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登場人物を生きながら書く作家 (「ゴロウ・デラックス」 7/6)

オープニング。
「吾郎さん、突然ですが、痛いのって好きですか?」(外山さん)
「いやいや、痛いのが好きな人なんていないでしょう。・・・痛みには強い方かも知れない。」(吾郎←ほんとかな?)
「痛みには強い方ですか?」(外山さん)
「くすぐったいとかそういう方が苦手ですね。」(吾郎)
「へぇ・・・苦手そう!はははは・・・・・・。」と外山さんは吾郎の顔を見て笑いましたがすぐ真面目な顔になって
「今夜は人の痛みを書く直木賞作家の方がゲストです。」

席に着くと
「なんかすごい世界で、自分があまり体験したことがない世界で、見たことのない世界だった。この番組に出て頂けるなんて本当に光栄です。」と吾郎。
「バラエティ番組は初めてだそうで。」(外山さん)
「バラエティ番組初めて?!どうしよう、大丈夫かな?」(吾郎)。

ゲストは天童荒太さん。とても背が高い方で、身長は182㎝あるそうです。
1986年のデビュー以来、数々の話題作を世に送り出してきました。問題を抱える家族を描いた「家族狩り」シリーズや虐待を受けた子供を描いた「永遠の仔」はベストセラーとなり、2009年には死者を悼みながら旅をする青年を描いた「悼む人」で直木賞を受賞しました。人が抱える痛みに寄り添いながら社会問題をセンセーショナルに描く大ベストセラー作家がバラエティ番組に初登場です。
「こういう番組のご出演が初めてという事なんですけれども…大丈夫ですか?今のお気持ちは。」吾郎が慎重に話しかけると、天童さんは
「いや、でもあの…ずっと拝見していて、バラエティというよりは今一番しっかりした教養番組のように思ってますので。」とおっしゃいました。
「うれしいじゃないですか!」吾郎の顔がパッと輝きました。「ちゃんとやらないとね。」
「いつもやってますけどね!」外山さんがすかさず笑顔でフォローしました。
天童さん、本当に嬉しいお褒めの言葉を有難うございます。

課題図書 : 「ペインレス」 天童荒太 (新潮社)

この小説のテーマは「無痛」。爆弾テロの後遺症で体に痛みを感じなくなった青年・森悟(しんご)と森悟の体に興味を示す心に痛みを感じない麻酔科医・万浬(まり)の濃密な関わりを通して「人間にとって“痛み”とは何なのか?」を追求していく物語です。
「今回“痛み”をテーマにされた理由は?」(外山さん)
「物語の始まりはまず22~23年前だったと思うんですが、社会全体が自分の痛みに対してすごく敏感である割に他人の痛みに対してはだんだん鈍感になる時代の始まりの頃に、“痛み”って何だろう?と。その“痛み”を通して社会や世界の成り立ちを見るような主人公の物語にしたら新しい何かが生まれてくるのではないかと発想したんです。そしたら実際に肉体に痛みを感じない方がいらっしゃるという話を聞いたので、そこを軸にして進めていくうちに、さらに厳しい…薬も効かないのは心の痛みではないのかと思って。で、心に痛みを感じない人間がいたとしたら、その主人公を通してこの世界の構図はもっと何か深く・・・人間という存在が一体どういうもので成立しているかが見えてくるのじゃないかと思って、どんどん積み重ねていったということです。」(天童さん)
「(構想を)考えてから完成までに23年かかったんですか?」(外山さん)
「はい」(天童さん)「23年間!」(吾郎)
「体に痛みを感じない人間(無痛症)は実在するのである程度(人物像を)作っていくこともできるけど、心に痛みを感じない人を積み上げていく、あるいはリアリティを持たせるためにはどうしても時間が必要だったんですね。」(天童さん)
天童さんは淡々と語りますが、お話の内容は深く重くて、吾郎と外山さんは言葉が出ません。
そして、天童さんがどうしても書きたかったという、心に痛みを感じない女医・万浬がセックスを通して無痛の体の森悟を診察する場面を、吾郎と外山さんで朗読。
「深夜ならではですね。」と吾郎は緊張の面持ちです。

下着一つになった彼が、ベッドに仰向けに倒れ込み、両手を組んで頭の下にやる。
「さあ、お好きなように」
「ものわかりのいい患者さんには、助けられます」
万浬は、彼のからだをまたいで腰の両側に左右それぞれの膝をつき、首の両側に手をついて、彼を見下ろした。背中から流れ落ちた髪が、彼の鼻先から唇の上で揺れる。
「これまで病院や研究施設で、無痛となった状態でのセックスについて、調べられました?」
「いや、正直、調べてほしい想いと、そこまでは踏み入らないでほしい想いが半々で、自分からは言い出せなかった。相手も興味はあったろうに、誰も口にする勇気はなかったみたいだ」
「くすぐったさについては、お聞きしました。性的な快感はどうなんです」
「試してみて」
万浬は、身を屈めて、髪の毛で彼の頬を撫で、さらに下がって、彼の右の乳首に唇をつけた。指でしたのと同じことを、舌の先でおこなう。
「感じるよ、きみの舌の感触を。柔らかさ、ざらつき、湿り気。気持ちいいよ、確かに……けど、くすぐったさと似た感じで、微妙に深みがない」
万浬は、唇の上下で彼の乳首をはさみ、軽く吸いながら、舌で愛撫する。
「いいんだ、本当に。でも……薄いという気がする。いわば、水面を漂うばかりで、底のほうまで沈んでいかない感覚かな」
万浬は彼の乳首を軽く噛んでみた。
反応はない。
もう少し強く噛む。
「噛んでるね……それはわかるんだ。でも、痛みはない」
左の乳首も、同じように唇ではさみ、吸い、舌で愛撫し、歯を立てて噛む。
「痛くないし、快感は深くまで達しない。けど抱きたい、きみが欲しい。」
「肉体的な快感が薄いのに、わたしが欲しい、という欲望は……女を自分のモノにするという、所有欲や征服欲と結びついた精神的な悦び……あるいは、他者の性器内に射精するという、肉体的かつ本能的な達成感や解放感を求める想いから、発しているのでしょうか」
「この状態で、そんなことまで考える余裕はないよ。これまで会ったなかでも飛び切り美しい、でも飛び切り変わっている女(ひと)が、裸でおれをまたいで、おれの乳首を吸ってる……興奮しない方がおかしいだろ」
「目を閉じてください。わたしを見ずに、できるだけからだの感覚に集中してほしいの」
万浬は、腰を下ろしてゆき、自分の裸の股間を彼の下着の盛り上がりに重ねた。彼のからだにわずかにふれる程度の間合いを保ち、ゆっくりとからだを前に動かし、彼の盛り上がった肉の形を捉えて、盛り上がりの切れ目を感じ取ったところで、また後ろへからだを戻してゆく。
彼の吐息が速くなる。
「……拷問だなぁ」
目を閉じたまま、彼が苦笑気味につぶやく。
万浬は、もう少し互いの肉が押し合う程度に腰を下ろし、彼のしかめる眉、ぴくぴくとふるえるまぶた、舌先で唇をなめる様子を見つめながらからだを前後に動かし続けた。

天童さんはじっと聞いていましたが朗読が終わると、
「最高のところを朗読していただきましたね」とにっこりしました。
「なんか、体の中が熱くなってきました」と吾郎もにっこり。
「基本的に映像不可能な部分ですから。こういう風に聞かせて頂いて感激です。」(天童さん)
「ありがとうございます。イメージ崩してないですか。」(吾郎)
「とんでもない、嬉しかったです。」(天道さん)
「すごいセックスの描写が圧巻で…ここからさらに激しい描写も、ね。」(吾郎)
「本当に体の痛みを感じない人がどう感じるのかを、純粋に知りたいわけじゃないですか、万浬は。このシーンを書きたかったのはどうしてなんですか?」(外山さん)
「表現者にとって“エロス”というのは一番チャレンジしなければいけない部分ですね。人間にとって一番大事な生と死、表現者がそこをどう表現するのか、あるいはその人独自のエロチシズムや死の感覚を描けるかどうかで表現者としての真価が問われると思ってきたんです。だから自分がもしエロチシズムに挑戦するなら誰も書いたことがない、いわゆる官能小説とか言われるものではなくて、世界の誰も書いていない性愛のものにチャレンジしたかった。心に痛みを感じないということは、ハートブレイクがないので愛を理解できない。肉体に痛みを感じないということは、性には痛みに裏打ちされた部分での快感がきっとあるから、深みを感じない。その二人の性愛は、世界初のエロスの表現になるだろうと思ったので、どうしても挑戦したかったんです。」(天童さん)

番組後半では、天童さんの執筆ルールについてお話を伺いました。
「無痛症の方に直接取材することもあるんですか?」(外山さん)
「自分の小説のスタイルとして決めてるんですけど、当事者には会わない。小説は人間を表現するものなので、いいことだけを書くわけじゃなくて、登場人物のズルさだったり、時にはセックスを表現することもあるし、悪いことを表現することもあるかもしれない。例えば虐待を受けた子をもし僕が取材して、あまり書かれたくないことまで書かれたらすごい嫌じゃないですか。協力したのになぜ、って。あと、1~2度会っただけで本音を言うかな?本当の事なんてまず言わないと思うんです。それを分かった気になって書くのは道を誤ることだし。ですから当事者には会わない。会わないでそういう症状を抱えている人の文献などをすごく勉強して、履歴を作ってその人になりきって、嘘なくその人物を作っていく。」(天童さん)
「すごい・・・」(吾郎)
「心に痛みを感じない人を創る時には、生まれたときからどういう過ごし方をしていくだろう、とノートに履歴を作っていくんです。自分は“その人になって書く”という表現のスタイルを取るので、『永遠の仔』だったら虐待された人となる事を徹底してやる。しかも(万浬は)女医なので、医療用語を知っていないわけがない、という状態にまで持って行かないといけない。・・・例えばピンセットを取る「ペン立て」みたいな物があるとしたら、この道具の名称が普通の医療用語には載っていないんですよ。そういうのを調べるんですが、出てこない。これは「セッシ立て」というんですが・・・。そういう細かいところを詰めないとリアリティが保てない。」(天童さん)
「だってすごかったもん、描写が。病院のドアを開けてから・・・主人公の生活とか。」(吾郎)
「ちゃんとスケジュールが・・・ね、休みがいつでいつジムに行って、とか。そういう準備が。」(外山さん)
「ね、気になりますね。」(吾郎)
そこで今回は
「ゴロウ・デラックスさんのために特別に。」(天童さん)
ということで、「ペインレス」の創作ノートを持ってきてくださいました。
もちろんテレビ初公開。天童さん、本当に有難うございます。

「これが(万浬の勤める)ペインクリニックの間取図です。」天童さんがノートを開きました。
「え?間取図?」(吾郎)「え?それも書くんですか?」(外山さん)
まるで家を建てるときの設計図のように精密に書かれています。処置用のベッドや机、従業員のロッカーまできちんと配置されているのです。
「そしてこちらにはクリニックのシフトがあって、誰が勤めていて、その給料も・・・」(天童さん)「えー!」(外山さん)
「クリニックを経営するんですよ。」(天童さん)「院長・・・(笑)」(吾郎)
「何時から何時までやってて、というのは当たり前で、どういう看護師さんたちが働いていてお給料まで…」(外山さん)
「そうすると、クリニックの規模が分かって、彼女がどんなシステムで働いて、休める日も全部分かっていくので、そこで働いている人の名前もある程度の性格も決めていく。」そう言いながら天童さんはノートの別のページを隣に座った外山さんに見せました。
「これは万浬の履歴」(天童さん)「細かーい!」(外山さん)
万浬の年表は一年ごとに起きた出来事がぎっしり書かれています。当然誕生日もあります。
「こんな!えええ!!ここまで?!」吾郎は叫びました。「自分の年表だってここまで覚えてないよ。」
「これ、全部覚えちゃうんですか?」外山さんが訊きました。
「入れちゃうんです。入れちゃって、書く時にはもうその人になってる。自然と(登場人物に)なるところまで自分を追い詰めていく。そうするとプロットを忘れても自然とその人として表現が動いていくんです。登場人物同士が動いていく。」(天童さん)
だから書いていると自然と登場人物のセリフが出てくるそうです。
「自然と出てこなかったら何かがおかしい。なり切れていないから。もっと履歴が足りないか、何かなり切れるものが少ないか。なって書いてるので自然と(セリフが)出てきます。」(天童さん)
「その時は天童さんじゃないんですか?」(外山さん)
「ないですね」と天童さんは即答。天童さんが出てきたら自分が物語を歪めてるのだそうです。
「こんな風になってくれたらもっと簡単に(物語が)一冊で終わるのにな…という時があるんです。それは自分が歪めてるから。万浬や森悟ではなくなっているので。ああ、そっちに行ったら長くなるのにな…と思いながら、それがその人たちなので…。」(天童さん)
吾郎はじっとノートを読んでいましたが顔を上げると、
「全員を演じてるっていうか、なりきってるっていうか。」と言いました。
役者としての吾郎にとってもきっと興味深いお話だったと思います。

なぜ、天童さんはここまで作り込むスタイルになったのか。
それは「永遠の仔」で虐待を受ける子供を描いたのがきっかけでした。
「『永遠の仔』を表現した時に、虐待をされた人々を外側から描いたら、それは自分が小説の為に利用したようになってしまうから、本当のこの人達の涙や辛さやため息の一つ一つを掬い上げていくように書かなければ本当にこの人達の表現にならない。そう思って3年4年と続けて表現したんですね。そうしたら、虐待を受けた方々や虐待でなくても傷を受けた方々から『ありがとう』という感謝のお手紙をたくさん頂いたんです。その時に軸足が決まったんですね。」(天童さん)
「ああ…こういうスタイルで…」(吾郎)
「自分はこういう辛い思いをしている人たちのために表現者になろうと。たくさんの物語を書いて読者に喜びを与えてくださる小説家の方はたくさんいらっしゃるので、それはその方々にお任せして、自分は他にはない物語で喜びを感じたり救いを得たりする方々のために表現する作家でいいじゃないか、と。」(天童さん)
「すごいなあ…作家さんという商売をしているんじゃないですね。アスリートみたいだよね。こうやっとけばいいでしょう、じゃないもんね。」(吾郎)
「すごいとしか言いようがないです、天童さん…」(外山さん)
吾郎も外山さんも天童さんのストイックな姿勢に圧倒されたようでした。吾郎は「アスリート」と表現しましたが私は宗教家か役者に近いのではないかと思いました。

AD山田くんの消しゴムはんこは注射器を手にした天童さん。何となくユーモラスで吾郎もほっこりした笑顔を見せました。

今回特に朗読が良かったです。吾郎の役者の読み方と外山さんのアナウンサーの読み方が森悟と万浬のキャラクターにぴったり合っていたと思いました。久しぶりにドキドキした朗読でした。


拍手ありがとうございます



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GORO | コメント(0) | 2018/07/11 15:16
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