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稲垣吾郎さんとSMAPと新しい地図と。すべてが好きな主婦の日記 【無断転載禁止】

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2017-09-20 (Wed)  16:40

カメラは時代の目撃者 (「ゴロウ・デラックス」 9/15)

今回は篠山紀信さんの第2夜で長い写真家人生から忘れられない撮影秘話を披露してくださいました。まさに圧巻。

1970年(29歳) 篠山さんはある天才作家を亡くなる1週間前まで撮影していました。
「三島由紀夫さん。この間この番組でもインタビュー本を紹介させて頂きましたが…。」と吾郎。不思議な巡りあわせです。そして紹介された写真は私も見た事があるものでした。
「これは亡くなる1年くらい前ですね。これには基になる宗教画があって。『聖セバスチャンの殉教』という絵なんですが、これを三島さんが自分がやるから僕に『お前撮れ』と。」(篠山さん)
「三島さんご本人から?!」(外山さん)
「ええ、そしてこの写真を気に入って『男の死』という写真集を出そうという話になって。高貴な人の切腹とか魚屋のあんちゃんが魚まみれになって死ぬとか、十幾つか考えて写真集にしようと。それを撮ったんですよ、1年がかりで。」(篠山さん)
「1年がかりで?!」(吾郎)
「そう。で、最後の写真を撮った1週間後に、自衛隊の中に入っていって本当にああいう死に方をしちゃった。でも撮影の間じゅうずっと死の話をしていたけれど、本当に三島さんが死ぬなんて思ってなかった。」(篠山さん)
「全く前触れもなかった?」(吾郎)
「そう、ずっと死についてお互い話していて、『血糊はMax Factorの何番がいいから買っておいでよ』なんてそんなことまで話してたんだよ。そしたら最後の撮影の1週間後に亡くなられた。」(篠山さん)
「あまりにも絵が残酷だから」という理由もあって結局この写真集は出版されませんでした。
「じゃ、どこかにしまってあるんですか?」(外山さん)
「教えませんよ、どこに仕舞ってあるかなんて!」と篠山さんはピシャリ。でもこの「聖セバスチャン」の写真は三島さんが生前「出そうよ」と言った作品なので出せるのだそうです。つまり他に誰も見た事のない写真があるわけで、
「見せて下さいよ!」と吾郎は身を乗り出しました。篠山さんは黙って首を振りましたが、
「写真家って撮った後(被写体の方が)すぐ亡くなられる事が多いんですよ。そういうものに立ち合わざるを得ないところがありますね。」としみじみと言いました。
「写真は死んでいく時を記録している。撮った瞬間に過去じゃないですか。やっぱり写真と死って関係があるんです。」
「もしかしたら(三島さんは)そういう事を考えていたのかもしれませんね。この表情のむこうで何を考えていたんだろうね。」と吾郎は「聖セバスチャン」の写真をじっと見て言いました。

1971年、篠山さんはアポロ月面着陸に触発され「宇宙で撮ったような写真を撮りたい」とアメリカのデスバレーでヌードを撮影。その芸術性が高く評価されました。
そしてリオのカーニバルを撮った写真集「オレレオララ」が篠山さんの写真家人生を変えます。
「僕は最初はコマーシャルのカメラマンで、それを辞めてから割と作品性の強い写真をカメラ雑誌に出してたんです。そういう作品で結構評価もされてたんですが、そういうものを次から次へとやっていて本当に良いのか?と思ったんです。それは自分のイメージを写真に置き換えているわけじゃないですか。僕はそうじゃなくて、世界のいろんなことから出来ていく物の方が写真っぽいかな、力があるんじゃないかなと思って。じゃあ、自分が何を言ってもいう事を聞いてくれないリオのカーニバルに行きたい、と思ったんです。」はたして行ってみると…
「4日間行ったんですが、4日間ずっとみんな起きてるんです。寝ていてもどこかからサンバが聞こえるわけ。で、夜向こうの方に行きたいと思っても道を渡れない。みんながサンバを踊っているから。「どいてください」と言っても全然ダメで、どうする?と思った時『僕もサンバを踊ればいい』と閃いた。でカメラを持ってチャッチャッチャッと行くとスーッと渡れちゃうんだよ。その時、これじゃないか、物を受け入れちゃえばパッと開いてくれてスッとそこが見えてくる。それを教えてくれたのがこの写真集。」(篠山さん)
「なるほど。」(吾郎)
これをきっかけに「自分の力づくで何かを作り上げるのは止めよう」と決意した篠山さん。
「世の中で起こっている面白い人・事・物。そういう物の所に積極的に行って、一番いいタイミングで一番良い角度で撮るのが一番いい写真なんじゃないかと。」
それから篠山さんは”芸能写真家”に転身し、「明星」「少年マガジン」「GORO」など大衆的なメディアの表紙やグラビアの仕事をしていきます。
因みに「オレレオララ」には篠山さん自身も映った写真があります。一見踊っているようにも見えるとても変わったポーズなのですが…。
「これは帰りの空港で、僕が滑ったか何かした瞬間を助手が撮った。本当はこういう向きなんです。」と言って篠山さんは写真を90度回しました。実は転んだ瞬間なのですね。「健康でなければこんな写真にはなりません(笑)。」

1977年(37歳)、篠山さんは当時の国民的アイドル山口百恵さんを撮影しました。
黒いビキニ姿で水辺に寝そべっている写真。身体が半分水につかり目を閉じて愁いを含んだ表情がなんとも美しいです。
「これ、すごいですね!」(吾郎)「きれい!」(外山さん)
「山口百恵の写真は数あれど、やっぱりこれが最高傑作じゃないかと思う。」と篠山さんは胸を張りました。
「70年代を語る時に山口百恵を抜きにしては語れないじゃないですか。でも活躍した時間は短いんだよね(1973年4月歌手デビュー、1980年3月婚約と引退を発表)。でこれが77年、一番売れている時ですよ。これは「GORO」のグラビアで山中湖で撮ったんだけど、東京から1時間くらいかかる所だし、これだけを撮るにも半日くらいかかる。当時の山口百恵にこの撮影の為だけにスケジュールを出せと言っても到底出してもらえない。そこで「明星」「少年マガジン」「GORO」の3誌で表紙と巻頭グラビアをやろう、それなら合計1000万部位になるから、と持ち掛けたら、さすがホリプロ、出しましょうと(笑)。」
「その3誌を篠山さんがやっていたというのが凄いですよね。」吾郎もグラビアを撮られる立場なので、篠山さんのすごさを改めて実感したようです。
朝は「明星」用に湖畔を歩くアイドルらしいグラビア、昼は「少年マガジン」用にプールで泳いでもらい可愛い感じのグラビアを撮って夕方になり、
「『GORO』は男性誌だからちょっと色っぽくしなきゃいけない。で湖畔を歩いていたら沈みかけたボートがあったので、『ちょっと百恵さん行ってみてよ』『いいですよ』ということでそこに行ってゴロッと寝たの。そしたらいいじゃないですか、夕日が入ってきてすごく色っぽい…。それでみんなに聞かれるの、どうやって撮ったんですか?どういう事を百恵さんに言えばこういう表情になるんですか?って。よく考えたんだけど、…単に百恵さんは疲れていたんだと思う(笑)。」(篠山さん)
「ああ、グタッとした感じなんですね(笑)。アンニュイな表情をしてるけど。」(吾郎)
「でもグタッとしててもさ、それを色っぽく撮っちゃうカメラマンの力量というのがあって(笑)。」(篠山さん)
「もちろんでございます!」(吾郎)
篠山さんから見た百恵さんは「少し変わった子だった。この年頃のアイドルは昼会っても夜会っても『おはようございます』って言うじゃない?でも彼女は夜なら『こんばんは』って言う子だったね。アイドルチックな子じゃない。その分ちょっと暗い感じ…?普通のアイドルとは違う雰囲気がすごくあった。」
因みに篠山さんには独特の百恵さん撮影術があったそうです。それは完璧に作られたヘアメイクを崩すこと。「そうすると百恵顔になる。」
「表情も変わるんですか?」(吾郎)「素晴らしい。」(篠山さん)
この撮影術はスタティックな美しさを持つ吾郎をあえて動かして撮るやり方にも通じているのではないでしょうか。

1980年(40歳)、篠山さんは歴史的な写真を撮影しました。
ジョン・レノンの遺作アルバム「ダブル・ファンタジー」のジャケット写真。ジョンとヨーコがキスをしているモノクロ写真です。
「これすごい有名なヤツだ!」(吾郎)
「これ、なんで撮る事になったんですか?」(外山さん)
「これはヨーコさんから電話がかかってきて『アルバムを作るからジャケットを撮ってください』って話があったんです。その時僕はロスにいたのでロスからニューヨークへ行って。それで『ダブル・ファンタジー』のレコーディングをしているスタジオで初めてジョンに会った。」(篠山さん)
篠山さんの滞在期間は4日間で、レコーディングの合間の細切れの時間を使って撮影したそうです。ジャケ写になった写真は夕方セントラル・パークの池のほとりのベンチで撮ったもの。
「7、8枚しかないんだよ、撮ったのは。」(篠山さん)
「そうですか。最初から構図が決まっててこれを狙いに行ってポーズさせたとかじゃないんですね。」(吾郎)
「大体僕そういうのやらないんだよね。で、これ全部カラーで撮ったんだよ。だけど出来上がってきたのはモノクロだったので、なんでかなあ?とちょっと不吉な予感がしたんだけど…。でも撮ってる時はまさかあんな事件(ジョン・レノン射殺)が起こるとは思わないし。」(篠山さん)
「ダブル・ファンタジー」が発売されたのが1980年11月。ジョン・レノンが射殺されたのはその直後の12月ですから、篠山さんは死の直前のジョンを撮影した事になります。今回は特別にジャケットになる前のカラー写真を見せて頂きました。
「ほんとだ、全然違う!」(外山さん)「おおー!」(吾郎)
元の写真には背景の池、更にその後ろにはジョンとヨーコさんが住んでいた高級マンション、ダコタアパートメントも写っています。ところが…
「今気が付いたんだけど、この写真と(ジャケ写は)全然違うんだ。」と篠山さん。確かにジャケ写ではジョンの手がヨーコさんの首に添えられていますが、カラー写真の方ではジョンの手は写っていません。(←じゃあジャケ写の元の写真はどこに?)
ジョンと篠山さんは同い年(当時40歳)。ジョンは「ここから新たなクリエイティヴな活動をしたい」と言っていたそうです。(だからジョンが殺されたことは本当に残念でなりません。)

自分はめったに写真に写らない篠山さんが今回は吾郎と一緒に撮影会をする事になりました。カメラマンは外山さんなので「素人じゃないですか」と吾郎は言いましたが外山さんは「どういうポーズがいいですか?」と積極的に篠山さんに質問しています。
「吾郎ちゃんは人形みたいに知らんぷり。僕は『ゴロウちゃん…』と…」と篠山さんは目をつぶって吾郎にもたれかかりました。が次の瞬間、
「そういう時に撮ってないとダメ!」と外山さんにダメ出ししました。
それから外山さんは何回もシャッターを切りました。途中で一歩寄ってアップの写真も何枚も。吾郎はさすが撮られるプロ、さまざまにポーズや表情を変えて人形らしさを出しています。結果なかなか良い写真が撮れました。
篠山さんはドール吾郎と一緒の写真を撮りたかったんですね。

AD山田くんの消しゴムはんこは「オレレオララ」の篠山さんが転んだショット。篠山さんも大笑いして気に入ってくださいました。


拍手ありがとうございます
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最終更新日 : 2017-09-20

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