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女優として作家として (「ゴロウ・デラックス」 3/2)

オープニング。
「今夜は芸歴67年の大女優さんがゲストです。」(外山さん)
「もう大大大先輩なんですけれども今でもお綺麗で…。」(吾郎)

岸惠子さん、85歳。1951年18歳の時映画デビュー。市川崑や木下恵介など名だたる監督たちに愛され数多くの作品に出演し、今でも第一線で活躍する大女優です。特に「君の名は」は空前の大ヒットとなり「真知子巻き」というファッションが社会現象にもなりました。しかし人気絶頂の最中の1957年、24歳でフランス人映画監督と結婚しフランスで主婦に。そして18年後、41歳で離婚。51歳で初のエッセイを71歳で初の小説を出版し、女優業と並行して作家活動をしておられます。昨年には菊池寛賞を受賞されるなど、その業績は高く評価されているのです。
今なお輝き続ける岸惠子さんの数奇で華麗な人生に迫ります。

今回、岸さんと吾郎は初対面。でも
「僕も金田一(耕助)さんだったことがありまして…」(吾郎)
「え?」(岸さん)
「テレビシリーズだったんですけれども。僕も『悪魔の手毬唄』をやらせていただきまして、その時市川崑監督の作品も勉強のために見せて頂いて、はい。そんな共通点が。」(吾郎)
岸さんは1977年に市川崑監督の映画「悪魔の手毬唄」に出演。吾郎は2003年にドラマ版「悪魔の手毬唄」で金田一耕助役を演じたので、そこで繋がりがあったのです。
「それは観てみたかった。」と岸さん。
(稲垣吾郎版金田一耕助からもう15年経つんですね。新作と過去作品のソフト化はお願いし続けなければ。)
「岸さんはまだパリに住んでいらっしゃるというわけでは無いんですか?」(外山さん)
「事務所は持ってます。」(岸さん)
「じゃ日本に戻られたのは?」(外山さん)
「2000年です。結局43年パリにいました。」(岸さん)
「憧れちゃいますよね…。」吾郎がうっとりと言いました。
「当時まだお小さいでしょう?」(岸さん)
「僕が今44歳で。1973年に生まれたんです。」(吾郎)
岸さんのお嬢さんは1963年生まれで、息子さんが2人いらっしゃるそうです。それにしても岸さん、17歳のお孫さんがいらっしゃるようには見えません、お若い!

課題図書 : 「愛のかたち」 岸惠子

主人公は化粧品会社のパリ駐在員、渚詩子。恋愛に疎かった彼女は奇妙な弁護士ダニエル・ブキャナンと出会い、愛の不思議に身を委ねていきます。
「ちょっとミステリアスで何をするか分からなくて。」(吾郎)
「だから最後も結局はこの愛がどこに行くか分からない、と。恋とか愛って常に移ろうもので、一番その炎が燃え盛っている時を書きたかったんです。どうなったかは問題じゃない。」(岸さん)
「なるほどね。この二人どうなったの?とか普通思っちゃうんだけど…。」(吾郎)
「そこは我慢して」(岸さん)
「僕が思ったのは、この歳になって恋愛するというのはこういうことが必要なのかな、と。ただダラダラお付き合いするのではなくて…」(吾郎)
「つまらないですよね」(岸さん)
「もちろん僕はまだ独身なので」(吾郎)
「ああ、そう!もったいないわね!」岸さんは目を丸くして驚きました。
「だからこういう恋愛をしてみたいな、と。」
というわけで吾郎が憧れるシーンを朗読。ブキャナンが操縦する小型飛行機の中、詩子がブキャナンに惹かれ始めていくデートシーンです。

詩子は、澄み切った青い空に浮いていた。
鳥肌が立つほど怯えている自分をどう落ち着かせてよいのか分からなかった。
飛行機を操縦するのが今のところ、いちばん心地よいストレス解消になっている、というダニエル・ブキャナンの誘いを断り切れなかった自分を、後悔しても遅かった。
空は青く、ウペット(白粉のパフ)と呼ばれているフランス独特の、綿のように柔らかい雲が眼の前に漂っている。
「詩子さん」
幾度目かの呼びかけにはっとした時、ウペット雲の層が滝のように激しく詩子の心臓をめがけて落ちてきた。
空の中から地球の中心へ向けて落ちてゆく、しゅわーっとした音色を持つ恐怖が全身を包み、夢中で絶叫した。
自分の叫び声に驚いて更に小さく叫んだ詩子の手が隣で操縦するブキャナンの手にあたたかく握られた。
「大丈夫ですよ。怖かったですか。」
「……何が起こったんですか、もしかしてエアポケットに落ちたんですか?」
「いや、落としたんです」
「まさか!エアポケットって作れるものなんですか?どうして、どうやって?」
「ちょっとガスを抜いたんですよ」
「ひどい人!どうしてなの?女を怖がらせる趣味がおありなの?」
「年に何回もパリ・東京を往復しているあなたなのに、プロペラがダメなんですか。幾度呼びかけても聞こえないようだったし、あなたの意味不明の怯えをショック療法で治したかったんですよ。驚かせちゃって、ごめんなさい」
「いやだ!許さない。」
「フランス流に『ミルフォワ・パルドン(千回ごめんなさい)』と言ってもダメ?」
お茶目な目に艶があった。
「悔しいけれど……今回だけならゆるす」
「今回だけなら、ということは、また乗ってくれるということですね」
「言葉尻をうまくとって!悪い弁護士先生だ!」
ダニエル・ブキャナンは愉快そうに笑った。
詩子の手は握ったままだった。
「許してもらったお礼に、世界一上手いキス・ランディングをして見せますよ」
「わたしの手を握ってくださっている手、お返ししましょうか?」
詩子にも、軽やかな茶目っ気が乗り移ってきた。
「大丈夫。ぼくのパイロットとしての腕は達人の域ですよ」
キス・ランディング……
ほんとうにそれは見事な着陸だった。

「ありがとうございます」と岸さんは落ち着いた声で言いました。岸さんの話し方は歯切れが良く上品で耳に心地よいです。
「いいなあ、憧れるなあ」と吾郎はうっとり。「良いじゃないですか、エアポケットに落ちるって。僕の表現でアレですけど恋に落ちたみたいな。」
「怖かったけど」と岸さんは半分苦笑い。ご自分の体験からインスピレーションを得て書いたシーンだそうです。

ここから岸さんの人生を振り返ります。
1949年(16歳)
映画の撮影を見学中にスカウトされ女優の道へ。そしてデビューからわずか2年後(1953年)代表作「君の名は」に出演。「君の名は」第1部・第2部は1953年度の配給収入ランキングの1位2位になり、翌年の第3部はあの黒澤明監督の「七人の侍」を配給収入ランキングで上回るなど空前の大ヒットとなりました。そして岸さん演じる主人公真知子の独特のスカーフの巻き方が大流行し、街には「真知子巻き」の女性があふれたそうです。しかし実は…
「私ビックリしたんですが、この『真知子巻き』は偶然生まれたものなんですか?」(外山さん)
「そうなんですよ。この日、私がわりと襟の開いた服を着ていたら雪が降って来ちゃったんです。であんまり寒いので自分で持ってた極細のスカーフを巻いたら流行っちゃったんです。」(岸さん)
「すごい。私物を使ったわけだよね。」(吾郎)
「もっと暖かいところだったら『真知子巻き』は生まれなかったんですね。」(外山さん)
「ほんとにきれいじゃない」当時の写真を見て、吾郎は感心するあまり声が裏返りました。
「松竹がビルを建てましたからね。」岸さんが淡々と言ったので外山さんは笑いだし「君の名は御殿!」と吾郎も突っ込みました。

1957年(24歳)
人気絶頂の最中、日仏合作映画「忘れえぬ慕情」の撮影で出会ったフランス人監督イヴ・シャンピと結婚。「君の名は」のわずか3年後のことでした。
「旦那様のどんなところに惹かれたんですか?」(吾郎)
「あのね、全然映画人っぽくなかった。私を普通の女の子として扱ってくれたんです。深い大海原みたいな人だったんですよ、寛大で懐の深い、堂々とした方で。『あなたは好奇心が強いし行動力もあるし、日本だけ見てるのはもったいない。世界中を見なさい。まずヨーロッパを見なさい。それでも日本の方が良かったら帰ってきたらいいじゃないですか』と言われて、じゃあパリに行ってみよう、と。」(岸さん)
「でも移住を決意するのは…」(吾郎)
「大変でしたよ。若気の至りでしょうね。」(岸さん)
1957年当時、日本人(民間人)の海外旅行はまだ厳しく規制されていて、国際結婚してパリに移住するなど考えられない時代だったのです。
「違う星に行く位の感覚ですよね。常識も通じないし言葉も通じないし。」(吾郎)
なんとパリまで50時間かかったそうです。給油のため7つの国に寄ったそう。
「50時間?!そんなにかかったんですか!」(吾郎)
「そして新しい生活が始まったわけですが、当時のパリの生活を岸さんご自身が紹介した映像があるそうなので…」(外山さん)
TBSに残っていた貴重な映像では42歳当時の岸さんがパリのご自宅の居間や食堂を紹介しています。居間には赤いカーペットが敷かれ、食堂にはお料理を運ぶお手伝いさんの姿も。この日は娘さんのお友達が遊びに来ていたので、娘さんの貴重な姿も映っていました。
「すごーい!何もかもが美しくて憧れてしまう。」吾郎はただ感心するばかりです。
華麗なパリ生活では、アラン・ドロンやイヴ・モンタンなど著名人との交流も深めました。画面で紹介されたのはアメリカの俳優ウィリアム・ホールデンと岸さんとのモノクロ2ショット写真です。
「これはね、実は私たちの前にオードリー・ヘップバーンが座ってて、彼女が撮った写真なんです。」(岸さん)
「えーっ!」吾郎は椅子から飛び上がりそうになりました。
「それで私は彼女を撮り損ねたんです。」(岸さん)
「オードリー・ヘップバーンもいらしてたんですね!」(外山さん)更に別の写真では、
「こちらはジャン・コクトー。私は彼の演出で初舞台を踏んだんです、パリで。」(岸さん)
「ジャン・コクトーと一緒にお仕事した人なんて日本の俳優さんでいたんですね!」(吾郎)
「でも日本の方、たった6人しか(その舞台を)観てないんです。その時に三島由紀夫さんが観てくださった。で、三島由紀夫さんとジャン・コクトーとの通訳を私がしたんです。」(岸さん)
三島由紀夫もジャン・コクトーも吾郎が尊敬する芸術家。その名前が当たり前のようにポンポン出てくるのですから驚きです。

しかし一見華麗なパリでの生活には人知れぬ苦悩もあったそうです。
「(嫁ぎ先の)シャンピ家というのは執事がいて料理人がいて、私昨日まで映画3本を掛け持ちするような忙しい生活をしてたのに、『何もしないでいい』と言われたことが凄いショックでした。居場所がない、する事がないですよね。」
「ちょっともう逃げ出したくなるとか…」(吾郎)
「何かやりたくなる!映画でも何でも良いからやりたくなっちゃう。」(岸さん)
「女優は引退されてたんですか?」(吾郎)
「引退というより出演できないと思っていました。(海外に)行ったら戻ってこられなかったかも知れない時代なんですよ。1年半経って『実家に帰って親孝行しなさい』と夫に言われて、帰ってきたら、木下恵介監督が台本を持って羽田に迎えに来てくださって大感激しました。それで再び女優生活が始まってしまった。」(岸さん)
「そうか、その間も日本に帰られて、市川崑監督とか日本の作品にもいっぱい出られて…。だから僕らが観てた70年代の岸さんの女優としての姿は、基本的にはパリにお住まいだった時…。そうすると、何となく…(夫婦間に)亀裂が入ってきてしまった、と。」(吾郎)
「それは当たり前ですよね…。私が悪かったんですよ。親のために帰してくれたのに、いろんな映画に出て不在が長かったから。」(岸さん)

1975年(43歳)
女優の仕事の為不在の時間が増えた事が夫婦間のすれ違いを生み、結婚から18年後に離婚。

1983年(51歳)
幼少期から作家に憧れていた岸さんは、初のエッセイ「巴里の空はあかね雲」で日本文芸大賞エッセイ賞を受賞。更にジャーナリストとしても活動を始め、イランやイスラエルなど紛争地域のルポを出版し世界の現実を伝えました。
「危険じゃないですか。」(外山さん)
「そういう所へ行きたいんですよ。」(岸さん)「なんでですか?書きたいからですか?」(外山さん)
「人間の顔が普通じゃないですよ。それを見ているのも面白いしそういう事にものすごく興味がある。」(岸さん)
前夫のシャンピ氏が言ったとおり、好奇心旺盛で世界に飛び出す方なんですね。

2003年(71歳)
初の長編小説「風が見ていた」で小説家デビュー。更に執筆に4年をかけた「わりなき恋」は28万部のベストセラーになりました。
「(「わりなき恋」では)高齢者の恋愛をとことんまで書きました。だって、高齢者の寂しい姿ばっかり見せるじゃないですか。」(岸さん)
「最近そういうのが多いですね。」(吾郎)
「私はそういうテレビは消します、嫌だから。」(岸さん)
「いくつになっても人は恋をするわけですし。」(吾郎)
「何もしなくなったらさっさと死にたいと思うし、まだまだいっぱい書きたいし、したいこともあるんです。」(岸さん)

そして番組はエンディングへ。
「今日は岸さんの劇的な人生を振り返りました。」(外山さん)
「自分は大人しすぎるのかな、と。興味があることでも一歩踏み出すって難しいじゃないですか。」(吾郎)
「踏み出してください。面白いことがありますよ。」岸さんは吾郎の方に身を乗り出して言いました。
「今のこの状態でも楽しいなとか、なんかこう石橋を叩いてちょっとずつでも、と思っちゃうんですけど。」と言う吾郎に岸さんからこんなアドバイスが。
「人生の中である日突然パッと普通でないことが起こるんですよ、誰しも。それに知らん顔してると平穏な昨日今日明日があるんですけど、パッと掴んじゃうと、もしかすると地獄に突き落とされるかも知れないけど、違う世界が見えてくるんです。」
「岸さんはそれをお持ちなんですね。だから僕もこれからだと思います、はい。」(吾郎)
「そうですよ。だってまだ結婚もしてらっしゃらない。」(岸さん)
「まずはそこですね。」(吾郎)
「びっくりしちゃう。こんなに素敵なのに、お二人とも。」(岸さん)
そこへAD山田くんが登場。披露した消しゴムはんこはパリ凱旋門の前に立つ真知子巻きの岸さんです。
「楽しかった」と岸さんにおっしゃって頂けて良かったです。


岸さんを見ていると何かを始めるのに遅すぎることはない、と感じます。岸さんの様に華々しくなくても、身近な所でも今までとは違う何かを始めると新しい世界が開けるかも知れませんね。


そして嬉しいお知らせ。
「ゴロウ・デラックス」が4月以降も継続されることが決まりました
「良質な番組なので継続させて頂くことにした」とのTBSさんのコメントが本当に有難いです。
4月以降は全国放送に向けて各地方局やBSでの放送、TVerでの配信もお願いしていきたいですね。


拍手ありがとうございます
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プロフィール

はちミツ

Author:はちミツ
【注意:当ブログの内容の無断転載は禁止します。】

稲垣吾郎さん大好き、SMAP大好き!の主婦。
吾郎ファン歴は26年目になります。
彼らがいつかまた集まりたいと思った時そうできるように、彼らがそれぞれ今いる場所で益々輝いていってほしいと願っています。
だから「SMAP大好き」という気持ちも「新しい地図の3人の活動を応援する」気持ちも私の中では同じ一つの思いなのです。
神奈川県在住。

近況
①毎週水曜日は「an・an」の「稲垣吾郎のシネマ・ナビ」をチェック!。
②「稲垣吾郎オフィシャルブログ」、twitterアカウント @ingkgrofficial も必見!
③「ゴロウ・デラックス」再開熱望!

メールは↓へ。
walkwithgoro☆hotmail.co.jp
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