と外山さん。「字が汚い!」では筆跡診断の方にも取材したそうで、
「ちょっと恐ろしい気もしますが、吾郎さん、今日はいらっしゃってくださっているんですよ。」(外山さん)
「ホントですか?!」吾郎は思わずのけ反って笑いました。…という事で、

4.「字は人を表す?」筆跡診断
新保さんが取材した筆跡診断士の林香都恵さんがスタジオに登場、吾郎と外山さんの字を診断してくださいました。二人が事前に書いたはがきのあて名を元に診断します。
「稲垣さんの字は、とても素直でまじめな方の字です。どの字も(線が)すうっと入っている”起筆すなお型”なんですね。クセ字の方は書く時にガッキンと入ったりとかそういう”起筆ひねり型”で我が強かったりするんですが、稲垣さんも外山さんもすうっと入っているクセのない字なんです。物事を自然に受け入れるすなおな方。すごく良いのは(”郎”の)縦線がグッと長い事。本来日本語の字は縦に書くじゃないですか。だから縦の線が長いというのは自分軸がしっかりしているという事なのでとても良い。花丸です。」(林さん)
「嬉しい!字で初めて言われた!」吾郎はすなおに喜びました。
「外山さんの字はですね…」(林さん)「かわいいね。」(吾郎)
「かわいいですね。それで転折(=曲がり角)が丸いんですね。ですから明るい印象になると同時に効率性を重視したり、新しいアイディアを出すことが上手だったり。クリエイティブなお仕事をされている方にこういう丸っこい字を書く方が多い。」(林さん)
(クリエイティブな人は丸文字…φ(..)メモメモ)
「で、書き出しの位置なんですが。稲垣さんは端に寄って書いていらっしゃる。」(林さん)
住所が本当にはがきの右端に書かれています。
「ちょっと恥ずかしがり屋さん。大体の方はこの郵便番号の一桁目の下から書くのが普通なので。このはがきをお部屋に例えると稲垣さんは壁に寄っていたいのかな、と。」(林さん)
「ありますあります。もうずっと壁に寄っていたい。人前なんかに出たくない。テレビもやだよ。」(スタジオ内爆笑。しかし今この発言はしない方がいいと思うのですが…・冷汗。)
「お二人の文字には共通点がありまして、文字のトメが弱い。シュッと書く。だからお二人共書くのは速いと思います。トメは物事のクロージングを表すと言われています。それが弱いという事は物事を素早く進めモタモタしない。」(林さん)
「ああ、ダラダラするのは嫌ですね。」(吾郎)「私も。せっかち。」(外山さん)
「せっかち、うん。そこは似てると思う、僕も外山さんも。」(吾郎)
「そういう傾向があるかな、とお見受けします。」(林さん)
「トメた方がいいですか?」(吾郎)
「はい、今日はその書き方をお教えします。」(林さん)
「教えてください。下手でいいから名前だけでもちゃんと書きたい!」と吾郎、切実です。

という事で、吾郎の”吾”の字をいい感じに書く方法を教えて頂きました。
横線には法則があります。一番上の線はお皿です。上から降ってくるチャンスや出会いをここで貯めたいんですね。」(林さん)
「これ、転げ落ちてますよ!」吾郎が自分の字を見て言いました。
「で、一番下にくる線は、屋根です。この下でたくさんの人が雨宿りしていいよ、というような優しい屋根を作りたい。そして”口”はエネルギータンク。書いた人の元気さを表すところなので、大きく書きたいんです。ではこの”吾”と言う字を書いてみて頂けるでしょうか。」(林さん)
吾郎、外山さん、新保さんの3人は真剣に紙に向かいペンを動かします。そして新保さんの書いた字を見て
「上手!新保さん『字が綺麗!』って本にした方がいいですよ。」(外山さん)
「僕はこんな感じで。」吾郎も書き上げた字を見せました。
「いいですね、力強い感じで。」(林さん)
「すぐ上手になれそうですね。」と吾郎。それを聞いた外山さんは笑いをこらえきれません。
「なんか良かったねぇ。」と言う吾郎に「自分はね。」と外山さんはバッサリと一言。外山さんのそういうさりげない毒舌が好きです(笑)。

番組はエンディングへ。
「どうでした、吾郎さん。」(外山さん)
「勉強になりました。ホント恥ずかしくて今までなるべく字に触れないで生きてきたので。」(吾郎)
「新保さんのおかげで自分の字に向き合うことが出来ました。」(外山さん)
「そうそう、自分の字に向き合った事がなかった。」(吾郎)
「そうですね、意識するだけで全然違いますからね。」(新保さん)
とそこへAD山田くんが登場。阪神ファンだという新保さんの顔と「六甲おろし」の歌詞を配した消しゴムはんこです。
「山田くんの字、いいよ」と吾郎が声をかけると「そうですか?僕字が汚くて書きたくないんですよ。」と山田くん。
「いや、味ありますよ。」(新保さん)「味あるじゃん。”ぞ”とか。」(吾郎)
「”ぞ”??」と山田くんは戸惑いましたが、歌詞の中に”ぞ”の字を見つけて「ああこれですか」と納得しました。
「全体的にコロコロしていてかわいいですね。」(新保さん)
「もしよければ字コレクションに入れて頂いて。」(吾郎)
「加えさせていただきます」(新保さん)と最後まで和気藹々とした雰囲気でした。

今回のテーマが「字」だったので、エンドロールのスタッフ名もすべて本人の手書きの文字でした。BGMに「太陽にほえろ!」や「六甲おろし」を使うなど、細かなところにまでゴロデラスタッフの心配りが行き届いた楽しい30分でした。


拍手ありがとうございます







freebirds

きょう一斉に放送されましたが、

吾郎、剛、慎吾の3人が今年の9月8日をもってジャニーズ事務所とのマネジメント契約を終了する事になりました。

正直ホッとしています。
勿論これからどうなるかはまだ分からないのですが、少なくともこの1年半よりはいい環境で仕事出来るのではと期待しています。

SMAPを作ってくれたのはジャニー社長ですし、その事については感謝していますが、結果としてSMAPはジャニーズ事務所の枠よりずっと大きな存在になっていたのだと思います。派閥とか共演NGとか、みみっちい縛りは彼らには似合わないのです。
今回3人がジャニーズ事務所を離れる事でこれらの縛りから解放され、舞台や映画やドラマは勿論、ネットでも活動出来るようになればいいですね。
そしてジャニーズ事務所残留を決めた中居くんと木村くんは事務所を中から変えてほしいと思います。

具体的にはテレ東の「1位じゃなくっていいじゃない」の新作とか、an・anの「シネマ・ナビ」の書籍化とか、実現してほしいことはいっぱいあります。「編集長稲垣吾郎」や「ゴロウ・デラックス」の続行もお願いしなければなりません。

そしてやはり私はSMAPが大好きです。これから5人がどんな道を歩んでも
SMAPの中居正広が
SMAPの木村拓哉が
SMAPの稲垣吾郎が
SMAPの草彅剛が
SMAPの香取慎吾が
好きだ、と改めて言いたいです。


拍手ありがとうございます



フィクションとノンフィクションの間 (「ゴロウ・デラックス」 6/9)

とても面白かったです。30分があっという間でした。

オープニング。吾郎は先週と同じベージュのスーツ。とても上品に着こなしています。
「今日のゲストは日本中を震撼させたある未解決事件をモチーフにした小説が大変な話題になっている方です。」(外山さん)
「どんな方かお会いするのが楽しみですね。」(吾郎)
「本格的なテレビ出演はゴロデラが初めてだそうで。嬉しいですね。」(外山さん)
「そうですか、王様のブランチにやられませんでしたか?」(吾郎)
ゴロデラのライバルは王様のブランチですか?

塩田武士さん、38歳。神戸新聞の記者の傍ら小説を書き続け、2010年将棋を題材にした「盤上のアルファ」で小説現代長編新人賞を受賞し作家デビュー。2016年「罪の声」が一年で最も面白いと評価された小説に贈られる山田風太郎賞を受賞。本屋大賞第3位にも選出され16万部のベストセラーになっています。とてもにこやかで腰の低い方です。
「今回本格的なテレビ出演は初めてだそうで。」(外山さん)
「そうなんですよ。ラジオは結構出させてもらってるんですけどテレビは初めてで。(ラジオに比べると)人数がスゴイなと思って。」と塩田さんは言いましたが
「いやこれすごい少ないですよ。端っこにちょっと…。」と吾郎。テレビに初めて出た人とテレビに出慣れている人との感覚の違いが興味深かったです。
まず、山田風太郎賞の事から話は始まりました。
「ちなみに山田風太郎賞は賞金なんかはあるんですか?」(外山さん)
「賞金は100万円。」(塩田さん)「へえ!」(吾郎)
「遣い道は何に?」(外山さん、現実的な質問を矢継ぎ早に(笑))
「いつの間にか妻に取られてました。」と塩田さんはしょんぼりした顔になりました。「ある日百貨店に連れて行かれて”何か買わされるな”と予感していたら普通に生命保険に入れられました。絶対『売れたら保険に入れよう』とずっと狙っていたと思うんですよ。」
 「でもしっかりした奥さんですね。」「いやいやいいと思いますよ。」と外山さんと吾郎はしっかりフォロー。

課題図書 : 「罪の声」 塩田武士

昭和最大の未解決事件、グリコ・森永事件を題材に、フィクションで推理する社会派ミステリーです。 
現在38歳の塩田さんはグリコ・森永事件の時は4歳でした。
「関西人なので、あの『キツネ目の男』と、おかんに『お菓子食べたらあかん』と言われたのを覚えています。」(塩田さん)
「ワイドショーでよくやっていたのは何となく覚えています。お菓子をこうやって置くところとか…。」(外山さん)
「アレ不気味だったね。」(吾郎)3人にとっては子供の頃のおぼろげな記憶が残っている感じなんですね。
「でも、時効を迎えてしまったんですね。」(吾郎)「2000年に完全時効成立です。」(塩田さん)
「なぜこの事件を題材にしようと思ったんですか?」(吾郎)
「21歳、大学3年の時にグリコ・森永事件についての本を読んでいて、この時初めて”子供の声を録音したテープ”が利用されていたことを知ったわけです。僕と同い年くらいでしかも同じ関西に生まれ育ってる。そう思った瞬間に鳥肌が立って”どっかですれ違っているぞ”というのがあって。この子の人生って一体何だろうということで、この小説を書きたいと思い始めたんです。」(塩田さん)自分と同じ年頃の子供の声が脅迫に使われたと知って、幼い頃のおぼろげな記憶がリアルに甦ったのでしょうか。

が、大学3年生の頃に描いた構想を小説にするまでには紆余曲折があったそうです。
「デビューした2010年に最初の担当編集者にこのプロローグのアイディアを話したんです。そしたら『確かに面白い。ただ今の塩田さんの筆力じゃ書けない。』と言われて。『ただ、このネタは講談社のネタだから他社には絶対言うな』と口止めされて。そこから8作品積み重ねて、2015年にやっと当時の担当編集者と今の担当編集者が『塩田さん、預かっているのをそろそろやりませんか?』と、そう申し出があったんですが、21の時からずっと書きたいと思っていたのでどうしても失敗できない、と怖くなって断ったんです。」(塩田さん)せっかくチャンスが巡ってきたのに尻込みしてしまったんですね。でも
「その2か月後にもう一回来てくれて『僕らも人事異動があります。今だったら講談社が全面バックアップできます。だから今しかないです。』と。人事異動をチラつかせる奥の手ですね(笑)。そこまで言われたら『やります。』と言って、そこから『絶対この作品を書くぞ』って気合が入りましたね。」(塩田さん)
「その思いは伝わったんじゃないでしょうかね。」(吾郎)

「罪の声」はテーラーの曽根俊也と全国紙の記者阿久津英士の二人を軸にして展開する物語です。まず衝撃的なプロローグを吾郎が朗読。
テーラーを営む曽根俊也はある日実家で父の遺品の黒革のノートとカセットテープを見つける。カセットを聞いてみると幼い頃の自分の声。しかし俊也には録音した記憶はなかった。

「きょうとへむかって、いちごうせんを……にきろ、ばーすーてーい、じょーなんぐーの、べんちの、こしかけの、うら」


紙が変色したノートにはびっしり英文が書かれていたが、俊也はその中に【ギンガ】【萬堂】という言葉を見つける。自分が幼い頃関西で起きた有名な「ギン萬事件」を思い浮かべた。…これは自分の声だ。
「これいきなり掴まれちゃうね。この『ばーすーてーい、』というのは…。」(吾郎)
「これは実際の声です。警察がこのテープを記者に公開したんですが、子供の声が聞こえてきた時びっくりしたって(当時の記者が)言ってましたね。こういう事件だと絶対男の声だと思うじゃないですか。まさか子供を使うとは、という。」(塩田さん)
「しかもこの小説ではそれが自分の声だった、って。」(外山さん)まさに衝撃的です。

ここで人物関係図のフリップを見ながら塩田さんが小説の設定を説明しました。
「曽根俊也というこの人の家からテープが見つかって、それが、この小説では”ギン萬事件”としていますが、グリコ・森永事件に使われた物だと気づく。自分の身内がギン萬事件に関わっていたのではないかと、それが彼。そしてもう一人、全国紙の文化部記者の阿久津英士。彼は文化部で普段からテレビ局なんかも担当しているんですが、社会部の鬼事件デスクに呼び出されて、過去の未解決事件をやるから手伝えと言われる。そこから取材を始めて、それぞれの視点から物語が展開していくんです。」
「(主人公を)テーラーにした理由は?」(吾郎)
「そうですね、最初静かな職人の日常の作業の描写から入って、テープを聞くことで一気に非日常に突き落とされる。この静と動の落差を表現したくて、それには職人がいいな、と。」(塩田さん)
「もう一人(の主人公)は記者。これはご自身の経験で…?」(吾郎)
「そうです。これは勝負作なので自らを出来るだけ投影しようということがあって。で、なぜゴリゴリの事件記者ではなく文化部かというと、文化部だから事件について何も知らなくて自分が調べていく毎に知っていくのは読者目線なんですよ。読者もグリコ・森永事件を知らない。だから阿久津と一緒に学びながらこの事件を追っていくという事なんです。」(塩田さん)
「いつか突然、(この小説に)夢中になっている…」(吾郎)
「はい。ホントにこんな事件があった、ホントに未解決なんだ、という所にどんどん引き込まれていくんです。」(塩田さん)
「やっぱり一人にはしなかったんですね、主人公は。」(吾郎)
「そうですね。やっぱり追う者と追われる者という設定をする。ただ追う者と追われる者だけだと過去と現在の話で終わってしまう。『昭和の未解決事件をなぜ平成の作家が書くんですか?』という事は編集者との話し合いでずっと言ってて。編集者に『なぜ塩田さんが書くんですか?平成の作家が昭和の事件を書いても仕方がない、今の視点を入れるからこぞ面白い。』と言われて、なるほどその通りだと思った時に”未来”というのがハッと閃いて。過去に目を奪われがちなんですが、未解決事件は未解決がゆえに未来を描けるんじゃないか、と。そこで追う者追われる者だった関係が共に追う者に変わる構成が浮かびました。」(塩田さん)
その熱を帯びた語り口に「へえ…」と外山さんは圧倒されたようでした。

山田風太郎賞選考委員の京極夏彦さんは、この小説のすごい所は「ノンフィクションとフィクションの境目が分からないところ」だ、と絶賛しました。
塩田さんがその象徴的なシーンとして選んだ部分を外山さんが朗読。あるドキュメンタリー番組の映像の描写です。
高速道路の捜査は大阪府警が仕切っていたにもかかわらず、滋賀県警がサービスエリアやパーキングエリアに極秘潜入捜査していた。滋賀県警の捜査員はいわゆる『キツネ目の男』を発見、行動を確認。

そして男は屋外のベンチに座り、一目で犯人だとわかるような行動をとる。
捜査員は「一所懸命何かを貼っている状態が確認できた」と言っている。
だが実際指示書が貼り付けられていたのは、いわゆる「観光案内板」の裏だったのだ。
このズレは何だ―――。
キツネ目の男は二人いたのではないか―――。


「うーん、ここからですよ…。えーとこれはノンフィクション?」(吾郎)
「実際に怪しい人間を大阪府警の特殊班も見ているが極秘潜入していた滋賀県警の刑事も見ていたんです。滋賀県警の人はキツネ目の男がベンチの下に貼ってたと言うんですが、1984年11月14日というのは、キツネ目の男の似顔絵が警察内部でもまだ公開されてないんですよ。つまり大阪府警しか知らん可能性が高い。滋賀の人も知ってたかもしれないけど知らん可能性が高いんじゃないかと思うんです。そうなるとあの男は本当にキツネ目の男だったんやろか、という疑問が浮かんで、じゃあ”2人いたんじゃないか?”というのが小説家的な視点です。」(塩田さん)
「へえ…これ、本当の事実関係は分かってないんですか?」(吾郎)
「分かってないです。本当にキツネ目の男かも知れないし、もしかしたら違うかも知れないし。」(塩田さん)
「確認のしようがないですね。」(吾郎)「そうなんです。」(塩田さん)

「読みながら感じましたけど、取材…大変…。今だって何年何月何日ってすっと出てくるくらい読み込んでるってことですよね。」(外山さん)
「これくらい大きな事件になるとかなりの公開情報があるんですね。公開情報ではあるんですけど大体みんな見てなかったりとか忘れられてたりするんです。それを全部読んで、当時の地図を国会図書館でコピーして聞き込みに行ったりとか。」(塩田さん)
今回その資料を塩田さんが持ってきて下さいました。頑丈なキャリーバッグを重そうに開けるとファイルや書類がぎっしり。
「これ見ちゃって大丈夫ですか?」(外山さん)
「ええ…。これは全部脅迫状と挑戦状です。コピーさせてもらって。」塩田さんが紙の束をめくりながらサラリと言ったので吾郎と外山さんは「ええーっ!」とびっくり。
「こういうのは大体捜査資料です。」(塩田さん) 
「記者の方ってスゴイね、こうやってやるんだね。」(吾郎)「取材ってこういう風にするんですね。」(外山さん)
「これはもう厚かましくお願いします、お願いします、って。」(塩田さん)
「でもこれはやっぱり記者時代のさ…だって僕初めて見た、警察の捜査資料なんて。怖かったもん。」(吾郎)
「これは当時の記者はすごく見たかった資料だと思いますよ。」と塩田さんはちょっと得意げでした。

取材以外にも単行本になるまでには大きな試練が待ち受けていました。元々「罪の声」は連載小説だったのですが、
「連載が終わって打ち上げをする予定だったんです。でも編集者の様子がどうもおかしい。なんかしんどそうな顔をしている。(なんでかな?)と思って、でも『楽しみですね発売!』と言ったら『塩田さん、発売できません。この原稿大手術が必要です。…書き直しです。』と言われて。」(塩田さん)
「ええーっ?!」(吾郎・外山さん)
「『全然納得できない。』と僕が言ったら『過去の3人の編集者がエンピツ(=添削)を入れます。それを見てもらえませんか?』と。そう言われたから『じゃあそれ送ってくださいよ。』と言ったら本当に3部届いた。ドン、ドン、ドン、と。」
その3部の原稿もスタジオに持ってきてくださいました。ページ全体にびっしりとダメ出しが書きこまれています。
「とにかく全編直せ」「プロローグが長過ぎる」から始まって
「文章のブラッシュアップ」なんていう基本的な指摘も。更には
「『旅行ガイド/紀行文的な要素は読者はこの本に求めていないと思います。別作品でぜひ。』…こんな冷たい言い方あります?そもそも『別作品でぜひ』はいらんやろ!」(塩田さん)
「ぜひ、は要らないね。」吾郎は笑いましたが
「どう思ったんですか?届いて。」と訊きました。
「最初はひどい会社やな、と思いましたね。それでも(苦笑)、それでも情熱をすごい感じて…。」(塩田さん)
「ご自身としてはそれで書き直したものはやっぱり正しいやり方だった?」(吾郎)
「連載原稿が生まれ変わった瞬間もうこれはイケると思いました。」塩田さんは胸を張りました。その苦労が実ったんですね。

「実はですね、塩田さんからゴロウさんに今回お願いがあるそうで…。」(外山さん)
「はい。僕新聞記者の経験をしてて、当時上司にすごいプレッシャーをかけられていたのを忘れつつあるんです。それじゃダメじゃないかと思って。もう一度厳しくしつけてもらおう、と。で稲垣さんに鬼デスクを完璧な関西弁でやって頂き…」
「ははは!」(吾郎)
「完璧な関西弁でないと当時の僕に帰れない、反省できないんです。」(塩田さん)
「ははは…大丈夫ですか?完璧な、ですよ。」(外山さん)
「大丈夫ですよ。当たり前じゃないですか。」(吾郎)
「で掛け合いをさせて頂きたいと…。」(塩田さん)
「プロですからこっちは。」(吾郎)
「じゃあ、ダメなところがあったらビシビシと…」(外山さん)
「プロと伺ったのでこの原稿を直した編集者のような目で…。」(塩田さん)
…ということで鬼デスクに阿久津がバリバリの関西弁でお説教されるシーンを吾郎と塩田さんで朗読したのですが…
「さすがプロですね…全編やり直しです。」と塩田さんにバッサリ言われ吾郎は爆笑。
「ダメってどのあたりが…。」(外山さん)
「どのあたりがダメって全部だよ。分かんないんだもん関西弁。…でもいずれさ、そういう役が来た時に大変ですよ。」(吾郎)
「そうですよ。だってこの話だって映画化されるかもしれないですよ。」(外山さん)
「いや、原作者の方にこれを見せたら、絶対ないでしょそんな話。」(吾郎)
「関西弁はここから頑張りますから。」と外山さんはフォローしようとしましたが、半笑いしているのを吾郎と塩田さんに突っ込まれていました。
それにしても最近外山さんは「もしかしたらこの本も映画化されるかもしれないし、そうしたらゴロウさんも…。」という発言をよくしますね。なんだか吾郎のマネジャーさんみたいです。

塩田さんは新聞記者時代から小説を書いていましたが、新聞社は兼業禁止の為、会社には内緒にしていたそうです。しかし
「(2010年に)賞を獲って、文化部の部長に言って、編集局長に事情説明に行く事になって。その時に『どっちかにしろ』と言われたら辞めようを思って内ポケットに辞表を入れていたんです。でも本当に理解のある編集局長で『両方頑張ってくれ!頑張れよ!』と言ってくれて『ありがとうございます!』となってああ良かったとホッとしていたら、帰りのエレベーターに乗る時に文化部の部長に『塩田、受賞記事自分で書いて。』と言われて。『え?自分の受賞記事を自分で書くんですか?』『そうや』『なんでですか?』『お前が一番詳しいからや。』と言われて。それで僕本当に自分の記者パソコンで
『本社塩田記者受賞』
と打って、分からないところは講談社に電話して
『すみません、神戸新聞の記者で今回受賞者の塩田と申します。(スタジオ内爆笑)この賞の成り立ちについてちょっと質問したいんですが…。』と質問して自分で記事を書いて。デスクから『絶対訂正出すなよ』と言われたので、生まれて初めて自分の名前を自分の免許証で確認させられて(笑)、よしこれでいこう、と(原稿を)出して。」
その時の記事も画面に出ましたが
「塩田さん、って自分で言ってますよ(笑)。」(吾郎)「ほんとだー!(笑)」(外山さん)
「これ全部自分で書いたんですから。」(塩田さん)「面白いね。間違ってない?」(吾郎)
「そうですね。これ以上正確な報道はないんですけど、ただ…いいんか!」と塩田さんは自分で自分に突っ込みを入れました。

塩田さんはテレビ初出演とは思えないくらいお話の面白い方でした。書く事への情熱も伝わってきました。

今回、吾郎の本にオレンジ色のマーカーで所々線が引かれているのに初めて気付きました。一所懸命読んでいるんだと思って萌えました(⬅所詮ファン目線)。


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呼応する時、呼応する人 (「おじゃmap」 「編集長稲垣吾郎」 6/7)

日付は変わりましたが昨日の「おじゃmap」と「編集長稲垣吾郎」には不思議な共通点を感じました。
共通点というか、呼応しあっている感じがあったのです。

「おじゃmap」では慎吾が津軽鉄道を訪ね、20年前「スマスマ特別篇」で子供たちと一緒に絵を描いた電車に再び絵を描くという内容でした。20年のあいだに電車は傷み、ペンキは剥げ錆も出てぼろぼろの状態。それを当時一緒に絵を描いた子供たちと一緒にペンキを剥がし錆を落としてまた絵を描くという作業を3日間で行いました。
20年の歳月は想像以上に重いものでした。当時の子供たちの中には結婚して子供が出来た人もいれば、東京に出たけれどまた帰ってきた人もいて、人生はさまざま。
そしてもう亡くなった人も…。思えば20年生きてこられた事自体奇跡なのかもしれません。
慎吾は絵を描くことを通して自分の20年に向き合ったのだと思います。最後番組ディレクターに「自分のこの20年を一言で言うと?」と訊かれて慎吾は
「人生トレーニング。良い事も悪い事も本当にたくさん経験した…。今まであってのこれからだね。」
と答えました。その顔を見て、これからも慎吾を信じていこう、と私は思いました。

「編集長稲垣吾郎」の「Goro's Search」では「ヘア・ドネーション」のお話。美容院でカットされた髪からウィッグを作り、病気でウィッグを必要とする18歳以下の子供たちに贈る活動を紹介していました。人毛で作るウィッグはやはりとても質が良いのだそうです。
病気の子供たちがウィッグをつけることによって明るく元気になれる。これも「命を繋ぐ」ための大事な活動ですね。
(「ヘア・ドネーション」については「編集長稲垣吾郎」のHPに詳しい情報が出ていますので、興味がある方は参考になさってください。)
そして番組後半ではドラマ「嘘でもいいから」の話題になりました。「嘘でもいいから」は私が吾郎ファンになるきっかけになったドラマなので懐かしい話が聞けて嬉しかったです。吾郎はこの時共演した樋口可南子さんと「また共演したい」と言い、自分の昔のドラマを見たいのだがあまりDVD化されていないので…とも言いました。吾郎のドラマのDVD化のお願いをまた出さないといけませんね。
今までの経験を大事にして前に進もうとする姿勢は「おじゃmap」の慎吾と同じだと感じました。こちらはラジオなので残念ながら吾郎の顔は見えませんでしたが。

今までがあるから今があり、それがこれからにつながっていく。
「おじゃmap」と「編集長稲垣吾郎」からはそういうメッセージが発せられていたように思います。あった事をなかったようにしようするのは理不尽だし許されない事です。
これからもできる限り声援を送ります、彼らに。


そうそう、慎吾も吾郎も「東京が好き」と言っていて、それもお互いに呼応しているようで嬉しかったです。


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