Walking with GORO

稲垣吾郎さんとSMAPと新しい地図と。すべてが好きな主婦の日記 【無断転載禁止】

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【至急】 「クソ野郎と美しき世界」初日舞台挨拶&全国行脚

昨日「新しい地図」のサイトで発表されましたが、4/6(金)18時から東京・二子玉川で「クソ野郎と美しき世界」の初日舞台挨拶が行われ、全国83の映画館で同時中継されます。
詳しくはこちら

また、初日から4/8(日)までの3日間で吾郎・剛・慎吾の3人がそれぞれ全国を回って舞台挨拶をします。
詳しくはこちら
初日(6日)の朝9:30から3人揃って岩手・盛岡で舞台挨拶をするのが嬉しいです。地元の方が沢山見られると良いですね。
吾郎が3人の出身地(横浜・春日部・板橋)を担当するのも面白いです。慎吾は移動距離が長くて大変そうですが頑張って下さい。

チケット申し込み方法は映画館によって異なりますが、早いところでは31日午前0時(=明日24時)からの所もあるので、急いでご確認下さい。


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スーツでラップ (「ゴロウ・デラックス」 3/23)

オープニング。
「今日は慶應義塾大学の現代芸術の先生がいらっしゃいます。」(外山さん)
「ほう…大学の先生ということは今回はお勉強の回なんですか?…そうかそうか、じゃあ今回はピシッと襟を正して…」と吾郎が言い二人が席に着くと、いきなり照明が暗くなりビートのきいた低音が鳴り響きました。いつの間にかかっこいいDJがターンテーブルを回しています。セット奥の金ダルマに赤い照明が当たりスタジオの空気が一変する中登場したのは…

Zeebraさん。刺激的な歌詞のラップを歌いながら登場です。
「大学の先生じゃないの~?!」と吾郎はびっくり。今日はZeebraさんからヒップホップについて教えてもらいます♪

「物騒」などとネガティブなイメージで捉えられがちだったヒップホップも、最近ではその状況が随分変わっているそうです。現在ヒップホップダンスは中学校の体育で必修となっており、去年慶應義塾大学では大学で初めてヒップホップの講義が開かれ学問としての研究もされています。その講師こそ今夜のゲストでヒップホップ界の重鎮、Zeebraさんです。

課題図書 : 「ジブラの日本語ラップメソッド」 Zeebra

Zeebraさんが30年にわたるラップ人生で培ったスキルを惜しみなく解説した一冊です。パラパラめくった感じは普通の本というよりも参考書・問題集に近いかも…。

「Zeebraさんのファンの方は沢山いらっしゃるからこんな事言うと失礼かも知れませんけど、やっぱりカッコイイですよね!」(外山さん)
「カッコイイ!!」(吾郎)
「違うんですね、ちゃんとした方がやると!」外山さんは興奮して言いました。さらに、
「私偏見を持っていたんです。ラッパーとか、なんか怖いって…。」
「それを言うなら、ロックも昔は怖かったんじゃないですか?矢沢永吉さんとかあの時代の方はみんなバリッとして…」(Zeebraさん)
「確かに音楽で新しいジャンルのは、生まれたときは…」(吾郎)
「そう、他のものに負けちゃいけないから、気合い入れなきゃいけない。」(Zeebraさん)「初めのうちはね。」(吾郎)
「そのうち市民権を得て丸くなってくると、こうやって本書いたりとか(笑)」(Zeebraさん)
またZeebraさんはクラブ文化のネガティブなイメージを変えるべく活動してきた方でもあります。2011年頃、深夜0時過ぎのクラブ営業を禁止した風営法の規定はもはや時代錯誤だという議論が起こりました。Zeebraさんやラッパーの皆さんなどがクラブ周辺でゴミ拾いを行い夜クラブでダンスを楽しむ人達にマナー向上を訴えるなど地道な活動を続けた結果、2015年ついに風営法が改定され、クラブが朝まで営業できるようになったのです。
Zeebraさんのそのラップへの熱い思いを語った一説を吾郎が朗読。

「ラップは誰かから教わるものじゃない」っていう人多いですよね。
まあ、自己流でバッチリやれちゃうならそれでもいいんですが、せっかく三十年掛けて気づいたことをシェアしないのは勿体ないと思い、この本を作りました。
日本でのヒップホップを取り巻く現状は本場アメリカに比べるとまだまだ発展途上ですので、誰もが知っている著名ラッパーからアンダーグラウンドなラッパーまで皆が手探りで活動しています。それが故に、色々な試行錯誤があり、そういった経験が精神面を鍛えます。
もし、あなたがただの歌唱法としてのラップをしたいのではなく、ヒップホップとしてのラップをしたいのであれば、まずはヒップホップを知ることです。
どんな時代的背景がヒップホップを生み出したのか。
なにがヒップホップを世界のミュージック史上最も影響力あるジャンルに押し上げたのか。

「そうなんですね、ヒップホップの中にラップがある。」(吾郎)
昨年アメリカではR&B+ヒップホップの売り上げが初めてロックを抜いて1位になり、アメリカの音楽市場で一番影響力のあるジャンルになりましたが、意外と日本ではヒップホップ文化はまだ知られていないのだそうです。
ヒップホップには4大要素がある、とZeebraさん。それは
1. ラップ(歌唱法)
2. DJ(スクラッチなど)
3. ブレイクダンス
4. グラフィティアート(スプレーで壁に描いた作品など)
「そもそもは70年代初頭くらいにニューヨークで始まった文化で…ニューヨークのブロンクスという、当時だいぶ荒廃していた地域から始まって…みんなで自己表現していく為のカルチャーとして出来上がっていった。で70年代後半に初めてラップのレコードがヒットして(Rapper's Delight-The Sugarhill Gang・1979年)、80年代の中頃にRun-D.M.C.などが世界的にヒットして今に至る、という感じですかね。」(Zeebraさん)
「そうですね。それから日本に渡ってきたんですね。」(吾郎)
「日本だと80年代中頃から近田春夫さんとかいとうせいこうさんとかが試行錯誤しながらやっていらした。」(Zeebraさん)
近田さんやいとうさんは日本のヒップホップシーンの開拓者としてリスペクトされているそうです。
「80年代後半くらいに僕らは歌を始めてさ、それまではポップスとか歌謡曲を歌ってたんですけど、初めてヒップホップっぽいものを入れたりとか、そういうものへの憧れが結構あったんですよね、メンバーの間にも。その頃のことを思い出しますね、80年代中頃からというと。」と吾郎はSMAPの事を楽しそうに話し、Zeebraさんも興味深そうに頷きながら聞いていました。
(当時はまだアイドルがラップをやるのは珍しかったと思うので、その点でもSMAPは新鮮でした。)
そして今、日本でもラップが空前のブームになっているそうです。テレビやCMでも見かけますし、街中ではフリースタイルラップが繰り広げられているとか。
そこでZeebraさんから日本語ラップについて教えて頂きます。

ここからはAD山田くんも加わって、Zeebraさんの講義です。
まず吾郎が18ページの『ラップについて』を朗読。

ラップとは歌の手法のひとつ。
リズムに乗せて、韻を踏んで、歌う。それがラップ。
韻を踏むとはその「上手いこと言うね」感だ。
言葉遊びをしているだけなんだけれどね。
だけど、聴いている人はひざで手を打つように「すごく納得!」ってなっちゃう。
韻って、なんだか納得させられる魔法のようなもの。


Lesson 1. 魔法の言葉「韻」とは?
韻とは何かを知るために、Zeebraさんにデビュー曲「真っ昼間」を歌って頂きました。

午前10時部屋の中は既にサウナ
この暑さじゃ目が覚めちまうな
冷房ならあるがのどに悪ぃし
朝起きたとき気分ダリぃし
とりあえずは復活のシャワー
ゴシッゴシッと頭洗いながら
ボブの歌か何か口ずさみ
朝っぱらから風呂場でひとりJammin'

「先生かっこいいです!」(吾郎)
「ありがとうございます。こちらが本職となっております(笑)。」(Zeebraさん)
というやり取りのあと、この歌詞のどこが韻を踏んでいるのかみんなで考えました。
「一番シンプルなやり方としては行末で韻を踏んでいくんです。」(Zeebraさん)
この歌詞では行末の「サウナ/まうな」「わりぃし/ダリぃし」「シャワー/がら」「さみ/Jammin'」が韻を踏んでいます。更に
「上の句下の句、のように一つ(の単語)について韻を踏み、また次(の単語に)について踏んでいく、というのが基本です。」(Zeebraさん)
(脚韻を踏むのは英語の詩ではスタンダードな手法なので、この作詞法は実は古典的な方法だと思います。聴いて心地良い言葉のリズムというのは時代に関係なく変わらないのかも知れませんね。)
「日本語の韻の考え方は実は簡単で、一度母音にする。」(Zeebraさん)
「サウナ→あうあ」「わりぃし→あいぃい」というように母音にして、同じ母音の単語を探すわけです。

Lesson 2. 単語で韻を踏もう
例えば「ゴロウ」を母音に分解すると「おおう」となります。
「これは言い方もあって『ゴロー』と言うと『おー』となりますが、それはどっちでもいいかな?」(Zeebraさん)
と少し緩く考えて、韻を踏む言葉を探します。するとまっ先に手を挙げたのは山田くん。
「ほのお(炎)」
「おお、素晴らしい!例えば『この番組の司会はごろお、奴の中には燃え上がるほのお』…」(Zeebraさん)
「あー、もう出来た!」(吾郎)
「ね?そうなると何となく炎はゴロウの為にあるような言葉な感じがしてくる。」(Zeebraさん)「ほんとに」(外山さん)
「なんか他に浮かぶ人いますか?」(Zeebraさん)
「はい!…フォロー」(吾郎)
「それもバッチリ!いけますね。司会はゴロー…」(Zeebraさん)
「外山さん頼むよフォロー」(吾郎)
「その通り!素晴らしい!」(Zeebraさん)という感じで段々ノってきました。
これが「気の利いたこと言うね」感なのです。

Lesson 3. 自己紹介ラップ
「自己紹介ラップというのはだいたい自分の名前を入れたりするわけですよ。じゃここでフリースタイルで自己紹介をすると、
♪そうおれがZeebra
俺はヒップホップのプリズナー
今日も捕まったまんまみてぇな
感じだけどもここで教えてぇな
みんなに本物のライミング
それが一番今日のタイミング
ここTBS そこでこの後流れるCM
にもぜひ使ってくれ俺を
そんな感じ黒白オレオ だけど関係ねぇ
このままで戻れよ このラップのレッスンに
だからレッスンAからレッスンB…♪
…という感じで韻を踏んでいくんですけれども。」(Zeebraさん)
「ほー、自己PRされてましたね、」(吾郎)
「はい!CMくれ!って言いました(笑)」(Zeebraさん)
そこで、今まで出た単語を使って吾郎の自己紹介ラップを作ってみると…
この番組の司会はゴロー
内に秘める燃え上がる
「この場合吾郎さんだけの自己紹介ラップではなくて、吾郎さんと外山さんの自己紹介ラップと考えましょう。“フォロー”で(内容が)飛ばないように。」(Zeebraさん)そこで吾郎が考えたフレーズは
困ったときは外山がフォロー
最後の1行はZeebraさんが助け船を出して
ファンに届ける二人のまごころ
となりました。
そして出来上がった自己紹介ラップに吾郎が挑戦することに♪するとZeebraさんは
「ビートボックスやろうかな」と言い、「ドン、ズン、ドドン、ズン…」とリズムを刻み始めました。スーツでラップするゴローは格好良かったです!スタッフから拍手が起きました。
歌い終わると「入り方が難しいですね」と吾郎は言っていましたが、1行目と2行目を裏拍で入っていたのがさすがでしたね。やはりSMAPでラップを歌っていただけのことはあります。

これを踏まえて、Lesson 4.ではZeebraさんとゴロウ・デラックスオールスターズのスペシャルコラボを披露しました。
「初めてですね、歌で共演するの」と吾郎が外山さんに言いました。「困ったときには外山さんフォロー」と吾郎に言われて外山さんは笑い転げましたが、真面目な表情に戻ると
「先生、ラップでパフォーマンスするとき大事なことを教えて下さい。」と言いました。
「そうですね。マイクの持ち方ですが、普通に持つと動いた時手が動いてマイクが口から離れてしまう。だからマイクを持った手の親指を口の下に当てると、どう動いても絶対にマイクの向きが変わらない。」(Zeebraさん)
吾郎がやってみるとやや怪しげな動きに…「イケてますよ」と外山さんがフォローしていましたが…
コラボ楽曲はZeebraさんの半生を描いた「Street Dreams」。これに吾郎達が作ったオリジナル歌詞を載せて歌います。
山田くんも音楽をやっているのでノリノリです。

みんなかっこよかった!それぞれの鉄板ネタ(吾郎のマセラティ、外山さんの冷凍食品、山田くんの沖縄など)も織り込みつつ、ビシッと決めて爽快でした。スーツでラップするゴロー、大いにアリです!!

「こうやってやっていくとね、段々うまくなるし、ちょっとやると出来る感じがしてくる。」(Zeebraさん)
「気持ちいいよね」(吾郎)「みんなでやるとね」(外山さん)とみんな楽しそうです。
色々教えて下さったZeebraさん、ターンテーブルを回して下さったDJセロリさん、ありがとうございました。


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4月より朝日新聞で新連載開始!

本日の朝日新聞夕刊の1面で発表されました。

4月から月1回、吾郎、剛、慎吾が交代で登場する新連載「地図を広げて」がスタートします

”「SMAP」解散後、昨年9月に共同ファンサイト「新しい地図」を立ち上げて再出発した3人に伴走し、様々な挑戦やそのときどきの思いを語ってもらいます。”(紙面より)

思えばSMAP解散騒動の時もファンの署名活動を取材したり、クラウドファンディングで前代未聞の8面広告を載せてくれたり、SMAPとファンに伴走してくれた朝日新聞での月1連載。期待しています。

初回は吾郎が登場。関東地方では4月7日夕刊に掲載ですが、地方によって掲載日が異なるようなので、皆さんご確認下さい。
詳しくはこちら


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マシンガントークと怒濤(?)のプロモーション

土曜日の「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」(タマフル)はとても楽しかったです。
話の内容はさっぱり分からなかったのですが、宇多丸さんと吾郎が共通の趣味、銃について弾んだ声で延々と楽しそうに話し続けるのを聴いているだけで嬉しくなりました。自担がhappyならファンもhappyなのですね、きっと。
是非またこういう機会が出来ると良いですね。その時にはお互いに私物のモデルガンを持ち寄って盛り上がって欲しいです。

そのタマフルの最後でも宣伝しましたが映画「クソ野郎と美しき世界」のプロモーションがいよいよ本格的に始まります。
今日から東京の帝国ホテルプラザでPOP UP SHOPがオープンしますし、オフィシャルブックも発売されますし、雑誌への露出も増えます。今日発売の「Figaro Japon」の他、24日発売の「GQ Japan」にも3人が登場。14ページのファッション・ページを組んで下さるとか。グラビアの美しい雑誌ですから、是非チェックしたいです。
つい最近まで撮影していたのにもうすぐ公開なんですね。ドキドキワクワクしてきました。


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芥川賞・直木賞スペシャル後編 (「ゴロウ・デラックス」 3/16)

先週に引き続き、芥川賞・直木賞スペシャルの後編です。

今週取り上げるのはまず、門井慶喜さんの「銀河鉄道の父」(直木賞受賞作)。
「銀河鉄道の夜」「雨ニモマケズ」などで知られる童話作家で詩人の宮沢賢治(1896~1933)。その賢治の生涯を父・宮沢政次郎の視点で描いた小説です。
宮沢賢治は岩手県の質屋の長男として生まれましたが、子供の頃から病弱だったり家業を継がないと言い出したりと、父・政次郎は息子にハラハラさせられっぱなし。厳しくしようと思いながらも結局可愛さの方が勝って甘やかしてしまう、子煩悩な父と息子の物語です。
因みに門井さんは2003年に歴史小説作家としてデビュー。過去2回直木賞候補になり、今回3度目の正直(?)で念願の受賞となりました。
「歴史小説というと構えちゃうところがあったんですけど。」(外山さん)
「そんなことはなくて。ラブストーリーだよね、父と息子の。キュンキュンきましたね、同じ男としても。」(吾郎)
「ゴロウさん、お父さん役で…。」と外山さんが水を向けると
「僕が今言いたい言葉を言ってくれましたね。売り込みの時間ですよ。」と吾郎はアピールしました。
映像化の際には、是非稲垣吾郎で!

ここで吾郎が朗読。小学校4年生の賢治は家業とは関係ない「石集め」に没頭。それを良く思わない父・政次郎に石の標本箱をおねだりするシーンです。

賢治はまるで三歳児のように目をかがやかせて、
「便利なものがあるそうです」
「な、何だ」
「標本箱」
最初から話をここへ落としこむ気だったのだろう、賢治はすらすらと説明した。
「お父さん、買ってください」
賢治は立ちあがり、にわかに顔を寄せてきた。
「理科の勉強だじゃ。学校でも役立つ」
「…………」
「お父さん」
「…………」
半月後、政次郎は、古着の仕入れのため京都へ行った。
仕事のあいまに京都帝国大学ちかくの実験器具製作会社の代理店へ入り、われながら蚊の鳴くような声で、
「標本箱を五百ください」
「はあ」
「それを入れる大箱も。あるかぎり」
値段は予想どおり、紙箱のくせに信じがたいほど高価だった。
鉄道便で花巻へおくる手続きをしながら、政次郎は何度も自問した。
これで子供のただの石あつめに目的と、機能と、体系とかそなわる。
賢治の肥やしになる。
ほんとうになるか。
むしろ賢治を
(だめにするか)
答は分からない。
理解ある父になりたいのか、息子の壁でありたいのか。
ただ楽しくはある。
窓の外の夜空を見ながら、政次郎は、気づけば鼻歌をうたっていた。

宮沢賢治って結構贅沢な子供だったんですね。でまたあっさり買ってしまう父・政次郎がなんとも…。
実際、読者からの反響で多かったのが『宮沢賢治って貧乏な人かと思ってました』だったそうです。
「ところが現実の賢治を調べてみると、とんでもないお坊ちゃんなんですね。宮沢質店の長男として生まれ極めて裕福な環境で育つ。そして、実はこの標本箱のシーンは僕の考えたフィクションなんですが、その後宮沢賢治が東京に出て、父に「お金をください」「学費をいくらください」と手紙を書くのは本当なんです。その書簡が今でも残っています。ですから賢治は大人になっても相当お金の無心をした人だし、ということは、お父さんもおそらくお金を出した気がするんですね。『またこんなことでお金を…』とか『これでお金を出したら賢治がダメになる』とか思いながら最後には『ただ楽しくはある』って感じでお金を出しちゃうタイプの人だったんじゃないかと思います。」(門井さん)
「なぜ宮沢賢治のお父さんを主役にしたんですか?」(外山さん)
「きっかけは漫画なんです。学習漫画で宮沢賢治とかエジソンとかのシリーズになっているのを子供に読ませようと買って。で家にあると僕もついつい読んでしまう。別に小説のネタを拾ってやろうとかいうつもりはなかったんですが、たまたま宮沢賢治の伝記を読んだら、ちょこちょこ出てくるお父さんが賢治にものを書かせない抑圧的な悪役として描かれていたんですが、僕には大変立派な人に見えたんです。でこの人のことはもう少し調べてみたいと。ただの意地悪で賢治に辛く当たっているんじゃないんだと。調べ始めたら、案の定面白い!そこで編集者に相談して『書きたい人がいるんです』と申し上げたんですね。」(門井さん)
「へぇ、悪役として書かれていた…。調べるの大変だったでしょうね。」(外山さん)
「基本的に歴史なので文献資料で調べるんですが、皆さんご存じの通り、宮沢賢治に関しては資料は図書館が作れる位山ほどある。でも父・政次郎さんに関しては何にもない。ただ賢治の資料の中に…お友達が書いた回想録の中に、1行2行ちょこちょこと政次郎さんの事も出てきたりするんですね。そういう1行2行の文章をいろんな所から集めてきて…。これを“砂金を集めるような作業”と呼んでおりますが、その砂金で小さな仏像を作るような作業でした。」(門井さん)
ということで、授賞式直前の門井さんを直撃し、集めに集めた資料のほんの一部を見せて頂きました。
「場面場面で役に立った資料はあるんですが…」と言いながら門井さんが見せてくださったのは賢治が盛岡中学校に行っていた時代の盛岡の古地図です。他に賢治の母校・農業高校の校内地図も。
「本の形をした資料も大事ですが、それだけだと生の人間は出てこない気がするんですね。」と門井さん。「銀河鉄道の父」1冊を書くためにどれ位の資料を購入したかを番組スタッフに聞かれると、
「段ボール箱5箱までは数えたんですが…宮沢賢治全集だけでも3種類は揃えますし…その全集は5箱の中に数えていないんですが…」と気が遠くなるような答えが返ってきました。それらを基に門井さん独自の資料も作るそうで、
「年表は必ず作ります。宮沢賢治の年表であり、父・政次郎の年表であり、僕の小説の年表でもある。というのは、僕はフィクションのシーンを書くときでも必ずそれが何年何月何日に起こったか決めて書くんです。そうでないと他の史実との整合性が取れなくなるので。普通の史実は(年表に)普通に書いてあるんですけど、(年表に)“~シーン”と書いてあったらフィクションです。」
この方法は是非他の歴史小説作家にも勧めたい、と門井さん。
「無料で公開しますから」と大らかです。

門井さんは15歳12歳9歳の三人の男の子のお父さんでもあります。
「三人共男の子…賑やかですよね。小説を書くときは大丈夫なんですか?」(吾郎)
「自宅とは別に仕事場を持っています。」(門井さん)
「時間とか決まってるんですか?ルーティーンみたいな事とか。」(吾郎)
「僕はほぼ決まっています。朝4時に起きまして…」「へぇ~!」(外山さん)
その途端なぜか若竹さんが鉛筆を取り上げメモを始めました。
「…4時半に仕事場に入り、コーヒーを入れてクッキーを食べながら仕事を始め、7時に一端仕事を終えて家に帰り、子供達と一緒に朝ご飯を食べます。」(門井さん)
「ふ~ん」と言いながら若竹さんは鉛筆を動かしています。
「で子供達が学校に行くのが7時50分位ですので、僕はそこから昼寝をするんです。8時15分位に起きるとシャキッとして新たな気持で原稿に立ち向かう、と。」
「ちゃんとしてる~!」と吾郎は感嘆の声を上げましたが、ふと気が付いて
「若竹さんさっきから、落書きを書いてるんですか?」と話を振りました。
「いやいや、参考になるから…メモですよね?」と外山さんがフォロー。
「修学旅行のタイムスケジュールみたいな…」と門井さんが突っ込みましたが若竹さんは一切気にせず
「8時15分から何時位まで書くんですか?」
と質問したので門井さんは大笑いしました。
「後は楽屋でやって頂いて(笑)…執筆は夕方くらいまでですか?」と吾郎が話を本題に戻しました。
「そうですね、執筆は夕方くらいまで…だいたい(午後)6時で切ることにしています。」(門井さん)
「そうか、その後はお子さん達が帰ってきて、家族の時間を過ごして。」(吾郎)
「従って僕は夜は9時には寝ちゃうんです、基本的に。」と門井さん。お子さんとの時間を大事にしていらっしゃるのが分かります。
黙々と鉛筆を動かしている若竹さんを見て、石井さんも真似してメモを取り始めました。
「メモりましょう、石井さん!9時ですよ~。9時に寝て…」(吾郎)
「4時に起きます、はい!」(門井さん)
遂に吾郎まで「メモごっこ」を始めたので門井さんは
「メモを取って頂くのは大変有難いんですが、出来れば作品に感銘を受けて頂きたい…」と本音を漏らしました。

最後に紹介するのは石井遊佳さんの「百年泥」(芥川賞受賞作)。
主人公はインドのIT企業で働く日本語教師の女性。インドにやって来て間もないある日、百年に一度の大洪水に遭遇!水が引いた数日後会社に向かう橋を渡っていると、川の泥の中からそこにあるはずのない主人公の思い出の品や行方不明になっていた生きた人間が掘り返される…というなんとも不思議な物語です。
「僕すごく好きです。」(吾郎)「ありがとうございます」(石井さん)
「もう気持ちよく振り回して頂き…」(吾郎)「振り回されましたか?」(石井さん)
「ええ、翻弄して頂き…ファンタジーとリアルの行ったり来たりが気持ちよくて。」(吾郎)
「作中の『百年に一度の洪水』というのも実際に石井さんが体験なさったそうで。」(外山さん)
「そうですね。私は夫と一緒に2015年の4月にチェンナイに行きまして。行ったらすごく雨が多くて、でも初めて行ったからこんなものかなと思っていたら、ある朝窓を開けると道が川になってて。それから3日間外へ出られず…。」(石井さん)
「本当にリアルなんですよね。匂いとかもしてきそうな。」(外山さん)
インドでの実体験から生まれた作品ですが、その醍醐味は日常と非日常とが折り重なる何とも奇妙な世界観です。それが分かる一節を外山さんが朗読。

たしかにラッシュ時のチェンナイの交通機関や幹線道路の混乱は想像を絶し、例えば、この会社の重役は全員、ラッシュを避けるため飛翔によって通勤するが、それはチェンナイで暮らしはじめて以来、今では見慣れた光景になった。
たいてい毎朝九時ごろ、すでに三十度をはるかに越える酷暑の中を私は会社玄関に到着する。
その時ちょうど前方で脱翼した人をみると副社長で、
「おはようございます」
あいさつすると大柄な彼は私にむかって愛想よく片手を上げた。
そのまま趣味のよいブルーのワイシャツの襟元をととのえつつ両翼を重ねて、駐車場わきに無造作に放り出す、すると翼が地上に到達する直前に係員が受け止め、ほぼ一動作で駐車場隅の翼干場にふんわり置いた。

「私、本当にインドの人は飛んでいるのかと思って…」(外山さん)
「僕も一瞬ちょっと…ネットで調べようかと…」(吾郎)
「いや、まさかと思ったんですけど」「こういう書き方したらそう思うよ!」
外山さんと吾郎が口々に言うのを聞いて石井さんは
「思うツボですね」とニンマリ。
「ホントに不思議なんですよ。ありそうなことだから。」(外山さん)
「僕も今CMで白い羽つけてる。天使の羽ですけど。」(吾郎)
マジックリアリズムですね。」石井さんがさらっとキーワードを言いました。
マジックリアリズムとは、普通の世界が舞台のはずなのに当然のように非日常な事が起きる表現方法の事です。石井さんがお好きだというガルシア=マルケスや大江健三郎などがマジックリアリズムで独特の世界を表現していますが、「百年泥」の奇妙な世界観もこの手法で描かれているのです。
「現実というのは荒唐無稽で、その現実を捉えるのに忠実な叙述の仕方ではないかと思います。世界をありのままにけったいなままに書こうとすると、こういうやり方が要請されてくると私は思うんです。」石井さん独特の世界の捉え方に全員が「へぇ~」と感心しました。
「これはインドで執筆されたんですか?」(吾郎)
「全部インドですね。インドの自分のオフィスで。」(石井さん)
「生徒達とのやりとりはご自身の経験から?」(吾郎)
「そうですね。もうヒデェ目に遭ったので。」(石井さん)
「そうとう生徒達に対して思いがあるようで…」(吾郎)
「明日何を教えるか教本作りを毎日やっていて、土日もずっと教本作りで小説どころの騒ぎじゃなくて。でもなんか教室で面白いことを言ったりやったりするとノートの隅にちょこちょこっとメモだけはして。である時2~3ヶ月暇があったので『書いたれ~』と必死で書いたのがこれです。」(石井さん)
「3ヶ月でこれを書かれたんですか?!」(吾郎)「スゴイですね、速い!」(門井さん)
「だから本当に奇跡です。何かが私に書かせてくれたんやと思っています。」(石井さん)
「じゃあ次回作は?」(吾郎)
「デビューまでが長かったので何十…百近く書いているんですけど…」(石井さん)
「でも百編もあったら材料があるって事じゃないですか。」(吾郎)
「今書き直しているものはありますけど。インドの話ではなくて日本の話で、いづれにせよ荒唐無稽なけったいな世界を書くつもりです。」(石井さん)
「マジックリアリズムはご自身の中のテーマですか?」(吾郎)
「ええ、荒唐無稽なものじゃないと書く気がしない。」(石井さん)
こちらの次回作も期待して待ちたいです。

いよいよ番組はエンディングへ。
吾郎が手元の資料を見ながら
「なんか若竹さんがどなたかに会いたかった…?」
と質問すると若竹さんは恥ずかしそうに笑って
「香取慎吾さんに会いたかった…」と一言。(そうですか、若竹さんもNAKAMAですか!)
次の瞬間その若竹さんが「あ”~~~~!!」と絶叫。入ってきたAD山田くんを慎吾と見間違えたらしいです。
「そうかぁ…ごめんねぇ。一瞬香取くんに見えたね。」吾郎がフォローしました。
その山田くんが作ったのはお三方の似顔絵の消しゴムはんこ。喜んで頂けてよかったです。

今回の3作品はどれも興味深い内容で惹かれました。「おらおらでひとりいぐも」と「銀河鉄道の父」の岩手弁の響きは味わってみたいです。そして私は以前ガルシア=マルケスの「百年の孤独」と大江健三郎の「同時代ゲーム」を読んだことがありマジックリアリズムは割と好きなので、石井遊佳さんの「百年泥」にはハマるかも知れません。


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芥川賞・直木賞スペシャル前編 (「ゴロウ・デラックス」 3/9)

今回はゴロデラ恒例企画芥川賞・直木賞スペシャル!

課題図書 : 「百年泥」 石井遊佳 (第158回芥川賞受賞作)
        「おらおらでひとりいぐも」 若竹千佐子 (第158回芥川賞受賞作)
       「銀河鉄道の父」 門井慶喜 (第158回直木賞受賞作)

石井さんはインド在住。日本語教師の傍ら小説を執筆し、デビュー作で芥川賞を受賞しました。若竹さんもデビュー作で芥川賞を受賞。その題名「おらおらでひとりいぐも」は宮沢賢治の詩「永訣の朝」の一節から取られていますが、門井さんの直木賞受賞作「銀河鉄道の父」は宮沢賢治の一生を彼の父の視点から描いた作品です。
お三方からどんなお話が聞けるでしょうか。

「受賞会見は石井さんがインド在住で3人揃わなくて。今日は3人揃ってきてくれた?!」(吾郎)
「そうなんですよ!インドから帰ってきて下さって。ということで、受賞された3人が会うのは今日が初めてなんです。」(外山さん)
吾郎も外山さんも興奮気味。因みに番組収録は授賞式の前だったそうです。
「それは貴重ですね。」と吾郎。(←そう、ゴロデラは貴重な番組です!
「早速お呼びしましょう。第158回芥川賞を受賞された若竹千佐子さん・石井遊佳さん、そして直木賞の門井慶喜さんです。」
登場したお三方に吾郎から花束が手渡されました。黄色を基調にした可愛らしい花束です。
「今日はこの中のある方の熱望で、こんなモノをご用意しております!」(外山さん)
横から出てきたそれは…金屏風と赤絨毯!!
「なんで?なんで?」(吾郎)
「はい!」石井さんが元気よく手を挙げました。
「私、インドにいる時に受賞のお知らせを頂いて、私だけ電話会見なので電話を持って待ってたら、お二方が金屏風の前で話していて、『金屏風!アタシも金屏風~!』とか言って(笑)。でそんな事を申し上げましたら金屏風をご用意頂いて有難うございました。」
なるほど、花束を持ったお三方が金屏風の前に立つと会見っぽい画になりました。
「今日は雰囲気を出すためにこんな方達も来て下さいました。」
外山さんがこう言うと、カメラを持った男女がバラバラと入ってきました。会見の雰囲気を石井さんに味わって頂こうという趣向です。
カメラのフラッシュが一斉に焚かれると石井さんは大喜びで手を振り、門井さんもピースサインをして盛り上がっています。それを見ていた吾郎は
「何これ?!」と言いながらちゃっかり中に割り込んでしまいました(笑)。
(オープニングコントはこれでお終い?!)

「めっちゃ嬉しいです。ずっとお会いしたくて。」(石井さん)
「受賞会見の時に僕と若竹さんはお会いしているんですが、何しろすぐに控え室に行ってすぐに会見で…という感じでちょっとご挨拶しただけで。」(門井さん)
というわけで、席についてお三方がじっくりお話しするのは今回が初めて。そういう貴重な場を提供できるのもゴロデラの素晴らしいところですね。
「私の生まれた所と門井さんの今住まわれている所が近くて…。」(石井さん)
「そういう共通点が多いんですね今回。作品もそうですし。」(吾郎)
若竹さんと門井さんは作品が宮沢賢治関連。そして若竹さんと石井さんは
「師匠が一緒ですよね。」(石井さん)
という風に微妙に重なり合う共通点があるのです。

まず恒例の質問から。「受賞の瞬間何をしていましたか?」
「私は河出書房さんの会議室で。大福を食べながら…ハハハ」(若竹さん)
「僕はですね…ビールなんです。」(門井さん)
「ビール?!お酒飲んでたんですか?」(吾郎)
「ちょっとですけど。担当編集者30人くらいと受賞の知らせを待つ、僕らは『待ち会』と呼んでいますけれど。」(門井さん)
その時の写真が出ましたが、何だか楽しく盛り上がっているようで…。
「会社の飲み会みたいですね(笑)。」(外山さん)
「門井さんの目が賞取った目だもん(笑)。」(石井さん)
「これは受賞の知らせを頂いた直後の写真です。」(門井さん)
「”改めて乾杯”というやつですね。」(吾郎)
「僕はビールを飲みたいけどこれから会見があるから飲めないって顔なんです。我慢してるんです。」(門井さん)
「電話がかかってくるんでしたっけ?(受賞だと)分かりました?声聞いた瞬間。」(吾郎)
「あ、分かりました!」門井さんの顔がパッと輝きました。「実は僕、今回3回目の候補で受賞しましたので過去2回落選の電話を頂いているわけです。」だから違いが分かったわけですね。
インドで受賞を聞いた石井さんは、
「時差があって3時間半インドの方が遅いんです。で(連絡が)午後3時半くらいかなと思っていたら15分くらいに旦那の携帯が鳴って、なんか私の携帯がかかりにくかったらしくて。関係ない電話だと思ったらそれが受賞の電話だったので『おおー!』と。」
「受賞と聞いてどうでした?」(外山さん)
「初め聞こえづらくって…『もう一度』とか聞き返したら(笑)どうも『芥川龍之介賞に決定しました』と言っているようだから次の瞬間『ピース!』ですよ。」(石井さん)
「ちょっと電波状況も…」(吾郎)「聞こえづらかったです。」(石井さん)

さて、最初に紹介するのは若竹千佐子さんの「おらおらでひとりいぐも」。
主人公は夫に先立たれ一軒家でひとり暮らしをする桃子さん、74歳。自宅で一人でお茶を飲んだり病院へ通ったりとおひとり様の老後生活を送っていますが、その頭の中では故郷・岩手弁で話しかけてくる無数の話し声が…。リズム感溢れる岩手弁と標準語を織り交ぜ、老いの境地を描いた作品です。
因みに若竹さんも”岩手出身、ご主人と死別、現在一人暮らしの主婦”と桃子さんと同じ境遇とのこと。
「おらおらでひとりいぐも」のアクセントを若竹さんに確認する外山さん。さすがアナウンサーです。
「非常に楽しく読ませて頂きました。」吾郎は静かに微笑みました。「桃子さんいいですよね。すごくポジティブだし、老いに対しても。こういう事は我々もこれから考えなきゃいけないのかなって思ったり。」(←吾郎からこういう言葉が出るとは!)
ここで吾郎が朗読。しかし今回は超難解な岩手弁と標準語が入り交じるハードルの高い文体です。ちゃんと読めるのでしょうか?

嘆きの渦、悲嘆の呻きかしましく、こだまがこだまを呼んで共鳴しあい、柔毛突起ども総毛だって激しく振動鳴動する。
てへんだあなじょにすべがあぶぶぶぶぶっぶぷぷ
ああ、くそっ、周造、いいおとこだったのに周造、これがらずどぎに、なして
かえせじゃぁ、もどせじゃぁ
かえせもどせかえせもどせ
かえせもどせかえせもどせ
かえせもどせ
くそったれ
かえせもどせかえせもどせかえせってば
桃子さんはグラスを鷲摑みにし、握ったストローで哀れなソーダ水をこれでもかとかき回す。
回れ回るよソーダ水。
未だ溶け残ったいたいけな氷が三つ、亭主の敵とばかりになおもなおもストローの先で弄くり回した。

「すみませんでした」読み終わるなり吾郎は頭を下げました。
「てへんだあ なじょにすべが…」のくだりが難関ですよね。
「一度おしんの父親を演じたというのに…」と吾郎は反省しきりです。
「岩手弁で書こうと思ったのはなぜですか?」外山さんが訊きました。
「この小説は登場人物がほぼおばあさん一人なので、おばあさんの脳内のいろんな声をダイナミックに表す為に…標準語のつるんとした感じじゃなくて私の使い慣れた言葉でいろんな思いをダイレクトに伝えるために、あえて岩手弁が相応しいと思ったんです。」若竹さんは考えながら丁寧に答えました。確かに夫を失った悲しみが真っ直ぐに伝わってきますね。
「ちょっとうかがってもいいですか?」と門井さん。「方言が魅力的なのはもちろん分かるんですが、それを文字にする時に、100%話し言葉を文字にする事は出来ないじゃないですか。」
「確かに耳で聞いた音を文字にするのは難しいんだけれども、どうしてもこの言葉の厚みとか温かみを伝えたくて…だからもしも分からなくても…それはしょうがない。ある程度それ(分かりやすさ)を犠牲にしても…」(若竹さん)
「リズム感とか、書体の感じとか…」(吾郎)「そうですね」(若竹さん)
「門井さんがそれを気にされているのも、門井さんの小説を読むと分かる気がします。門井さんのは(読者に)親切な感じがしますね…」と吾郎。門井さんの「銀河鉄道の父」も岩手が舞台で賢治と父とのやり取りが岩手弁で書かれているのです。
「実は東北の方に方言の指導をして下さる方がいらっしゃって。僕の場合は結果としてより書き言葉に近い方言になったんじゃないかと思います。」と門井さん。若竹さんと門井さんの方言に対するアプローチの違いが面白いですね。

小説を書いてきちんと完結できるようになったのは小説講座に通い始めてから、という若竹さん。
「ご自分で小説を書きたいなと思って(講座に)行かれたんですか?」(外山さん)
「いや…。私が55歳の時に夫が突然亡くなって、悲しい悲しいの時に息子が『どこにいても悲しいから外に出ろ』と言って。息子が小説講座を探してきてくれたんです。」(若竹さん)
若竹さんのご主人は8年前、57歳の若さで脳梗塞で他界。悲しみに沈んでいる時息子さんの勧めで小説講座に通い始め、やがて幼い頃からの作家になる夢に向き合うようになったといいます。
「小説講座ってどんなところなんですか?」(吾郎)
「2~3週間に1回行って、提出された人の作品・自分の作品をみんなで読んで合評するだけ。先生が『こう書きなさい』という講義はしない。読んで感想を言い合う、その繰り返しです。」(若竹さん)
「書き方を教えてくれるんじゃないんだ。」(吾郎)
「なんか怖い…。ボロクソに言われたら次の週休みたくなりません?」(外山さん)
「でも、それが結構面白い。もちろん人の作品もボロクソに言うけれど…(笑)やっぱり言った分は言われますよね?」若竹さんは石井さんに同意を求めました。
若竹さんと石井さんは同じ先生の小説講座に通っていたのです。
「兄弟弟子。偶然なんですけど。」と石井さん。別の教室でしたが通っていた時期は同じだったそうです。
その根本先生という方は色々なところで教えている有名な元編集者だそうで、
「私はなかなか褒めない先生って印象だったけど、若竹さんは毎回褒められていたって…。」(石井さん)「ちがうちがう!」(若竹さん)
「褒めない先生だったんですか?」(吾郎)
「褒めるんだけど…必ず何かがついてくる。で授業の後に必ず飲み会があって、先生は焼酎を飲んでいるので、先生の脇にひっついて自分の作品について詳しい話を聞く。そっちの方が本番。」(石井さん)「そうそうそう!」(若竹さん)
「先生は初めは褒めてくれていても、酔うに従って『ダメっすね』とかけなし始めて、最後には全否定されて終わる…」(石井さん)
「じゃあ同じパターン!」若竹さんも笑っています。
「根本先生って人も凄いですね!」と吾郎。

というわけで、芥川賞作家を2人も育てた根本先生に番組はインタビューしました。
根元昌夫先生はカルチャーセンターや大学などで10講座もの教室を持ち、今受講希望者が殺到しているそうです。編集者時代には吉本ばななさん、小川洋子さんのデビューにも関わった凄い方なのです。
お弟子さんが芥川賞を受賞した事について聞くと
「本当のことを言うと、若竹さんの作品は今回100%賞を取れると思ってたわけ。でも言った手前、若竹さんが芥川賞取らなかったらどうしよう…と思ったから、すごくホッとした(笑)。」
お二人にどんな指導をしたのかを聞くと
「若竹さんはご主人が亡くなって本当に悲しい。自分の感情をぶつけるような詩を書いていた。でもそれでは本当の意味での悲しさ、喪失感は伝わらないから『もう少し時間や距離を置いたら?』と言ったわけです。」
「石井さんはね、最初から石井さんの小説はちょっとレベルが違う感じだった。いつ新人賞を取ってもおかしくない小説を書いていた。」
あまり褒めない先生だったと言われている件については
「褒めてたと思うけどね~」と笑っておられました。
根本先生、お忙しい中有難うございました。

現在50万部突破の大ヒットになっている「おらおらでひとりいぐも」。若竹さんがこれを執筆するに当たってヒントにしたモノがあるそうです。それは、
「何年か前に『レ・ミゼラブル』の映画を観てすごく感動して、あの歌をもう一回聴きたいとYouTubeでググって、そしたらミュージカルの舞台動画が出てきて、ジャン・バルジャンや学生や宿屋の主人が各自のパートを歌っているのがすごく良くて、一斉に皆がいろんな自分の思いを叫ぶ、みたいなのをなんとか小説で出来ないかと。」
「面白い。それ、ミュージカル感ですよね、アンサンブルで。そういう音の聞こえ方がこの小説を読むとしてきますね。ザワザワといろんな所から音が聞こえてきて。」吾郎が熱っぽく語るのを、若竹さんは頷きながら聞いていました。(吾郎のこの感想は、自分がミュージカルを演った経験から出てきたのでしょう。聞いていて私はちょっと胸が熱くなりました。)
一方外山さんは別の所に食いつきました。
「若竹さん、さっき『ググって』なんておっしゃってましたけど、よくYouTubeなんて見ていらっしゃるんですか?」
若竹さんはちょっと照れ笑いをしながら
「YouTube、2ちゃんねるもよく見ます。本当はヒミツなんですけれども。」
いろんな人のいろんな生活が覗き込めるから好き、と若竹さん。
「2ちゃんねるとは意外だね…。ご自身の作品とかご自分の事とかも見たりするんですか?いわゆるエゴサーチ的なものとか自分で見たりします?」(吾郎)
「それはね、見ない見ない。恥ずかしくて見られない。」(若竹さん)
「(2ちゃんねるで)人の生活は見るわけですね?」門井さんの突っ込みに全員爆笑でした。

「いろんな方に聞かれていると思いますが、次回作は考えていらっしゃるんですか?」(外山さん)
「考えてはいるんですけど…言うとね…安心してやらなくなるから…これだけはごめんなさい。」(若竹さん)
若竹さんは「言って自分にプレッシャーをかける」タイプではなく、「言っちゃうと安心して完成したような気になる」タイプのようです。
「普通は逆だもん」(吾郎)「逆です」(門井さん)
言ったらやらなきゃならなくなるから言った方がいい、という男性陣。
「63年で1本の人だから、次は100歳頃…」と若竹さんは謙遜していますが、構想中の次回作に期待しましょう。

次回も引き続き「芥川賞・直木賞SP」。石井さんの「百年泥」、門井さんの「銀河鉄道の父」の魅力に迫ります。どんなお話が出てくるか楽しみです。


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諸々

3月11日がやって来ました。東日本大震災から7年。短いと感じた方も長いと感じた方もいらっしゃると思います。つい忘れがちになりますが、復興への道のりはまだ半ば。寄付をしたり、買い物をしたり、身の回りで出来ることを続けていきたいと思います。

吾郎・剛・慎吾の3人が「3月11日に寄せて」というメッセージ動画を「新しい地図」のサイトにアップしています。
今まで何度か被災地に足を運んだけれど最近は行っていないと言い「行こうね」「そうだね」という言葉で締めくくっています。SMAPの名前こそ出さない(出せない)ものの、過去の支援活動を振り返りながら今後への思いを語っているので、是非見て下さい。
「3月11日に寄せて」(新しい地図topics)

さて、ここからは情報です。
【雑誌】
3/12 (月) 「AERA」 「稲垣吾郎・草彅剛・香取慎吾がパラスポーツ応援」

【ラジオ】
3/17 (土) TBSラジオ 「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」(タマフル)内「サタデーナイト・ラボ」コーナー(23:00~24:00)
ゲスト : 稲垣吾郎 「映画と銃」特集
昨年「an・an」での映画と銃談義が盛り上がったのを受けて、宇多丸さんのラジオ番組に吾郎が生出演します。楽しみですね!
詳しくはこちら
なお宇多丸さんの番組自体は22:00から始まっていますので、お時間のある方は始めから聴いてみて下さい。


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「クソ野郎と美しき世界」POP UP SHOPが期間限定オープン

4/6の公開に向けて、またまたニュースです。

映画の世界を楽しめる「POP UP SHOP」が期間限定でオープンします

期間 : 3/20(火)~4/20(金)
時間 : 11:00~19:00
場所 : 帝国ホテルプラザ東京 (東京・日比谷)

映画で使用した衣装やピアノなどの展示、限定グッズの販売、カフェなど、映画の世界が楽しめるようです。懐かしいスマショを思い出しますが、今回の場所はあの帝国ホテル内の商業施設。世界中の一流の方々が利用する場所ですから、行列するにしても何にしてもマナーを守って楽しみたいです。

詳しくは「クソ野郎と美しき世界」公式サイト
     帝国ホテルプラザ東京


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女優として作家として (「ゴロウ・デラックス」 3/2)

オープニング。
「今夜は芸歴67年の大女優さんがゲストです。」(外山さん)
「もう大大大先輩なんですけれども今でもお綺麗で…。」(吾郎)

岸惠子さん、85歳。1951年18歳の時映画デビュー。市川崑や木下恵介など名だたる監督たちに愛され数多くの作品に出演し、今でも第一線で活躍する大女優です。特に「君の名は」は空前の大ヒットとなり「真知子巻き」というファッションが社会現象にもなりました。しかし人気絶頂の最中の1957年、24歳でフランス人映画監督と結婚しフランスで主婦に。そして18年後、41歳で離婚。51歳で初のエッセイを71歳で初の小説を出版し、女優業と並行して作家活動をしておられます。昨年には菊池寛賞を受賞されるなど、その業績は高く評価されているのです。
今なお輝き続ける岸惠子さんの数奇で華麗な人生に迫ります。

今回、岸さんと吾郎は初対面。でも
「僕も金田一(耕助)さんだったことがありまして…」(吾郎)
「え?」(岸さん)
「テレビシリーズだったんですけれども。僕も『悪魔の手毬唄』をやらせていただきまして、その時市川崑監督の作品も勉強のために見せて頂いて、はい。そんな共通点が。」(吾郎)
岸さんは1977年に市川崑監督の映画「悪魔の手毬唄」に出演。吾郎は2003年にドラマ版「悪魔の手毬唄」で金田一耕助役を演じたので、そこで繋がりがあったのです。
「それは観てみたかった。」と岸さん。
(稲垣吾郎版金田一耕助からもう15年経つんですね。新作と過去作品のソフト化はお願いし続けなければ。)
「岸さんはまだパリに住んでいらっしゃるというわけでは無いんですか?」(外山さん)
「事務所は持ってます。」(岸さん)
「じゃ日本に戻られたのは?」(外山さん)
「2000年です。結局43年パリにいました。」(岸さん)
「憧れちゃいますよね…。」吾郎がうっとりと言いました。
「当時まだお小さいでしょう?」(岸さん)
「僕が今44歳で。1973年に生まれたんです。」(吾郎)
岸さんのお嬢さんは1963年生まれで、息子さんが2人いらっしゃるそうです。それにしても岸さん、17歳のお孫さんがいらっしゃるようには見えません、お若い!

課題図書 : 「愛のかたち」 岸惠子

主人公は化粧品会社のパリ駐在員、渚詩子。恋愛に疎かった彼女は奇妙な弁護士ダニエル・ブキャナンと出会い、愛の不思議に身を委ねていきます。
「ちょっとミステリアスで何をするか分からなくて。」(吾郎)
「だから最後も結局はこの愛がどこに行くか分からない、と。恋とか愛って常に移ろうもので、一番その炎が燃え盛っている時を書きたかったんです。どうなったかは問題じゃない。」(岸さん)
「なるほどね。この二人どうなったの?とか普通思っちゃうんだけど…。」(吾郎)
「そこは我慢して」(岸さん)
「僕が思ったのは、この歳になって恋愛するというのはこういうことが必要なのかな、と。ただダラダラお付き合いするのではなくて…」(吾郎)
「つまらないですよね」(岸さん)
「もちろん僕はまだ独身なので」(吾郎)
「ああ、そう!もったいないわね!」岸さんは目を丸くして驚きました。
「だからこういう恋愛をしてみたいな、と。」
というわけで吾郎が憧れるシーンを朗読。ブキャナンが操縦する小型飛行機の中、詩子がブキャナンに惹かれ始めていくデートシーンです。

詩子は、澄み切った青い空に浮いていた。
鳥肌が立つほど怯えている自分をどう落ち着かせてよいのか分からなかった。
飛行機を操縦するのが今のところ、いちばん心地よいストレス解消になっている、というダニエル・ブキャナンの誘いを断り切れなかった自分を、後悔しても遅かった。
空は青く、ウペット(白粉のパフ)と呼ばれているフランス独特の、綿のように柔らかい雲が眼の前に漂っている。
「詩子さん」
幾度目かの呼びかけにはっとした時、ウペット雲の層が滝のように激しく詩子の心臓をめがけて落ちてきた。
空の中から地球の中心へ向けて落ちてゆく、しゅわーっとした音色を持つ恐怖が全身を包み、夢中で絶叫した。
自分の叫び声に驚いて更に小さく叫んだ詩子の手が隣で操縦するブキャナンの手にあたたかく握られた。
「大丈夫ですよ。怖かったですか。」
「……何が起こったんですか、もしかしてエアポケットに落ちたんですか?」
「いや、落としたんです」
「まさか!エアポケットって作れるものなんですか?どうして、どうやって?」
「ちょっとガスを抜いたんですよ」
「ひどい人!どうしてなの?女を怖がらせる趣味がおありなの?」
「年に何回もパリ・東京を往復しているあなたなのに、プロペラがダメなんですか。幾度呼びかけても聞こえないようだったし、あなたの意味不明の怯えをショック療法で治したかったんですよ。驚かせちゃって、ごめんなさい」
「いやだ!許さない。」
「フランス流に『ミルフォワ・パルドン(千回ごめんなさい)』と言ってもダメ?」
お茶目な目に艶があった。
「悔しいけれど……今回だけならゆるす」
「今回だけなら、ということは、また乗ってくれるということですね」
「言葉尻をうまくとって!悪い弁護士先生だ!」
ダニエル・ブキャナンは愉快そうに笑った。
詩子の手は握ったままだった。
「許してもらったお礼に、世界一上手いキス・ランディングをして見せますよ」
「わたしの手を握ってくださっている手、お返ししましょうか?」
詩子にも、軽やかな茶目っ気が乗り移ってきた。
「大丈夫。ぼくのパイロットとしての腕は達人の域ですよ」
キス・ランディング……
ほんとうにそれは見事な着陸だった。

「ありがとうございます」と岸さんは落ち着いた声で言いました。岸さんの話し方は歯切れが良く上品で耳に心地よいです。
「いいなあ、憧れるなあ」と吾郎はうっとり。「良いじゃないですか、エアポケットに落ちるって。僕の表現でアレですけど恋に落ちたみたいな。」
「怖かったけど」と岸さんは半分苦笑い。ご自分の体験からインスピレーションを得て書いたシーンだそうです。

ここから岸さんの人生を振り返ります。
1949年(16歳)
映画の撮影を見学中にスカウトされ女優の道へ。そしてデビューからわずか2年後(1953年)代表作「君の名は」に出演。「君の名は」第1部・第2部は1953年度の配給収入ランキングの1位2位になり、翌年の第3部はあの黒澤明監督の「七人の侍」を配給収入ランキングで上回るなど空前の大ヒットとなりました。そして岸さん演じる主人公真知子の独特のスカーフの巻き方が大流行し、街には「真知子巻き」の女性があふれたそうです。しかし実は…
「私ビックリしたんですが、この『真知子巻き』は偶然生まれたものなんですか?」(外山さん)
「そうなんですよ。この日、私がわりと襟の開いた服を着ていたら雪が降って来ちゃったんです。であんまり寒いので自分で持ってた極細のスカーフを巻いたら流行っちゃったんです。」(岸さん)
「すごい。私物を使ったわけだよね。」(吾郎)
「もっと暖かいところだったら『真知子巻き』は生まれなかったんですね。」(外山さん)
「ほんとにきれいじゃない」当時の写真を見て、吾郎は感心するあまり声が裏返りました。
「松竹がビルを建てましたからね。」岸さんが淡々と言ったので外山さんは笑いだし「君の名は御殿!」と吾郎も突っ込みました。

1957年(24歳)
人気絶頂の最中、日仏合作映画「忘れえぬ慕情」の撮影で出会ったフランス人監督イヴ・シャンピと結婚。「君の名は」のわずか3年後のことでした。
「旦那様のどんなところに惹かれたんですか?」(吾郎)
「あのね、全然映画人っぽくなかった。私を普通の女の子として扱ってくれたんです。深い大海原みたいな人だったんですよ、寛大で懐の深い、堂々とした方で。『あなたは好奇心が強いし行動力もあるし、日本だけ見てるのはもったいない。世界中を見なさい。まずヨーロッパを見なさい。それでも日本の方が良かったら帰ってきたらいいじゃないですか』と言われて、じゃあパリに行ってみよう、と。」(岸さん)
「でも移住を決意するのは…」(吾郎)
「大変でしたよ。若気の至りでしょうね。」(岸さん)
1957年当時、日本人(民間人)の海外旅行はまだ厳しく規制されていて、国際結婚してパリに移住するなど考えられない時代だったのです。
「違う星に行く位の感覚ですよね。常識も通じないし言葉も通じないし。」(吾郎)
なんとパリまで50時間かかったそうです。給油のため7つの国に寄ったそう。
「50時間?!そんなにかかったんですか!」(吾郎)
「そして新しい生活が始まったわけですが、当時のパリの生活を岸さんご自身が紹介した映像があるそうなので…」(外山さん)
TBSに残っていた貴重な映像では42歳当時の岸さんがパリのご自宅の居間や食堂を紹介しています。居間には赤いカーペットが敷かれ、食堂にはお料理を運ぶお手伝いさんの姿も。この日は娘さんのお友達が遊びに来ていたので、娘さんの貴重な姿も映っていました。
「すごーい!何もかもが美しくて憧れてしまう。」吾郎はただ感心するばかりです。
華麗なパリ生活では、アラン・ドロンやイヴ・モンタンなど著名人との交流も深めました。画面で紹介されたのはアメリカの俳優ウィリアム・ホールデンと岸さんとのモノクロ2ショット写真です。
「これはね、実は私たちの前にオードリー・ヘップバーンが座ってて、彼女が撮った写真なんです。」(岸さん)
「えーっ!」吾郎は椅子から飛び上がりそうになりました。
「それで私は彼女を撮り損ねたんです。」(岸さん)
「オードリー・ヘップバーンもいらしてたんですね!」(外山さん)更に別の写真では、
「こちらはジャン・コクトー。私は彼の演出で初舞台を踏んだんです、パリで。」(岸さん)
「ジャン・コクトーと一緒にお仕事した人なんて日本の俳優さんでいたんですね!」(吾郎)
「でも日本の方、たった6人しか(その舞台を)観てないんです。その時に三島由紀夫さんが観てくださった。で、三島由紀夫さんとジャン・コクトーとの通訳を私がしたんです。」(岸さん)
三島由紀夫もジャン・コクトーも吾郎が尊敬する芸術家。その名前が当たり前のようにポンポン出てくるのですから驚きです。

しかし一見華麗なパリでの生活には人知れぬ苦悩もあったそうです。
「(嫁ぎ先の)シャンピ家というのは執事がいて料理人がいて、私昨日まで映画3本を掛け持ちするような忙しい生活をしてたのに、『何もしないでいい』と言われたことが凄いショックでした。居場所がない、する事がないですよね。」
「ちょっともう逃げ出したくなるとか…」(吾郎)
「何かやりたくなる!映画でも何でも良いからやりたくなっちゃう。」(岸さん)
「女優は引退されてたんですか?」(吾郎)
「引退というより出演できないと思っていました。(海外に)行ったら戻ってこられなかったかも知れない時代なんですよ。1年半経って『実家に帰って親孝行しなさい』と夫に言われて、帰ってきたら、木下恵介監督が台本を持って羽田に迎えに来てくださって大感激しました。それで再び女優生活が始まってしまった。」(岸さん)
「そうか、その間も日本に帰られて、市川崑監督とか日本の作品にもいっぱい出られて…。だから僕らが観てた70年代の岸さんの女優としての姿は、基本的にはパリにお住まいだった時…。そうすると、何となく…(夫婦間に)亀裂が入ってきてしまった、と。」(吾郎)
「それは当たり前ですよね…。私が悪かったんですよ。親のために帰してくれたのに、いろんな映画に出て不在が長かったから。」(岸さん)

1975年(43歳)
女優の仕事の為不在の時間が増えた事が夫婦間のすれ違いを生み、結婚から18年後に離婚。

1983年(51歳)
幼少期から作家に憧れていた岸さんは、初のエッセイ「巴里の空はあかね雲」で日本文芸大賞エッセイ賞を受賞。更にジャーナリストとしても活動を始め、イランやイスラエルなど紛争地域のルポを出版し世界の現実を伝えました。
「危険じゃないですか。」(外山さん)
「そういう所へ行きたいんですよ。」(岸さん)「なんでですか?書きたいからですか?」(外山さん)
「人間の顔が普通じゃないですよ。それを見ているのも面白いしそういう事にものすごく興味がある。」(岸さん)
前夫のシャンピ氏が言ったとおり、好奇心旺盛で世界に飛び出す方なんですね。

2003年(71歳)
初の長編小説「風が見ていた」で小説家デビュー。更に執筆に4年をかけた「わりなき恋」は28万部のベストセラーになりました。
「(「わりなき恋」では)高齢者の恋愛をとことんまで書きました。だって、高齢者の寂しい姿ばっかり見せるじゃないですか。」(岸さん)
「最近そういうのが多いですね。」(吾郎)
「私はそういうテレビは消します、嫌だから。」(岸さん)
「いくつになっても人は恋をするわけですし。」(吾郎)
「何もしなくなったらさっさと死にたいと思うし、まだまだいっぱい書きたいし、したいこともあるんです。」(岸さん)

そして番組はエンディングへ。
「今日は岸さんの劇的な人生を振り返りました。」(外山さん)
「自分は大人しすぎるのかな、と。興味があることでも一歩踏み出すって難しいじゃないですか。」(吾郎)
「踏み出してください。面白いことがありますよ。」岸さんは吾郎の方に身を乗り出して言いました。
「今のこの状態でも楽しいなとか、なんかこう石橋を叩いてちょっとずつでも、と思っちゃうんですけど。」と言う吾郎に岸さんからこんなアドバイスが。
「人生の中である日突然パッと普通でないことが起こるんですよ、誰しも。それに知らん顔してると平穏な昨日今日明日があるんですけど、パッと掴んじゃうと、もしかすると地獄に突き落とされるかも知れないけど、違う世界が見えてくるんです。」
「岸さんはそれをお持ちなんですね。だから僕もこれからだと思います、はい。」(吾郎)
「そうですよ。だってまだ結婚もしてらっしゃらない。」(岸さん)
「まずはそこですね。」(吾郎)
「びっくりしちゃう。こんなに素敵なのに、お二人とも。」(岸さん)
そこへAD山田くんが登場。披露した消しゴムはんこはパリ凱旋門の前に立つ真知子巻きの岸さんです。
「楽しかった」と岸さんにおっしゃって頂けて良かったです。


岸さんを見ていると何かを始めるのに遅すぎることはない、と感じます。岸さんの様に華々しくなくても、身近な所でも今までとは違う何かを始めると新しい世界が開けるかも知れませんね。


そして嬉しいお知らせ。
「ゴロウ・デラックス」が4月以降も継続されることが決まりました
「良質な番組なので継続させて頂くことにした」とのTBSさんのコメントが本当に有難いです。
4月以降は全国放送に向けて各地方局やBSでの放送、TVerでの配信もお願いしていきたいですね。


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パラ駅伝2018に行ってきました

今年で3回目になるパラ駅伝。第1回の時行こうと思えば行けたのに行かず大変後悔したので、今回は絶対行こうと思っていました。チケット発売日に予定が入りチケットが取れなかったのですが、幸い譲って頂けて参加できました。譲ってくださったFさん、ありがとうございます。

生吾郎に会うのは一昨年10月の映画「少女」の初日舞台挨拶以来、剛と慎吾に至っては2014年9月の「Mr.S」東京ドームライブ以来なので舞い上がってしまいました。そのためか撮った写真が見事に全部ピンボケでお見せできないのが申し訳ないです。

汗ばむような暖かさの中、ランナーの皆さんの力強い走りには喝を入れられたような気がしました。伴走者と共に力走した第1ランナーの視覚障害者の皆さんや車椅子で最後まで走りきったアンカーの皆さん。一人一人が自分の精一杯の走りに誇りを持っている姿がとても良かったです。
DSC_2678.jpg千葉県のチーム「チーバくん」の最終ランナーしゅんぺいくんは最後の上り坂で脱輪してしまいましたが、頑張ってスタジアムに帰ってきました。吾郎、剛、慎吾はスタジアムの外まで迎えに行ってゴールまで伴走しました。会場の「しゅんぺい」コールがすごかったです。

今回のゲストは新しい地図の3人の他にタカアンドトシのお二人、次長課長河本さん、YoutTuberのはじめしゃちょーさん。応援やトークで大会を盛り上げました。次長課長河本さんと吾郎が久々に一緒にお仕事できたのが私としては嬉しかったです。

ランナーの方がスタジアムを出て行った後帰ってくるまで暇かなあ?と思っていたのですが、実際は色々なトークがあったりウェーブの練習をしたり、平昌パラリンピックに送る応援の折り鶴を折ったりとやる事が沢山あって面白かったです。

話は前後しますが、オープニングアクトで、パラサポセンターに慎吾が描いた壁画をレゴで複製した作品がお披露目されました。制作したのは以前「ゴロウ・デラックス」に出演なさったレゴプロビルダーの三井順平さん。慎吾は「僕も少しやったけど本当に大変だった。『ここをもう少し膨らませてください』なんてお願いしたけどそうすると三井さんの作業が増えるんですよね。」と言っていました。このレゴ壁画はこれからパラサポのイベントの際に展示されるそうです。

表彰式が終わり、いよいよ3人のライブ!野外で彼らの歌を聴くのは私は初めてで、青空の下で歌う3人が眩しかったです。やはりスターは輝きが違いますね(←今更)。
そして!パラスポーツ応援ソング「雨あがりのステップ」」初披露!新曲です!ミディアムテンポの明るい曲でとても好きになれそうです。
3/19からiTunes限定で配信され売り上げは全額寄付されるそうなので、楽しみに待ちましょう。

ボランティアの皆さんやスタートから最終ランナーのゴールまで応援し続けた日体大応援部の皆さんなど沢山の方の力で成り立っている大会だなとも感じました。皆さんありがとうございます。
今回参加できて良かったです。来年もまた行きたいです。


拍手ありがとうございます





【緊急】 明日の「行列の出来る法律相談所」は要録画!

突然のお知らせですが、明日(3/4)の「行列の出来る法律相談所」(日テレ系)は要録画です!

先日ネット中継された「サントリー新オールフリーCM監督対決」で制作された4本のCMの総集編が、この番組の枠内で放送されるそうです。
詳しくはこちら

地上波のゴールデンタイムでしんごろのCMは久しぶりの気がします。ワクワクしますね。


拍手ありがとうございます