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【TOP記事】 「稲垣吾郎シネマナビ」書籍化に向けて

町山智浩さんゲストのゴロデラで「要望を出すことの大切さ」を改めて教えられたところ、Kazuyoさんの吾郎ファンブログ「天使の呟き」で「an・anの連載コラム『稲垣吾郎のシネマナビ』の書籍化のお願いを出しましょう」という呼び掛けが上がりました。

詳しくは「天使の呟き」のこちらの記事→吾郎さんの映画コラム「シネマナビ」(an・an)を書籍化へ!

ご存知のようにan・anでの吾郎の映画コラムは15年以上続いていて、毎回映画の魅力を独特の言葉で紹介してくれています。映画(DVD)選びの参考になりまた読み物(ライターさんの書き起こしですが)としても楽しめます。ここは是非書籍化して頂きたいです。
なるべく多くの方のご協力を頂きたいです。どうぞよろしくお願い致します。

《葉書の宛先》
〒104-8003 
東京都中央区銀座3-13-10 
株式会社マガジンハウス  アンアン編集部
稲垣吾郎シネマナビ担当御中



拍手ありがとうございます
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世界中の山が自分の居場所 (「ゴロウ・デラックス」 7/14)

オープニング。
「今日は最年少尽くしの冒険家の方がゲストです。」(外山さん)
「そういえば、以前史上最高齢で大冒険した三浦(雄一郎)さんがゲストでいらした…」(吾郎)
「そう、あちらは最年長、今日は最年少ですから。」(外山さん)
多彩なゲストをお迎えする読書バラエティが「ゴロウ・デラックス」です。

探検家グランドスラム。この言葉を私は初めて聞いたのですが、「世界最高峰のエベレストを含む世界7大陸最高峰を登頂しさらに南極点・北極点を踏破する事」だそうです。達成者は世界で50人ほどしかいないそうですが、今年4月史上最年少でこれを達成した日本人女性がいます。その方が今日のゲストです。
南谷真鈴(みなみや まりん)さん、20歳。高校生の時から計画を始め、わずか2年4カ月で探検家グランドスラムを達成しました。普段は普通の女子大生の彼女がなぜ自分一人で道を切り拓き前人未到の記録を打ち立てることが出来たのでしょうか?

課題図書 : 「自分を超え続ける」 南谷真鈴

「私是非お会いしたかったんです。こういう方がいらっしゃるんですね。」(外山さん)
「もうスゴイしか言えないですよね。19歳ですよ、19歳で世界7大陸最高峰…。(僕は)月9を始めてやったのが19歳。楽しみですね。」(吾郎)
入ってきたのはすらりと背が高く白のワンピースに黒のジャケットを着こなしたロングヘアの綺麗なお嬢さん。「はじめまして。よろしくお願いします。」とにこやかに挨拶すると席に着きました。
「山に登っているっていう風に思えないようなしなやかな感じですね。」(外山さん)
「さっきそこでご挨拶した時『わぉ、ゴロウさんやっぱりウェービーヘアー!』って(笑)」(吾郎)
まずは南谷さんの業績を紹介。
1996年(スマスマが始まった年!)12月20日生まれ、現在20歳の南谷さんは、
【探検家グランドスラムを世界最年少で達成。】
【7大陸最高峰制覇は日本人最年少、世界第2位。】
【エベレスト登頂は日本人最年少。】
しかもその探検家グランドスラム達成に要した時間は2015年1月から今年4月までのわずか2年4カ月!
「エベレストに登った時なんかは南極点→カルステンツ・ピラミッド→エルブルース、その2日後にエベレストへ出発して、エベレストの10日後にデナリ、みたいな…。」(南谷さん)
「そんな頻繁に上ってて大丈夫なんですか。ちょっと間を開けないととか?そうじゃないんだ、山は。」(外山さん)
「この本にも書いてあったけど、僕らが今飛行機でエベレストに連れて行かれたらすぐ死んじゃうでしょ。」(吾郎)
「(酸素の量が)今の空気の1/3なので、今吸っているペースの3倍で(ハッハッハッと)ずっと息してないといけない、寝る時も。一番のトレーニングは山を登ることなので。高度順応というのは、こういう東京みたいな所にいると一週間でなくなってしまうので、(なくならないように)次から次へと山に登っていたらこのペースになっていた。」(南谷さん)
オセアニア最高峰のカルステンツ・ピラミッドは標高4884mで最もテクニカルな山と言われています。
「山というと想像するのは草木が生えていてとか雪が積もっていてとかだと思うんですけど、カルステンツ・ピラミッドはもう岩の塊。地面からニョキッと岩が生えているので。」と南谷さん。登頂時の映像が流れると
「怖いよ、怖いじゃん!」(吾郎)「えー!」(外山さん)と二人はびっくり。何しろ上を見ても下を見てもつるんとした岩の壁が続いているだけなのですから。
「こういう山なんですけど、岩と岩の間がすごく離れていて、その間にロープが張ってあって綱渡りしなきゃいけないところがあるんです。」(南谷さん)
「もうこれ山登りじゃないじゃないですか!」と外山さん。
「これ下見たらさ…(カメラが上から下に振られると岩の壁に吸い込まれそうな感じがします)、これ絶対無理!絶対無理!」と吾郎は大騒ぎ。
「でここ、綱渡りが…」(南谷さん)「無理無理無理!!怖くないの?」(吾郎)
「怖いですよ。」(南谷さん)「だってこれもう漫画漫画。ジャッキー・チェンの世界ですよ。」(吾郎)
「帰りは豚の丸焼きみたいに逆さになって(ロープにぶら下がって)行くんですよ、足を引っかけて。」(南谷さん)
そう、行きだけじゃなく帰りもあるんですよね。それにしてもどうやってここにロープを張ったんでしょう?最初にこの山に登った人はどうやって登ったのか気になります。
「マリオとかさ…テレビゲームの世界だよ。」吾郎は信じられないという顔をしていますが、南谷さんは涼しい顔で笑っています。
「でも掴めなかったらどうなるんですか?」(外山さん)「ツルッみたいな(笑)」(いや、笑い事じゃないっすよ、真鈴ちゃん!)
ここでAD山田くんが大きな荷物を持って登場。登山で実際に使う道具を見せてもらいました。大きな黒いリュックを開けるとまず赤いリュックが出てきました。
「このザックでエベレストを登りました。」(南谷さん)
黄色い棒を外山さんは手に取りました。「これは滑落停止の時とかに(使う)」(南谷さん)
「それからこれがエベレストに登った高所用のブーツ。」南谷さんはそれを机の上にドンと置きました。
「あ、固い。」外山さんは甲の部分に触ると思わず声を上げました。一方吾郎はヘルメットをなぜか山田くんにかぶせました。
南谷さんが黒いビニール袋の中身をジャラジャラと机の上にあけると金属製の色々な道具が出てきました。
「これは何ですか?」と外山さんが訊くと南谷さんはその中の一つを手に取り、
「これは、岩場の間を登る時にこれを入れてひっかけて…あの、まあ…、今度山登った時に見せてあげますよ。」外山さん、今度の登山に同行決定でしょうか?
「で、本の中にめちゃくちゃ食べる、って書いてあったじゃないですか。どんなものをどれくらい食べるのか一日の食事を用意しました。」(外山さん)
「お待たせしました。」AD山田くんが色々な食べ物をお盆に載せて入ってきました。
ご飯や卵焼きやチーズなどに交じって目を引くのが辛ラーメン(袋入り)。お湯に入れるのではなく袋の中で砕いてパウダーをかけてそのまま食べるのだそうです。その他にはエナジーバー(10本!)エナジージェル、エナジーグミも必需品だそうです。
「エナジージェルおいしいよ。」いつの間にか吾郎はちゃっかり試食しています。
「飴1個では足りなくてシュンとしてしまう所が(エナジージェルを食べると)1個で1時間半はOK、みたいな。」(南谷さん)「ポパイだ、ポパイ。」(吾郎)食事は本当に大事なんですね。

続いては地球の端っこ南極点の話(2016年1月に制覇)。元々南谷さんは探検家グランドスラムではなくエベレスト登頂を目指していて、その予行演習の為に南極最高峰のビンソン・マシフを登ったのですが、そこから予定を変更して南極点へ向かいました。その理由は、
「ビンソン・マシフに登頂して、南極大陸にいるんだし南極点に行かないとこのチャンスは一生来ないかもしれない。って。」
というあっさりしたもの。
「最初は思ってなかったんですよね、南極点に行こうと思ってビンソン・マシフに登ったわけじゃないんだよね。これがすごいよね。下りてきてから思ったんだよね。ここすごくない?ここのくだり。」(吾郎)
「南極点に到達した後に(あれ?北極点も行けば探検家グランドスラムが達成するんじゃないか?)って…。」(南谷さん)
「どうせなら、ってみたいな…。ハチ公も見たからドン・キホーテも寄っていこうかな、って。」(吾郎)「その感覚がすごい…」(外山さん)
「あ、中目黒のドン・キホーテも行ったら渋谷区のドン・キホーテ全部行った事になる。」吾郎のユニークな例えに南谷さんは思わず笑いました。「そういう事でしょノリ的には。」(吾郎)
ここで南極点の映像も流れました。「360度何にもない、全部雪。」と南谷さん。

20歳で探検家グランドスラム達成は常識破りの偉業です。彼女を突き動かしたものは何でしょうか。
南谷さんは父親の仕事の関係で生後1年目からマレーシア、中国の大連、香港などで暮らしました。4年に一度は国を変え、2年に一度は学校を買える慌ただしい生活だったそうです。
「日本人という事でちょっと嫌な目に遭ったりという事はなかったですか?」(外山さん)
「そうですね、私が通っていた中国の現地の学校ではものすごい反日教育を行っていて、私自身『自分って誰なんだろう』『日本人って何なんだろう』って思う事が良くありましたね。小学校でも高学年の子から『竹島返せ』って言われたこともありましたし…。その中で自分の中のアイデンティティがどんどん失われていった。」(南谷さん)
外国で暮らし「自分は誰なのか?」と葛藤する中、出会ったのが香港の学校の授業で登った山でした。
「自分の居場所を探している時に、山は私にとって自問自答する場所でもあって、山を一歩一歩登りながら、自分の心の中の大きな山も一緒に登れる気がしたんです。山は『私の足が自分の靴に入ってるところが居場所なんだ』と教えて下さった先生のような存在です。」(南谷さん)
そして14歳の頃ネパールのアンナプルナへ登った時、ひときわ高くそびえる美しいエベレストを見て、いつか必ずこの山に登頂すると決めたのだそうです。
南谷さんがエベレスト登頂を具体的に計画するきっかけになった出来事の部分を外山さんが朗読。
香港で友達を家に招んだ時に起きた小さな事件から、ご両親の関係が完全に壊れてしまったのです。
「そういう家族の事情もあって日本に帰国しなくてはならなくなって、(私はどんなに自分の人生においてコントロールがないんだろう)と改めて思って。で17歳の時に両親が離婚して自分で自分の人生を設計しなくてはならない、と。それで14歳のあの時決めたエベレストに登るという夢を今叶えようと思ってプロジェクトにしたんです。」
南谷さんの言葉を吾郎は真剣に聞いていました。そして「夢をかなえたんだもんね。」と一言。
「他の人が持つ自分のイメージを生きようとしてもがき続けてきたけれど、そんな事なんて必要ないんだ、って。」南谷さんは自分に言い聞かせるように言いました。

高校生の時たった一人で動き始めた南谷さん。だんだん多くの人の共鳴を得て数々の苦難を乗り越え昨年5月、夢だったエベレスト登頂に成功しました。
「もう本当に大変でしょ?色々な挑戦を次々と達成していったんですけど、一番ほっとするのはやはり自宅だという事で、なんと!お宅にお邪魔させて頂きました!ありがとうございます!」(外山さん)
「あのさ…スタッフ間違えてない?ドサクサに紛れてだよね?」(吾郎)
VTRを見始めると、吾郎はさっそく「誰?この男」と一言。取材に行ったのは男性スタッフだったのです。
それはともかく南谷さんのお部屋はまるでモデルルームのように綺麗。いかにも女性大生のお部屋という感じですが、その中にマナスル登頂時の記念写真やエベレスト登頂証明書が飾ってあったり、トレーニング用のダンベルや登山用具が置かれていたりするのが探検家グランドスラムらしいです。南谷さんは7大陸全部を一緒に登ったというスキーのポールを見せてくれて
「ずっと同じ道具で遠征するのが好き。思い入れのある道具を使いたい。」とにっこり。
その一方で棚にはコウモリの剥製も飾られています。「実家にはダチョウの卵もあって…。こういうものが好きなのでコレクションしていきたい。」とも。
自宅にいる時はごろごろするのが一番好きという事で、南谷さんは最後ベッドに入ってバイバイしてくれました。

「魅力がギュッと詰まってますよ。」(吾郎)「ほんと可愛らしい。」(外山さん)
「ほんとにおっしゃってますか?」南谷さんはテーブルをドンと叩いて吾郎の方に乗り出しました。
「ホントに言ってるよ。」と吾郎が答えると「嬉しい。」と南谷さん。
「(吾郎さんは)嘘つけないので。」と外山さんが言うと「分かってますよ、同じ射手座なので。」と南谷さんはにっこりしました。

2017年4月北極点に到達し、探検家グランドスラムを達成した南谷さん。今何を思うのか、その部分を吾郎が朗読。

山を通して私の心は結構厚みを増しました。つらい事があるたびに弱い部分に泣きながらバンドエイドを貼り、それでもつらければそこにもう1枚バンドエイドを貼り、そうやってどんどん弱い心を分厚くしていきました。
夢の邪魔をするのは自分の情熱不足だけれど、自分を信じてあげる事が自分を守るバンドエイドになるのかもしれません。

私はこれからどんな私になっていくのか、まだわかりません。
でも今と同じように、心から笑って心から泣いていたいと思います。
いつもどんな時でも、弱い自分も強い自分もすべて自分だと受け入れて。


「そして今…。」(吾郎)
「そうですね。『自分って何だろう』と言っていたけど『自分になれた』っていう…。」(外山さん)
「自分になれたんだったら、今はもうプロローグじゃない?これから始まるんじゃない?」(吾郎)
「そうですね。」と南谷さんは嬉しそうに笑いました。
「楽しみだね。だってまだ20歳だし。もうお父さんの気持ちだよ。」(吾郎)
そこへAD山田くん登場。
山の上から手を振る南谷さんの消しゴムはんこでしたが「実際にお会いしたらおきれいだったのでね…女性はおきれいになってくるので…難しいです…」と言いながらスケッチブックを背中の後ろに隠してしまいました。

国籍や家庭環境に左右される事なく自分の夢をよりどころにして世界中の山を自分の居場所にした南谷真鈴さん。これからも注目したい方ですね。


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一人の時間を大事に生きる「孤独」という豊かな人生 (「ゴロウ・デラックス」 7/7)

オープニング。
「今日のゲストはこちらに並んでいる本の著者の方です。」と外山さん。机の上にはズラリと本が並んでいます。
「ノンフィクションの作家さんですね。僕はご一緒させて頂いた事があるんですよ。面白いロケをした事がありまして。」そう、吾郎は以前「マイ・フェア・レディ」でご一緒した事がありますね。あの時もとても面白かったので今回も楽しみです。

課題図書 : 「孤独という名の生き方」 家田荘子

「まさに…僕たちの事ですね。」と言って吾郎は外山さんを笑わせました。
今回のゲストは家田荘子さん。1986年出版した「極道の妻たち」は何度も映画化され興業総収入70億円の大ヒットを記録。その後も歌舞伎町の人々、エイズ患者、女子刑務所などを取材し、社会に一石を投じる作品を精力的に書き続けています。
「以前ロケのゲストに来ていただいて。歌舞伎町のディープな夜を探検、みたいなロケだったんですけれども。」(吾郎)
「中華料理を頂きましたね。」(家田さん)
「そうですね。それからドン・キホーテに行ったりして。面白いロケだったんですけれども。」と吾郎。8年ぶりの共演です。

まずは家田さんの経歴を紹介。家田さんはどうやってノンフィクション作家になったのか?
1982年、ノンフィクション作家の原点といえる取材記者としてスカウトされる。
そのきっかけは自分が出演した映画を一人で売り込んでいたことでした。女優さんだったんですね。
「『女優としては色気と身長が足りない。』と言われてなかなかプロダクションが採ってくれなくて。」(家田さん)
「あ、プロダクションがないから自分で売り込むしかない?」(吾郎)
「はい。自分でいろんな会社に売り込んでて、その果てに雑誌社へ行ったら『何が流行ってるの?』と訊かれたんです。少女売春がありましたし、薬物を医大生たちがいっぱいやってましたし、そういう事を喋ったら、『それ書いてみてよ』と言われて。当時は”風俗”を書く人がいなかったんですね。」(家田さん)
「だってまだ当時は20代の女性ですもんね。」(吾郎)
そして色々取材して記事を書いているうち、ある作品が生まれます。
1986年、「極道の妻たち」を出版し大ヒットとなる。
「これ、20代の時だったんですね!」(吾郎)「私もこれ、びっくりしました。」(外山さん)なんと23、4歳くらいの頃だったそうです。
1985年、暴力団間の抗争が激化。家田さんは女性目線で極道の生活を書く事を思いつき、暴力団幹部に直談判し自宅に住み込み取材をしました。
「1年8カ月取材期間があったんですけど、全国レベルで取材していたので一つの暴力団にだけ行っているわけじゃなかったんです。全部の暴力団に住み込みしていると、胃痙攣と神経性胃炎で髪の毛は白髪になって後ろはハゲちゃって。」(家田さん)
「ええ?!それは気を遣って、ですか?」(外山さん)
「抗争の最中ですもん。いつどこからピストルの弾が飛んできてもおかしくないですから。」(家田さん)
「日本ですけどそこまで?」(吾郎)
「あの当時は全国で抗争が起こってて、火炎瓶が投げ込まれたりとかダンプカーが突っ込んできたりとか、いろんな事がありました。」(家田さん)
「へえ…でも白髪になっちゃったりとか後ろがハゲちゃったりとかしたら、途中で止めちゃおうと思いますよね、若かったら。」(外山さん)
「そうですねえ…でも『愛した男がたまたま極道だった』というセリフを聞いた時にこの言葉を世に出したいと思ったんですよ。そのためには連載をしないといけなくて、もっともっと多くの方に会って取材しなくちゃと思ったんです。」(家田さん)極道の妻たちの思いを社会に伝えたいという熱意で取材と執筆をやり遂げたんですね。
1991年(30代)「私を抱いてそしてキスして」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞、後に映画化される。
「エイズに関してはすごく偏見を持たれている時だと思うんですが、家田さんによって払拭されましたね。」(外山さん)
「ええ、日本では『受話器でエイズが移る』とか『握手でエイズが移る』とか、言われて…。」(家田さん)
「平気でそういう事言う人いましたよね。」(吾郎)
「そういう誤解を解くには私がエイズを理解して報道することだと思ったんですが、私の心の中にも偏見があるのでなかなかうまくいかなかったんです。でちょうど良い事に当時の夫がアメリカ本土に転勤になったので一緒について行って、アメリカではエイズが身近な事に驚いて。そこでボランティアをさせて頂いて取材をさせて頂いたんです。」(家田さん)
「相手の方はすぐに心を開いてくださったんですか?」(外山さん)
「私がお世話させてもらった方は女性で、エイズと分かった途端に家を追い出されたんですね。『死にたくない」と言って泣きながら抱き着いてきた時もあったし、喧嘩して『帰る』と言って帰ってきた時もありましたし。」(家田さん)
「アメリカの時もそうですけど、取材の時には必ず一人で行かれるんですか?」(吾郎)
「はい、私一人で。その方の心の中に入っていかないといけないので、私がその方と会って、感情を分け合っていかなければいけないですね。」(家田さん)
「そこまでの取材をしないと、こちらもそれだけの事は受け取れないよね。自分もそうやって身を削って。」(吾郎)
「本当に向き合わないと。」(外山さん)
1998年(40代)「三浦和義氏からの手紙 ― 「ロス疑惑」心の検証」を発表
「このきっかけは何だったんですか?」(吾郎)
「三浦和義さんはロズ疑惑の人ですけど、”どういう人かな?”という疑問から。私の顧問弁護士のひろなか先生が三浦和義さんも担当されていたので『どういう人なの?』と訊いたら『自分で手紙書いてみたらいいじゃん』と言われまして。それでコンタクトを取って4年間やり取りをしました。あとは向こうからお手紙を頂くこともありまして。逮捕されてまだ懲役とか判決が決まっていない方たちは拘置所から自由に手紙を出せるんですね。私の場合は出版社に届きますので。」(家田さん)
「へえ…。これは作品にはされていないですよね。」(吾郎)「してないです。」(家田さん)
「やはり自分の中で整理付かないですよね。」(吾郎)
「はい。手紙を読んで(この言葉さえなければ)と思う事があるんです。でも本にするために書いていく上でそこだけを書かない、とかこの言葉さえなければ…とか思いながら書きたくないので。」(家田さん)
「その場合は書かない。」(吾郎)
「はい。」家田さんはきっぱりと言いました。
「その中でも何か救いになる光があればいいなぁと思って行くんですか?最初はだって怒りの方が強いじゃないですか。」(吾郎)
「はい。”何故この事件を起こしたんだろう?”という所から始まりますよね。それでそうせざるを得なかった。(語気を強めて)人殺しや人を傷つける事は絶対しちゃいけませんけれども、でもそうせざるを得なかった理由を聞きたい、と思うんですね。」(家田さん)
「色々危険な目にも遭ったりしてそうですね。」(外山さん)「危ないよね。」(吾郎)
「取材対象者と信頼関係を築いていくんですね、何回も何回もお会いして。だから危険な目はないんですけど、でも駆け出しの頃薬物の取材をしていた時に、当時政治家がやってるという話があって、それをやろうとしたら脅しがきました、裏世界から。」(家田さん)
「こわっ!…怖いですね。」(吾郎)命がけの取材ですね。

「今日は家田さんを作家としてお呼びしているんですが、もう一つの肩書があるんですよね。」(外山さん)
「はい、僧侶でもあります。得度(入門の儀式)をしたのは1998年なんですけど、修行して伝法灌頂という僧侶になるための儀式を受けたのが2007年です、」(家田さん)
「じゃ10年前ですね。僧侶になられて書くものが変わったりはしましたか?」(吾郎)
「ノンフィクションの目をつける所は変わってないです。」(家田さん)

ここからいよいよ今回のメインテーマへ。
課題図書は”孤独”とうまく付き合えない現代人に”孤独”との向き合い方を指南する本です。
「外山さん、孤独を感じるときあります?」(吾郎)
「病気になって2日人と話さないとちょっと寂しいなと思いますね。」(外山さん)
「私一週間平気!口数少ないので。」(家田さん)
「朝ご飯とか独りだとちょっと寂しくない?」(吾郎)
「あ、朝ご飯ね。吾郎さんそれ言いますよね。」(外山さん)
「朝って食卓を家族でしていた(囲んでいた?)イメージが強いから。」と吾郎が言うと家田さんも外山さんも納得したようです。
「朝ご飯作られるんですか?」(家田さん)「はい、作ります。」(吾郎)「すごいですね!」(家田さん)
「作ってまでやってると意外と独りだとね…。」と吾郎がボソッとこぼすと
「作るからですよね」(家田さん)「ねえ」(外山さん)とあっさり言われ
「作った方が体にはいいんですよ。」と反論しました。
「あとある?夜独りで飲みに行くの平気でしょ?」(吾郎)「平気です。」(外山さん)
「家で独りでいるのも?」(吾郎)「基本独りですし。」(外山さん)
「独りで…散歩とか?」(吾郎)「それは当たり前…(笑)」と家田さんが突っ込むと、
「いや、僕も独りで散歩しているんですけど、近所の公園を散歩する時は話し相手がいてもいいかなとたまに思うんです。」吾郎が説明しました。
「そういうカップルも羨ましいというか、ほのぼのしてていいですね。」(家田さん)
「で、たとえカップルであっても僕の場合散歩は出来ないんですよ。」(吾郎)
「ああ、写真とか。」(外山さん)「大変ですよね。」(家田さん)
「そうなんですよ。だからお忍び旅行とかお忍びレストランとかはあってもお忍びお散歩とかないじゃないですか。」(吾郎)
「お忍び旅行行かれるんですか?」と家田さんはすかさず身を乗り出して訊きました。
「お忍び旅行は…最近は行ってないですけどね。以前行ったことはありますけど(苦笑)。」(吾郎)
「どういう所に行かれるんですか?」家田さんは畳み掛けます。
「お忍び旅行は…(上を向いて考え込むふりをする)取材上手いですね。(笑)」(吾郎)
家田さん、下を向いてくっくっくという感じで笑いました。

ここで吾郎の朗読。僧侶・家田荘子が考える孤独との向き合い方について。

「孤独」というと最近では「孤独死」とか「孤独生活」といったマイナスのイメージで捉えられがちです。
(中略)
でも「孤独」の本当の意味は違うのではないでしょうか。「孤独な人」というのは独りで過ごすことの楽しさも知っている人、ひとりの時間を自分らしく過ごすことのできる、味のある人ではないかと私は思うのです。
(中略)
孤独を受け入れられる人というのは、人に媚びず自分自身をよく理解したうえで、ひとりでいる時間を大切に生きている人だと私は思います。


「そう言って頂けるとちょっとホッとするというか。」(外山さん)
「今思ったんだけど、僕の周りにいるお友達もみんなそうですね。ヒロ君とかしのぶ君とか皆独りでいる事が上手ですね。だから付き合いやすい。じゃあ今日は一緒に会おうか、って。」(吾郎)
「孤独というのは社会生活を拒否しているわけでもないし、人と一緒に過ごすことから離れてるわけでもなくて、社会生活をちゃんとした上で、しているからこそ自分の時間を大切にできるんです。」(家田さん)
「そうですよね、世の中を捨てているわけではない。」(吾郎)
外山さんも頷いています。
「なんで孤独って言われちゃうんだろう。かわいそうな人、みたいに。特に女性はすごくそういうのあるよね?」(吾郎)
「言われますよね…。なんか性格に問題があって独りなんじゃないか、って。それもあるかも知れないけど、ほっといてくれよ、って思いますね。」(外山さん)
「頑張っている女性に限って余計そう言われませんか?」(家田さん)「言われますね。」(外山さん)
「その孤独に着目したのはなぜですか?」(吾郎)
「今ね、65歳以上で1週間誰とも喋らない、そういう環境の人がとても増えているんです。私みたいに喋らなくても平気な人じゃなくて、喋りたくても人と話す機会がない人が。でもそこで自分に閉じこもってしまうとどんどん追い込まれてしまうので、自分が何をしたいのか、自分を見つめて考えて一歩前に出なければいけないと思うんです。”孤独にさせられる”んじゃなくて”孤独は自分で掴んでいくもの”だったら全然寂しくないし辛くもない。」(家田さん)
「そうですよね。僕らは孤独が嫌で孤独をやっているわけではなくて、僕らは孤独を掴んでいるわけだから、どっちかというと。」(吾郎)
「そうですね。一人でいる時間って大切ですね。」(外山さん)
「人といると麻痺しててね。淋しくはないというか満たされる事はあるんだけど、あっという間に時間が過ぎてしまって振り返る時間がなくなってしまったり。」(吾郎)
「ストレスを背負ってまでみんなと一緒の事をしなくても、自分の時間を大切にして自分の生き方を大切にして、孤独の時間をどう利用して楽しんでいくか、という事でその人の生き方が出来てくるんじゃないかなと思います。」(家田さん)

家田さん自身も経験した、いわれなき誹謗中傷や偏見に負けない考え方の部分を外山さんが朗読。

「離婚を繰り返すとんでもない女」と陰口だけでなく面と向かって言われたこともありました。
(中略)
言いたいことを言わせておけばそのうちその人たちも飽きることでしょう。
そういう人達の言葉やSNSに一喜一憂していたらストレスだらけになって自分自身がかわいそうです。
誰に何と言われようと、その人たちは私の人生を背負ってくれるわけではありません。
人それぞれの人生に答も正解も一つではありません。


「すごいですよね、ネットはねぇ。僕はあまり見ないですけど。」(吾郎)
「繋がっているようで繋がっていないような…。」(外山さん)
「浅いですもんね。繋がっている人が少ないとかっこ悪いとか恥ずかしいとかいう気持ちがあって、無理して多くの人と繋がろうとする人もいると思うんですね。」(家田さん)
「上手く活用する分にば、SNSとか全然良いものだと思うんですけど。」(吾郎)
「でも…離婚を繰り返すっていうのは…何回…?」外山さんはためらいがちに家田さんに訊きました。
「今4回目の結婚をして、もう15年位経つのかなあ…。」(家田さん)
「4度の結婚で分かった事を教えて頂けますか?」外山さんの口調は慎重です。すると、
「まだ4度しかしていない未熟者ですけど(笑)人は何回でも花を咲かせられると思いました。そしてもし、離婚すると人から色んなことを言われるとか寂しいからと思ってしがみ付いてるとしたら、散っていく花びらを落とすまいと執着するよりは、潔く一回全部花びらを落としちゃってそこから新しいスタートをするのもいいんじゃないですか、と私は思いますね。」
家田さんは吾郎の目をまっずぐに見て言いました。色々な意味のある言葉ですね。
「では今はいい意味で孤独にもさせてくれるし、いい私生活なんですね?」(吾郎)
「はい。お互い仕事を持っているので、隣町に住んでいて別居みたいになっていますが。原稿を書いてる時に人がいるっていうのはちょっと…。」(家田さん)。
「でもまあ、やっぱりパートナーがいた方が…」(吾郎)
「そうですね。一人で解決できない時もありますので、その時はアドバイスを貰ったりします。」(家田さん)
「へえ…。山行とか水行とかには一緒に行かれたりするんですか?」(吾郎)
「遍路は、私はすごくはやいので、ついてこれないんですね。ただ山行は富士山に年3回一緒に行きますし、大峰山にも行きますし、元々大峰山の行で出会った人なので。あと水行もお正月に一緒にやってくれます。」(家田さん)
「水行が大変そうだよ。」(吾郎)
ここで家田さんの水行のVTRが流れました。白い着物に身を包み夜の海に入って行きます。グループで砂浜から海に入っていましたが「普段は独りでいきなり海に入るので。」と家田さん。
「夜の海に独りでだよ。」(吾郎)「飲み込まれそう。」(外山さん)二人は驚いていました。

家田さんがノンフィクション作家として今注目しているテーマは「熟年婚活」だそうです。
「今若い方よりもずっと多いですね。離婚している方も多いし、ストレス社会で早くして亡くなる方も多いので、独りの方がとても多いんですね。そういう方たちの婚活ツアーバスに乗ったりして。」(家田さん)
「乗ってみてどんな感じですか?」(外山さん)
「東京と大阪のツアーバスに乗ったんですけど、大阪はトレーニングウェアみたいな格好で来る方もいるんですが、東京は皆さんオシャレですねえ。」(家田さん)
「へえ、違うんですね。」(吾郎)
「はい、でも会話は少ないです。大阪の方は会った瞬間からワーと盛り上がってる。」(家田さん)
「ねるとん紅鯨団みたい。」と吾郎が言うと、家田さんも外山さんも笑いだしました。
「恋愛したいっていう気持ちが素敵ですね。」(外山さん)
「だから楽しそうですよ。でカップルになった後メールでやり取りしたりして。恋してて楽しそうです。」(家田さん)
「どうぞどうぞ」と吾郎はいきなり外山さんに婚活を勧めました。
「まだもうちょっと先に…。今後の楽しみにしておきます。」外山さんのはにかむ笑顔が可愛かったです。

「さあ、これからどうやって生きていきましょうかね、僕らは。」吾郎が言うと
「え?もう自分らしくそのままでよろしいじゃありませんか?」と家田さんが答えたので
「そうですね。変わらないね。」ご吾郎もすんなりと納得しました。
そこへAD山田くんが登場。
「『孤独という名の生き方』という本なので、僕が部屋で孤独に彫ってるっていう…」と言いながら消しゴムはんこを披露しました。
「この手元を拡大すると家田さんの顔なのね。」(外山さん)
「孤独に、誰にも褒められず、ADで…。」と自虐気味の山田くん。
「でも楽しんでるじゃない。」(吾郎)「はい、楽しいです。」(山田くん)
「それでいいと思います。」と家田さんも認めて下さいました。

最後に吾郎は「気をつけて下さい、深夜の海は。」と家田さんを気遣う言葉をかけていました。


拍手ありがとうございます


(需要は少ない(というか、ない)とは思いますが、「マイ・フェア・レディ」の家田さんと吾郎の歌舞伎町ロケの感想も参考までに出しておきます)




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世界が広がる朗読劇 (「ゴロウ・デラックス」 6/30)

課題図書 : 「ムロ本、」 ムロツヨシ

先週に引き続き、「ムロ本、」より、ムロさんの人となりが分かる部分を紹介。
【ムロツヨシx新井浩文 対談――[人間・ムロツヨシについて]】
【福田雄一インタビュー――[役者・ムロツヨシについて]】
【若葉竜也x永野宗典x本田力 鼎談――[演出・ムロツヨシについて]】

「ムロ本、」にはムロさんをよく知る人たちによる対談やインタビューも収録されています。芸能界随一の交友関係を誇るムロさん。この本に登場した有名人についてのエピソードを聞きました。
「ムロ本、」の中には後輩芸人の方々の名前も出てきます。
「好きな後輩と飲むと説教が始まる、僕の悪い癖がありまして。それをそろそろ直そうと思っているんですけど、まだ直りきっていない時に彼らは説教を浴びているので、最近連絡くれないですね。」とムロさん。
お笑いコンビ阿佐ヶ谷姉妹のお二人はムロさんの部屋を掃除しに来てくれたり、洗濯までしてくれたりするほど仲良しですが
「今お二人お忙しくなっちゃって最近会えてないですね。」とムロさんは嬉しそうに言いました。家まで来てくれると聞いて吾郎は「面白い関係だね。」と大笑い。
さらには「小泉孝太郎くんはモニタリングを撮ってたんで会いに行って、この後飲みに行く事になりました。」とムロさんは最新情報(?)を話してくれました。
「リリー・フランキーさんとも…ねえ。」と吾郎が言うと
「リリーさんとは一時期よく飲まさせてもらった時期があって、一度本当に怒られてことがありまして。はっきり言うと永山絢斗くんとその時期飲んでたんですが、ある日僕すごく仕事もなくてお金もなかったんですよ。で飲む事になって『絢斗ごめん、ちょっと今日お金ないかも…』『ああいいですよ。』『今度絶対返すからごめんね。』という感じで。友達(瑛太さん)の弟に格好悪いけどどうしても無理だったんです。なんとそれをリリーさんが聞きつけて、呼び出され『座れ』と。」(ムロさん)
聞いている吾郎の背筋がピッと伸びました。
「『お前絢斗にお金出させたらしいな。みっともない事は止めろ。』と怒られました」。(ムロさん)
「えー!」(吾郎・外山)
「『お前はどんな事があっても格好つけなさい。もうそういう歳だし、友達の弟に金を出させる、そんなみっともない事絶対するな。』と。その時からどんな手段を使ってでもお金を出し始めた。わたくしどんな手段を使ってでも、年下と飲むときは、どんな手段を使ってでもお金を出すようにしています、リリーさんの教えの通り。でも小泉孝太郎とかは払わせてくれないんですよ。」(ムロさん)
「当時?」(吾郎)「今も。」(ムロさん)「なんでですか?」(外山さん)
「分かんないです!」ムロさんは興奮して話し始めました。ムロさんのよく行くお店にマネジャーさんと仕事仲間がご飯を食べに行ったとお店の人から聞いて、ムロさんがそのお金を払おうとしたのに、たまたまそのお店に飲みに行った小泉さんが先に払ってくれていたとか。
「うちのマネジャーの飲み代まで払ってくれて!格好良すぎじゃないですか!だから僕怒りに行きましたよ、『たまには手柄よこせ!』って。」
「じゃあ今日が勝負ですね。」(吾郎)
「今日が勝負です。彼、『いいじゃんいいじゃん』って言ってましたけど。『いいじゃん』じゃないですよ。うちのマネジャーが一番恐縮して『すみません、ありがとうございました。』って。」(ムロさん)
「あはは!…瑛太さんにもご馳走になったって。」(吾郎)
「瑛太さんにもご馳走になりましたね。最初の映画(「サマータイムマシン・ブルース」)の時から一緒だったので。彼はその頃からお仕事をしていたので食事に行くとご馳走してくれて。…で最近久々に会って僕がお金を出そうとすると『何格好つけてるの?昔払わなかったくせに。』って。『ちょっと金持ったからって格好つけるな。』ってワザとそういう言い方をして払わせてくれない。」ムロさんは照れくさそうに言いました。
「まあ…何でも言える仲というか。」(吾郎)
交友関係の中には笑福亭鶴瓶さんの名前も。
「鶴瓶さんは最近飲むんですけど、僕の同級生まで『呼んでいいよ』と言って一緒に飲んだり。」(ムロさん)
「A-Studioの感じだよね。」(吾郎)
「ホント、そのままだなと思って。同級生の友達も『えっなんで?鶴瓶と飲めるの?わけわかんない。』って。そりゃそうだよ!って言いながら連れて行ったら本当に鶴瓶さんがいらして…。行きは『鶴瓶』と言ってたのにみんな『鶴瓶さん』と言いながら帰る、同級生たちが(笑)。」(ムロさん)
「理想のお酒の飲み方ってありますか?」(吾郎)
「リリーさんと飲んでると下ネタとか言いながら楽しいんですよ、後輩でも楽しく飲めるようなお酒の飲み方ですね。鶴瓶さんもそうなんですけど、難しい話とか説教とかなくてワイワイガヤガヤと…。そういう飲み方をしたいですね。変わりたいです。」(ムロさん)
{ちょっと熱くなっちゃうのかな?」(吾郎)
「熱くなっちゃうんです。ホントにホントに頑張ってほしくなっちゃう、後輩たちに。『急げ!』って。『今急がないとダメじゃない?なぜ今のんびりしてるの?』って。」(ムロさん)
「でもそこはサラッと。飲むときは割り切って。」(吾郎)
「そうですね、だから今こうやって言うようにしてる。自分のかっこ悪い飲み方を言って変えていこうとしてます。」(ムロさん)
「でもお友達がすぐ出来そうですね。」(外山さん)
「そうですね。仲良くなりたいと思っちゃう。八方美人、十六方美人、三十二方美人になりたくて。」(ムロさん)
「でも苦手な方とかいないですか?大勢と飲んでると…。僕は2~3人で飲むのが好きなんです。大勢で初対面の人とかいるとどうしても1人はダメな人とか…。」(吾郎)
「嫌われる事はあります。やっぱりこういう風に誰とでも仲良くなろうとする人が嫌いな人もいますから。そういうのは嘘っぽいとか、浅く広くみたいなのは嫌いなんです、とか。でも最初は嫌われてもいいと思っているので、嫌われても何とか会話して次どこかで会った時に『あの時一緒に飲まさせてもらって…。』って会話を継続して『コイツどんどん話しかけてくるから嫌いになってる方がキツイな。』と思わせる。(吾郎・外山さん笑いだす)嫌いになってると労力使うんですよ。それでも僕がどんどんいくので、皆諦めてくれる。その瞬間が好きです(笑)。好きにならなくても嫌う事を諦める瞬間ってあるんです。…僕は仲良くなりたいんです、人を知りたいので。」(ムロさん)
「この人はもういいや、とか興味ないや、という人は?」(吾郎)
「ないですないです。」(ムロさん)
「どんな人でも?自分と全く違うと思っても?」(吾郎)
「出来る限りお話はしたいです。」(ムロさん)人間に興味があってオープンマインドなんですね。

【どっか、の台本――シナリオ集的な】
舞台では演出も手掛けるムロさんが書いた短編シナリオ集です。ムロさんが台本を書く理由とは?
「この連載を始めた8年前の事なんですけど、役者という職業をしてると、台本を手にする事が嬉しかったり読み方ひとつで芝居が変わったり、いろんな台本には関わりがあるので、台本のありがたみや読み方を知るために何をしたらいいだろうと考えまして。、自分で台本を書く場所があればいいのかなと思いまして。連載の話を頂いた時に『台本を書かせてもらってもよろしいでしょうか?』と話して、1ページの連載だったので、1ページで収まる、時間にして1~2分の台本を書かせてもらえないですか?と始めました。」(ムロさん)
「1話完結の台本が全22本。」(外山さん)
「いやあ、締切があるから書けるんですね。迷惑をかけちゃいけないから書く。書きたいから書くんじゃない。約束したから書くんだ!」(ムロさん)
「でも作家さんはみんなそうおっしゃいますよね。締切がないと書けない、って。」(吾郎)
「今回はムロさんが最も思い入れの強いという連載1回目の『黒船』を基にムロさんとゴロウさんで特別朗読公演をして頂きます。」(外山さん)
「初めての(ゴロウさんとの)お芝居…。」(ムロさん)
「なんかこう…なんでゴロウ・デラックスなんだろうね。ドラマでやろうよ。でもなかなかないよね、朗読で共演できるって。俳優さん同士で。」(吾郎)
「でもちょっと緊張しますね。自分が書いたものをゴロウさんが読んでくれて相手役も演るというのは。」(ムロさん)
「いやいやそんな事を言われたら僕の方が緊張しますよ。」(吾郎)
「ね、楽しみ!この間のロバート秋山さんの子役のみち君…(笑)」(外山さん)
「あれ見た!」(ムロさん)(←観て下さってありがとうございます♪)
「ぺぺー!ぺぺー!」(吾郎)「あれ以来」(外山さん)「あれはコントだから」(吾郎)
「そうですよ、今回は本気の俳優さん同士の朗読です。」(外山さん)

【「黒船」ムロ本、どっか、の台本――シナリオ集的なより】
そしていよいよお待ちかねの朗読劇。

吾郎が兄、ムロさんが弟。
飼い猫の「黒船」が死んで気落ちしている母を思う兄弟の会話から人の優しさや家族の温かさが伝わってきました。

「いやあ良いですねえ。なんか兄弟みたいに思えてきた。」(吾郎)
「最初緊張しちゃったんですけどやっぱり嬉しくなっちゃった。書いた時の事を急に思い出して『これあの稲垣吾郎が朗読するんだぜ』って。しかもテレビの前で、って。それと最初のト書きを外山さんが読んでくれた時嬉しくなっちゃって(プロが読んでる!)と思って(笑)。(この8年前の稚拙な文章たちをプロが!プロが!)と思ったら…。最初本当に照れくさくて…。」(ムロさん)
「照れくさいですよね。さっきまでバラエティでトークしてて、こっちはちゃんとお芝居っぽいし…しかもご自身で書かれたもので、ねえ。」(吾郎)
「ほんと最初は嫌で『今からでも断れねえかな。』って思ってたんです。だけど…」ムロさんは感極まったのか顔を手で覆いました。
「ちょっと様子変でしたもん。」(吾郎)
「でも外山さんがト書きを読みだした時、隣に吾郎さんがいてそれでハッとして、書いた時の自分をハッと思いだして『おーい!』って話しかけてました。『これすげぇぞ!』って。」(ムロさん)
「え、それ後付けですよね(笑)?」(吾郎)
「あはは…そこまで言っちゃったら後付けっぽく聞こえます?でもちょっとはホントです。」ムロさんは照れているけど本当に嬉しそうでした。

【ムロツヨシ インタビュー――独り語り的な】
「『ムロ本、』はムロさんのインタビューで締められているんですが、全体の印象として家族の話が多かった感じがしました。」と外山さん。「結婚して新しい家族を作る気持ちはあるんですか?」と訊くと
「そうなんですよね。僕も本になって改めて読んだ時本当に家族の事について理想をいっぱいこの本の中に書いていて、恥ずかしんですけど、自分も親になりたい気持ちは少し出てきているのかなと思いました。」とムロさんは答え
「…結婚願望はお二人はあるんですか?」と逆に訊きました。
「いやあ…」と吾郎は考え込み、外山さんを見ながら「…ないとは言い切れないよね。」と同意を求めました。外山さんは無言で頷いています。
「独身の経験はある訳じゃないですか…。この(独身の)幸せは。結婚は全く未知の世界ですからね。そういう経験をするとまた役者としてお芝居も…って思いますよねえ。」(吾郎)
「やっぱり先輩たちは『結婚した方が良い』って言いますね。『お前なんかもっと軽い気持ちで、失敗してもいいからしろ』って言う先輩や同級生はたくさんいます。でも失敗しちゃいけないと思ってるので。親がそうだったので。」(ムロさん)
「そうですよね。この歳になると失敗したくないですよね。この歳から結婚だと。」(吾郎)やはりそこがネックなのでしょうか。

「さて、喜劇役者としての今後の目標は?」(吾郎)
「うーん…。僕を覚えてくれてる人が少しずつ増えた実感はあるんですけど、ムロツヨシの顔が浮かんで作品が浮かぶのはまだ無いと思うんです。作品が浮かんだとしても僕が主役じゃなくて誰かが看板を背負ってくれてる作品だと思うので、いつか自分が主演の代表作で、ムロツヨシの顔を見たらこの作品が出てくるという作品を作りたいのと、それを積み重ねて、もちろん主演だけがやりたいわけではなくて主演以外でも楽しい喜劇を作っていき、最終的に『あなたの好きな喜劇役者は?』『気になる喜劇役者は?』の質問に『ムロツヨシです』と答える人が一人でも多く作れたらな、と。そのためには代表作を作らなきゃいけないしもっとふざけなきゃいけないし、ふざけるために自分をわざと隠す場所を作らなきゃいけないのかなと考えたりして。こういう風に真面目に語ってるところを意識づけさせようと思ったり…」(ムロさん)
「ちょっと自信なくなってきた(笑)。」(吾郎)
「僕ね、最近もっとキュッと話せたらなと思うんですよ。言ってることをもっとキュッとできたらいいと思うんですけど、キュッと(コンパクトに)しようとしても説明しているうちにこうなって(広がって)きちゃうんです。」(ムロさん)
「いや大丈夫大丈夫。良かったから。」吾郎はフォローし外山さんはなぜか笑い転げていました。

AD山田くんの消しゴムはんこは仲良しのムロさんの「メイクしていない顔」。とても良く感じが出ているとムロさんは感激しました。しかしそれだけで終わるはずはなく、ムロさんからこんな暴露話が。
「この間家でばったり会った時、これに出る事が決まる前だったんですけど、『アレたまに見てるよ。』と言ったら『そうなんですよ、はんこの知ってます?』『知ってるよ、だって見てるもん。』『あれ面倒くさいんですよ。』って(吾郎爆笑)。『前情報も何もなくて。あのスタッフちょっと頭おかしいですよ。』って。『突然言ってきて突然やれと言われて本当に閉じ込められてるんですよ。』。そう聞いてて僕今日このスタジオに入ってくるときに見たら本当に閉じ込められてて(笑)。『本当に言ったとおりだ!』と思って。『この子に作り話は一切なかった!』って。(山田くん含めスタジオ内爆笑)…でも本当に感動しちゃった。ありがとう、嬉しいです。」
最後にムロさんはとてもスマートに山田くんに感謝の気持ちを伝えました。

リアルタイムで見た時はムロさんと吾郎の朗読劇がとにかく良くてその印象が一番強く残ったのですが、録画を見てみたらその他の話題もたくさん話していました。久しぶりに役者モードの吾郎を見られたのでとても嬉しかったです。

最後に「今度はお芝居で共演しましょう。」とお互いに挨拶していた吾郎とムロさん。実現すると良いですね。


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これは、喜劇 (「ゴロウ・デラックス」 6/23)

オープニング。3週間ぶりに吾郎の衣装が変わりました。黒シャツに黒タイ、チャコールグレーのスーツ。ベージュのスーツも上品で素敵でしたが、今回はグッと渋いです。
「今日のゲストはドラマ映画バラエティ番組で抜群の存在感を発揮している喜劇役者さんです。」(外山さん)
「役者の方がゲストなのも珍しいんですけど、喜劇役者さんですか。」吾郎は早くも興味津々の様子です。

今最も注目を集める喜劇役者、ムロツヨシさん。独特の強い目力を持ち、映画・ドラマ・舞台・バラエティ番組の司会など幅広い分野で活躍する唯一無二の存在。そのムロさんが月刊誌「プラスアクト」でブレイク前から書き続けた連載をまとめたのが今回の課題図書です。

課題図書 : 「ムロ本、」 ムロツヨシ

400ページを超えるボリュームのこの本には、自身の壮絶な体験を基にした私小説やオリジナルの劇台本、芸能界の交友関係などが書かれていて、ムロツヨシさんのすべてが詰まった渾身の一冊となっています。
「肩書が”喜劇役者”なのはなぜですか?」まず外山さんが訊きました。
「僕らが子供の頃は『喜劇役者って誰?』って聞いたら植木等さんとか渥美清さんとか名前が挙がったんですけど、今『喜劇役者で誰が好きですか?』と訊かれても『喜劇役者って誰の事を言うんだろう?』ってなってる。僕はずっと喜劇を舞台でやりたいと思っていて、それならあえて自分から言うのも良いのかなと思って、恥ずかしいんですけど(喜劇役者と)名乗らせて頂いてるんです。」とムロさん。喜劇に特に思い入れがあるんですね。その一方で
「で『喜劇役者だから笑わせてみろ!』と言われたら『いえ、喜んで劇をする役者なんです』と言い訳も作ってあります(笑)。」とも。
ムロさんと吾郎は今回初共演ですが、
「でもこれを読んでからお会いするから…不思議ですよね。」(吾郎)
「お会いする前に読んでもらっている事と、そこを今テレビカメラたちが写している現状にもう…とち狂ったのか髪結んじゃいました。テレビで髪結んだことほとんどないのに。」(ムロさん)「ちょっとおしゃれですよね。」(吾郎)
ムロさんいわく、「森山未來を意識してる」そうです(笑)。
雑誌の連載をまとめた本なので、
「結構前の連載も多い?」(吾郎)
「はい、一番古いのは8年前ので。まさか8年かけて本になると思わなかったですし。」(ムロさん)
「ムロ本、」では「。」の代わりに全て「、」が使われています。これについては
「初めてパソコンで台本を書いた時に、セリフでよくある「…」をどうやって出せばいいか分からなかったんです。」とムロさんが言ったので吾郎は一瞬きょとんとなりました。
「どうやっても違う記号が出てくる。で「、」を打ったらその通りに出てきたので『もうこれでいいや』と。(吾郎笑い出す)それで始めて…。「、」「。」を使わない人=俺って決めたんです。」(ムロさん)
「でも流れがいいからいいじゃないですか。」(吾郎)
「「。」を使わなくなっちゃったので嘘をついて後付けの理由で『「。」をつけたら終わっちゃう。「、」は続くじゃないですか』って。」(ムロさん)「後付けうまいですね!」(吾郎)
「後付け上手いんです。結構後付けの理由を沢山使っているんですよ。」(ムロさん)
「この『ムロ本、』は喜劇役者ムロツヨシのすべてを書いた台本になっています。この番組ではこの『ムロ本、』の目次に沿ってお話を伺っていきます。」と外山さん。課題図書の目次が本日の番組の台本というわけです。

【ムロツヨシ、―――序章的な】
8年続く連載の中で一番新しいこの章ではムロツヨシさんの日常が描かれています。「序章的な、」という事で、ムロさんが今まで出演した映画・ドラマ・バラエティ番組を振り返りました。AD山田くんがボードを持って入ってくると、
「よく会うんですよ。」と言いました。ムロさんが小栗旬さんと友達で、山田くんが義兄小栗さんの家にいる為よく会うようです。
「この間会ったのは、僕が酔っぱらって帰ってきて小栗さんに40分くらい説教食らってた時でしたね。」(山田くん)
「ちゃんと兄としての説教でしたね、人生の先輩としてこれは良くないんじゃないか、と。」(ムロさん)
「酔っぱらってたんで何も覚えてない。」(山田くん)
「お前、(小栗さんが)これ観たらまた怒られるよ!」(ムロさん)山田くんは焦りまくりでした(笑)。

ムロさんが最初に本格的に映像作品に出演したのは「交渉人 真下正義」(2005年)。しかし吾郎は
「観たよ…いた?」と首を傾げました。「結構いい役で。」(ムロさん)「犯人?」(吾郎)
「あれ犯人出ない映画ですから(笑)。…実は僕、真下(ユースケ・サンタマリアさん)の隣にいるんですよ、階段で室井管理官とすれ違うシーンとか。よく見て下さい、僕いますから。」(ムロさん)
「えー、絶対見てるはずだよね。」(吾郎)
「よく見ている作品が多いですよ。」(外山さん)確かに作品リストには「ガリレオ」などの有名ドラマもあります。しかし、
「ワンシーンもない、ワンカット(だけの出演)。自分の事を”ワンカット役者”って呼んでましたから。」とムロさん。
「僕らはいつ知ったんでしょうかね、ムロさんの事を。いつの間にか…。」(吾郎)
「僕はいつも必死なんですけど、すべてに爪痕を残そうと(笑)。でも多分『勇者ヨシヒコと魔王の城』という深夜ドラマをやった時に『あの人誰?』って感じになって、役名で街で呼ばれるようになりました。今までそういう事はなかったので大きな転機だったのかな。」(ムロさん)
「街で呼ばれるのって役者にとって…びっくりだよね。」吾郎の言葉には実感がこもっていました。
「あと、世間の皆さんが知ってくれたのは『ごちそうさん』というNHKの朝ドラで。それが年上の世代の方に覚えて頂けるきっかけになりました。」(ムロさん)
「朝ドラってびっくりするぐらい人に声かけられますよね。」(吾郎)「かけられます。」(ムロさん)
「僕も人生で初めてドラマに出たのが朝ドラなんです。」と吾郎が言うと
「え!そうなんですか?」とムロさんは身を乗り出しました。
「平成元年、15歳の時に。」(吾郎)
「すげー…」ムロさんは尊敬のまなざしで吾郎を見ました。
「現代版の朝ドラだったんです、『青春家族』っていう。びっくりしましたよ、ハワイに行って気付かれたましたから。…朝ドラすごいですよね。そう思いませんでした?」(吾郎)
「すごいです、おばあちゃんに話しかけられたりとか。『何で見て下さったんですか?』と訊いたら『ごちそうさん』で観た、って。」(ムロさん)
この朝ドラトークでムロさんと吾郎が一気に打ち解けた感じがして嬉しかったです。
しかしそこまで有名になっても
「まだバイトされてたんですか?」(吾郎)
「バイトしていたのが30歳までですよ。この頃ユースケさんによくご飯に連れて行ってもらっていて。29歳の時に『ムロくんいい加減バイト辞めなさい。』と言ってくれて。『バイトをやってたら君の性格ではのらりくらり食べていけちゃうから、とにかく(役者に)絞りなさい、バイト辞めなさい。』と言ってくれて。で30歳の誕生日の前の日までやって30歳からピッと止めるようにしました。」(ムロさん)「のらりくらり君は出来ちゃうから、って、良く分析してますね。ムロさん確かに器用でできそうですもんね。」(吾郎)

ムロさんはバラエティ番組にもたくさん出演されていますが、
「舞台でお客さんが入るには知ってもらわなきゃいけない、僕と言う存在を。そこでバラエティ番組で『ムロツヨシです』と連呼させてもらって『何なんだよこいつ』って覚えてもらってから『舞台やってるんだ、じゃ1回観に行ってやろうかな』となるためにバラエティ番組に出させてもらっている気持ちはあります。もちろん番組に一生懸命貢献したいと思いますが。ユースケさんや大泉洋さんといった先輩を見ているので『観てて楽しい、でも役者が本業』と、いつか逆転すればいいんだと思って。バラエティ番組ではまず覚えてもらおうと。」バラエティ番組ではまず自分を知ってもらおうというスタンスです。
そして舞台活動をずっと続けているムロさん。それについて吾郎が
「贅沢だけど僕はそういう経験をしてきてないからそういう人にしかできないお芝居ってある。そういうのは絶対羨ましいなっていうのはある、自分には出来ないことだし。でもそれにこだわり過ぎてもいけないと思うし。まあ、道が違ったと思えば。」と言うと
「はい、そうですね。」とムロさんは深く頷きました。
違う道を歩んできた事をお互いに認め合う役者同士の会話が素敵でした。

【数、ある記憶の中から―――自伝的な】
この章は、ムロさんが自身を「数」という主人公に置き換えて幼少期から今までの経験を赤裸々につづった短編小説集です。

父親と母親は喧嘩ばかりしていた。
祖母がそれを止めている。
布団を被って、終わるのを待った。
喧嘩が終わると母親が布団に入ってきて笑いかけてくる。


両親の離婚や役者としての転機など、今まであまり語られてこなかったムロツヨシの過去とは?

「これは本当に事実なんですか?」(吾郎)
「はい。自分の最初の記憶って何だろうと考えた時に、両親が喧嘩してるところと産んでくれたお母さんの赤い口紅とかが断片的に…。」(ムロさん)「ねえ、リアルですよね。」(吾郎)
「怒鳴り声、布団を被る、終わるのを待つ、でおばあちゃんが出てきて喧嘩を止めて、お母さんが荷物をまとめて出て行って玄関で泣いて終わる、それが毎回という記憶になっていますね。」(ムロさん)
「ちょっとしんどい記憶だよね。」(吾郎)
「そうなんですよね。両親が離婚した話を中学高校の時にしてたけど、何人かの友達に『不幸自慢になるから止めろ』と言われたんです。自分は事実を話しているだけなのに『俺って不幸でしょ』と聞こえてしまうのかなと思い、言い方を色々変えてきた。字に起こす際も『俺こんな事があったけど今は笑ってます、と思われたいです。』と捉えられるのかなと言う恐怖や不安はあったんですけど、ここは自分に向けてでもいいから書いてみようと思い書かせてもらった部分です。」(ムロさん)
「じゃあ離婚された後にご両親と会う事は?」(吾郎)
「この後母親とは会っておりません。」(ムロさん)
「そっか、うーん…。お父様とも会っていない?」(吾郎)
「21歳で家を出るのと同時にそこから会ってないですね。」ムロさんはおばあちゃん子だったそうで、
「じゃあ、役者になるといったらお父さんおばあちゃんは大変だったんじゃないですか?」(吾郎)
「おばあちゃんがすごく泣いてましたね。僕が役者になるといったら『ツヨシには郵便局員になってほしかった』って。でも僕大学が理学部数学科だったので絶対郵便局員にはならないと思ってたんですけど(笑)、おばあちゃんは大学を出たら郵便局員になると思っていたみたいで。」(ムロさん)

「無名時代に監督直々に指名されて出演が決まった映画があるそうで。」(外山さん)
「はい、『サマータイムマシン・ブルース』です。そのころ小劇場という所で役者仲間同士で舞台を作っていて、それを見に来てくれたのが本広克行監督で。小劇場って本番が終わった後飲みに行くんですね、見に来てくれた方とかと。で『体の大きい人が飲んでるな、あの人誰?』と訊いたら『バカお前、”踊る(大捜査線)”の監督だよ!』と。『そうか、俺行ってくるわ!売り込みに』って行って『モロツヨシです』って連呼したんです。」(ムロさん)「すごい勇気ですね!」(吾郎)
「『お酒美味しいですね、ムロツヨシです。』『お代わり何にします?ウーロンハイですか?…ウーロンハイお願いします、ムロツヨシです。』『僕もそう思います、ムロツヨシです。』…とにかく覚えてもらおうと思って。映画に出られるなんてことはあり得ないと思ってましたけど。そしたら本当に急にプロデューサーさんから連絡があって『夏空いてるの?』『…はい』『じゃ空けといて。監督が指名だよ。』と。他の人はみんなオーディションしてるのに生意気にムロごときが、と言われながら…。だから小さい役だと思っていたんですけど、台本渡されたらメインの役で。」(ムロさん)
「へぇー!」(吾郎)
「びっくりしました。で本広監督に言われたのは『お前の野心は綺麗だ。そこまで言うなら1回使ってやる。自分の思うように出来るか試してみなさい。』。もう期待を裏切っちゃいけないという思いだけでがむしゃらにやって。その時のお芝居を見ると(わぁっ)でなりますけど、この時の全力は(間違いなくこれだな)というのが残っているので、恥ずかしいですけど残せてよかったなと思っていますし、そこの場所をくれた本広監督にも感謝してますし。」(ムロさん)
当時の思い出をムロさんは熱っぽく語り、吾郎は微笑みながら聞いていました。
「『サマータイムマシン・ブルース』の後全くお芝居する場所がなくて。『踊る大捜査線』のスピンオフをやるという噂を聞きつけて本広監督に会いに行って『出させてください!』とお願いしたら『じゃ考えとくわ。』と言ってくれたんですけど。台本を渡してくれたプロデューサーさんが『実は前からあなたが出る事は決まっていて、でも監督から、ムロが絶対出してください!と言いに来るからそれまで待て、と言われてたんです。』と。『こっちから先に出させてやると言ったらあいつ絶対調子に乗るから、言うな、絶対言うな。』と指令が下っていたらしいです。来た来た!って感じだったみたいですよ。」(ムロさん)
「へえ、(ムロさんの性格を)よく分かっていらしたんですね。(笑)」(吾郎)
ユースケさんにしても本広監督にしても、ムロさんは人との出会いに恵まれていますね。そのチャンスを自分で切り開くパワーが素晴らしいと思いました。

最初の朗読は、主人公数が従姉妹の志世と幼馴染の大介に初めての映画出演を報告するシーン。吾郎と外山さん、そして山田くんで朗読します。
「今日はムロさんが来てるから出番が多いんですよ。」(山田くん)
「いいじゃん、出番が多くて。」と吾郎。するとムロさんが
「この収録の前に彼が言ってたことがちらっと耳に入ったんですけど、台本もさっき読んだみたいな…。(山田くん固まる)そういうの聞こえないところで喋った方がいいよ、外山さんに『ダメじゃない、現場に入って読みなさいよ。』と言われてるくだりが聞こえてて、え?まさか俺のその台本の事じゃないよな?と思ったら案の定出てきた。」と山田くんにダメ出ししました。
「何で読まないの?」(吾郎)
「だってあのう…どうせゴロウさんいじってくれないし、(台本に)書いてある通りに言っても誰も拾ってくれないし…。」(山田くん)
「台本ディスった!」(ムロさん)「違う!」山田くんは突っ込まれて大慌てです。
「これ、思い入れのある話だから。」(ムロさん)
「もう止めないでやろう!嚙んでもとりあえず。」と吾郎も山田くんにプレッシャーをかけます。
主人公数が吾郎、志世が外山さん、大介が山田くんです。

数に呼び出された志世と大介。てっきりまた借金の申し込みだと思っている二人に数は出演が決まった映画の台本を見せます。

たった8年、だが、かかった8年。
やはり嬉しい役者8年目の初めての台本。
今の数は思う。
でも、この映画の撮影終わったら、
またバイト生活に戻ってたけどな。
また、スタートライン付近で準備体操してたがな。
甘かない世界ですな。
そして思う。でも、これは喜劇。


「緊張してた?」吾郎が山田くんに訊きました。
「いや、久しぶりに読むなと思って。」(山田くん)
「だって役者さんだよ?!」(吾郎)
「最近何もやってないからカメラが回ると汗かいちゃって…。」と山田くんは首に巻いたタオルで顔の汗を拭きました。しかし
「君の久々に芝居した感想を言う展開じゃないから。」とムロさんは厳しい言葉を。
「志世と大介の二人はもう期待もしてなかったけれど、多分(数が)辞めることはないだろうなと思っていたと思うんです。成功するかどうかじゃなくて辞めないだろうから、仕方ないこっちが何とかするしかない、と。うまくいかなくてもしょうがねえな、とまで思ってくれていた。」(ムロさん)
「おばあちゃんは喜んでくれましたか?」(吾郎)
「おばあちゃんは…。喜んでくれるというよりも『あ、そう』という感じで。とにかく言い出したら辞めないだろうと見抜いていたみたいで、『借金しても何でも身体さえ元気でいてくれれば』と言ってくれていたみたいですね。」(ムロさん)

「最終話はおばあちゃんとの別れですけれども…。」(外山さん)
「育ててくれたお礼として、選んだ職業で成立してる時間を見せられたのが良かったかな、と。偉そうですけれどももう行っていいよ、という話が出来たので。待ってたんだなぁ、と思います。」ムロさんはしみじみと噛みしめるように言いました。
「全部の話が『これは、喜劇』で終わる理由はあるんですか?」(吾郎)
「主人公数は…自分の事ですけど、自分が最後…死ぬ時なのか何か終わる時に喜劇だったなと思いたい。自分が喜劇役者を名乗るのもそうなんですけど、自分の記憶とかこれから作るだろう作品、自分の周りで起こせる事すべてを出来れば喜劇にしたいという願いと、そうあろうという意志を皆さんに伝えさせてもらう為に。そして自分の事を書いたので、両親の別れも猫との悲しい別れも全部喜劇と捉えていますよという意志表示ですね。」ムロさんは自分で自分の意志を確かめるように力強く話しました。

そして次週は役者ムロツヨシと稲垣吾郎の特別朗読公演です。これは見逃せません!


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