稲垣吾郎さんとSMAPと新しい地図と。すべてが好きな主婦の日記 【無断転載禁止】

応仁の乱を読み解く (ゴロウ・デラックス 5/12)

オープニング。
「吾郎さん、『ひとのよむなし』って知ってますか?」(外山さん)
「あれでしょ?1467年、応仁の乱。」(吾郎)
「さすがですね!」(外山さん)「いや台本に書いてあった。」(吾郎)
「今夜はですね、その応仁の乱がテーマです。」(外山さん)

課題図書 : 「応仁の乱」 呉座勇一

「応仁の乱」は歴史ジャンルでは異例の35万部以上を売り上げている話題の本です。
応仁の乱とは1467年京都で勃発し西軍と東軍に分かれて11年続いた大乱で、日本史に重大な影響を与えました。しかし応仁の乱の詳しい内容を知っている人は歴史好きの中でもごく少数。登場人物が多く人間関係が複雑なので、始まった理由でさえ専門家によって解釈が違うそうです。その分かりづらいイメージを変えたのがこの課題図書。教科書ではほとんど触れられないある人物を軸にすることで今までとは違う新しい解釈を示したのです。
室町時代が分かるようになれば歴史がさらに面白くなるという、応仁の乱の魅力を学びます。

「ちょっと頑張ればぐいぐい引き込まれていく。でも頑張んないと。半分くらいまで頑張ろ。」(吾郎)「はい…(笑)」(外山さん)
吾郎の口ぶりからは、今回の課題図書と格闘した様子がうかがえます。
「でも応仁の乱って教科書でも一部しか教えてくれなかったですよね。」(外山さん)「そう、教科書でもこんなに人物が登場しなかったし。」(吾郎)「いろいろお話を伺いましょう。」(外山さん)
「よろしくお願いします。」と登場したのは真面目で穏やかな感じの好青年です。呉座勇一さん、36歳。2003年東京大学文学部卒。現在国際日本文化研究センターに所属する中世日本史研究の第一人者です。 
「私この本を読んだ時におじいちゃんが書いた本だと思ったんですが、若い方ですね。」(外山さん)
「引き込まれていきますね。」(吾郎)
まず応仁の乱の概要をおさらい。大きなボードが用意されました。

【学校で習う応仁の乱】 
将軍足利義政の息子足利義尚と将軍の弟足利義視(よしみ)の後継者争い に
幕府No.2細川勝元山名宗全の争い が絡んだ戦い。

「学校で習うのはこんな感じですね。」(外山さん)「ああ、日野(富子)さん!(義尚の)お母さんね!」(吾郎)
「ところがこれだけの事になぜこんな大きなボードかというと、これだけじゃないんです…。吾郎さんめくるの手伝ってくれますか?」(外山さん) 吾郎と外山さんが二人がかりでボードを隠していた大きな紙をめくると…細かい字で人の名前がぎっしり!
「こんなに複雑なんですねえ!」(吾郎)
「実際はもっと多いわけですが、私が書いたこの本では登場人物は300人位。」と呉座先生。ちなみにこの本のボリュームは321ページあります。
「もうちょっと端折ろうとは思わなかったんですか?こんな複雑なものを。」(吾郎)
「いやそうなんですけど!『なんでこんなに難しいんだ』という意見も結構あって、『もっと簡単にしろ』みたいなネットの意見もあったんですけど、これだけ複雑で多くの人が絡んでるというのが、応仁の乱の最大の特色なんです。あまりに複雑なものを単純化し過ぎると意味がない。応仁の乱を理解した事にならないんですね。そこは『お手軽、3分間で分かる』というのは良くない。」(呉座先生)
「申し訳ございません。」(吾郎)
「これだけ複雑な応仁の乱ですが、この本が35万部売れた理由というのは?」(外山)
「逆説的な言い方ですけど、スターがいない、英雄がいないというのが逆にウケたと思っています。僕は応仁の乱って映画「シン・ゴジラ」の前半みたいな話だと思っているんです。何か想定外の出来事が起きて、偉い人たちがどうしようどうしようと慌てふためいて何も決まらなくて時だけが過ぎていく。で、そのままでは映画にならないので「シン・ゴジラ」では後半でみんなで力を合わせてゴジラを退治するんですが、応仁の乱ではその後半は無し、前半だけ。」(呉座先生)
「ああ、あの感じかあ…」(吾郎)
「「シン・ゴジラ」って実は前半が面白いんじゃないかと思うんです、あのドタバタが。あの感じです。」(呉座先生)
30分(実質21分!)ですべてを理解するのは難しいですか、今回は呉座先生に応仁の乱特別授業をして頂きます♪
「嬉しい」と吾郎も興味津々です。

呉座先生の授業内容は以下の3点です。
1.応仁の乱の原因となった人物は?
2.応仁の乱が11年続いた理由
3.応仁の乱のその後の影響

【1.応仁の乱の原因となった人物は?】
先ず応仁の乱の原因となった人物について吾郎が朗読。実はこの人物については教科書ではほとんど触れられていません。

応仁の乱はなぜ起こったのか。(中略)関東統治の政策対立もあったと思われるが遠隔地の利害対立は調整が比較的可能である。在京大名にとって関東で反乱を起こした足利成氏よりも幾南で暴れまわる畠山義就(よしひろ)の方がはるかに切実な問題だったと思われる。よって直接的な要因は畠山義就の上洛である。


「この人知らないよね!教科書に出てこない。」(吾郎)
「私の考えですけど、実は一番重要なのは畠山義就ではないかと。キーパーソンです。この人がこの時代最強の武将であると言われていた。大和(奈良)や河内(大阪)で暴れまわっていたんです。」(呉座先生)
「重要な人物ですね。ここは抑えとかなきゃ。」(吾郎)
応仁の乱の直前、畠山義就は親戚の畠山政長と大和や河内で壮絶な後継者争いをしていました。そこへ将軍家の後継者争い(足利義視対足利義尚)が勃発。1466年、足利義視が将軍義政に謀反を疑われ、山名宗全と細川勝元に泣きつきました。
「そりゃ泣きつくわな。味方になってほしいわな。」(←吾郎のこの言い方が珍しくて萌えました♪)
「足利義視が謀反を起こそうとしているとして、将軍足利義政が義視を殺そうとするんですね。義視は殺されたくないので助けを求めるんですが、力のある人に助けを求めなきゃならない。当時の幕府で将軍以外に力のある人というと山名宗全と細川勝元だったので、二人、主に勝元に助けを求めた。で、結局義視は無実だったという事で、この問題を解決した細川勝元が幕府の実権を握るという形になります。」(呉座先生)
「そうなると山名さんは面白くない。で山名さんはこう考えました。『あの暴れん坊の畠山義就を味方につければ政権奪還できるかも…。』」(外山さん)
「ああ~、危ない。危ない危ない。乱が始まる。」(吾郎の声が今週はセクシィです)
「出てきましたね、畠山義就。」(外山さん)
「これまでの話は京都の中の事なんですね。ところが畠山義就は京都にいたわけじゃない。大和や河内、つまり奈良や大阪で暴れまわっていた。でこの暴れまわっている怪獣をわざわざ京都に呼んだ。」(呉座さん)
「にゃるほど…。(←この舌っ足らずな言い方もかわいい♪)…分かった!畠山義就は…ゴジラなんだ。」(吾郎)
「そういうことですか?」(外山さん)
「そういう事です(笑)。ゴジラが京都に来ちゃったんです。」(呉座先生)
「面白くなってきたねぇ。」(吾郎)
上洛した畠山義就は京都でも政長と激しい後継者争いを続け、ここに山名宗全(義就を後押し)、遅れて細川勝元(政長を後押し)が参戦し、応仁の乱が勃発。それに将軍家や大名たちも巻き込まれる形で戦いは激化していきました。

【2.応仁の乱が11年続いた理由】
「早く終わらせよう、戦。」と吾郎。吾郎は争い事が好きじゃないんですよね。
「そんな中こうなります。1472年(開戦から5年)、山名宗全と細川勝元が『もう戦はイヤ』と言い出す。」(外山さん)
「なんでその二人が?」吾郎はすかさず突っ込みました。「そもそものキーパーソンなのに。」
「応仁の乱が始まるまでは、山名と細川はそんなに仲は悪くなかった。むしろ手を結んでいたんですね。山名宗全の養女が細川勝元の奥さんなんです。つまり山名宗全は義理の父親で細川勝元は義理の息子。むしろこの二人は仲が良い方だったんです。ここも応仁の乱を分かりにくくしている。」(呉座先生)
「なるほど。」(吾郎)
「じゃあなぜこの二人が喧嘩する事になったのかと言えば、要は畠山の問題なんですね。勝元はずっと政長を応援してきて、宗全はそれを知っているにもかかわらず義就を応援したので、それで二人は喧嘩別れをしてしまったんですけど、逆に言えば畠山の問題さえなければ二人は仲直りできる。」(呉座先生)
「確かに。」(外山さん)
「畠山問題はもういいよ、どっちが勝ってもいいじゃないか、という事にしてしまえば二人は仲直りできるんです。」(呉座先生)
「最初からそうすりゃ戦争にならずに済んだのに。」(吾郎)
「そうなんですけど…(笑)、そうですよね。」(呉座先生)
応仁の乱勃発から8年目、こうして東軍総大将の細川勝元と西軍総大将の山名宗全が隠居し戦から撤退しました。
「この二人が抜けた事で戦が終わるのかと思いきや、思いもよらないことが起きてしまいます。」(外山さん)
なんと畠山義就が『俺は絶対戦争やめないぜ』(とこう言ったかは分かりませんが)と主張したのです。
「いやいやいや…また出てきた、畠山さん。なんで継続を主張したんでしょうね?」(吾郎)
「失うものがない人で、むしろこの応仁の乱で頑張って畠山の家督を取ろうとした。ずっと政長が家督という形で京都にいて、義就の方が不利だったんです。それが京都に呼ばれて活躍することで畠山の家督を取れる可能性が出てきた。つまり義就にとっては応仁の乱は大チャンスなんですよね。ここで引いたら政長の勝ちになってしまう。だから西軍が勝つまで戦うという事になります。」(呉座先生)
しかし、盟友たちが次々と撤退を決め、西軍の勝ちがなくなったと判断すると畠山義就は自分も退却、11年続いた応仁の乱は終結しました。

【3.応仁の乱のその後の影響】
「畠山義就は京都から撤退する、と。…で、その末路がどうなったか気になりますよね。こうなりました。」(外山さん)
1477年、畠山義就は河内で大暴れし「河内独立王国」を築きました。
「また大暴れ?」(吾郎)
あはは、と外山さんは笑って「戦うのが好きだなという気がしますが。どういうことなのか朗読させて頂きますね。」

畠山義就にはそもそも幕府の命令に従うという発想がない。(吾郎思わず苦笑)大乱が始まる前から彼は幕府の大軍を向こうに回して河内で孤軍奮闘していたのである。山名宗全に誘われて上洛したため、幕府内の権力闘争に巻き込まれることになったが、彼の本質は幕府の権威に頼ることなく自力で領土を拡張する独立独歩の姿勢にある。(以下略)


外山さんが読み終わると吾郎は手元の資料を見ながら少しの間考え込んでいましたが
「なるほど…。畠山義就は…シャアでもあるね。」と言ったので呉座先生も外山さんも笑いました。
「結局戦いが好きだった。」(吾郎)「ホントですね。」(外山さん)
「応仁の乱が終わった終わったと言いますけど問題は何も解決していなくて、まさにゴジラで、京都で暴れていたのが河内や大和に移ってきただけなので、そういう意味では何も問題は解決していないんですね。」(呉座先生)
「へええ…。これもっと取り上げても良かったね、畠山さんの事ね、歴史の教科書でね。」(吾郎)
「それで応仁の乱って後世にも影響はあったんですか?」(外山さん)
「これはものすごく影響があったんですね。山名も細川も畠山も、もちろん将軍家も、こういう有力者たちは京都で生活してます。地方に領地を持っているけどほとんど行かないで自分たちは京都にいて、地方からは年貢などの収入を受け取っているだけ。その構造が応仁の乱をきっかけに崩れるんですね。今まで京都で暮らしていた有力大名たちが半分そこを引き払う形になって、自分たちの領地に戻って独自の勢力を築いていく。それがいわゆる戦国大名につながっていく訳です。戦国大名は自分が地方にいてその国を治めるんですね。そう大きく変わっていく。で勿論将軍家の力も落ちて、戦国大名が台頭して戦国時代になる。」(呉座先生)
「そうか…。つながっているんですね…。」(吾郎)

「今日は特別授業だよね。すごい面白かった、分かりやすくて。」吾郎が弾んだ声で言いました。呉座先生も嬉しそうです。
「でももしこれが映画化されるとしたら、ゴロウさんはどの役だと思いますか?」と外山さんが訊きました。
「そうですね、あくまでもイメージなので怒らないで頂きたいんですが…、強いて言うと細川勝元…だと思いますね。」と呉座先生。
「勝元って頭も切れて教養人。和歌とか絵も得意な文化人、マルチタレントです。ところが…ところが、先ほどもちょっとお話しましたけど、元々二人の畠山が喧嘩した時、将軍の義政に『お前ら援軍を送るなよ、畠山同士1対1で戦わせろ、絶対に加勢するなよ』と言われて、将軍の命令だからと何もしなかった。でも山名宗全はそれを無視して義就に味方した。これで畠山政長が負けたので勝元はメンツを潰されて『細川勝元は味方を見捨てた』と評判を下げちゃったんですね。」
「でも将軍の命令を聞いただけですよね。」(外山さん)
「だからまあ、稲垣さんが本当はどういう方か分かりませんけれども…分かりませんけれども、自分の得になるよう動くみたいな器用なことが出来ないで、馬鹿正直に言う事を聞いてその結果損をする…。そういう所が近いんじゃない、かなー…。」呉座先生は遠慮がちに言いました。しかし、
「ははは…僕の何を知ってるんですか!」と吾郎が吼えたので
「いやいやいや、だから最初に言ったじゃないですか!」と呉座先生は大慌て(笑)。

3人が笑っているとAD山田くんが登場。スーツ姿の呉座先生が腕組みをしているカッコイイ消しゴムはんこを披露しました。
「すごいですね。先ほど足利義政の話をしましたけど、義政って政治家としてはイマイチでしたけど、銀閣寺を作ったりとか芸術的なセンスはすごかった。そういう意味でこれを見ると、人間だれしも何かしら取り柄がある、と。」
呉座先生が最後にまさかの毒舌!これには山田くんも大笑いでした。


「複雑なことを単純化し過ぎると意味がない。」という呉座先生の言葉は、何でも簡単に分かりやすいのが良い事だという今の風潮に苦言を呈しているように聞こえました。そしてそんなに難しいなら挑戦してみようという気になり「応仁の乱」を買ってきました。
高校では世界史選択だったのでハンディがあるかも知れませんが、吾郎の言う通り頑張って読んでみます。


そして吾郎が演じる細川勝元を見てみたいですね。


拍手ありがとうございます



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プロフィール

はちミツ

Author:はちミツ
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稲垣吾郎さん大好き、SMAP大好き!の主婦。
吾郎ファン歴は25年目になります。
彼らがいつかまた集まりたいと思った時そうできるように、彼らがそれぞれ今いる場所で益々輝いていってほしいと願っています。
だから「SMAP大好き」という気持ちも「新しい地図の3人の活動を応援する」気持ちも私の中では同じ一つの思いなのです。
神奈川県在住。

近況
①毎週水曜日は「an・an」の「稲垣吾郎のシネマ・ナビ」をチェック!。
②「ゴロウ・デラックス」(TBS)もお見逃しなく!
③「稲垣吾郎オフィシャルブログ」、twitterアカウント @ingkgrofficial も必見!

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