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自粛と忖度の平成? (「ゴロウ・デラックス」 1/25)

今回は平成の終わりに相応しい番組でした。
「平成の始まりをタクシーで聞いた」という吾郎。それから30年、吾郎は平成とともに芸能界で生きてきました。
「オーバーに話したりサービストークをしたりしたことはあるが嘘をついたことはない。」ときっぱり。
今回はメディアのあり方、メディアと日本人との関わり方を考えさせられました。

「ゴロウ・デラックスでよくこの本を取り上げな、って思いますよ。」(外山さん)「テレビでどこまで話せるのか。」(吾郎)と二人が少し緊張する中登場したのは、森達也さん。6年ぶりのご出演です。

課題図書 : 「FAKEな平成史」 森達也 (KADOKAWA)

オウム真理教に密着取材した「A」やゴーストライター騒動の佐村河内守氏を取材した「FAKE」など、森さんのドキュメンタリー作品を平成という時代とともに振り返った本です。
森さんの作品は「問題作」「ギリギリ」と評されることが多いですが、ご自身ではそう思っていないそうです。
早速吾郎の朗読。森さんが観客に訴えている「あること」についてです。

「A」を発表したとき、上映会場で時おり、
「やっと真実を知りました」
と言われることがありました。
評価してもらえて嬉しいけれど、でもやはりこれに対しては、
「この映画は僕が撮った真実です。もしもあなたが同じ時期に同じ場所で映画を撮ったとしたら、まったく違う真実が撮れているはずです。」
と答えました。
コップだって下から見れば円に見えるし、横から見れば長方形に見えます。
実際の現象はもっとはるかに多面的で複雑です。
どこから観るかでまったく変わる。
視点は人によって違う。
でも自分はこれを訴えたい。
伝えたい。
そうした文法を使うべきです」

「正しいか正しくないかだけで観ちゃうからね」(吾郎)
「伝える人によって真実は変わる。」(外山さん)
「どれが嘘か本当か、ではなく、どれも本当なんですよ。」と森さん。一人の人間ですらどこから観るかで全然変わる。仕事の時、家にいる時、家族と一緒の時・・・それぞれものの見方や話し方が違う、それらすべてが真実であるように。
真実の形は一つではない
のです。
「発言する側も迷いますよね、僕たち。」(吾郎)
そう、どう伝えるかはメディアの姿勢にかかっているのです。

森さんは映像制作の世界で、吾郎はアイドルの世界で、平成という時代を生きてきました。ここからは「森達也と稲垣吾郎の平成史」。

【平成元年(1989年)】
森さんは製作会社のADとして働き、吾郎は連続テレビ小説「青春家族」に出演。
「それが最初の仕事?」(森さん)
「いえ・・・。この前にグループ、SMAPとかジュニアという形でやってて会社には入ってました。SMAPは最初6人だったんですけど。デビューはまだしてなかったけど6人で色々なところに行って仕事してました。」(吾郎)
「まさかここまでやってるとは・・・。」とつぶやく吾郎に
「まだまだですよ。」と外山さんがはっぱをかけました。

【平成4年(1992年)】
吾郎は月9「二十歳の約束」でドラマ初主演。
そして森さんは「ミゼットプロレス伝説」を制作し深夜番組で放送しました。ミゼットプロレスとは低身長症のレスラーたちが戦う小人プロレスのことです。
「四肢の長さが僕らとは違いますから動きが独特で面白いんですよね。当時は女子プロレスの前座的な扱いで。」(森さん)
実際に観てみると「むちゃくちゃ面白いし、鍛えてるし、すごいプロだと思って」ドキュメンタリーにしたいと思い作った番組でした。
しかし企画書を書いた段階で「絶対こんなの放送できない」と言われてしまったそうです。そもそも当時女子プロレスはクラッシュギャルズなどのスターが出て大人気だったのですが、前座のミゼットプロレスはカットされ放送されなかったのです。
「そういう意味では放送できないものが放送された、という評価はされたかな。」と森さん。
その番組の一部が流れましたが、その中でインタビューを受けたレスラーの方は、
「テレビで放送されて嬉しい。一般の人に観てもらえて楽しんでもらえれば・・・テレビでね。」
とおっしゃっていました。
「実際にテレビに出ることを望まれていた。お客さんの前でやってるわけだから。」(吾郎)
「エンターテインメントをやってる意識がすごくある。」(森さん)
「でもそれを放送してはいけないんじゃないか、という雰囲気があったんですね。」(吾郎)
いわゆる“自粛”“忖度”です。それによってブラックボックスになってしまったことがすごく多い、と森さんは言います。
「小人レスラーについて一番多いのが『あんな可哀想な人をなんで晒し者にするんだ』という声。彼らは(出ることを)望んでるんですよ。でもそういう声が来るとみんな店じまいしてしまうから、彼らは働く場所も失ってしまう。」
そういう善意の抗議で彼らはどんどん追い詰められてしまうのです。
「でも、本人たちはやりたいっておっしゃってるんですよね?」(外山さん)
「そう。だから本当なら、抗議が来たらメディア側が『いや、彼らはやりたいって言ってるんですよ』と反論すれば良いだけなのに、言われたままにしてしまうから。そこはメディアの責任ですね。」(森さん)

「ミゼットプロレスとは違うかもしれませんけど」と前置きをして、吾郎がパラリンピックサポーターの話を始めました。慎吾が平昌パラリンピックを観た感想として、障害者の方たちがスポーツする姿をただ「頑張れ頑張れ」と見守るのではなく
「ブーイングもするしヤジも飛ばすし、ちゃんと試合として見てる、って。皆さんがちゃんとスポーツとして楽しんでる、って。その姿勢に香取くんはすごく影響を受けた、って。」
「いいですね。小人プロレスもそうですけど、見始めたら本当に面白いんです。同時に鍛え方もすごいってよく分かるし、だからもう、一級のエンターテインメントですよ。」(森さん)
「可哀想な人たちを応援するために見に行くものじゃないですよね。」(吾郎)
「見ない人は分からない、見れば分かる。でも見せるためのメディアが全然機能しない。」(森さん)

【平成11年(1999年)】
吾郎は「月晶島綺譚」など舞台やドラマに出演。
森さんは「放送禁止歌」を発表。「放送禁止歌」は誰がなぜ禁止したのか、森さんが取材を重ねていくと

「放送禁止」のルールは存在していなかった

事が判明。ただ「取扱注意」とされていただけだったのです。
「誰も規制していないのにそういう風になっちゃうというのは怖くないですか?」と外山さん。ぞっとする話ですよね。
「怖いですよね。自分たちで仮想の圧力を作ってそれに縛られる。たぶんその方が楽なんですよ。」(森さん)「楽?」(吾郎)
自由だって言われると人は何をして良いのか分からなくなるんです。」と森さん。自発的に自分たちを縛ってしまって安心するのが「放送禁止歌」の本質だと言います。
そしてジョン・レノンの名曲「イマジン」も放送禁止になりかかったとか。
「911のテロの後、戦意高揚しなければいけない時に愛と平和を歌う「イマジン」は相応しくないとある放送局の偉い人がメールを送ったんです。それを見た系列局の中には放送を止めたところもあれば、今まで通り放送したところもあった。」と森さん。「放送禁止」という一律のルールがあったわけではないのです。
「吾郎さん、99年当時、メディアの変化を感じた瞬間はありましたか?」(外山さん)
「いやあ、こっち側にいると変化は感じなかったかな・・・」(吾郎)
「でも、ドラマを見てると昔はタバコを吸ってるシーンがすごく多かったけど、いつの間にか・・・」(外山さん)
「ああ、確かに。僕が初めてドラマに出た頃は、ベッドシーンで普通に僕お尻とか出てました。今はもうあまりないよね。そういう描写はもっと過激だったかな。」(吾郎)

【平成28年(2016年)】
吾郎は映画「少女」に出演。
そして森さんは映画「FAKE」を発表。ゴーストライター騒動の佐村河内守氏に密着取材した映画です。
「僕もお会いしたことがあるんですよね。」吾郎は佐村河内氏の印象を話し始めました。「曖昧な印象はありましたね、聞こえていらっしゃるかどうかは。でもそういう苦しみは僕には到底分からないし、本当につらい思いをしてるんだなという印象しかない、後で何を言われても。」映画「桜、ふたたびの加奈子」の事で迷惑を被ったはずなのに吾郎は佐村河内氏を否定する言葉は発しませんでした。人間の器が大きいと思います。
「感覚は共有できないから佐村河内さんが実際どの程度聞こえているかは分からないけれど」と森さんは前置きして
「難聴ってグラデーションなんですよ。でもメディア的には1か0にしちゃう。詐欺師か全く聞こえないか。彼が責められるべきは彼もそこに乗っかっちゃったこと。」と言いました。1か0かではなく、グラデーションが大事だ、ということです。微妙なことが面白いのにみんなそこには興味を示さなくなってしまって、世界が大味なものだけで構成されてしまう、と。
「それは世界を矮小化しちゃうと思うんです。」
「そういうお仕事をしているはずなのにね、特にテレビのお仕事は。」
吾郎のこの言葉はメディアの抱える問題を浮き彫りにしたように思います。

そして森さんは吾郎にも質問をぶつけました。
「一騒動あったじゃないですか。で5人から3人になるなかでいろんなメディアがいろんな事を書いてて、それを見て『これは違うな、なんでこんな事になっちゃうんだろう』と思ったことがたくさんあったと思うんですけど。」
吾郎が真っ先に言ったのは「ファンの人たちが心配してくれた」こと。やはりそこが一番気がかりだったのでしょう。そして
「自由にやれるところはある感じはするかな・・・最近はね。僕も環境が変わって、仕事に関しては。」吾郎は少し考えながら言いました。
「だって6年前より今日の方が、稲垣さん全然自由に話してる。」と森さん。
「ありがとうございます。よく言われます。今までストレスを抱えていたわけでは全然ないんですが、仕事も楽しいし、曖昧なものもやれてるというか、白か黒かだけではなくて。・・・そうですね・・・特に演じる仕事では・・・色々と・・・映画や舞台はテレビでは通りにくい企画でも通りやすい・・・もちろんテレビドラマもやりたいんだけど、今までやりたくても出来なかったような役とか作品とか今年はすごく恵まれてたので、そういうのが出ているのかもしれないし、すごい楽しいです。」吾郎は一つ一つ考えをまとめながら話しました。話せないこともあるのかもしれませんが、精一杯自分の本当の気持ちを語ってくれたと思います。
すると森さんは、来年か再来年劇映画を撮るつもりだとおっしゃって、
「もしかしたらその時お声をかけるかもしれないので」と思いがけない一言を。
「ありがとうございます。この場でオファー。どういう内容なんでしょうね?」
「テレビじゃ放送できないような内容なので・・・。」(森さん)
「是非。出来ないものはないので。」と吾郎は積極的です。

そこへAD山田くんが登場。今日の消しゴムはんこはなんと、吾郎を撮っている森さん!
「吾郎さんを撮りたい、というのが分かっていたのかな、と・・・」と山田くんはちょっと自慢げでした。山田くんGJ!


森さんはメディアの「自粛」や「忖度」がいかに危険で社会を歪めるかを伝えたかったのだと思います。
そこで思い出したのは、昭和の終わりの「自粛」ムードです。昭和天皇のご病気が長引くにつれて、エンターテインメント業界全体が根拠のない自粛へ向かっていったのは奇妙な感じでした。「平成」という時代はそんな「自粛」の空気の中から生まれたのです。
そして平成の次の時代、メディアはどちらを向いて何を伝えてくれるのでしょう。注目したいと思います。


拍手ありがとうございます

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