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松本零士漫画の極意 (「ゴロウ・デラックス」 10/27)

伝説の漫画家シリーズ第5弾松本零士先生の後編です。

まず「銀河鉄道999」第1話を吾郎、外山さん、AD山田くんとで完全朗読しました。
物語は2212年の地球が舞台。母親を機械伯爵に殺された鉄郎が、謎の美女メーテルと共に銀河鉄道999に乗り、母の遺言通り機械の体をただでくれる惑星へと旅立つまでが描かれます。
鉄郎の母を殺された悲しみ、機械伯爵に復讐する怒り、旅立ちへの希望。吾郎の「おかあさん」の叫びが真に迫っていて思わず涙が出ました。それから今回は山田くんの機械伯爵役の朗読も良かったです。
(因みに、鉄郎は機械伯爵に復讐してから999に乗るんですね。私は思い違いしていました。)

今回は課題図書を基に、松本先生の漫画の極意をたっぷり伺います。

課題図書 : 「零次元マンガの描き方 松本零士」 松本零士

その1. 【SFにおけるリアリティ篇】
松本先生の漫画では銀河鉄道999や宇宙戦艦ヤマトなど、宇宙を舞台に架空の乗り物が登場します。読者にリアリティを感じてもらうためには、架空の世界だからこそ徹底的な取材と設定作りが大切なのだそうです。
「宇宙戦艦ヤマトだと、例えばメカニックな部分ではどういった取材をするんですか?」(吾郎)
「私が本郷三丁目の山越館に下宿していた時、隣の部屋にいたのが猿渡元海軍中佐…戦艦武蔵を護衛していた重巡洋艦最上の、副艦長だったんですよ。で私の部屋にやってきてカーテンにピンで留めてあるものを見て『船好きなのか?』『好きですよ』と。で私が描いているものも見せたら『よし』と言って戦艦大和の設計図をドスンと1箱くれたんです。」(松本先生)
その方は終戦の時に取り上げられる前に持って帰ったのだそうで(そんな国家機密、普通は持ち出せませんよね)、
「私は戦艦大和の構造を全部知ってたんです。だから宇宙戦艦を依頼された時に、全部図面で知っててああいう設定ができた。」(松本先生)
外から見える第一艦橋、第二艦橋だけでなく、船底にある第三艦橋射撃策定盤室まで描くことができたのだとか。
「SFだと完全にイマジネーションの世界だけでいいのかなと思っちゃうけど、やっぱりそういうリアリティというものも必要なんですね。」(吾郎)
「必要です、リアリティというのは。一番大切なのは『何のためにこれを描くのか』ということ。次に大切なのは『いつの時代の何を描くのか』を自分で選定し歴史をキチンと知った上でその物体を描くこと。」(松本先生)
「何でもかんでもイメージで描いてはいけないんですね。」(吾郎)

極意その2.【絵のディデール篇】
「999」や「ヤマト」など松本作品には非常に細かく描き込まれた計器類がしばしば登場し独特の雰囲気を作っています。これらは海外では「レイジメーター」と呼ばれ注目を集めているのだそうです。
「先生といえばレイジメーターですね。」と外山さんが言うと先生は腕時計を手に取り「私はこういう時計が好きでしてね」と切り出しました。
「それ、飛行機の時計ですよね?」と吾郎が訊くと
「航空時計ですよね。高度や速度が分かる…。その前から飛行機のメーターとかが好きだった。」と先生。目盛が付いたものが好きだったそうです。
「コックピットのメーターとか何か憧れがある。僕も好きです。」と吾郎も目を輝かせました。自分の好きな物(時計など)を取り入れて描写に生かすのが松本先生の極意なのです。
さらに、とても細かく描き込まれた未来の街並も松本作品の特徴の一つですが、それにはこんなエピソードも。
「僕はビルをいっぱい描いてる。こういうビルが憧れだったんです。で東京に来てビルを見上げた時に『俺は未来を描いてたんだ』と思って喜んでたんですよ。そしたら(高層ビルの)設計者の一人に2、3年前に会いましてね、『俺はあんたの漫画を小学生の時に見て、それに憧れてあのビルを建てた。』と。そういう人が現れたんですよ。なんか知らないけど相互に関係があるんですね。私の絵を見て作ったビルだと言うから似たものもいっぱいあるんです。」(松本先生)
吾郎はビルの写真集(?)と見比べて「確かに東京の高層ビルですよね」と納得しました。
「それがこうなるだろうといろいろ考えて、上が出っ張っていたり…」(松本先生)
「ええ、こういうのありますよね。」(外山さん)
非常に興味深いお話ですが、この時私の目はソファに座った吾郎の膝にロックオン。実はメーテルの衣装を着たままだったのでスカートからおみ足が大胆に見えていたのです。眼福…。

極意その3.【美女篇】
ここで、課題図書から先生の美女に対するこだわりが書かれた部分を吾郎が朗読。

子供の頃から絶世の美女を描きたいと思っていた。
それも醜男が美女を好きになったら、その美女も男の気持ちに応えてくれるような物語のヒロインとして。
私が理想とする女性は美しくて強い女性だ。
傷ついた者を癒すときには天使のように優しく、大切な人を守ろうとするときには戦士のように雄々しい。
そんな両面を持った女性が好きだ。


「みんな好きですよね。」(吾郎)「そうですよね。」(外山さん)
「私もたくさん映画を見たり小説を読んだり漫画を見たりしたからその影響もあるんですが、そういうのが好きなんですよ、強いのが。」(松本先生)
実はメーテルには原型があります。それは松本先生の1968年の作品「セクサロイド」に登場する、ユキという人間の性機能を持ったロボットです。先生は元々少女漫画家でしたが、この「セクサロイド」から青年漫画誌に連載を持つようになりました。
なぜ、突然セクシーな美女を描くようになったのでしょうか?
「実は少女雑誌から男の漫画家が全部クビになりましてね。少年誌は重鎮が押さえているから出番がない。男の漫画家の仕事がなくなった時に青年誌が生まれた。で私に青年誌から依頼が来て表紙から全部描いた、「セクサロイド」も。それが私を助けてくれた。」(松本先生)
「メーテルの前ですもんね。」(吾郎)「こういう顔を描きたかった。」(松本先生)
「ほんとうにキレイですよね。僕こういう女性がタイプですもん、先生が描く女性。」(吾郎)
確かに男性の理想をすべて盛り込んだ感じの女性ですよね。ハードルが高すぎる気もしますが。

「女性の髪を長くしたのはヌードの時に局部を隠すため。表現上それはとても大事な事ですから。」(松本先生)
「メーテルなんかちょっとスッポンポンになっちゃう時がありますもんね(笑)。温泉にも入ってましたもんね。」(吾郎)
「そう。長い髪の毛だから隠れるんですね。衣装と同じなんです。」(松本先生)
メーテルの髪をそういう風に見たことがなかったので新鮮な驚きでした。
そこで外山さんから嬉しいお知らせが。
「今日はですね、先生が吾郎さんの前で美女を描いてくださるという…。」
「ほんとですか?!」吾郎のテンションも一気に上がります。

そして松本先生がメーテルの描き方を実演してくださいました。
1本の油性ペンで額から鼻、口元、目と睫毛、髪の毛、首元のポンポン、帽子の順で描いていきます。目と睫毛はペンを細かく動かして奥行を出し、長い髪は一気に描き、ポンポンは動物の毛の感じを出すためペンを押しつけながら太い線で、と描き分けていくと、メーテルの横顔が出来上がりました。左向きの顔でも右向きの顔でもどちらでも描けるそうです。描きあげたメーテルに日付とサインを入れながら先生はおっしゃいました。
「松本零士というのは終わりなき士(さむらい)という意味。零、マルは永遠に0でしょ。止まらない。だから終わりなき士なんです。」
「そういう意味で零士にしたんですか?」(外山さん)
「そうです。でもペンネームにすると言ったら、親父が『親がつけてやった名前が一番いい』と言って…もう1枚ないですか?もう1枚描きます。」先生は話しながらも決して手は止めません。
描き上がった右向きメーテルの色紙を吾郎は自分の顔の横にもってきました。自分もメーテルの黒い服を着ている事に気がついたようで
「メーテル忘れてた。」と一言。
その間に先生は左向きのメーテルも描いてくださいました。並べると2人のメーテルが向かい合っているようでとても素敵でした。

そこへ、
「間もなく発車時刻が近づいて参りました。」
と言いながら、999の車掌さんのコスプレをしたAD山田くんが入ってきました。ちょっと緊張の面持ちで披露した消しゴムはんこは
上下左右を短い線路に囲まれた鉄郎。黒い紙に金や銀のインクで押してあって、今までにない雰囲気の消しゴムはんこに仕上がりました。これには松本先生も感心しておられました。

戦艦大和の設計図をすべて読み、アニメ制作の装置を手作りするなど、まるでエンジニアのような松本先生。松本ワールドの秘密はここにもあるように思いました。


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5時に夢中!に大興奮♪ (10/24)

それは突然のお知らせでした。

昨日私は表参道のスパイラルで開かれている日本財団さんのアート展「Museum of Together」(~31日)を見に行きました。一番のお目当ては慎吾の絵でしたが、他にも惹きつけられる作品がたくさんあって、とても楽しかったです。
作品を見終わって、併設のカフェでランチでも・・・と思いながらtwitterを開くと思いがけない情報が飛び込んできました。

「この後、東京MXテレビの「5時に夢中!」に稲垣吾郎が緊急生出演!」

しかも情報が解禁されたのが午後1時。出演の4時間前に発表なんていくら何でも急すぎる!もちろん録画予約もしていません。私はすぐに家に帰ることにしました。ランチは抜きです(トホホ)。何とか5時までに帰れたので、録画しながらリアルタイムで見られました。

MCはふかわりょうさん、火曜日のコメンテーターはゴロデラでおなじみの岩下尚史さんで、吾郎は番組の最初から登場。とてもリラックスしていました。うっすらとおひげを生やし、眼鏡はかけていません(眼鏡なしはポイント高いですね)。岩下さんと冗談を言い合ったり、ふかわさんから「ここ(TOKYO MX)地図に載ってました?」と聞かれて「家から近いので気楽な気分で来ました。」と答えたり、更には奥様のお悩みに生電話で答える、という昔のみのもんたさんのような企画にも挑戦したりとバラエティに富んだ内容でした。
「新しい地図」の活動も話題になり、映画「クソ野郎と美しき世界」について今スタッフと打ち合わせをしている事や、72時間ホンネテレビではずっと起きてはいられないと思うと言ってふかわさん達の笑いを誘っていました。
映画の監督やスタッフがまだ決まっていない、と聞くと岩下さんが「私も作家なんだけど脚本を書かせてくれない?」と売り込む一幕も。これからがとても楽しみになりました。本当に1時間があっという間でした。

しかし驚いたのは一夜明けた今朝です。各局のWSがMXに入るところと出るところを取材して、その映像を流したのです。
吾郎は帰りの車に乗り込むとき「頑張りますんでよろしくお願いします」と取材陣に挨拶しました。とても明るい表情でした。
東京のローカル局の番組に出演したことがこんなに話題になるとは!生番組に出る事はそれだけインパクトがあるんですね。でも他局の入り出を取材するくらいなら、自局の番組に出演させたらどうでしょうか。きっと反響がありますよ。
CM業界の皆さんもいかがですか?稲垣吾郎を使ってみませんか?

因みに私がスパイラルを出た後慎吾が来場したそうで、会えた方はラッキーでしたね。吾郎も慎吾も活発に動いているのがうれしいです。


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零から999へ (「ゴロウ・デラックス」 10/20)

夜のロケです。そしていきなり
「普通逆ですよね。」と顔を見合わせる吾郎と外山さん。
何と吾郎がメーテル、外山さんが鉄郎のコスプレです!
「でもよく似合ってますよ。」(外山さん)
「延々とこういう事やってるからね…。でも久々でこういう女装嬉しいわ♡」(吾郎)
ということで今回は伝説の漫画家シリーズ第5弾、松本零士さんです。

課題図書 : 「零次元マンガの描き方 松本零士」 松本零士

松本零士さんといえば、「銀河鉄道999」「キャプテンハーロック」「宇宙戦艦ヤマト」などの名作で知られる日本SF漫画界の大巨匠。2012年にはフランス芸術文化勲章を受賞し、その作品はフランス語をはじめ6か国語に翻訳されて世界中で高く評価されています。

吾郎と外山さんはは松本先生のご自宅兼仕事場の「零時社」に伺いました。ここは松本作品にも通じるこだわりのものが沢山詰まった場所でもあります。
吾郎と外山さんが門を入るとすぐに鉄道の大きな車輪が置かれていました。
「これは999じゃないですか?」と早速テンションが上がる吾郎。そこへ
「こんにちは。よろしくお願いします。」と松本零士先生が声をかけて出迎えて下さいました。
「メーテルです」「鉄郎です」と吾郎と外山さんは挨拶しましたが先生は特にそれには触れず真っすぐ車輪を指さして
「これはですね、私は蒸気機関車に乗って上京したんです。これはデゴイチ、D51の主輪です。」(松本先生)
「じゃ、上京の思い出の」(吾郎)
「そうです、これにピストンが付く。」(松本先生)
「こんな大きいんですね。」(外山さん)見た感じ外山さんの身長より大きいです。
「そう、日本の蒸気機関車の中では一番大きい車輪。この場所にしか置けない、重すぎて。」(松本先生)
さらに先生は二人に見せたいものがあると言って、先に立って歩き出しました。それに続きながら吾郎は
「先生は僕たちのメーテルと鉄郎に関しては何も触れて頂けない…」と外山さんに言いました。
「先生、メーテルなんですけど」と外山さんが訴えましたが先生は振り向きもせず「そうですね」の一言で片づけてしまいました。それよりも見せたいものがあるようです。
3人がやってきたのは車庫。電動シャッターを開けると見事なクラシック・カーが現れました。松本先生のこだわりの愛車、1960年代のモーガン。しかも輸入第1号とか。ナンバーはもちろん「999」です。
「(輸入)第1号が先生として、2号、3号は?」(吾郎)
「2号は石原慎太郎さんが持っていらしたし…。これで走り回っておりました。」(松本先生)日本に数台しかない貴重な車を見せて頂いて吾郎も外山さんも感激です。

そしていよいよご自宅の中へお邪魔するのですがその玄関ドアにもこだわりが。ドアにいくつかの丸窓が縦に付いているのですが、よく見ると映画フィルムのリールなのです。これは松本先生自身の設計だそうで「かわいい」と吾郎。
そのドアを開けて中に入るとすぐ、なぜか飛行機の椅子が置いてあります。「(飛行機が)禁煙になったので(椅子が)取り換えになって叩き売られた。」(松本先生)
「なるほど、前のは灰皿が付いてますもんね。」(吾郎)「広いですね。」(外山さん)
これはビジネスクラスのシートで、編集者が待ち時間にくつろげるよう玄関に置いてあるのだそうです。吾郎と外山さんは座ってみました。
「座り心地いいですね。」(吾郎)「ひろーい♪」(外山さん)と二人は喜びましたが、次の瞬間吾郎は隣のサイドテーブルに目を止めました。
「こちらに旧日本陸軍と海軍の戦闘機が。」
「そうですね、私の父親が乗っていたものですから。陸軍の戦闘機隊です。」(松本先生)
「じゃあこれは隼と飛燕ですね。」と吾郎はすかさず言い、松本先生とごく自然に旧日本軍の戦闘機の話をしていました(話が早すぎて私には何のことかわかりませんでしたが。)ついには
「一式陸攻、僕もプラモデルで作りましたよ!」と立ち上がり、カメラに背を向けて戦闘機模型に見入ってしまいました。そこへ入った字幕が
ロケを忘れた43歳”(←やっぱり言われちゃった)
「そしてなぜかシカも」飛行機模型の隣にあるシカのはく製に外山さんが気付きました。
「これはキリンカモシカ。アフリカのケニアのサバンナで私が仕留めて肉は食べてしまいました。ではく製にして持って帰ったんです。」(松本先生)
「え?先生が?!」(外山さん)
「ライオンと決闘したかったんですが残念ながらライオンと決闘できなくてキリンカモシカを食べちゃった。」(松本先生)
「ライオンじゃなくて良かったですよ」飛行機模型を夢中になって見ていた吾郎が向き直って言いました。

続いて応接間へ。ここには古代生物の化石や先生の大好きな銃やフィギュア、大量の漫画などが積まれています。最初に目に留まったのは時計のコレクション。
「この2つは私がデザインした『メーテルモデル』と『フロム・ザ・ムーン・トゥ・マーズ』。今実際に宇宙飛行士がこの時計をつけて飛んでます。」松本先生は大の時計好きなのですが、それが高じてスイスの名門時計会社オメガから宇宙飛行士用の時計デザインも依頼されたのです。
メーテルモデルは文字盤の裏にメーテルの顔が刻まれています。
「山崎直子さんはこれをつけてました。」と松本先生。
フロム・ザ・ムーン・トゥ・マーズは地球と月と火星が文字盤にデザインされたもの。これが宇宙に行っていると思うとテンションが上がりますね。
さらに外山さんが発見したのが大量の漫画。
「これは小学生の時に描いた漫画。」と松本先生は茶色く変色した雑誌を取り上げました。「へぇー、取ってあるんですね!」と外山さんは感心しました。
これらを小学3,4年生の頃に描いたというから驚きです。
「学級文庫の為に描いた。恐竜とかが好きだったのでそれを描いたわけです。で、ほら見て下さい、もう今のロケットを描いてるわけですよ。まだロケットがない時に。」(松本先生)
「すごーい!」(外山さん)「だって1949年だよ。」(吾郎)
「先生これは?」外山さんは漫画の山に埋もれている機械に気付いて訊きました。
「これはあのー、五段マルチ撮影台といいましてね、セル板を入れてアニメーションを作るときに使うんです。手作りです、下宿で作ったんですよ。」
「先生が作ったんですか?!」(外山さん)
「そうです」と先生がこともなげに言ったので外山さんと吾郎は驚きました。
ディズニー映画が大好きだった松本先生は、日本にまだアニメ制作用の装置がない頃、アメリカの本に載っていた写真を基に自作してしまったのです。
「で、なにか逮捕されそうになった事があると伺いましたが。」(外山さん)
「それはね、古道具屋で映写機やフィルムや(を買って)撮影台を使って(アニメ制作を)やってるでしょう?そしたら古道具屋でフィルムを買って、上映して金を取ってたヤツがいたらしいんです。その一味だと思われて、私と手塚(治虫)さんと石ノ森(章太郎)氏、自称日本三大アニメマニアが3人同時に同じ日に家宅捜索を受けたんです。」(松本先生)「えー!」(吾郎)松本先生が23歳の時でした。
「『何の為にフィルムを買うの?』と聞かれて『漫画映画を作る研究用であります』と言ったら刑事さんが『研究用?研究用かあ。それならいいや。頑張ってくれよ。』と背中をバーンを叩いて本当に励まして帰してくれた。窓から『頑張れよー』と。3人ともそうだった。これが日本三大アニメマニア芋づる事件というんですけど(笑)。」(松本先生)
アニメ制作にはいろいろな苦労があったのですね。しかし、「自称」はいらないと思いますよ、世界が認めるアニメマニアですから!そしてその苦労が歴史的名作の誕生に役立ちました。
「手塚さんの『鉄腕アトム』ね。あの第1話の編集は私の映写機でやったんです。手塚さんからいきなり電話があって『助けてくれ』って。『映写機が壊れて編集ができない。明日が試写会だ。』と。その頃は虫プロが富士見台にあったので、そこに自分の映写機を持って行って編集した。」(松本先生)
「それを先生が手助けしなければ『アトム』の1話目はできなかった…。」(吾郎)
「それで石ノ森氏が出て、私も出て、映り始めたから、刑事さんたちにも分かってもらえたと思う。『あー、コイツらだ』と。」(松本先生)

「とにかくやっぱり、絵だけじゃなくて動かしたかったんだね。」(吾郎)
「漫画映画を作ることが最初からの夢だったわけですよ。」(松本先生)
その夢を実現しようと装置まで自作する道を選んだ松本先生でしたが、がんばり過ぎてとんでもない事に…。
「この機械で自分で作ろうと思ったんですよ。で中古の16ミリでは足りないから35ミリの撮影台まで買ってやったけどお金がない。17秒しか作れないので自分で作るのを諦めた。……それでインキンタムシになって助かったんですよ。」
「えっ?????」熱心に聞いていた吾郎と外山さんはあっけにとられました。
「インキンタムシって痒いでしょ?接触感染だから誰かが持ち込んだわけですよ。」淡々と話し続ける松本先生に
「ちょっと痒いか知らないです…」と外山さんは困惑。
「股ぐらが痒くて、血だらけで大変なことになる。本郷三丁目を股ぐら掻きながら歩いたら交番にとっ捕まりまして。『昼間から交差点でマスかくバカがいるか!』と。」構わず話し続ける先生に
「勘違いされたんですね。」と言いながらチラリとカメラを気にする吾郎。
「『何を言うか。ここが痒いからだ。』と。で新聞を見たら『白癬菌 俗にいうたむし』と書いてある。学名なら言えるわけです。そこで赤門前の薬屋へ行って『白癬菌の薬を下さい』と言ったら『おお、お前もタムシか』と。それで売ってもらった薬で一発で治ったんです。」とそこまで聞いても話の流れが読めず
「先生なんで急にそんな話…」と外山さんは苦笑いしました。
「…でそういう事もあって、それが『男おいどん』になったんです。」と松本先生。
「ああ、それが『男おいどん』につながってくるんですね!」外山さんはやっとホッとしました。
実は松本先生の初めてのヒット作はSF漫画ではなく、四畳半に暮らす学生を描いたギャグ漫画の「男おいどん」でした。その中で最も反響が大きかったのがインキン治療の話。当時恥ずかしくて人に言えない学生たちの共感を呼んだのです。
「皆薬の事を知らないので薬の事を漫画に描いたんです、名前もそのまま。そしたら段ボール何箱分かのファンレターが来ましてね、『おかげで元気になった!』『私の彼が元気になりました。あなたのおかげでした。』とか。そのファンレターの中に森木深雪という名前があった。それが後の『宇宙戦艦ヤマト』の森雪の名前になったんです。」…色々なことがあったようですがつまり
「インキンタムシが私を助けてくれた。私はインキンタムシに救われた男です。」と松本先生。外山さんは思わず笑いましたが、吾郎は予想外の話の展開にやや呆然としていました。
因みに、それが縁でそのインキンタムシの薬は長い間、松本先生のイラストがパッケージになっていたそうです。

その後1974年には「宇宙戦艦ヤマト」のアニメが大ヒット。1977年には「銀河鉄道999」の連載を開始しこれも大ヒット、アニメ化されました。

その数々の名作を生みだした先生の仕事場へ吾郎と外山さんはお邪魔しました。仕事場へ上る階段にも沢山の資料と道具が置かれています。「スタジオ」と書かれた部屋に入ると
「うわー!」と吾郎が思わず声をあげました。広い部屋の中にうずたかく資料が積み上げられています。その中に大きな机が。
「ここが自分が仕事をする場所です。」と先生。「ここでお描きになっているんですね!」と吾郎。先生はちょうど鉄郎とメーテルを描いている所だったそうです。
「さっきの私達ですね。」(外山さん)「そう、先生触れて下さらなかった。」(吾郎)
「仕事道具は全部小学生の時から使ってる。」と先生。「ペン立てもずっと同じだし、(描くのは)墨汁か証券用のインク。」
「証券用のインクというのはなんでですか?」と外山さんが訊きました。
「これは1回乾くと水に濡れても溶けない。」と先生。そういう物がある事を今回初めて知りました。
「父親はパイロットでしたからね、これは飛行士が飛行する時に計画を立てる計画定規です。」と先生は古い定規を見せて下さいました。かなり大きな定規で真ん中に分度器が付いています。「これを何分の一かの写真の上に乗せて、飛行角度を割り出していく。」
松本先生はお父様の使っていた道具を自分の作画道具として使っているのです。
「非常に使いやすい。こういう物は生産されてないですからね。このおかげで私は車のコマ割りの角度なんかを決めることができた。」次々と貴重なお話が聞けるので、吾郎も外山さんも「へぇー」と感心しています。
「まるでコックピットみたいだね。」と吾郎。ここから夢にあふれたSF漫画の名作が生まれたのですね。

と、今回はここまで。次回は松本先生がメーテルの描き方を徹底解説してくださるそうなので楽しみです。


ところで一つ嬉しいお知らせが。「ゴロウ・デラックス」公式twitterが開設されました。アカウント名は
@goroudx_tbs
です。皆さん是非フォローしてくださいね


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文化放送のフリーペーパーに吾郎が登場!

文化放送のフリーペーパー「フクミミ」11月号に吾郎が登場します。
しかも表紙&インタビューです♪
東京・神奈川・埼玉・千葉で配布しますが郵送でも受け付けます。
発行部数は今回特別に増刷して5万部だそうです。
一人でも多くのファンが手にできるといいですね。

配布場所や郵送での申し込み方法、問い合わせ先は→詳細

拍手ありがとうございます

華やかな渋谷にも漆黒の闇にもオザケンが流れていたあの頃 (「ゴロウ・デラックス」 10/13)

吾郎の顔がすっきりしてアイドルらしい感じに戻ってきました。髪と髭を伸ばして大人のワイルドな色気を漂わせていたのも素敵でしたが、アイドル然とした吾郎も大好きです。

オープニング。
「今回はデビュー作が7万5000部の大ヒットになっている、twitter発の作家さんがゲストです。」(外山さん)
「twitter発というのは今の時代ならではですね。外山さんもやってるんでしょ?」(吾郎)
「やってます。知らないうちにフォロワーが1万人いるんですよ。」(外山さん)

いつも通り席に着くと吾郎が訊きました。
「何でtwitterやってるの?」
「ラジオの番組でやってそのままになってるだけなんですよ。」(外山さん)
「あまり更新してないんでしょ?」(吾郎)「全然!」(外山さん)
「1万人が待ってるんだよ?」(吾郎)
「そんな事よく言いますよね。」(外山さん少し動揺)
いやいや、あなたのtwitterは34万人が待っているんですよ、吾郎。
それはともかく、
「この方すごいんですよ。本も面白くてさらっと読めた。」と吾郎は楽しそうです。

課題図書 : 「ボクたちはみんな大人になれなかった」 燃え殻

燃え殻さん、43歳。デビュー作「ボクたちはみんな大人になれなかった」が発売1カ月で7万5000部という異例のヒットとなり、糸井重里さんや堀江貴文さんなど各界の著名人から絶賛を受けるなど大きな注目を集めています。
しかし本職は作家ではなく、テレビの美術製作スタッフなのだそうです。
「燃え殻さんの会社にはゴロウ・デラックスも大変お世話になってるんですよ…ほらこれ!」と外山さんが言うと画面が変わり、歴史上の人物の等身大パネルが。「日本史有名人の身体測定」(2016年5月5日放送)で使ったものです。
「これ?等身大の?聖徳太子がやたら背が高い、っていう…」(吾郎)
「等身大パネルとかイラストとかフリップとか…。今日僕作ってきたんです。」と言いながら燃え殻さんは自己紹介用のフリップを取り出しました。ゲストさんがフリップを手作りしたのはゴロデラ始まって以来初めてです。
「写真も自分で選んだ?」(吾郎)
「ええ、イイやつを選びました。」(燃え殻さん)
「こだわりポイントは何ですか?」(吾郎)
「納期以外はあまりこだわってない。納期が遅れるとぶっ飛ばされるので、納期以外には分かりやすく。」(燃え殻さん)
「色合いは?この番組(のセット)に合わせたんですか?」(吾郎)「はいそうですね。」(燃え殻さん)さすがプロの仕事です。
まず「燃え殻」というペンネームについて。
「twitterを始める時に何も考えていなくて、当時元キリンジの堀込泰行さんの「燃え殻」という曲がすごい好きで、それをハンドルネームに…ほんと申し訳ないんですけど軽い気持ちで。」(燃え殻さん)
キリンジさんはSMAPのアルバムに曲を提供してくださったミュージシャンですから、ここでも吾郎と接点がありますね。
twitterでの巧みな文章が人気を集め作家デビューのきっかけとなりました。そのフォロワー数は14万人を超えています。その中でも人気のツイートを紹介。

『世界3大うるせえよ』といえば、ほぼ毎日ランチ食ってる食堂にいたビームスのバイヤーみたいな2人がヒソヒソ言った『普通の人っていつもコレ食べてんの?』とTSUTAYAのAVコーナーに入ってきたカップルの『やだ~変態』と今、満員電車で『この中で今日、海外行くの私達だけかな?』て男女だ


「はは!」吾郎は上を向いて笑いました。
「『世界3大うるせえよ』というのが面白いですね。」と外山さんも笑いました。
「ビームスのバイヤーみたい、って分かんないよね。」(吾郎)「僕も見た事ないですけどね。」(燃え殻さん)
「TSUTAYAのAVコーナーって、自分もいたって事ですね。」とさりげなく鋭く指摘する吾郎。「まあ、そうですね。よくいますよ。」とあっさり認める燃え殻さん。
「そういう気持ちをよく思い浮かべますね。」(吾郎)
「元々ラジオでハガキ職人をしてたので、それに近いものがある。はがきサイズの中に起承転結をつけなきゃいけない、それとtwitterが似てて、読んでくれた人が何かを感じてくれるとラジオに投稿が採用されたようで嬉しいんです。」(燃え殻さん)

そんな燃え殻さんの実体験をもとに書かれた恋愛小説が「ボクたちはみんな大人になれなかった」。1990年代を舞台に当時の流行や世相を織り交ぜながら大好きな彼女との別れまでを描いています。これには燃え殻さんと同い年の吾郎も共感したそうです。
「まさに僕らの世代の小説で、ね?まさにドンピシャなので。」(吾郎)
「年齢だけはピッタリなんですね。」(燃え殻さん)
「でもね、好きなものとかは同じですし…」との吾郎の言葉に「ほんとですか?」と燃え殻さんは身を乗り出しました。
「好きです、僕も小沢健二さん大好きですし、フリッパーズ・ギターも好きでしたし」(吾郎)「へぇ」(燃え殻さん)
「うん、読んでて分かるなぁ、って。(過ごした)世界とか環境は違うけど、サブカルっていうのかな、こういう者に対する憧れが…逆にすごいメジャーな中にいたからこそそういうものに憧れてました。」
「ああ、よかった。」と喜ぶ燃え殻さん。吾郎の話は燃え殻さんには意外なようでした。
「ご自身の恋愛を書くってどうでした?」(吾郎)
「何を書くかって言われたときに、テレビの美術の仕事も…ブラックと言うと悪いですけど、ねぇ(と外山さんと吾郎の顔を見て)、ブラックを通り越して漆黒の闇みたいなもので、そういう時に支えてくれた彼女の話をした時に『それ面白いじゃん』となって、だったらそれとその時自分が感じてた空気感…90年代から2000年位の混沌とした感じを一緒に書けると自分としては書きやすいなと思って、(題材に)選びました。」(燃え殻さん)

燃え殻さんの実体験がほとんどというこの小説は「元カノのFacebookを偶然見つけてしまう」という今の時代ならではのエピソードから始まります。その冒頭部分を吾郎が朗読。地下鉄に揺られながらFBの「知り合いかも?」の所に見覚えのある女性の顔のアイコンを見つけ「ボク」は目が離せなくなってしまいます。

彼女はかつて「自分よりも好きになってしまった」その人だった。
今でも彼女の事を時折思い出す事があった。
最後に会ったのは1999年の夏、場所は渋谷のロフト。
リップクリームが買いたいと出掛けたなんでもないデートだった。
別れ際「今度、CD持ってくるね」と彼女は言った。
それが彼女との最終回になった。
(中略)
マーク・ザッカーバーグがボクたちに提示したのは「あの人は今」だ。
ダサいことをあんなに嫌った彼女のフェイスブックに投稿された夫婦写真が、ダサかった。
ダサくても大丈夫な日常は、ボクにはとても頑丈な幸せに映って眩しかった。


「ボク」は彼女のフェイスブックをスクロールさせ、彼女の「今」を知ります。そして彼女との過去を思い出していきます。

酔った席で思わず熱心に彼女の事を話すと、よっぽど美人だったんだろうねぇと言われる事があるが、彼女は間違いなくブスだった。
ただ、そんな彼女の良さを分かるのは自分だけだとも思っていた。


「これも実話なんですよね。」(吾郎)
「ええ…Facebookで「知り合いかも?」で出て来ません?」(燃え殻さん)
「分かります。LINEとかでもね。始めたころに出て来ました。」(吾郎、さりげなく爆弾発言)
「知り合いどころか…、って感じで出てきたんです。」(燃え殻さん)
「へぇ…。ブス、ブス言ってますけど、誰に似てるんですか?有名人で言うと。」(吾郎)
「これは彼女自身が言っていたんですけど、『バカ殿に私似てるよね』って。」(燃え殻さん)「えー!」(外山さん)
「似てた」(燃え殻さん)
「彼女自身が『私、ブスなんだよね』って言う子だったんですよ。でも僕にはすごい自信満々に見えて、僕自身がカルチャーに弱い人間だったので、彼女から勧められる映画とか音楽とか、そういうものにすごい影響を受けて、『私ブスなんだよね』って堂々としているのが最強に見えたんです。」(燃え殻さん)
「『男は過去の自分に用がある、女は未来の自分に忙しい』ってありますけど。」(吾郎)
「それは実感なんですけど。そうじゃない人もいると思いますけど、僕は今すごい好きな事とか、自分の口癖とか、本とか今でも追いかけちゃう映画とか、彼女の影響が強くて過去を少し見ながら生きてるような気持になるんですね。で、彼女のFBを見た時に彼女が未来に向かって生きてるような気がして、『あっ、置いていかれてる』という気持ちになったんです。」(燃え殻さん)
「女の人ってそうなんですか?」と吾郎が外山さんに訊きました。「男は過去にこだわったりひきずったりとか…。」それを聞いて外山さんも「男の人はそうですね」と同意しました。
「女の人はスパッと…?」(吾郎)「うん、まあ過去は過去。」(外山さん)というやり取りを聞いていた燃え殻さんが「全員じゃないですけどね。」と補足しました。
「全員じゃないけど、この元カノは燃え殻さんの中に足跡を残せたというのがね…。」(外山さん)
「それだけ残せたって本人も分かってない。」(吾郎)「思ってないですね。」(外山さん)
すると吾郎は自分の事を話しだしました。
「僕もその世代の時に、お付き合いはしてなかったんだけど、憧れる女性がいて、2つくらい上でカメラマンのアシスタントをやってたんですよ。すごく影響が大きかったですね、その人が言ってる写真集とか」
「買って読んだりとか」燃え殻さんも共感しました。
「はい。映画もそうですし音楽の影響もそうですし…だからそこの共感もすごくできて。影響を与えてくれる人って存在として大きかったのは分かります。」(吾郎)

「ボクたちはみんな大人になれなかった」の特徴は90年代のサブカルチャーがふんだんにちりばめられている事。読者からも当時を懐かしむ感想がたくさん送られてきています。
そんな当時を思い出させる彼女との文通シーンを外山さんが朗読。

仕事が休みだった次の日の朝、無印良品に便箋を買いに急いだ。
無印良品はその頃のボクにとって、おしゃれの代名詞だった。
文通コーナーに手紙を出すのは初めてで、手紙の内容はさんざん考えた挙句
「小沢健二、好きなんですか?」
しか思いつかなかった。
返事はすぐにきた。
仲屋むげん堂の無料で配られる新聞をきれいに折り畳んだ封筒に入っていて、便箋はインドのお香のにおいがぷう~んとした。
彼女の手紙の文章も一行だった。
「小沢健二は私の王子様です。」
便箋には一緒に単館映画館に置いてあるチラシを何枚かコラージュしたものが、のりで貼り付けられている。
顔も知らない彼女にボクはもう惹かれ始めていた。
その匂い立つサブカル臭、ボクの知りたい興味の先を行っているような印象にすっかりやられてしまっていたんだと思う。
2回目の彼女への返信は丁寧に書いた。
フリッパーズ・ギターからいかにずっと小沢健二を聴き続けてきたか、オリジナル・ラブやコーネリアス、電気グルーブに対する愛についてもくまなく書いた。
彼女からの便箋も文通を繰り返すごとにどんどん枚数が増えていく。
主に、いかに渋谷系を偏愛し、大槻ケンヂの影響でインドに思いを馳せているかが書かれていた。
気付くと、彼女からくる手紙を読む事が休憩室での一番の楽しみになっていた。


この朗読のBGMが小沢健二さんの「Life」だったのが良かったです。小沢健二、フリッパーズ・ギター、コーネリアス、電気グルーブ、等のくだりでは吾郎はにっこり頷きながら聞いていました。
「小沢健二さん。芸能界でお会いする機会は少なかったんですけど、夜とか遊びに行ったり、クラブとかで…お会いすることが何度かあって。」と吾郎が懐かしそうに言ったので
「吾郎さん、クラブとか行ってたんですか?」と外山さんが訊きました。
「だって当時ってディスコが終わってクラブとかが出始めてきて、友達の影響もあったからしょっちゅう…」と吾郎が言うと燃え殻さんが
「僕、吾郎さんに本当に聞きたいことがあって。クラブとかに行って、小沢健二さんにも会ってしまう、そういう吾郎さんと僕は同い年なんですけど、僕の90年代って酷いんです。その90年代に吾郎さんはどうだったのか、それを詳しく聞きたいと思って、フリップを作ってきました。」とまたフリップを取り出しました。

題して「日向のゴロウ&日陰の燃え殻 ボクたちの90年代ライフ!」
同い年の燃え殻さんと吾郎がどれだけ違う生き方をしてきたのか、という表です。
(いや比較する対象が特殊すぎる、と思いますが…しかしフリップの出来は見事です。)

1992年 19歳(日本人宇宙飛行士・毛利衛さんが宇宙へ出発)
【燃え殻:鶯谷の専門学校に通い挫折生活】
【吾郎  :高級車マセラティを乗り回すセレブ生活】
最近ではネタになりつつあるマセラティですが、吾郎は「だって頑張って働いてたもん!」と強調しました。
「まあ、それはそうだと思います。」と燃え殻さんも外山さんも納得です。
「女の子と外でデートも出来ないしさぁ」と吾郎が愚痴ったので燃え殻さんは
「謝罪ですね」とフォローしました。
「それはね、車に行きますよね、お金が。」(外山さん)
「だって…税金対策しなきゃいけないじゃん?」(吾郎)
「やだぁ!そんな未成年!」と外山さんは笑いましたが、真面目な顔になって
「燃え殻さんは何の専門学校に行っていたんですか?」と訊きました。
「広告の専門学校だったんですけど、僕もそうだったんですけど全員やる気がないんですよ。」
「小説と一緒ですね。」(吾郎)
「ええ、小説のまんま。でも専門学校潰れちゃったんです。就職課に行っても”職業”のファイルが数枚しかなくて全然広告の仕事なんて無い。だから、これはどうしたものかな、という…。」(燃え殻さん)
「そうか、僕は同い年の等身大の生活を知らなかったから、今聞いてそうだったんだな、と。」(吾郎)
1995年 22歳(チビTやヘソ出しのファッションがブームに)
【燃え殻:エクレアが流れる工場で労働】
【吾郎  :70年代ソウルが流れるクラブで夜遊び】
「またイメージ悪そうですね…」と吾郎は小さな声で言いました。
「エクレア工場も小説に出てきましたね。(労働時間が)12時間。」(吾郎)
「12時間でしたね。(給料が)1日7000円くらい。」と燃え殻さん。働いているのはほとんどが外国の方だったそうで
「そういう意味では吾郎さんのクラブの夜遊びと近い。」と強引にこじつけました。でも、
「不安で不安で仕方なくて。学校だったら夏休みは8月31日で終わるじゃないですか。でも僕はエクレア工場で一番上の工場長の人に『辞める』って言わなかったら『このベルトコンベアがずっと続くんだろうな…』」と思いながら生きていたそうです。
「そういう若者がいたんだ、同い年で。何やってんだ僕は。」と吾郎はしみじみと言いました。
「いやいや、仕方ないですけどね。」と燃え殻さん。
「忙しいとかはあったけど…」(吾郎)「全然寝れないとかありました?」(燃え殻さん)
「そうですね。ドラマのスケジュールも今よりもタイトだったよね…。不安とか感じる時間もないくらいとにかくずっとキラキラキラキラ…。」(吾郎)
「不安は僕も一緒かもしれない。キラキラは全くないですけど、不安を深く考える時間が無いですよ。」(燃え殻さん)「やらなきゃいけないから」(吾郎)
「そう、その前に納期があるので、その納期の方が不安なんです。」(燃え殻さん)(スタッフから思わず笑い声が起こりました。)
「分かります分かります。」(吾郎)
「深刻に悩む時間が無かったから続けられたのもあったのかなあ、って。」(燃え殻さん)
「環境は違うけれどもお互い一生懸命やってたんだし、間違ってはいなかったから。」(吾郎)
「自分なりの一生懸命で。」(燃え殻さん)
「その結果ここに座らせてもらってる、立たせてもらってるのいうのは嬉しい事ですよね。」(吾郎)
「ありがたいな、と思います。」(燃え殻さん)
「だからすれ違ってるかもしれないですよ、渋谷とか原宿で。」(吾郎)
「絶対ないと思いますけど、あったら嬉しいです。」(燃え殻さん)

今回燃え殻さんと吾郎の会話を聞いていて不思議な感覚になりました。全く違う世界で違う人生を歩んできたのに、二人の間には小沢健二さんとかサブカルとかの共通項がありました。例えて言うなら、二人を隔てていたのは固い壁ではなく薄くて柔らかい膜のようなもので、二人とも好きな時に好きなようにそれに触れてきたのです。同じ時代を生きるってそういうことなのかもしれないと感じました。


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映画も始動♪

今朝早く、「新しい地図」の動画が新たにアップされました。
今度は吾郎、剛、慎吾の3人が登場してより洗練された感じになりました。剛は小さな女の子の手を引いて海辺を歩き、吾郎は闇の中グランドピアノにたどり着き、慎吾はもや(?)の中を進もうとしている…色々なメッセージが込められている気がします。ラストカットは吾郎の振り向いた表情なのですが、これがまた愁いを含んで色っぽくてドキリとします。まだご覧になっていない方はすぐにでも見て下さい(当ブログのサイドバーに「新しい地図」のトップページのリンクを張ってありますので、そこからYou Tubeを見に行ってください)。

そして同時に、3人が出演する映画も発表されました!タイトルは

「クソ野郎と美しき世界」。

挑戦的ですね(笑)。ミニシアター系映画みたいなタイトルにも思えますがどんな作品になるのでしょう。来年春の公開が早くも楽しみです。

その他にもサイトのキャラクター「図っくん」が登場したり、「 #ぷっくりニュース」募集のお知らせがあったりと色々な動きがありますので、「新しい地図」のサイトを是非確認してください。


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新しい笑顔の予告

おはようございます

昨日72時間ホンネテレビ」の新しい予告動画がアップされました。
3人の画像と音楽と字幕だけの動画ですが、私は不覚にも涙ぐみました。見ていると心が温かくなります。
これを見てフジテレビ27時間テレビの「生前葬」を思い出しました。
あの時象徴的に死んだ彼らが今(3人だけですが)新しく生まれ直そうとしているのではないか、そんなことを感じさせます。
72時間ホンネテレビが益々楽しみになりました。
皆さんも是非見て下さい。

abemaTVの予告動画はこのツイートから
(新しい地図のトップページのYou Tubeのアイコンをクリックしても見られます。)


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岩手の自然に包まれて (「ゴロウ・デラックス 10/6)

オープニング。
「今夜は第157回芥川賞受賞の方がゲストです。」(外山さん)
「デビュー作で芥川賞ですよ!」(吾郎)
ゲストは沼田真祐さん。登場するとまず「おめでとうございます」と吾郎から花束贈呈。ほっそりして大人しい感じの方です。
芥川賞直木賞受賞の作家さんが出演するのがすっかり恒例になりました。改めて豪華な番組です、ゴロウ・デラックス。

沼田さんは7月の受賞会見で「1本しかジーンズを持っていないのにベスト・ジーニスト賞みたいな」とデビュー作で芥川賞を受賞した気持ちを語りました。そして今回が初めてのTV出演です。
「受賞の知らせはどこで聞かれたんですか?」(吾郎)
「文藝春秋の近くのカフェで。」と沼田さん。物静かな話し方です。
「編集者の方がまず電話を取って?」(外山さん)
「僕の方に最初かかってきたらしいんですけど僕が気が付かなくて、編集者の方に電話が来て、二人でいたので、僕にもすぐ伝わったみたいな。」(沼田さん)
「ちょっと待ってください、気付かないっていうのはどういう事ですか?」外山さんが笑ながら突っ込みました。
「いや、僕には直接来ないって…これは僕の聞き違いかも知れないんですけど…携帯をバッグに入れていて気が付かなくて。」沼田さんはちょっと焦っています。
「会見の時もラフな感じで。」と吾郎。ゴロデラでは会見でのファッションの話題も欠かせません。
「はい、部屋着という感じで。シャワー浴びて汗が引いた後に羽織るような浴衣みたいなシャツだったんですね。」(沼田さん)
「それほど、絶対に取らないだろうと思っていたんですね?」(外山さん)
「そうですね。」(沼田さん)

課題図書 : 「影裏」 沼田真祐 (第157回芥川賞受賞作)

首都圏から岩手県へ転勤した会社員の今野が主人公。同僚で釣り好きの日浅と友情をはぐくむが日浅の転職をきっかけに疎遠になってしまう。そんな時東日本大震災が起こり、営業の仕事で釜石にいた日浅が被災したかもしれないと知る―――。

「影裏」を読み解くキーワードは3つあるそうです。
1. 巧みな描写力
これが芥川賞受賞の決め手になったそうで、選考委員の高樹のぶ子さんは「自然描写が非常に優れている。特に魚とか川とか、岩手の自然を描く筆力を私は買いました。」と評しました。
その岩手の自然を描写したシーンを外山さんが朗読。自然の様子を緻密に格調高く描いた文章です。

岩手という所はじつに樹木が豊富な土地だと夏が来て改めて思う。
とにかく山地が多く川が多い。それだけ森林の密度も濃厚だから、いたるところに生き物の気配がひしめいている。
川辺や谷間の林道を釣り歩いていて、釣りそのものに、倦きがくることはたしかにあった。
だが少し視線をめぐらせると、対岸の沢胡桃の喬木の梢にコバルトブルーの小鳥がいたり、林の下草からは山楝蛇(やまかがし)が、本当に奸知が詰まっていそうに小さいすべっこい頭をもたげて水際を低徊に這い出す姿を目の当たりにした。
一種の雰囲気を感じて振り向いたら、川づたいの往還に、立ち枯れたように直立している電信柱のいただきに、黒々と蹲る猛禽の視線とわたしの視線がかち合ったりした。


岩手の自然の豊かさに吾郎は心を動かされたようです。
「なぜ岩手を舞台に書こうと思ったんですか?」(外山さん)
「自分が住んでいる所を書くのが一番説得力があると思って。」(沼田さん)
「本当に山とか川とか行かれたんですか?」(吾郎)
「はい、近所で。車で5分くらいですかね。」(沼田さん)
ここでVTRを紹介。小説の舞台になった生出川(おいでがわ)を沼田さんの車で案内して頂きました。道中、なぜ生出川を舞台に選んだかを訊ねると
「あまり山奥の渓流の様なキレイ過ぎる所は選びたくなくて、ロマンチック過ぎてちょっと格好悪いと思って、里川って言うんですか、普通の所に流れる川を扱った。」そうです。でも車窓の外を流れる景色は緑豊かで、それだけできれいだと思いました。
そして着いた生出川はこじんまりした小川で両岸は一面草で覆われていました。
「ここへは結構釣りしなくても来ますね。ボーっとしに来たりとか。」と沼田さん。そのVTRを見ながら吾郎は「まさにこんな感じだよね。」と言っています。

勢いよく夏草の茂る川沿いの小道。
一歩踏み出すごとにとがった葉先がはね返してくる。

しばらく行くとその道が開けた。
行く手の藪の暗がりに、水楢の灰色がかった樹肌が見える。

(「影裏」より)


VTRでは沼田さんが釣りをする場所なども紹介。小説の中では生出川の上流の方の風景などもいろいろ混ぜて書いた、と沼田さん。スタジオにいる時より活き活きして見えます。
「ああいう感じだよね。」(吾郎)「読んでてね。」(外山さん)「それが描写ってものなんだね。」と吾郎は感心しました。

2. マイノリティ
芥川賞選考委員の吉田修一さんは「セクシャル・マイノリティを恋愛や性愛を通さず書いている。」と絶賛しました。
主人公今野の元恋人で性同一性障害を抱える副嶋和哉がSRS(性別適合手術)を受け女性として登場する、吉田さんが絶賛した場面を吾郎と外山さんで朗読。吾郎が今野、外山さんが副嶋役です。

モニターの時刻表示を確認すると、22時57分。まだそうみじめさばかり誇張されてつたわる時刻でもない。
充電コードはぶらさげたまま〈電話帳〉から副嶋和哉の名前を探した。
「びっくりした、なんか突然って感じで。」
記憶の中の面影と合わない、穏やかな女性の声だった。
「まあ何でもだいたい突然なんだけどね。」
別れる直前の夏だったか、SRS(性別適合手術)を施術するつもりだと和哉が公言していたことを、わたしは思い出した。
「変になつかしくなってさ、別に用事なんてないんだ。だから無意味な電話なんだよ。」
「用事がなくちゃ連絡しちゃいけないわけ?私が朝したメールだって、無意味だもん。」
「いってみればあれの反応なんだよな。そっちのメールがきっかけになって、こんな時間まで消え残ってて、しまいには電話してるっていうさ」
「そうじゃないかなと思ってわたしもとった。」


「ここドキッとしますよね。こういう人物を登場させた…セクシャル・マイノリティを描いたのはなぜ?」(吾郎)
「今まで生きている間に何人か、そういう人と友達になったり会う事はあったんです。結構大変だろうなという印象がありまして、彼ら彼女らが(自分の中に)残っていて、助けたいとかじゃなくてふっと出たんですね。」(沼田さん)
「小説の中ではマイノリティをテーマにしてされてるんですか?」(吾郎)
「いろんな状況で人はマイノリティになると思うんですね。そういうものをすくう…助けるじゃなくて掬い取るのが文学の役割だと思います。」(沼田さん)
「何というのか、芥川賞作品にはマイノリティの問題とかが必ず根底にありますよね。」(吾郎)
「結構偶然なんでしょうね。」(沼田さん)「えーほんとですか?」(吾郎)
「小説の大枠は決めるんですけど、そこから自然とそれていく、小説を書いている間に。『小さくまとまるなよ』という呼びかけがあって、そっちの方に行ってみるんです、失敗を覚悟で。」(沼田さん)
「コントロールが出来なくなった時が一番いいパフォーマンスが出来ますよね。」と吾郎は共感しましたが、これはSMAPのコンサートや自分の舞台で経験したことなんでしょうか。

3. 東日本大震災
選考委員の高樹のぶ子さんは「決して震災を全面に押し出した小説ではない。密やかに一歩引いているんですが、人間関係を描くことでそれを取り囲む大きな自然の怖さに言及していると思いました。」と評しました。「影裏」は芥川賞作品としては初めて東日本大震災を扱った小説でもあるのです。
その震災のシーンを吾郎が朗読。

あの日早朝から家を出て、午前中は契約を求めて釜石市内の住宅地を回り、けれど振るわず、あるいは首尾よく契約をもらって安堵した日浅が、さてここからは自由時間だと海岸沿いに車を走らせる。
14時46分。
ソイやアイナメ、マコガレイなどではち切れそうなクーラーボックスに腰を下ろして日浅は海を見ている。
ふと凄まじい揺れを、足もとから全身に感じて立ち上がり、思わずいったん、顔を空に向ける。
テトラポッドを軽くひと舐めするように、黒々と濡らして消える波の弱音を聞く。
この数十センチの小波はしかし、あの大津波の第一波なのだ。


「これを書かれた理由というのは?」(吾郎)
「『影裏』は2010~2011年の話なんですけど、あの時代の人や社会を書けばおのずと震災のにおいがしてくる。だからあくまでその時代の人を描いただけで、あの時代の人を書いたら震災のにおいがしたんです。」(沼田さん)
「あくまで時代が先なんですね。」(吾郎)
震災のにおいが立ち上ってきたと言いますが、沼田さんがそれを意識したのは途中からだったそうです。
「『影裏』というタイトルに込められた意味は何かあるんですか?」(外山さん)
「いや、全く意味はなくて、作中に”影裏”って言葉を自分で毛筆で書いてそれを部屋に飾ってるような70代の人が出るんです。その書かれる言葉は何でもよかったんですけど。」(沼田さん)
「その人が書いてた字が”影裏”っていうイメージだったんですか?」(外山さん)
「ええ、どんな言葉でもよかったんですけど、”影裏”は見た目もカッコイイですし…。」(沼田さん)
「ストーリーも”影裏”って感じですよね。でもそういう意味ではなかったんですね。面白い。」(吾郎)

沼田さんは岩手県で初の芥川賞作家になりました。それもあって岩手県内の本屋さんではPOPを作って祝福ムードだそうです。そこで番組は地元で開かれた沼田さんのサイン会にお邪魔しました。
会場の岩手日報本社には抽選で当選した100人のファンのほか、地元テレビ局からの取材陣も。初めてのサイン会にも緊張する事なく、沼田さんは一人一人に丁寧に話しかけながらサインをしていました。中に中学生の女の子がいましたが、実は沼田さんの生徒さん。沼田さんは塾で中学生に英語を教えているのです。その生徒さんは自分の先生が本を書いている事は全然知らず、芥川賞候補になった事を友達から聞いて知ったそうです。ちなみに感想は「先生を想像し過ぎて真面目に本を読めなかった(笑)。」とちょっと恥ずかしそうでした。
「嬉しいんですね、岩手の方は。」とVTRを見て吾郎が言いました。
「ほんとですよ、岩手県民として誇りに思うって。」と外山さんも同意しましたが、吾郎は沼田さんを見ながら
「そっとしておいてほしいタイプの方なんですね。」と言ったので沼田さんも思わず笑いながら頷きました。
「書きたい人なんだ。もういやなの、テレビとか。」と吾郎が続けると沼田さんはうつむいて「いえいえ」と首を振りました。
「しょうがないですよ、だって芥川賞取っちゃったんだもん。」と吾郎に言われて沼田さんは笑うしかありません。でも随分リラックスした表情になりました。
「今度会った時に羽田圭介さんみたいになってたらビックリしますよ。すげー喋るようになってたら。」吾郎のユーモアで沼田さんの緊張がだいぶほぐれたようでした。

「影裏」は新人純文学作家の登竜門である文學界新人賞も受賞しており、沼田さんは芥川賞とのW受賞という快挙を成し遂げました。そこで恒例のあの質問です。
「ちゃんと賞金は貯金してますか?」(吾郎)「文學界新人賞の賞金ですか?」(沼田さん)
「50万円」(吾郎)
「車検、自動車税、あと国民年金の滞納で全てなくなりました。」(沼田さん)
「(芥川賞賞金の)100万円は貯金しましょう。」(吾郎)
「そうですね、まだちょっと国民年金が…。」と沼田さんはちょっと困った顔をしました。
吾郎のこういう堅実なところも面白いですね。

AD山田くんの消しゴムはんこは「ヤマメを釣った沼田さん」。ヤマメもちゃんとそれらしく出来たようで沼田さんは満足したようでした。


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光と声を人の心に残す (「ゴロウ・デラックス」 9/29)

オープニング。
「今夜はですね、あの表参道ヒルズを設計された方がいらしています。」(外山さん)
表参道ヒルズ…真冬の朝早くからSMAP SHOPの為に並んだことを思い出します。その他東急東横線渋谷駅もゲストさんの設計だそうで、
「ヒカリエによく行きますよ。渋谷近辺はテリトリーなので。」と吾郎は嬉しそうです。

今回のゲストは安藤忠雄さん。建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞を始め数々の賞を受賞され、日本のみならず世界中で数々の建築物を手掛けています。今回は稀代の建築家、安藤忠雄さんの仕事術と素顔に迫ります。

課題図書 : 「安藤忠雄 仕事をつくる」 安藤忠雄

「面白かったですね。若い方に読んで頂きたいな。喝を入れられているような、我々も。」(吾郎)
登場した安藤さんは丁寧に「よろしくお願いします」と挨拶しましたがすぐ周りを見回して
「すごい絶望的な…絶望的なセットやね…」と言いました。
「『絶望的』っておっしゃったのは安藤さんが初めてですね。」(外山さん)
「それはどういう…?」と吾郎が恐る恐る尋ねると
「私はコンクリートで無装飾な建築作っとるじゃないですか…」と安藤さん。
確かに金のだるまが真ん中に鎮座ましましているゴロデラのセットは安藤さんの建築とは対照的です。

今進行中のお仕事は「(出身地の)大阪で一つ、日本全体で20くらい、あと海外で35件」と超多忙な安藤さん。海外のVIPからの依頼が多く世界中を飛び回っています。
そんな中代表的な作品の一つが、吾郎もなじみ深いという表参道ヒルズ(2006年)。表参道のランドマークとして親しまれてきた同潤会青山アパートメントを立て直したもので、建物の高さがケヤキ並木を超えないようにするなど安藤さんのこだわりが凝縮されています。
「僕は原宿に寮があって住んでいて、昔の同潤会アパートのイメージもあったので、表参道ヒルズが出来た時は衝撃だったんですけれども。」(吾郎)
「同潤会アパートの前は約7゜の勾配、坂でしょ?だからその坂をそのまま(建物の)中に引っ張ってきてる。」(安藤さん)
「あ!だから中が坂になってるんだ!」(吾郎)
「外が坂だから中も坂に。建築は周囲の環境をどう味方にするかという…。表参道ヒルズは坂を味方にした。」安藤さんの説明に吾郎も外山さんも感心しました。
「元々アパートだった部分も端っこに少し残っていますね。かっこいいですよね。」(吾郎)
「やっぱりそこにあったものを残すのも大事だと思うんです。」(安藤さん)
大変忙しい安藤さんですがマネジャーさんは置かず、スケジュール管理も全部ご自分でなさっています。手帳を見せて頂くと毎日が文字通り予定でびっちり。
「マネジャーさんに朝起こしてもらわなくて大丈夫ですか?」(吾郎)「大丈夫」(安藤さん)
「僕、出発の1時間前にマネジャーさんに電話で起こしてもらってる。ダメですね。」と吾郎は反省しました。
「でもそれだけびっしりなスケジュールで体力や身体は大丈夫ですか?」(吾郎)
「いや2009年に大手術したんですよ。胆のう、胆管、十二指腸、全部取った。その後『安藤さん大変や、膵臓の真ん中にがんがある。膵臓も全部取らなあかん、脾臓も全部取らなあかん。』だけど切らな仕方がないから全部切ったんですが、先に何かをしないといけないという希望があれば元気ですね。やっぱり向こうを見て生きないと。だから私は青春の限り生きようと、エネルギーのある限り生きようと思ってますね。」(安藤さん)
「それはご本からも感じましたし、若いころからそうなんでしょうね。」(吾郎)
安藤さんは現在76歳。内臓がほとんどないにもかかわらず今も世界中を飛び回っています。この仕事へのエネルギーはどこから生まれてくるのでしょうか。

ここで安藤さんが自身の半生を振り返った1節を吾郎が朗読。

つらかったのは、共に学び意見を交わす友人がいなかったことだ。
自分がどこに立っているのか、正しい方向に進んでいるのかさえ分からない。
不安や孤独と戦う日々が続いた。
そうした暗中模索が、責任ある個人として社会を生き抜くためのトレーニングとなったのだろう。
私の歩んできた道は、模範と言うには程遠い。
が、この一風変わった歩みが、若い人を少しでも勇気づける材料となれば幸いである。


「よく今まで問題なく生きて来られたなと思いますね。」と安藤さんが言う通り模範というには程遠い人生でしたが、その中でこそ安藤さん流の仕事術が育まれてきたのです。

ここから安藤さんの人生年表を紐解いていきます。
【17歳 緻密さ・計算力が元盛られる建築家 安藤忠雄は、元プロボクサーだった。】
「これびっくりしましたね!」と吾郎と外山さんは声を揃えました。
「家に近くにボクシングジムがあって、当時普通の人は給料が1万円だったんだけど(ボクサーなら)4回戦で4000円くれると。これはすごい、喧嘩してお金をもらえると(笑)。行って1ヶ月くらいでプロになりました。4回戦は喧嘩みたいなものですから。」(安藤さん)
当時の写真を見ると精悍でなかなかかっこいいです。
「ボクシング経験は建築に影響してるんですか?」(吾郎)
「人生は誰も助けてくれないという事を覚えました。四角いリングの中で逃げたら終わり、タオルが入ったら終わり。人生はある面では戦いだと思ってますので最後まで戦うというのは良かったと思います。」(安藤さん)
ボクシングから学んだファイティングスピリットが安藤さんの活力の源なんですね。
「プロボクサーだったなんて意外ですね。そして建築の道に進むわけですが…。」(外山さん)
【18歳 世界的建築家安藤忠雄の師匠は自分
「普通は師匠がいるものだけど。」と吾郎。
「誰も相手にしてくれない。家庭の経済的な問題もある、自分の学力の問題もある、大学に行けない、と。でも生きなければならないから、自分で考えて自分で行動した。誰も相手にしてくれないから。」(安藤さん)
「独学ですよね、高校卒業後。」(吾郎)
「どういう勉強の仕方をしたんですか?」(外山さん)
「本を見る。現物を見る。見に行った方がいいですよ。音楽も聞かないかん。建築も見に行かないといかんので、奈良京都はよく行きました。」(安藤さん)
「じゃあ足を使って見に行って…。教科書とかはどうしたんですか?」(吾郎)
「京都大学・大阪大学に行った友人に買ってもらって、そ~っと講義に入って行って聞いてました。」(安藤さん)もぐりの聴講ですね。
「プロボクサーの時もですが、なろうと決めたらさっとやるんですね。」(外山さん)
「一心不乱にやったのは生活がかかっとるから。建築で稼がないと食えないでしょ。そう思うとゆっくりしているヤツの何倍も学べます。」(安藤さん)
その努力が実り、1級建築士に見事合格。28歳で事務所を立ち上げ独立しました。しかし仕事はなくコンペでは落選続き。空き地を見つけては勝手に設計して地主にプランを持ち込み迷惑がられていたそうです。そんな不遇な時代でしたが、
【31歳 当時は売れていない建築士、しかし飲み仲間は政財界のドン。】
「佐治敬三(サントリー社長)さんね。北新地(大阪の飲み屋街)について行って、お金を払わずにサインして店を出る。佐治さんがいない時にサインしても全然請求書が来ない。請求書が来ないから北新地はいいな~と言ったら『俺が払ってるんだ!』と(笑))」(安藤さん)
「豪快で(笑)。」(吾郎)
「で15年くらい付き合った時に、『ひょっとしてお前建築家?』と聞かれて。」(安藤さん)
「それから依頼が来たんですね、サントリー美術館の。」(吾郎)
そこで大阪府のサントリー美術館を手掛けることに。佐治さんは設計にあまり口出しせず、安藤さんに任せてくれたそうです。しかしその裏で政財界をザワつかせるある事件が勃発しました。
「ちょうど同時期に、なんと、アサヒビールの社長さんからも…」(吾郎)
「アサヒビールの樋口さん(社長)が『京都の100年前の建物を美術館にしてほしい』と。両方とも競争相手じゃないですか。私はあまり気にならなかった。佐治さんも樋口さんも気にしなかった。でも周りは気にしてましたよ。『アサヒビールやってるのにサントリーもやってるんですか』と。二人は気にしないで『良いモン作れよ!』と言ってくれて。大阪のおじさんは面白いわ!面白いヤツを助けたい気があるんでしょうね。それで私は成長しましたね。」(安藤さん)
政財界のドンたちの後押しもあり頭角を現した安藤さん。そして1976年、安藤さんの代表建築が誕生しました。
それは「住吉の長屋」(日本建築学会賞受賞)。コンクリート打ち放しという発想を住宅に持ち込みその後の建築家たちに多大なインパクトを与えました。なんとこのお宅には空調設備は一切ありません。『本当に生活に必要なモノとは何か』を徹底的に突き詰めた結果だそうですが、安藤さんの遊び心もたっぷり入っています。
その模型を見ながら安藤さんが説明してくださいました。
「中庭があるんです。ここから光が入る。」
中庭で建物が左右に区切られていて光がたくさん入りますが、二階の寝室からトイレへの渡り廊下には屋根がないので一度外に出ることになります。その他にも玄関の上の天井が開いていて雨が降ると玄関が濡れる、と聞いて吾郎と外山さんはびっくり。
「いたずらをいっぱい作ってある。」と安藤さんは笑います。
「第三者から見たら住みにくい。でも依頼者は住みにくくないから40年住んでいる。完璧なエコハウスと言われているんですよ、冷暖房ないんだから。自分の体力にかかってる。いいじゃないですか。」
「夏、絶対暑いですよね。」(吾郎)
「便利なものが求められているじゃないですか、今。でもこれは便利なものじゃないですね。」(外山さん)
「便利だけが生活ではない。ちょっと不便な事があってもいい。これは便利を超えた家。稲垣さんもこういうのに住んでもらわないと。」と安藤さんに言われ吾郎は「はぁ…」とやや困惑しながらも
「利便性よりも自然との共生をなぜ選ぶんですか?」と訊ねました。
「私は昔長屋に住んでいましたから自然との共生が良いな、と。暑い時は暑い、寒い時は寒い。”生きてる”感じがじっくり来るじゃないですか。…と思う人はそれがいい。便利で機能的なのがいい人はまた別なのがいい、と。どっちもありますね。」(安藤さん)住む人と建築家の価値観が一致する事が大切なようです。
「気に入った所に住むって良いよね。うちのマンションの中庭に水が張ってあって、それがいつもキラキラして凄い気に入ってる。安藤さん風の建物なんですけど。」という吾郎の話を安藤さんも楽しそうに聞いていました。

「住吉の長屋」を始め様々な住宅を手掛けてきた安藤さんのテーマは一貫して「自然との共生」。その究極形は香川県直島の「地中美術館」(2004年)で、美しい瀬戸内の景観を壊さないよう一度建てた美術館を地中に埋め戻したのです。しかし自然との共生を追求するあまり時として困った事態も起こるようで、
【48歳 名建築「光の教会」誕生の裏では依頼主と意見が大激突
「これも持ってきてくださったんですよ。」と外山さんはいそいそと後ろの棚から模型を取り出しテーブルの上に置きました。「行ってみたいねぇ。」と吾郎も興味津々です。
正面の壁一面に大きな十字架型のスリットが切られそこから光が入るのですが、安藤さんは
「十字架の中にガラスを入れたくなかった。」のだそうです。
「でもガラスを入れないと…」(外山さん)
「寒い!けれども心を寄せ合うのに寒いのも良いんじゃないですか、と言ったらエライ怒られた。」そして
「行く度に『安藤さん、ガラスは取りませんよ』と言われる。『そのうちに取ってやる』と今でも思ってますが(笑)。」
因みに「今度開く展覧会(注)ではこの「光の教会」の1/1を作ろうと思ってる。コンクリートで。」だそうで、
「見たい!ガラスはどうします?」と吾郎が訊くと「今回は無しにしようと。」と安藤さん。
「そもそもガラスを抜きたいというのも自然との共生ですか?」(吾郎)
「自然が真っすぐ(教会の中に)入ってくる。光の教会を作りたいと思ったのは、はじめてヨーロッパに行って教会を見た時に光の美しさに感動したものですから。心の中にしっかり残ってる。例えば稲垣さんの歌声が心の中に残ってる人はいっぱいいるでしょ。同じように建築を通じて心の中に残る場所を作りたい。」(安藤さん)
「でもこのガラスの事のように、自分が本当にやりたいことができない時もあるじゃないですか。それでも建築家をずっと続けている理由は何ですか?」(外山さん)
「みんな同じでしょう。歌い続けている。作り続けている。自分の仕事に誇りを持っていたい。誇りを持てる仕事が見つかって良かったと思います。」(安藤さん)
「人の心に残り続ける…。やはり人なんですね、人が集う場所。僕らの仕事もそうですけど。」と吾郎が言うと安藤さんは頷きました。そしてちょっと考えてから
「やっぱり声と光やね。光が自分の心の中に残る、あの光きれいだったなと。声も綺麗だった、そういうものを作りたい。だから誇りをかけて生きてる限りやりたいと思ってます。」と力強く言いました。しかし吾郎が「ご自身はどんな家に?」と訊ねると
「マンションに住んでる。」と答えたのでスタジオ中が爆笑しました。
「あれ?一番便利なやつじゃないですか!」(吾郎)
「私は事務所は自分で設計したんですよ。事務所は自分の魂がいる所ですから家は便利がいい。マンション便利ですね~。」(安藤さん)
これには外山さんも大笑いでした。

安藤さんが吾郎(そしてSMAP)の歌と声を例えに出してくださったのが嬉しかったです。吾郎の、そしてSMAPの声を聴きたいと思っている人たちはきっとまだたくさんいるはずですから。


(注)「安藤忠雄展 -挑戦- 」は国立新美術館(東京・六本木)で12月18日まで開催中。


拍手ありがとうございます

朗報♪

吾郎のラジオ「編集長稲垣吾郎」がradikoのタイムフリー及びエリアフリー聴取で聴けるようになります!
今まで放送されていなかった地方でも聴けるようになりますし、放送時間はお仕事中という方、聴き逃してしまった方も大丈夫です。詳しくはradikoのHPをご覧ください。
10/4(つまり明後日)から対応になりますのでお楽しみに

私がradikoで番組を聴く理由は電波の受信状態がすごく悪いからなのですが、radikoが聴取数のデータを取っていて番組の人気のバロメータにもなっていると聞いて、普通にラジオで聞くよりはradikoで聴くほうが番組の応援になるのかなと思っています。

「編集長稲垣吾郎」をなるべく多くの方に聴いてもらいたいです。


拍手ありがとうございます
プロフィール

はちミツ

Author:はちミツ
【注意:当ブログの内容の無断転載は禁止します。】

稲垣吾郎さん大好き、SMAP大好き!の主婦。
吾郎ファン歴は26年目になります。
彼らがいつかまた集まりたいと思った時そうできるように、彼らがそれぞれ今いる場所で益々輝いていってほしいと願っています。
だから「SMAP大好き」という気持ちも「新しい地図の3人の活動を応援する」気持ちも私の中では同じ一つの思いなのです。
神奈川県在住。

近況
①毎週水曜日は「an・an」の「稲垣吾郎のシネマ・ナビ」をチェック!。
②「稲垣吾郎オフィシャルブログ」、twitterアカウント @ingkgrofficial も必見!
③「ゴロウ・デラックス」再開熱望!

メールは↓へ。
walkwithgoro☆hotmail.co.jp
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