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Walking with GORO

稲垣吾郎さんとSMAPと新しい地図と。すべてが好きな主婦の日記 【無断転載禁止】

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2017-10-05 (Thu)  08:20

光と声を人の心に残す (「ゴロウ・デラックス」 9/29)

オープニング。
「今夜はですね、あの表参道ヒルズを設計された方がいらしています。」(外山さん)
表参道ヒルズ…真冬の朝早くからSMAP SHOPの為に並んだことを思い出します。その他東急東横線渋谷駅もゲストさんの設計だそうで、
「ヒカリエによく行きますよ。渋谷近辺はテリトリーなので。」と吾郎は嬉しそうです。

今回のゲストは安藤忠雄さん。建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞を始め数々の賞を受賞され、日本のみならず世界中で数々の建築物を手掛けています。今回は稀代の建築家、安藤忠雄さんの仕事術と素顔に迫ります。

課題図書 : 「安藤忠雄 仕事をつくる」 安藤忠雄

「面白かったですね。若い方に読んで頂きたいな。喝を入れられているような、我々も。」(吾郎)
登場した安藤さんは丁寧に「よろしくお願いします」と挨拶しましたがすぐ周りを見回して
「すごい絶望的な…絶望的なセットやね…」と言いました。
「『絶望的』っておっしゃったのは安藤さんが初めてですね。」(外山さん)
「それはどういう…?」と吾郎が恐る恐る尋ねると
「私はコンクリートで無装飾な建築作っとるじゃないですか…」と安藤さん。
確かに金のだるまが真ん中に鎮座ましましているゴロデラのセットは安藤さんの建築とは対照的です。

今進行中のお仕事は「(出身地の)大阪で一つ、日本全体で20くらい、あと海外で35件」と超多忙な安藤さん。海外のVIPからの依頼が多く世界中を飛び回っています。
そんな中代表的な作品の一つが、吾郎もなじみ深いという表参道ヒルズ(2006年)。表参道のランドマークとして親しまれてきた同潤会青山アパートメントを立て直したもので、建物の高さがケヤキ並木を超えないようにするなど安藤さんのこだわりが凝縮されています。
「僕は原宿に寮があって住んでいて、昔の同潤会アパートのイメージもあったので、表参道ヒルズが出来た時は衝撃だったんですけれども。」(吾郎)
「同潤会アパートの前は約7゜の勾配、坂でしょ?だからその坂をそのまま(建物の)中に引っ張ってきてる。」(安藤さん)
「あ!だから中が坂になってるんだ!」(吾郎)
「外が坂だから中も坂に。建築は周囲の環境をどう味方にするかという…。表参道ヒルズは坂を味方にした。」安藤さんの説明に吾郎も外山さんも感心しました。
「元々アパートだった部分も端っこに少し残っていますね。かっこいいですよね。」(吾郎)
「やっぱりそこにあったものを残すのも大事だと思うんです。」(安藤さん)
大変忙しい安藤さんですがマネジャーさんは置かず、スケジュール管理も全部ご自分でなさっています。手帳を見せて頂くと毎日が文字通り予定でびっちり。
「マネジャーさんに朝起こしてもらわなくて大丈夫ですか?」(吾郎)「大丈夫」(安藤さん)
「僕、出発の1時間前にマネジャーさんに電話で起こしてもらってる。ダメですね。」と吾郎は反省しました。
「でもそれだけびっしりなスケジュールで体力や身体は大丈夫ですか?」(吾郎)
「いや2009年に大手術したんですよ。胆のう、胆管、十二指腸、全部取った。その後『安藤さん大変や、膵臓の真ん中にがんがある。膵臓も全部取らなあかん、脾臓も全部取らなあかん。』だけど切らな仕方がないから全部切ったんですが、先に何かをしないといけないという希望があれば元気ですね。やっぱり向こうを見て生きないと。だから私は青春の限り生きようと、エネルギーのある限り生きようと思ってますね。」(安藤さん)
「それはご本からも感じましたし、若いころからそうなんでしょうね。」(吾郎)
安藤さんは現在76歳。内臓がほとんどないにもかかわらず今も世界中を飛び回っています。この仕事へのエネルギーはどこから生まれてくるのでしょうか。

ここで安藤さんが自身の半生を振り返った1節を吾郎が朗読。

つらかったのは、共に学び意見を交わす友人がいなかったことだ。
自分がどこに立っているのか、正しい方向に進んでいるのかさえ分からない。
不安や孤独と戦う日々が続いた。
そうした暗中模索が、責任ある個人として社会を生き抜くためのトレーニングとなったのだろう。
私の歩んできた道は、模範と言うには程遠い。
が、この一風変わった歩みが、若い人を少しでも勇気づける材料となれば幸いである。


「よく今まで問題なく生きて来られたなと思いますね。」と安藤さんが言う通り模範というには程遠い人生でしたが、その中でこそ安藤さん流の仕事術が育まれてきたのです。

ここから安藤さんの人生年表を紐解いていきます。
【17歳 緻密さ・計算力が元盛られる建築家 安藤忠雄は、元プロボクサーだった。】
「これびっくりしましたね!」と吾郎と外山さんは声を揃えました。
「家に近くにボクシングジムがあって、当時普通の人は給料が1万円だったんだけど(ボクサーなら)4回戦で4000円くれると。これはすごい、喧嘩してお金をもらえると(笑)。行って1ヶ月くらいでプロになりました。4回戦は喧嘩みたいなものですから。」(安藤さん)
当時の写真を見ると精悍でなかなかかっこいいです。
「ボクシング経験は建築に影響してるんですか?」(吾郎)
「人生は誰も助けてくれないという事を覚えました。四角いリングの中で逃げたら終わり、タオルが入ったら終わり。人生はある面では戦いだと思ってますので最後まで戦うというのは良かったと思います。」(安藤さん)
ボクシングから学んだファイティングスピリットが安藤さんの活力の源なんですね。
「プロボクサーだったなんて意外ですね。そして建築の道に進むわけですが…。」(外山さん)
【18歳 世界的建築家安藤忠雄の師匠は自分
「普通は師匠がいるものだけど。」と吾郎。
「誰も相手にしてくれない。家庭の経済的な問題もある、自分の学力の問題もある、大学に行けない、と。でも生きなければならないから、自分で考えて自分で行動した。誰も相手にしてくれないから。」(安藤さん)
「独学ですよね、高校卒業後。」(吾郎)
「どういう勉強の仕方をしたんですか?」(外山さん)
「本を見る。現物を見る。見に行った方がいいですよ。音楽も聞かないかん。建築も見に行かないといかんので、奈良京都はよく行きました。」(安藤さん)
「じゃあ足を使って見に行って…。教科書とかはどうしたんですか?」(吾郎)
「京都大学・大阪大学に行った友人に買ってもらって、そ~っと講義に入って行って聞いてました。」(安藤さん)もぐりの聴講ですね。
「プロボクサーの時もですが、なろうと決めたらさっとやるんですね。」(外山さん)
「一心不乱にやったのは生活がかかっとるから。建築で稼がないと食えないでしょ。そう思うとゆっくりしているヤツの何倍も学べます。」(安藤さん)
その努力が実り、1級建築士に見事合格。28歳で事務所を立ち上げ独立しました。しかし仕事はなくコンペでは落選続き。空き地を見つけては勝手に設計して地主にプランを持ち込み迷惑がられていたそうです。そんな不遇な時代でしたが、
【31歳 当時は売れていない建築士、しかし飲み仲間は政財界のドン。】
「佐治敬三(サントリー社長)さんね。北新地(大阪の飲み屋街)について行って、お金を払わずにサインして店を出る。佐治さんがいない時にサインしても全然請求書が来ない。請求書が来ないから北新地はいいな~と言ったら『俺が払ってるんだ!』と(笑))」(安藤さん)
「豪快で(笑)。」(吾郎)
「で15年くらい付き合った時に、『ひょっとしてお前建築家?』と聞かれて。」(安藤さん)
「それから依頼が来たんですね、サントリー美術館の。」(吾郎)
そこで大阪府のサントリー美術館を手掛けることに。佐治さんは設計にあまり口出しせず、安藤さんに任せてくれたそうです。しかしその裏で政財界をザワつかせるある事件が勃発しました。
「ちょうど同時期に、なんと、アサヒビールの社長さんからも…」(吾郎)
「アサヒビールの樋口さん(社長)が『京都の100年前の建物を美術館にしてほしい』と。両方とも競争相手じゃないですか。私はあまり気にならなかった。佐治さんも樋口さんも気にしなかった。でも周りは気にしてましたよ。『アサヒビールやってるのにサントリーもやってるんですか』と。二人は気にしないで『良いモン作れよ!』と言ってくれて。大阪のおじさんは面白いわ!面白いヤツを助けたい気があるんでしょうね。それで私は成長しましたね。」(安藤さん)
政財界のドンたちの後押しもあり頭角を現した安藤さん。そして1976年、安藤さんの代表建築が誕生しました。
それは「住吉の長屋」(日本建築学会賞受賞)。コンクリート打ち放しという発想を住宅に持ち込みその後の建築家たちに多大なインパクトを与えました。なんとこのお宅には空調設備は一切ありません。『本当に生活に必要なモノとは何か』を徹底的に突き詰めた結果だそうですが、安藤さんの遊び心もたっぷり入っています。
その模型を見ながら安藤さんが説明してくださいました。
「中庭があるんです。ここから光が入る。」
中庭で建物が左右に区切られていて光がたくさん入りますが、二階の寝室からトイレへの渡り廊下には屋根がないので一度外に出ることになります。その他にも玄関の上の天井が開いていて雨が降ると玄関が濡れる、と聞いて吾郎と外山さんはびっくり。
「いたずらをいっぱい作ってある。」と安藤さんは笑います。
「第三者から見たら住みにくい。でも依頼者は住みにくくないから40年住んでいる。完璧なエコハウスと言われているんですよ、冷暖房ないんだから。自分の体力にかかってる。いいじゃないですか。」
「夏、絶対暑いですよね。」(吾郎)
「便利なものが求められているじゃないですか、今。でもこれは便利なものじゃないですね。」(外山さん)
「便利だけが生活ではない。ちょっと不便な事があってもいい。これは便利を超えた家。稲垣さんもこういうのに住んでもらわないと。」と安藤さんに言われ吾郎は「はぁ…」とやや困惑しながらも
「利便性よりも自然との共生をなぜ選ぶんですか?」と訊ねました。
「私は昔長屋に住んでいましたから自然との共生が良いな、と。暑い時は暑い、寒い時は寒い。”生きてる”感じがじっくり来るじゃないですか。…と思う人はそれがいい。便利で機能的なのがいい人はまた別なのがいい、と。どっちもありますね。」(安藤さん)住む人と建築家の価値観が一致する事が大切なようです。
「気に入った所に住むって良いよね。うちのマンションの中庭に水が張ってあって、それがいつもキラキラして凄い気に入ってる。安藤さん風の建物なんですけど。」という吾郎の話を安藤さんも楽しそうに聞いていました。

「住吉の長屋」を始め様々な住宅を手掛けてきた安藤さんのテーマは一貫して「自然との共生」。その究極形は香川県直島の「地中美術館」(2004年)で、美しい瀬戸内の景観を壊さないよう一度建てた美術館を地中に埋め戻したのです。しかし自然との共生を追求するあまり時として困った事態も起こるようで、
【48歳 名建築「光の教会」誕生の裏では依頼主と意見が大激突
「これも持ってきてくださったんですよ。」と外山さんはいそいそと後ろの棚から模型を取り出しテーブルの上に置きました。「行ってみたいねぇ。」と吾郎も興味津々です。
正面の壁一面に大きな十字架型のスリットが切られそこから光が入るのですが、安藤さんは
「十字架の中にガラスを入れたくなかった。」のだそうです。
「でもガラスを入れないと…」(外山さん)
「寒い!けれども心を寄せ合うのに寒いのも良いんじゃないですか、と言ったらエライ怒られた。」そして
「行く度に『安藤さん、ガラスは取りませんよ』と言われる。『そのうちに取ってやる』と今でも思ってますが(笑)。」
因みに「今度開く展覧会(注)ではこの「光の教会」の1/1を作ろうと思ってる。コンクリートで。」だそうで、
「見たい!ガラスはどうします?」と吾郎が訊くと「今回は無しにしようと。」と安藤さん。
「そもそもガラスを抜きたいというのも自然との共生ですか?」(吾郎)
「自然が真っすぐ(教会の中に)入ってくる。光の教会を作りたいと思ったのは、はじめてヨーロッパに行って教会を見た時に光の美しさに感動したものですから。心の中にしっかり残ってる。例えば稲垣さんの歌声が心の中に残ってる人はいっぱいいるでしょ。同じように建築を通じて心の中に残る場所を作りたい。」(安藤さん)
「でもこのガラスの事のように、自分が本当にやりたいことができない時もあるじゃないですか。それでも建築家をずっと続けている理由は何ですか?」(外山さん)
「みんな同じでしょう。歌い続けている。作り続けている。自分の仕事に誇りを持っていたい。誇りを持てる仕事が見つかって良かったと思います。」(安藤さん)
「人の心に残り続ける…。やはり人なんですね、人が集う場所。僕らの仕事もそうですけど。」と吾郎が言うと安藤さんは頷きました。そしてちょっと考えてから
「やっぱり声と光やね。光が自分の心の中に残る、あの光きれいだったなと。声も綺麗だった、そういうものを作りたい。だから誇りをかけて生きてる限りやりたいと思ってます。」と力強く言いました。しかし吾郎が「ご自身はどんな家に?」と訊ねると
「マンションに住んでる。」と答えたのでスタジオ中が爆笑しました。
「あれ?一番便利なやつじゃないですか!」(吾郎)
「私は事務所は自分で設計したんですよ。事務所は自分の魂がいる所ですから家は便利がいい。マンション便利ですね~。」(安藤さん)
これには外山さんも大笑いでした。

安藤さんが吾郎(そしてSMAP)の歌と声を例えに出してくださったのが嬉しかったです。吾郎の、そしてSMAPの声を聴きたいと思っている人たちはきっとまだたくさんいるはずですから。


(注)「安藤忠雄展 -挑戦- 」は国立新美術館(東京・六本木)で12月18日まで開催中。


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最終更新日 : 2017-10-05

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