稲垣吾郎さんとSMAPと新しい地図と。すべてが好きな主婦の日記 【無断転載禁止】

少しの我慢を思い出そう (「ゴロウ・デラックス」 9/22)

オープニング。
「今日のゲストはインタビューの名手の方です。」(外山さん)
「今ご挨拶に行ったら5分くらい喋ってました。喋りたくなっちゃうんですよ。」(吾郎)
今回もとても楽しくなりそうです。

阿川佐和子さん。5年ぶり2回目の登場です。今年5月には63歳で初めてご結婚されました。インタビューの名手に今回は吾郎と外山さんが色々お話を伺います。

「ご結婚おめでとうございます。」と吾郎がまずご挨拶。でも
「結婚されないみたいな話してましたよね。結婚にはこだわらないとか。」と続けました。
「それはそう思ってた。」と阿川さんは認めましたが、結婚願望自体は昔はあったそうで
「20代半ばくらいまではあったんですけど、お見合いをしてもなかなか決まらない。どうするの?って言っているうちにTBSでお仕事を始めて、子どもが産めない歳になった時に…私子供を育てたかったので、結婚する必然が特になくてもいいかな、と思った頃には『結婚にはこだわらない』と言っていました。」と答え、次の瞬間
「どうですかそちらは?」と吾郎に質問を返しました。
「僕はもう43歳なので、今日は色々聞きたいんだよね?僕たち独身なので。」と外山さんに同意を求める吾郎。
「結婚は…いいっすよ。」と阿川さんは楽しそうに笑います。
「すごく幸せそうですね。」(吾郎)「結婚して何か変わりましたか?」(外山さん)二人は興味津々です。
「内省的にはそんなに変わらない。でも外交的に…世間とか外に対して安定するっていうか…兄弟が『姉ちゃんどうするの?俺たちが老後の面倒を見るの?』という部分も含めて、そんなに皆を安心させるんだ、という事にびっくりしました。」(阿川さん)
「僕の親の世代も言いますよね、結婚して一人前とかやっと親に認められるとか。」(吾郎)
「でも結婚しない理由はそれぞれある訳ですよね。自分が納得する理由が。」(阿川さん)
「若い時には、パートナーがいたとしても『そういう仕事(=アイドル)をやってるから』と…それはゼロではなかった。今は逆に心配されちゃうのでそれはもう平気だと思うんですけど、その間に独りで生きていく術を自分で磨けちゃって…何でも出来るので。」いつの間にか吾郎は自分の事を話していました。
「ああ、じゃあもうダメだ…。」(阿川さん)
「だから今度家にラブドール入れようかなと思うんですよ。」と冗談を言ったので阿川さんも外山さんも笑いました。
「絶対人間として成長してないと思うんですよ、43歳のわりに。ここで人間成長しなかったらダメですよね…。」と吾郎は自分を振り返り、突然
「結婚しよう」と外山さんに言いました。
その途端外山さんは固まり阿川さんは「今日はどうもありがとうございました」と言ったのがおかしかったです。

課題図書 : 「バブルノタシナミ」 阿川佐和子

バブル世代がチャーミングに歳を重ねる為の阿川さん流の知恵が詰まったエッセイ集です。
まず「バブル」とは日本人にとってどういう時代だったのか、が分かる一節を吾郎が朗読。

たまたまフランスを訪れた際、フランスに長く住む日本人女性が教えてくれたのです。
「昔、日本人と言えば集団でやってきて、横柄な態度で爆買いをしていくイメージが強く、この国の人はみんな眉をひそめていたけれど、今そういう日本人観光客は少なくなったって。東日本大震災の時の毅然とした姿にも感動したというフランス人は今けっこう多いですよ。」
そう言われた途端嬉しくなり、同時に緊張感が走りました。
無作法な事していないか、自分は?


バブルとは1980年代後半~1990年代初頭に起こった未曽有の好景気の事で、「お金を使う事が正義」という価値観が蔓延した狂乱の数年間でしたが、阿川さんはTBSの情報番組でアシスタントを務めていて、アゲアゲな思い出は全然無かったそうです。
「番組が悪かったのかな?(笑)予算が膨らんだ話は1回も聞いたことがないし、日日のお給金を頂いてたんですけど、『阿川さん悪いね、予算の小さい番組で。今度外回りのレポートした時に1000円あげるから。』『やった!』なんて言っていましたから。…僕はデビューしてたでしょ?」(阿川さん)
「僕は(SMAP結成が)88年なので、このテレビ局に初めて来たのは89年でもう『ザ・ベストテン』が終わりそうな頃だったんです。先輩に光GENJIがいて、ジャニーズJr.としてここに来たのが初めてで。だからバブルとはすれ違いなんですよね。」(吾郎)
「SMAPは最初全然売れなかったから。」(阿川さん)
「そう、バブルが終わったくらいから僕らが出てきたイメージがあると思うんで。デビューが91年なので。」(吾郎)
「アフターバブルチームだったのね。」(阿川さん)
「でも91年には武道館で初めてのコンサートしてますよね。」資料を見ながら外山さんが言いました。
「バブルじゃないですか」吾郎は苦笑しました。「でも忙しすぎて遊んでる時間もなかったので。」
「お小遣いは貰わなかったの?」(阿川さん)
「お酒も飲まない、17歳ですから。夜の街にも行かないじゃないですか。」(吾郎)
「だからお金が貯まっちゃって、最初に買った車が」(外山さん)
「マセラティ。…バブルじゃん!」(吾郎)
「マセラティが最初の車なんですか?!」阿川さんは驚きました。
「ええ…僕が19歳くらいの時で。」(吾郎)
「このバブル男が!」と阿川さんは思い切り突っ込みました。

バブル世代でありながら阿川さんは自他ともに認める「アンチバブル」。お父様で作家の阿川弘之さんから「贅沢は敵だ」と厳しく教えられたからだそうです。
「バブルノタシナミ」にはお父様の忘れられないエピソードも書かれています。
「小学校に入るか入らないかの頃にどこかでイチゴを頂いた。ちょうどそのちょっと前に生クリームのショートケーキを頂いて。当時生クリームは珍しかったんです、バタークリームしかなくて。で(生クリームのケーキが)「なんて夢のようにおいしいんだろう!」と思った経験があったので「このイチゴは生クリームで食べたい」とポロッと言っちゃったんです。そしたら父が『なんだと!なんという贅沢を言う娘なんだ。どういうつもりでそんな事を言うんだ!』とぐわーと言われて、泣きに泣いて、そのイチゴは牛乳で食べたんですけど。そう言うので怒られるから『贅沢をすると罰が当たる』という感覚があるのかもしれないですね。」
吾郎は「厳しいなー」と驚きながらも「いや素晴らしいことだと思いますよ。」と言いました。それに対して阿川さんは
「素晴らしいかどうかは…。ケチと言われてますが。でもドカーンと買っちゃうこともあるんですよ。友達とイタリア旅行した時にせっかくだからブランド品を買って、ホテルに帰ってその日買ったものを並べた時に涙が出てきて、『なんでこんなに買う必要があったんだろうか』と。」
「絶対お父さんのトラウマですよ。」と吾郎は言いましたが「でもご自身ではケチって言っていますけど、そういう堅実な部分もあるからこそイタリアでバーンと買った時に楽しいじゃないですか。」とフォローしました。
「すごく物を大事にしていらっしゃいますよね。」(外山さん)
「もったいないじゃないですか。だからサランラップも2回使うしね。」(阿川さん)
「湯船浸かって1回で流す時ちょっと心痛くならない?」(吾郎)
「私流さない。でもその翌日に入る機会を失って翌々日になったら、ぬめーっとしてる(笑)。」(阿川さん)
「そう、僕も流さないです…。でもぬめーっとなったら…。」(吾郎)
「だったら流しときゃ良かった、って…(笑)」(阿川さん)「そうそう、一緒ですよね。」(吾郎)
「だったら紙袋問題は?包装紙リボン問題。」(阿川さん)
吾郎は紙袋は捨てられないが、包装紙やリボンは捨てているそうです。
「最近の紙袋はすごく素敵なデザインだから捨てられなくて、取っておくと棚いっぱい紙袋になる。」と阿川さん。
「それは結婚してて問題にならないんですか?パートナーの方とは?」(吾郎)
「うーん、だいぶ文句言ってるけど。」(阿川さん)

「そういう価値観って変えられないじゃないですか。そういう事を言ってるんですよ、僕らが40過ぎてこれから結婚する時に…」(吾郎)
「ああ、そういう価値観の差異が嫌?」(阿川さん)
「いや、合わせると思うんですよ相手に。」(吾郎)「でも自分の中では我慢してる?」(阿川さん)
「そう、そうするといつか爆発しちゃう。だったらはじけるバブルだったら最初から経験しなくていいんじゃないかな、と思っちゃう。」
我慢しちゃう、という吾郎に阿川さんと外山さんは「言わなきゃ」とアドバイス。さらに「僕優しいんです」という吾郎に外山さんは「こわい!そっちの方がこわい!言ってくれなきゃ。」とリアクションしました。
「嫌なのね?自分の中では。」と阿川さんは念を押しました。
「女性に言えないんですよ。押し付けられないんですよ、自分が嫌な事とか。」
「例えば?」「部屋の温度とかって、男女は合わないでしょ。女性は寒がりだし男は暑がりだし。そういうのは多分言えない。」
「言えないっていうのは…?」(阿川さん)「だったら一人の方がいい。」(吾郎)
「カギはここに置くと決めたとか?」(阿川さん)「決めたいですね…決めたいなー。冷蔵庫の中も、ただぐちゃぐちゃした緩い感じが嫌だ。」(吾郎)
「私と結婚できない(笑)。」(阿川さん)
「(結婚)出来ないでしょ、僕と。」と吾郎が外山さんに聞くと
「やってくださるんだったら別にいいですけど。」と外山さんは答えて笑い出しました。
「髪の毛とか落ちて気にしない人、結構いる。女の人は多分気が付かない人多いと思う。」と吾郎が言うと阿川さんは
「でも言われると『いけないことなんだ』と気が付く。」と冷静に答えました。
「そういう事って女性が一番言われたくないことじゃないですか。綺麗に片付けろよ、とかごみを落とすなよ、とか女性としてプライド傷つきませんか?」(吾郎)
「全然」阿川さんは即答し「それは考え過ぎ」と外山さんも同意しました。
「あ、それが嫌いなんだ、って分かった方が楽になると思う。」(阿川さん)
「言わなかったら我慢の一方。だから爆発する。」(外山さん)
「5年くらい我慢してから『あの時の君の髪の毛の始末が嫌だった』とか言われても…」(阿川さん)「『言ってよあの時!』ってなりますよ、ねえ。」(外山さん)
女性陣2人に言われて吾郎は考え込みました。
「人間はみんな違う、何が心地良いとか心地悪いとか。」(阿川さん)
「違いますよね。」(吾郎)
「男の人は電気つけっぱなしが好きだし…」(阿川さん)
「僕みたいに暗いのが好きで楽屋なんか占いの館みたいですよ。」(吾郎)
「えええ?!どうして電気つけないの?」(阿川さん)
「暗いのが好きなんですよ。」(吾郎)「家でも?食事する時は?」(阿川さん)「スポットライトだけ当てる(笑)」(吾郎)
「でも好きな女の子に『私明るい部屋でご飯食べたい』と言われたら…」(阿川さん)
「それはいいと思っちゃう。好きな子が明るい部屋でご飯食べたいというんだからいいんだろうなと、それは本気で思っちゃうんです。」(吾郎)
「そこが優しいのね。」(阿川さん)
「でもそれを続けているうちに嫌になってくる。」と吾郎が言ったので外山さんはまた笑いだしました。
「それが嫌になったんじゃなくて、女の子が嫌になってるだけじゃないの?」と阿川さんは鋭く指摘しました。
「それもあるのかなあ…。誰か紹介してくださいよ。」
「えー、難しすぎて紹介できない。」と阿川さんは言いましたが隣の外山さんを見て「この人どうですか?」と聞きました。
「なんか楽な気がしてきた、外山さんが。だって僕が自分でやればいいんでしょ?」(吾郎)
「同じ人同士だと成立しないでしょ」(阿川さん)
「違う所は持っていたいですよ、自分が神経質だったらおおらかなところを持っている人に惹かれる、みたいな。」とそこまで言うと吾郎は一瞬考え、外山さんに向かい
「結婚しよう」
と一言。外山さんはただ笑うしかありません。とそこで
「僕今ゲストになってる。」と吾郎は気づき、本の話題に戻りました。

可愛く歳を重ねる阿川さんにとって品格とは何か?という部分を外山さんが朗読。

品格とは自らにはめるタガである。
金を持っている者がことさらに威張り散らし、金のない者は世の理不尽に憤る。
子供は「金持ちになりたい」と憧れ、若い女性は容姿と性格を二の次にしても「金持ちと結婚したい」と夢を抱く。
金があるからこそこんなことができたと自慢し、金がない者は死ぬしかないと悲観する。
どの気持ちにも真実はあり正論は存在する。
でもそこにかすかな「我慢」という調味料を振りかけた時、人の品格は芽を吹くのではないだろうか。


「素晴らしい!」(吾郎)
「いやいや、私が出来てないんですよ。」(阿川さん)「でもこれ、できてる人いないんじゃないですか?」(吾郎)
「例えば少し年配の方で、すごく暑くて汗かいてるのに上着を脱がない人がいたりする。やっぱり昔の教育は、女性がいる場所で上着を脱ぐのは失礼である、という事をおっしゃって。私なんて、暑いとおしぼりで顔を拭きたくなるんですけど(笑)、あと腰が痛いから椅子に座ると足を上げたくなるんですけど、『あ、この場ではやっちゃいけないな』とか。『友達と喋っているこの口調で年配の方々がいる場で喋っちゃいけないな』とか、『我慢我慢』という場がたくさんある。でも『そんなの気にしないでいい』って時代が長くなると”いけないこと”という意識もなくなるし…。やはり品格って我慢だな、と。」(阿川さん)
「意識だけはちゃんと持たないと。いや意識だけじゃダメなんだけど…。自分でダメだなって思います。」と吾郎は反省しました。
「どこがダメなんですか?」とすかさず阿川さん。さすがインタビューの名手です。
「僕結構せっかちですし、イライラしますし。」(吾郎)「イライラするの?」(阿川さん)
「ダメな人に対してイラっとするんですよ。」(吾郎)「ダメって?」(阿川さん)
「何でこれが出来ないのかなって。あるじゃないですか、生きているとそういう事って。でも自分もできているかと言われたらできてないんですけど。」(吾郎)
阿川さんは目を輝かせて吾郎の話を聞き、それからこんな話を始めました。
「お店でね、すごい騒いでいる人達がいたの。周りが迷惑してるって分かんないのかなってずっとガンつけてたの。(なんなのよ!)って感じで怒っていたらお店の人が気が付いて、その人たちが帰った後に『どうも申し訳ありませんでした』って。『あなたが謝る事じゃないでしょう』って言って。それから1週間後くらいに別の小さなイタリアンレストランで、一緒にいた女がうるさかったんだけど私もつい酔っぱらって調子に乗ってたら、お店の人が来て『もう少し静かにしてください』って言われて『どうもすみません』…。」
「あ、言われたんだ。」(吾郎)
「自分はやっている事に気付きにくいんですよね。だから言わなきゃダメ、彼女に。」(阿川さん)
「彼女に?!」と吾郎はちょっと驚きまた少し考えました。
「お店でうるさいお客さんがいるんだったらそんなの気にしないような心の持ち主に本当はなりたい。それで店員さんが『すみませんでした』って後から謝ってきたら、なんて俺は悪い事をしてしまったんだ、それが店員さんに伝わってしまったんだ。だったら怒んなきゃいいのに、むしろその店に行かなきゃいいのに。って思う。」
「ほんとうは直接」(阿川さん)「言っちゃっていいんですか?」(外山さん)
「(掛け声をかけるような軽い調子で)『うるさいよ』って。」(阿川さん)
「言っちゃっていいんですかね。」(吾郎)
「稲垣さんなんてね、『うるさい』なんて言ったら翌日ネットニュースですよね。だから我慢しなきゃいけないことがいっぱいあって。」(阿川さん)
「可哀相。」と阿川さんと外山さんが声を揃えたので吾郎はちょっと戸惑いました。
「すみません、話が脱線しちゃって。本のお話できましたか?」と締めに入ると
「十分頂きました。世界文化社から出している『バブルノタシナミ』、おばさんの愚痴と言ってもよい本ではありますが、お気に召しましたらお手に取ってお買い上げ頂ければと存じます。本日はどうもありがとうございました。」と阿川さんが早口でまとめたので
「あのー、僕がいるんですけど」とAD山田くんが入ってきて、消しゴムはんこを披露しました。頬杖をついてワインを飲んでいるとても雰囲気のある作品なので阿川さんは感心していました。


私はバブルが始まった頃に会社員をしていましたが、確かにあの時代普通のOLの間でも株ブームが起こったりして、人々の欲望がむき出しになった感じがしました。その後長い不況になって今に至っているわけですが、その気分だけは今も残っているのかもしれません。「我慢」という調味料を加えてもっと魅力ある人間を目指したいですね。


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インスタグラマー香取、ブロガー稲垣、ユーチューバ―草彅

今日も情報が次から次へと入ってきて、追うのが大変でした。

一番大きなニュースは
「吾郎、剛、慎吾がAbemaTVで72時間ホンネテレビの生放送(11/2(木)21時~)」
です。(AbemaTVの予告ページはこちら。動画も見られるはずです。)
同時に3人がtwitterを開始、慎吾がインスタグラム、吾郎がブログ(アメブロ)、剛がユーチューブを始める事も告知されました。
ネットでの活動が解禁されたと思った途端にAbemaTV、インスタ、ユーチューブと多方面に進出する事になったので、情報の流れが速すぎて溺れそうになりました。でもまだ1カ月近くあるので、徐々に準備すればいいですね。

詳しくは「新しい地図」の公式サイトのトップページを見て下さい。3人の名前の下に、それぞれのSNSのアイコンがあり、そこからアカウントに飛べるので、フォローや読者登録、チャンネル登録などが出来るようになっています。

正直に言ってこういう展開になるとは思っていなかったので驚いていますが、こういう畳み掛けてくる感じはSMAPっぽいかもしれませんね。楽しみです。


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新しい地図、新しい旅

今朝起きてtwitterを開いてみると、大騒ぎになっていました。皆さんのワクワクウキウキしている様子が伝わってきます。

皆さんもう御存知と思いますが、吾郎、剛、慎吾の共同公式ファンサイト「新しい地図」が設立されました!
同名のファンクラブも発足し、サイトから会員登録が出来ます。
一部のWSでも取り上げられましたが、サイトにアップされた動画がとてもかっこいいです。3人は登場しませんが、「何かが始まる」楽しさを表現していて何度でも見たくなります。
前事務所を退社してちょうど2週間後にファンクラブを立ち上げた迅速さも心強いです。今までアイドルがやってこなかった事を次々にやって来たSMAPですが、これからの3人もきっと新しい事に挑戦してくれるでしょう。
私もNAKAMAになったので彼らの新たな旅立ちに立ち会う事が出来そうです。出来る限り一生懸命応援します。

「新しい地図」のtwitterアカウントはこちら

またtwitterの他、LINE、You Tube、Instagram、Facebookでも情報発信しているそうです。海外のファン向けのサービスも展開しています。それもすごいですね。
「新しい地図」公式サイトへのリンクは当ブログサイドバーに貼っておきますので、行ってみてください。


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以下他に思う事を少し。
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カメラは時代の目撃者 (「ゴロウ・デラックス」 9/15)

今回は篠山紀信さんの第2夜で長い写真家人生から忘れられない撮影秘話を披露してくださいました。まさに圧巻。

1970年(29歳) 篠山さんはある天才作家を亡くなる1週間前まで撮影していました。
「三島由紀夫さん。この間この番組でもインタビュー本を紹介させて頂きましたが…。」と吾郎。不思議な巡りあわせです。そして紹介された写真は私も見た事があるものでした。
「これは亡くなる1年くらい前ですね。これには基になる宗教画があって。『聖セバスチャンの殉教』という絵なんですが、これを三島さんが自分がやるから僕に『お前撮れ』と。」(篠山さん)
「三島さんご本人から?!」(外山さん)
「ええ、そしてこの写真を気に入って『男の死』という写真集を出そうという話になって。高貴な人の切腹とか魚屋のあんちゃんが魚まみれになって死ぬとか、十幾つか考えて写真集にしようと。それを撮ったんですよ、1年がかりで。」(篠山さん)
「1年がかりで?!」(吾郎)
「そう。で、最後の写真を撮った1週間後に、自衛隊の中に入っていって本当にああいう死に方をしちゃった。でも撮影の間じゅうずっと死の話をしていたけれど、本当に三島さんが死ぬなんて思ってなかった。」(篠山さん)
「全く前触れもなかった?」(吾郎)
「そう、ずっと死についてお互い話していて、『血糊はMax Factorの何番がいいから買っておいでよ』なんてそんなことまで話してたんだよ。そしたら最後の撮影の1週間後に亡くなられた。」(篠山さん)
「あまりにも絵が残酷だから」という理由もあって結局この写真集は出版されませんでした。
「じゃ、どこかにしまってあるんですか?」(外山さん)
「教えませんよ、どこに仕舞ってあるかなんて!」と篠山さんはピシャリ。でもこの「聖セバスチャン」の写真は三島さんが生前「出そうよ」と言った作品なので出せるのだそうです。つまり他に誰も見た事のない写真があるわけで、
「見せて下さいよ!」と吾郎は身を乗り出しました。篠山さんは黙って首を振りましたが、
「写真家って撮った後(被写体の方が)すぐ亡くなられる事が多いんですよ。そういうものに立ち合わざるを得ないところがありますね。」としみじみと言いました。
「写真は死んでいく時を記録している。撮った瞬間に過去じゃないですか。やっぱり写真と死って関係があるんです。」
「もしかしたら(三島さんは)そういう事を考えていたのかもしれませんね。この表情のむこうで何を考えていたんだろうね。」と吾郎は「聖セバスチャン」の写真をじっと見て言いました。

1971年、篠山さんはアポロ月面着陸に触発され「宇宙で撮ったような写真を撮りたい」とアメリカのデスバレーでヌードを撮影。その芸術性が高く評価されました。
そしてリオのカーニバルを撮った写真集「オレレオララ」が篠山さんの写真家人生を変えます。
「僕は最初はコマーシャルのカメラマンで、それを辞めてから割と作品性の強い写真をカメラ雑誌に出してたんです。そういう作品で結構評価もされてたんですが、そういうものを次から次へとやっていて本当に良いのか?と思ったんです。それは自分のイメージを写真に置き換えているわけじゃないですか。僕はそうじゃなくて、世界のいろんなことから出来ていく物の方が写真っぽいかな、力があるんじゃないかなと思って。じゃあ、自分が何を言ってもいう事を聞いてくれないリオのカーニバルに行きたい、と思ったんです。」はたして行ってみると…
「4日間行ったんですが、4日間ずっとみんな起きてるんです。寝ていてもどこかからサンバが聞こえるわけ。で、夜向こうの方に行きたいと思っても道を渡れない。みんながサンバを踊っているから。「どいてください」と言っても全然ダメで、どうする?と思った時『僕もサンバを踊ればいい』と閃いた。でカメラを持ってチャッチャッチャッと行くとスーッと渡れちゃうんだよ。その時、これじゃないか、物を受け入れちゃえばパッと開いてくれてスッとそこが見えてくる。それを教えてくれたのがこの写真集。」(篠山さん)
「なるほど。」(吾郎)
これをきっかけに「自分の力づくで何かを作り上げるのは止めよう」と決意した篠山さん。
「世の中で起こっている面白い人・事・物。そういう物の所に積極的に行って、一番いいタイミングで一番良い角度で撮るのが一番いい写真なんじゃないかと。」
それから篠山さんは”芸能写真家”に転身し、「明星」「少年マガジン」「GORO」など大衆的なメディアの表紙やグラビアの仕事をしていきます。
因みに「オレレオララ」には篠山さん自身も映った写真があります。一見踊っているようにも見えるとても変わったポーズなのですが…。
「これは帰りの空港で、僕が滑ったか何かした瞬間を助手が撮った。本当はこういう向きなんです。」と言って篠山さんは写真を90度回しました。実は転んだ瞬間なのですね。「健康でなければこんな写真にはなりません(笑)。」

1977年(37歳)、篠山さんは当時の国民的アイドル山口百恵さんを撮影しました。
黒いビキニ姿で水辺に寝そべっている写真。身体が半分水につかり目を閉じて愁いを含んだ表情がなんとも美しいです。
「これ、すごいですね!」(吾郎)「きれい!」(外山さん)
「山口百恵の写真は数あれど、やっぱりこれが最高傑作じゃないかと思う。」と篠山さんは胸を張りました。
「70年代を語る時に山口百恵を抜きにしては語れないじゃないですか。でも活躍した時間は短いんだよね(1973年4月歌手デビュー、1980年3月婚約と引退を発表)。でこれが77年、一番売れている時ですよ。これは「GORO」のグラビアで山中湖で撮ったんだけど、東京から1時間くらいかかる所だし、これだけを撮るにも半日くらいかかる。当時の山口百恵にこの撮影の為だけにスケジュールを出せと言っても到底出してもらえない。そこで「明星」「少年マガジン」「GORO」の3誌で表紙と巻頭グラビアをやろう、それなら合計1000万部位になるから、と持ち掛けたら、さすがホリプロ、出しましょうと(笑)。」
「その3誌を篠山さんがやっていたというのが凄いですよね。」吾郎もグラビアを撮られる立場なので、篠山さんのすごさを改めて実感したようです。
朝は「明星」用に湖畔を歩くアイドルらしいグラビア、昼は「少年マガジン」用にプールで泳いでもらい可愛い感じのグラビアを撮って夕方になり、
「『GORO』は男性誌だからちょっと色っぽくしなきゃいけない。で湖畔を歩いていたら沈みかけたボートがあったので、『ちょっと百恵さん行ってみてよ』『いいですよ』ということでそこに行ってゴロッと寝たの。そしたらいいじゃないですか、夕日が入ってきてすごく色っぽい…。それでみんなに聞かれるの、どうやって撮ったんですか?どういう事を百恵さんに言えばこういう表情になるんですか?って。よく考えたんだけど、…単に百恵さんは疲れていたんだと思う(笑)。」(篠山さん)
「ああ、グタッとした感じなんですね(笑)。アンニュイな表情をしてるけど。」(吾郎)
「でもグタッとしててもさ、それを色っぽく撮っちゃうカメラマンの力量というのがあって(笑)。」(篠山さん)
「もちろんでございます!」(吾郎)
篠山さんから見た百恵さんは「少し変わった子だった。この年頃のアイドルは昼会っても夜会っても『おはようございます』って言うじゃない?でも彼女は夜なら『こんばんは』って言う子だったね。アイドルチックな子じゃない。その分ちょっと暗い感じ…?普通のアイドルとは違う雰囲気がすごくあった。」
因みに篠山さんには独特の百恵さん撮影術があったそうです。それは完璧に作られたヘアメイクを崩すこと。「そうすると百恵顔になる。」
「表情も変わるんですか?」(吾郎)「素晴らしい。」(篠山さん)
この撮影術はスタティックな美しさを持つ吾郎をあえて動かして撮るやり方にも通じているのではないでしょうか。

1980年(40歳)、篠山さんは歴史的な写真を撮影しました。
ジョン・レノンの遺作アルバム「ダブル・ファンタジー」のジャケット写真。ジョンとヨーコがキスをしているモノクロ写真です。
「これすごい有名なヤツだ!」(吾郎)
「これ、なんで撮る事になったんですか?」(外山さん)
「これはヨーコさんから電話がかかってきて『アルバムを作るからジャケットを撮ってください』って話があったんです。その時僕はロスにいたのでロスからニューヨークへ行って。それで『ダブル・ファンタジー』のレコーディングをしているスタジオで初めてジョンに会った。」(篠山さん)
篠山さんの滞在期間は4日間で、レコーディングの合間の細切れの時間を使って撮影したそうです。ジャケ写になった写真は夕方セントラル・パークの池のほとりのベンチで撮ったもの。
「7、8枚しかないんだよ、撮ったのは。」(篠山さん)
「そうですか。最初から構図が決まっててこれを狙いに行ってポーズさせたとかじゃないんですね。」(吾郎)
「大体僕そういうのやらないんだよね。で、これ全部カラーで撮ったんだよ。だけど出来上がってきたのはモノクロだったので、なんでかなあ?とちょっと不吉な予感がしたんだけど…。でも撮ってる時はまさかあんな事件(ジョン・レノン射殺)が起こるとは思わないし。」(篠山さん)
「ダブル・ファンタジー」が発売されたのが1980年11月。ジョン・レノンが射殺されたのはその直後の12月ですから、篠山さんは死の直前のジョンを撮影した事になります。今回は特別にジャケットになる前のカラー写真を見せて頂きました。
「ほんとだ、全然違う!」(外山さん)「おおー!」(吾郎)
元の写真には背景の池、更にその後ろにはジョンとヨーコさんが住んでいた高級マンション、ダコタアパートメントも写っています。ところが…
「今気が付いたんだけど、この写真と(ジャケ写は)全然違うんだ。」と篠山さん。確かにジャケ写ではジョンの手がヨーコさんの首に添えられていますが、カラー写真の方ではジョンの手は写っていません。(←じゃあジャケ写の元の写真はどこに?)
ジョンと篠山さんは同い年(当時40歳)。ジョンは「ここから新たなクリエイティヴな活動をしたい」と言っていたそうです。(だからジョンが殺されたことは本当に残念でなりません。)

自分はめったに写真に写らない篠山さんが今回は吾郎と一緒に撮影会をする事になりました。カメラマンは外山さんなので「素人じゃないですか」と吾郎は言いましたが外山さんは「どういうポーズがいいですか?」と積極的に篠山さんに質問しています。
「吾郎ちゃんは人形みたいに知らんぷり。僕は『ゴロウちゃん…』と…」と篠山さんは目をつぶって吾郎にもたれかかりました。が次の瞬間、
「そういう時に撮ってないとダメ!」と外山さんにダメ出ししました。
それから外山さんは何回もシャッターを切りました。途中で一歩寄ってアップの写真も何枚も。吾郎はさすが撮られるプロ、さまざまにポーズや表情を変えて人形らしさを出しています。結果なかなか良い写真が撮れました。
篠山さんはドール吾郎と一緒の写真を撮りたかったんですね。

AD山田くんの消しゴムはんこは「オレレオララ」の篠山さんが転んだショット。篠山さんも大笑いして気に入ってくださいました。


拍手ありがとうございます

ラブドールが生む不思議な世界 (「ゴロウ・デラックス」 9/8)

今回のゲストさんも吾郎をよく知っていらっしゃる方なので楽しかったです。

オープニング。吾郎の目がキラキラと輝いています。
「今日は写真を撮り続けて50年以上、出した写真集が300冊以上という、伝説の写真家が出て下さいます。」(外山さん)
「はい。やっと出て頂いたという感じ。色んな有名な方を撮ったという事で貴重な裏話を聴かせて頂きましょう。」(吾郎)

今回のゲストは皆さんご存知、篠山紀信さん。50年以上にわたって著名人を撮り続けてきた伝説の写真家です。

「呼んでくださってありがたいです。この番組は出版界では評判の番組で本を出すとみんな出たがってるんですって。なかなか出られないから『今日はお前頑張ってこい』って出版社に言われました。」と篠山さんに言われ、
「光栄です。ありがとうございます。」と外山さんも吾郎も嬉しそうです。
吾郎が篠山さんに撮って頂いた「家庭画報」(2017年4月号)の話題になり
「嬉しかったです。昔からお世話になっている先生なので。10代の頃から…19歳ですよ、初めてお会いした時が。19、はたちの頃に篠山さんのスタジオに行って…、上半身ヌードみたいな感じだった。」(吾郎)「へー!」(外山さん)
篠山さんはハハハと愉快そうに笑いました。
「で、篠山さんがスタジオに入ってくる前に、軽く筋トレをしといてくれ、腕立て伏せとかしてパンプアップしといてくれと言われて、それで写真を撮って頂いたんですけどね。」
と吾郎自身から興味深い裏話が聞けたのですが、欲を言えばその上半身ヌードの写真も見せてほしかったです(笑)。
因みに19歳から吾郎を撮っている篠山さんならではの撮影方法があるそうで、
「吾郎さんってスタティック(静的)なイメージが似合いそうな感じだけど、僕は『跳んで!』とか『回って!』とかいろいろ動いてもらってる。」
「そうそう、僕は動くのがあまり得意ではないので、しっとりと椅子に座って撮る方が楽だし慣れている。」
「でも吾郎ちゃんは男前だし、静かにしてると自分のポーズをするんですよ。絶対いい男に取れるところを知ってるし。でもそれにハマるのが悔しいから私は。」そこで「稲垣吾郎はとにかく動かす!」という撮影術になるのですね。さらに
「ジャンプというのは本当にその人の性格が出る」そうで
「僕はジャンプは苦手なんですけど」と吾郎が言うと
「その苦手感が出るのが良い。」と篠山さん。吾郎も「苦手」と言いながら篠山さんを全面的に信頼しているそうです。
「撮影に時間はどれくらいかけるんですか?」と外山さんが訊くと
「写真は早く撮らなきゃダメなんですよ。だって1回跳ぶだけでも双頭エネルギー要りますよ。その瞬間に撮らなきゃ。」(篠山さん)
「なんか早い印象があります、」(吾郎)
「1回目が一番良い写真が撮れる確率が高い。1回目というのが自分がよく出るんだね、無防備に。」(篠山さん)

課題図書 : 「LOVE DOLL X SHINOYAMA KISHIN」 篠山紀信

等身大の女性の人形であるラブドールを人間を撮る手法で撮影した、篠山さんの新境地といえる写真集です。
ラブドールとは等身大の女性の形をした人形の中でもボディが高価なシリコンなどで作られている物で、日本では毎年約400体が売れていてお値段は役26万円からという高級品。本物の女性と見まごうばかりに精巧に作られています。
篠山さんがラブドールを撮ったきっかけは意外な方からのオファーでした。
日本の古い人形について本を書いていらっしゃる明治学院大学の山下裕二教授がラブドールで写真集を作ろうと考え、
「じゃあ篠山に頼もう、という事になった。」のだそうです。
その山下教授がこの写真集について書いた部分を吾郎が朗読。

全く予備知識なくこの写真集を開いた人は、はたしてここに写されている物を何だと思われるだろうか。
裸の女性……だが、ページを繰っていくうちに、ほとんどが生身の女性ではないことに徐々に気付かれるかもしれない。
そして、ところどころに、生身の女性も交じっている事に。
そう、この写真集は、オリエント工業が製造するいわゆるラブドールを、写真家・篠山紀信が撮り下ろしたものなのである。
時に生身のモデルも交えながら。
篠山紀信が撮るラブドールは、この写真集で、まさに生身の女性と見まがうほどの画像として読者に提示される。
多くの読者は「工業製品」が「アート作品」を凌駕するほどのクオリティーを獲得している事に驚嘆されるに違いない。


「家に欲しいよね。」吾郎の発言に一瞬ドキリとしましたが「癒される。男性なら絶対欲しいと思うバランスだよね。」とさらりと続け、外山さんも「ほんとにそうだと思いますよ。」と同意しました。
篠山さんは今までに、四谷シモンさんの作品など、アートとしての人形は撮影した経験がありますが、
「ラブドールというのは要するにお人形とセックスをする、だから性の道具ですよ。昔はゴムまりみたいだったのが今はシリコンで出来ているとか、何十年も経つうちに本当に人間じゃないかなって思うくらい精巧なお人形になってきて。そこにAIとか埋め込んだら人間よりもしかしたら勝っちゃうかもしれない。」
「SF映画でよくあるような…。」(吾郎)
「そうそう、SF映画だと人間が排除されちゃって、人間の方が僕みたいになっちゃう。で、初めてドールを撮った時には(やっぱりよくできてるな、かわいいな)と思って。普通人形を撮る時には人形を撮る用のライティングがあるんですけど、僕は人間を撮るようなライティングで撮った。」(篠山さん)
「あ、人形と人間ではライティングが違うんですか!」(吾郎)
「そう。だから人間を撮るような柔らかい光で包みながら人形を撮っていると、本当に一瞬『え?生きてるんじゃないの?』と思える瞬間が現れるんですよ。」(篠山さん)
「本当にそう思いました。」(吾郎)
ここからは実際の写真を見ながら篠山流撮影術を解説して頂きました。どれも現実と夢の間のような不思議な作品で、今までにない感覚で感じ取るような写真です。
【撮影術その1】 人形は人らしく、人は人形らしく撮影
「これびっくりしちゃいました!」と外山さんが言ったのは部屋の中に3人のラブドールがいる写真…と思ったら
「これ、一番奥にいる真ん中の女性だけが人間なんです。人が人形っぽくやって、人形はなるべく人間のように。」(篠山さん)
因みにこの女性はモデルさんではなく編集者の方だそうです。「えー!!」と吾郎はびっくり。
「すごい人形っぽい人だったんですよ。それで『モデルやってよ』と言ったらてっきり裸になると思われて『とんでもございません!!』って言われちゃって。『いや裸じゃないから。いいからいいから。』と言って…。元々人形っぽい人なんだけど、より人形のようにふーっと力抜けた感じでそこにいる風にしてもらって。で人形はなるべく人間っぽく。」(篠山さん)
「そこにお人形っぽい方がいらっしゃらなかったら、まだ違ったんですね。」(外山さん)
「違ったでしょうね。こういう風には撮らなかったかもしれない。」(篠山さん)
写真はたまたまだから面白い、と篠山さんは言います。天気もモデルもその日によって違うから「一期一会」だと。
【撮影術その2】 撮影場所の下見はしない。
次のは、薄暗い地下道の様な所でラブドールに裸の女性が「壁ドン」をしている写真です。これは廃墟で撮ったそうで、
「場所とこの子たちがマッチしていないと写真として面白くないんですよ。」と篠山さん。かといって「人通りが多い所でこんな事をすると警察が来ちゃう。」
色々と制約が多い中「敢えてロケハンはしない。」撮影場所の資料を見て、後は実際にそこに行って光の具合などを見て「ここに人間と人形を置いたら写真的には面白いな、という事でやってる。」のだそうです。
「だって、(ロケハンをして)いいなあ、この雨の中で人形の顔に雨のしずくが…と思っても撮影当日晴れていたらどうしますか?僕は全天候カメラマンということで何でもやっちゃう。どんな時でも。」(篠山さん)
「同じ時はないわけですね、人も自然も。」吾郎は写真集を熱心にめくりながら言いました。
【撮影術その3】 ラブドールも人間も表情は自分で見つけに行く。
ポスターにも表紙にもなったラブドールの写真。全体が青い画面で引き込まれるような表情をしています。ラブドールは目は動きますが瞼を閉じる事は出来ないそうです。
「人形だから、もうちょっとこっち見せて、っていうのも自分で決めなきゃいけないんですよね。」(外山さん)
「うん、でも人形の目を無理して動かすよりも、お人形がふーっと見てたら、その見ている所へ僕が行けば良いわけ。人形なんだけど半分生きている人間みたいな気持ちで撮るわけですよ。横顔が綺麗だなと思ったら僕がそこへ行って撮る。…優しいんですよ。」篠山さんはそういうと笑いました。
「好きになっちゃいますね。写真撮っていると。あまりにも綺麗で。」と吾郎が写真集を見ながら言うと
「うん、でも僕は生きている方が好きだけどね。」と篠山さんはまた笑わせました。
「解説を聞きながら写真集を見ることってできないからね。」と吾郎。確かにとても贅沢な経験ですね。
「ラブドールのロケに行きたい、篠山さんと。」と吾郎が意外な事を言いました。
「だったらもう使っちゃいますよ。吾郎ちゃんを。だってもうお人形だもん。ちょっと動かないで…。」と篠山さんが言い、吾郎が少し首を傾けてピタリと止まると
「ほらもうそのままだ。」(篠山さん)「じゃあ今度楽しみに・・・。」(外山さん)
「使ってください。」と吾郎。篠山さんとまたお仕事が出来ると良いですね。

篠山さんの長い写真家人生の中で特に印象深い写真についても伺いました。
先ずは「トットひとり」の表紙になった黒柳徹子さんのヌード写真。
「この間この番組にも来てくださいましたね。」と吾郎。その時この写真も紹介しましたね。1968年、黒柳さん28歳の時に撮影されたそうです。
「60年代後半から70年代にかけては本当に世の中が活性化していた時代で、新しい事をやろう、という感じがあって…唐十郎とか寺山(修司)さんとかもそうだけど…写真もそうだったんですよ。ブロードウェイでは『ヘアー』という全裸で踊るミュージカルもあって、裸に対してタブー視されていたのを取り払って自由になろうよ、という感じが世の中にあった。それで『やってみない?』と声をかけるといろんな人がその時代やってくれたんです。」その一人が黒柳さんだったのです。
「当時としては結構衝撃的なセミヌードですよね。今ではアイドルの子でも手で胸を隠してやっちゃったりするけど。」(吾郎)
「大衝撃でしたよ。でもこれはまだ穏便な方でお尻の出ているような写真もありますよ。」と篠山さんは言い
「黒柳さんの、こういう時代にこういう事にどんどん自分からアグレッシブに行く、そういう気持ちが素晴らしいですよ。」と褒めました。
「ご本人もこの写真をとても気に入ってらして。この番組でもその話をしていらしてましたよ。」と吾郎が言うと篠山さんは嬉しかったのか
「じゃ、これはとっておきの話だけど」と前置きしてこんな話をしてくださいました。
「この時メイクルームに様子を見に行ったの。『大丈夫?』って。そしたら右のおっぱいか左のおっぱいか忘れたけど、セロテープで止めてるの。」
「寄せてるんですね。」(吾郎)
「そう、『こっちが小さい』とか言って寄せてる。『大丈夫、私のレンズは魔法のレンズで、ちゃんと綺麗に撮れるから。』と言って撮った。」(篠山さん)
因みに篠山さんは「徹子の部屋」に何度も出演されていますが、その度にこの写真の話になるそうです。

今回はここまで。次回(と言っても明日ですが)は篠山紀信さんの第2夜。山口百恵さん、ジョン・レノン、三島由紀夫などとの思い出を話してくださるそうです。注目ですね。


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続く道、新しい道

間もなく、吾郎と剛と慎吾がジャニーズ事務所を離れます。
3人は新しい世界に出ていき、中居くんと木村くんは今の場所に残ります。

私は今までもこれからもSMAPのファンなので正直複雑な思いですが、5人それぞれが今以上に輝いていけばいずれまた集結できるだろうと信じて応援していきます。

現在発売中のan・an「シネマ・ナビ」の中で吾郎がさらりと連載の継続を知らせてくれました。そして今日、文化放送の社長定例会見で「編集長 稲垣吾郎」の継続も発表されました。
剛の「ぷっすま」と「ブラタモリ」、慎吾の「おじゃmap」も継続が決まりました。
事務所を辞めると番組も終わらなければならないとか変な話も聞こえていただけに、今のお仕事が続くのは本当にありがたいことです。

そして明日からどんな新しい道が開けるのか、期待しています。


拍手ありがとうございます

深夜の手芸クラブ (「ゴロウ・デラックス」 9/1)

9月になり大海に漕ぎ出すような緊張感を覚えるこの頃ですが、そんな中今回のゴロデラはホッと一息つけるような和やかな雰囲気で良かったです。

オープニング。
「今日のゲストは芸歴25年手芸歴37年の芸人さんです。」(外山さん)
「手芸歴の方が長いですね。」(吾郎)そして机の上には虎のブローチの連作が。なかなかの迫力です。

オアシズ光浦靖子さん。芸人としてだけでなく手芸作家としても活動しています。特に愛してやまないのはブローチで、今まで作ったブローチは300点以上、ブローチ集も2冊出版しているそうです。そして今回の課題図書は光浦さん3冊目のブローチ集です。

課題図書 : 「靖子の夢」 光浦靖子

「一つ作るのにどれくらいかかるの?」吾郎の声がとてもリラックスしています。
「短いやつだと2~3時間、長いやつだと2~3日。」と答える光浦さんもごく普通の話し方で友達同士の会話のよう。映画「スーパースキャンダル」や舞台「広島に原爆を落とす日」などで共演していてお互いに気心が知れているのが感じられます。
机に飾られたブローチは「虎の遍歴」(成長)を並べたもので、お笑い芸人の加藤浩次さんに渡したものもあります。加藤さんは帽子につけて写真を撮ってくれましたが「気持ち悪いから持って帰れ!」と言ったそうです。
「念がこもっちゃうよね、怖いよね。」と光浦さんが言うと
「でも僕結構好きですよ。」と吾郎。「僕キラキラしたものが好きだし、可愛いものとか…花とか好きですし、花を飾っているくらいですから…。」
「ちゃんと”小さな乙女”が住んでるんだね。そういう人はいいかもね。」と光浦さんは納得し「今日は吾郎さんにプレゼントを持って来たんだ。」とカバンから取り出しました。
それはダチョウのポケットチーフ。
「これ実際に身に付けた人が中々いなくて…。」と光浦さんは自信なさそうでしたが、吾郎がスーツの胸ポケットに挿すと「まあ、素敵!」と言いました。胸ポケットからダチョウが顔を出している感じです。
「これ、ダチョウの体のモサモサを(針で)刺していくと首の硬さになる。刺して形にしていくの。元々の材料をそのまま活かしているのがダチョウの胴体。」(光浦さん)
実際の制作風景を光浦さんに自宅で撮影してきて頂きました。光浦さんが手に取ったのは白い毛のかたまり。
「羊の毛の方が動物感は出るんですが、最近ではアクリルの毛があってその方が安くて時間短縮になるんですよ。あの~…体調が悪いのでね、夜なべしてもね念がこもりそうで…。」と言いながら毛を丸めて針でザクザク刺していきます。喋りながらも決して手は止めずひたすらザクザクチクチク…。段々白いダチョウの首の形になってきました。
「要は刺すんだ!」(吾郎)「とにかく刺す刺す刺す」(光浦さん)
更にクローゼットには完成したブローチが一つずつラップにくるまれてしまわれていて、引き出しにはスパンコールやビーズ、リボンなど材料がぎっしり。どれも光浦さんの宝物です。

光浦さんが手芸を始めたのは小学校の手芸クラブでした。
「最初に作ったのは何だったんですか?」(外山さん)
「フェルトにブランケットステッチというのをやったんですね。針と糸も初めて持った。そしたらめっちゃ楽しくて。びっくりするくらい楽しくてやめられなくて、家に帰ってお母さんに『フェルトと糸を買ってくれ』と頼んで。それから毎日何か作るようになったんです。」(光浦さん)
それから大学時代に作ったテディベアも披露。「かろうじて残ってるんですけど。東京に出てきて寂しい時に作った。」
さらに編みぐるみも。「30代前半くらいにハマったのかな。なぜか急に編みぐるみを作りたい、って。」
急にハマるかわりに急に熱が冷めることもありますが「羊毛のチクチクサクサクは飽きない」そうです。

なぜ光浦さんはブローチを作り続けるのか?その理由を吾郎が朗読。

ブローチは結界なんです。
あの丸の中くらい自由にさせてほしいんだ。
一人のおばさんの乙女解放区なんだ。
なぜブローチ?
ブローチって可愛いじゃないですか。
(中略)
なんか一生懸命なのに鈍臭くて報われなくて。
誰が教えたわけでもないのに、ブローチは大体が胸につけます。
胸って、
人間の一番大事なところだよ。
ハート。心。
そこにおさまりたいって。
初恋の様な図々しさを感じません?
「電車で見て好きになりました。付き合ってください!」
顔も名前も知らない人からいきなり告られ、付き合えって!
しかも断ったら泣き出すし、
正直、これを大人に置き換えたら恐いですよ。ストーカーまがいですよ。
でも、初恋だから、その清らかムードにごまかされ許される。
そういうとこブローチにありません?


吾郎の読み方が何となく光浦さんの口調をまねているようで可愛かったです。
「ブローチって洋服屋さんに置いてないんですよね、ほぼ。その市民権の無さとか、ブローチごと可愛くてしょうがない、面白くてしょうがない。」と光浦さんはブローチの魅力を語りました。
「ブローチづくりの醍醐味は?」(吾郎)
「”自由”ですよね。色もデザインもぐちゃぐちゃだけど、こんなちっちゃな所を吊るし上げて怒る人いないでしょう。…最近の作品を見てみんな感想を言うんだよ、『大きいね』って。」(光浦さん)
そういえば「虎の変遷」もだんだん大きくなっています。作っているうちに気が付いたら大きくなっていたのだとか。
「これ、大きさが主張かと思った。」と吾郎が言うと
「もしかしたらそういう驕りもあったかもしれない。」と光浦さんも認めました。

ここで光浦さんが特に思い入れの強いブローチを見せて下さいました。
まず10年前に作ったブローチの「初号機」。小さな豚にヨーロッパで買ったお花の形のボタンをあしらった可愛い作品です。
「これが可愛かったもんで、2号機、3号機と作ってた。そしたら漠然と『100個溜めたらきっと何か幸せになるだろう』と(笑)。たくさん作って本にできたらいいなぁと思ったんです。」と光浦さん。吾郎はニコニコして聞いています。
更にはユニークなキリンのネクタイも!
「これは2冊目の作品集から。動物の足って作っていると3本目くらいから飽きてくる。だからド正面から(足が)2本しか見えない動物を作り出す。これは革命だと思ったの。手芸界って今まで人形しかなかったから半分だけでいいって革命だと。『手芸界に旋風が巻き起こるぞ!』と期待したけど何の風も吹かなかった。」光浦さんはそのネクタイを吾郎に渡し、吾郎はワイシャツにそれを当ててみました。
「吾郎ちゃんの力で何とか…。インスタとかに載せてよ。『僕のお気に入り』とかってツイッターに載せてくれれば…。私のジャスティン・ビーバーになってくれよ!」と光浦さんは懇願しました。(うーん、その件は9月9日以降に改めて打診してみて下さい…。)
そして3冊目の本からは一番難しかったという、草野仁さんの顔のブローチ。一番時間がかかったそうですが本当にそっくりです。
「なんでこんなに似てるの?」(吾郎)
「草野さんの事が好きだから。”ムフフ”と笑ってる口がとにかく可愛いと思って。」
今回の本では顔のブローチに初挑戦したそうで、具志堅用高さんやパパイヤ鈴木さんのブローチもあります。
「顔のブローチはどれくらい時間がかかった?」(吾郎)
「これは3日に分けた。やり続けると違う顔が出てきちゃう。草野さんをやっていると高島忠雄さんが出てきちゃって。だんだん高島忠雄さんになってきて『もうだめだ、今日は止めよう』と止めて、次の日草野さん(の顔)が生まれた時には嬉しかったあ。」(光浦さん)

さて、吾郎と外山さんも手芸体験をする事になりました。
「今日は一番簡単なクマの顔でも作りますか。」(光浦さん)
クマは顔、耳、目、鼻、口、とすべて丸だけで作れるので簡単だそうです。
まずフェルトに下書き。「先生、何か円が丸くきれいに書けなくてヤダ。」と吾郎は早くもごねましたが、光浦先生は動じることなく「ああ、それはどうでもいいですから。どうせつぶれちゃいますから、どうでもいいです。」とアドバイス。
そして毛を丸めて下書きの上に置き、線に沿って針でサクサクと刺していきます。「刺し心地いいね!」と吾郎はゴキゲンです。
「これを作る時は『あの人にあげよう』と決めて下さい。」と光浦さん。「その方が絶対楽しい。『あの人あれが好きだよな』とか『これもらったら爆笑するよな』とか想像すると自ずと作るものが見えてくる。」
しかしいつの間にか吾郎も外山さんも先生の話はそっちのけで「楽しい!」とチクチクに夢中です。
「なんだか犬みたいになってきた!」と吾郎は言いましたが茶色いクマさんの顔の土台が出来てきました。
そして刺し続ける事20分。3人とも作品が出来上がりました。先生の作品を見て吾郎は
「口つけてる!ずるい!」と叫び「口無いと可哀相じゃん」と自分のクマに口をつけ始めました。それを見て光浦先生は
「吾郎ちゃんやっぱり乙女が住んでる。いいね、喋りやすいわ。こんな男性なかなかいないから。」と嬉しそうに言いました。
「ちょっとニヒルになっちゃった。」と吾郎は言いましたが、出来上がったクマさんはとてもかわいくて「外国のクマみたい。」と先生も外山さんも絶賛。一方外山さんのはちょっとオジサンっぽくなってしまい、吾郎は大笑いしました。ともあれ
「手芸って意外と面白い。」(吾郎)
「面白い。夜出なくなりますよ。」(外山さん)
という2人の感想が全てだった気がします。チクチクに集中すると余計な事は全部忘れられそうですね。

手芸作家の夢をかなえた光浦さんの将来の夢は沖縄でカフェを開くことだそうです。
「沖縄へ行ってカフェをやって、性格はいいんだけど嫁にいけない女芸人さんたちの面倒を私が見ようと…。その人たちを厨房に入れウェイトレスにし、私はそのカフェの隅で自分のブローチを観光客に売ろうという、お土産コーナー担当で(笑)。」そんな光浦さんの話を吾郎は頷きながら聞いていました。
「で、今日はそんな光浦さんの夢をかなえるべく、ゴロウ・デラックスでは『靖子のカフェ』を作りました。」(外山さん)
「この番組にはね、沖縄と言えば彼がいるので。」(吾郎)
「ありがとうございます!」光浦さんは喜んでいます。

そしてスタジオの隅に作られた靖子のカフェ。光浦さんとAD山田くんが働くカフェに観光客役の吾郎と外山さんが登場、お店の片隅のブローチコーナーへ。具志堅さんの顔ブローチのほかにも日本情緒たっぷりな浮世絵風のブローチや、リアルでかわいいサルやリスのブローチもあります。
「リスを作ると世間は喜ぶ。私としては具志堅さんの方がよっぽど手間がかかってるんだけど。」と光浦さん。ちなみに希望価格は7,800円で「後は交渉」だとか。
「こちらの方は?」と吾郎が山田くんを指して訊くと
「私の旦那です。」(光浦さん)
「沖縄を気に入って移住してくださった方で。」(山田くん)
「で年下の無職の子を旦那にしたの。」(光浦さん)
と楽しい小芝居をしてくれました。

AD山田くんの消しゴムはんこはちょっと横向きの光浦さんの顔。とてもきれいです。山田くんいわく「光浦さんが一番きれいに見える角度で…。」さすが!


拍手ありがとうございます

いよいよその時が

ジャニーズネットに吾郎、剛、慎吾の契約満了のお知らせがアップされました(やっと!)。
今までお世話になった事務所から巣立つ時がやってきました(最後がこういう形になったのは本当に残念ですが)。

彼らの気持ちを推し量ることは到底できませんが、これからも精一杯の応援を送ることはできるはずです。
吾郎についていえばゴロデラの続行は正式に決まっているので、番組HPに感想やメッセージを書き込んだりはがきを送ったりすることに今まで以上に力を入れたいと思います。
ラジオ「編集長稲垣吾郎」がどうなるかは今日現在まだ分かっていないので、こちらのプッシュも欠かせませんね(ラジオのレギュラーが残せるかはとても大事な事だと思います。)

新しい環境で新しい挑戦が出来るように、寄り添っていきたいです。


拍手ありがとうございます

プロフィール

はちミツ

Author:はちミツ
【注意:当ブログの内容の無断転載は禁止します。】

稲垣吾郎さん大好き、SMAP大好き!の主婦。
吾郎ファン歴は25年目になります。
彼らがいつかまた集まりたいと思った時そうできるように、彼らがそれぞれ今いる場所で益々輝いていってほしいと願っています。
だから「SMAP大好き」という気持ちも「新しい地図の3人の活動を応援する」気持ちも私の中では同じ一つの思いなのです。
神奈川県在住。

近況
①毎週水曜日は「an・an」の「稲垣吾郎のシネマ・ナビ」をチェック!。
②「ゴロウ・デラックス」(TBS)もお見逃しなく!
③「稲垣吾郎オフィシャルブログ」、twitterアカウント @ingkgrofficial も必見!

メールは↓へ。
walkwithgoro☆hotmail.co.jp
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