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Walking with GORO

稲垣吾郎さんとSMAPと新しい地図と。すべてが好きな主婦の日記 【無断転載禁止】

Top Page › 日常 › 三十三回忌
2010-07-20 (Tue)  10:20

三十三回忌

今日は母方の祖父の三十三回忌です。
三十三年といってもあっという間に感じられる程、祖父の思い出は鮮明です。

祖父は関西に住んでいたので、私は夏休みやお正月に母に連れられて遊びに行きました。大学で国文学を教えていた祖父は夏休みは家にいる事が多く、一日の殆どを原稿書きに費やしていました。とても几帳面でマメで、整理整頓がずば抜けて上手な人でした。使った物は必ず元あった所に戻し、朝新聞を読んで切り抜きたい記事には○を付けて夜になると切り抜き、手紙が来るとすぐに返事を書いて近所のポストへ投函しました。
祖父は自分が教えている学生さん達に、休み中葉書や手紙で近況報告する様にという課題を出していました。そして学生さんから手紙が来ると、赤ペンで文章を添削して、必ずその日の内に返送していました。
(ちなみに私は祖父とは正反対で、整理整頓が苦手な片付けられない女です。祖父の長所の1%も受け継がなかったのがとても残念です。)

その代わりというのか、祖父は実用的な事は一切出来ない人でした。視力が弱かったせいもあるのでしょうが、自分では電球を取り替えられないので電気屋さんを呼んでやってもらっていましたし、ティッシュペーパーの箱の開け方が分からなくて箱の横の部分を小刀で切り取ってしまった事もありました。
そんな不器用な人でしたが素直な性格だったので、教え子の皆さんに慕われ色々良くして頂きました。幸せな人生だったと思います。

私は学校の勉強を祖父に教わった事はありませんが、「言葉が分からない時は辞書を引きなさい」としょっちゅう言われました。
祖父の机の隣には小さい台があって、広辞苑と岩波国語辞典と角川の字源(漢和辞典)とコンサイス英和辞典がケースから出して積んでありました。
何か分からない言葉があると祖父にその辞書を借りるのですが、返す時に必ず「何を調べたんですか」「で、なんて書いてありましたか」(祖父は家族に対してもいつも敬語を使っていました)と聞かれるので、ちゃんと調べなければなりませんでした。

そんなある日、レトルトパックのハンバーグを食べようとした時の話です。
パックの裏には「沸騰したお湯に入れ弱火で○分間温める」と書いてあり、私はそれを「よわび」と読みました。すると祖母と母は、それは「とろび」と読むのだ、と言いました。「弱」という字を「とろ」と読むなんて聞いた事がない、と私は言い張り、いやこれは料理用語だから「とろび」で良いのだ、と祖母と母は言い、お互い譲りませんでした。
するとそのやり取りを黙って聞いていた祖父がすっと立ち上がり茶の間から出て行きました。そして「国語大辞典」を手に戻って来たのです。
「国語大辞典」というのは全部で20巻位あって装丁もとても立派な、百科事典の様な国語辞典です。その「よ」の巻を祖父は持って来て、立ったままページをめくると静かな声で、
「どっちでもいいんです」
と言いました。
「『弱火』という漢字に『よわび』と『とろび』と両方の読み方が出てますね。」
穏やかな声でそう言われると私達はもう何も言えなくなって、ご飯の支度にかかりました。
「よわび」と読むか「とろび」と読むかなんて本当はどうでもいい事で、お鍋にサッサとお湯を沸かしボチャンと投入すれば数分後にはアツアツのハンバーグが食べられるのです。
普通のお祖父さんやお父さんなら「そんな事どうでもいいから早くご飯にしてくれ」というでしょうが、「国語大辞典」の「よ」の巻を持って来る所が本当に祖父らしくて面白かったです。

そんな祖父が体調の異常を訴えたのは3月のこと。病院で調べるとガンが全身に転移して手の施しようがない状態。主治医の先生から余命3ヶ月と宣告されました。
本人にその事を伝えるか?
祖母と叔母と母は話し合い、祖父には知らせないと決めました。そして偶然その話を立ち聞きしてしまった私も口止めされました。
でも祖父は自分が助からないと感じていたと思います。
私が祖父に最後に会ったのは5月の初めの大型連休でしたが、一人で庭を眺めている祖父の姿を見て(これは気づいている)と直感しました。
7月20日に祖父が亡くなり、葬儀やその後に親戚や祖父の知人の方々とお話した時、全員が「ご本人は分かっていらしたと思う」と口を揃えました。
それを聞いて私は複雑な気持ちになりました。自分の命が助からないと悟った時、家族が本当の事を言ってくれなかったら淋しいのではないか、と。末期ガンの場合は告知するかどうかは人によるでしょうが、基本的には告知する方がいいのではないかと、私は今思います。

もし今祖父が生きていてこのネット社会を見たら何と言うだろうかと、私は時々考えます。
祖父は、とにかくどんどん文章を書きなさいと言う人だったので、誰でもがサイトやブログを通じて自分の思いや意見を発信出来るのは良い事だと言うでしょう。同時に、きちんとした文章を書きなさい、とも言うでしょう。きちんとした文章とは簡潔で分かり易い文章のことですが、これが一番難しい。私はブログを始めて2年近く経ちますが、分かり易い文章が書けなくて、いつも悩んでいます。
もし今祖父が生きていたら、ゼミの学生さん達にブログをやらせるかも知れません。そして1週間分の記事をプリントアウトして提出させて、それを真っ赤になるまで添削するのではないでしょうか。
祖父がPCを操作してブログにコメントをつけたり、メールを送ったりする姿はどうしても想像できないので
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最終更新日 : -0001-11-30

* by えす
とても素敵なお祖父様だったんですね。穏やかな物言いが、はちミツさんに似ている気がします。
文章を書く作業は難しいですよね。ちょっとした言葉で傷つけてしまう事もあるし。まして本人を前にして話さないと、文にした時に凄く後悔してしまう事ばかりです。
はちミツさんがこんなお祖父様を見て育ったのはうらやましい事です。
これからも各方面で楽しみにしてますね~♪


ありがとうございます * by はちミツ
えすさん、こんばんは。
私は祖父とは性格も行動の仕方も正反対なんですよ。見習いたい所はいっぱいあるのになかなか真似できません。
でも文章を書く難しさについては教えてくれたと思います。「簡潔に分かりやすく書こう」と思っていますが、自分の文章を後になって読み返すと恥ずかしくなります。
言葉が足りない為に時には人を傷つけてしまったり、誤解を招いたり。日々反省する事が多いです。
でも祖父なら「文章はどんどん書いてみなさい」と言うはず。そう思ってこのブログを続けています。
これからも気が付く事があれば何でも指摘して下さいね。よろしくお願いします。

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とても素敵なお祖父様だったんですね。穏やかな物言いが、はちミツさんに似ている気がします。
文章を書く作業は難しいですよね。ちょっとした言葉で傷つけてしまう事もあるし。まして本人を前にして話さないと、文にした時に凄く後悔してしまう事ばかりです。
はちミツさんがこんなお祖父様を見て育ったのはうらやましい事です。
これからも各方面で楽しみにしてますね~♪

2010-07-20-19:22 * えす [ 編集 * 投稿 ]

ありがとうございます

えすさん、こんばんは。
私は祖父とは性格も行動の仕方も正反対なんですよ。見習いたい所はいっぱいあるのになかなか真似できません。
でも文章を書く難しさについては教えてくれたと思います。「簡潔に分かりやすく書こう」と思っていますが、自分の文章を後になって読み返すと恥ずかしくなります。
言葉が足りない為に時には人を傷つけてしまったり、誤解を招いたり。日々反省する事が多いです。
でも祖父なら「文章はどんどん書いてみなさい」と言うはず。そう思ってこのブログを続けています。
これからも気が付く事があれば何でも指摘して下さいね。よろしくお願いします。
2010-07-23-01:06 * はちミツ [ 編集 * 投稿 ]