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Walking with GORO

稲垣吾郎さんとSMAPと新しい地図と。すべてが好きな主婦の日記 【無断転載禁止】

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2017-10-24 (Tue)  08:47

零から999へ (「ゴロウ・デラックス」 10/20)

夜のロケです。そしていきなり
「普通逆ですよね。」と顔を見合わせる吾郎と外山さん。
何と吾郎がメーテル、外山さんが鉄郎のコスプレです!
「でもよく似合ってますよ。」(外山さん)
「延々とこういう事やってるからね…。でも久々でこういう女装嬉しいわ♡」(吾郎)
ということで今回は伝説の漫画家シリーズ第5弾、松本零士さんです。

課題図書 : 「零次元マンガの描き方 松本零士」 松本零士

松本零士さんといえば、「銀河鉄道999」「キャプテンハーロック」「宇宙戦艦ヤマト」などの名作で知られる日本SF漫画界の大巨匠。2012年にはフランス芸術文化勲章を受賞し、その作品はフランス語をはじめ6か国語に翻訳されて世界中で高く評価されています。

吾郎と外山さんはは松本先生のご自宅兼仕事場の「零時社」に伺いました。ここは松本作品にも通じるこだわりのものが沢山詰まった場所でもあります。
吾郎と外山さんが門を入るとすぐに鉄道の大きな車輪が置かれていました。
「これは999じゃないですか?」と早速テンションが上がる吾郎。そこへ
「こんにちは。よろしくお願いします。」と松本零士先生が声をかけて出迎えて下さいました。
「メーテルです」「鉄郎です」と吾郎と外山さんは挨拶しましたが先生は特にそれには触れず真っすぐ車輪を指さして
「これはですね、私は蒸気機関車に乗って上京したんです。これはデゴイチ、D51の主輪です。」(松本先生)
「じゃ、上京の思い出の」(吾郎)
「そうです、これにピストンが付く。」(松本先生)
「こんな大きいんですね。」(外山さん)見た感じ外山さんの身長より大きいです。
「そう、日本の蒸気機関車の中では一番大きい車輪。この場所にしか置けない、重すぎて。」(松本先生)
さらに先生は二人に見せたいものがあると言って、先に立って歩き出しました。それに続きながら吾郎は
「先生は僕たちのメーテルと鉄郎に関しては何も触れて頂けない…」と外山さんに言いました。
「先生、メーテルなんですけど」と外山さんが訴えましたが先生は振り向きもせず「そうですね」の一言で片づけてしまいました。それよりも見せたいものがあるようです。
3人がやってきたのは車庫。電動シャッターを開けると見事なクラシック・カーが現れました。松本先生のこだわりの愛車、1960年代のモーガン。しかも輸入第1号とか。ナンバーはもちろん「999」です。
「(輸入)第1号が先生として、2号、3号は?」(吾郎)
「2号は石原慎太郎さんが持っていらしたし…。これで走り回っておりました。」(松本先生)日本に数台しかない貴重な車を見せて頂いて吾郎も外山さんも感激です。

そしていよいよご自宅の中へお邪魔するのですがその玄関ドアにもこだわりが。ドアにいくつかの丸窓が縦に付いているのですが、よく見ると映画フィルムのリールなのです。これは松本先生自身の設計だそうで「かわいい」と吾郎。
そのドアを開けて中に入るとすぐ、なぜか飛行機の椅子が置いてあります。「(飛行機が)禁煙になったので(椅子が)取り換えになって叩き売られた。」(松本先生)
「なるほど、前のは灰皿が付いてますもんね。」(吾郎)「広いですね。」(外山さん)
これはビジネスクラスのシートで、編集者が待ち時間にくつろげるよう玄関に置いてあるのだそうです。吾郎と外山さんは座ってみました。
「座り心地いいですね。」(吾郎)「ひろーい♪」(外山さん)と二人は喜びましたが、次の瞬間吾郎は隣のサイドテーブルに目を止めました。
「こちらに旧日本陸軍と海軍の戦闘機が。」
「そうですね、私の父親が乗っていたものですから。陸軍の戦闘機隊です。」(松本先生)
「じゃあこれは隼と飛燕ですね。」と吾郎はすかさず言い、松本先生とごく自然に旧日本軍の戦闘機の話をしていました(話が早すぎて私には何のことかわかりませんでしたが。)ついには
「一式陸攻、僕もプラモデルで作りましたよ!」と立ち上がり、カメラに背を向けて戦闘機模型に見入ってしまいました。そこへ入った字幕が
ロケを忘れた43歳”(←やっぱり言われちゃった)
「そしてなぜかシカも」飛行機模型の隣にあるシカのはく製に外山さんが気付きました。
「これはキリンカモシカ。アフリカのケニアのサバンナで私が仕留めて肉は食べてしまいました。ではく製にして持って帰ったんです。」(松本先生)
「え?先生が?!」(外山さん)
「ライオンと決闘したかったんですが残念ながらライオンと決闘できなくてキリンカモシカを食べちゃった。」(松本先生)
「ライオンじゃなくて良かったですよ」飛行機模型を夢中になって見ていた吾郎が向き直って言いました。

続いて応接間へ。ここには古代生物の化石や先生の大好きな銃やフィギュア、大量の漫画などが積まれています。最初に目に留まったのは時計のコレクション。
「この2つは私がデザインした『メーテルモデル』と『フロム・ザ・ムーン・トゥ・マーズ』。今実際に宇宙飛行士がこの時計をつけて飛んでます。」松本先生は大の時計好きなのですが、それが高じてスイスの名門時計会社オメガから宇宙飛行士用の時計デザインも依頼されたのです。
メーテルモデルは文字盤の裏にメーテルの顔が刻まれています。
「山崎直子さんはこれをつけてました。」と松本先生。
フロム・ザ・ムーン・トゥ・マーズは地球と月と火星が文字盤にデザインされたもの。これが宇宙に行っていると思うとテンションが上がりますね。
さらに外山さんが発見したのが大量の漫画。
「これは小学生の時に描いた漫画。」と松本先生は茶色く変色した雑誌を取り上げました。「へぇー、取ってあるんですね!」と外山さんは感心しました。
これらを小学3,4年生の頃に描いたというから驚きです。
「学級文庫の為に描いた。恐竜とかが好きだったのでそれを描いたわけです。で、ほら見て下さい、もう今のロケットを描いてるわけですよ。まだロケットがない時に。」(松本先生)
「すごーい!」(外山さん)「だって1949年だよ。」(吾郎)
「先生これは?」外山さんは漫画の山に埋もれている機械に気付いて訊きました。
「これはあのー、五段マルチ撮影台といいましてね、セル板を入れてアニメーションを作るときに使うんです。手作りです、下宿で作ったんですよ。」
「先生が作ったんですか?!」(外山さん)
「そうです」と先生がこともなげに言ったので外山さんと吾郎は驚きました。
ディズニー映画が大好きだった松本先生は、日本にまだアニメ制作用の装置がない頃、アメリカの本に載っていた写真を基に自作してしまったのです。
「で、なにか逮捕されそうになった事があると伺いましたが。」(外山さん)
「それはね、古道具屋で映写機やフィルムや(を買って)撮影台を使って(アニメ制作を)やってるでしょう?そしたら古道具屋でフィルムを買って、上映して金を取ってたヤツがいたらしいんです。その一味だと思われて、私と手塚(治虫)さんと石ノ森(章太郎)氏、自称日本三大アニメマニアが3人同時に同じ日に家宅捜索を受けたんです。」(松本先生)「えー!」(吾郎)松本先生が23歳の時でした。
「『何の為にフィルムを買うの?』と聞かれて『漫画映画を作る研究用であります』と言ったら刑事さんが『研究用?研究用かあ。それならいいや。頑張ってくれよ。』と背中をバーンを叩いて本当に励まして帰してくれた。窓から『頑張れよー』と。3人ともそうだった。これが日本三大アニメマニア芋づる事件というんですけど(笑)。」(松本先生)
アニメ制作にはいろいろな苦労があったのですね。しかし、「自称」はいらないと思いますよ、世界が認めるアニメマニアですから!そしてその苦労が歴史的名作の誕生に役立ちました。
「手塚さんの『鉄腕アトム』ね。あの第1話の編集は私の映写機でやったんです。手塚さんからいきなり電話があって『助けてくれ』って。『映写機が壊れて編集ができない。明日が試写会だ。』と。その頃は虫プロが富士見台にあったので、そこに自分の映写機を持って行って編集した。」(松本先生)
「それを先生が手助けしなければ『アトム』の1話目はできなかった…。」(吾郎)
「それで石ノ森氏が出て、私も出て、映り始めたから、刑事さんたちにも分かってもらえたと思う。『あー、コイツらだ』と。」(松本先生)

「とにかくやっぱり、絵だけじゃなくて動かしたかったんだね。」(吾郎)
「漫画映画を作ることが最初からの夢だったわけですよ。」(松本先生)
その夢を実現しようと装置まで自作する道を選んだ松本先生でしたが、がんばり過ぎてとんでもない事に…。
「この機械で自分で作ろうと思ったんですよ。で中古の16ミリでは足りないから35ミリの撮影台まで買ってやったけどお金がない。17秒しか作れないので自分で作るのを諦めた。……それでインキンタムシになって助かったんですよ。」
「えっ?????」熱心に聞いていた吾郎と外山さんはあっけにとられました。
「インキンタムシって痒いでしょ?接触感染だから誰かが持ち込んだわけですよ。」淡々と話し続ける松本先生に
「ちょっと痒いか知らないです…」と外山さんは困惑。
「股ぐらが痒くて、血だらけで大変なことになる。本郷三丁目を股ぐら掻きながら歩いたら交番にとっ捕まりまして。『昼間から交差点でマスかくバカがいるか!』と。」構わず話し続ける先生に
「勘違いされたんですね。」と言いながらチラリとカメラを気にする吾郎。
「『何を言うか。ここが痒いからだ。』と。で新聞を見たら『白癬菌 俗にいうたむし』と書いてある。学名なら言えるわけです。そこで赤門前の薬屋へ行って『白癬菌の薬を下さい』と言ったら『おお、お前もタムシか』と。それで売ってもらった薬で一発で治ったんです。」とそこまで聞いても話の流れが読めず
「先生なんで急にそんな話…」と外山さんは苦笑いしました。
「…でそういう事もあって、それが『男おいどん』になったんです。」と松本先生。
「ああ、それが『男おいどん』につながってくるんですね!」外山さんはやっとホッとしました。
実は松本先生の初めてのヒット作はSF漫画ではなく、四畳半に暮らす学生を描いたギャグ漫画の「男おいどん」でした。その中で最も反響が大きかったのがインキン治療の話。当時恥ずかしくて人に言えない学生たちの共感を呼んだのです。
「皆薬の事を知らないので薬の事を漫画に描いたんです、名前もそのまま。そしたら段ボール何箱分かのファンレターが来ましてね、『おかげで元気になった!』『私の彼が元気になりました。あなたのおかげでした。』とか。そのファンレターの中に森木深雪という名前があった。それが後の『宇宙戦艦ヤマト』の森雪の名前になったんです。」…色々なことがあったようですがつまり
「インキンタムシが私を助けてくれた。私はインキンタムシに救われた男です。」と松本先生。外山さんは思わず笑いましたが、吾郎は予想外の話の展開にやや呆然としていました。
因みに、それが縁でそのインキンタムシの薬は長い間、松本先生のイラストがパッケージになっていたそうです。

その後1974年には「宇宙戦艦ヤマト」のアニメが大ヒット。1977年には「銀河鉄道999」の連載を開始しこれも大ヒット、アニメ化されました。

その数々の名作を生みだした先生の仕事場へ吾郎と外山さんはお邪魔しました。仕事場へ上る階段にも沢山の資料と道具が置かれています。「スタジオ」と書かれた部屋に入ると
「うわー!」と吾郎が思わず声をあげました。広い部屋の中にうずたかく資料が積み上げられています。その中に大きな机が。
「ここが自分が仕事をする場所です。」と先生。「ここでお描きになっているんですね!」と吾郎。先生はちょうど鉄郎とメーテルを描いている所だったそうです。
「さっきの私達ですね。」(外山さん)「そう、先生触れて下さらなかった。」(吾郎)
「仕事道具は全部小学生の時から使ってる。」と先生。「ペン立てもずっと同じだし、(描くのは)墨汁か証券用のインク。」
「証券用のインクというのはなんでですか?」と外山さんが訊きました。
「これは1回乾くと水に濡れても溶けない。」と先生。そういう物がある事を今回初めて知りました。
「父親はパイロットでしたからね、これは飛行士が飛行する時に計画を立てる計画定規です。」と先生は古い定規を見せて下さいました。かなり大きな定規で真ん中に分度器が付いています。「これを何分の一かの写真の上に乗せて、飛行角度を割り出していく。」
松本先生はお父様の使っていた道具を自分の作画道具として使っているのです。
「非常に使いやすい。こういう物は生産されてないですからね。このおかげで私は車のコマ割りの角度なんかを決めることができた。」次々と貴重なお話が聞けるので、吾郎も外山さんも「へぇー」と感心しています。
「まるでコックピットみたいだね。」と吾郎。ここから夢にあふれたSF漫画の名作が生まれたのですね。

と、今回はここまで。次回は松本先生がメーテルの描き方を徹底解説してくださるそうなので楽しみです。


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最終更新日 : 2017-10-24

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