稲垣吾郎さんとSMAPと新しい地図と。すべてが好きな主婦の日記 【無断転載禁止】

「ゴロウ・デラックス」10月以降の継続決定!

嬉しいお知らせです。

「ゴロウ・デラックス」の10月以降の継続が正式発表されました!
詳しくは→スポニチアネックス

何よりうれしいのは継続の理由が「良質な番組だから」だという事。編成部企画統括の方が「本当に良質な番組だと思っている」と仰ってくださったのは心強いです。

TBSの編成部にははがきでお礼を、ゴロデラの番組HPには番組の感想と応援メッセージを引き続き送りたいと思います。
オンデマンドやTVerの配信もお願いしていきたいですね。


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「うんこ」は楽しい言葉?! (「ゴロウ・デラックス」 8/25)

えーと、先週は三島由紀夫だったんですよね?で今週は…。

オープニング。
「今回はある言葉ばかり使って日本中で大ヒットという漢字ドリルの作者が登場します。吾郎さんご存知ですか?」(外山さん)
ここで吾郎はなぜか吹き出しました。
「うんこ、ですよ。うんち、じゃなくてうんこ。」
「はい。今日は貴重な時間ですね。吾郎さんの口から何回…」(外山さん)
「うんこ!うんこうんこうんこ…」
吾郎はすでにアクセル全開のようです。

課題図書 : 「うんこ漢字ドリル」 古屋雄作

発売5カ月で274万部の大ヒットとなり子供たちに大好評の「うんこ漢字ドリル」。「うんこ」を使った例文3018個を作った方が今回のゲストです。
古屋勇作さん。映像ディレクターの傍ら趣味で2003年に自分のHPで「うんこ」という言葉を使った「うんこ川柳」を発表しました。その「うんこ川柳塾」の企画は当初は出版社やテレビ局に受け入れられなかったのですが、2015年にある出版社から「うんこを使った教育教材を作りましょう」と持ち掛けられ、打ち合わせを重ねて生まれたのが「うんこ漢字ドリル」です。

「自分の好きな事をやらせてもらったのでこの反響には驚いていますね。」と古屋さんは謙遜しましたが、吾郎が「今日のゲストは『うんこ漢字ドリル』の人だよ、って周りに言ったらみんな知ってましたもん。」と言うと喜んでいました。
早速外山さんが、古屋さんの「うんこ漢字ドリル」への熱い思いの部分を朗読。

漢字を効率よく覚える方法は「繰り返し書くこと」であると言われています。
しかし、同じ文字をただ延々と描き続けるだけでは、子供にとって集中力の続かない「作業」になってしまいます。
本書が目指したのは書き込むことが楽しくなる漢字ドリル。日本一楽しい学習書です。
「うんこ」という単語を大人は忌避しがちかもしれませんが、子どもにとっては気持ちが盛り上がる言葉であり、口にするだけで楽しくなる魔法のような言葉でもあるのです。
「勉強するのはつらいことじゃない。とっても楽しいことなんだ。」
そんなふうに、勉強への意識が変わり、笑顔で机に向かう子どもたちが増えることを、心から願っています。


「子供にとっては気持ちが盛り上がる言葉…もう盛り上がってますね吾郎さん。」(外山さん)
「盛り上がってますよ。…でもそもそもなぜ”うんこ”という言葉に着目したんですか?」(吾郎)
「今まさに吾郎さんがそうだったように”うんこ”という言葉の中毒性なんですよね。」と古屋さん。自分の精神年齢が幼かったせいかもしれないけれど小学校時代が楽しかった、男の子同士でうんこの話で盛り上がっていたはずなのに段々そんなことで笑うのは恥ずかしい気持ちになり、離れていくのが淋しかったのだそうです。
「僕はうんこから離れられなくて今まで来たんですけど、そういう心の叫びがうんこ活動になっている。」
と古屋さんが言ったので吾郎も外山さんも笑いだしました。
「真面目な顔して言われても!」
と吾郎が突っ込むと古屋さんも笑ってしまいました。

ところでこの「うんこ漢字ドリル」、元々は違う形だったそう。なんと本当にうんこの形で表紙も茶色だったのです。その実物を手に取って
「かわいいじゃないですか!」と吾郎。
「これが本屋にあったら子どもが食いつく。」(古屋さん)
「これは手に取りたくなりますね。」(外山さん)と第一印象は好評でしたが、
「でもちょっと使いにくそうですね。めくりにくそう。」(吾郎)「書きづらいかも。」(外山さん)「本棚に入れにくい。」(吾郎)
と次々と問題点が指摘され、値段が高くなってしまう事もあって実現しませんでした。
「面白さ」だけでなく「機能性」も追及したところも「うんこ漢字ドリル」の特徴だそうです。
「漢字ドリルとしてちゃんと使えるのか、という所はすごく注意してこだわっています。そしてデザインはうんこが嫌な感じにならないポップなデザイン。それから書くマスもお子さんに実際にやって頂いて書きやすい大きさを決めてもらって、2㎝取っています。書き順の所に数字も入って矢印も入ってコメントも入っている所は結構自慢ポイントです。漢字ドリルとして文句がつけられないように頑張っています。」(古屋さん)

ここで古屋さんが3018個の中から選んだ「BESTうんこ例文」を3つご紹介。
1. 「うんこをもらした政治家の持率が、なぜか上がった。」 (5年生)
「このを書いてください。」と古屋さんに言われ、吾郎、外山さん、そしてなぜかうんこの被り物をしたAD山田くんはドリルに向かいました。
「『うんこ漢字ドリル』の世界観なんですけど、明るく楽しい温かい世界観にしたかったんです。ポジティブで真っすぐ前向きに笑える。うんこをもらした政治家の支持率も下がるのではなく上がってほしいな、と。」(古屋さん)
「かわいいもんね、うんこをもらした政治家の支持率が上がるって。実際は大変だけど(笑)。」(吾郎)
2. 「はるらしい色のうんこだ。」 (2年生)
3人はこれもちゃんとドリルに書き込みます。この例文のポイントは
「嫌悪感をなくす、という事なんですけど、臭い、色、食べる、そういううんこの嫌な所からどんどん離れてなるべく抽象的なうんこにしようとしたところ。」と古屋さん。
「確かに春らしい色のうんこって…。」(外山さん)「どんなうんこだろう?」(吾郎)「若草色とか…。」(外山さん)「そうですね。」(古屋さん)とイメージは膨らみましたが、
「本当にそういうのが出たら病院へ行った方がいいですけどね。」と最後は外山さんの冷静な一言で締め。
3. 「花ふんが入らないように、鼻のあなをうんこでふさいでおこう。」 (4年生)
これには全員爆笑。山田くんは思わず「くさい!」と叫びました。
「一番くだらない」から古屋さんは好きなのだそうです。
と、ここで
「今思い出した!小学生の頃の僕の悲劇。」と吾郎から思わぬカミングアウトが。
「好きな女の子の家に行ったんですよ、たまたま好きな女の子の家で勉強会があって。僕そこでうんこしたんですよ。そしたらちょうどトイレが断水になって、そのタイミングで流れなくなっちゃった。」
「えー!で、どうしたんですか?」と外山さんが少し青ざめながら聞きました。
「で『ちょっとトイレが流れないんですけど。』とその女の子のお母さんに言ったんですけど、『あ、今その時間帯になっちゃったから、そのままでいいから。大丈夫だから。』と言われて。でも絶対見られるじゃないですか!流さないで好きな女の子の家に”うんこ”を残してしまった…。」
「相当ヘビーですね。」(古屋さん)
「ヘビー過ぎて忘れてました、そのトラウマを30年以上。今思い出しました。」笑うに笑えない「うんこの悲劇」ですね。

「うんこ漢字ドリル」には約30年の歴史を持つ教育図書専門の編集プロダクションによる厳しいチェックが入りました。
ゲラ原稿の実物を見せて頂くと赤ペンと青ペンで色々な書き込みがされています。赤ペンはコンプライアンス的な直し、青ペンは文法的な直しだそうです。
「ずっと先生に怒られてる感じでした。」と古屋さん。
ここでTV初公開、教育図書専門の編集プロから怒られた「赤ペン例文」も紹介しました(つまりNG集ですね)。
1. 「子どもたちがうんこを壁に投げて遊んでいる。」
この例文には「これは街を汚す行為なので犯罪です」との赤ペンが。「確かにね。」と吾郎と外山さんは納得しました。実際の本では
「子どもたちが、うんこに土をかけてあそんでいる。」になりました。
「これは1年生のなので、もし真似をしてこれが原因だという事になったら良くない。」と古屋さん。教育的な影響も考えているんですね。
2. 「校長が朝礼でうんこを始めたため、大混乱となった。」
「はっはっは!」と吾郎は大笑いしましたが、編集者からは
「校長という身近な人物の奇行は現実と重ねやすいので避けたいです。」と赤ペンが入りました。
「『おじいちゃんが和室のど真ん中でうんこをしている。』と変わらないじゃない。おじいちゃんだって身近な人物だし奇行でしょ?紙一重だよ。」と吾郎は納得できない様子です。
3. 「彼は危険を承知で猛獣のうんこに近づいていく。」
これには赤ペンで一言、「猛獣に近づくのは危険です」。
4. 「大男が斧で巨大なうんこを叩き割る。」
「これなんでダメなんですか?『ものすごい筋肉をした男が、かわいいうんこをしている。』と変わらなくないですか。」と吾郎は疑問を呈しましたが、理由は「不審なおそろしい人を連想させます」。「斧を持った大男」のイメージがおそろしいから、という事らしいです。
5. 「もううんこを口に隠すしか手段がない。」
「衛生上避けたいです」との指摘ですが、吾郎が「衛生上全部駄目!」と突っ込んだので古屋さんは爆笑しました。

「真剣にチェックして、的確に答えが返ってくるんですね。」(外山さん)
「チェックしながらも、真面目な顔して結構プッと笑ってますよ、きっと。」(吾郎)

ここで古屋さんから吾郎にお願いが。
「『うんこ漢字ドリル』の6年生の最後の文章が自分の中でクライマックスなので、是非心を込めて呼んで頂けたらな、と。」
実は最後の3ページはストーリー仕立てになっているそうで、そのラストを
「初心に戻って、初めてうんこという言葉を言う気持ちで」吾郎が朗読。

うんこ漢字ドリルがもまもなく最終ページにる。
いよいよ全てのうんこを付ける時がやって来た。
道だけうんこを運び、帰りは手ぶらで歩いた。
部屋の方のかべをうめていたうんこが全てなくなった。
庭に作ったうんこの墓にお花をえる。
うんこを必要とする全ての人々にうんこを給したい。
たちがうんこうんこと笑っている。
うんこがなくなった日、ぼくは落ち込んだ。
うんこがなくなった週、僕は泣いていた。
うんこがなくなった年、ぼくは中学生になった。


吾郎は徐々に感情を込めていって、最後は感動の結末になりました。
「はぁ…切ない。」と外山さんはちょっと放心状態でしたがすぐ「古屋さん、笑うの止めてもらえます?」と言いながら自分も笑ってしまいました。
「本当にうんことお別れなんだなぁって。」(吾郎)
「そうなんですよ。最初うんこはかけがえのない存在なんですけどどこかで大人にならなきゃいけないじゃないですか。そこでうんこと別れる時がやってくる。映画「STAND BY ME」の小学校の時の友達、すごく仲のいい友達なんだけど全然会ってないみたいな、うんこはそんな特別な存在じゃないかと思うんです。」と古屋さんは熱く語りましたが、吾郎は
「でもこれ、『片道だけうんこを運び、帰りは手ぶらで歩いた。』って、どこかに捨ててきちゃった…。駄目だよ。「STAND BY ME」じゃない。」とバッサリ。外山さんは笑い転げ、
「今しみじみ仰っていましたけど、お別れできなかったからコレ作ってるんですよね!?そういう事ですよね?」と古屋さんに確認していました。

「でもまた教材を作ってほしいですよね、こういうエンターテインメントと教育ということで。」と吾郎が言いました。古屋さんのもとには次回作の要望が色々来ていて、「うんこ英会話はいけるかな」と考えているそうです。
「英語の教科書って凄い文章が普通じゃないですか。そこにうんこが入る余地がある。」(古屋さん)
どんな本が出来るが注目ですね。


今回は吾郎がリラックスして終始ニコニコしていたのが印象的でした。前回真面目に三島由紀夫の文学世界と向き合ったのとは全然違う雰囲気でしたがこの振り幅の広さが「ゴロウ・デラックス」の魅力ですよね。
次回ゲストは光浦靖子さんで手芸がテーマだそうなので、これまた楽しみです。


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三島由紀夫~死ぬために生き死ぬために書いた天才 (「ゴロウ・デラックス」 8/18)

オープニング。
「今日は日本を代表する文豪の素顔に迫る特別企画です。解説者はこの番組でお馴染みのあの方です。」(外山さん)
「この企画にふさわしい方ですね。」(吾郎)
今回は本当に見応えがありました。

今年1月TBS局内で発見された1本のテープが今回の本の始まりでした。それは作家・三島由紀夫の未公開インタビューテープ。そして注目すべきは録音されたのが1970年2月だということ。というのもその9か月後の1970年11月に三島は自衛隊市ヶ谷駐屯地に立てこもり割腹自殺を遂げたのです(いわゆる三島事件)。死の7カ月前のインタビューで、三島は何を語ったのか?
「最初はこの声が三島由紀夫の声かどうか分からなかったんですが、いろいろ検証した結果、三島由紀夫の声だと分かったんです。今日はその謎に包まれたテープをお借りしてきました。」(外山さん)
「本当ですか?TBSだけに?TBSで発見されたから?使えるみたいな?じゃゴロウ・デラックスで?」と吾郎。「はい!」と元気よく返事する外山さんは少し自慢げです。そこへ手袋をはめたAD山田くんが慎重にテープを持ってきました。

課題図書 : 「告白 三島由紀夫未公開インタビュー」 三島由紀夫

そしてこの本を解説してくださるのはゴロデラではお馴染み、「ヒタメン 三島由紀夫若き日の恋」の著者岩下尚史さん。久しぶりの登場なのでもしかしたら外山さんは初めましてかも知れません。今日は真っ白なスーツ姿で登場しました。
先日この音源を聞いたという岩下さん。三島由紀夫が亡くなってから戯曲も小説も評論もインタビューも決定版の全集に入っているのでそれで全部だと思っていたら、こういう新しいものが発見され、しかも”9か月後の思い”を素直に話していたので「非常に貴重」なものだとおっしゃいます。
「早く聞きたいですね。」吾郎がデッキにテープを入れて再生ボタンを押すと、三島由紀夫の声が流れてきました。
凛とした涼やかな声です。
「これはどういう状況でなされたんですか?」(吾郎)
「(晩年の代表作)『豊饒の海』四部作のうちの第三部『暁の寺』を書きあげた翌日にインタビューを受けたんですね。」(岩下さん)
三島が自決したのは、最終部の『天人五衰』を書きあげた翌日だったそうです。
「この時から自決を決意していたんですか?」(吾郎)
「と思います。私が『ヒタメン』を書いた時に取材した三島由紀夫の親友だった湯浅あつ子さんに伺ったんですが、このインタビューの何か月か前に国立劇場で『椿説弓張月』という歌舞伎を三島由紀夫が作演出しておりましてね、湯浅さんがその芝居を見に行った時にロビーで偶然会ったんですって。『またこういう歌舞伎を書くの?』と湯浅さんが訊いたら『いや、もう時間がないんだ。今ライフワークに取りかかってるから。これを書き上げたら僕は遠い所に行っちゃうからね。』と言ったそうなんです。ま、湯浅さんの証言を本当だと思えば、既にこの時には、『天人五衰』を書き上げたら…そう腹に決めてたと思います。」(岩下さん)
へえ…と吾郎は圧倒された様子です。
「自分は45歳で死ぬことは若い時から周りの人には言ってたそうです。」(岩下さん)
「45なんだ…。僕来年ですよ。」(吾郎)
「はい、随筆にも書いてます。『女は35歳まで、男は45歳まで』というのが三島の若いころからの思いだったんです。」(岩下さん)
「武士みたいだね。生きながらにして死に方を探してるみたいな。武士道精神に似ているんですよね。」(吾郎)
「そう、美学でしょうね、本人の。つまり、自分は天才だから天才と美に仕えなきゃならないという一生でしょうね。」(岩下さん)

「45歳で死ぬ」という美学はどこから生まれたのでしょうか。ここで年表のパネルを見ながら三島の生涯を振り返ります。
1925年東京都新宿区生まれ、本名は平岡公威(きみたけ)。父も祖父も官僚という厳格な家庭に育ちました。幼少期から天性の文才を発揮。その事について三島はインタビューの中でも語っていました。
「身体が弱くて本しか読めなかった。みんなが外で遊んでいる時に本を読んでいたからませていた。空想的な子供だったので、綴り方(作文)に全然現実の事を書かない。(中略)初めから夢みたいなことを書く。『自分が船のマストに上っていって空に蝶々が飛んでいて、それを追っていったら自分の体が空に浮かんで…』なんて話を書いてしまう。学校の先生は一番悪い点をつけるんです。そんな話は本当にはないと言って。」(要約)
更にそれを補足するように、岩下さんが「告白」にも収録されている三島の晩年の随筆「太陽と鉄」から朗読。

私にとっては、まず言葉が訪れて、ずっとあとから、甚だ気の進まぬ様子で、そのときすでに観念的な姿をしていたところの肉体が訪れた。


「普通は肉体の方が先にあるのに、三島由紀夫の場合は先に言葉があった。」(岩下さん)
「そこから生まれてきた…。」(吾郎)「そういう環境でもあったし生まれながらの力もあった。」(岩下さん)
吾郎も外山さんも息を飲んで岩下さんの話を聞いています。
(ちなみに「先に言葉があった。」というのは聖書(マタイによる福音書)の一節でもあります。)
しかし
「ただ喜んではいないですよね、本人は。それが後々の事になっていく。言葉だけではいけないんだって思ってた。」(岩下さん)
1941年、16歳で処女作「花ざかりの森」を執筆。1944年、学習院高等科を首席で卒業し東京帝国大学法学部へ入学。1947年大蔵省へ入省するもわずか1年足らずで退職、小説家への道へ進みました(この時点でもうかなり生き急いでいる感じがしますが…)。
1949年(24歳)初の書き下ろし長編「仮面の告白」が大ヒット。以降、「金閣寺」「永すぎた春」「美徳のよろめき」などの小説を次々を発表していきました。
「ちなみに『潮騒』(1954年)ってありますよね。5回映画化されているんです。」(外山さん)
「この辺はみんな名前は聞いた事があるもんね、確かにね。」(吾郎)
「一番有名な作品が並んでますね。20代後半から30代の4、5年が凄い。三島由紀夫の中で一番本が売れた時期です。『潮騒』は作品が少し変わった時期じゃないかな。」(岩下さん)
「なんか世界一周でギリシャかなんかに行かれて書かれた、とインタビューにありますね。」(吾郎)
「そう、それまでは夜の世界だった。」(岩下さん)
1952年、三島は当時の日本人はほとんどしなかった世界一周旅行へ出かけ、その時ギリシャで出会ったエーゲ海の太陽と彫刻の体の美しさに心を奪われたそうです。その感動が「潮騒」を生み、同時に彼の大きな転機になりました。
「どういう転機になったんですか?」(吾郎)
「それまでの日本の小説家は夜の世界で知性ばかりだったでしょう?ギリシャに行って遺跡の対称などの『外形の美しさ』に目が開いて、あまり知性に偏るよりも、という思いが…元々持ってたらしいんだけど、(この頃から)だんだん形になって出てきた。」(岩下さん)
「それでだんだん身体も改造するように…。」(外山さん)
1955年、30歳で三島はボディビルを始めます。肉体改造を始めた頃(31歳)と肉体改造後(45歳)の写真を比べると「体だけ違う人みたい。」(外山さん)
「少年時代はひ弱で虚弱体質だったでしょ。自己改造ですね。それを本人は『人生の重い扉を一つずつ開けてきた』を20代の終わり頃に書いていますけど。」(岩下さん)
「自己改造…」(吾郎)「運命を変えていくという事ですよ。」岩下さんは吾郎を見て頷きました。
(「自己改造」は三島由紀夫の生涯で重要なキーワードの様です。)
自分自身を変えた三島は文体や作風も変化させていきますが、皮肉なことに本の売り上げは落ちてしまいました。
「その後の作品は評価が低いという事ですか?」(吾郎)
「いや、売れなかったということ。売れないとやっぱり…職業作家ですからねぇ…。ただ「午後の曳航」なんか良いですよ。吾郎さん泣きますよ、40過ぎたら。」(岩下さん)
「ほんとですか?」(吾郎)「切実よ。」岩下さんが身を乗り出したので
「そ、そんなに言われたら…。」と思わず吾郎はうろたえました。
「吾郎さん独り者ですよね?あんた夜帰ったら家で泣いてるでしょ?」(岩下さん)
「はい。」(吾郎)(←泣いてるんかい!)
「砂を嚙む様ですよね、40過ぎたら。」(岩下さん)
「40過ぎて独りだったら、夜家に帰ったら泣いてます。」(吾郎)「え―?!(笑)」(外山さん)
「私なんか16年泣いてるんだから。」岩下さんはお得意のユーモアで場を和ませました。

未公開音源では、三島由紀夫が自分の死生観を語った部分もあります。そこで三島は、肉体が弱かった頃は死は自分の外にあったが、自分の肉体が出来たら死が自分の中に入ってきた、という趣旨の事を言っています。
「死が自分の中に入ってきた」とはどういうことなのか。晩年の随筆「太陽と鉄」の一節を吾郎が朗読。

私の死への浪漫的衝動が実現の機会を持たなかったのは、実に簡単な理由、つまり肉体的条件が不備の為だったと信じていた。浪漫主義的な悲壮な死の為には強い彫刻的な筋肉が必須のものであり、もし柔弱な贅肉が死に直面するならば、そこには滑稽なそぐわなさがあるばかりだと思われた。
十八歳のとき私は夭折に憧れながら、自分が夭折にふさわしくないことを感じていた。
なぜなら私はドラマティックな死にふさわしい筋肉を欠いていたからである。


「死と言っても普通の死じゃなくて、浪漫主義的な悲壮の死ですからね。華々しく自分の思い、悲劇に準じて死ぬということですから。その為にはガリガリだったり贅肉があったりしちゃ資格がない、と。筋肉がないと行動できない。それが文士で文字だけ書いていては分からないんです。三島由紀夫はそれを分かる、感じる為に修行して、「太陽と鉄」を書いた時には、ようやくこれで俺も悲壮な死が遂げられる、と思ったんですね。」(岩下さん)
「自分の中では完璧に納得が出来てる?」(外山さん)
「うん、出来てる。だからそういう準備を、小説と共に楯の会も組んで、着々とやっていたわけですからね。」(岩下さん)
「うーん…でも、それが全てなんですね、生まれた時からの。じゃなかったらこれ全部ない、この小説も。死にこだわってなかったら。」と吾郎が年表を見ながら言うと
「そうそう。それでどの小説も『死』がテーマですよね。」と岩下三が同意しました。
「どうしましょうか僕たちは。」と吾郎が問いかけると、
「男が年を重ねるのはなかなかキツイ。」岩下さんは眉をしかめました。
「最近僕もちょっと思いますよ…。年取ったらもっと簡単に生きれたり…子供の頃描いていた40代なんて、すべて理解して、悟って、余裕があって、生き方も分かってて、人に優しくて、そう言って生きていけると思ったら、どんどんどんどん幼くなってきちゃう。どんどんどんどん頼りない、自分自身が。」
そう言う吾郎の一言一言に「分かる!」「分かる!」と力強く頷いていた岩下さんは「行動しなきゃダメ。」と言いました。
「ホント最近、ここ一年位ですよ。それは行動すればいいんですか?」(吾郎)(←ここ一年位、ね…色々な事があったから…)
「行動する以外ないですよ。」(岩下さん)
「何ですか行動って。」(吾郎)
「三島由紀夫は勇気を持ってこういう行動をした。だから吾郎さんが勇気を持ってどう行動をするかですよ。」(岩下さん)
吾郎は顎に手を当てて考え込みましたが、
「それ探してくださいよ一緒に。」と言ったので
「何であたしがあんたの行動探すのよ!」と岩下節が炸裂し、吾郎も外山さんも笑いだしました。
「何事も修行、お稽古が大事なの。自己改造。」と岩下さんは厳しい顔で言いましたが、
「いくらあんた、あたしの所へ夜這いしてきて、教えて下さいと言ったって…。」とすぐに大人のユーモアを交えたので、吾郎も外山さんも大笑いして和やかにエンディングとなりました。

生きることも小説を書くことも、自分の理想の死を実現するためだったというのは私の様な凡人には正直理解できませんでした。もし昔の日本のように戦争をしていたら、死が自分の外にあろうと中にあろうと、突然自分の所にやってくるわけで、三島由紀夫が時間をかけて準備し「浪漫主義的な悲壮の死」を遂げられたのは戦争がなく日本が平和だったからだ、と考えるとさらに複雑な気持ちになります。
とにかく、今回は三島由紀夫の肉声を聞きながら吾郎、岩下さん、外山さんが語り合うという、奇跡の様な番組でした。もっともっといろいろな話が聞きたかったです。


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幸せな土曜日 (「金の正解!銀の正解!」「ほん怖」 8/19)

昨日は幸せな土曜日でした。
テレビを見て思い切り笑ったのは久しぶりな気がします。

クイズ「金の正解!銀の正解!」では面白可愛い吾郎が全開でした。椅子取りゲームで必死になる吾郎も麻婆豆腐の味覚当てクイズで一人だけ正解し大喜びする吾郎も全部愛しかったです。気が付けばTVの中で大笑いする吾郎を見て私も大笑いしていました。見ている人たちを無条件に楽しませることが出来る人がアイドルでありスターなんですね。昨日改めてそう思いました。
やはりテレビには稲垣吾郎が必要です!

でもこのクイズ番組に出られたのも「ほん怖」の番宣の為ですから、やはり「ほん怖」には感謝ですよね。今回どのドラマも怖くてまともに見られなかったのですが(こら)、吾郎とほん怖クラブの子供たちがぴったりくっついて怖がっている姿はいつにも増して可愛かったです。霊能力者の下ヨシ子さんも久しぶりに登場して心霊写真の解説をしてくださって懐かしい感じがしました。

ゴールデンタイムの全国放送に登場するのは7カ月ぶりという事もあり、私としては「稲垣吾郎祭り」を思い切り楽しみました。とはいえこれだけで終わっては困るので、またこの先が繋がるよう、番組HPには感想とお礼を書いてきました。


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今の胸の内を語る (「めざましテレビ」 8/18)

吾郎が出演すると聞いて、久しぶりに「めざましテレビ」を見ました。
普段は毎週月曜に放送されている「THE軽部真一」というコーナーの特別篇として吾郎のインタビューが行われたのです。勿論明日の「ほん怖」の番宣で心霊現象の様な撮影裏話もしましたが、後半では吾郎自身の現在の心境が語られました。
ビジュアルも完璧で、久しぶりに髭を剃り、眼鏡の奥の瞳はキラキラと輝いていてとても眩しかったです。吾郎の一言一言が印象深かったので、その一部を記録しておきます。

軽部「去年の年末、大晦日で一つ大きな節目がありました。そしてこの秋にまた一つ節目が来る。ご自身としてはどうなんですか?なにがしかの変化として受け止めていらっしゃるのか。」

吾郎「それは見ている方とか世の中的にはすごい変化だと思うので、何も変わらないよって澄ました顔をして言ってはいけないことだとは思うんですけども…ただもちろん、今ある現実は現実なので、それを受け止めながらもちろん前向きに…。でも仕事欲は尽きる事はないので、やっぱり役者の仕事は大好きなので、ずっとやってきている事ですし。役者の仕事ってその人のドキュメンタリーみたいな感じじゃないですか。ちゃんと内面が出る仕事なので、その人の魅力というか人となりというか。やっぱりいい人間になっていかないといい仕事も出来ないですし、自分をずっと磨きながら良い俳優になっていくことが出来ればと思っていますけどね。」

軽部「大きな変化があると稲垣吾郎さんのファンは心配すると思うんですよ。」

吾郎「もちろんそれは一番感じている事なので。心配をかけるという事は(語気を強めて)非常に申し訳ない事なのでやっぱり心苦しいですけど、でもこれはもう………(少し考え込んでから)自分で決めた事ですし…その現実というものは受け止めて貰わないといけないなと思いますし、でもその心配にこたえられるように、皆さんの中で何か欠けてしまっているものとかロスしているというか、それをまた満たしていかないといけないと思いますし。こうやって本音を語らせてもらってそういう事が伝わってもらえればいいかなとは思います。」


「ほん怖」の撮影現場では「年々子供がカワイイ」と感じるという吾郎。「もともと子供は苦手なタイプだったんですけど最近では可愛くなってきて、今日も一日一緒にいるだけで最後はちょっと寂しかったです。変わっていくんですね。」とにっこり。自分が変わっていく事を楽しんでいるのだなと感じました。それが吾郎の素敵なところでもありますよね。
「このタイミングで軽部さんにインタビューして頂ける事がすごくありがたいなと思いましたし。僕も言いたいことが言えたというか、嬉しいですね。」
最後に軽部さんとがっちり握手してインタビューは終わりました。

インタビュー自体たっぷり(7分くらい?)時間を取ってくれましたし、吾郎が出演した「白昼のベル」(1999年)や今回の「ほん怖クラブ」の撮影風景の映像をバックに流してくれましたし、全体として親切な作りだったと思います。今回このタイミングで吾郎が自分を語る場が出来て本当に良かったです。
吾郎が心に決めたように進んでいける事を願っていますし、そのためにこれからも応援を続けていこうと思います。


そしてこのインタビューを中居くんの45歳のお誕生日に聞けたのも嬉しかったです。


拍手ありがとうございます

8月19日は吾郎祭り♪

おはようございます
暑い日が続きますが皆さんお元気でしょうか。

一昨日の「あさチャン!」は三島由紀夫の「告白」の紹介でしたが「ゴロデラ」での吾郎のコメント部分も流してくれてありがたかったです。ゴロデラが放送されていない地域の皆さんは約7カ月ぶりにテレビで吾郎を見られたんですよね。そのことも含めて「あさチャン!」の公式サイトに感想とお礼を書き込んできました。視聴者からの反響は番組スタッフにまで届くそうなので、お手の空いた時に是非送ってください。それが続けばきっと力になるはずです。

ところで現在発売中の「週刊ザ・テレビジョン」と「TVガイド」に「金の正解!銀の正解!」での吾郎のスナップが載っています。どちらもとてもかわいい吾郎です(扱いが大きいのはジョンの方ですが、ガイドの写真もとても面白いです)、かなり盛り上がったようなので放送が楽しみです。
そして気になる放送日は19日だそうです。つまり19日は19時から「金の正解!銀の正解!」、それに続いて21時から「ほん怖」と久々に吾郎祭りになります。今からテンションが上がりますね♪
あ、久々と言えば、髭なし吾郎さんも久々です。私は髭吾郎は好きなのですが今回はかなり長期間だったので、髭なしも新鮮でいいなあ、と思いました。


拍手ありがとうございます

中国、台湾、日本の間で (「ゴロウ・デラックス」 8/4)

オープニング。吾郎はダークスーツが本当によく似合います。
「今回のゲストは2度目のご出演です。前回は直木賞を受賞された時に来てくださいました。」(外山さん)
「あの時はこの方のお話はあまり聞けなかったんですよね。3人でいらしたんですよね、又吉さんと羽田さんと。あの時は2人ともちょっとアクが濃かったので…。」(吾郎)
吾郎の爆弾発言に思わず笑ってしまう外山さん。今日はじっくりお話を伺えそうです。

東山彰良さん。一昨年「流」が「20年に1回の良い作品」と絶賛され満場一致で直木賞を受賞しました。その時の芥川賞が又吉さんと羽田さんで、3人でゴロデラに来てくださいました。。
東山さんが登場して席に着くと「あれからもう2年ですか。」(外山さん)「早いね。」(吾郎)と3人はしみじみしました。
「その後(お二人と)お会いすることは?」(吾郎)
「去年別の作品(「罪の終わり」)で中央公論文芸賞を頂いたんですけど、羽田さんにはその授賞式でお会いしました。」(東山さん)
「息子さんたちが羽田さんのファンだそうで…。」(吾郎)
「あはは、そうなんですよ。息子たちは僕の本は全然読んでくれないんですけど、羽田さんの本は二人共『面白い面白い』って。」(東山さん)
「へえー。今お幾つなんですか?」(吾郎)
「長男が大学4年生で次男が高2です。」(東山さん)(←え、そんな大きなお子さんがいらっしゃるんですか?!)
「お父さんの本も実は読んでるんじゃないですか?」(外山さん)
「いや、次男に関しては絶対読んでないです。」(東山さん)
「ほんとですか?」(吾郎、半信半疑)
「直木賞を受賞した時も『お父さんの俳句が新聞に載った』位の盛り上がりぶりで。」(東山さん)
東山さんの例えがあまりに上手いので、吾郎も外山さんも笑ってしまいました。

先ずは直木賞受賞作「流」のお話から。
主人公は1970年代の台湾に暮らす若者、秋生(チョウシェン)。彼が、かつて中国大陸で戦った祖父の人生をたどる青春物語です。東山さんがご自分のお父様とお祖父様をモデルにして書きました。
「東山さんご自身は台湾のご出身ですか?」(外山さん)
「そうです。両親も中国大陸出身ですが戦争で負けて台湾に移った世代なので、僕は台湾で生まれました。」
東山さんのお話を吾郎は興味津々の表情で聞いています。
ご両親とのお写真(東山さん2歳)で見ると東山さんはお父様にそっくりです。「よく言われます。」と東山さん。
「お父さんが『流』の主人公のモデルですね。」(吾郎)
「そうですね。本当は祖父の物語を書きたかったんです。祖父は中国大陸で抗日戦争(日中戦争)を戦ってその後(内戦で)共産党と戦って、それで負けて台湾に移ったんですけど、その祖父の物語を書くとおそらく1930~40年代の中国大陸を舞台に戦争という背景で壮大な物語になりそうな気がして、でもそれを書ききる自信がなくて、まず父親をモデルにして、僕がよく知っている台湾を舞台に書いたのが『流』です。」
東山さんのお祖父様の体験談は、20世紀の中国と台湾の歴史そのものですね。それだけで驚きです。
「じゃ『流』を書く時取材で実際に中国にも行かれたりして?」(吾郎)
「はい。うちは中国の山東(サントン)省の出身なんですが、2009年位に当時ご存命だった祖父の兄弟分に会いに行ったんです。その時で90歳を越えてたと思うんですけど、父親に『今会いに行って話を聞かないと多分もう聞けないぞ』と言われて、父と二人でそのおじいちゃんに会いに行って、名前も経歴もほぼそのままで作品には反映させました。」(東山さん)
「前回はそういうお話を詳しく伺えなかったので…。」(外山さん)「そうそう、羽田さんと又吉さんとね。」と吾郎はいたずらっぽく笑いました。(あの時は羽田さんと又吉さんがしゃべくり倒していた印象が…。)
そしてご両親の出身地「山東」をひっくり返して「東山」というペンネームにしたそうです。
「デビューする時に中国名でそのまま行くか日本人風のペンネームをつけるかと考えたら、自分の書く小説のタイプがエンターテインメントでやっていこうと思ったので『中国名で書くと重くなるかな』と思ったんですね。だとしたら日本人風のペンネームをつける、で自分とゆかりのある名前をつけようと思って、山東省をひっくり返して東山にしたんです。」と東山さん。
「良いお名前ですね、作家さんって感じで、流れるような。」と外山さん。上品なペンネームですね。

台湾で生まれた東山さんは5歳の時、ご両親の留学先の広島へ。その後いったん台湾に戻り9歳の時一家で福岡に移住しました。
「言葉ってそこから…?」と吾郎が訊くと
「言葉はですね、日本に来た5歳の時にポンと保育園に放り込まれて知らないうちに身に付いたんです。」と東山さん。子供は自然に言葉を覚えるからスゴイですよね。
「漢字とかは覚えやすいものなんですか?」(吾郎)
「漢字は確かに覚えやすいんですけど、我々が使う漢字と違う意味の言葉もいっぱいあるので。よくある例では「手紙」は中国語ではトイレットペーパーですし。それはちょっと混乱します。」(東山さん)
「台湾って何語ですか?」(外山さん)
「色々あるんです。中国語、台湾(ビンワン)語、それから先住民の方々の言葉もありますし、意外と色々な方がいて言葉が全然違うんです。僕が喋れるのは中国語だけです。」(東山さん)
日常会話は問題ないという東山さんですが、「ただ小説は無理」だそうで、
「新聞を読むときは事実さえ伝わればいいんですけど、小説の場合は全体の雰囲気とか格調とか、そういうものが僕は漢字からは読み取れないんです。なのでよく『自分の作品を自分で翻訳したら?』って言われるんですけどそれは絶対出来ないです。」
これも言葉の不思議なところですね。

課題図書 : 「僕が殺した人と僕を殺した人」 東山彰良

課題図書は東山さんの最新作です。
1984年の台湾で友情を育む13歳の少年達。しかし30年後、彼らの一人が全米を震撼させた連続殺人鬼として逮捕される。いったい誰がなぜ殺人鬼になってしまったのか?その謎をめぐる青春ミステリーです。
冒頭、主人公のユン、アガン、ジェイが親友になるきっかけとなる喧嘩のシーンを吾郎が朗読。ユンは学校帰りにアガンとジェイに待ち伏せされます。アガンはともかく、ユンとジェイの間には特に確執はないのですが、

友達が間違ったことをした時に正してやるのは真の友達で、
友達が間違ったことをしたときにとことん付き合ってやるのが兄弟分だった。


「いきなり冒頭から激しいんですよね。」(吾郎)「喧嘩のシーンですね。」(東山さん)
「間違ったことをした時とことん付き合ってやるのが兄弟分。」吾郎は眉間に皺を寄せてもう一度読みました。
「いいですよね。」(外山さん)
「1984年に13歳…僕らと年代はそう変わらないけど僕らの子供の頃とは全然環境が違うね。」(吾郎)
「『流』もそうだったんですけど、人は勿論、景色がすごく浮かんでくるじゃないですか。」(外山さん)
「うん、匂いとか湿度とか感じますよね。」(吾郎)
「そう言って頂けると光栄です。」東山さんは嬉しそうです。

ところで人気の旅行先としていつも上位に上がる台湾ですが、この本には観光では知ることが出来ない台湾の文化や情景が描かれています。ここからは東山さんが撮ってきたプライベート写真を見ながら台湾について教えてもらいました。
物語の舞台は東山さん自身の故郷でもある台北市の廣州街。ユンは両親が牛肉麺(ニュウロウメン)屋を営むアガン、ダーダー兄弟の家に居候していました。という事で、まず牛肉麺屋の写真から。
「これ、屋台みたいに外で食べてるんですね。」(吾郎)
「そうですね。外でも食べられるし、中にも座れる場所がありますが、台湾は暑いので結構外で食べる機会が多いのかもしれないですね。」(東山さん)
「まあイメージ通りだね。(次の牛肉麺の写真を見ながら)これ、牛肉が入っている麺ですか?」(吾郎)
「まさにその通りです。五香という粉があって…八角とか入っている…」(東山さん)
「はぁ、そういう感じですか。」(外山さん)「いいじゃないですか、僕、火鍋とか好きですから。」(吾郎)
「それに近い感じです。薬膳とか入ってますね。」(東山さん)
「吾郎さんそういうの好きそう、あはは…」なぜか外山さんが笑いだしたので、吾郎が突っ込みました。
「何笑ってるの?」「だって…(笑)」「薬膳身体にいいじゃん。」「薬膳ね(笑)」「汗かきたいんだよ。デトックスしたいの(笑)。」
ここの吾郎と外山さんのやり取りが微笑ましかったです。
「これ実際に取材に行かれたんですね?」(吾郎)
「そうですね、ここは僕が生まれ育った所なので、取材に行くというよりも自分の記憶が正しかったか確認に行くという感じでした。僕が住んでいたのは廣州街という所で外省人(がいせいじん)が多かったんです。外省人というのは(戦後)中国大陸から渡ってきた、僕のような出自の人々なんですけれど、ユン、アガン、ダーダーはそういう大陸から渡ってきた人たちのエリアに住んでいる、という設定です。」(東山さん)
ユン、アガン、ダーダーが外省人エリアに住んでいたのに対し、ジェイは線路を挟んで西側、戦前から台湾に住み台湾語を話す台湾人のエリアに住んでいます。本の中にはこんな一節もあります。

子供のころ、ぼくたちは線路のむこう側へ行くことを禁じられていた。アガンはこっそり線路を超えてジェイと遊んでいたけれど、バレれば母親に麺棒でこっぴどくぶたれた。


ここで台湾人エリアの三水市場を東山さんが歩いている写真を拝見。
「ジェイがここに住んでいる設定なのでわざわざ見に行きました。これも僕の父親たち世代の話ですけど、うちの祖父は大陸から渡ってきたんですけど国民党の正規の兵士じゃなかったんですよ。遊撃隊をやっていたので正規の兵士のエリアに住めなくて、うちの家族は台湾人のエリアに住んでいたんです。そのために父親も叔母も結構戦う日常だったみたいですね。石を投げられてそれが頭に当たって血を流しながら学校へ行ったって話も聞いた事がありますし。そのおかげで、僕は中国語しか喋れないんですけど、父親たちは台湾語もペラペラ喋れる。そういう環境で育ったので。僕らが子供のころはそちらへ行くことは大人たちに止められていましたね。こっそり行くと怒られました。」(東山さん)
壮絶なお話に吾郎も外山さんも聞き入っていました。

本の中には台湾ならではの食文化についての記述もあります。

ぼくたちは男らしくこの一件を水に流し、台湾人の真似をして猪脚麺線(ディカミスア)を食べた。


少年たちが喧嘩の後仲直りの証として食べたという猪脚麺線の写真。いかにも美味しそうです。
「麺線というのに豚足が乗ってるんですよ。」(東山さん)「おいしそう。」(吾郎)
「とろみのあるスープで煮たりするんです。なのですごく細くて素麺を煮込んだような感じですね。」(東山さん)
(ちなみに牛肉麺は太くて丸くてまっすぐなスパゲティの様な麺でした。)
「(店の看板に)猪って書いてありますけど豚なんですね。」(外山さん)
「豚なんです。中国語では猪は豚なんです。」(東山さん)
「これもコラーゲンたっぷりでいいんじゃないの?」と吾郎はいかにもザ・イナガキな反応をしました。
「父親の世代、僕らより一個上の世代は、厄払い…悪い事があったらこれを食べて厄を落とすという食べ物なんです。」(東山さん)「へぇ…」(外山さん)
「それを子供たち、本の中の子供たちが真似をしてこれを食べに行くんです。」(東山さん)
「厄落とし=喧嘩の仲直り」というわけでしょうか。
次の写真は…
「朝食を食べている所だと思います。家の近所にある朝食屋さんですね。」(東山さん)
「あれ?皆さん自炊しないんですか?朝ご飯は。」(吾郎)
「自炊する家ももちろんあるんですけど、外で食べてもすごく安いんですよね。」(東山さん)「いいなあ。」(外山さん)
「子供たちも登校前に屋台に寄って食べていくとか、あと、買ってビニール袋に入れて食べながら行く子もいますし。それぞれのお気に入りの場所があって。」(東山さん)
「東山さんのお気に入りのメニューはあるんですか?」(吾郎)
「まさにこれです(写真が変わって大きくて長い揚げパンを持った東山さんが映りました)、これ私です。油で揚げた揚げパンと熱い豆乳を買って、道端に座ってつけて食べるのが好きで。例えば外国から来た方に『絶対美味しいから食べてみて』とは言えないようなものです。ソウルフードなので味は二の次なんです。」(東山さん)
「きょうはこれ、ドウジャン、ですか?」と外山さんが訊きました。
「中国語で豆漿(ドウジャン)と言いますが日本の豆乳と同じです。」(東山さん)
「今日はそれと揚げパンをご用意致しました。」(外山さん)
「え?俺牛肉麺がいい。」(吾郎)
と冗談を言いつつ、東山さんの好きな台湾の朝ご飯、揚げパンと熱い豆乳を試食。
太くて長い揚げパンをそのまま中鉢の豆乳に浸して食べる、そのお味は…
「懐かしくない?給食?」(吾郎)
「(日本にも)ないわけではないんですけど、そして外国から来てわざわざ食べる程のものでもないんですけど、食べちゃうんですよ。」(東山さん)
「分かります分かります。」(吾郎)「ちょっと甘いんですね豆乳が。」(外山さん)
「豆乳がおいしい。僕好きですよ。」(吾郎)
「ありがとうございます。」と東山さんは2人が気に入ってホッとしたようでした。

東山さんがこの本を書くにあたって最初に思い浮かべたのは、少年たちがある重大な計画を実行するかどうか神仏にお伺いを立てるシーンでした。彼らが使っていたのは台湾ならではの「ポエ(竹かんむりに交)」という2つの赤い木片。実際にスタジオに用意されましたが、三日月形の少し大きめの木片で裏と表で微妙にカーブの付き方が違います。
「読んでてこれが分からなかったんだよね。」と吾郎。
「これを2枚こうやって投げて、裏と表に分かれたらお伺いが通った、イエスをもらった、と。」(東山さん)「なるほど、そういう事か。」(外山さん)
「意外とシンプルですね、あんな大事な事をこれで決めちゃうんだもん。」(吾郎)
と、そのポエのシーンを外山さんが朗読。
ユン、アガン、ジェイはお寺に行きポエでお伺いを立てます。「事が事だから一人でも反対されたらやめよう」と言って…。それはジェイの継父を殺すことでした。

俺には殺したいやつがいます。
それは俺の継父の沈領東(シェンリンドン)です。もうこれ以上は耐えられません。あいつが死ぬか俺が死ぬか、ふたつにひとつです―――。
目を開き思いを解き放つ。
赤い木片はスローモーションのように落下し、乾いた音を立てて床の上ではじけた。
表と裏。
「シン(聖)ポエだ。」


「表と裏に分かれたという事は…?」(外山さん)
「シンポエと言って、願い事が聞き届けられたという事ですね。」(東山さん)
「人を殺していいですか?って神様にお伺いを立てるんですね。」(外山さん)
「これはちゃんと信じるんですね。世の中の事は信じてない、大人の事も信じてない、友達同士だって確執があるのに、これはちゃんと信じるんですね。」(吾郎)
東山さんは吾郎の言葉にうなずきながら
「この物語は1984年ですが、現代の台湾は日本と同じようにスマホ文化なんですよ。でもスマホをヒョイヒョイ使っている子たちもお寺に行ってこれを投げてお伺いを立ててるんですよ。これは僕の印象ですが、台湾はそういう土地柄だろうと思う。彼らが一応13歳で、占いで物事を決めるというのもこの年齢だからこそできたのかなと思います。」(東山さん)
「そこで13歳なんですね。」と外山さん。13歳って子供でも大人でもない年頃ですよね。

番組はエンディングへ。
「さあ、じゃ僕らもやりますか。」(吾郎){是非やってみてください。」(東山さん)
「一通り素敵なお話を色々聞けたので、そろそろ収録を終わらせてもいいかを…」(吾郎)
「伺ってみますか?」(外山さん)「撮れ高十分なんで、基本的には。」(吾郎)
セットの前に3人で立ち、吾郎がポエを両手で持ち、
「夜も深い時間なので、収録を終わらせてよろしいでしょうか。」と言って投げると、表と裏に分かれました。
「すごいですね、一回でなかなか出ないですよ。」と東山さんは感心しました。
(でももし表と裏に分かれなかったらどうなったんでしょう?)

来週のゴロデラは世界陸上の為お休み。再来週は岩下尚史さんが久々に登場します。楽しみです。


拍手ありがとうございます


【緊急】 明日のあさチャン!でゴロデラの告知

ついさっきtwitterで知った情報です(関東ローカルだったらすみません)。

明日の「あさチャン!」(TBS 7:00~8:00)でゴロデラの告知があるようです。
明後日のゴロデラは世界陸上の為お休みですが、来週(17日深夜)の課題図書は「告白 三島由紀夫未公開インタビュー」(岩下尚史著)。この告知の様です。吾郎が登場するかはわかりませんが、チェックできる方は是非。

明日の「あさチャン!」の内容についてはこちら


拍手ありがとうございます

諸々

こんにちは。
早いものでもう8月。あれから一年…などとつい考えてしまいますが、これから拓ける新しい道を想像して明るく行きたいです。

・現在発売中の「週刊ザ・テレビジョン」にゴロデラの記事が1ページ載っています。相変わらず渋いお鬚吾郎さんが手先を使う作業に挑戦するらしいので、非常に楽しみです。

・フジテレビのクイズ番組「金の正解!銀の正解!」(土 19時~)に吾郎が出演するそうです。前回の最後に字幕で告知があったそうですが、現在番組HPに詳細はまだ出ていません。明日は放送休止なので、12日か19日のはずです。「ほん怖」の番宣だと思いますが、ゴールデンタイムの全国放送に吾郎が出るのはスマスマ最終回以来。本当に久しぶりです。

・来週のゴロデラは世界陸上の為お休みです。


拍手ありがとうございます
プロフィール

はちミツ

Author:はちミツ
【注意:当ブログの内容の無断転載は禁止します。】

稲垣吾郎さん大好き、SMAP大好き!の主婦。
吾郎ファン歴は25年目になります。
彼らがいつかまた集まりたいと思った時そうできるように、彼らがそれぞれ今いる場所で益々輝いていってほしいと願っています。
だから「SMAP大好き」という気持ちも「新しい地図の3人の活動を応援する」気持ちも私の中では同じ一つの思いなのです。
神奈川県在住。

近況
①毎週水曜日は「an・an」の「稲垣吾郎のシネマ・ナビ」をチェック!。
②「ゴロウ・デラックス」(TBS)もお見逃しなく!
③「稲垣吾郎オフィシャルブログ」、twitterアカウント @ingkgrofficial も必見!

メールは↓へ。
walkwithgoro☆hotmail.co.jp
(☆を@に変えて下さい)

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