SMAP稲垣吾郎さん大好きな主婦の日記 【無断転載禁止】

追悼・日野原重明先生 (「ゴロウ・デラックス」 7/28)

オープニング。吾郎はダークグレーのスーツ、外山さんは落ち着いた紫のブラウスに白のスカートを着ています。
「こんばんは、ゴロウ・デラックスです。2017年7月18日、聖路加国際病院名誉院長日野原重明さんがお亡くなりになりました。享年105でした。この番組にも2年前にご出演して頂き、いろいろなお話を聞かせて頂きました。」(吾郎)
「105年という長い歴史の中で、日本の医療界の為に尽くし、数々の改革を成し遂げた方です。さらにその人生の中では日本の歴史的事件とも大きく関わり、社会に対しても影響を与えた方でした。」(外山さん)
「今夜は日野原重明さんを偲んで、以前ご出演頂いた時の未公開部分も含め、105年の生涯を振り返りながらお送りいたします。」(吾郎)

今回は2015年10月22日放送のVTRを振り返りながら、日野原先生を偲ぶ特集でした。日野原先生を尊敬し、先生を慕う気持ちが全体に表れたとても良い追悼番組だったと思います。

先生が聴診器で吾郎と外山さんを診察したり、実際に遭遇したよど号ハイジャック事件と地下鉄サリン事件について話してくださったことは強く印象に残っています。
よど号ハイジャック事件(1970年)の時日野原先生は58歳でした。この経験から、
「私たちの命は与えられたから、これからの私は誰かの為に尽くそう。」と思ったそうです。
1995年の地下鉄サリン事件では聖路加国際病院の外来を中止し、一日目に640名もの被害者を受け入れました。病院建て替えの際にチャペルや廊下にも酸素と吸引の設備を完備したので対応できたのです。
また、1996年には「生活習慣病」という言葉を作り社会に定着させました。時代の変化を先取りし日本の社会に求められる新しい医療を常に作ってきた方だと改めて思いました。

先生のご自宅訪問のVTRも懐かしかったです。外山さんの年配の方への接し方は優しくて敬意ががあって見ていてホッとします。

先生は今後の目標についても語ってくださいました。
「次のオリンピック(2020年)の時には私は109歳になる。オリンピックの時には聖路加国際病院ではいろんな仕事があって、選手村が出来るし、選手の健康管理やなんかをしなくちゃならない。だから今から109歳まで何とか元気で、109歳のオリンピックの大切な仕事を成就させる。でもオリンピックで私の生涯が終わるんでなしにまだ関所であって、ゴールはもっと先にある。先の事をいつも考えながら生活をしている。」と。
この時吾郎はじっと先生を見つめて静かにお話を聞いていました。これが収録された時期を考えると、吾郎の中で色々思う事があったのかな、と想像しました。

日野原先生の考えていたゴールが何だったのかは今となっては分かりませんが、2001年の著書「生きかた上手」からそのヒントになる部分を吾郎が朗読しました。この部分は今回の為に新しく収録したものです。

他人の為に役に立てたという事は、つまり自分という存在が生かされたという事であり、生きている実感をこれほど強く感じられる瞬間はありません。
人生の後半は、自分に与えられた知恵やセンスや体力を、今度は社会にお返ししていく段階です。
その自分を生かす場は自分で探し求めるのです。
私にはいつもこんなイメージが目に浮かびます。
地獄の入口で天秤を手にしてエンマさまが問うのです。
「自分の寿命を自分のためだけではなく、他人の為に使ったか。」と。もし天秤棒が「自分のため」の重さのせいで垂直に跳ね上がったりしたら、エンマさまは一言、
「極楽は無理だね」
と言うに決まっています。
人生のぎりぎりまで考え、感じ、働ける人間でありたい。
そのための努力を惜しまず、ときに耐えて、授かった知恵を若い人に与えたい。
それが私の生きがいであり、私の存在に意味を与えてくれるものです。

「うーん…」(外山さん)「…うーん。」(吾郎)二人は日野原先生の言葉をかみしめているようでした。

そしてエンディング。
「日野原先生は105年の自らの命をもって長寿と健康を体現された医師でした。」(吾郎)
「先生のように常に前向きに、そして健康を意識して日々を生きていきます。」(外山さん)
「今夜はゴロウデラックス特別篇をご覧いただきありがとうございました。日野原重明先生、どうか安らかにお眠りください。」(吾郎)


ところで、日野原先生のお話の中で私が一番感銘を受けたのは10年手帳の事でした。
「10年後までの約束が自分と出来ているのはいいですね。」
という吾郎の言葉にも感動し、日野原先生の真似をして、私も大学ノートで5年手帳を手作りして使っています。今年で2年目。毎日書くのは無理ですが細く長く使っていこうと思っています。


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今年もほん怖♪

嬉しいお知らせです。
今年も「ほん怖」の放送が決まりました!

8/19 (土) 21:00~23:10 「ほんとにあった怖い話 夏の特別篇2017」

現在発表されているのはNEWS手越祐也くん主演ドラマの情報だけですが、番組HPには
「ほん怖クラブ館主 稲垣吾郎」
ときちんと書いてあります。

「不機嫌な果実SP」以来7カ月ぶりに全国放送の番組に登場しますね。「はい、吾郎さん!」もほん怖五字切り」も楽しみです。
果たして今年の吾郎さんはお鬚があるのかないのか、気になります。

久々の吾郎のTV登場を盛り上げたいので、お時間のある時に番組HPに是非応援メッセージを送ってください。お願いします。
ほんとにあった怖い話HP


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思い出の街を夜散歩 (「ゴロウ・デラックス」 7/21)

オープニング。
「さあ吾郎さん、今夜はロケです!」(外山さん)
「外でゴロウ・デラックスは久々!」(吾郎)
二人の声が弾んでいます。昼間から日が暮れ夜になるまでの街の様子が早送りで映し出されます。
「時刻は9時ちょうどです。今日は初台にやって参りました。」(外山さん)
「いいですね、心落ち着きますよ。初台は僕が生まれて初めて一人暮らしをした場所なので。この後僕が初めて一人暮らしをしたマンションにも…。」(吾郎)「え?行けるんですか?」(外山さん)「行けるんでしょ?」(吾郎)
「じゃ連れてってくださいよ。覚えてます?だって随分前でしょう?」(外山さん)
「いやいや、だってもう庭ですから。」(吾郎)
否が応でも期待が高まります♪

課題図書 : 「ピエール瀧の23区23時」 ピエール瀧

趣味は夜の散歩というピエール瀧さんが東京23区全てを夜に散歩した体験記です。
「読んでどうでした?」(外山さん)「すごいテーマですよ。」(吾郎)「ほんとに歩いてましたからね。」(外山さん)
「僕は夜散歩も好きだし、もちろん朝散歩も好きなんですけど…だから気持ちがすごいよく分かるなぁと思いました。…ただまあ、この方には敵わないですね。」(吾郎)
「すごいですよね、全部行ったんですよね。」(外山さん)「どっかにいらっしゃるんですよね。」(吾郎)
二人があたりを見回しながら少し歩くと、薄暗いビルの前に座り込んでいる人影を発見。
「瀧さん!」(外山さん)「普通にいますね。」(吾郎)
「あそこのお店がライス大盛り無料だな、と思って…。こんばんは。よろしくお願いします。」
現在50歳のピエール瀧さんが19歳の時故郷静岡から上京して初めて住んだ街が、吾郎と同じ初台だったのです。ということで今夜は瀧さんと吾郎の思い出の街初台を夜散歩します。これは楽しい企画ですね♪
早速吾郎が住んでいたマンションへ行く事に。「20歳位の頃に住んでいたんで、20年以上行ってないです。」と吾郎。「今もあるかなあ。」と瀧さん。
「瀧さんは何年前ですか?」(外山)
「俺は86年に上京してますからもう30年前ですかね。だってあそこの新国立劇場が昔病院の跡地でしたから。病院の跡地でちょっとヤバイ感じの…。絶対お化け出るっしょ、って感じの所だったんです。」(瀧さん)
吾郎ファンにとって初台と言えば新国立劇場、新国立劇場と言えば吾郎主演舞台「象」(2010)ですよね。いきなりその新国立劇場にまつわる話が聞けてテンションが上がりました(ちなみに「病院」と言われていましたが、実際は東京工業試験所という、国立の研究機関だったそうです。)
飲食店が立ち並ぶ通りを歩きながら
「この辺のお店には来ていたんですか?」(外山さん)
「この辺は全然ない。このお店もなかったし。」(吾郎)随分町並みは変わったようです。
「セブンイレブンもなかったし。」(吾郎)「この辺は入れ替わりましたね。」(瀧さん)「あ!セイジョーあった!」(吾郎)「そういうの嬉しいよね。」(瀧さん)
「あ、ここにビデオ屋があった!今はインド料理店になってるけど。」(吾郎)「そこでビデオ借りてたんですか?」(外山さん)「そう、だから(向かいの)セイジョーを覚えてる。」(吾郎)「なるほどなるほど。」(瀧さん)
と吾郎の思い出が甦ってきた所で、夜散歩の魅力が書かれた部分を吾郎が朗読。

夜の散歩は昼の散歩とは全然違う。
活気のある町や公園なんかもシンと寝静まってることが多い。
かと思うと、逆に夜の方が活気がある場所もあったりするから面白い。
(中略)
そう思えるほど、東京は奥深く、夜の表情が豊かな街であった。


「ほんとに23区全部行ったんですね。」(外山さん)
「全部行った。北区とか歩いた事なかったもんね。」(瀧さん)
一方、普通に散歩が好きで早朝散歩をするという吾郎。
「なるほど、それはだいぶおじいちゃん方面に…。」(瀧さん)「朝5時くらいから起きちゃって…(笑)」(外山さん)
「大好きなんですよ。でも夜もいいですね。」(吾郎)
「夜の散歩の利点は、暗いので周りの様子が分からないじゃないですか。半径50mくらいしか見えないから…。」(瀧さん)
「それで予期しない出会いがあるんですね?」(吾郎)
「そう、普段明るかったら曲がらない道も曲がれちゃうんです。」(瀧さん)
「暗いだけで分からなくなるよね。」(吾郎)「それが面白い。」(瀧さん)
(なるほどとは思いますが、でもそれはやはり男性の楽しみかも…。)
「暑くない?大丈夫?」と瀧さんは後ろを歩く外山さんを気遣って声をかけました。
「ちょっと蒸してきましたね。一番いい季節とかあるんですか?やっぱり春とか?」(吾郎)
「そうね…夏の夜も良いけど冬は無理。真冬の2月にやった事があって、その時『1月の下旬から2月下旬位までは止めよう』と言って止めたの(笑)。本当に歩く気が失せていくの。」(瀧さん)
「気持ちいいけどね。厚着してちょっと30分くらい歩くのは。」(吾郎)
「うん、そのくらいならね。」(瀧さん)「そのくらいなら僕も嫌いじゃないですよ。」(吾郎)
「でも5時間6時間になると『もういいんじゃねえか?』ってなってきちゃう(笑)。」(瀧さん)
そう言いながら歩いていくと、車がたくさん停まっている所に来ました。
「ここどこだろう」「駐車場?」「こんなにたくさん車が」「スタンドじゃないんですか?」と言いながら3人は自然に入っていきました。自動販売機の前に立っていた男性に「ここは何するところ?」と瀧さんが訊くと「タクシー会社です。」との答え。
朝8時出勤で朝方4時までの勤務と聞いて「そんな長いの?」と吾郎はびっくり。この運転手さんは割増料金の時間帯になる直前に休憩を取っていたのでした。夜の散歩ならではの出会いですね。
更に歩いていくと吾郎が見覚えのある看板を発見。「何屋さんだったんだろう?」かなり古い看板で脇には食堂と書いてあります。シャッターは下りていますが、瀧さんが張り紙を見つけ外山さんが読み上げました。
「朝4時半より飲めます」
「どういうこと?むしろ何時までやるの?」」(吾郎)3人は無言で考え込みましたが
「わかった!あそこにタクシー会社があったでしょ。朝5時ごろタクシーの仕事が終わって早めに上がった人が朝から飲めるとこ欲しいな、というので早めにやってくれてるんじゃない?」(瀧さん)
「ほんとだ!まさしく。絶対そうだね。…じゃ今起こしちゃいけない、寝てる時間だ。」(吾郎)3人はまた歩き出しました。
「こんな感じかなあ?この辺は…」と吾郎がつぶやくと、瀧さんがまた何かを発見しました。
「この箱、開けちゃいけない箱だと思う?」コインパーキングに黒い大きな箱が置かれています。吾郎が恐る恐るつま先で箱の留め金を外すと3人は思わず後ずさり。ディレクターさんがそうっと蓋を開けると中身は工具類でした。
「完全に忘れ物じゃないか。」(瀧さん)「忘れてますねこれ」(外山さん)中身を確かめると「イケマ」さんの持ち物の様です。「そこの工事現場だよ。」と吾郎は向かいに工事現場がある事に気付き、誰かいないかそちらへ見に行きました。
一方瀧さんは「他の人が興味を持たないように一筆メモ置いてあげよう。」と言って
「イケマさんへ 忘れちゃイケマせん」と大きく書いた紙を箱の中に入れました。
「何かありますね。」(吾郎)「ねえ、面白い。」(外山さん)
因みに朝になり駐車場に現れたイケマさんに番組スタッフがインタビュー。「すげーイタズラされてんな」と言いましたがいきさつを知って「逆にすいません」と恐縮していました。

そしていよいよ吾郎が初めて一人暮らしをしたマンションへ。途中コインランドリーも見かけましたが吾郎はコインランドリーを使った事がなかったそうです。
「そのマンションに元々ビルトインで付いてる乾燥機付きの洗濯機があったんで、ドイツ製の。」と吾郎が言うと
「20年前にドイツ製ですよ。」(外山さん)「アイドルすごいね。」(瀧さん)と2人は驚きました。
「じゃあ、電気とか水道とか止まった事ないでしょ。」(瀧さん)
「ないです。なんてったってアイドルなんで。」(吾郎)さらに
「高校生の時はジャニーズの原宿の合宿所にいて、卒業してから一人暮らしをしようかなと思って、17、8歳の時に。うち板橋だし、何となく新宿とかこっち寄りになっちゃう。世田谷とかって感じにはならなくて、実家にも近いし。」と思い出話をしてくれました。
「間取りとか家賃とかは?」と外山さんが訊くと
「ワンルームで広めで。家賃は…でも15万くらいはしたかも。」(吾郎)
「ええっ?!当時で?当時で?」と外山さんは驚きました。そんな話をしていると
「あ!ああ!見えてまいりました!」と吾郎が弾んだ声を上げました。ついに到着です。
「ああ、ここ!なるほどデザイナー感出てるね。当時ここ最新鋭だったでしょ。」と瀧さん。
今回は管理会社のご厚意で中にも入らせて頂けました。(ここでBGM「オレンジ」が流れ、思わずうるっとしました。)
「わあ、変わってないわ。」と吾郎は懐かしそうに言いましたがすぐ「昔は自転車はなかった。」と言いました。入ってすぐのスペースが今は自転車置き場になっていますが昔はおしゃれなエントランスだったそうです(当時の写真を見るとまるでホテルのロビーの様です)。
瀧さんと外山さんは大きな吹き抜けに感心しています、一方吾郎は
「エレベーター使ってなかったんです、2階だったから。」と言いながららせん階段を昇り始めました。「あ、この手触り変わってない。」
「なんか甦るものある?ちょっと一人にしてあげよう。」と瀧さん。優しいですね♪
階段を登り切って手すりに肘をかけ佇むポーズが決まってる吾郎。自宅の階段で立っているだけなのにどうしてこんなにかっこいいんだ!そして2階の廊下をすたすたと歩いて昔自分が住んでいた部屋の前まで行きドアに顔を近づけました。その様子を見て「怪しい…。」と外山さん。吾郎が階段を下りて戻ってくると、管理会社からお借りした部屋の中の写真を3人で見ました。
「部屋によって全部形が違うんですよね。鏡張りの部屋だったりとか…。」(吾郎)
「え!吾郎さんの部屋鏡張りだったんですか?」(外山さん)「うん、こんな感じでしたよ。」(吾郎)「鏡張りって…落ち着かない。」(外山さん)「これビルトインの(洗濯機)だ、ドイツ製の。」(吾郎)
「鏡ってラブホテルしか思いつかない。今言おうとして引っ込めたでしょ。」瀧さんは外山さんの言いたいことが分かったようです。「でもちょっとラブホテルっぽいよね。」と吾郎も小声で認めました。
「いやあ、素敵だ。吾郎さんのイメージ通りの感じで、きれいで。」と外山さんが褒めると
「かっこいいなあと思っちゃって。背伸びしたんですよ。」吾郎は一寸照れくさそうでした。20年ぶりに見る我が家に感慨ひとしおの様子です。
そしてもう一つ、吾郎には思い出深い場所があるそうで…。(BGMの「夜空ノムコウ」がさらにしみじみした感じを盛り上げます)
「変わっちゃった、駐車場。コインパーキングになっちゃったよ。ここマンション専用の駐車場だった。」(吾郎)
「今あんまり車に乗る人がいないから貸した方がいいんじゃないですか?」(外山さん)
吾郎は地下の駐車場へすたすたと入っていって中をのぞき込み(確かにガラガラでしたね)、
「僕ここに車停めてました、初めて買ったマセラティ。」と言ったので瀧さんはびっくり。
「ええ?!嘘でしょ?初めて買ったのがマセラティなの??」(BGMが「SHAKE」に変わる)
「もう、アイドルですからね。」(外山さん)「すみません(笑)」(吾郎)「俺原付だった。」(瀧さん)
さらにその駐車場がいっぱいで半年間だけマセラティを置いていたという別の駐車場へ。シャッターは閉まっていましたがまだありました。そしてそこで瀧さんが見つけたのはなぜかゴキブリ…。ゴキブリも夜散歩しているのでしょうか。そしてそれもちゃんとアップで撮るのがゴロウ・デラックスです(笑)。

瀧さんが初台に住んでいたのは1年くらいでお姉さんと一緒だったそう。その後隣の駅の幡ヶ谷に越して一人暮らしになったのだそうです。

「タイミングが良かったら俺の一人暮らししていた西新宿に…。でもここからでは遠くなるね。」(瀧さん)「でもまあ歩いてみましょうか。」(吾郎)
ということで、3人は瀧さんが30年前に暮らした思い出のアパートへ向かう事にしました。途中横断歩道を走って渡る時、瀧さんはジャケットを脱いで半袖シャツになっていましたが、吾郎はスーツにネクタイ姿でびしっと決めたままです。暑くないんでしょうか?どこまでもクールでカッコイイです。
渡り終わると瀧さんは「はい来た、俺ゾーン。あのデニーズは電気グルーブを結成したところ。」と言いました。
「ああ、あそこ!あのデニーズで!」(外山さん)「すごいね!」(吾郎)
「変わってない…。まだね、都庁の所が空き地だった。だから新宿と名の付く所へ来て、こんなにバカでかい空き地があるんだと思った、東京に。」(瀧さん)
30年ぶりなので、瀧さんはスマホの地図アプリで現在地を確認。道が分かると自信を持って歩き始めました。路地の曲がり角にあったパン屋さんも今はなくなり、だいぶ様子が変わったようです。
「ここじゃねえか?」と瀧さんが足を止めた場所は…「駐車場になっちゃったパターン…」(吾郎)
通りからカンカンカンと階段を上がって2階の通りに一番近い角部屋に住んでいたという瀧さん。身振り手振りを交えてその時の様子を懐かしそうに話しました。そして今その駐車場からは都庁がよく見えます。
「駐車場になってた。」(瀧さん)「(アパートを)見たかったなぁ。」(吾郎)
「久しぶりに来たけど…すげえ差を感じる(笑)。向こうはあんなにちゃんと残ってて(笑)。でも久しぶりに来れてちょっと嬉しい。」と瀧さんが言えば、吾郎も
「いや、当時の自分からするとさ、20年経ってこうやって自分がやらせてもらってる番組で、仲間たちと行けるとは思ってないじゃない。」ととても嬉しそうでした。
20年、ずっと芸能界で頑張って実績を積んできたからこの夜散歩ができたんですよね。

AD山田くんの消しゴムはんこは切手のデザイン。瀧さんが外山さんとやっているラジオ番組「たまむずび」のロゴをまねたのだそうです。「細かいところまで描かれてる。」と吾郎が褒めると「今日は時間がたっぷりあったんで。」と山田くん。「まだこいつら歩くのか?ってね。」と瀧さんは笑いました。
最後の挨拶が終わりカットがかかった途端思わず脚に手をやる外山さんを「蚊に刺されちゃった?」と吾郎は気遣っていました。

50歳のピエール瀧さんはとても素敵なおじさまです。瀧さんと吾郎は何となく雰囲気が似ているなと今回感じました。吾郎もあと6年くらいしたらきっとあんな素敵なおじさまになれますよね♪


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ビクターさんありがとう

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、ビクターさんのSMAP特設サイトが今月31日をもって閉鎖されるそうです。
去年のベストアルバムの人気投票や全国各地での衣装展示など、昨年辛い思いをしたSMAPファンに寄り添ってくださって本当にうれしかったです。SMAPがビクターさんの所属で本当に良かったと思います。どうもありがとうございます。
あと一週間、時間のある時に皆さん是非訪問してください。→ SMAP 25 YEARSスペシャルサイト

また特設サイトが閉鎖された後は通常のアーティストサイトでCD等の発売は行うそうなので、今後ともよろしくお願いします。


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目黒シネマ(東京)にて「無限の住人」「十三人の刺客」二本立て上映♪

地域限定の話題で恐縮ですが…

7/29(土)~8/4(金)の一週間限定で「三池崇史監督vs剣豪★斬祭り」と題し、
「無限の住人」「十三人の刺客」が二本立てで上映されます。

上映時間等の詳細は目黒シネマHPをご覧ください。

「無限の住人」は公開初日に観て以来になりますが、また見られるのが楽しみです。そして「十三人の刺客」の吾郎の極悪非道な殿をまた大きなスクリーンで観られるのが嬉しくてたまりません。

一週間限定ですが、何とか予定を繰り合わせて観に行こうと思います。行ける方は是非♪


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世界中の山が自分の居場所 (「ゴロウ・デラックス」 7/14)

オープニング。
「今日は最年少尽くしの冒険家の方がゲストです。」(外山さん)
「そういえば、以前史上最高齢で大冒険した三浦(雄一郎)さんがゲストでいらした…」(吾郎)
「そう、あちらは最年長、今日は最年少ですから。」(外山さん)
多彩なゲストをお迎えする読書バラエティが「ゴロウ・デラックス」です。

探検家グランドスラム。この言葉を私は初めて聞いたのですが、「世界最高峰のエベレストを含む世界7大陸最高峰を登頂しさらに南極点・北極点を踏破する事」だそうです。達成者は世界で50人ほどしかいないそうですが、今年4月史上最年少でこれを達成した日本人女性がいます。その方が今日のゲストです。
南谷真鈴(みなみや まりん)さん、20歳。高校生の時から計画を始め、わずか2年4カ月で探検家グランドスラムを達成しました。普段は普通の女子大生の彼女がなぜ自分一人で道を切り拓き前人未到の記録を打ち立てることが出来たのでしょうか?

課題図書 : 「自分を超え続ける」 南谷真鈴

「私是非お会いしたかったんです。こういう方がいらっしゃるんですね。」(外山さん)
「もうスゴイしか言えないですよね。19歳ですよ、19歳で世界7大陸最高峰…。(僕は)月9を始めてやったのが19歳。楽しみですね。」(吾郎)
入ってきたのはすらりと背が高く白のワンピースに黒のジャケットを着こなしたロングヘアの綺麗なお嬢さん。「はじめまして。よろしくお願いします。」とにこやかに挨拶すると席に着きました。
「山に登っているっていう風に思えないようなしなやかな感じですね。」(外山さん)
「さっきそこでご挨拶した時『わぉ、ゴロウさんやっぱりウェービーヘアー!』って(笑)」(吾郎)
まずは南谷さんの業績を紹介。
1996年(スマスマが始まった年!)12月20日生まれ、現在20歳の南谷さんは、
【探検家グランドスラムを世界最年少で達成。】
【7大陸最高峰制覇は日本人最年少、世界第2位。】
【エベレスト登頂は日本人最年少。】
しかもその探検家グランドスラム達成に要した時間は2015年1月から今年4月までのわずか2年4カ月!
「エベレストに登った時なんかは南極点→カルステンツ・ピラミッド→エルブルース、その2日後にエベレストへ出発して、エベレストの10日後にデナリ、みたいな…。」(南谷さん)
「そんな頻繁に上ってて大丈夫なんですか。ちょっと間を開けないととか?そうじゃないんだ、山は。」(外山さん)
「この本にも書いてあったけど、僕らが今飛行機でエベレストに連れて行かれたらすぐ死んじゃうでしょ。」(吾郎)
「(酸素の量が)今の空気の1/3なので、今吸っているペースの3倍で(ハッハッハッと)ずっと息してないといけない、寝る時も。一番のトレーニングは山を登ることなので。高度順応というのは、こういう東京みたいな所にいると一週間でなくなってしまうので、(なくならないように)次から次へと山に登っていたらこのペースになっていた。」(南谷さん)
オセアニア最高峰のカルステンツ・ピラミッドは標高4884mで最もテクニカルな山と言われています。
「山というと想像するのは草木が生えていてとか雪が積もっていてとかだと思うんですけど、カルステンツ・ピラミッドはもう岩の塊。地面からニョキッと岩が生えているので。」と南谷さん。登頂時の映像が流れると
「怖いよ、怖いじゃん!」(吾郎)「えー!」(外山さん)と二人はびっくり。何しろ上を見ても下を見てもつるんとした岩の壁が続いているだけなのですから。
「こういう山なんですけど、岩と岩の間がすごく離れていて、その間にロープが張ってあって綱渡りしなきゃいけないところがあるんです。」(南谷さん)
「もうこれ山登りじゃないじゃないですか!」と外山さん。
「これ下見たらさ…(カメラが上から下に振られると岩の壁に吸い込まれそうな感じがします)、これ絶対無理!絶対無理!」と吾郎は大騒ぎ。
「でここ、綱渡りが…」(南谷さん)「無理無理無理!!怖くないの?」(吾郎)
「怖いですよ。」(南谷さん)「だってこれもう漫画漫画。ジャッキー・チェンの世界ですよ。」(吾郎)
「帰りは豚の丸焼きみたいに逆さになって(ロープにぶら下がって)行くんですよ、足を引っかけて。」(南谷さん)
そう、行きだけじゃなく帰りもあるんですよね。それにしてもどうやってここにロープを張ったんでしょう?最初にこの山に登った人はどうやって登ったのか気になります。
「マリオとかさ…テレビゲームの世界だよ。」吾郎は信じられないという顔をしていますが、南谷さんは涼しい顔で笑っています。
「でも掴めなかったらどうなるんですか?」(外山さん)「ツルッみたいな(笑)」(いや、笑い事じゃないっすよ、真鈴ちゃん!)
ここでAD山田くんが大きな荷物を持って登場。登山で実際に使う道具を見せてもらいました。大きな黒いリュックを開けるとまず赤いリュックが出てきました。
「このザックでエベレストを登りました。」(南谷さん)
黄色い棒を外山さんは手に取りました。「これは滑落停止の時とかに(使う)」(南谷さん)
「それからこれがエベレストに登った高所用のブーツ。」南谷さんはそれを机の上にドンと置きました。
「あ、固い。」外山さんは甲の部分に触ると思わず声を上げました。一方吾郎はヘルメットをなぜか山田くんにかぶせました。
南谷さんが黒いビニール袋の中身をジャラジャラと机の上にあけると金属製の色々な道具が出てきました。
「これは何ですか?」と外山さんが訊くと南谷さんはその中の一つを手に取り、
「これは、岩場の間を登る時にこれを入れてひっかけて…あの、まあ…、今度山登った時に見せてあげますよ。」外山さん、今度の登山に同行決定でしょうか?
「で、本の中にめちゃくちゃ食べる、って書いてあったじゃないですか。どんなものをどれくらい食べるのか一日の食事を用意しました。」(外山さん)
「お待たせしました。」AD山田くんが色々な食べ物をお盆に載せて入ってきました。
ご飯や卵焼きやチーズなどに交じって目を引くのが辛ラーメン(袋入り)。お湯に入れるのではなく袋の中で砕いてパウダーをかけてそのまま食べるのだそうです。その他にはエナジーバー(10本!)エナジージェル、エナジーグミも必需品だそうです。
「エナジージェルおいしいよ。」いつの間にか吾郎はちゃっかり試食しています。
「飴1個では足りなくてシュンとしてしまう所が(エナジージェルを食べると)1個で1時間半はOK、みたいな。」(南谷さん)「ポパイだ、ポパイ。」(吾郎)食事は本当に大事なんですね。

続いては地球の端っこ南極点の話(2016年1月に制覇)。元々南谷さんは探検家グランドスラムではなくエベレスト登頂を目指していて、その予行演習の為に南極最高峰のビンソン・マシフを登ったのですが、そこから予定を変更して南極点へ向かいました。その理由は、
「ビンソン・マシフに登頂して、南極大陸にいるんだし南極点に行かないとこのチャンスは一生来ないかもしれない。って。」
というあっさりしたもの。
「最初は思ってなかったんですよね、南極点に行こうと思ってビンソン・マシフに登ったわけじゃないんだよね。これがすごいよね。下りてきてから思ったんだよね。ここすごくない?ここのくだり。」(吾郎)
「南極点に到達した後に(あれ?北極点も行けば探検家グランドスラムが達成するんじゃないか?)って…。」(南谷さん)
「どうせなら、ってみたいな…。ハチ公も見たからドン・キホーテも寄っていこうかな、って。」(吾郎)「その感覚がすごい…」(外山さん)
「あ、中目黒のドン・キホーテも行ったら渋谷区のドン・キホーテ全部行った事になる。」吾郎のユニークな例えに南谷さんは思わず笑いました。「そういう事でしょノリ的には。」(吾郎)
ここで南極点の映像も流れました。「360度何にもない、全部雪。」と南谷さん。

20歳で探検家グランドスラム達成は常識破りの偉業です。彼女を突き動かしたものは何でしょうか。
南谷さんは父親の仕事の関係で生後1年目からマレーシア、中国の大連、香港などで暮らしました。4年に一度は国を変え、2年に一度は学校を買える慌ただしい生活だったそうです。
「日本人という事でちょっと嫌な目に遭ったりという事はなかったですか?」(外山さん)
「そうですね、私が通っていた中国の現地の学校ではものすごい反日教育を行っていて、私自身『自分って誰なんだろう』『日本人って何なんだろう』って思う事が良くありましたね。小学校でも高学年の子から『竹島返せ』って言われたこともありましたし…。その中で自分の中のアイデンティティがどんどん失われていった。」(南谷さん)
外国で暮らし「自分は誰なのか?」と葛藤する中、出会ったのが香港の学校の授業で登った山でした。
「自分の居場所を探している時に、山は私にとって自問自答する場所でもあって、山を一歩一歩登りながら、自分の心の中の大きな山も一緒に登れる気がしたんです。山は『私の足が自分の靴に入ってるところが居場所なんだ』と教えて下さった先生のような存在です。」(南谷さん)
そして14歳の頃ネパールのアンナプルナへ登った時、ひときわ高くそびえる美しいエベレストを見て、いつか必ずこの山に登頂すると決めたのだそうです。
南谷さんがエベレスト登頂を具体的に計画するきっかけになった出来事の部分を外山さんが朗読。
香港で友達を家に招んだ時に起きた小さな事件から、ご両親の関係が完全に壊れてしまったのです。
「そういう家族の事情もあって日本に帰国しなくてはならなくなって、(私はどんなに自分の人生においてコントロールがないんだろう)と改めて思って。で17歳の時に両親が離婚して自分で自分の人生を設計しなくてはならない、と。それで14歳のあの時決めたエベレストに登るという夢を今叶えようと思ってプロジェクトにしたんです。」
南谷さんの言葉を吾郎は真剣に聞いていました。そして「夢をかなえたんだもんね。」と一言。
「他の人が持つ自分のイメージを生きようとしてもがき続けてきたけれど、そんな事なんて必要ないんだ、って。」南谷さんは自分に言い聞かせるように言いました。

高校生の時たった一人で動き始めた南谷さん。だんだん多くの人の共鳴を得て数々の苦難を乗り越え昨年5月、夢だったエベレスト登頂に成功しました。
「もう本当に大変でしょ?色々な挑戦を次々と達成していったんですけど、一番ほっとするのはやはり自宅だという事で、なんと!お宅にお邪魔させて頂きました!ありがとうございます!」(外山さん)
「あのさ…スタッフ間違えてない?ドサクサに紛れてだよね?」(吾郎)
VTRを見始めると、吾郎はさっそく「誰?この男」と一言。取材に行ったのは男性スタッフだったのです。
それはともかく南谷さんのお部屋はまるでモデルルームのように綺麗。いかにも女性大生のお部屋という感じですが、その中にマナスル登頂時の記念写真やエベレスト登頂証明書が飾ってあったり、トレーニング用のダンベルや登山用具が置かれていたりするのが探検家グランドスラムらしいです。南谷さんは7大陸全部を一緒に登ったというスキーのポールを見せてくれて
「ずっと同じ道具で遠征するのが好き。思い入れのある道具を使いたい。」とにっこり。
その一方で棚にはコウモリの剥製も飾られています。「実家にはダチョウの卵もあって…。こういうものが好きなのでコレクションしていきたい。」とも。
自宅にいる時はごろごろするのが一番好きという事で、南谷さんは最後ベッドに入ってバイバイしてくれました。

「魅力がギュッと詰まってますよ。」(吾郎)「ほんと可愛らしい。」(外山さん)
「ほんとにおっしゃってますか?」南谷さんはテーブルをドンと叩いて吾郎の方に乗り出しました。
「ホントに言ってるよ。」と吾郎が答えると「嬉しい。」と南谷さん。
「(吾郎さんは)嘘つけないので。」と外山さんが言うと「分かってますよ、同じ射手座なので。」と南谷さんはにっこりしました。

2017年4月北極点に到達し、探検家グランドスラムを達成した南谷さん。今何を思うのか、その部分を吾郎が朗読。

山を通して私の心は結構厚みを増しました。つらい事があるたびに弱い部分に泣きながらバンドエイドを貼り、それでもつらければそこにもう1枚バンドエイドを貼り、そうやってどんどん弱い心を分厚くしていきました。
夢の邪魔をするのは自分の情熱不足だけれど、自分を信じてあげる事が自分を守るバンドエイドになるのかもしれません。

私はこれからどんな私になっていくのか、まだわかりません。
でも今と同じように、心から笑って心から泣いていたいと思います。
いつもどんな時でも、弱い自分も強い自分もすべて自分だと受け入れて。


「そして今…。」(吾郎)
「そうですね。『自分って何だろう』と言っていたけど『自分になれた』っていう…。」(外山さん)
「自分になれたんだったら、今はもうプロローグじゃない?これから始まるんじゃない?」(吾郎)
「そうですね。」と南谷さんは嬉しそうに笑いました。
「楽しみだね。だってまだ20歳だし。もうお父さんの気持ちだよ。」(吾郎)
そこへAD山田くん登場。
山の上から手を振る南谷さんの消しゴムはんこでしたが「実際にお会いしたらおきれいだったのでね…女性はおきれいになってくるので…難しいです…」と言いながらスケッチブックを背中の後ろに隠してしまいました。

国籍や家庭環境に左右される事なく自分の夢をよりどころにして世界中の山を自分の居場所にした南谷真鈴さん。これからも注目したい方ですね。


拍手ありがとうございます




一人の時間を大事に生きる「孤独」という豊かな人生 (「ゴロウ・デラックス」 7/7)

オープニング。
「今日のゲストはこちらに並んでいる本の著者の方です。」と外山さん。机の上にはズラリと本が並んでいます。
「ノンフィクションの作家さんですね。僕はご一緒させて頂いた事があるんですよ。面白いロケをした事がありまして。」そう、吾郎は以前「マイ・フェア・レディ」でご一緒した事がありますね。あの時もとても面白かったので今回も楽しみです。

課題図書 : 「孤独という名の生き方」 家田荘子

「まさに…僕たちの事ですね。」と言って吾郎は外山さんを笑わせました。
今回のゲストは家田荘子さん。1986年出版した「極道の妻たち」は何度も映画化され興業総収入70億円の大ヒットを記録。その後も歌舞伎町の人々、エイズ患者、女子刑務所などを取材し、社会に一石を投じる作品を精力的に書き続けています。
「以前ロケのゲストに来ていただいて。歌舞伎町のディープな夜を探検、みたいなロケだったんですけれども。」(吾郎)
「中華料理を頂きましたね。」(家田さん)
「そうですね。それからドン・キホーテに行ったりして。面白いロケだったんですけれども。」と吾郎。8年ぶりの共演です。

まずは家田さんの経歴を紹介。家田さんはどうやってノンフィクション作家になったのか?
1982年、ノンフィクション作家の原点といえる取材記者としてスカウトされる。
そのきっかけは自分が出演した映画を一人で売り込んでいたことでした。女優さんだったんですね。
「『女優としては色気と身長が足りない。』と言われてなかなかプロダクションが採ってくれなくて。」(家田さん)
「あ、プロダクションがないから自分で売り込むしかない?」(吾郎)
「はい。自分でいろんな会社に売り込んでて、その果てに雑誌社へ行ったら『何が流行ってるの?』と訊かれたんです。少女売春がありましたし、薬物を医大生たちがいっぱいやってましたし、そういう事を喋ったら、『それ書いてみてよ』と言われて。当時は”風俗”を書く人がいなかったんですね。」(家田さん)
「だってまだ当時は20代の女性ですもんね。」(吾郎)
そして色々取材して記事を書いているうち、ある作品が生まれます。
1986年、「極道の妻たち」を出版し大ヒットとなる。
「これ、20代の時だったんですね!」(吾郎)「私もこれ、びっくりしました。」(外山さん)なんと23、4歳くらいの頃だったそうです。
1985年、暴力団間の抗争が激化。家田さんは女性目線で極道の生活を書く事を思いつき、暴力団幹部に直談判し自宅に住み込み取材をしました。
「1年8カ月取材期間があったんですけど、全国レベルで取材していたので一つの暴力団にだけ行っているわけじゃなかったんです。全部の暴力団に住み込みしていると、胃痙攣と神経性胃炎で髪の毛は白髪になって後ろはハゲちゃって。」(家田さん)
「ええ?!それは気を遣って、ですか?」(外山さん)
「抗争の最中ですもん。いつどこからピストルの弾が飛んできてもおかしくないですから。」(家田さん)
「日本ですけどそこまで?」(吾郎)
「あの当時は全国で抗争が起こってて、火炎瓶が投げ込まれたりとかダンプカーが突っ込んできたりとか、いろんな事がありました。」(家田さん)
「へえ…でも白髪になっちゃったりとか後ろがハゲちゃったりとかしたら、途中で止めちゃおうと思いますよね、若かったら。」(外山さん)
「そうですねえ…でも『愛した男がたまたま極道だった』というセリフを聞いた時にこの言葉を世に出したいと思ったんですよ。そのためには連載をしないといけなくて、もっともっと多くの方に会って取材しなくちゃと思ったんです。」(家田さん)極道の妻たちの思いを社会に伝えたいという熱意で取材と執筆をやり遂げたんですね。
1991年(30代)「私を抱いてそしてキスして」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞、後に映画化される。
「エイズに関してはすごく偏見を持たれている時だと思うんですが、家田さんによって払拭されましたね。」(外山さん)
「ええ、日本では『受話器でエイズが移る』とか『握手でエイズが移る』とか、言われて…。」(家田さん)
「平気でそういう事言う人いましたよね。」(吾郎)
「そういう誤解を解くには私がエイズを理解して報道することだと思ったんですが、私の心の中にも偏見があるのでなかなかうまくいかなかったんです。でちょうど良い事に当時の夫がアメリカ本土に転勤になったので一緒について行って、アメリカではエイズが身近な事に驚いて。そこでボランティアをさせて頂いて取材をさせて頂いたんです。」(家田さん)
「相手の方はすぐに心を開いてくださったんですか?」(外山さん)
「私がお世話させてもらった方は女性で、エイズと分かった途端に家を追い出されたんですね。『死にたくない」と言って泣きながら抱き着いてきた時もあったし、喧嘩して『帰る』と言って帰ってきた時もありましたし。」(家田さん)
「アメリカの時もそうですけど、取材の時には必ず一人で行かれるんですか?」(吾郎)
「はい、私一人で。その方の心の中に入っていかないといけないので、私がその方と会って、感情を分け合っていかなければいけないですね。」(家田さん)
「そこまでの取材をしないと、こちらもそれだけの事は受け取れないよね。自分もそうやって身を削って。」(吾郎)
「本当に向き合わないと。」(外山さん)
1998年(40代)「三浦和義氏からの手紙 ― 「ロス疑惑」心の検証」を発表
「このきっかけは何だったんですか?」(吾郎)
「三浦和義さんはロズ疑惑の人ですけど、”どういう人かな?”という疑問から。私の顧問弁護士のひろなか先生が三浦和義さんも担当されていたので『どういう人なの?』と訊いたら『自分で手紙書いてみたらいいじゃん』と言われまして。それでコンタクトを取って4年間やり取りをしました。あとは向こうからお手紙を頂くこともありまして。逮捕されてまだ懲役とか判決が決まっていない方たちは拘置所から自由に手紙を出せるんですね。私の場合は出版社に届きますので。」(家田さん)
「へえ…。これは作品にはされていないですよね。」(吾郎)「してないです。」(家田さん)
「やはり自分の中で整理付かないですよね。」(吾郎)
「はい。手紙を読んで(この言葉さえなければ)と思う事があるんです。でも本にするために書いていく上でそこだけを書かない、とかこの言葉さえなければ…とか思いながら書きたくないので。」(家田さん)
「その場合は書かない。」(吾郎)
「はい。」家田さんはきっぱりと言いました。
「その中でも何か救いになる光があればいいなぁと思って行くんですか?最初はだって怒りの方が強いじゃないですか。」(吾郎)
「はい。”何故この事件を起こしたんだろう?”という所から始まりますよね。それでそうせざるを得なかった。(語気を強めて)人殺しや人を傷つける事は絶対しちゃいけませんけれども、でもそうせざるを得なかった理由を聞きたい、と思うんですね。」(家田さん)
「色々危険な目にも遭ったりしてそうですね。」(外山さん)「危ないよね。」(吾郎)
「取材対象者と信頼関係を築いていくんですね、何回も何回もお会いして。だから危険な目はないんですけど、でも駆け出しの頃薬物の取材をしていた時に、当時政治家がやってるという話があって、それをやろうとしたら脅しがきました、裏世界から。」(家田さん)
「こわっ!…怖いですね。」(吾郎)命がけの取材ですね。

「今日は家田さんを作家としてお呼びしているんですが、もう一つの肩書があるんですよね。」(外山さん)
「はい、僧侶でもあります。得度(入門の儀式)をしたのは1998年なんですけど、修行して伝法灌頂という僧侶になるための儀式を受けたのが2007年です、」(家田さん)
「じゃ10年前ですね。僧侶になられて書くものが変わったりはしましたか?」(吾郎)
「ノンフィクションの目をつける所は変わってないです。」(家田さん)

ここからいよいよ今回のメインテーマへ。
課題図書は”孤独”とうまく付き合えない現代人に”孤独”との向き合い方を指南する本です。
「外山さん、孤独を感じるときあります?」(吾郎)
「病気になって2日人と話さないとちょっと寂しいなと思いますね。」(外山さん)
「私一週間平気!口数少ないので。」(家田さん)
「朝ご飯とか独りだとちょっと寂しくない?」(吾郎)
「あ、朝ご飯ね。吾郎さんそれ言いますよね。」(外山さん)
「朝って食卓を家族でしていた(囲んでいた?)イメージが強いから。」と吾郎が言うと家田さんも外山さんも納得したようです。
「朝ご飯作られるんですか?」(家田さん)「はい、作ります。」(吾郎)「すごいですね!」(家田さん)
「作ってまでやってると意外と独りだとね…。」と吾郎がボソッとこぼすと
「作るからですよね」(家田さん)「ねえ」(外山さん)とあっさり言われ
「作った方が体にはいいんですよ。」と反論しました。
「あとある?夜独りで飲みに行くの平気でしょ?」(吾郎)「平気です。」(外山さん)
「家で独りでいるのも?」(吾郎)「基本独りですし。」(外山さん)
「独りで…散歩とか?」(吾郎)「それは当たり前…(笑)」と家田さんが突っ込むと、
「いや、僕も独りで散歩しているんですけど、近所の公園を散歩する時は話し相手がいてもいいかなとたまに思うんです。」吾郎が説明しました。
「そういうカップルも羨ましいというか、ほのぼのしてていいですね。」(家田さん)
「で、たとえカップルであっても僕の場合散歩は出来ないんですよ。」(吾郎)
「ああ、写真とか。」(外山さん)「大変ですよね。」(家田さん)
「そうなんですよ。だからお忍び旅行とかお忍びレストランとかはあってもお忍びお散歩とかないじゃないですか。」(吾郎)
「お忍び旅行行かれるんですか?」と家田さんはすかさず身を乗り出して訊きました。
「お忍び旅行は…最近は行ってないですけどね。以前行ったことはありますけど(苦笑)。」(吾郎)
「どういう所に行かれるんですか?」家田さんは畳み掛けます。
「お忍び旅行は…(上を向いて考え込むふりをする)取材上手いですね。(笑)」(吾郎)
家田さん、下を向いてくっくっくという感じで笑いました。

ここで吾郎の朗読。僧侶・家田荘子が考える孤独との向き合い方について。

「孤独」というと最近では「孤独死」とか「孤独生活」といったマイナスのイメージで捉えられがちです。
(中略)
でも「孤独」の本当の意味は違うのではないでしょうか。「孤独な人」というのは独りで過ごすことの楽しさも知っている人、ひとりの時間を自分らしく過ごすことのできる、味のある人ではないかと私は思うのです。
(中略)
孤独を受け入れられる人というのは、人に媚びず自分自身をよく理解したうえで、ひとりでいる時間を大切に生きている人だと私は思います。


「そう言って頂けるとちょっとホッとするというか。」(外山さん)
「今思ったんだけど、僕の周りにいるお友達もみんなそうですね。ヒロ君とかしのぶ君とか皆独りでいる事が上手ですね。だから付き合いやすい。じゃあ今日は一緒に会おうか、って。」(吾郎)
「孤独というのは社会生活を拒否しているわけでもないし、人と一緒に過ごすことから離れてるわけでもなくて、社会生活をちゃんとした上で、しているからこそ自分の時間を大切にできるんです。」(家田さん)
「そうですよね、世の中を捨てているわけではない。」(吾郎)
外山さんも頷いています。
「なんで孤独って言われちゃうんだろう。かわいそうな人、みたいに。特に女性はすごくそういうのあるよね?」(吾郎)
「言われますよね…。なんか性格に問題があって独りなんじゃないか、って。それもあるかも知れないけど、ほっといてくれよ、って思いますね。」(外山さん)
「頑張っている女性に限って余計そう言われませんか?」(家田さん)「言われますね。」(外山さん)
「その孤独に着目したのはなぜですか?」(吾郎)
「今ね、65歳以上で1週間誰とも喋らない、そういう環境の人がとても増えているんです。私みたいに喋らなくても平気な人じゃなくて、喋りたくても人と話す機会がない人が。でもそこで自分に閉じこもってしまうとどんどん追い込まれてしまうので、自分が何をしたいのか、自分を見つめて考えて一歩前に出なければいけないと思うんです。”孤独にさせられる”んじゃなくて”孤独は自分で掴んでいくもの”だったら全然寂しくないし辛くもない。」(家田さん)
「そうですよね。僕らは孤独が嫌で孤独をやっているわけではなくて、僕らは孤独を掴んでいるわけだから、どっちかというと。」(吾郎)
「そうですね。一人でいる時間って大切ですね。」(外山さん)
「人といると麻痺しててね。淋しくはないというか満たされる事はあるんだけど、あっという間に時間が過ぎてしまって振り返る時間がなくなってしまったり。」(吾郎)
「ストレスを背負ってまでみんなと一緒の事をしなくても、自分の時間を大切にして自分の生き方を大切にして、孤独の時間をどう利用して楽しんでいくか、という事でその人の生き方が出来てくるんじゃないかなと思います。」(家田さん)

家田さん自身も経験した、いわれなき誹謗中傷や偏見に負けない考え方の部分を外山さんが朗読。

「離婚を繰り返すとんでもない女」と陰口だけでなく面と向かって言われたこともありました。
(中略)
言いたいことを言わせておけばそのうちその人たちも飽きることでしょう。
そういう人達の言葉やSNSに一喜一憂していたらストレスだらけになって自分自身がかわいそうです。
誰に何と言われようと、その人たちは私の人生を背負ってくれるわけではありません。
人それぞれの人生に答も正解も一つではありません。


「すごいですよね、ネットはねぇ。僕はあまり見ないですけど。」(吾郎)
「繋がっているようで繋がっていないような…。」(外山さん)
「浅いですもんね。繋がっている人が少ないとかっこ悪いとか恥ずかしいとかいう気持ちがあって、無理して多くの人と繋がろうとする人もいると思うんですね。」(家田さん)
「上手く活用する分にば、SNSとか全然良いものだと思うんですけど。」(吾郎)
「でも…離婚を繰り返すっていうのは…何回…?」外山さんはためらいがちに家田さんに訊きました。
「今4回目の結婚をして、もう15年位経つのかなあ…。」(家田さん)
「4度の結婚で分かった事を教えて頂けますか?」外山さんの口調は慎重です。すると、
「まだ4度しかしていない未熟者ですけど(笑)人は何回でも花を咲かせられると思いました。そしてもし、離婚すると人から色んなことを言われるとか寂しいからと思ってしがみ付いてるとしたら、散っていく花びらを落とすまいと執着するよりは、潔く一回全部花びらを落としちゃってそこから新しいスタートをするのもいいんじゃないですか、と私は思いますね。」
家田さんは吾郎の目をまっずぐに見て言いました。色々な意味のある言葉ですね。
「では今はいい意味で孤独にもさせてくれるし、いい私生活なんですね?」(吾郎)
「はい。お互い仕事を持っているので、隣町に住んでいて別居みたいになっていますが。原稿を書いてる時に人がいるっていうのはちょっと…。」(家田さん)。
「でもまあ、やっぱりパートナーがいた方が…」(吾郎)
「そうですね。一人で解決できない時もありますので、その時はアドバイスを貰ったりします。」(家田さん)
「へえ…。山行とか水行とかには一緒に行かれたりするんですか?」(吾郎)
「遍路は、私はすごくはやいので、ついてこれないんですね。ただ山行は富士山に年3回一緒に行きますし、大峰山にも行きますし、元々大峰山の行で出会った人なので。あと水行もお正月に一緒にやってくれます。」(家田さん)
「水行が大変そうだよ。」(吾郎)
ここで家田さんの水行のVTRが流れました。白い着物に身を包み夜の海に入って行きます。グループで砂浜から海に入っていましたが「普段は独りでいきなり海に入るので。」と家田さん。
「夜の海に独りでだよ。」(吾郎)「飲み込まれそう。」(外山さん)二人は驚いていました。

家田さんがノンフィクション作家として今注目しているテーマは「熟年婚活」だそうです。
「今若い方よりもずっと多いですね。離婚している方も多いし、ストレス社会で早くして亡くなる方も多いので、独りの方がとても多いんですね。そういう方たちの婚活ツアーバスに乗ったりして。」(家田さん)
「乗ってみてどんな感じですか?」(外山さん)
「東京と大阪のツアーバスに乗ったんですけど、大阪はトレーニングウェアみたいな格好で来る方もいるんですが、東京は皆さんオシャレですねえ。」(家田さん)
「へえ、違うんですね。」(吾郎)
「はい、でも会話は少ないです。大阪の方は会った瞬間からワーと盛り上がってる。」(家田さん)
「ねるとん紅鯨団みたい。」と吾郎が言うと、家田さんも外山さんも笑いだしました。
「恋愛したいっていう気持ちが素敵ですね。」(外山さん)
「だから楽しそうですよ。でカップルになった後メールでやり取りしたりして。恋してて楽しそうです。」(家田さん)
「どうぞどうぞ」と吾郎はいきなり外山さんに婚活を勧めました。
「まだもうちょっと先に…。今後の楽しみにしておきます。」外山さんのはにかむ笑顔が可愛かったです。

「さあ、これからどうやって生きていきましょうかね、僕らは。」吾郎が言うと
「え?もう自分らしくそのままでよろしいじゃありませんか?」と家田さんが答えたので
「そうですね。変わらないね。」ご吾郎もすんなりと納得しました。
そこへAD山田くんが登場。
「『孤独という名の生き方』という本なので、僕が部屋で孤独に彫ってるっていう…」と言いながら消しゴムはんこを披露しました。
「この手元を拡大すると家田さんの顔なのね。」(外山さん)
「孤独に、誰にも褒められず、ADで…。」と自虐気味の山田くん。
「でも楽しんでるじゃない。」(吾郎)「はい、楽しいです。」(山田くん)
「それでいいと思います。」と家田さんも認めて下さいました。

最後に吾郎は「気をつけて下さい、深夜の海は。」と家田さんを気遣う言葉をかけていました。


拍手ありがとうございます


(需要は少ない(というか、ない)とは思いますが、「マイ・フェア・レディ」の家田さんと吾郎の歌舞伎町ロケの感想も参考までに出しておきます)




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剛、お誕生日おめでとう!

剛、43歳のお誕生日おめでとうございます!

これからの1年は、どうなるのでしょう。新しい航海に出るようなワクワクドキドキした気持ちでしょうか。
とにかく身体に気を付けて、これからも輝いてください。

そして、吾郎とのロハスコンビが早くまた見られますように。その日を待っています。


拍手ありがとうございます

世界が広がる朗読劇 (「ゴロウ・デラックス」 6/30)

課題図書 : 「ムロ本、」 ムロツヨシ

先週に引き続き、「ムロ本、」より、ムロさんの人となりが分かる部分を紹介。
【ムロツヨシx新井浩文 対談――[人間・ムロツヨシについて]】
【福田雄一インタビュー――[役者・ムロツヨシについて]】
【若葉竜也x永野宗典x本田力 鼎談――[演出・ムロツヨシについて]】

「ムロ本、」にはムロさんをよく知る人たちによる対談やインタビューも収録されています。芸能界随一の交友関係を誇るムロさん。この本に登場した有名人についてのエピソードを聞きました。
「ムロ本、」の中には後輩芸人の方々の名前も出てきます。
「好きな後輩と飲むと説教が始まる、僕の悪い癖がありまして。それをそろそろ直そうと思っているんですけど、まだ直りきっていない時に彼らは説教を浴びているので、最近連絡くれないですね。」とムロさん。
お笑いコンビ阿佐ヶ谷姉妹のお二人はムロさんの部屋を掃除しに来てくれたり、洗濯までしてくれたりするほど仲良しですが
「今お二人お忙しくなっちゃって最近会えてないですね。」とムロさんは嬉しそうに言いました。家まで来てくれると聞いて吾郎は「面白い関係だね。」と大笑い。
さらには「小泉孝太郎くんはモニタリングを撮ってたんで会いに行って、この後飲みに行く事になりました。」とムロさんは最新情報(?)を話してくれました。
「リリー・フランキーさんとも…ねえ。」と吾郎が言うと
「リリーさんとは一時期よく飲まさせてもらった時期があって、一度本当に怒られてことがありまして。はっきり言うと永山絢斗くんとその時期飲んでたんですが、ある日僕すごく仕事もなくてお金もなかったんですよ。で飲む事になって『絢斗ごめん、ちょっと今日お金ないかも…』『ああいいですよ。』『今度絶対返すからごめんね。』という感じで。友達(瑛太さん)の弟に格好悪いけどどうしても無理だったんです。なんとそれをリリーさんが聞きつけて、呼び出され『座れ』と。」(ムロさん)
聞いている吾郎の背筋がピッと伸びました。
「『お前絢斗にお金出させたらしいな。みっともない事は止めろ。』と怒られました」。(ムロさん)
「えー!」(吾郎・外山)
「『お前はどんな事があっても格好つけなさい。もうそういう歳だし、友達の弟に金を出させる、そんなみっともない事絶対するな。』と。その時からどんな手段を使ってでもお金を出し始めた。わたくしどんな手段を使ってでも、年下と飲むときは、どんな手段を使ってでもお金を出すようにしています、リリーさんの教えの通り。でも小泉孝太郎とかは払わせてくれないんですよ。」(ムロさん)
「当時?」(吾郎)「今も。」(ムロさん)「なんでですか?」(外山さん)
「分かんないです!」ムロさんは興奮して話し始めました。ムロさんのよく行くお店にマネジャーさんと仕事仲間がご飯を食べに行ったとお店の人から聞いて、ムロさんがそのお金を払おうとしたのに、たまたまそのお店に飲みに行った小泉さんが先に払ってくれていたとか。
「うちのマネジャーの飲み代まで払ってくれて!格好良すぎじゃないですか!だから僕怒りに行きましたよ、『たまには手柄よこせ!』って。」
「じゃあ今日が勝負ですね。」(吾郎)
「今日が勝負です。彼、『いいじゃんいいじゃん』って言ってましたけど。『いいじゃん』じゃないですよ。うちのマネジャーが一番恐縮して『すみません、ありがとうございました。』って。」(ムロさん)
「あはは!…瑛太さんにもご馳走になったって。」(吾郎)
「瑛太さんにもご馳走になりましたね。最初の映画(「サマータイムマシン・ブルース」)の時から一緒だったので。彼はその頃からお仕事をしていたので食事に行くとご馳走してくれて。…で最近久々に会って僕がお金を出そうとすると『何格好つけてるの?昔払わなかったくせに。』って。『ちょっと金持ったからって格好つけるな。』ってワザとそういう言い方をして払わせてくれない。」ムロさんは照れくさそうに言いました。
「まあ…何でも言える仲というか。」(吾郎)
交友関係の中には笑福亭鶴瓶さんの名前も。
「鶴瓶さんは最近飲むんですけど、僕の同級生まで『呼んでいいよ』と言って一緒に飲んだり。」(ムロさん)
「A-Studioの感じだよね。」(吾郎)
「ホント、そのままだなと思って。同級生の友達も『えっなんで?鶴瓶と飲めるの?わけわかんない。』って。そりゃそうだよ!って言いながら連れて行ったら本当に鶴瓶さんがいらして…。行きは『鶴瓶』と言ってたのにみんな『鶴瓶さん』と言いながら帰る、同級生たちが(笑)。」(ムロさん)
「理想のお酒の飲み方ってありますか?」(吾郎)
「リリーさんと飲んでると下ネタとか言いながら楽しいんですよ、後輩でも楽しく飲めるようなお酒の飲み方ですね。鶴瓶さんもそうなんですけど、難しい話とか説教とかなくてワイワイガヤガヤと…。そういう飲み方をしたいですね。変わりたいです。」(ムロさん)
{ちょっと熱くなっちゃうのかな?」(吾郎)
「熱くなっちゃうんです。ホントにホントに頑張ってほしくなっちゃう、後輩たちに。『急げ!』って。『今急がないとダメじゃない?なぜ今のんびりしてるの?』って。」(ムロさん)
「でもそこはサラッと。飲むときは割り切って。」(吾郎)
「そうですね、だから今こうやって言うようにしてる。自分のかっこ悪い飲み方を言って変えていこうとしてます。」(ムロさん)
「でもお友達がすぐ出来そうですね。」(外山さん)
「そうですね。仲良くなりたいと思っちゃう。八方美人、十六方美人、三十二方美人になりたくて。」(ムロさん)
「でも苦手な方とかいないですか?大勢と飲んでると…。僕は2~3人で飲むのが好きなんです。大勢で初対面の人とかいるとどうしても1人はダメな人とか…。」(吾郎)
「嫌われる事はあります。やっぱりこういう風に誰とでも仲良くなろうとする人が嫌いな人もいますから。そういうのは嘘っぽいとか、浅く広くみたいなのは嫌いなんです、とか。でも最初は嫌われてもいいと思っているので、嫌われても何とか会話して次どこかで会った時に『あの時一緒に飲まさせてもらって…。』って会話を継続して『コイツどんどん話しかけてくるから嫌いになってる方がキツイな。』と思わせる。(吾郎・外山さん笑いだす)嫌いになってると労力使うんですよ。それでも僕がどんどんいくので、皆諦めてくれる。その瞬間が好きです(笑)。好きにならなくても嫌う事を諦める瞬間ってあるんです。…僕は仲良くなりたいんです、人を知りたいので。」(ムロさん)
「この人はもういいや、とか興味ないや、という人は?」(吾郎)
「ないですないです。」(ムロさん)
「どんな人でも?自分と全く違うと思っても?」(吾郎)
「出来る限りお話はしたいです。」(ムロさん)人間に興味があってオープンマインドなんですね。

【どっか、の台本――シナリオ集的な】
舞台では演出も手掛けるムロさんが書いた短編シナリオ集です。ムロさんが台本を書く理由とは?
「この連載を始めた8年前の事なんですけど、役者という職業をしてると、台本を手にする事が嬉しかったり読み方ひとつで芝居が変わったり、いろんな台本には関わりがあるので、台本のありがたみや読み方を知るために何をしたらいいだろうと考えまして。、自分で台本を書く場所があればいいのかなと思いまして。連載の話を頂いた時に『台本を書かせてもらってもよろしいでしょうか?』と話して、1ページの連載だったので、1ページで収まる、時間にして1~2分の台本を書かせてもらえないですか?と始めました。」(ムロさん)
「1話完結の台本が全22本。」(外山さん)
「いやあ、締切があるから書けるんですね。迷惑をかけちゃいけないから書く。書きたいから書くんじゃない。約束したから書くんだ!」(ムロさん)
「でも作家さんはみんなそうおっしゃいますよね。締切がないと書けない、って。」(吾郎)
「今回はムロさんが最も思い入れの強いという連載1回目の『黒船』を基にムロさんとゴロウさんで特別朗読公演をして頂きます。」(外山さん)
「初めての(ゴロウさんとの)お芝居…。」(ムロさん)
「なんかこう…なんでゴロウ・デラックスなんだろうね。ドラマでやろうよ。でもなかなかないよね、朗読で共演できるって。俳優さん同士で。」(吾郎)
「でもちょっと緊張しますね。自分が書いたものをゴロウさんが読んでくれて相手役も演るというのは。」(ムロさん)
「いやいやそんな事を言われたら僕の方が緊張しますよ。」(吾郎)
「ね、楽しみ!この間のロバート秋山さんの子役のみち君…(笑)」(外山さん)
「あれ見た!」(ムロさん)(←観て下さってありがとうございます♪)
「ぺぺー!ぺぺー!」(吾郎)「あれ以来」(外山さん)「あれはコントだから」(吾郎)
「そうですよ、今回は本気の俳優さん同士の朗読です。」(外山さん)

【「黒船」ムロ本、どっか、の台本――シナリオ集的なより】
そしていよいよお待ちかねの朗読劇。

吾郎が兄、ムロさんが弟。
飼い猫の「黒船」が死んで気落ちしている母を思う兄弟の会話から人の優しさや家族の温かさが伝わってきました。

「いやあ良いですねえ。なんか兄弟みたいに思えてきた。」(吾郎)
「最初緊張しちゃったんですけどやっぱり嬉しくなっちゃった。書いた時の事を急に思い出して『これあの稲垣吾郎が朗読するんだぜ』って。しかもテレビの前で、って。それと最初のト書きを外山さんが読んでくれた時嬉しくなっちゃって(プロが読んでる!)と思って(笑)。(この8年前の稚拙な文章たちをプロが!プロが!)と思ったら…。最初本当に照れくさくて…。」(ムロさん)
「照れくさいですよね。さっきまでバラエティでトークしてて、こっちはちゃんとお芝居っぽいし…しかもご自身で書かれたもので、ねえ。」(吾郎)
「ほんと最初は嫌で『今からでも断れねえかな。』って思ってたんです。だけど…」ムロさんは感極まったのか顔を手で覆いました。
「ちょっと様子変でしたもん。」(吾郎)
「でも外山さんがト書きを読みだした時、隣に吾郎さんがいてそれでハッとして、書いた時の自分をハッと思いだして『おーい!』って話しかけてました。『これすげぇぞ!』って。」(ムロさん)
「え、それ後付けですよね(笑)?」(吾郎)
「あはは…そこまで言っちゃったら後付けっぽく聞こえます?でもちょっとはホントです。」ムロさんは照れているけど本当に嬉しそうでした。

【ムロツヨシ インタビュー――独り語り的な】
「『ムロ本、』はムロさんのインタビューで締められているんですが、全体の印象として家族の話が多かった感じがしました。」と外山さん。「結婚して新しい家族を作る気持ちはあるんですか?」と訊くと
「そうなんですよね。僕も本になって改めて読んだ時本当に家族の事について理想をいっぱいこの本の中に書いていて、恥ずかしんですけど、自分も親になりたい気持ちは少し出てきているのかなと思いました。」とムロさんは答え
「…結婚願望はお二人はあるんですか?」と逆に訊きました。
「いやあ…」と吾郎は考え込み、外山さんを見ながら「…ないとは言い切れないよね。」と同意を求めました。外山さんは無言で頷いています。
「独身の経験はある訳じゃないですか…。この(独身の)幸せは。結婚は全く未知の世界ですからね。そういう経験をするとまた役者としてお芝居も…って思いますよねえ。」(吾郎)
「やっぱり先輩たちは『結婚した方が良い』って言いますね。『お前なんかもっと軽い気持ちで、失敗してもいいからしろ』って言う先輩や同級生はたくさんいます。でも失敗しちゃいけないと思ってるので。親がそうだったので。」(ムロさん)
「そうですよね。この歳になると失敗したくないですよね。この歳から結婚だと。」(吾郎)やはりそこがネックなのでしょうか。

「さて、喜劇役者としての今後の目標は?」(吾郎)
「うーん…。僕を覚えてくれてる人が少しずつ増えた実感はあるんですけど、ムロツヨシの顔が浮かんで作品が浮かぶのはまだ無いと思うんです。作品が浮かんだとしても僕が主役じゃなくて誰かが看板を背負ってくれてる作品だと思うので、いつか自分が主演の代表作で、ムロツヨシの顔を見たらこの作品が出てくるという作品を作りたいのと、それを積み重ねて、もちろん主演だけがやりたいわけではなくて主演以外でも楽しい喜劇を作っていき、最終的に『あなたの好きな喜劇役者は?』『気になる喜劇役者は?』の質問に『ムロツヨシです』と答える人が一人でも多く作れたらな、と。そのためには代表作を作らなきゃいけないしもっとふざけなきゃいけないし、ふざけるために自分をわざと隠す場所を作らなきゃいけないのかなと考えたりして。こういう風に真面目に語ってるところを意識づけさせようと思ったり…」(ムロさん)
「ちょっと自信なくなってきた(笑)。」(吾郎)
「僕ね、最近もっとキュッと話せたらなと思うんですよ。言ってることをもっとキュッとできたらいいと思うんですけど、キュッと(コンパクトに)しようとしても説明しているうちにこうなって(広がって)きちゃうんです。」(ムロさん)
「いや大丈夫大丈夫。良かったから。」吾郎はフォローし外山さんはなぜか笑い転げていました。

AD山田くんの消しゴムはんこは仲良しのムロさんの「メイクしていない顔」。とても良く感じが出ているとムロさんは感激しました。しかしそれだけで終わるはずはなく、ムロさんからこんな暴露話が。
「この間家でばったり会った時、これに出る事が決まる前だったんですけど、『アレたまに見てるよ。』と言ったら『そうなんですよ、はんこの知ってます?』『知ってるよ、だって見てるもん。』『あれ面倒くさいんですよ。』って(吾郎爆笑)。『前情報も何もなくて。あのスタッフちょっと頭おかしいですよ。』って。『突然言ってきて突然やれと言われて本当に閉じ込められてるんですよ。』。そう聞いてて僕今日このスタジオに入ってくるときに見たら本当に閉じ込められてて(笑)。『本当に言ったとおりだ!』と思って。『この子に作り話は一切なかった!』って。(山田くん含めスタジオ内爆笑)…でも本当に感動しちゃった。ありがとう、嬉しいです。」
最後にムロさんはとてもスマートに山田くんに感謝の気持ちを伝えました。

リアルタイムで見た時はムロさんと吾郎の朗読劇がとにかく良くてその印象が一番強く残ったのですが、録画を見てみたらその他の話題もたくさん話していました。久しぶりに役者モードの吾郎を見られたのでとても嬉しかったです。

最後に「今度はお芝居で共演しましょう。」とお互いに挨拶していた吾郎とムロさん。実現すると良いですね。


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はちミツ

Author:はちミツ
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稲垣吾郎さん大好き、5スマ大好き!の主婦。
吾郎ファン歴は24年目になります。
神奈川県在住。

近況
①毎週水曜日は「an・an」の「稲垣吾郎のシネマ・ナビ」をチェック!。
②吾郎出演映画「少女」は2016年10月8日公開♪
③吾郎出演ドラマ「不機嫌な果実」のDVD、Blu-RayBOXは2016年10月19日発売♪
④「ゴロウ・デラックス」(TBS)もお見逃しなく!


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