稲垣吾郎さんとSMAPと新しい地図と。すべてが好きな主婦の日記 【無断転載禁止】

メディア情報

気がついたら色々なメディアに露出することになっているので情報を整理します。
こんなに慌ただしいのは本当に久しぶりです。

【AbemaTV】
11/19 (日) 17:00~25:12 72時間ホンネテレビ未公開シーン&トレンド入りの瞬間7.2時間で全部みせますSP

【新聞】
11/20 (月) 東京新聞朝刊・中日新聞夕刊 稲垣吾郎インタビュー (ゴロウ・デラックス)

【雑誌】
現在発売中 「BRUTUS」 特集 「いまさら観てないと言えない映画」
         「週刊ザ・テレビジョン」 稲垣吾郎・草彅剛・香取慎吾緊急独占インタビュー(72時間ホンネテレビ)
         「週刊TVガイド」 「ゴロウ・デラックス」最新リポート&72時間完全ドキュメント
12/1 (金)発売 「婦人画報」 稲垣吾郎インタビュー

まず驚いたのが19日(明明後日)のAbemaTVです。まだ動画を全部見られていないのに、未公開シーンを配信して下さる。しかも7.2時間(=7時間12分)も!全部見たら月曜日に差し支えてしまいそうなので、これもDVD化のお願い(お礼と共に)をしなくちゃ、ですね。

東京新聞と中日新聞のインタビューは読書の秋にちなんで「ゴロウ・デラックス」についてのインタビューだそうです。楽しみですね。

雑誌の露出も続きます。新たに「婦人画報」の発売情報も加わりました。こちらにも期待です。

これだけ露出があるとありがたいですね。幸せを噛みしめています。


拍手ありがとうございます


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ドラえもんのポケットの中 (「ゴロウ・デラックス」 11/3、11/10)

「72時間ホンネテレビ」の余韻に浸っていたらすっかり周回遅れになったので、むぎわらしんたろうさんの回を2周分まとめてこちらに上げます。

【前編・11/3】
今回もロケです。
「今日はテンション高いですよ。」(吾郎)
「高いですよ!だってドラえもんですもの。大好き!」外山さんの声のトーンも高めです。
「ドラえもんの世界にやって参りました。」(吾郎)
「タケコプターで飛べそうですよ。」と外山さんは吾郎の頭を指さしました。そう、吾郎も外山さんも頭にタケコプターをつけています。そして二人の傍らにはドラえもんが。
「これ実物大ですよ。129cm。意外と大きいね。」(吾郎)
「ドラえもん、助けてくれよぉ。」外山さんはドラえもんに抱きつきました。のび太くんの声まねが似ています。
「さて今夜のゲストをお呼びしましょう。」と外山さんが言うと、見覚えのある土管の後ろから一人の男性が現れました。」
「のび太くんの将来みたいですね。」(吾郎)「よく言われます(笑)」(むぎわらさん)
眼鏡をかけた実直そうな感じの方です。

漫画家むぎわらしんたろうさんは、「ドラえもん」の生みの親藤子・F・不二雄先生の最後のお弟子さんです。F先生は1996年に亡くなりましたが、その後もドラえもんの新作は続々と誕生しています。そこにはF先生の意志を継いだむぎわら先生の存在があるそうです。
今回は川崎市の藤子・F・不二雄ミュージアムを訪ね、長年アシスタントを務めたむぎわら先生から見たF先生の素顔やドラえもんの秘密を伺います。
F先生の漫画家人生は45年、その間に発表された作品は330作。「F先生の漫画を通らずに大人になった人はいない。」とまで言われるほどです。
最初の原画コーナーから吾郎と外山さんのテンションはハイに。「パーマン」の主題歌を口ずさんで盛り上がります。
「パーマンって1967年って結構前だったんだ。アニメ化されたのが80年代ってこと?」という吾郎に「何度かTV化されているんです。」と説明するむぎわら先生。
(因みに私は第1期パーマン世代です…。)
さらにドラえもんのコーナーへ。「ドラえもんの感じが…」(外山さん)「初期のだと違いますよね。」(むぎわら先生)と話している横で吾郎は身を乗り出して原画に見入っています。「懐かしいなあ、と思って。」
むぎわら先生がF先生のアシスタントになったのは「ドラえもん」連載開始から19年目の1988年。最初は背景などを担当していたそうです。ここで原画を見ながら「ドラえもん」の制作方法についてむぎわら先生が説明してくださいました。
「ドラえもんに縦線が入っていますが、これは定規で1本1本手描きしていくんです。そしてドラえもんはコマによって大きくなったり小さくなったりするので、その大きさに合わせて縦線を引かなきゃいけない。」大変細かい作業ですね。
「ドラえもんってなんで青いんだろうね。」(吾郎)
「なんか青くなっちゃった、っていいますよね。ネズミに噛まれて…。」(外山さん)
「詳しいね。耳が無くなっちゃったんでしょ。」(吾郎)
「で、『ひぇーっ』と言って青くなっちゃった。」(外山さん)「詳しいね。」(吾郎)
「だって大好きですもん、ドラえもん。」
外山さんはご機嫌で展示品を見ています。
「こういう着色は、僕らが小学校で使っていた絵の具で全部…。水彩絵の具を使ってます。」とむぎわら先生。「絵の具って珍しいんですか?」と吾郎が訊くと
「そうですね。今だったらだいたいパソコンで、デジタル作業で。」
さらに進むとガラスケースの中にF先生の絵の道具が展示してありました。
「これ、普通に僕らが使っていた絵の具とほぼ同じものですね。」と吾郎が言うとおり、絵の具は「コープカラー」という普通のもの。
「あの水色がドラえもんの体の色です。のび太とか人物の肌色は朱色を薄く塗って。」(むぎわら先生)
「色も今ほどなかったわけじゃない?今なら機械でいくらでも作れるけど。これだけの水彩絵の具だよ。」吾郎はそこにも感動したようです。

課題図書:「ドラえもん物語 -藤子・F・不二雄先生の背中- 」 むぎわらしんたろう

最後の弟子が綴る藤子・F・不二雄先生との知られざるエピソード、そしてドラえもんのヒミツも書かれている本です。
まずむぎわらさんがF先生のアシスタントになったきっかけの部分を、ミュージアムの中で朗読。むぎわらさん役が吾郎、F先生役はむぎわら先生です。
「あれ、F先生役ですか?」(吾郎)「はい、頼まれて断れなかったです。」(むぎわら先生)
子供の頃からドラえもんが大好きで「漫画家になる!」と決意したむぎわら少年。19歳の時「秋風の贈り物」が藤子不二雄賞の佳作に選ばれ、1987年12月の授賞式で憧れのF先生との対面を果たしました。そしてその数日後…
「藤子先生がコンビを解消する」というニュースに動揺するむぎわら青年。藤子先生を目標に頑張ってきたのに…。専門学校の課題にも身が入りません。そこへ1本の電話が。

「コロコロ編集長平山です。きみ、藤本先生のアシスタントをやってみないか!!」
「え?!ちょっと待ってください、藤本先生って藤子・F・不二雄先生のことですか?」
「そうだ!!ドラえもんの藤子F先生だ!!」
「し、しかし通っている専門学校があと1年残っていて…。」
実戦のほうが力になる!!とりあえず藤子プロへ面接に行こう!!
コンビを解消し独立した藤子F先生は、新事務所「藤子プロ」を設立したばかりでした。
(あっという間に連れてこられちゃったけど…。いったいどうしたらいいんだ…。)
(やっぱり卒業してからもう一度お話を…。)
そこへ現れたのは
「お待たせしました。」
「ふ、藤本先生!!」
「かれがこの間、藤子賞を受賞したむぎわらくんです。」
「わざわざありがとうございます。」「ごらんのとおり、この会社、藤子プロはできたばかりで…、社員もいないのです。」
「は、はい…。」
「そんな中で今月、学年誌のドラえもんを10ページ描かなくてはなりません。」
ここでF先生はニッコリ笑って
「手伝っていただけますか?」
「は、はい!!がんばります!!」
この一言で運命が決まった…。
(神様のような人から「手伝って」と言われたら…断れるわけないじゃないか…。)
その日のうちに専門学校に退学届を出しました。
1988年4月、藤子プロ入社!
「よし、先生のために!!今日から一生懸命働くぞ!!」


「これ、初心者にしてはセリフ量が多かったんじゃないですか?」と吾郎が言うとむぎわら先生は思わず苦笑いしました。
「『そんな中で今月、学年誌にドラえもんを10ページ描かなくてはなりません』とか。」
「でもまさにこの通り言われたんですよ。鮮明に覚えてるんですよ。」(むぎわら先生)
「初めて先生が扉を開けて入ってきた姿とか、はっきり覚えてますか?」(吾郎)
「はい。黒のタートルネックで。その通りのものを描かせていただきました。」(むぎわら先生)
この漫画には当時の藤子プロの間取りも詳しく描かれています。
「本当にマンションの一室で。先生の聴く大音量の音楽が僕らの机にまで届いてた。」(むぎわら先生)
「時に落語も。」(外山さん)
「いきなり落語に変わったりするんですよ。落語を聞きながらよく漫画を描けるな、と(笑)。」(むぎわら先生)
「ドラえもん物語」にも登場するF先生の机もミュージアムには展示されています。机の脇には棚が置かれ、その上にはWラジカセ、棚の中にはカセットテープがずらり。「ドラえもん」を執筆した机にはF先生の遊び心が現れています。スタンドの笠には小さなのび太がぶら下がっています。「仕事の合間に自分で描いてくっつけていました。」とむぎわら先生。机の上には恐竜のフィギュアがたくさん置かれていて、F先生の恐竜好きが分かります。さらには本物の恐竜の骨も!
机の上には昆虫図鑑もあります。「見ながら描いていらっしゃったんですか?」(外山さん)
「そうですね。『ウソのものは描いて欲しくない』という気持ちがあったので。トンボ一つ描くとしても図鑑で見て…。」(むぎわら先生)
「ファンタジーの世界だからこそリアリティが大切なんでしょうね。」(吾郎)
机の脇にはゴミ箱もあって、中には紙が捨ててあります。
「ゴミ箱の中まで再現しようと言うことで。先生が失敗した原稿とか惜しげもなく破り捨てていたのでこっそりと持ち帰って喜んでましたけど。僕にとってはお宝なので。」とむぎわら先生は楽しそうに話しましたが、
「シュレッダーとか使ってなかったんですね。」と吾郎。確かに今ならシュレッダーにかけてしまうかも知れませんね。

F先生の机の上は吹き抜けになっていて、その壁4面にはぎっしりと蔵書が収められています。F先生は漫画を描くに当たって細かいことまで調べる大変な読書家だったそうです。
また、毎年12月1日にはスタッフからF先生にお誕生日プレゼントを贈るのが恒例で、ある年むぎわら先生がくす玉を作ったのですが、ひもを引いてもくす玉が割れず、F先生の顔を直撃したことがありました。実際のその瞬間の写真を見せていただいたのですが
「痛かったはずですよ。」と吾郎に指摘されむぎわら先生は恐縮していました。

F先生の作品を自由に読めるまんがコーナーへ移動して、むぎわら先生がアシスタントとしてどんなお仕事をしていたのかを伺いました。
「むぎわら先生が初めてお描きになったコマって覚えてますか?」(吾郎)
するとむぎわら先生は子供用のベンチの下から大全集をすっと取り出してページをめくりました。「入り込みミラー」(1988年)という作品で初めて背景を担当したのです。
「これは入社してどれ位で?」(外山さん)
「その月に。」(むぎわら先生)
「教えてくれる先輩とかいるんですか?」(吾郎)
「そんなに細かくは教えてもらえなかったです。やっぱり過去に描いた作品を見ながら…同じような背景を探して。」(むぎわら先生)
むぎわら先生が自分の仕事用に作った背景専用のスクラップブックを見せていただきました。
例えば野比家の塀のブロックは6段とか、のび太の部屋は何となく2階で押入れが右側にあってとか。その他しずかちゃんの部屋や剛田雑貨店など、主要な場面ごとに分類されスクラップされています。これを見ると背景が正確に描けるというわけです。
「時代によって変わった物とかあるんですか?」(外山さん)
「そうですね。プッシュホンの電話になったりとか。」(むぎわら先生)
「どういうタイミングで変えるんですか?」(外山さん)
「自分の家の電話が変わったという事で。」(むぎわら先生)
「じゃあ、F先生のご自宅の電話が変わると野比家の電話も変わる。」(吾郎)
「そうですね。その辺のことは先生も時代とともに気にし出して。」(むぎわら先生)
「ないとおかしい、ってなっちゃうもんね。」(吾郎)
「吾郎さん、好きな道具って何ですか?」外山さんが訊きました。
「道具?なんだろうね…やっぱりタイムマシンが一番高そうじゃん。」吾郎の答えにむぎわら先生もスタッフも笑いました。
「大人の意見ですね。」と外山さんがフォロー。
「シンプルにタケコプターもいいかも。あの高さからって見られないじゃない?飛行機の高さからとかになっちゃうから。」(吾郎)
「結構怖いと思いますよ。」と今度はむぎわら先生が大人の意見を述べました。
「タケコプターはまあまあ故障しますしね。」吾郎も笑いました。

映画の原作「大長編ドラえもん」はコロコロコミックで連載。現在ミュージアムでは映画原作の原画展も開かれているそうです。
(「ドラえもんxコロコロコミック40周年展」は2018年1月15日まで開催)
そこで3人は「大長編ドラえもん」の原画も拝見。1980年連載開始の第1作「のび太の恐竜」の原画を吾郎は懐かしそうに見ました。
「きちゃだめ!!ぼくらがなんのためにここまでつれてきたと思うんだ。」とセリフを読み「感動するところだよね。」と悦に入る吾郎。それを見た外山さんは
「ドラえもんを演ったら吾郎さんはのび太くんですね。」と言いました。吾郎はちょっと天井を仰いで
「スネ夫でもないか…。僕はずっとそう思ってたよ。ジャイアンにはなれないし、出木杉くんでもない。自分では何にもできないし。」
「のび太くん…」外山さんがしみじみと言いました。
「褒められてるのかな…」(吾郎)「褒めてますよ」(外山さん)「しずかちゃんと結婚できる」(吾郎)「そうそう」(外山さん)
二人は淡々と話しながら原画を見ていましたが、突然吾郎が
「出たー!」と声を上げました。
「のび太の大魔境。これ映画を見に行きましたよ、僕。」
大長編3作目の「のび太の大魔境」は1981年連載開始。アフリカの奥地で独自の進化を遂げた犬の王国でのび太たちが大冒険を繰り広げる物語です。
「最後ジャイアンが優しく…」(吾郎)「そのシーンがそこに」(むぎわら先生)
ジャイアンが涙ぐむコマには吾郎の思い入れがあるようです。すると
「ここに、僕が中学生の時にポスター画コンクールに応募して入選した作品もあるんです。」とむぎわら先生が遠慮がちに言いました。
「ほんとだ、ここに書いてある…13歳。めちゃくちゃうまいじゃないですか!これ13歳が描いたの?」(吾郎)
「ありがとうございます」(むぎわら先生)
「それは描くよね。ドラえもんを受け継いで。」(吾郎)「なるべくしてなったんですよね。」(外山さん)
「ドラえもんの後継者として、むぎわら先生…。認めます!」(吾郎)
「ありがとうございます」むぎわら先生は深々とお辞儀をしました。

「ねじまき都市(シティー)冒険記」の連載途中でF先生は亡くなったのですが、どうして作品は完成できたのか?その秘密は次回で。

【後編・11/10】
今回はドラえもんの秘密とF先生の最期について伺います。

むぎわら先生は「のび太の日本誕生」(1988年)にアシスタントとして初参加、背景などを担当しました。
「アシスタントの方が自由に描いていい部分は?」(吾郎)
「キャラクターの洋服とかはこちらにお任せでやってました。」とむぎわら先生。ただし
「あんまり細かい服に決めちゃうと、締め切り間際になって『誰が決めたんだ!』って事になっちゃいますけどね(笑)」
1994年、むぎわら先生はチーフアシスタントに。任される仕事も増えたのですが、1995年の「のび太の銀河超特急」では…
「『宇宙船を任せます』と先生に言われてこれを描いたんですけれども、先生本人が気に入らなかったみたいで。」
「自由に描いていいって言ったのに。」(吾郎)
「はい。ご自分で描いてこられて、結局これになりました。」(むぎわら先生)
「全然違うじゃないですか。」(外山さん)
連載時にはむぎわら先生の絵が使われましたが、単行本になる時にはF先生の絵になったそうです。
「自分の方がいいと思いませんか?」(吾郎)
「いや全然F先生の方が。」そう言いながらむぎわら先生が俯いたので、スタッフからも笑い声が上がりました。
「絵に対しては厳しかったですか?」(吾郎)
「自分の好きなものに対しては。恐竜とかはディテールにすごくこだわってほしかったらしくて。僕が下書きを描いていたら『その辺からは手は生えていない』と指摘を受けて。『そこに関節があるはずだ』と。」(むぎわら先生)
「恐竜だけ見ると、ドラえもんの世界観の割には…というと失礼だけど、ここだけ劇画っぽくない?」(吾郎)「リアルですね。」(外山さん)
「リアルすぎない?それがこだわりだったのかな。」(吾郎)

先週に引き続き今週も
課題図書 : 「ドラえもん物語 -藤子・F・不二雄先生の背中-」 むぎわらしんたろう

1996年、むぎわら先生の元に届いたF先生突然の訃報。原作者が亡くなったにもかかわらず「のび太のねじ巻き都市冒険記」はなぜ完結することができたのか?
キャラクターまではF先生がペン入れをし、その他の背景は先生の下絵を基にアシスタントが描く、というのが普段のスタイルでした。しかし晩年のF先生は体調を崩し、仕事場ではなく自宅で執筆していました。
1996年に連載が始まった「のび太のねじ巻き都市冒険記」でF先生から届いたのは表紙を含む冒頭のカラーページ4枚。しかし後は下絵だけだったのです。そして
「ペンも入れて下さい」
というのがF先生の指示でした。
ここで今回は特別に、むぎわら先生がF先生から受け取った原稿の下絵を見せていただきました。コマの中の大まかな絵と余白に細かく書かれた指示を基にむぎわら先生は漫画を完成させていきました。ドラえもんやその他のキャラクターも、いつもならF先生がペンを入れていたのですが、今回はむぎわら先生が描いたのです。
「大変なプレッシャーじゃないですか?訳が違うよね、キャラクターを描けと言われると。」吾郎がそう言うとむぎわら先生は唇をキリッと結んで頷きました。
「ちゃんと描いて欲しいところは密に入れてあるんですが、よく出てくるところは結構簡単な下絵だけ。」(むぎわら先生)
「だってほら、このジャングルの中で佇む男性なんて…。」(吾郎)
人らしき形と「シーン」という擬音しか描いてありません。
「まったくこの辺は、人がなんとなくいる、って感じだけですもんね。」(外山さん)それをむぎわら先生は、うっそうとしたジャングルの中で男性が佇む絵に仕上げました。
「今までやってきたんだからこれだけで描けるでしょう、と…。これ実際にペンを入れてみて先生の反応はどうでしたか?」(吾郎)
「描き終わってF先生にコピーを渡すんですけど、普段原稿を描いて見せてもただ『ありがとうございます』という返事しか返ってこなかったんですけど、そのコピーに”今後のドラえもんをもっとこうして欲しい”という事がいっぱい書かれていて。」(むぎわら先生)
「普段口数の少ないF先生がその思いを…。それがこちらですね。」(吾郎)
F先生から届いたのはびっしりと指摘の入った原稿、そしてスタッフに宛てた手紙でした。ここで吾郎がその手紙を朗読。

藤子プロスタッフの皆さんへ
毎日ごくろうさまです。今回は特に大変だったと思います。深く感謝しております。
感謝しながらこんなことを言うのは申し訳ないのですが、欲が出たと言いますか。この機会に徹底的に僕の理想像を聞いて欲しいと思うのです。
言いたいことはコピーへの書き込みを見れば解って貰えるでしょう。
欠点ばかり指摘した結果になりましたが、今後少しづつでも理想像に近づいていけばと思います。
総集編。単行本化。二度の機会にできる範囲で改訂して下さい。
漫画家がベテランになると絵やアイディア創りのコツが解ってきます。
この時が一番の危機なのです。ついつい楽に仕事しようとする。こうなるとあっという間にマンネリの坂を転げ落ちることになります。
自戒の意味も込めて言うのですが、漫画は一作一作、初心にかえって苦しんだり悩んだりしながら描くものです。お互いガンバりましょう。
「藤子プロ作品は藤子本人が書かなくなってからグッと質が上がった」と言われたら嬉しいのですが。
藤子・F・不二雄

むぎわら先生は吾郎の朗読を一言一言噛みしめるように聴いていました。これはF先生の遺言ですよね。
「きっと今までこういうことはスタッフの皆さんに言葉では伝えていなかったんでしょうね。」と吾郎も言いました。でもむぎわら先生は
「なぜこんなこと言うんだろう。」と思ったそうです。
「託されるのは嬉しいけど、ずっとF先生に描いていてもらいたいから、なんでこんなこと言うの?って気持ちに…。」吾郎がそう言うとむぎわら先生は深く頷きました。
「でも嬉しい言葉ですよね。喝を入れてくれる…。」吾郎が優しく言うと
「OBの描いてきたドラえもんの世界観をそのままなぞるように背景を描いてきたので、先生は『のび太はだらしない性格なのでもっとおもちゃが散らばってて欲しい』と。そういったことをすべてこの紙に書き込んできたんです。」とむぎわら先生。

先生からの指摘が書き込まれた実際の原稿のコピーも見せていただきました。
原稿の余白には描写の指摘がびっしり。中には「座布団は2枚あります」という書き込みも。
「細かいっちゃ細かいんだけど、大切なんだろうね。こういう細部ってストーリーを追ってる時は感じるだけじゃん。いちいち見ないじゃん、あ、ここにアイスが落っこってる、なんて。でも、何となく入ってくる情報って大切なんだろうね。」(吾郎)
「字で書かなくてもキャラクターの性格が表せる、ということを言いたかったのだと思います。」(むぎわら先生)
F先生の指摘を踏まえて第2回もむぎわら先生がペン入れをしました。
「で、その時の反応はどうだったんですか?先生の。」(吾郎)
「それ以降は『申し分ない』と…許してくれた感じでした。」(むぎわら先生)
「本当の意味で認められた…。」(吾郎)
「F先生は『これだけ描けるのならもっといろいろまかせればよかったよ』って。1回目に指摘を受けたことを思い出しながら2回目を描いてそれを先生のところに持って行った後の言葉ですよね、これ。」(外山さん)
「はい。」(むぎわら先生)
「でもそれが、F先生から頂いた最後の言葉になったわけですね。」(吾郎)
連載第2回が完成した直後の1996年9月23日、藤子・F・不二雄先生は62歳で亡くなったのです。
「のび太のねじ巻き都市冒険記」は未完で終わってしまう、誰もがそう思ったのですが…。
ここで課題図書からの朗読。
先生のご葬儀から1週間後、先生のお嬢さんから藤子プロへ電話がかかってきました。

「父の机の上になにか描いてある原稿があるんです…。まだ誰も手をつけていないので、ちょっと見に来ていただけますか?」


むぎわら先生はF先生のご自宅に駆けつけました。F先生は仕事机で意識が無くなり帰らぬ人になったのです。そしてその机の上には原稿が…。

「私たちにはよくわからないから、どうぞ手に取って見てあげて。」
「こ、これ、ボクわかります!!『ねじ巻き都市冒険記』第3回目の下絵ラフです!!こ、これ、最初のページだけでなく…、第3回目の下絵ラフが全ページ入っています!!」
先生は意識が無くなる直前まで筆を握り、この原稿を描き上げたのです!!
その迫力に鳥肌が立ちました。


「…ほんとドラマみたいな話だね。」(吾郎)
「いやあ、これを見た時は?」(外山さん)
「本当に鳥肌が立ちましたね。」(むぎわら先生)
「机の上に一番上のページが見えていて、お嬢さんもご家族も机の上に手を触れていない状態だったんです。それで僕が行って『どうぞ触って下さい』と言われて原稿を出した時に全ページ下絵が入っていまして。」(むぎわら先生)
「すごい…。」(外山さん)
「びっくりしましたけど。」(むぎわら先生)
「で、先生の机に遺されていた第3話の原稿とアイディアノートを見せて頂けるということで。」(外山さん)
「それもあるの?凄くない?全国放送じゃない?今夜」(吾郎←そう、全国放送にしなくちゃもったいない!)

そしてF先生の最後の原稿とアイディアノートを、むぎわら先生が完成させた「のび太のねじ巻き都市冒険記」と付き合わせながら見せて頂きました。が…
「全然解らないよ、これ。」と吾郎が言うのも無理はありません。原稿にはうっすらとした線で大まかな形が描いてあるだけです。
「これで(F先生が)何をお描きになりたかったのか解るんですか?」(外山さん)
「そうですね、だいたい。」とむぎわら先生が冷静に言ったので吾郎も外山さんもビックリ。
「字は何となく…」(吾郎)「字はうっすらと…」(外山さん)「字は何となく解るので、こちらのアイディアノートと照らし合わせながら作っていきました。」(むぎわら先生)
「えー?!こちらの方がもっと解らないよ、普通の人は。」と吾郎はさらに驚きました。
原稿にうっすらと描かれた形と似たものがあるかアイディアノートの中を探してロケットだと判断し、むぎわら先生はロケットを描き上げました。
「ここに『すぐに出』って書いてある。こっちには『本物』って…。」(吾郎)これはのび太達の吹き出しのセリフでした。
「大体話の流れで…」(むぎわら先生)「すごーい!」(外山さん)
「それから、ここはスモールランプで照らしているんです。」(むぎわら先生)「どうして解るんですか?」(外山さん)「ここに『ピカ』って。」
むぎわら先生に説明されてよく見ると原稿に辛うじて『ピカ』らしき字が見えます。
「感動的ですね。F先生が伝えようとしたことが全部解るって凄い。」(外山さん)
「これ番組でちゃんと伝えなきゃだめだよ。」(吾郎)
でも中にはむぎわら先生が作った部分もあるとか。
「F先生も見せるために描いてないよね。『これを解読しろよ、むぎわらくん』とは思ってないよね。」吾郎がちょっと先生っぽい口調で言ったのでむぎわら先生も笑いました。
「心に寄り添っていくことって事ですよね、先生の。これ見ただけじゃ解らないもん。視覚的なものだけじゃないよね。」と吾郎はしみじみと言いましたが、突然
「分かった!何で分かったか。」と大声を出しました。
「何ですか急に。」(外山さん)
「あそこだ、あのゴミ箱だ!」と吾郎はF先生の机の脇のゴミ箱を指さしました。
「いつもこれくらいの状態の原稿を持って帰ってたんだ!」(だからF先生の原稿が解読できた、という意味ですね。)
「金田一さんみたいになってますが大丈夫ですか?(笑)」(外山さん)
「いえいえ…いっぱい拾いましたんで。」とむぎわら先生は苦笑していました。

AD山田くんの消しゴムはんこはF先生とむぎわら先生が微笑んで並んでいるデザイン。とても温かみがありました。
今回はみんなが知っているドラえもんの知られざるエピソードやF先生のお人柄を知ることができて良かったです。
むぎわら先生ありがとうございました。


拍手ありがとうございます

松本零士漫画の極意 (「ゴロウ・デラックス」 10/27)

伝説の漫画家シリーズ第5弾松本零士先生の後編です。

まず「銀河鉄道999」第1話を吾郎、外山さん、AD山田くんとで完全朗読しました。
物語は2212年の地球が舞台。母親を機械伯爵に殺された鉄郎が、謎の美女メーテルと共に銀河鉄道999に乗り、母の遺言通り機械の体をただでくれる惑星へと旅立つまでが描かれます。
鉄郎の母を殺された悲しみ、機械伯爵に復讐する怒り、旅立ちへの希望。吾郎の「おかあさん」の叫びが真に迫っていて思わず涙が出ました。それから今回は山田くんの機械伯爵役の朗読も良かったです。
(因みに、鉄郎は機械伯爵に復讐してから999に乗るんですね。私は思い違いしていました。)

今回は課題図書を基に、松本先生の漫画の極意をたっぷり伺います。

課題図書 : 「零次元マンガの描き方 松本零士」 松本零士

その1. 【SFにおけるリアリティ篇】
松本先生の漫画では銀河鉄道999や宇宙戦艦ヤマトなど、宇宙を舞台に架空の乗り物が登場します。読者にリアリティを感じてもらうためには、架空の世界だからこそ徹底的な取材と設定作りが大切なのだそうです。
「宇宙戦艦ヤマトだと、例えばメカニックな部分ではどういった取材をするんですか?」(吾郎)
「私が本郷三丁目の山越館に下宿していた時、隣の部屋にいたのが猿渡元海軍中佐…戦艦武蔵を護衛していた重巡洋艦最上の、副艦長だったんですよ。で私の部屋にやってきてカーテンにピンで留めてあるものを見て『船好きなのか?』『好きですよ』と。で私が描いているものも見せたら『よし』と言って戦艦大和の設計図をドスンと1箱くれたんです。」(松本先生)
その方は終戦の時に取り上げられる前に持って帰ったのだそうで(そんな国家機密、普通は持ち出せませんよね)、
「私は戦艦大和の構造を全部知ってたんです。だから宇宙戦艦を依頼された時に、全部図面で知っててああいう設定ができた。」(松本先生)
外から見える第一艦橋、第二艦橋だけでなく、船底にある第三艦橋射撃策定盤室まで描くことができたのだとか。
「SFだと完全にイマジネーションの世界だけでいいのかなと思っちゃうけど、やっぱりそういうリアリティというものも必要なんですね。」(吾郎)
「必要です、リアリティというのは。一番大切なのは『何のためにこれを描くのか』ということ。次に大切なのは『いつの時代の何を描くのか』を自分で選定し歴史をキチンと知った上でその物体を描くこと。」(松本先生)
「何でもかんでもイメージで描いてはいけないんですね。」(吾郎)

極意その2.【絵のディデール篇】
「999」や「ヤマト」など松本作品には非常に細かく描き込まれた計器類がしばしば登場し独特の雰囲気を作っています。これらは海外では「レイジメーター」と呼ばれ注目を集めているのだそうです。
「先生といえばレイジメーターですね。」と外山さんが言うと先生は腕時計を手に取り「私はこういう時計が好きでしてね」と切り出しました。
「それ、飛行機の時計ですよね?」と吾郎が訊くと
「航空時計ですよね。高度や速度が分かる…。その前から飛行機のメーターとかが好きだった。」と先生。目盛が付いたものが好きだったそうです。
「コックピットのメーターとか何か憧れがある。僕も好きです。」と吾郎も目を輝かせました。自分の好きな物(時計など)を取り入れて描写に生かすのが松本先生の極意なのです。
さらに、とても細かく描き込まれた未来の街並も松本作品の特徴の一つですが、それにはこんなエピソードも。
「僕はビルをいっぱい描いてる。こういうビルが憧れだったんです。で東京に来てビルを見上げた時に『俺は未来を描いてたんだ』と思って喜んでたんですよ。そしたら(高層ビルの)設計者の一人に2、3年前に会いましてね、『俺はあんたの漫画を小学生の時に見て、それに憧れてあのビルを建てた。』と。そういう人が現れたんですよ。なんか知らないけど相互に関係があるんですね。私の絵を見て作ったビルだと言うから似たものもいっぱいあるんです。」(松本先生)
吾郎はビルの写真集(?)と見比べて「確かに東京の高層ビルですよね」と納得しました。
「それがこうなるだろうといろいろ考えて、上が出っ張っていたり…」(松本先生)
「ええ、こういうのありますよね。」(外山さん)
非常に興味深いお話ですが、この時私の目はソファに座った吾郎の膝にロックオン。実はメーテルの衣装を着たままだったのでスカートからおみ足が大胆に見えていたのです。眼福…。

極意その3.【美女篇】
ここで、課題図書から先生の美女に対するこだわりが書かれた部分を吾郎が朗読。

子供の頃から絶世の美女を描きたいと思っていた。
それも醜男が美女を好きになったら、その美女も男の気持ちに応えてくれるような物語のヒロインとして。
私が理想とする女性は美しくて強い女性だ。
傷ついた者を癒すときには天使のように優しく、大切な人を守ろうとするときには戦士のように雄々しい。
そんな両面を持った女性が好きだ。


「みんな好きですよね。」(吾郎)「そうですよね。」(外山さん)
「私もたくさん映画を見たり小説を読んだり漫画を見たりしたからその影響もあるんですが、そういうのが好きなんですよ、強いのが。」(松本先生)
実はメーテルには原型があります。それは松本先生の1968年の作品「セクサロイド」に登場する、ユキという人間の性機能を持ったロボットです。先生は元々少女漫画家でしたが、この「セクサロイド」から青年漫画誌に連載を持つようになりました。
なぜ、突然セクシーな美女を描くようになったのでしょうか?
「実は少女雑誌から男の漫画家が全部クビになりましてね。少年誌は重鎮が押さえているから出番がない。男の漫画家の仕事がなくなった時に青年誌が生まれた。で私に青年誌から依頼が来て表紙から全部描いた、「セクサロイド」も。それが私を助けてくれた。」(松本先生)
「メーテルの前ですもんね。」(吾郎)「こういう顔を描きたかった。」(松本先生)
「ほんとうにキレイですよね。僕こういう女性がタイプですもん、先生が描く女性。」(吾郎)
確かに男性の理想をすべて盛り込んだ感じの女性ですよね。ハードルが高すぎる気もしますが。

「女性の髪を長くしたのはヌードの時に局部を隠すため。表現上それはとても大事な事ですから。」(松本先生)
「メーテルなんかちょっとスッポンポンになっちゃう時がありますもんね(笑)。温泉にも入ってましたもんね。」(吾郎)
「そう。長い髪の毛だから隠れるんですね。衣装と同じなんです。」(松本先生)
メーテルの髪をそういう風に見たことがなかったので新鮮な驚きでした。
そこで外山さんから嬉しいお知らせが。
「今日はですね、先生が吾郎さんの前で美女を描いてくださるという…。」
「ほんとですか?!」吾郎のテンションも一気に上がります。

そして松本先生がメーテルの描き方を実演してくださいました。
1本の油性ペンで額から鼻、口元、目と睫毛、髪の毛、首元のポンポン、帽子の順で描いていきます。目と睫毛はペンを細かく動かして奥行を出し、長い髪は一気に描き、ポンポンは動物の毛の感じを出すためペンを押しつけながら太い線で、と描き分けていくと、メーテルの横顔が出来上がりました。左向きの顔でも右向きの顔でもどちらでも描けるそうです。描きあげたメーテルに日付とサインを入れながら先生はおっしゃいました。
「松本零士というのは終わりなき士(さむらい)という意味。零、マルは永遠に0でしょ。止まらない。だから終わりなき士なんです。」
「そういう意味で零士にしたんですか?」(外山さん)
「そうです。でもペンネームにすると言ったら、親父が『親がつけてやった名前が一番いい』と言って…もう1枚ないですか?もう1枚描きます。」先生は話しながらも決して手は止めません。
描き上がった右向きメーテルの色紙を吾郎は自分の顔の横にもってきました。自分もメーテルの黒い服を着ている事に気がついたようで
「メーテル忘れてた。」と一言。
その間に先生は左向きのメーテルも描いてくださいました。並べると2人のメーテルが向かい合っているようでとても素敵でした。

そこへ、
「間もなく発車時刻が近づいて参りました。」
と言いながら、999の車掌さんのコスプレをしたAD山田くんが入ってきました。ちょっと緊張の面持ちで披露した消しゴムはんこは
上下左右を短い線路に囲まれた鉄郎。黒い紙に金や銀のインクで押してあって、今までにない雰囲気の消しゴムはんこに仕上がりました。これには松本先生も感心しておられました。

戦艦大和の設計図をすべて読み、アニメ制作の装置を手作りするなど、まるでエンジニアのような松本先生。松本ワールドの秘密はここにもあるように思いました。


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5時に夢中!に大興奮♪ (10/24)

それは突然のお知らせでした。

昨日私は表参道のスパイラルで開かれている日本財団さんのアート展「Museum of Together」(~31日)を見に行きました。一番のお目当ては慎吾の絵でしたが、他にも惹きつけられる作品がたくさんあって、とても楽しかったです。
作品を見終わって、併設のカフェでランチでも・・・と思いながらtwitterを開くと思いがけない情報が飛び込んできました。

「この後、東京MXテレビの「5時に夢中!」に稲垣吾郎が緊急生出演!」

しかも情報が解禁されたのが午後1時。出演の4時間前に発表なんていくら何でも急すぎる!もちろん録画予約もしていません。私はすぐに家に帰ることにしました。ランチは抜きです(トホホ)。何とか5時までに帰れたので、録画しながらリアルタイムで見られました。

MCはふかわりょうさん、火曜日のコメンテーターはゴロデラでおなじみの岩下尚史さんで、吾郎は番組の最初から登場。とてもリラックスしていました。うっすらとおひげを生やし、眼鏡はかけていません(眼鏡なしはポイント高いですね)。岩下さんと冗談を言い合ったり、ふかわさんから「ここ(TOKYO MX)地図に載ってました?」と聞かれて「家から近いので気楽な気分で来ました。」と答えたり、更には奥様のお悩みに生電話で答える、という昔のみのもんたさんのような企画にも挑戦したりとバラエティに富んだ内容でした。
「新しい地図」の活動も話題になり、映画「クソ野郎と美しき世界」について今スタッフと打ち合わせをしている事や、72時間ホンネテレビではずっと起きてはいられないと思うと言ってふかわさん達の笑いを誘っていました。
映画の監督やスタッフがまだ決まっていない、と聞くと岩下さんが「私も作家なんだけど脚本を書かせてくれない?」と売り込む一幕も。これからがとても楽しみになりました。本当に1時間があっという間でした。

しかし驚いたのは一夜明けた今朝です。各局のWSがMXに入るところと出るところを取材して、その映像を流したのです。
吾郎は帰りの車に乗り込むとき「頑張りますんでよろしくお願いします」と取材陣に挨拶しました。とても明るい表情でした。
東京のローカル局の番組に出演したことがこんなに話題になるとは!生番組に出る事はそれだけインパクトがあるんですね。でも他局の入り出を取材するくらいなら、自局の番組に出演させたらどうでしょうか。きっと反響がありますよ。
CM業界の皆さんもいかがですか?稲垣吾郎を使ってみませんか?

因みに私がスパイラルを出た後慎吾が来場したそうで、会えた方はラッキーでしたね。吾郎も慎吾も活発に動いているのがうれしいです。


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零から999へ (「ゴロウ・デラックス」 10/20)

夜のロケです。そしていきなり
「普通逆ですよね。」と顔を見合わせる吾郎と外山さん。
何と吾郎がメーテル、外山さんが鉄郎のコスプレです!
「でもよく似合ってますよ。」(外山さん)
「延々とこういう事やってるからね…。でも久々でこういう女装嬉しいわ♡」(吾郎)
ということで今回は伝説の漫画家シリーズ第5弾、松本零士さんです。

課題図書 : 「零次元マンガの描き方 松本零士」 松本零士

松本零士さんといえば、「銀河鉄道999」「キャプテンハーロック」「宇宙戦艦ヤマト」などの名作で知られる日本SF漫画界の大巨匠。2012年にはフランス芸術文化勲章を受賞し、その作品はフランス語をはじめ6か国語に翻訳されて世界中で高く評価されています。

吾郎と外山さんはは松本先生のご自宅兼仕事場の「零時社」に伺いました。ここは松本作品にも通じるこだわりのものが沢山詰まった場所でもあります。
吾郎と外山さんが門を入るとすぐに鉄道の大きな車輪が置かれていました。
「これは999じゃないですか?」と早速テンションが上がる吾郎。そこへ
「こんにちは。よろしくお願いします。」と松本零士先生が声をかけて出迎えて下さいました。
「メーテルです」「鉄郎です」と吾郎と外山さんは挨拶しましたが先生は特にそれには触れず真っすぐ車輪を指さして
「これはですね、私は蒸気機関車に乗って上京したんです。これはデゴイチ、D51の主輪です。」(松本先生)
「じゃ、上京の思い出の」(吾郎)
「そうです、これにピストンが付く。」(松本先生)
「こんな大きいんですね。」(外山さん)見た感じ外山さんの身長より大きいです。
「そう、日本の蒸気機関車の中では一番大きい車輪。この場所にしか置けない、重すぎて。」(松本先生)
さらに先生は二人に見せたいものがあると言って、先に立って歩き出しました。それに続きながら吾郎は
「先生は僕たちのメーテルと鉄郎に関しては何も触れて頂けない…」と外山さんに言いました。
「先生、メーテルなんですけど」と外山さんが訴えましたが先生は振り向きもせず「そうですね」の一言で片づけてしまいました。それよりも見せたいものがあるようです。
3人がやってきたのは車庫。電動シャッターを開けると見事なクラシック・カーが現れました。松本先生のこだわりの愛車、1960年代のモーガン。しかも輸入第1号とか。ナンバーはもちろん「999」です。
「(輸入)第1号が先生として、2号、3号は?」(吾郎)
「2号は石原慎太郎さんが持っていらしたし…。これで走り回っておりました。」(松本先生)日本に数台しかない貴重な車を見せて頂いて吾郎も外山さんも感激です。

そしていよいよご自宅の中へお邪魔するのですがその玄関ドアにもこだわりが。ドアにいくつかの丸窓が縦に付いているのですが、よく見ると映画フィルムのリールなのです。これは松本先生自身の設計だそうで「かわいい」と吾郎。
そのドアを開けて中に入るとすぐ、なぜか飛行機の椅子が置いてあります。「(飛行機が)禁煙になったので(椅子が)取り換えになって叩き売られた。」(松本先生)
「なるほど、前のは灰皿が付いてますもんね。」(吾郎)「広いですね。」(外山さん)
これはビジネスクラスのシートで、編集者が待ち時間にくつろげるよう玄関に置いてあるのだそうです。吾郎と外山さんは座ってみました。
「座り心地いいですね。」(吾郎)「ひろーい♪」(外山さん)と二人は喜びましたが、次の瞬間吾郎は隣のサイドテーブルに目を止めました。
「こちらに旧日本陸軍と海軍の戦闘機が。」
「そうですね、私の父親が乗っていたものですから。陸軍の戦闘機隊です。」(松本先生)
「じゃあこれは隼と飛燕ですね。」と吾郎はすかさず言い、松本先生とごく自然に旧日本軍の戦闘機の話をしていました(話が早すぎて私には何のことかわかりませんでしたが。)ついには
「一式陸攻、僕もプラモデルで作りましたよ!」と立ち上がり、カメラに背を向けて戦闘機模型に見入ってしまいました。そこへ入った字幕が
ロケを忘れた43歳”(←やっぱり言われちゃった)
「そしてなぜかシカも」飛行機模型の隣にあるシカのはく製に外山さんが気付きました。
「これはキリンカモシカ。アフリカのケニアのサバンナで私が仕留めて肉は食べてしまいました。ではく製にして持って帰ったんです。」(松本先生)
「え?先生が?!」(外山さん)
「ライオンと決闘したかったんですが残念ながらライオンと決闘できなくてキリンカモシカを食べちゃった。」(松本先生)
「ライオンじゃなくて良かったですよ」飛行機模型を夢中になって見ていた吾郎が向き直って言いました。

続いて応接間へ。ここには古代生物の化石や先生の大好きな銃やフィギュア、大量の漫画などが積まれています。最初に目に留まったのは時計のコレクション。
「この2つは私がデザインした『メーテルモデル』と『フロム・ザ・ムーン・トゥ・マーズ』。今実際に宇宙飛行士がこの時計をつけて飛んでます。」松本先生は大の時計好きなのですが、それが高じてスイスの名門時計会社オメガから宇宙飛行士用の時計デザインも依頼されたのです。
メーテルモデルは文字盤の裏にメーテルの顔が刻まれています。
「山崎直子さんはこれをつけてました。」と松本先生。
フロム・ザ・ムーン・トゥ・マーズは地球と月と火星が文字盤にデザインされたもの。これが宇宙に行っていると思うとテンションが上がりますね。
さらに外山さんが発見したのが大量の漫画。
「これは小学生の時に描いた漫画。」と松本先生は茶色く変色した雑誌を取り上げました。「へぇー、取ってあるんですね!」と外山さんは感心しました。
これらを小学3,4年生の頃に描いたというから驚きです。
「学級文庫の為に描いた。恐竜とかが好きだったのでそれを描いたわけです。で、ほら見て下さい、もう今のロケットを描いてるわけですよ。まだロケットがない時に。」(松本先生)
「すごーい!」(外山さん)「だって1949年だよ。」(吾郎)
「先生これは?」外山さんは漫画の山に埋もれている機械に気付いて訊きました。
「これはあのー、五段マルチ撮影台といいましてね、セル板を入れてアニメーションを作るときに使うんです。手作りです、下宿で作ったんですよ。」
「先生が作ったんですか?!」(外山さん)
「そうです」と先生がこともなげに言ったので外山さんと吾郎は驚きました。
ディズニー映画が大好きだった松本先生は、日本にまだアニメ制作用の装置がない頃、アメリカの本に載っていた写真を基に自作してしまったのです。
「で、なにか逮捕されそうになった事があると伺いましたが。」(外山さん)
「それはね、古道具屋で映写機やフィルムや(を買って)撮影台を使って(アニメ制作を)やってるでしょう?そしたら古道具屋でフィルムを買って、上映して金を取ってたヤツがいたらしいんです。その一味だと思われて、私と手塚(治虫)さんと石ノ森(章太郎)氏、自称日本三大アニメマニアが3人同時に同じ日に家宅捜索を受けたんです。」(松本先生)「えー!」(吾郎)松本先生が23歳の時でした。
「『何の為にフィルムを買うの?』と聞かれて『漫画映画を作る研究用であります』と言ったら刑事さんが『研究用?研究用かあ。それならいいや。頑張ってくれよ。』と背中をバーンを叩いて本当に励まして帰してくれた。窓から『頑張れよー』と。3人ともそうだった。これが日本三大アニメマニア芋づる事件というんですけど(笑)。」(松本先生)
アニメ制作にはいろいろな苦労があったのですね。しかし、「自称」はいらないと思いますよ、世界が認めるアニメマニアですから!そしてその苦労が歴史的名作の誕生に役立ちました。
「手塚さんの『鉄腕アトム』ね。あの第1話の編集は私の映写機でやったんです。手塚さんからいきなり電話があって『助けてくれ』って。『映写機が壊れて編集ができない。明日が試写会だ。』と。その頃は虫プロが富士見台にあったので、そこに自分の映写機を持って行って編集した。」(松本先生)
「それを先生が手助けしなければ『アトム』の1話目はできなかった…。」(吾郎)
「それで石ノ森氏が出て、私も出て、映り始めたから、刑事さんたちにも分かってもらえたと思う。『あー、コイツらだ』と。」(松本先生)

「とにかくやっぱり、絵だけじゃなくて動かしたかったんだね。」(吾郎)
「漫画映画を作ることが最初からの夢だったわけですよ。」(松本先生)
その夢を実現しようと装置まで自作する道を選んだ松本先生でしたが、がんばり過ぎてとんでもない事に…。
「この機械で自分で作ろうと思ったんですよ。で中古の16ミリでは足りないから35ミリの撮影台まで買ってやったけどお金がない。17秒しか作れないので自分で作るのを諦めた。……それでインキンタムシになって助かったんですよ。」
「えっ?????」熱心に聞いていた吾郎と外山さんはあっけにとられました。
「インキンタムシって痒いでしょ?接触感染だから誰かが持ち込んだわけですよ。」淡々と話し続ける松本先生に
「ちょっと痒いか知らないです…」と外山さんは困惑。
「股ぐらが痒くて、血だらけで大変なことになる。本郷三丁目を股ぐら掻きながら歩いたら交番にとっ捕まりまして。『昼間から交差点でマスかくバカがいるか!』と。」構わず話し続ける先生に
「勘違いされたんですね。」と言いながらチラリとカメラを気にする吾郎。
「『何を言うか。ここが痒いからだ。』と。で新聞を見たら『白癬菌 俗にいうたむし』と書いてある。学名なら言えるわけです。そこで赤門前の薬屋へ行って『白癬菌の薬を下さい』と言ったら『おお、お前もタムシか』と。それで売ってもらった薬で一発で治ったんです。」とそこまで聞いても話の流れが読めず
「先生なんで急にそんな話…」と外山さんは苦笑いしました。
「…でそういう事もあって、それが『男おいどん』になったんです。」と松本先生。
「ああ、それが『男おいどん』につながってくるんですね!」外山さんはやっとホッとしました。
実は松本先生の初めてのヒット作はSF漫画ではなく、四畳半に暮らす学生を描いたギャグ漫画の「男おいどん」でした。その中で最も反響が大きかったのがインキン治療の話。当時恥ずかしくて人に言えない学生たちの共感を呼んだのです。
「皆薬の事を知らないので薬の事を漫画に描いたんです、名前もそのまま。そしたら段ボール何箱分かのファンレターが来ましてね、『おかげで元気になった!』『私の彼が元気になりました。あなたのおかげでした。』とか。そのファンレターの中に森木深雪という名前があった。それが後の『宇宙戦艦ヤマト』の森雪の名前になったんです。」…色々なことがあったようですがつまり
「インキンタムシが私を助けてくれた。私はインキンタムシに救われた男です。」と松本先生。外山さんは思わず笑いましたが、吾郎は予想外の話の展開にやや呆然としていました。
因みに、それが縁でそのインキンタムシの薬は長い間、松本先生のイラストがパッケージになっていたそうです。

その後1974年には「宇宙戦艦ヤマト」のアニメが大ヒット。1977年には「銀河鉄道999」の連載を開始しこれも大ヒット、アニメ化されました。

その数々の名作を生みだした先生の仕事場へ吾郎と外山さんはお邪魔しました。仕事場へ上る階段にも沢山の資料と道具が置かれています。「スタジオ」と書かれた部屋に入ると
「うわー!」と吾郎が思わず声をあげました。広い部屋の中にうずたかく資料が積み上げられています。その中に大きな机が。
「ここが自分が仕事をする場所です。」と先生。「ここでお描きになっているんですね!」と吾郎。先生はちょうど鉄郎とメーテルを描いている所だったそうです。
「さっきの私達ですね。」(外山さん)「そう、先生触れて下さらなかった。」(吾郎)
「仕事道具は全部小学生の時から使ってる。」と先生。「ペン立てもずっと同じだし、(描くのは)墨汁か証券用のインク。」
「証券用のインクというのはなんでですか?」と外山さんが訊きました。
「これは1回乾くと水に濡れても溶けない。」と先生。そういう物がある事を今回初めて知りました。
「父親はパイロットでしたからね、これは飛行士が飛行する時に計画を立てる計画定規です。」と先生は古い定規を見せて下さいました。かなり大きな定規で真ん中に分度器が付いています。「これを何分の一かの写真の上に乗せて、飛行角度を割り出していく。」
松本先生はお父様の使っていた道具を自分の作画道具として使っているのです。
「非常に使いやすい。こういう物は生産されてないですからね。このおかげで私は車のコマ割りの角度なんかを決めることができた。」次々と貴重なお話が聞けるので、吾郎も外山さんも「へぇー」と感心しています。
「まるでコックピットみたいだね。」と吾郎。ここから夢にあふれたSF漫画の名作が生まれたのですね。

と、今回はここまで。次回は松本先生がメーテルの描き方を徹底解説してくださるそうなので楽しみです。


ところで一つ嬉しいお知らせが。「ゴロウ・デラックス」公式twitterが開設されました。アカウント名は
@goroudx_tbs
です。皆さん是非フォローしてくださいね


拍手ありがとうございます
プロフィール

はちミツ

Author:はちミツ
【注意:当ブログの内容の無断転載は禁止します。】

稲垣吾郎さん大好き、SMAP大好き!の主婦。
吾郎ファン歴は25年目になります。
彼らがいつかまた集まりたいと思った時そうできるように、彼らがそれぞれ今いる場所で益々輝いていってほしいと願っています。
だから「SMAP大好き」という気持ちも「新しい地図の3人の活動を応援する」気持ちも私の中では同じ一つの思いなのです。
神奈川県在住。

近況
①毎週水曜日は「an・an」の「稲垣吾郎のシネマ・ナビ」をチェック!。
②「ゴロウ・デラックス」(TBS)もお見逃しなく!
③「稲垣吾郎オフィシャルブログ」、twitterアカウント @ingkgrofficial も必見!

メールは↓へ。
walkwithgoro☆hotmail.co.jp
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