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稲垣吾郎さんとSMAPと新しい地図と。すべてが好きな主婦の日記 【無断転載禁止】

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2018-05-21 (Mon)  11:40

梶芽衣子様が吾郎と語る俳優道と芸能界 (「ゴロウ・デラックス」 5/18)

今回のゴロデラは番組的にも私的にも神回だったと思います。
私は昔から梶芽衣子さんが大好きで心の中では「芽衣子様」と呼んでいます。その梶さんがゲストで、しかも映画やお芝居の話で吾郎とこれだけ盛り上がるとは・・・。生きててよかった!

オープニング。
「今日のゲストは芸歴54年の女優さんで、座右の銘は『媚びない、めげない、挫けない』」(外山さん)
「全く僕にはない・・・媚びるしめげるし挫けるし。でも立ち直るのは早いですけどね。」(吾郎)

そして淡いピンクのスーツに身を包んだ梶芽衣子さんがさっそうと登場しました!
梶さんは「クールビューティ」というジャンルのパイオニアです。1970年、「優等生的な女優はいくらもいる」と自ら非行少女のイメージを打ち立てた映画「野良猫ロック」シリーズでブレイク。1972年「女囚さそり」の大ヒットで「映画界で最も客を呼べる女優」の地位を確立しました。またクエンティン・タランティーノ監督が梶さんのファンで、「キル・ビル」は梶さん主演映画「修羅雪姫」へのオマージュだというのも有名な話です。

課題図書 : 「真実」 梶芽衣子 (文藝春秋)

今回は梶さんが歩んでいらした俳優の道、芸能界の全てを吾郎と語り尽くす、という贅沢な30分です。(そしてすみません、やっぱり以下「芽衣子様」と呼ばせて下さい。)

【俳優として生きていく覚悟】
10代で雑誌モデルを始めた芽衣子様。しかし
「自分でお芝居をしたいとか歌を歌いたいとかで入った芸能界じゃないんです。スカウトされて、やってみなさいと言われて放り込まれた。でいきなり放り込まれたのに『できない分からないは言うな』と言うんです。」(芽衣子様)
「きびしーい!」(吾郎)
「新人であってもギャラをもらってカメラの前に立ったらもうプロだ、と。」(芽衣子様)
「でも教えてくれないんだ。」(吾郎)
「教えてくれない、『見て学べ』だから。」(芽衣子様)
そしてデビューから7年目、23歳の時、婚約者との別れを決意。その時元婚約者から言われた言葉が俳優としての生き方を決めたのだそうです。それは

「誰とも結婚するな」
「死ぬまで仕事を辞めるな」

「凄くないですかこの言葉。だって・・・ちょっとムチャな約束でしょう。」(吾郎)
「結婚して家庭を作って子供を産んで育てるのが夢だったんです。それで勿論婚約して、親同士の同意もあって、一緒にもう住んでましたし、本当に主婦業をやってました。それで私の一番の不幸は『女囚さそり』がヒットしちゃったこと。その映画が当たったのが3月で、すぐに映画会社が『今年のお正月映画はさそりの2作目』と決めてしまった。自分の分からないところでどんどんスケジュールが決まっちゃったわけですよ。」(芽衣子様)「分かります。」(吾郎)
「ヒットしちゃうってこういうことなのか。つまりもう明日から変わるんですね、周りの人間も。何を言ってもOK。『これを言っても通らないだろうな』と思うことでも言うと通っちゃう。」(芽衣子様)
「そんな変わりましたか?」と吾郎は戸惑い気味。「今よりも極端な芸能界というか映画界というか・・・。やったぁ!とは思いますけど。」
「とにかく笑ってる方しか周りにいないし、私の周りにこんなに人がいたっけ?って。変わっちゃった。それで気が付いたら映画会社との2年の契約があって仕事を辞められないことが分かったわけですよ。・・・それで・・・『(結婚を)やめましょう』と・・・。」芽衣子様は最後の言葉をゆっくり噛みしめるように言いました。
「結婚も仕事もする、という選択肢はなかったんですか?」(外山さん)
「『結婚したら仕事を辞めてくれ』が条件だったんです。それで最後に『何かありますか?』と聞いたらこの2つを言われたんです。」(芽衣子様)
「仕事を辞めるな、というのは分かりますけど、誰とも結婚するな、ってどんな思いで・・・まあ怒りではないですよね。」(吾郎)
「なんとも言えないですけど・・・」と芽衣子様は考え込んで「まあ・・・怒りかもね。」としみじみと言いました。

【俳優人生最大の転機】
婚約者との別れの後、約束を違えることなく女優業に邁進。クールなヒロイン役を多く演じましたが、35歳の時3ヶ月間NYに留学。これが芽衣子様の俳優人生最大の転機となりました。ここで吾郎の朗読。

ニューヨークでやはりどうしても観ておきたいのはブロードウェイで上演されている作品の数々です。
そしてその刺激は劇場だけでなく街全体から受けました。
(中略)
昨日まである劇場で主役を演じていた女優さんが、きれいなお花が咲いている植木鉢を抱えて歩いている姿を見かけたこともありました。次のオーディションまでの間、彼女は花売りをしていたのですが、彼女を応援する人たちがこぞってその花を買っていくのです。そうやってステージに立つ俳優たちを支えていて、お互いにそれを誇りに思っている。芸術を愛する心で結びついた人々の姿はとても素敵でした。

芽衣子様は吾郎をじっと見つめながら朗読を聞いていました。
「こういう事もあるんですね。」吾郎は目を輝かせました。
「本当に世界中から凄いアーティストが集まって。レベルも高いし。でも結局オーディションがなければ何も出来ないわけですよ。で生活しなきゃいけないから、例えばブロードウェイの近くのレストランでウェイターをやっている人もいれば、タクシードライバーをやっている人もいるって感じなんです。お食事している時に(ウェイターが)あまりにも動きがスマートでお盆を持つ感じも素敵なわけ。この人絶対只者じゃないなと思って、言葉が分かる方に聞いて頂いたら「僕はブロードウェイの役者です」っておっしゃる。ブロードウェイではいくつも芝居をやっているけど、その人は新しい芝居がかかると自分が出来そうな役を観て勉強してるわけ。それをどうするの?と訊いたら『毎日劇場に電話を入れる』って。『今日どうしてる?○○の役』と電話して『風邪を引いてちょっと調子が・・・』と向こうが言えば『僕が行く、その役できるから。』と。」(芽衣子様)
「代役ってよく聞きますが・・・」(吾郎)
「代役なんて生っちょろいものじゃないの!そのお役が5役できるの。」(芽衣子様)(←役の奪い合いですね。)
「5役ですか?!同時に?」(吾郎)
「できるの。で彼は『僕は今ウェイターをやってる。タクシードライバーもやってる。どれをやっても一流。』って言う。誇り高くて素敵。吾郎ちゃんが今読んでくださったお花の方も、昨日までその劇場で主役をやってた女優さんなの。公演が終わったら次のオーディションまで仕事がないわけじゃない?そうすると自分で植木のお花を作ってその劇場の前で売ってる。そうするとお客様も『あなた昨日までやってたね。あなたの作るお花だからきっと長持ちして素敵だろうから買うわ』ってみんな買っていくわけ。」芽衣子様は夢中で語ります。
「へぇ・・・!」本場ブロードウェイのお話に吾郎は感嘆しています。
「3ヶ月間NYへ行かれる前と後とでは何が変わりましたか?」(外山さん)
「もう、人生観も俳優としての心構えも全て変わりました。」(芽衣子様)「すごい!」(吾郎)
「全て変わった。・・・というのは私たちは人気がずっと持続するなんてあり得ない。落ち込む時もある。」(芽衣子様)「はい」(吾郎)
「だけど、植木を売らなくてもウェイターをやらなくても演じる場所はあるじゃない?自分の心構えで。『どんな役でもやれ』ってもう一人の自分が背中を押してる感じがしまして。ですから日本に帰ってきてから本当に(役を)選ばない、何でもやるようになった。」(芽衣子様)
「じゃあ、行く前だったら断るだろうなという役でも帰ってから受けたんですか?」(外山さん)
「たまたまなんですけど、帰ってから今までやったことがないお役のお話が・・・。それは町のパン屋さんに住み込む子持ちのおばちゃんの役(1982年ドラマ「笑顔泣き顔ふくれ顔」)。言葉もね、台本には無かったんですけど自分なりの東北弁をやっちゃったり。」(芽衣子様)「すごい役作り。」(吾郎)
「それでその時のプロデューサーがおっしゃるには『やっぱり年齢は重ねていきますよね。こういうお役もこなしていかないといけないのでは?』と。そうやって頂いたお役なんです。結果的にそれをやってきたから今があるのかな、と思っているので、もの凄く感謝しています。」(芽衣子様)
「テレビって『この人がこんな事をやったら面白い』とか・・・」(吾郎)
「そう、冒険させるのが好き。」(芽衣子様)
「テレビ人ってそうですね。バラエティもそうですし。皆さんずっとそれを考えていらっしゃるので、僕もそこは断らずにやって。結果『あれやらなきゃよかった、あの役』って一度もないですし。」(吾郎)

すると芽衣子様が突然話題を変えました。
「『十三人の刺客』を拝見してびっくりしました。」(←芽衣子様が観て下さったのが嬉しい!!)
そして芽衣子様の怒濤の質問攻めが始まりました。しかも丁寧に「十三人の刺客」の映像まで。有難いことです。
「最後に斬られちゃうでしょ。あれショックじゃないですか。私たち古い映画人は、例えば日活が大事にしているスターさんの首を斬って殺しちゃうなんてもっての外だったの。」(芽衣子様)
「ああ、そういうもんなんですか。」(吾郎)
「そうなの。どうしてこのお役を受けたのか。」(芽衣子様)
「それ、よく言われます。」(吾郎)
「オファーがあったのか、ご自分で出たかったのか。」(芽衣子様)
「凄い役でしたもんね。」(外山さん)
「そうですね、未だにそう言って頂ける事が多くて、やっぱり自分の役者人生の中でも大きな転機というか、そこから拡がったことも多いので・・・」(吾郎)
「あ、やはりね。」(芽衣子様)
「だから、未だにそう言って頂けることが凄く嬉しいです。」吾郎は思い出すように「・・・当時は三池監督からオファーを頂きまして・・・。」
「あのお役で、って?」(芽衣子様)「そうですね・・・」(吾郎)「へぇーーー!」(芽衣子様)
「というか、最初はそれを聞いていなくて“十三人”の方だと思ってて・・・。」(吾郎)
「あ、なるほど。」(芽衣子様)
「こういうお話だって言われて。まさかそのねぇ、十三人じゃ無くて・・・」(吾郎)
「“十三人”がすっとんでましたね。あなた一人が光ってましたよ。」(芽衣子様)
「あ、いえいえいえ」吾郎は慌てて謙遜しましたが、
「いえいえ、私、お世辞とか媚びるのダメなんで」と芽衣子様に言われ
「こちらに書いてありますね。」と本をカメラの方に向けました。
「本当に感動しましたね。だって難しいじゃないの、あのお役は。」(芽衣子様)
「いやあ、それが申し訳ないくらいに意外とさらっとやらせて頂いたんです。」(吾郎)
「あ、そう!それがスッと入っていけたというのはすごいね。」(芽衣子様)
「そうですね・・・三池監督の存在も凄く大きくて。」(吾郎)
「演技指導とかは?細かい指導とか?」芽衣子様は身を乗り出しています。
「全くしないです。」(吾郎)「ああ、そうなんですか!」(芽衣子様)
「イメージとか抽象的なヒントを与えてくれるんですよ。」(吾郎)
具体的に「こうやってください」とは全く言われなかった、と吾郎。
「だからすごくやりやすくて。そのままが面白いと思って下さったらしくて。」
「じゃあやっぱり、三池さんという監督が普段の吾郎さんを見てて、こういうものを演らせたいああいうものを演らせたいってあったのかな。」(芽衣子様)
「そう、それが凄く大きかったみたいで。僕が時代劇の衣装合わせの時に・・・当たり前なんですけど・・・カツラを合わせて衣装を着た時に『ああ、やっぱりちょんまげなんだな』って言ったんですって。(←ということは、言った本人は覚えてない。)その飄々とした僕の言葉が監督の中で印象的だったらしくて。ちょんまげに決まってるだろう、と思ったらしくて、それが不気味なお殿様に合ってると。浮世離れした感じがアイドルみたいな僕の立場とリンクして見えたのかも知れないですね。」(吾郎)
「だけどイメージ的にちょっとこれマズイんじゃないかとか、どちらかというと敬遠するようなお役じゃないですか。」芽衣子様の質問攻めに吾郎はとうとう笑い出して
「いやでも・・・僕全然考えてなくて、そこまで後になって言われると思ってなかったので・・・。勿論一所懸命やったんですけど、本当にまっさらな状態で現場に・・・」(吾郎)
「すっごく怖かったですよ。」(芽衣子様)
「あと主人公が役所広司さんだったんですけど、凄くリラックスして臨むことが出来たんです。それと市村正親さんの存在が凄く大きくて・・・。包み込んでくれる包容力のある優しいお方じゃないですか。ほんと殿様気分で人を殺めて楽しくやらせてもらった結果、ああなっちゃった(笑)。だから監督ですよね、やっぱりすごいのは。」
自分が良い演技が出来たのは監督や共演者の方々のお陰、と吾郎は謙虚です。でも“楽しく人を殺める”のがあの殿様の本質なので、やっぱり吾郎はきちんと役を掴んで演じていたわけですね。こういう裏話を吾郎から引き出して下さった芽衣子様に感謝です。

【運命の役との出会い】
それは28年間演じたドラマ「鬼平犯科帳」の「おまさ」役でした。
「『鬼平』が始まってオリンピック7回だから。」(芽衣子様)
「まさかオリンピックの単位で・・・」と吾郎は戸惑いましたが、あなたもレギュラー番組をオリンピック5回分やったんですから!
「ある朝新聞を広げたら『中村吉右衛門“鬼平犯科帳”連続ドラマ撮影入る』って出ていたんですよ。『えっ?!』と思って。だってこういう事でもなければ私、あの方と共演できないじゃないですか。歌舞伎の方だから。『それいけ!』と思って『何の役でも良いからやらせて下さい!』ってお願いしたわけ。私、新聞を見たときに『撮影に入る』ってことはもう何話か撮ってるなと思った、そうでしょう?だからレギュラーの役は絶対無理だろうと思ってた。ね?そしたらこの「おまさ」の役は5話目からなのでまだ役者が決まってなかったの。それで頂けたのよ。運命なのよ!」自分の道を自分で切り拓く芽衣子様素敵です。
28年続いた「鬼平犯科帳」は一昨年幕を下ろしました(偶然ですがSMAPの活動期間とほぼ同じですね。)その時の心境を綴った部分を外山さんが朗読。

「鬼平」が終わった時は、自分なりに精一杯やり尽くしたつもりでしたから悔いはなかったものの、「何もなくなっちゃったな」というのが正直な思いでした。どうしても出演したいと自分から懇願し、本当に幸せなことにおまさという素敵な役をいただき、「鬼平」は私にとってすべての中心となっていました。そのおまさになることはもうありません。けれど、私の人生はこれからも続いていくのです。

「・・・ですね」芽衣子様は少し目を潤ませていました。
「ドラマって色々打ち上げとかあって必ず終わりが来るわけだけど、あんなに皆で泣いたドラマも珍しいと思う。」(芽衣子様)
「泣いたんですか。」(吾郎)
「泣きましたね。寂しい、っていうのはありましたね。だから終わってホテルへ帰って(明日から撮影所に行かなくていいんだ)(このホテルの部屋も今日でお別れなんだ)と思うとまた泣けてきちゃったり。で、終わってすぐにある青年が来たんですね。『芽衣子さんにどうしても歌ってもらいたい』って。ロック、って言った時この子気が触れてるんじゃないかと思ったんですね。『あたしにロックって何よ!』って。でもいいんですよ曲が。」
話を持ってきたのは音楽プロデューサーの鈴木慎一郎さんでした。そして
「歌ってて楽しくなっちゃって。今歌が一番楽しい。」と芽衣子様。そして
「吾郎さん、お歌はやめてないんでしょ?」とズバリと切り込みました。
「もちろんもちろん」と吾郎が即答すると(←ここ大事ですね!)
「絶対続けてね!」と芽衣子様。その迫力に吾郎は一瞬圧倒されたように見えました。
「私ね、この間ライブをやって、これ以上元気をもらえるものはないと思った。」と芽衣子様のテンションは更に上がります。
「そうですね、ライブって僕らが元気を与えてるつもりでもらってますもん。」と吾郎も同意しました。「そう思った?」「いつも思ってますよ。」
「私もそう思ったの。」(芽衣子様)
「あんなに疲れることをやってるのに全然疲れない。」(吾郎)「ね!」(芽衣子様)
「続けて下さいよ。」(吾郎)「頑張りたいと思います。」(芽衣子様)
「あと、ライブでトークコーナーを設けて下さい。こうやってお話しするコーナーを、MCを一時間くらい。」(吾郎)
「それじゃさだまさしさんになっちゃうじゃない。」(芽衣子様)
「ロックに合ってます、お話が。」(吾郎)
「ほんと?それ嬉しい。」(芽衣子様)
ライブの楽しさを語り合う芽衣子様と吾郎。吾郎もまたライブをやって欲しいなあ・・・5人で。

エンディング。AD山田くんの消しゴムハンコは「歌う梶芽衣子さん」。芽衣子様は「素敵素敵」と喜んで「それが職業ですか?」と訊きました。「はい」と答えてしまった山田くんですがそれでいいの?山田くんも歌ってるでしょ?(笑)

「十三人の刺客」を褒めて下さったこと、「歌を絶対続けてね!」とおっしゃって下さったこと、本当に嬉しかったです。芽衣子様ありがとうございます。今回芽衣子様の力強い声と話し方に改めて惚れました。「お役」「お歌」という言葉遣いも上品で素敵です。
媚びない めげない 挫けない・・・心に刻みます。


拍手ありがとうございます
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最終更新日 : 2018-05-21

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