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Walking with GORO

稲垣吾郎さんとSMAPと新しい地図と。すべてが好きな主婦の日記 【無断転載禁止】

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2017-11-14 (Tue)  12:25

ドラえもんのポケットの中 (「ゴロウ・デラックス」 11/3、11/10)

「72時間ホンネテレビ」の余韻に浸っていたらすっかり周回遅れになったので、むぎわらしんたろうさんの回を2周分まとめてこちらに上げます。

【前編・11/3】
今回もロケです。
「今日はテンション高いですよ。」(吾郎)
「高いですよ!だってドラえもんですもの。大好き!」外山さんの声のトーンも高めです。
「ドラえもんの世界にやって参りました。」(吾郎)
「タケコプターで飛べそうですよ。」と外山さんは吾郎の頭を指さしました。そう、吾郎も外山さんも頭にタケコプターをつけています。そして二人の傍らにはドラえもんが。
「これ実物大ですよ。129cm。意外と大きいね。」(吾郎)
「ドラえもん、助けてくれよぉ。」外山さんはドラえもんに抱きつきました。のび太くんの声まねが似ています。
「さて今夜のゲストをお呼びしましょう。」と外山さんが言うと、見覚えのある土管の後ろから一人の男性が現れました。」
「のび太くんの将来みたいですね。」(吾郎)「よく言われます(笑)」(むぎわらさん)
眼鏡をかけた実直そうな感じの方です。

漫画家むぎわらしんたろうさんは、「ドラえもん」の生みの親藤子・F・不二雄先生の最後のお弟子さんです。F先生は1996年に亡くなりましたが、その後もドラえもんの新作は続々と誕生しています。そこにはF先生の意志を継いだむぎわら先生の存在があるそうです。
今回は川崎市の藤子・F・不二雄ミュージアムを訪ね、長年アシスタントを務めたむぎわら先生から見たF先生の素顔やドラえもんの秘密を伺います。
F先生の漫画家人生は45年、その間に発表された作品は330作。「F先生の漫画を通らずに大人になった人はいない。」とまで言われるほどです。
最初の原画コーナーから吾郎と外山さんのテンションはハイに。「パーマン」の主題歌を口ずさんで盛り上がります。
「パーマンって1967年って結構前だったんだ。アニメ化されたのが80年代ってこと?」という吾郎に「何度かTV化されているんです。」と説明するむぎわら先生。
(因みに私は第1期パーマン世代です…。)
さらにドラえもんのコーナーへ。「ドラえもんの感じが…」(外山さん)「初期のだと違いますよね。」(むぎわら先生)と話している横で吾郎は身を乗り出して原画に見入っています。「懐かしいなあ、と思って。」
むぎわら先生がF先生のアシスタントになったのは「ドラえもん」連載開始から19年目の1988年。最初は背景などを担当していたそうです。ここで原画を見ながら「ドラえもん」の制作方法についてむぎわら先生が説明してくださいました。
「ドラえもんに縦線が入っていますが、これは定規で1本1本手描きしていくんです。そしてドラえもんはコマによって大きくなったり小さくなったりするので、その大きさに合わせて縦線を引かなきゃいけない。」大変細かい作業ですね。
「ドラえもんってなんで青いんだろうね。」(吾郎)
「なんか青くなっちゃった、っていいますよね。ネズミに噛まれて…。」(外山さん)
「詳しいね。耳が無くなっちゃったんでしょ。」(吾郎)
「で、『ひぇーっ』と言って青くなっちゃった。」(外山さん)「詳しいね。」(吾郎)
「だって大好きですもん、ドラえもん。」
外山さんはご機嫌で展示品を見ています。
「こういう着色は、僕らが小学校で使っていた絵の具で全部…。水彩絵の具を使ってます。」とむぎわら先生。「絵の具って珍しいんですか?」と吾郎が訊くと
「そうですね。今だったらだいたいパソコンで、デジタル作業で。」
さらに進むとガラスケースの中にF先生の絵の道具が展示してありました。
「これ、普通に僕らが使っていた絵の具とほぼ同じものですね。」と吾郎が言うとおり、絵の具は「コープカラー」という普通のもの。
「あの水色がドラえもんの体の色です。のび太とか人物の肌色は朱色を薄く塗って。」(むぎわら先生)
「色も今ほどなかったわけじゃない?今なら機械でいくらでも作れるけど。これだけの水彩絵の具だよ。」吾郎はそこにも感動したようです。

課題図書:「ドラえもん物語 -藤子・F・不二雄先生の背中- 」 むぎわらしんたろう

最後の弟子が綴る藤子・F・不二雄先生との知られざるエピソード、そしてドラえもんのヒミツも書かれている本です。
まずむぎわらさんがF先生のアシスタントになったきっかけの部分を、ミュージアムの中で朗読。むぎわらさん役が吾郎、F先生役はむぎわら先生です。
「あれ、F先生役ですか?」(吾郎)「はい、頼まれて断れなかったです。」(むぎわら先生)
子供の頃からドラえもんが大好きで「漫画家になる!」と決意したむぎわら少年。19歳の時「秋風の贈り物」が藤子不二雄賞の佳作に選ばれ、1987年12月の授賞式で憧れのF先生との対面を果たしました。そしてその数日後…
「藤子先生がコンビを解消する」というニュースに動揺するむぎわら青年。藤子先生を目標に頑張ってきたのに…。専門学校の課題にも身が入りません。そこへ1本の電話が。

「コロコロ編集長平山です。きみ、藤本先生のアシスタントをやってみないか!!」
「え?!ちょっと待ってください、藤本先生って藤子・F・不二雄先生のことですか?」
「そうだ!!ドラえもんの藤子F先生だ!!」
「し、しかし通っている専門学校があと1年残っていて…。」
実戦のほうが力になる!!とりあえず藤子プロへ面接に行こう!!
コンビを解消し独立した藤子F先生は、新事務所「藤子プロ」を設立したばかりでした。
(あっという間に連れてこられちゃったけど…。いったいどうしたらいいんだ…。)
(やっぱり卒業してからもう一度お話を…。)
そこへ現れたのは
「お待たせしました。」
「ふ、藤本先生!!」
「かれがこの間、藤子賞を受賞したむぎわらくんです。」
「わざわざありがとうございます。」「ごらんのとおり、この会社、藤子プロはできたばかりで…、社員もいないのです。」
「は、はい…。」
「そんな中で今月、学年誌のドラえもんを10ページ描かなくてはなりません。」
ここでF先生はニッコリ笑って
「手伝っていただけますか?」
「は、はい!!がんばります!!」
この一言で運命が決まった…。
(神様のような人から「手伝って」と言われたら…断れるわけないじゃないか…。)
その日のうちに専門学校に退学届を出しました。
1988年4月、藤子プロ入社!
「よし、先生のために!!今日から一生懸命働くぞ!!」


「これ、初心者にしてはセリフ量が多かったんじゃないですか?」と吾郎が言うとむぎわら先生は思わず苦笑いしました。
「『そんな中で今月、学年誌にドラえもんを10ページ描かなくてはなりません』とか。」
「でもまさにこの通り言われたんですよ。鮮明に覚えてるんですよ。」(むぎわら先生)
「初めて先生が扉を開けて入ってきた姿とか、はっきり覚えてますか?」(吾郎)
「はい。黒のタートルネックで。その通りのものを描かせていただきました。」(むぎわら先生)
この漫画には当時の藤子プロの間取りも詳しく描かれています。
「本当にマンションの一室で。先生の聴く大音量の音楽が僕らの机にまで届いてた。」(むぎわら先生)
「時に落語も。」(外山さん)
「いきなり落語に変わったりするんですよ。落語を聞きながらよく漫画を描けるな、と(笑)。」(むぎわら先生)
「ドラえもん物語」にも登場するF先生の机もミュージアムには展示されています。机の脇には棚が置かれ、その上にはWラジカセ、棚の中にはカセットテープがずらり。「ドラえもん」を執筆した机にはF先生の遊び心が現れています。スタンドの笠には小さなのび太がぶら下がっています。「仕事の合間に自分で描いてくっつけていました。」とむぎわら先生。机の上には恐竜のフィギュアがたくさん置かれていて、F先生の恐竜好きが分かります。さらには本物の恐竜の骨も!
机の上には昆虫図鑑もあります。「見ながら描いていらっしゃったんですか?」(外山さん)
「そうですね。『ウソのものは描いて欲しくない』という気持ちがあったので。トンボ一つ描くとしても図鑑で見て…。」(むぎわら先生)
「ファンタジーの世界だからこそリアリティが大切なんでしょうね。」(吾郎)
机の脇にはゴミ箱もあって、中には紙が捨ててあります。
「ゴミ箱の中まで再現しようと言うことで。先生が失敗した原稿とか惜しげもなく破り捨てていたのでこっそりと持ち帰って喜んでましたけど。僕にとってはお宝なので。」とむぎわら先生は楽しそうに話しましたが、
「シュレッダーとか使ってなかったんですね。」と吾郎。確かに今ならシュレッダーにかけてしまうかも知れませんね。

F先生の机の上は吹き抜けになっていて、その壁4面にはぎっしりと蔵書が収められています。F先生は漫画を描くに当たって細かいことまで調べる大変な読書家だったそうです。
また、毎年12月1日にはスタッフからF先生にお誕生日プレゼントを贈るのが恒例で、ある年むぎわら先生がくす玉を作ったのですが、ひもを引いてもくす玉が割れず、F先生の顔を直撃したことがありました。実際のその瞬間の写真を見せていただいたのですが
「痛かったはずですよ。」と吾郎に指摘されむぎわら先生は恐縮していました。

F先生の作品を自由に読めるまんがコーナーへ移動して、むぎわら先生がアシスタントとしてどんなお仕事をしていたのかを伺いました。
「むぎわら先生が初めてお描きになったコマって覚えてますか?」(吾郎)
するとむぎわら先生は子供用のベンチの下から大全集をすっと取り出してページをめくりました。「入り込みミラー」(1988年)という作品で初めて背景を担当したのです。
「これは入社してどれ位で?」(外山さん)
「その月に。」(むぎわら先生)
「教えてくれる先輩とかいるんですか?」(吾郎)
「そんなに細かくは教えてもらえなかったです。やっぱり過去に描いた作品を見ながら…同じような背景を探して。」(むぎわら先生)
むぎわら先生が自分の仕事用に作った背景専用のスクラップブックを見せていただきました。
例えば野比家の塀のブロックは6段とか、のび太の部屋は何となく2階で押入れが右側にあってとか。その他しずかちゃんの部屋や剛田雑貨店など、主要な場面ごとに分類されスクラップされています。これを見ると背景が正確に描けるというわけです。
「時代によって変わった物とかあるんですか?」(外山さん)
「そうですね。プッシュホンの電話になったりとか。」(むぎわら先生)
「どういうタイミングで変えるんですか?」(外山さん)
「自分の家の電話が変わったという事で。」(むぎわら先生)
「じゃあ、F先生のご自宅の電話が変わると野比家の電話も変わる。」(吾郎)
「そうですね。その辺のことは先生も時代とともに気にし出して。」(むぎわら先生)
「ないとおかしい、ってなっちゃうもんね。」(吾郎)
「吾郎さん、好きな道具って何ですか?」外山さんが訊きました。
「道具?なんだろうね…やっぱりタイムマシンが一番高そうじゃん。」吾郎の答えにむぎわら先生もスタッフも笑いました。
「大人の意見ですね。」と外山さんがフォロー。
「シンプルにタケコプターもいいかも。あの高さからって見られないじゃない?飛行機の高さからとかになっちゃうから。」(吾郎)
「結構怖いと思いますよ。」と今度はむぎわら先生が大人の意見を述べました。
「タケコプターはまあまあ故障しますしね。」吾郎も笑いました。

映画の原作「大長編ドラえもん」はコロコロコミックで連載。現在ミュージアムでは映画原作の原画展も開かれているそうです。
(「ドラえもんxコロコロコミック40周年展」は2018年1月15日まで開催)
そこで3人は「大長編ドラえもん」の原画も拝見。1980年連載開始の第1作「のび太の恐竜」の原画を吾郎は懐かしそうに見ました。
「きちゃだめ!!ぼくらがなんのためにここまでつれてきたと思うんだ。」とセリフを読み「感動するところだよね。」と悦に入る吾郎。それを見た外山さんは
「ドラえもんを演ったら吾郎さんはのび太くんですね。」と言いました。吾郎はちょっと天井を仰いで
「スネ夫でもないか…。僕はずっとそう思ってたよ。ジャイアンにはなれないし、出木杉くんでもない。自分では何にもできないし。」
「のび太くん…」外山さんがしみじみと言いました。
「褒められてるのかな…」(吾郎)「褒めてますよ」(外山さん)「しずかちゃんと結婚できる」(吾郎)「そうそう」(外山さん)
二人は淡々と話しながら原画を見ていましたが、突然吾郎が
「出たー!」と声を上げました。
「のび太の大魔境。これ映画を見に行きましたよ、僕。」
大長編3作目の「のび太の大魔境」は1981年連載開始。アフリカの奥地で独自の進化を遂げた犬の王国でのび太たちが大冒険を繰り広げる物語です。
「最後ジャイアンが優しく…」(吾郎)「そのシーンがそこに」(むぎわら先生)
ジャイアンが涙ぐむコマには吾郎の思い入れがあるようです。すると
「ここに、僕が中学生の時にポスター画コンクールに応募して入選した作品もあるんです。」とむぎわら先生が遠慮がちに言いました。
「ほんとだ、ここに書いてある…13歳。めちゃくちゃうまいじゃないですか!これ13歳が描いたの?」(吾郎)
「ありがとうございます」(むぎわら先生)
「それは描くよね。ドラえもんを受け継いで。」(吾郎)「なるべくしてなったんですよね。」(外山さん)
「ドラえもんの後継者として、むぎわら先生…。認めます!」(吾郎)
「ありがとうございます」むぎわら先生は深々とお辞儀をしました。

「ねじまき都市(シティー)冒険記」の連載途中でF先生は亡くなったのですが、どうして作品は完成できたのか?その秘密は次回で。

【後編・11/10】
今回はドラえもんの秘密とF先生の最期について伺います。

むぎわら先生は「のび太の日本誕生」(1988年)にアシスタントとして初参加、背景などを担当しました。
「アシスタントの方が自由に描いていい部分は?」(吾郎)
「キャラクターの洋服とかはこちらにお任せでやってました。」とむぎわら先生。ただし
「あんまり細かい服に決めちゃうと、締め切り間際になって『誰が決めたんだ!』って事になっちゃいますけどね(笑)」
1994年、むぎわら先生はチーフアシスタントに。任される仕事も増えたのですが、1995年の「のび太の銀河超特急」では…
「『宇宙船を任せます』と先生に言われてこれを描いたんですけれども、先生本人が気に入らなかったみたいで。」
「自由に描いていいって言ったのに。」(吾郎)
「はい。ご自分で描いてこられて、結局これになりました。」(むぎわら先生)
「全然違うじゃないですか。」(外山さん)
連載時にはむぎわら先生の絵が使われましたが、単行本になる時にはF先生の絵になったそうです。
「自分の方がいいと思いませんか?」(吾郎)
「いや全然F先生の方が。」そう言いながらむぎわら先生が俯いたので、スタッフからも笑い声が上がりました。
「絵に対しては厳しかったですか?」(吾郎)
「自分の好きなものに対しては。恐竜とかはディテールにすごくこだわってほしかったらしくて。僕が下書きを描いていたら『その辺からは手は生えていない』と指摘を受けて。『そこに関節があるはずだ』と。」(むぎわら先生)
「恐竜だけ見ると、ドラえもんの世界観の割には…というと失礼だけど、ここだけ劇画っぽくない?」(吾郎)「リアルですね。」(外山さん)
「リアルすぎない?それがこだわりだったのかな。」(吾郎)

先週に引き続き今週も
課題図書 : 「ドラえもん物語 -藤子・F・不二雄先生の背中-」 むぎわらしんたろう

1996年、むぎわら先生の元に届いたF先生突然の訃報。原作者が亡くなったにもかかわらず「のび太のねじ巻き都市冒険記」はなぜ完結することができたのか?
キャラクターまではF先生がペン入れをし、その他の背景は先生の下絵を基にアシスタントが描く、というのが普段のスタイルでした。しかし晩年のF先生は体調を崩し、仕事場ではなく自宅で執筆していました。
1996年に連載が始まった「のび太のねじ巻き都市冒険記」でF先生から届いたのは表紙を含む冒頭のカラーページ4枚。しかし後は下絵だけだったのです。そして
「ペンも入れて下さい」
というのがF先生の指示でした。
ここで今回は特別に、むぎわら先生がF先生から受け取った原稿の下絵を見せていただきました。コマの中の大まかな絵と余白に細かく書かれた指示を基にむぎわら先生は漫画を完成させていきました。ドラえもんやその他のキャラクターも、いつもならF先生がペンを入れていたのですが、今回はむぎわら先生が描いたのです。
「大変なプレッシャーじゃないですか?訳が違うよね、キャラクターを描けと言われると。」吾郎がそう言うとむぎわら先生は唇をキリッと結んで頷きました。
「ちゃんと描いて欲しいところは密に入れてあるんですが、よく出てくるところは結構簡単な下絵だけ。」(むぎわら先生)
「だってほら、このジャングルの中で佇む男性なんて…。」(吾郎)
人らしき形と「シーン」という擬音しか描いてありません。
「まったくこの辺は、人がなんとなくいる、って感じだけですもんね。」(外山さん)それをむぎわら先生は、うっそうとしたジャングルの中で男性が佇む絵に仕上げました。
「今までやってきたんだからこれだけで描けるでしょう、と…。これ実際にペンを入れてみて先生の反応はどうでしたか?」(吾郎)
「描き終わってF先生にコピーを渡すんですけど、普段原稿を描いて見せてもただ『ありがとうございます』という返事しか返ってこなかったんですけど、そのコピーに”今後のドラえもんをもっとこうして欲しい”という事がいっぱい書かれていて。」(むぎわら先生)
「普段口数の少ないF先生がその思いを…。それがこちらですね。」(吾郎)
F先生から届いたのはびっしりと指摘の入った原稿、そしてスタッフに宛てた手紙でした。ここで吾郎がその手紙を朗読。

藤子プロスタッフの皆さんへ
毎日ごくろうさまです。今回は特に大変だったと思います。深く感謝しております。
感謝しながらこんなことを言うのは申し訳ないのですが、欲が出たと言いますか。この機会に徹底的に僕の理想像を聞いて欲しいと思うのです。
言いたいことはコピーへの書き込みを見れば解って貰えるでしょう。
欠点ばかり指摘した結果になりましたが、今後少しづつでも理想像に近づいていけばと思います。
総集編。単行本化。二度の機会にできる範囲で改訂して下さい。
漫画家がベテランになると絵やアイディア創りのコツが解ってきます。
この時が一番の危機なのです。ついつい楽に仕事しようとする。こうなるとあっという間にマンネリの坂を転げ落ちることになります。
自戒の意味も込めて言うのですが、漫画は一作一作、初心にかえって苦しんだり悩んだりしながら描くものです。お互いガンバりましょう。
「藤子プロ作品は藤子本人が書かなくなってからグッと質が上がった」と言われたら嬉しいのですが。
藤子・F・不二雄

むぎわら先生は吾郎の朗読を一言一言噛みしめるように聴いていました。これはF先生の遺言ですよね。
「きっと今までこういうことはスタッフの皆さんに言葉では伝えていなかったんでしょうね。」と吾郎も言いました。でもむぎわら先生は
「なぜこんなこと言うんだろう。」と思ったそうです。
「託されるのは嬉しいけど、ずっとF先生に描いていてもらいたいから、なんでこんなこと言うの?って気持ちに…。」吾郎がそう言うとむぎわら先生は深く頷きました。
「でも嬉しい言葉ですよね。喝を入れてくれる…。」吾郎が優しく言うと
「OBの描いてきたドラえもんの世界観をそのままなぞるように背景を描いてきたので、先生は『のび太はだらしない性格なのでもっとおもちゃが散らばってて欲しい』と。そういったことをすべてこの紙に書き込んできたんです。」とむぎわら先生。

先生からの指摘が書き込まれた実際の原稿のコピーも見せていただきました。
原稿の余白には描写の指摘がびっしり。中には「座布団は2枚あります」という書き込みも。
「細かいっちゃ細かいんだけど、大切なんだろうね。こういう細部ってストーリーを追ってる時は感じるだけじゃん。いちいち見ないじゃん、あ、ここにアイスが落っこってる、なんて。でも、何となく入ってくる情報って大切なんだろうね。」(吾郎)
「字で書かなくてもキャラクターの性格が表せる、ということを言いたかったのだと思います。」(むぎわら先生)
F先生の指摘を踏まえて第2回もむぎわら先生がペン入れをしました。
「で、その時の反応はどうだったんですか?先生の。」(吾郎)
「それ以降は『申し分ない』と…許してくれた感じでした。」(むぎわら先生)
「本当の意味で認められた…。」(吾郎)
「F先生は『これだけ描けるのならもっといろいろまかせればよかったよ』って。1回目に指摘を受けたことを思い出しながら2回目を描いてそれを先生のところに持って行った後の言葉ですよね、これ。」(外山さん)
「はい。」(むぎわら先生)
「でもそれが、F先生から頂いた最後の言葉になったわけですね。」(吾郎)
連載第2回が完成した直後の1996年9月23日、藤子・F・不二雄先生は62歳で亡くなったのです。
「のび太のねじ巻き都市冒険記」は未完で終わってしまう、誰もがそう思ったのですが…。
ここで課題図書からの朗読。
先生のご葬儀から1週間後、先生のお嬢さんから藤子プロへ電話がかかってきました。

「父の机の上になにか描いてある原稿があるんです…。まだ誰も手をつけていないので、ちょっと見に来ていただけますか?」


むぎわら先生はF先生のご自宅に駆けつけました。F先生は仕事机で意識が無くなり帰らぬ人になったのです。そしてその机の上には原稿が…。

「私たちにはよくわからないから、どうぞ手に取って見てあげて。」
「こ、これ、ボクわかります!!『ねじ巻き都市冒険記』第3回目の下絵ラフです!!こ、これ、最初のページだけでなく…、第3回目の下絵ラフが全ページ入っています!!」
先生は意識が無くなる直前まで筆を握り、この原稿を描き上げたのです!!
その迫力に鳥肌が立ちました。


「…ほんとドラマみたいな話だね。」(吾郎)
「いやあ、これを見た時は?」(外山さん)
「本当に鳥肌が立ちましたね。」(むぎわら先生)
「机の上に一番上のページが見えていて、お嬢さんもご家族も机の上に手を触れていない状態だったんです。それで僕が行って『どうぞ触って下さい』と言われて原稿を出した時に全ページ下絵が入っていまして。」(むぎわら先生)
「すごい…。」(外山さん)
「びっくりしましたけど。」(むぎわら先生)
「で、先生の机に遺されていた第3話の原稿とアイディアノートを見せて頂けるということで。」(外山さん)
「それもあるの?凄くない?全国放送じゃない?今夜」(吾郎←そう、全国放送にしなくちゃもったいない!)

そしてF先生の最後の原稿とアイディアノートを、むぎわら先生が完成させた「のび太のねじ巻き都市冒険記」と付き合わせながら見せて頂きました。が…
「全然解らないよ、これ。」と吾郎が言うのも無理はありません。原稿にはうっすらとした線で大まかな形が描いてあるだけです。
「これで(F先生が)何をお描きになりたかったのか解るんですか?」(外山さん)
「そうですね、だいたい。」とむぎわら先生が冷静に言ったので吾郎も外山さんもビックリ。
「字は何となく…」(吾郎)「字はうっすらと…」(外山さん)「字は何となく解るので、こちらのアイディアノートと照らし合わせながら作っていきました。」(むぎわら先生)
「えー?!こちらの方がもっと解らないよ、普通の人は。」と吾郎はさらに驚きました。
原稿にうっすらと描かれた形と似たものがあるかアイディアノートの中を探してロケットだと判断し、むぎわら先生はロケットを描き上げました。
「ここに『すぐに出』って書いてある。こっちには『本物』って…。」(吾郎)これはのび太達の吹き出しのセリフでした。
「大体話の流れで…」(むぎわら先生)「すごーい!」(外山さん)
「それから、ここはスモールランプで照らしているんです。」(むぎわら先生)「どうして解るんですか?」(外山さん)「ここに『ピカ』って。」
むぎわら先生に説明されてよく見ると原稿に辛うじて『ピカ』らしき字が見えます。
「感動的ですね。F先生が伝えようとしたことが全部解るって凄い。」(外山さん)
「これ番組でちゃんと伝えなきゃだめだよ。」(吾郎)
でも中にはむぎわら先生が作った部分もあるとか。
「F先生も見せるために描いてないよね。『これを解読しろよ、むぎわらくん』とは思ってないよね。」吾郎がちょっと先生っぽい口調で言ったのでむぎわら先生も笑いました。
「心に寄り添っていくことって事ですよね、先生の。これ見ただけじゃ解らないもん。視覚的なものだけじゃないよね。」と吾郎はしみじみと言いましたが、突然
「分かった!何で分かったか。」と大声を出しました。
「何ですか急に。」(外山さん)
「あそこだ、あのゴミ箱だ!」と吾郎はF先生の机の脇のゴミ箱を指さしました。
「いつもこれくらいの状態の原稿を持って帰ってたんだ!」(だからF先生の原稿が解読できた、という意味ですね。)
「金田一さんみたいになってますが大丈夫ですか?(笑)」(外山さん)
「いえいえ…いっぱい拾いましたんで。」とむぎわら先生は苦笑していました。

AD山田くんの消しゴムはんこはF先生とむぎわら先生が微笑んで並んでいるデザイン。とても温かみがありました。
今回はみんなが知っているドラえもんの知られざるエピソードやF先生のお人柄を知ることができて良かったです。
むぎわら先生ありがとうございました。


拍手ありがとうございます
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最終更新日 : 2017-11-14

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