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自分の弱さと向き合う (「ゴロウ・デラックス」 8/24、31)

【前編 8/24】
オープニング。
「吾郎さん、自分が弱いと感じることありますか?」
「ありますね。逃げ出すし投げ出すしイライラするし(笑)・・・。ダメですね。」
「今回は、日本一と言ってもいい熱いアノ方をお迎えして、自分の弱さを受け入れ強くなる秘訣を伝授して頂きます。」
「それは知りたいですね。」

課題図書 : 「弱さをさらけだす勇気」 松岡修造 (講談社)

思い切り熱くポジティブな言葉で人気の松岡修造さんはかつて日本を代表するプロテニスプレーヤーでした。現在は日本テニス連盟強化副本部長として「修造チャレンジ」を開催しジュニアの育成に尽力、錦織圭選手を始め多くの才能を育てています。
しかし意外にも「日本一熱い男」は現役時代「ガラスのエース」と呼ばれていたそう。今回は修造さんが「自分の弱さとの向き合い方」について語ります(今回は親しみを込めて「修造さん」と呼ぶことにします)。
「もともとはこんなにメンタルの弱い方だとは知りませんでした。面白かった。」(吾郎)
「それではお呼びしましょう。松岡修造さんです!」(外山さん)
修造さんは予想に反して静かに入ってきました。背が高いのでセットの天井に頭をぶつけそうな感じです。入口の所で頭を下げると静かな声で
「よろしくお願いします」
と一言。
「なんか声小さくないですか?」と外山さんに訊かれると
「どちらかというと普段僕はこうですね。」と修造さんから意外な答えが。
「カメラ回ってますよ・・・イメージダウン・・・」と吾郎に促されても修造さんは立ったまま。一拍置いてなぜか「どうぞどうぞ」と謎の言葉を発し、全員がようやく座りました。修造さんと吾郎は「世界水泳」以来の再会だと思います。
修造さんは白のタキシードと蝶ネクタイという礼装なのですがその理由を訊かれて
「今回結婚が20年目に突入するわけですよ。僕は変わってるので10年目にも結婚式を挙げたんです。ニューヨークで子ども3人連れて大きな教会で。で20年目もしたくて、その洋服を作って頂いたんです、コナカさんに。」
「あ、そうなんですか!きれいですよね、ピッタリで。」(吾郎)
「デラックス」って言葉は自分には合ってない、と修造さん。
「僕の人間性や今までやって来たことをみんな勘違いしている。どちらかというとデラックス感覚、熱いとか。」
本当はそういう所は一切無いので、洋服でデラックスな感じを出そうとしたのだそうです。更に
「自分が話すっていうのは正直あまり好きじゃないんですよ。」と言うので吾郎は少々戸惑っているようです。
「僕の専門は応援とか、やっぱり聞くほうなんです。」(修造さん)
「そうか。イメージ無いですよね。こういう番組でゲストに出られるとか。」(吾郎)
「しかもね、こんな、自分のことなんてどうでもいいですよ。」修造さんは手にしたご自分の本をバサリと机に置きました。
「いやいやいや、(本を)出されたじゃないですか。」「そんなことないですよ。」
吾郎と外山さんは慌てました。
「この紙なんですか?」修造さんが机の上の紙の束を手に取って訊きました。
「一応台本があるんですよ。」と吾郎が説明すると
「これいらない」と松岡さんが紙を外山さんに渡しました。
「台本も話し合いもなし。」松岡さんはきっぱりと言いました。
「今回打ち合わせしなかったんですよ。ゴロウ・デラックス始まって以来初めてですよ。」(吾郎)
「でも・・・僕の話で良いわけですよね?」(修造さん)
「知りたいですもん。修造さんは聞くほうが多いから、この本を読んで、少年の頃の話とか、自身の実はメンタルの弱いところとかそういう所も視聴者の方は聞くと励みになるし。話しましょうよ、自分の話!」(吾郎)
「わ・・・かりました」と修造さんは吾郎の勢いに押されて答えました。(なんか吾郎と修造さんのパブリックイメージが逆転してしまったようです。)
「・・・というか、もう寝た方が良いじゃないか?」と修造さんが言葉を付け足したので「ちょっとまだ寝ないで下さいね。」と外山さんは大慌て。
「意外と少年少女だけでなく年上の方も見ていますから。」と吾郎。(←しかしこれはフォローになっているんでしょうか?)
予定調和があまり好きではない修造さんは、今回ゼロの状態で出演されたそうです。
「多分稲垣さんの朗読によって僕の答えは変わっちゃうと思います。」と番組プロデューサーに話していた修造さん。
「本を紹介させて頂く番組なので、冒頭の部分を朗読させて頂いても・・・ちょっと恥ずかしいんですけど、いいですか?」(吾郎)
「凄いねえ・・・。ものすごい気合い入れて聴いてみよ」修造さんはじっと吾郎の目を見ました。
「なんかすごい緊張する・・・。そんな見ないで下さいよ。」吾郎はやりづらそうです。頑張れ!

「弱い」とはどういうことでしょう?
辞書には「力や能力が劣っている。忍耐力がとぼしい。心がぐらつきやすい」などと出ています。
思うような結果を出せない、プレッシャーに押しつぶされやすい、思い通りにならないとイライラする、ものごとがうまくいかないとすぐにあきらめてしまう・・・・・・
そうした心のあり方を「弱い」というのだと思います。
でもこれって、誰でも経験することですよね。
はっきり言いましょう。
僕のなかでは、「弱さOK!」なんです。
「僕は、大事な場面でいつも失敗してライバルに負けちゃう」
OK!
「私って上手くいかないとすぐ投げ出しちゃう。なんで忍耐力が無いんだろう」
OK!
なぜなら、そう思うのはひとつの“気づき”だからです。
自分の弱さに気づき、弱さとして認めることができている。
それはむしろ、あなたが「成長している」という証拠なのだと僕は思います。弱さは見せていいんです。
むしろ、さらけだしてしまったほうがいい。
そんな弱さがあるからこそ、乗り越えたとき僕たちは強くなれる───。
僕はそう確信しています。

「読んでて気持ちいい」と吾郎。
吾郎の朗読はとても力強くて良かったです。修造さんも頷きながら聞いていました。
「凄く今思ったのは・・・吾郎さんが言われた通りね、弱いっていうことを受け入れる、気づくということは凄く大事なことだな、ってことと・・・ここ(表紙)に「勇気」って書いてあるじゃないですか。強い奴にははっきり言って勇気なんて要らないんですよ。だって元々強いから。弱い人はやっぱり怖くて色んな思いがあるから、勇気を出して、違う自分を出して、ってそう思えるのはすごい良いことだなって思いました。」(修造さん)
「あ、そう、ありがとうございます・・・って、え?」いつの間にかMCとゲストの立場が逆になってしまい吾郎は困惑の様子。外山さんも「いや、ご自分の本なんですけどね」と笑ってしまっています。(自分の本の感想を堂々と述べる修造さん、天然で好きです。)
修造さんは身を乗り出して
「だって・・・吾郎さん、“やわらかい”ってイメージあるじゃないですか。」
「はい、わかります。」(吾郎)
「でも本当は強いじゃないですか。」(修造さん)
「そうかも知れないですね、自分で言うのも何ですけど。」(吾郎)
「何が強い?」(修造さん)
「そうですね・・・えーと・・・うーん・・・あんまりくよくよしないです。基本的に引きずらない。」(吾郎)
「それ、どうやってやるの?」修造さんは更に身を乗り出しました。「どうしたらくよくよしないんですか?」(←それは私も知りたい)
「弱さとか強さとかを感じる時間も無かったんで、今まで忙しすぎて。それこそ10代の頃からこの仕事をずっとやって来たので。・・・いわゆる鈍感力って最近言われてますけど・・・そういうのに近いのかなって。」(吾郎)
「鈍感力はアスリートにとって一番の強みですよ。」(修造さん)
吾郎はここで流れを変えようとしました。「僕、ゲストではないんですけど・・・。ちょっといいですか、番組っぽく・・・年表みたいな物もあるんですけど。」
「そうですね、テニスプレーヤーとしての年表を・・・」(外山さん)
そう聞くと修造さんは「早く!」と奥に声をかけました(←切り替えが早い!)
年表の大きなボードを持って入ってきたのはいつものAD山田くんではなく、ゴロデラADの辻野パトリシアメイさんでした。修造さんの所に事前の打ち合わせに行って「辻」のしんにょうの点が二つだという話だけをして帰ったのだとか(笑)。

さて、話を本題に戻し、年表を見ながら修造さんの「弱さ」と「対処法」を学んでいきます。
10歳の頃からテニスを始め、14歳で全国大会優勝を果たした修造さん。そして1983年、慶應義塾高等学校に入学しましたが、
「出てきました、“弱い修造”」(外山さん)
「ちょっと待って、本当に打ち合わせしていないから・・・弱いんだ、ここで。」修造さんは立ち上がって年表の“弱い修造”と書かれた紙をめくりました。そこに書かれていたのは・・・
「テニスをサボり麻雀にハマる毎日」。
「ええっ!!ホントですか?!」吾郎の声が裏返りました。
「・・・ジュニア合宿もやっているのでジュニア選手に言って良いですか?・・・麻雀なんかにハマってんじゃねえぞ!」と修造さんはカメラをにらみつけましたが次の瞬間情けない顔になって
「すみません、いやいやいや・・・これはね、ホントに雀士になろうかと思ったくらい。」
「でもそれだけのめり込んだって事ですよね?」(外山さん)
「のめり込みましたね。だってそれまでずーっとテニスをやってて、辛い思いもあったし遊びってほとんどしていなかったし。やっぱり投げ出しちゃったんです。だから本当に“弱造”でした。」(修造さん)
「でテニスよりも麻雀を選んでしまった修造さんなんですけど、自分の弱さに気づきます。そしてある行動を起こします。」(外山さん)
その行動とは他力本願でも環境を変える
「他力本願?どういう事ですか?」(吾郎)
「僕はね、『自分で決めろ』とか『自分の思いでやるんだ』とか言ってる割には弱くて、苦しいことから逃げ出すことを何度もしてて。この場合の他力本願は柳川高校(福岡県のテニスの名門校)への転校ですよね。これは絶対誰もしないことですよ。慶應義塾に行ってる人が柳川高校って。でもあの頃は戸塚ヨットスクールっていうものすごい厳しい学校があって、柳川はそれに似た厳しさがあるって聞いたんです。『そんなところに修造行くわけ無いだろ』って思われたけど、僕はそこへ行ったら絶対厳しい、やらざるを得ない、鬼コーチがいてくれるから絶対にやるだろうと。まさに他力本願。弱いんだから心を変えてくれる場所に行くしかない。」(修造さん)
「でもやっぱりテニスが勝ったんだ。」(吾郎)
「だから僕はジュニアの選手に言うぞ。『絶対そんな甘えた道を選ぶな』」(修造さん)
「わかったか。」吾郎も振り返ってカメラをにらみつけました(カッコイイ♡)。
こうして環境を変えた修造さんはインターハイで見事三冠を達成、18歳で渡米しプロテニスプレーヤーになりました。しかし・・・
「プロに転向してから“弱い修造”?」(修造さん)
「そうです。」(外山さん)「また来るんですか?」(吾郎)
「なんだろう、どんな弱い・・・」と言いながら修造さんは紙をめくりました。
「ガラスのエースと呼ばれる」
「ガラスのエース?!」(吾郎)「そう呼ばれてたんですよね。」(外山さん)
「これはずーっとですよ。だからこれが(この本の)メインです。」(修造さん)
ということで、その“弱い修造”の部分を外山さんが朗読。修造さんは外山さんをじっと見つめます。外山さん読みにくそう(笑)。

試合で自分が不利になると、「もうダメ」とあっさりあきらめてしまうこともありました。
成長してプロテニスプレーヤーになってからは、日本人選手としては長身である体格を生かして繰り出す早いサーブを武器にしていました。
しかし、ほかのトップ選手にくらべると動きは硬く、スタミナも不足気味でした。
メンタル面では、「決断力のなさがテニスに出ている」とコーチに指摘されて悩みました。
試合前には、イライラとプレッシャーの“ダブルいらっしゃい”状態で爆発寸前になってしまうし、試合中にショットが決まらず、ゲームを投げ出したくなったりもしました。
けがや病気でテニスができなくなったときには、「なんでオレだけこんなひどい目に遭うんだよ!」と、運命を呪ったこともありました。
結果的に、僕のプロテニスプレーヤーとしての成績は、ツアー通算2勝(男子シングルス1勝、ダブルス1勝)、生涯通算成績は173勝207敗です。13年間のプロ生活では、ほぼ毎週負けていました。

「めちゃくちゃ弱いぞ。ホントに弱造でしたね。」(修造さん)
「こんなイメージはなかったですね。」と吾郎。通算成績が負け越しだとは知りませんでした。
その「ガラスのエース」ぶりは・・・
「特に国別対抗戦とかはものすごくプレッシャーがかかるんですよ、周りからの期待とか。で、今みたいにワールドグループにまだいなくてアジア予選ですよ。そんな強い選手と当たらない。ランキングで僕が300番なら相手は1000番とか。絶対僕が勝つはずなんです。でも・・・日本でやると凄い応援でしょう。試合前から涙が止まらなくなっちゃう、怖くて。」(修造さん)
「ええ、ほんとですか?!」(吾郎)
「もう試合に出たくなくて。もうムリだな、って。」(修造さん)
「ガラス・・・ですね、ほんとに。」(吾郎)
「修造の心は(ちょっと押すだけで)壊れてバリバリバリ・・・」(修造さん)
「そこまでとは思わなかったですよ。プロですもんね。」(吾郎)
「そうなんですよ。プロとしてあっちゃいけないメンタルだと思いますよ。」(修造さん)
「へぇ・・・」と吾郎は呆然としています。その時修造さんがある事に気づきました。
「ごめんね、ちょっと違うわ、まとめられないね、30分番組だから。」
「あ、そうですね、このままだと30分には入らないですね。」と外山さん。
「大丈夫、本当に面白いですから・・・。全然。素でいてください・・・って素が違うって話ですが。楽しんで帰って頂きたいんですよ。」
吾郎が修造さんをほぐそうとしているとスタッフから
「2週にします」と声がかかりました。
「そんな事あるの?ほんとに?じゃオレ・・・ごめんね話しすぎて。」(修造さん)
「話しすぎてないですよ。」(吾郎)
「じゃあオレ、話す!」(修造さん)
というわけで続きは次週のお楽しみ♪

【後編】
課題図書 : 「弱さをさらけだす勇気」 松岡修造 (講談社)

現役時代はメンタルが弱く「ガラスのエース」と呼ばれた修造さん。そんな修造さんが編み出した弱さをさらけ出し強さに繋げる「修造メソッド」とは?

と、本題に入ろうとした途端にハプニングが発生。まず、修造さんが外山さんの髪の乱れ(?)に気づきメイクさんを呼んだのです。細かな心配りのできる方ですね。すると吾郎が突然「一瞬お手洗いに行っていいですか?」と断って席を立ちました。こんな事は当然ながら初めてです。吾郎がスタジオを出ると修造さんは立ち上がって吾郎の席に座り、そこから見える景色を確かめ、そして
「自分の事をやるのやだ・・・」とつぶやきました。ご自分の事を話すのは本当に苦手のようです。
そこへ吾郎が戻ってきて
「トイレ行って笑われると嫌な気持ちに・・・。」と言いながら席に着きました。
「笑うべきでしょ。だってこんな時にないですよ。本番中に。」修造さんからお説教を頂いて、やっと本題です。

修造さんが自分の弱さを受け入れるために編み出したのは
決断力トレーニング
たとえ初めて入ったお店でも5秒以内にメニューを決めて注文する、というトレーニングです。
「これ面白かった。」と吾郎。
今回番組では和・洋・中60種類の料理が書かれたメニューを用意。修造さんに実演して頂くことに。修造さんはまず目を上下左右にキョロキョロ動かしました。
「目のトレーニングをするんですよ。メニュー全部を見られるように。」(修造さん)
「全部を見るんですね、一個一個を見るんじゃなくて。」(外山さん)
「その為のトレーニングですか?」(吾郎)
「いやいやいや、この為に僕が考えたの。パッと見たとき全部が見えるようなトレーニングを。」(修造さん)
そして真剣なまなざしでメニューを手に取りパッと開くと目を上下左右に動かし、5秒で閉じると「ナポリタン」と静かに言いました。「日本らしさがある。店によって全然違う。」というのが選んだ理由です。
「柳川に行ってた時決断ゼロだったんですよ。言われたことを全部してたから。だからある意味楽だった。でも海外に行ったら全部自分で決めないといけない。何時から練習したいの?誰とやりたいの?どういう事をしたいの?全部自分が考えないといけない。その決断する力がゼロに近かったんです。でも世界で戦うテニスはそれだった。それが日本人は不得意だと思う。教育でもみんなと一緒、だから。」(修造さん)
「そうかー!」(吾郎)
因みに外山さんと吾郎もやってみましたが、意外とあっさり決められました。実は簡単なのでは・・・?(笑)

修造さんは20歳を過ぎた頃大きな壁にぶつかりました。2度の大けがと長期休養を必要とする病気です。そんな時心の弱さを克服するために行っていたのが
笑顔の練習をする
「笑顔は人間が持っている宝物って感じがする。特に病気の時。倦怠感で起き上がれない、トイレにも行くことができない2ヶ月間だったんですよ。だからテニスコートに戻った時に、今までは3時間4時間できたのに1分保たないんです。もうテニスできないっこないよって。でもあるとき思ったんです、自分から苦しい顔をしてる。たとえば(満面の笑顔を作って)「私風邪」と言う人はいないでしょう?自分からそういう(苦しい)姿を見せてもっと悪くしてるんじゃないか、って。何となく分かります?」(修造さん)
ああ・・・と吾郎と外山さんは相づちを打ちました。
「あるよね、思い込んじゃって。」(吾郎)
「だからどんなにきつくてもずっと笑っていようと思った。それをずっとやってたの。すると不思議なことに、体力的にはきついけど、下を向かなくなった。下にはマイナスの言葉が沢山ある、『何やってんだよ』とか『どうせ自分はダメだ』とか。前向きな言葉は下を向かない。『できるぞ!』って下を向いて言わないでしょう。笑顔でいれば上を向いているし、笑顔の力が血流も含めて松岡修造をどんどん前へ押してくれた。で、周りの人も笑顔でいるから。」(修造さん)
「これできるね。」(吾郎)「できますね。」(外山さん)「誰でもできるから。」(修造さん)
これは実践したいですね!(アイドルはお仕事でそれを実践している気がします。)

1995年に引退してからは「修造チャレンジ」を設立しジュニア選手の育成と強化に尽力してきました。
「それまでは自分のために頑張ってきた、“頑張れ修造”って。でもやめてからは自分のために頑張ったことは一つも無い。その代わり(ジュニアの)強化だけは本当に頑張った。自分のなかで唯一誇れることですね。」(修造さん)
そしてあの錦織圭選手を輩出したのです。
「錦織選手は最初の頃はメンタルは弱かったんですか?今と違って。」(吾郎)
「シャイだったし表現力が無かった。自分は何をしたいって(言えなかった)。僕もなかったんですけど。アメリカに行った時起こる事に彼は耐えきれないと思った。だからそればっかりやっていましたよ。緊張している彼に『英語で喋れ』って。彼は泣きますよね。『泣くくらいなら帰ろうぜ』って。」(修造さん)
修造さんは世界に行くために必要な力をつけようとしたのです。
「でもあの時の圭は小っちゃかったし、僕の言ってることは一切分からなかったと思うんです。でも海外へ行ったら分かったんでしょうね。『修造さんの言ってる意味がよく分かりました』とプロになってから言ってました。」と修造さんはしみじみ語った後
「偉そうだな。だから自分が話すの嫌なのよ・・・。何言ってんだ46位が!」と自分に喝を入れました。(でも世界ランキング46位は錦織選手に抜かれるまでは日本人最高記録だったのです。)
「修造チャレンジ」は今年で20年。技術指導だけでなく世界で戦うために必要な知識も学びます。勿論実践的な英会話も。
「また出てくるんですか?第二の錦織選手。楽しみですね。」(吾郎)
「ムリですよ。」(修造さん)
「彼は持って生まれた才能なんですか?」(外山さん)
「あの才能には一生出会わない。」(修造さん)
「それは12歳の時に衝撃を受けたんですね。」(吾郎)
「そう。彼はテニスの才能はすごかった。でも持ってないものはたくさんあった。だったら人より努力する才能、体力の才能、才能は色々ある。それを磨けば錦織圭の所までいける可能性があるかも知れない。ただ圭の才能はない。それはしかたないんです。」修造さんは静かに熱く語りました。更にこう続けました。
「世の中には才能がある人はいっぱいいる。才能があって努力している人もいっぱいいる。じゃあ結果が出なかったり評価されなかったらそれは成功じゃないのか。」
色々なところで頑張っている人を見ると思わず握手してしまうという修造さん。自分自身のチャンピオンになるのが大切で、一生懸命やっている人はチャンピオンに見えるそうです。

修造さんは昨年、TBSドラマ「陸王」に出演し本格的に俳優デビューしました。20年前選手を辞めたとき、すごく「演じたい」という気持ちがあったのだそうです。私は「陸王」が好きで観ていましたが、修造さんは役所広司さんを相手に堂々と演じていました。
VTRを観て吾郎は
「顔が全然違う、普段テレビに出ている時と。凄いね。惹き込まれちゃった。」と目を輝かせました。修造さんは「何やってんだ俺」と言いながらも
「凄くラッキーだったのはギャップでしょうね。すごく淡々とした役だったから。」と自己分析。
「でも僕・・・これも松岡さんだと思う。こういう人も自分の中にいるんでしょうね。」と吾郎が言うと修造さんは目を丸くして
「すげえ・・・」と唸りました(←だって吾郎も役者ですから分かるんですよ!)。
「いや、監督が多分一番分かってやっているんです、プロデューサーも。」(吾郎)
「『陸王』の第8話で僕はいい人みたいな感じで出てくるんですが、役所さんとのラストシーンで一瞬『チッ!』って感じのイヤな顔をするんです。それを見た途端に『お父さんだ!』と・・・」(修造さん)「ああ、お嬢さんが」(外山さん)
「子どもたちに『いつも家でやってる、アンタじゃねえか』って言われましたよ、この嫌みな顔。」(修造さん)
「感じ取ってるんですかね。」吾郎は感心したようでした。

AD山田くんに気づくと修造さんは「どうしたどうした」とセットから出て山田くんと握手。気さくに話しかけ自分の席に一緒に座らせました。面識があるのかと思ったら実は初対面。修造さんはどこまでも気遣いの人なんですね。
「頑張りました」という山田くんの消しゴムハンコは色々な表情の修造さん。
「昇ってこいよ!君は太陽だから!」
と修造さんの言葉も添えられています。
修造さんはそれを見ると
「僕が本の中で一番言いたいのは『人間全員太陽』なんです。太陽だって弱い時はある。陰に行っちゃう時もあるわけです。でも弱い時に力を蓄えて、昇ってきた時にとんでもないものを与えられるわけじゃない。だから、親太朗、君は、太陽だ!」と締めました。
つまり結論は
「弱さは、強さだ!」
なのです。


そういえば「自分の弱さを受け入れられる人は強い人」と聞いたことがあります。自分の弱さは何なのか本気で考えられる強さを持ちたいですね。


拍手ありがとうございます
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GORO | コメント(0) | 2018/09/04 19:51
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