親子、この不思議で厄介で愛しいもの (「ゴロウ・デラックス」 6/22)

オープニング。
「突然ですが吾郎さん、ご両親のことどれ位ご存じですか?」(外山さん)
「両親?僕が生まれる前のことは…意外と知ってるようで知らないことは多いかも知れないですね。二人とも元気ですけど。」(吾郎)

あなたは自分の親のことをどこまで知っていますか?…普段あまり考えたことがないテーマかも知れません。

ゲストはコラムニストのジェーン・スーさん。ゴロデラには5回目のご出演で、もはや準レギュラーと言ってもいいでしょう。スーさんは女性の生態や本音を赤裸々に綴った「読む女子会」のような本で人気を博してきましたが、今回は一転「家族」というテーマを取り上げました。

課題図書 : 「生きるとか死ぬとか父親とか」 ジェーン・スー (新潮社)

「今聞いておかなければ一生後悔する」との思いから、かつて絶縁寸前までいった父と娘がもう一度向き合う物語です。
「24歳の時に母を亡くして。(母は)母親ってお面をずっとつけたままで終わっちゃったんですよ。だから母じゃない彼女の姿、例えば結婚する前の事とか、母親をやらなきゃいけないというプレッシャーがないところでの話を一切聞けなかったんです。それが心残りで。『お母さんってどんな人だったんだろう』と思ってふと横を見ると父親がもうすぐ80歳になってきて。『このままだと私、もの凄い後悔する』と思ったときに、『お金が無くなった』と父親が言ってきたので『お金払ってあげるからプライベートくれよ』と…。」とこの本を書こうと思った動機を語ったスーさん。更に
「今まで自分の半径5m範囲のことを書いてて、親もそうだと思ってたんですよ。半径5m範囲のことじゃないですか、家族って。だけど話聞いてみたら知らないことばっかりで『たかくくってたな』って。」
「やっぱり取材したら全然知らないことがあったんですね。」(吾郎)
「だから多面的に親を見られるようになりました。ずーっと“親”ということでジャッジしてたんですよ。親として何点、みたいな。でも親以外の面もあって当然だな、と。」(スーさん)
「いち人間としてのね。男として、女としての。」(吾郎)
「憎しみみたいな感情しか持ってなかった時期もあったんですけど…。それが今ではだいぶ許せるようになったし。」(スーさん)
スーさんのお父様がどんな方なのかが分かる一節を吾郎が朗読。

父はコーヒーを飲まず、ロイヤルミルクティーを好む。
ロイヤルホストのドリンクバーには当然、ロイヤルミルクティーなどない。温かいミルクもない。
植物性のコーヒーフレッシュは嫌がるので、私はいつもコーヒーカップを両手に一つずつ持ち、ラテ・マキアート(エスプレッソと少なめの泡立てたミルク)のボタンを押す。最初の数秒だけ温かいミルクが出てくるので、左手のカップにそれを注ぐ。温かいミルクだけが入った左手のカップにはアールグレイのティーバッグを入れ、少しだけお湯を足す。これで簡易ロイヤルミルクティーの出来上がりだ。
なぜ、こんなことをしているかと言えば、それは私が女だからかもしれない。血の繋がった娘の私でさえ、この男を無条件に甘やかしたくなるときがある。
他人の女なら尚更だ。
女に
「この男に何かしてあげたい」
と思わせる能力が異常に発達している
のが私の父だ。

「ええ?どういうこと?!」と少々混乱している吾郎の為にスーさんがラテ・マキアートのくだりを補足説明。「荒野のガンマンのように」コーヒーカップを二つ持ち、一つをエスプレッソマシンに置いてラテ・マキアートのボタンを押す。最初に温かいミルクが出てくるので、出終わった瞬間にもう一つのカップと入れ替える。温かいミルクだけのカップにアールグレイのティーバッグを入れ、それだけでは出ないのでお湯を足してツンツンすると「ほぼほぼロイヤルミルクティー」になるのだそうです。
「牛乳のホットさえロイヤルホストが作ってくれれば私はこんな事はしない。」とスーさん。そしてもう一つのカップには
「めちゃめちゃ苦いエスプレッソが残っているわけですよ。これは飲めないので、ラテ・マキアートをもう一回押すと表面張力ギリギリ位のが出来上がるのでそちらを私は頂く、苦いなあと思いながら。」
「それでも苦いですか?」(吾郎)
「苦いです。人生ですよ。人生並みに苦いですよ。」スーさんの言葉に外山さんは笑い転げました。
「ほんとに私の父親はなんかしてあげたい感じになっちゃうんですよ。なぜだか分からないけど。」(スーさん)
「すごい!男が一番持ってると人生得するもの。魅力ですよね。」(吾郎)
「ほんとにそう思います。」(スーさん)

ここでお父様のプロフィールを紹介。ジェーンさんが3歳の時の父娘写真を見ると、お父様は鼻筋が通ったイケメン。そしてスーさんはお父様に似ています。
「ちょっと本木さん、モックンみたい。」(吾郎)
性格は「短気」なのだとか。
「70過ぎてから岩が波に削られるように穏やかになってきましたけど、昔は本当にひどくて。30台半ばからは『親 縁を切る』で何度もグーグル検索するくらい険悪になってました。結局母親っていうのが全ての緩衝材だったんですね。で母が亡くなって父とどう話そうかと思ったら、通訳のいない国際会議みたいなんですよ。文化も違う言語も違う。大事なことを決めなきゃいけないのに何にも分からない。」(スーさん)
「そして随分時間を掛けてインタビューされたという…」(吾郎)
「1年半くらいです。」(スーさん)

スーさんが1年半掛けてお父様にインタビューして分かったこと。
その1。派手な女性関係
まず外山さんの朗読から。

「老い先短いいまになったから思うけど、パンアメリカンのスチュワーデスだった彼女と、『ミス住友』って言われてた年上の彼女はどうしてるかなぁ。死ぬまでにもう一度会いたいんだよねぇ。探してくれない?」
ご勘弁!どれほど投資したのかは知らないけれど、回収するのは頭のなかの思い出だけにしてくれたまえ。
女たちの姿を想像してもまるでイメージが湧かないが、彼女たちが父に会ったら相好を崩し喜んで世話をする姿だけは、なぜかハッキリと頭に浮かんでくる。

「他にもいっぱいいるんですよ、文字数の関係でいくつか省きましたけどね。」とスーさん。先程の話からさぞや女性にモテただろう事は想像できましたが…。
「だいたい終わり際で揉めてるんですよ。で、なぜ揉めるのかよく聞いてみると次が始まっちゃってるからなんですよ。ダメすぎる!」
「すごいね、お父さん!」(吾郎)
「母親が呼び出されたりしたらしいですよ。」(スーさん)「えー!」(外山さん)
「『結婚してるって聞いてなかったんですけどどういう事ですか?』って。」(スーさん)
「お父さんちゃんと言ってなかったんだ…。」(外山さん)
「で呼び出されたので『ウチのがすみません』って出ていく、って言ってました。正妻は強いよね。」(スーさん)
「一人二人ではないですよね。実は沢山いるんでしょうね。」(外山さん)
「そんなゴキブリみたいに…。」とスーさんは笑いましたが
「別れてないってことは(お母さんを)一番好きだったんでしょうね。母も好きだったんだろうと思います。」

その2。お仕事について。
自営業だったお父様は女性だけでなくお金に関しても心配事の多い方だったそうです。
ここで吾郎と外山さんの朗読。

「いいニュースと悪いニュースがあるぞ」
本当にそんな台詞を吐く人がいたなんて、と面喰らう。
「なによ」
「どっちから先に聞きたい?」
「いいから早く」
「まずはいいニュース。借金の整理が付いた。六十万で手が打てる事になった。」
「は?確か四億あったでしょう?」
「それが六十万になったんだよ。すごいだろ」
「確かにすごいわ」
「だが俺はその六十万円が払えない」
「なるほど、悪いニュースだ」
電話がきたということは、幾ばくかの支援を期待されているということ。とは言え、実際に娘からちょっとした額のお金を受け取るのは気が引けるかも知れない。
父に封筒を渡した。
「これなに」
「全額は無理だから、三十万」
こんなにもらえない、そんな無理はしなくていい、恵んでもらおうとしたわけじゃない、などなどなど。
つらい言葉が父の口を突いて出ないよう、大雑把に伝えた。
が、しかし。
敵は何枚も上手だった。父は明るい声で
「ありがとう!」
と言うやいなや、ヒョイと自動改札を抜け向こう側へ行ってしまった。
この人には一生勝てない。勝てるわけがない。
後に、父は言った。
「現実は見栄を超える」
この先、覚えておいて損はない言葉だろう。
命ある限り、図太く生きるしかないのだ。

仕事と株の失敗で作った4億の借金、そして母以外の女性の影。スーさんはこれまでお父様のことを「とんでもない人」だと思っていましたが、今回取材して仕事人としての意外な一面を知ったそうです。
「父の仕事のことで今回初めてきちんと話を聞いて、『この人と一緒に仕事してみたかったかも』と思ったんですよ。」
「へぇー!」(吾郎)
「いままでは“滅茶苦茶な親”という印象と、借金を作ったひどい経営者っていう印象だったけど、昔の仕事っぷりを聞いたら『あ、この人の働き方意外と好きかも』もしくは『私影響されてるかも』って。父の働き方ですごく参考になったのは、『気に入られる』っていうのはおべっかを使うとか何でもハイハイと言うことを聞くこととかではなくて『与えられたものを期待以上のスピードと正確さと成果で出す』こと。一所懸命やると向こうの信用を少しずつ勝ち取れるよ、って事は教えてくれて。いわゆる爪痕を残そうっていうんじゃないんですよ。それってある時人の場を崩すじゃないですか、爪痕を残そうとする人が入ってくると。」(スーさん)
「ああ、その時だけのね。」(吾郎)
「そうそう。そうじゃなくて、今日の現場がいつも以上に上手く回るための一つの歯車として機能するということを、父はたぶん徹底してやったんですね。」(スーさん)
「すごい上品だよね、そこは。」吾郎は感心していました。

ここで話題は外山さんのお母様のことに。
「母はアナウンサーだったんですよ、ラジオの。」(外山さん)
「そうだったんだ!…やっぱ知らないこと多かったなあ…」(吾郎)
「だって言わないもん!(笑)」(外山さん)「何年も一緒にやってるのに…」(吾郎、ちょっと淋しそう?)
「…じゃあ、親と同じ仕事に就いたの?!」(スーさん)
「すごい!そんな話があるんだ!」(吾郎)
「意識して?」(スーさん)
「意識はしたくなかったですね、出来ればね。」(外山さん)
「いい話じゃない。目頭熱くなってきちゃった。」(スーさん)
「いやあ、全然良くないの、これが。永さんのラジオを聞いて、電話で『あんなに失礼なことを言うなんて』とか『あなた言った事あるわよ、なんであんな事も知らないの』とか色々うるさくて。」外山さんは興奮して声がいつもより高くなりました。プロの目でチェックされてしまうんですね。
「もうそれがいやだったけど。今はもう『聞かないで』って言ってます。」(外山さん)

そして話題は吾郎と親の関係性へ。
「友達みたいな関係かな?親戚ぐらいな感じ?」と吾郎は自問自答。
「稲垣さんは大人になるのが誰よりも早かったから」(スーさん)
「中2って子どもですよね。」(吾郎)「子どもですよ!スーパー子ども。」(スーさん)
合宿所に入っていた時期もあったけど実家から通っていたのでホームシックにはならなかった、と吾郎。でも
「僕だけちょっと違うところにいる感じ、芸能界に入っちゃったから。だから(この本を読んで)色々感慨深かったし…。そろそろですよね、向き合っておかないと。」更に自分の父親について、
「父はクールすぎて…。シャイなところもあるし…。僕もそういう所があるんだけど…。分かるんですよね、父のことが。自分のことは喋らないし家では無口だし。わがままでちょっとイラッとする事が多いし。マイペースですね、ウチの父。だから似てきているのかも知れない。だけど僕はタレントになっちゃってものの見え方も変わってきちゃってるから。タレントになってからの人格ってあるじゃないですか。芸能界に入ってなかったら人格も違ってたと思うし、もっと父に似てたかも知れないし…。もっとクールになってたかも…。だから歩み寄りにくいんですよね、未だに。」ととつとつと語りました。
「クール・マイペース・無口って完全に稲垣さんの形容詞だと思いますけどね。」とスーさん(←そうそうその通り!)。でも吾郎に言わせると「父の方がもっとクール。」若い頃の吾郎のイメージに近いとか(←それ、すごくかっこよくないですか?)。
それからこんな話も。
「そんなクールな父でも…僕、20代の時に半年くらい仕事を休んで実家に帰った時期があるんですけど、親と一緒に半年いて、もう仕事復帰してもいいということになってまたバラバラに生活するとなったときに、父がふと『吾郎も明日からいなくなるのか、淋しくなるな』ってボソッと言ったんですよ。」
それを聞いた途端スーさんは涙ぐみました。
「そんなの聞いたことなかったのに。」(吾郎)
スーさんは何か言おうとしましたが涙声になってそのまま俯きました。
「そんな風に思っていたとも思えなくて。その一緒にいた半年間だって喋ってなかったし。向こうから歩み寄ることなんか昔も今もないのに。ただあの、ボソッと言った一言だけは忘れられないですね。」(吾郎)
「…ってことは楽しかったってことですよね、一緒にいて。」スーさんが涙で潤んだ目で言いました。「…やだあ、ちょっとジーンときちゃった。」
「だからこっちから歩み寄る…っていう言い方でいいのか分からないけど、お父さん、って行かなきゃいけないんでしょうね。」(吾郎)
「向こうからは来れなかったんでしょうね、今までも。」(スーさん)
「これからもそうって事ですよね。」(吾郎)「そうです。」(スーさん)
「ちょっと恥ずかしいですけど。」(吾郎)
今この時期にあの時の話を吾郎から聞けて良かったと思います。本当に色々なことを乗り越えたからこそ今があるのだと改めて思いました。

そして1年半の取材を終えて、スーさんが行き着いた「親子」のあり方について吾郎が朗読。

母が鬼籍に入って二十年。しっちゃかめっちゃかだった父と娘は、ときに激しくぶつかり合いながら、友達のような、年の離れた兄弟のような疑似関係を築くことでなんとかやってきた。
生きていようが死んでいようが、ときに緩衝材であり、通訳であり、思慮の浅い父娘を繋ぐ綱が母だ。
父を見る視線の中間地点には、常に母が立っていた。
視界がぐるりと回転する。
記憶のなかに母を見やると、母と私の間に父が立っていた。
いままでで一番、父が父親らしく見えた。
禍福はあざなえる縄の如しというが、親子は愛と憎をあざなった縄のようだ。愛も憎も、量が多いほどに縄は太くなり、やがて綱の強度を持つようになるのだろう。
お母さん、我が家もようやく、父と母と娘の三人家族になりました。

「いやあ、染み渡りますね。」(吾郎)
「二十年かかりましたからね。」スーさんは潤んだ目で笑いました。
「お父さん、本読んだんですか?」(外山さん)
「1日2行ずつ読んでいるそうです。」スーさんはそう言ってスタジオを笑わせました。
「私びっくりしたんですけど、十中八九父に都合の悪いことを書いてるじゃないですか。で、私言ったんですよ、『十中八九あなたに都合の悪いことが書いてあるから、今回はこういう事で人が褒めてくださるから有頂天になってるけど、人に渡すときは自分が読んでからの方が良いぞ』って言ったのに、読んでないうちにバンバン色んなとこに渡して自分の恥部をどんどん晒してる。何をやってるんだ!と思って。」(スーさん)

AD山田くんの消しゴムハンコはお父さんとお母さんと幼いスーちゃんのほのぼの3ショット。
「今回は見ている方も両親について色々考えたんじゃないでしょうか。」という吾郎の締めの言葉には説得力がありました。


最後になりましたが、大阪北部地震で被害に遭われた皆さんにお見舞い申し上げます。地震の瞬間、皆さんは通勤通学で離れ離れになったご家族の事をまっ先に思われたのではないでしょうか。私は東日本大震災の翌日、家族全員が帰ってきた時本当にほっとしたのを思い出しました。家族への思いを力にしてがんばりましょう。


拍手ありがとうございます

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魔女の宅急便 (「ゴロウ・デラックス」 6/15)

オープニング。
「今夜は今年3月に国際的な賞に選ばれた方が来て下さっています。」(外山さん)
「あの『魔女の宅急便』を書かれた方ですね。日本中の方がこの作品を知ってますから。楽しみですね。」(吾郎)

今回のゲストは児童文学作家の角野栄子さん。「魔女の宅急便」や「小さなおばけシリーズ」等、その作品は世代を超えて愛されています。そしてこの3月、長年子どもの本に貢献した功績が認められ国際アンデルセン賞作家賞を受賞されました。「児童文学界のノーベル賞」といわれるこの賞を受賞した日本人はまどみちおさん(1994年)、上橋菜穂子さん(2014年)に次いで3人目です。
「まず、この『児童文学界のノーベル賞』といわれる国際アンデルセン賞作家賞受賞ということで、おめでとうございます。」(吾郎)
「ありがとうございます。」(角野さん)
「もう取っていらっしゃるかと思いました、私。」(外山さん)
「そうですよ。今までずっと書かれてきたのに、今このタイミングで受賞されたというのがね。」(吾郎)
「私もちょっと分からないんですけど。でも2年に1回なんですね、この賞は。毎年ではないんです。世界中から選ばれるわけですから。」(角野さん)
今回の候補は33人だったそうで、角野さんはその頂点に立たれたわけです。
「受賞されたことはどうやって知ったのですか?」(外山さん)
「夜遅く担当の編集の方から『決まりました!』と電話がかかってきて。もうびっくりしました。本当に私は取れると思ってなくてお友達にも誰にも言わなかったんです。だから私自身もびっくりしました。」(角野さん)
授賞式は今年8月。今回はギリシャのアテネで行われるそうです。
「ちょっと遠いですよね…」という角野さんに
「寝ていきましょうよ、飛行機で。」と吾郎はにっこりしました。
「ギリシャの青い感じとか白い感じとか鮮やかな色が似合いそうですね。」と外山さん。今日の角野さんのお洋服は鮮やかな赤で、とても良くお似合いです。

課題図書 : 「魔女の宅急便」 角野栄子 (福音館書店)

主人公キキは魔女のお母さんと人間のお父さんから生まれた女の子。魔女には13歳になると親元を離れて1年間暮らす、という決まりがあります。その旅立ちのシーンを外山さんと角野さんで朗読。著者の方が朗読して下さるのはゴロデラならではの貴重な機会ですね。

お日さまがすこし西へかたむきかけたころから、キキは、コキリさんのつくってくれた新しい黒い服を着て、鏡の前で前をむいたりうしろをむいたり、大さわぎです。足もとでは黒猫のジジも負けてはいられないというように、横から鏡をのぞきこんでは、体をのばしたり、ちぢめたりしています。
かと思うと、ふたりしてコキリさんのほうきに乗りこんで、ちょっと横をむいて気どってみたりしています。
「さあさ、あなたたち、おしゃれはそのぐらいにしたら……ほら、西の空を見てごらん、夕やけの色がもうあんなにうすくなってきたわ」
コキリさんはいそがしそうにあちこち動きまわりながら声をかけました。
「かあさん、もうちょっとでいいからスカート、みじかくしてよ」
キキはスカートをひっぱって、つまさき立ちしながらいいました。
「どうして?とてもにあっているのに」
「もうすこし足が見えたほうがすてきだと思うわ」
「そのほうがずっとお上品よ。おとなしく見えるほうがいいのよ。そうじゃなくても魔女のことをとやかくいう人が多いんだから。さ、これ、おべんとうよ。」
コキリさんはキキの肩をたたいて、そばに小さな包みをおきました。

「うーん、いいですねえ!」じっと聞いていた吾郎はうなりました。
「魔女の宅急便」が画期的だったのは幼くて可愛い魔女を描いたことです。それまで魔女といえば、グリム童話に登場するような怖くて意地悪なおばあさんがほとんどでした。角野さんは今までとは真逆な魔女を描いたのです。
「そもそもなぜ魔女を主人公にしたんですか?」(外山さん)「画期的ですよね」(吾郎)
「娘が12歳くらいの時に、魔女の絵を描いて机の上に置いてあったんです。それが魔女がほうきに乗ってラジオを提げていて、ほうきの房が三つ編みになってリボンが付いていたんです。それを見たときに12歳くらいの小さな女の子の魔女を書いてみようかな、と。」(角野さん)
その娘さんの絵はとても可愛くて温かみのある絵です。
「すっごい上手!」「12歳の時の絵ですよ!」吾郎と外山さんは口々に驚きました。
「なんでキキが始める仕事を宅急便にしたんですか?」(吾郎)
「宅急便がすごく流行り始めた頃だったんです。飛べるんだから速く届けることが出来るかな、だから宅急便を魔女がしてみるのも良いかな、と。」(角野さん)
時代を反映した設定ですね。
「クロネコヤマト以外、宅急便って言っちゃいけないんですよね。」と外山さんが指摘すると
「そうなんですか?」と吾郎が大声で驚きました。
「うん。ハードカバーになる時ちょっと問題になりました…。」(角野さん)
「ああ、素敵な言葉だなと思って使ったけれど…。」(吾郎)
「最初はちょっと問題になったんですけど、全然問題ないということになって。」(角野さん)
「あ、ヤマト(運輸)さんの方から…。」(吾郎)
「『魔女の』とつけば…(OKだと)。これは本ですので。」(角野さん)
そして1989年宮崎駿監督によってアニメ化され大ヒットを記録しました。
「映画をご覧になっていかがでしたか?」(吾郎)
「最初観た時は原作と大分違うものですから“おやおや”と思いましたんですけど…」(角野さん)
「おやおや、というのはどの部分で?」(吾郎)
「(ラストの)飛行船の部分が原作にはないんです。…でも私がお願いしたのは『魔女の宅急便』というタイトルはそのままということと、キキという少女の世界観は変えないで頂きたいということだったんです。」(角野さん)
「そこは宮崎駿監督の世界とうまく融合できた、と。」(吾郎)
「そうですね。そしてなにしろ映画を見た方が多いですよね。本は太刀打ち出来ないくらい。世界中に行きましたから。」角野さんは嬉しそうに言いました。
今では9カ国語に翻訳され世界中で愛されている「魔女の宅急便」。面白いのは表紙で、アジア(中国語、韓国語、ヒンディー語)では日本と同じイラストなのですが、ヨーロッパでは魔女のイメージは怖いため、表紙のイラストも変えられています。
そしてもう一つ、角野さんが魔女を描く上でこだわった事がありました。
「小さい頃から、何でも魔法で叶えられるのはちょっと嘘くさいな、と思っていたんですね。だからこの話を書くときは魔法は一つにしよう、と。」(角野さん)
キキが使える魔法はほうきに乗って空を飛ぶことだけです。
「何でも(魔法で)解決しちゃうとそれで終わりになっちゃいますよね、話が。でも魔法が一つだったら(ほうきが)壊れることもあるし飛べないときもある。そういう時に13歳の女の子がそれをどうやって工夫して乗り越えていくか、としたらきっと物語が面白くなると思ったんです。」(角野さん)
「なるほど。スーパーウーマンだったら憧れはあっても近くには感じられない…。だから応援したくなったり自分のお友達みたいに感じたり。」(吾郎)
「まさにそうだと思います。」(角野さん)
キキは新しい街で沢山の人に出会い少しずつ成長していきます。でも仲良しのとんぼさんの一言に悩んでしまうことも…。思春期を迎えたキキが描かれているシーンを外山さんと吾郎とで朗読。

キキはこのところ、ちょっとごきげんななめでした。
これといった理由もないのに、なにかいらいらしてくるのです。
「この町にきてからずっとたいへんだったから、つかれがでてるんだわ」
キキは自分で自分にいいわけをいうようにときどきつぶやきました。
でも、それだけではないことに、キキはぼんやりと気がついているのです。
絵描きさんの絵をお散歩方式で運んだのをきっかけに、飛行クラブのとんぼさんは、よくキキの店に遊びにくるようになりました。そんなとき、とんぼさんがなにげなくいったことばを、キキは気にしていたのです。
「キキってさ、空を飛ぶせいかな、さばさばしてて、ぼく、気らくでいいや。女の子っていう気がしないもんな。なんでも話せるし。」
そのときは、とんぼさんが自分をほめてくれたと思いました。でも日がたつにつれ、
「女の子っていう気がしないもんな」
ということばが心にひっかかってきたのです。
「あのとき、あたしの目は絵よりかわいいっていったくせに……こんどは、さばさばだって、……さばさばってどういうこと?こういう大きな町の女の子っていうのは、とくべつなのかしら、……そんなにちがうのかしら」
キキは心がどうももやもやして、決まりがつかない感じなのでした。

「うーん…分かりますか?気持ち」吾郎が外山さんに訊きました。
「わかりますよ」と外山さんは即答。「女の子として見てないってことじゃん、と思いますもの。」
「ちょうど大人になりかけですよね。でもまだ子どもの部分を沢山持っている女の子というのは不思議なエネルギーがあって、書いてて面白いなといつも思うんです。」(角野さん)
「それって男の人には絶対わからないよね。男の子は学校でそんなことに気づかない。男の子はもっと幼いから、女の子のそういう多感な時期の事って。自分が中学生くらいの時って女子を見てても分かんなかったもんね。だから自分が父親とかになって娘とかできたら、すごい戸惑うだろうね。そんな気がした…いませんけど、子ども。」吾郎はしみじみと語り、角野さんと外山さんは頷いていました。

「魔女の宅急便」には続編があります。第6巻ではキキは35歳になり…
「キキはとんぼさんと結婚するんです!」(外山さん)「そうなんですね。」(吾郎)
「双子が生まれるんです、ニニとトト、女の子と男の子。」(外山さん)
「やっぱり似るんですね、物静かで読書家の男の子、生意気でおてんばな女の子。」(吾郎)
「これ、キキが大人になって子どもを産むまで書こうと決めてたんですか?」(外山さん)
「はい。書き始めた時に、どうして男の子は魔女になれないのかな?という疑問が私の中にあったんですね。それでキキに双子を産んでもらって、女の子は魔女になれるのに男の子はどうしてなれないのかということを書いてみようかな、と思ったんです。それにはキキは35歳で双子のお母さんになってもらう方が良いかな、と。」(角野さん)
「これは読みたいですね。」(吾郎)

話題は変わって。
「今日は角野さんの創作の秘密を知るべく、自宅兼仕事場にお邪魔させて頂きました、ありがとうございます。」外山さんが弾んだ声で言いました。ここからは外山さんのロケVTRです。
角野さんのご自宅兼仕事場は神奈川県鎌倉市にあります。そして角野さんのお宅は1冊の本になってしまうほど内装にこだわっていらっしゃるそうです。

課題図書 : 「魔女の宅急便が生まれた魔法のくらし
角野栄子の毎日 いろいろ」 角野栄子 (KADOKAWA)

「まずお邪魔して目についたのが…」外山さんが指さしたのは玄関に置かれた腰高くらいの引き出し。一番上の段が人の顔のようになっています。
「ふざけてるでしょ(笑)。人の顔が磁石になってて、泣いた顔とか笑った顔とか怒った顔に変えられる。」と角野さん。今日は「歓迎のしるし」で笑った顔です。そして、玄関のドアも下駄箱も独特の赤い色でとても可愛らしいです。角野さんは「いちご色」と呼んでいらっしゃいます。赤がお好きなのだとか。この日のお洋服も鮮やかな赤です。
二階に上がると作り付けのガラスケースがあり小さな人形や置物が沢山並べられています。旅行先で買ったりお土産で頂いたりしたものだそう。色々な場所の思い出の品ですね。
お洒落が大好きな角野さんは小物もコレクションしています。プラスティックの指輪も
「外国に行くとすっごい安いんですよ。駅の売店なんかにも売ってて、いろんな色を持っていると洋服にも合わせやすくて遊べるから楽しいですね。」(角野さん)
「これは?」外山さんが白い大きな玉が並んでいるネックレスを手に取りました。
「ゴムなの!」と角野さんは自分の首にかけて見せました。
「シャボン玉が沢山ついているみたいで可愛いですね。大ぶりなアクセサリーがお好きなんですか?」(外山さん)
「そう。『大きなアクセサリーですね』と(目が行くから)顔のシワを見られない作戦(笑)。」
いちご色と白を基調にした壁には作り付けの本棚があちこちにあります。
「どんな本を読まれるんですか?」(外山さん)
「普段読むのはミステリーが多いです。」(角野さん)
「へぇー!」VTRを見ていた吾郎が驚きの声を上げました。
「持ち運べるように文庫が多いですね。うちで読む本は好きな本を。これなんか娘と一緒にすごくよく読んだんですよ。」と角野さんは本棚から古い絵本を取り出しました。「まりーちゃんとひつじ」という絵本です。角野さんは懐かしそうにページをめくりました。
本棚にはマンガもあります。
「娘が『たまにはマンガもどう?』って持ってきたんです。」(角野さん)
そしていよいよ数々の名作を生み出した仕事場へ潜入。
まず外山さんの目に止まったのはバスケット(?)にきちんと並べられた眼鏡でした。どれもカラフルで形も可愛いです。
「これ掛けてたら原宿で『おばちゃん可愛い』って言われた。若い子に呼び止められて。」と角野さんは嬉しそうに言いました。
仕事机の上にはパソコンが。短いエッセイはパソコンだけで書き、長いものは大体手書きしてからパソコンで清書するそうです。その手書きの時に使うというアイディアノートを見せて頂きました。表紙がとても可愛らしいです。
「これ、中は真っ白なんですね。」(外山さん)
「私はね、真っ白でなきゃ使えない。線(罫)が引いてあると束縛を受ける感じがする。真っ直ぐに書かなくちゃいけないとか。」(角野さん)
絵も描くので、罫線があると邪魔なのだそうです。
「束縛を受ける感じが嫌だ、というのがいいですね。自分の中で制限なしに。だからノートも白。自由にどこに描いてもいい。」外山さんはちょっと興奮しているようです。
「だから、縦書きになったり横書きになったり。……私は基本的には縦書きですね。ただ絵本の事を考えているときは横書き。なんででしょうね…。不思議ね、今気がついた、私も。」(角野さん)
角野さんのご自宅は、少女らしい可愛さがそこここにちりばめられた夢のあるお宅でした。
「まさに角野さんの世界ですね。いちご色って言うんですか?今日もいちご色(のお洋服)だったんですね。」(吾郎)
「これは黄赤ですけど。」(角野さん)(←あちゃー…)
「普段外で何か思いついたら、どうするんですか?」(外山さん)
「私は松本清張の『黒革の手帖』みたいに黒革の手帳を持ってるんですよ。」角野さんはそう言うと分厚い手帳を取り出しました。もちろん罫のない手帳です。これに思いついたアイディアや絵を書き留めます。そして、
「自分の中で生きたように感じられるとその人たちが喋り出したり。それで『じゃあ行こうか』という感じで書き出すんですね。そうすると終わりがどうなるか分からないんです。」(角野さん)
「なるほど、そういう計算というかプランは立てないんですね。」(吾郎)
「『どうなるの?』という感じなんですが、そのキャラクターを私が大好きであれば、四分の三くらいのところで終わりが見えてくるんですね。それでホッとする。」(角野さん)
「角野さんの頭になってみたいね。」吾郎は興味津々の様子でした。

AD山田くんの消しゴムハンコはほうきに乗って飛ぶ角野さん。夢があって素敵でした。

ご自分の作品や執筆について、角野さんは目をキラキラ輝かせて声を弾ませ夢中になってお話になっていました。きっと角野さんの中にキキがいるのでしょうね。


それにしても、国際アンデルセン賞を受賞された上橋菜穂子さんと角野栄子さんがそれぞれ「ゴロウ・デラックス」に出演して下さったのは有難いことだと思います。


拍手ありがとうございます

サントリーホール情報誌に吾郎が登場♪

とその前に雑誌情報を一つ。

6/14 (本日)発売 「女性セブン」 稲垣吾郎インタビュー (「FREE TIME, SHOW TIME 君の輝く夜に」) 
山田美保子さんの連載コーナーだと思われます。

そして、サントリーホールの情報誌「Hibiki」夏号より吾郎のロングインタビューが掲載されます!
詳しくは→ 新しい地図topics
       サントリー情報誌ページ
配布開始日 : 7/1 (日)
配布場所 : サントリーホール他
7月中旬よりpdfで閲覧も出来ます。季刊の情報誌で4回連続掲載、ということは一年に渡って吾郎のインタを載せてくださるということですね。有難いことです。


拍手ありがとうございます

特攻兵の愛ある抵抗 (「ゴロウ・デラックス」 6/8)

今回でゴロデラは放送300回を迎えました。おめでとうございます
この良い番組がこれからも長く続きますように。

300回めの放送は、人間の尊厳について考えさせられる衝撃的な内容でした。

オープニング。
「今日は大変人気のある劇作家の方。ある戦争の話に今回夢中になって本を出したところ、16万部を超える大ヒットとなったんです。」(外山さん)
「僕もこの本を読んで、こんな事が本当にあったなんて信じられなかったですね。」(吾郎)
吾郎も外山さんもびっくりしたという課題図書とは…?

課題図書 : 「不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に抵抗したか」 鴻上尚史 (講談社現代新書)

第2次世界大戦末期の1944年に組織された特攻隊は、「十死零生」と言われる自爆攻撃が任務でした。その戦死者は約4000人と言われています。
しかしそんな特攻隊の中で、9回出撃し9回生還した奇跡のパイロットがいたのです。
その生き方は私たちに一つの問いを投げかけます。

「あなたは組織に理不尽な命令を出されたらどうしますか?」

奇跡の特攻隊員の生涯を亡くなる直前(2年前)に行われたインタビューを交えて描いた本です。
この本の著者、鴻上尚史さんは劇団「第三舞台」などを主宰し数々の演劇賞を受賞してきた人気劇作家です。その鴻上さんがなぜ特攻隊の本を書いたのでしょうか?
「僕らの世代は子どもの頃から戦争物(のドラマや映画)が結構あったし、その中でも特攻というのは作家としてどういう気持で行かれたんだろうなと興味はあったんです。」(鴻上さん)
「で、その後会うことになったんですよね。」(吾郎)
「そうですね。そういう人がいたって事は本で知って、まさか御存命だとは思わなかったので。2009年に別の本を読んで、ほんの半ページの短い記述だったんですけど頭の片隅にあって。毎年4月くらいになるとテレビの人から『終戦特集なんかないですか?』と言われて、僕もTBSを含め色々なテレビ局の人に『こんな人がいたらしい』っていう話をしたけど、『ああそうですか』で終わってた。そしたら某テレビ局のプロデューサーが『面白いですね』と言って調べてくれて『その佐々木さんっていう人、生きてますよ』と。それで『うわぁー!』ってなって。」
それが2015年5月のこと。札幌の病院にいらっしゃると聞いて「会うしかない」と鴻上さんは思いました。
「実際にお話伺いたいですよね、絶対に。」(外山さん)
その方は佐々木友次さん。陸軍航空隊初の特攻隊「万朶(まんだ)隊」の元隊員で唯一の生存者です。北海道出身で空を飛ぶことが大好き。航空隊に入団した佐々木さんは優れた航空技術を持ったパイロットとして一目置かれるようになりました。
ある日佐々木さんの所属する特攻隊の前に恐ろしい戦闘機が現れました。その部分を吾郎が朗読。

1944年(昭和19年)8月2日、立川飛行場に寄った岩本大尉は、竹下福寿少佐に内密に格納庫に案内されて、そこで異様なものを見た。
それは、3本の細長い槍が機体の先頭から突き出た九九双軽だった。風防ガラスで丸く囲まれた機首部の先端から、長さ3メートルほどの見たこともない金属の細長い管が3本、突き出ていたのだ。
よく見れば、細い槍の先には、小さなボタンのような起爆管がついていた。その根元から太い電線が延びて、機首の風防ガラスを越え、爆弾倉の方に続いている。
岩本大尉は驚いた顔で竹下少佐を見つめた。
明らかに体当たり用の飛行機だ。
細い管の先に付いている起爆管のスイッチが体当たりすることで押されて爆発する仕掛けだ。
竹下少佐は黙ってうなづいた。
「爆弾投下器はどうなっていますか?」
混乱しながら岩本大尉は聞いた。
「はずしてしまった。いらない機械はみんなおろした。」
苦々しい答えが返ってきた。
それはつまり、操縦席からは爆弾を落とせないことを意味した。
爆弾を破裂させるには、体当たりしかないということだ。
岩本大尉の顔は怒りで険しくなった。
「ろくな飛行機も作らんでおいて」

「見た瞬間おかしい、って。なんだこの槍は?って。」(吾郎)
この「九九双軽」はどんな飛行機だったのでしょうか。番組が作った二つの飛行機の模型を外山さんが持ってくると吾郎は
「僕プラモデル好きなのでよく分かります。一式陸攻の話とかしなくていいですか?」と身を乗り出しかけましたが、
「大丈夫です、長くなりそうなので」と外山さんにあっさり却下されました(笑)。(今回はそういう話題ではないですし。)
鴻上さんの説明によると、九九双軽とは「九九式の双発(二つのプロペラ)の軽爆撃機」で4~5人乗り。機銃が前の風防ガラスのところと機体後部に付いています。
「それを前の銃座を完全に取り外して、その代わりにこの槍のような真管のついた起爆管を3本つけて。そして800キロ爆弾というのが爆弾倉に入りきらなかったんです。」
鴻上さんは改造後の九九双軽の模型を裏返して見せました。翼の下の爆弾倉から爆弾がはみ出ています。
「そんなにでっかいんですか?!800キロって。」(吾郎)
「通常は550キロなんですよ。それを800入れたので、爆弾倉が閉じないんです。閉じれないまま飛んでいく、という形にした。」(鴻上さん)
つまり、改造された九九双軽は体当たりに特化した「死の戦闘機」だったのです。しかし、
「体当たりの勢いより、爆弾をそのまま落とした方が攻撃力はでかいんです。なぜかというと、飛行機は空気抵抗があるから飛べる。だから体当たりでどんなに速く突っ込もうとしても、(空気抵抗を受けるので)爆弾をそのまま落とす速度の半分くらいになってしまう。実は爆弾をそのまま落として当てた方が攻撃力は高い。で、戦艦は実に鉄板が分厚いんですけど、飛行機は身軽に飛ぶために軽い金属で作られているので、当時(体当たり攻撃に)反対する人たちは『コンクリートに生卵をぶつけるようなものだ』と言っていたんです。よくそんな無茶な命令を出したなと思いますね。」(鴻上さん)
「無茶苦茶ですね。」吾郎も呆れています。
「だから元々は生きて帰れない飛行機だったんですが、佐々木さんが所属する万朶隊はこっそり改造した…」(外山さん)
「こっそりというか…岩本隊長というベテランのパイロットが怒ったんです。我々が何のために訓練してきたと思ってるんだ、と。それで上層部には言わないで現場の整備兵たちに『爆弾を落とせるようにしてくれないか?』と言ったら、現場も『当たり前ですよね。1回で帰ってこれない攻撃方法を採用する上層部がおかしい。』と言って改造してくれたんです。」(鴻上さん)
こうして岩本隊長の判断で改造(再改造?)された九九双軽に乗り出撃した佐々木さんは、同僚の特攻兵が次々死んでいく中、上官の命令に背き帰還する道を選びました。ここからAD山田くんも加わって、鴻上さんが佐々木さんにインタビューした音声を聞きました。(以下敬称略)

鴻上「何回か猿渡参謀長と喋ってて、どこか途中で『くそ!何があっても生き延びるぞ!』って思いました?それとも一回目の出撃から『俺は絶対に生き延びてやる!』と思ってました?」
佐々木「一回目の出撃から戻ってきた時はチャンスだと思ったですね。」
鴻上「チャンス?」
佐々木「これは帰れるかも知れないと思った。やっぱり無駄死にはしたくなかった。父親は日露戦争で金鵄勲章をもらってきた。父は…『死ぬと思うな』と何回も言っていた。」

「お父さんの言葉がいつも心にあったんですね。」(吾郎)
そして佐々木さんが上官の命令に反抗したのにはもう一つの理由がありました。
「最初特攻は必ず成功させるために、ベテランのパイロットが選ばれたんです。佐々木さんも、21歳でしたけど、実に九九双軽の操縦が上手かった。上手い人たちというのは毎日死に物狂いの訓練をしている。そのプライドがある人たちに、ある日陸軍も海軍も『お前たちはもう急降下爆撃しなくていい、突っ込め』と命令したんですね。戦争に出て死ぬのは当たり前、戦うなかで撃ち落とされるなら認めるけれど、『死ね』っていう命令を出すのはどうなんだ、とみんな怒ったんです。」(鴻上さん)
「プライドだよね。」(吾郎)「ほんとそうなんです。」(鴻上さん)
「死ぬと思うな」という父の言葉、機体を改造してくれた岩本大尉の想い、一流パイロットとしてのプライド、それらが佐々木さんを命令拒否へと突き動かしました。しかしそんな佐々木さんは上官はじめ周囲から大変な圧力を受けることになります。
1回目の出撃では敵輸送船に爆弾を投下し命中させ帰還。しかし帰ると戦死扱いになっていて、しかも軍神とされてしまったのです。
「戦死扱いになったと言うことは、実は誰も最後まで見ていない、確認してないということ。戦死に違いないということで(上に)報告した。しかも輸送船ではなく軍艦、つまり一番でかいのを沈めたと発表しちゃったので、神様になった。」(鴻上さん)
さらに、これは陸軍の1回目の特攻だったそうで、
「海軍は護衛空母というそれなりの空母を沈めているので、(陸軍としては)ちゃんとやってくれないと困るんですよ。」(鴻上さん)
陸軍と海軍との功績争いも絡み、佐々木さんは大和や武蔵クラスの軍艦を沈めたことにされ軍神に祭り上げられてしまったわけです。
「すごいスタートを切らされちゃいましたね。」(吾郎)
そして上官からは「次こそ本当に体当たりして死んで欲しい」と言われたのです。
「軍神として発表してしまいましたから、次は死んでもらわないと困る、ということです。」(鴻上さん)
「見栄張っちゃったか…。」(吾郎)
2回目の出撃では、味方の戦闘機が爆発し危険を察知して帰還したのですが、佐々木さんの地元では葬式が挙げられ神様扱いになっていました。
「かなり盛大な葬式で、小学校では全員が佐々木さんの家まで歩いて行って祈って帰ったりとか。」(鴻上さん)
そして上官は「必ず体当たりをしてこい!必ず帰ってくるな!」(←日本語がちょっとおかしくないですか?)
「もう天皇にも報告していますから。新聞にも発表しているし、生きていられると困るんですね。」(鴻上さん)
その後も上官の命令に背き生還し続けましたが、そんな佐々木さんに上官は恐ろしい圧力をかけました。佐々木さんと上官とのやり取りを吾郎と外山さんで朗読。

何度目の帰還の時か、司令官が軍刀の柄を両手で掴み、ギラつく目で佐々木をにらみつけた。
「きさま、それほど命が惜しいのか、腰抜けめ!」
佐々木伍長は落ち着いた声で答えた。
「おことばを返すようですが、死ぬばかりが能ではなく、より多く敵に損害を与えるのが任務と思います。」
司令官は激怒した。
「馬鹿もん!それはいいわけにすぎん。死んでこいといったら死んでくるんだ!」
「はい、では佐々木伍長、死んで参ります!」
こう叫んで佐々木はその場を辞した。

「死んで参ります、って言うしかないですよね。」(外山さん)
「死んでこいと言ったら死んでくるんだ、って言われたらね…。佐々木伍長の方が上手というか冷静だよね。」(吾郎)
「これはその場を目撃した人の証言ですから。リアルですね。」(鴻上さん)
「すごいよこれ。怖いよ。ね、山田くん。」吾郎は隣の山田くんに話を振りました。
「ダメだね、もう怖いね~」と山田くんも怯えています。
6回目の出撃で佐々木さんは大型船に爆弾を命中させて生還しましたが、2度目の戦死扱いをされ、地元では2度目の葬式が行われました。(←よく考えるとこれはおかしな話ですよね。1度目の出撃で戦死したことになっているのに、なぜまた戦死したと新聞発表してしまったのか…。地元の人たちも変だと思わなかったのでしょうか。でも戦争になれば変だと思う感覚も麻痺するのかも。)
「でも、これで命中させた、すごい!じゃダメなんですか?」と外山さんが訊きました。
「うーん、特攻ですからね。」鴻上さんは厳しい顔をしました。
「いやぁ…命中させたけど帰りづらいなと思いながら帰るんでしょうね、きっと。」(外山さん)
「さすがにこの時はこのまますぐに帰るのは嫌だから別の所に寄ってるんです。」(鴻上さん)
そして問題の上官からは一言、「明日死んでこい!!」。鴻上さんは笑ってしまいました。
「笑っちゃいけないけど…。これでも佐々木さんはめげない。」(吾郎)
7回目の出撃は機体トラブルで、8回目は1機で出撃するも馬鹿馬鹿しくなって引き返し、9回目は機体異常で、と生還し続けた佐々木さんは遂に終戦を迎えました。そして地元に帰ったのですが…
「辛かったと思いますね。地元は2回も盛大な葬式を出してますからね。佐々木さんはあまり多くを語らなかったですけど『辛かったですか?』と訊いたら『辛かったねえ』とおっしゃってました。葬式の時佐々木さんの家まで行った(当時の)小学生の方にお話を聞いたら、戦後佐々木さんを見つけて特攻のお話を聞こうとしたけど話してくれなかった、と。喋るのがすごい嫌だったんでしょうね。」(鴻上さん)
本当はパイロットになりたかった佐々木さんですが、地元に帰ってからは家業の農家を継いだそうです。
それにしても、佐々木さんはなぜ9回も生還できたのでしょうか?
佐々木さんのインタビューの中に答えがありました。

鴻上「飛行機に乗るのが大好きだったというのも大きいですか?」
佐々木「大きいですね。」
鴻上「何が好きだったんですか?飛行機に乗ることの。」
佐々木「私たちはあまり評判の良くない九九双軽に乗って飛んでいたけど、乗ってみたら乗りやすい良い飛行機なんですよね…。それで…このように乗って自爆したくない…という気持がありました。」

「うーん…」吾郎は深く頷きました。
「だから、どうして9回も耐えられたんでしょう?という答えが知りたくて、何回も何回も通ったんですけど、勿論お父さんの言葉もあったし、岩本隊長の言葉もあったんだけど、一番は飛行機が大好きで空を飛ぶことが大好きで、だから一回で終わらせたくないし大好きな飛行機を壊したくないという思いだった気がしますね。」(鴻上さん)
佐々木さんの飛行機への純粋な思いは、理不尽な上官の命令に押しつぶされなかったのです。

番組はエンディングへ。
「ブラック企業だと思うんですよ、軍隊は。特に理不尽な命令を出してね。戦艦を沈めることじゃなくて死ぬことが目的というのは本当にブラックだと思うんだけど、そういうブラックな組織に対してこれだけ戦った人がいたと思うだけでも勇気が湧くじゃないですか。」(鴻上さん)
「湧きます。」(吾郎)
「その一番の原動力が“空を飛ぶのが好きだった”という単純な思いで。それがブラックな組織と戦う武器になり得た、という。」(鴻上さん)
「そうですね…」吾郎は最後にやっと微笑みました。

山田くんの消しゴムハンコは笑顔の鴻上さんと佐々木さん。披露する山田くんの表情はいつもより神妙でした。


戦争が終わって74年経ちますが、自爆攻撃を強いた軍隊は過労死するまで残業させるブラック企業となって今の日本に残っているのかも知れない、と考えたら怖くなりました。日本人は根っこの部分では変わっていないのではないか、とさえ思いました。


拍手ありがとうございます

年末はルイス♪

疾風怒濤の情報解禁ラッシュです。来年のことを言うと鬼が笑うと言いますが、来年までの予定が出ました(笑)。

【ラジオ】
6/12 (火) 11:30~12:55 JFN  「simple style -オヒルノオト-」 稲垣吾郎
※舞台「FREE TIME, SHOW TIME『君の輝く夜に』」へ向けてのインタビュー
6/16 (土) 18:30~19:30 文化放送 「編集長稲垣吾郎スペシャル」 (生放送!)

【舞台】
「No.9 ~不滅の旋律」
[東京公演] 11/11(日)~12/2(日) TBS赤坂ACTシアター
大阪(12月)、横浜(12月)、久留米(2019年1月)でも公演
詳しくはこちら


6/16に「編集長稲垣吾郎」のスペシャルが放送されることになりました。嬉しいです。2回目の生放送はゲストもいらっしゃるそうで、「俳優稲垣吾郎」にもスポットを当てるとの事なので期待したいです。番組への質問を考えなくてはいけませんね。
そして、ビッグニュースと言えば、「No.9」の再演ですよ!あのルイス様がまた見られるなんて幸せです(いやまだチケットは取れていませんが)。今回はマリア役に剛力彩芽さん、ジョセフィーヌ役に奥貫薫さんなど、キャストが変わるのでどんな感じになるか楽しみです。「君の輝く夜に」のチケット発売がまだ終わっていないこの時期に発表されて嬉しい悲鳴ですね。
今年後半は吾郎舞台にどっぷり漬かりたいです。


拍手ありがとうございます

プロフィール

はちミツ

Author:はちミツ
【注意:当ブログの内容の無断転載は禁止します。】

稲垣吾郎さん大好き、SMAP大好き!の主婦。
吾郎ファン歴は25年目になります。
彼らがいつかまた集まりたいと思った時そうできるように、彼らがそれぞれ今いる場所で益々輝いていってほしいと願っています。
だから「SMAP大好き」という気持ちも「新しい地図の3人の活動を応援する」気持ちも私の中では同じ一つの思いなのです。
神奈川県在住。

近況
①毎週水曜日は「an・an」の「稲垣吾郎のシネマ・ナビ」をチェック!。
②「ゴロウ・デラックス」(TBS)もお見逃しなく!
③「稲垣吾郎オフィシャルブログ」、twitterアカウント @ingkgrofficial も必見!

メールは↓へ。
walkwithgoro☆hotmail.co.jp
(☆を@に変えて下さい)

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