TVからヒット曲が流れていた時代 (「ゴロウ・デラックス」 1/13)

2017年一回目のゴロデラです。
そのオープニングで登場したのは髭吾郎でした。
「今日のゲストは80年代の歌謡曲黄金時代を牽引した作詞家の方です。吾郎さん、この頃で好きな歌は?」(外山さん)
「いっぱいありますよ、それこそチェッカーズとか…姉が好きで。姉はアイドルになりたかったんですよ。弟の方が顔が良いので僕がアイドルになったという(笑)」(吾郎)
今回は懐かしいお話が沢山聞けそうです。

課題図書 : 「砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代疾走の日々」 売野雅勇

今回のゲストは作詞家の売野雅勇さん。「あの曲もこの曲も、この方の作詞だったんだ」と吾郎が言う通り80年代にヒット曲を沢山生み出した方です。登場したのは背の高くがっちりした体格の品の良い紳士でした。
「砂の果実」は売野さんが作詞した中谷美紀さんの曲のタイトルで、編集者が決めたのだそうです。
「僕もこの『砂の果実』は思い出の曲ですよ。」と吾郎。「作曲者の坂本龍一さんは雑誌で対談したりレコーディングスタジオとかにも遊びに行ったりして可愛がってくださったんです。(ほぅ、と売野さんは興味を示しました) ちょうどその時中谷さんのプロデュースを始めて、僕も中谷さんのコンサートに行ったりもして。『砂の果実』も大好きで。暗いんだけどね。『生まれてこなければよかった』って歌詞で。」 
(この坂本さんとの対談の記事はとても面白かったです。どこかに取ってあるはずなんですが…。)
すると売野さんはこんな裏話を。
「坂本さんからの注文が 『とにかく暗くてドキドキする詞を』という事だったんです。そんな注文はめったになかった(笑)。で真っ先に思い出したのが太宰治の『生まれてきてすみません』という言葉。それをベースにして物語を展開したらドキドキする詞になったんです。」

番組の後半は題して「売野雅勇ヒットソング・ザ・ベストテン」。スタジオには懐かしい「ザ・ベストテン」のボードが設置されています。
「一つしかない本物のベストテンボードを特別に貸してもらいました」と外山さんは力説しましたが、吾郎はちょっと疑っているようです。それはともかく、このボードを使って、売野さんのヒット曲の数々をベストテン形式で紹介する趣向です。

「少女A」(1982) 中森明菜 「ちょっとエッチなミルキーっこ、ってあったよねえ。」と吾郎が言いました。私は知らなかったのですが当時の明菜さんのキャッチフレーズです。「昔のアイドルには必ずあったよね。」(吾郎)
この歌は、もともと沢田研二さんのために書いて没になった詞を基に作ったものだそうです。「プールサイドで男が14歳位の女の子を誘惑しまくる歌だったんですが、その情景を少女の目線に置き換えて出来た歌詞なんです。」と売野さん。しかし明菜さんは最初この歌を嫌がったそうです。「少女AのAをAkinaのAだと思ったんですね。で私の事をこんな風に見ているんですか、と拒否したんです。なので歌うのは一回だけでいいよ、と。」

「涙のリクエスト」(1984) チェッカーズ ここで吾郎がこの歌の歌詞を朗読。朗読で聴く方が歌で聴くより悲しい感じがしました。
「チェッカーズさんにはどういうイメージで作詞を?」(吾郎)
「僕は原宿あたりのDJとかロカビリーの格好で歩いている若い子たちが好きだった。それでその子たちの感じで書いたんです。」(売野さん)
さらに当時の事を綴った部分を外山さんが朗読。チェッカーズはデビュー曲「ギザギザハートの子守歌」が全く売れず、「どうしても売れたい、売れなければ久留米に帰って家業の八百屋をやらなければいけない(鶴丸さん)」という切羽詰まった気持ちがあった。「売れるなら『涙のリクエスト』だ」と売野さんはアドバイス。結果大ヒットになったそうです。(私は「ギザギザハートの子守歌」を最初に聴いた時のインパクトがすごく強かったのですが実際には売れなかったんですね。これも初めて知りました。)
「当時のアイドルは当人たちと歌っている姿がダブって見えるんだよね。だからチェッカーズも自分たちで作っているんだと思ってた。歌わされている感がない。」(吾郎)
「当時のアイドルは、アイドルの私小説みたいにあたかも自分の物語のように歌うのが普通になって、そうなると1つのパッケージとして売れるものが出来る、プロダクトとしての価値が上がる、という作り方をしていました。」(売野さん)
吾郎はこの話を興味深そうに聞き入っていました。
当時吾郎はチェッカーズに夢中になったそうで、
「僕がジャニーズ事務所に応募した時、テレビで歌っているフミヤさんの前に立って同じポーズをして撮った写真を送ったんです。…お貸ししますが。」
そしてその貴重な写真を公開!「当時から可愛かったんですねぇ!」のナレーションに深く頷きました。この写真からSMAPが始まったのだと思うとしみじみしますね。

「2億4千万の瞳 エキゾチック・ジャパン」(1984) 郷ひろみ この頃は作詞にだいぶ慣れて来て「高尚というと変だけど、日本の詩歌全集に載ってもおかしくないようなものを書こう」と思って作ったのだそうです。
「これちょっとアートかも?」とご自分では思っていたのですが、井上大輔さんが曲をつけてくれたものを聞いてみたら
♪おっくせんまん!おっくせんまん! 
だったので「あまりにも俗悪な、下世話な、でビックリしましたね(笑)。」(売野さん)
「でもそれが化学変化というか世の人に受けちゃったんですね。」(吾郎)
「思いあがっていたんですね。」(売野さん)

「六本木純情派」(1986)荻野目洋子 「これは出す前からヒットを確信していました。」と売野さん。元々はB面用の曲でしたが「聞いてみたら『何よこれ!これ俺が書いたらビット曲になりますよ、僕に書かせて下さい。 これA面にしましょうよ。』」と猛烈にアピールしたそうです。
「打ち合わせした場所が六本木だったんです。それで六本木と正反対の言葉は「純情」だろう、そして当時「何派」という言葉が流行っていたので「六本木純情派」に、とタイトルが決まったんです。」勢いで決めたのが良かったのでしょうか。

「Somebody''s Night」(1989)矢沢永吉 矢沢さんは売野さんにとって憧れの人でした。「『書かせてください』と言いに行ったらディレクターに『手紙を書いてください』と言われて。手紙は結局ファンレターになり、便箋24枚に熱い思いを書いたんです。そしたら九州ツアー中の矢沢さんから『会いに来れますか?』と連絡が来た。会いに行ったら矢沢さんは本番前で、本当なら楽屋でリラックスしたいだろうにアルマーニのスーツを着て出迎えてくれたんです。かっこいい男だな、その気持ちが素敵と思いました。」
ここで「Somebody's Night」の歌詞を売野さんが解説。売野さんお気に入りの歌詞は
「哀しい絆を情事と呼んだ」
「定義としては本当は正しくないじゃない。でもこうやって新しく定義するのが好き。それを聴いた人がそうか、と共振するのが好きですね。」と売野さん。自分の作った詞が多くの人に聞かれ共感を得る事は作詞家冥利に尽きるのでしょうね。
「こういう話を聞いてからまた聴き直してみたい。」と吾郎。

自分自身もアイドルとして歌ってきた吾郎が80年代歌謡曲を聴いて何を思うのか、知りたいです。


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はちミツ

Author:はちミツ
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稲垣吾郎さん大好き、5スマ大好き!の主婦。
吾郎ファン歴は24年目になります。
神奈川県在住。

近況
①毎週水曜日は「an・an」の「稲垣吾郎のシネマ・ナビ」をチェック!。
②吾郎出演映画「少女」は2016年10月8日公開♪
③吾郎出演ドラマ「不機嫌な果実」のDVD、Blu-RayBOXは2016年10月19日発売♪
④「ゴロウ・デラックス」(TBS)もお見逃しなく!


メールは↓へ。
walkwithgoro☆hotmail.co.jp
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