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【TOP記事】 「稲垣吾郎シネマナビ」書籍化に向けて

町山智浩さんゲストのゴロデラで「要望を出すことの大切さ」を改めて教えられたところ、Kazuyoさんの吾郎ファンブログ「天使の呟き」で「an・anの連載コラム『稲垣吾郎のシネマナビ』の書籍化のお願いを出しましょう」という呼び掛けが上がりました。

詳しくは「天使の呟き」のこちらの記事→吾郎さんの映画コラム「シネマナビ」(an・an)を書籍化へ!

ご存知のようにan・anでの吾郎の映画コラムは15年以上続いていて、毎回映画の魅力を独特の言葉で紹介してくれています。映画(DVD)選びの参考になりまた読み物(ライターさんの書き起こしですが)としても楽しめます。ここは是非書籍化して頂きたいです。
なるべく多くの方のご協力を頂きたいです。どうぞよろしくお願い致します。

《葉書の宛先》
〒104-8003 
東京都中央区銀座3-13-10 
株式会社マガジンハウス  アンアン編集部
稲垣吾郎シネマナビ担当御中



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8月19日は吾郎祭り♪

おはようございます
暑い日が続きますが皆さんお元気でしょうか。

一昨日の「あさチャン!」は三島由紀夫の「告白」の紹介でしたが「ゴロデラ」での吾郎のコメント部分も流してくれてありがたかったです。ゴロデラが放送されていない地域の皆さんは約7カ月ぶりにテレビで吾郎を見られたんですよね。そのことも含めて「あさチャン!」の公式サイトに感想とお礼を書き込んできました。視聴者からの反響は番組スタッフにまで届くそうなので、お手の空いた時に是非送ってください。それが続けばきっと力になるはずです。

ところで現在発売中の「週刊ザ・テレビジョン」と「TVガイド」に「金の正解!銀の正解!」での吾郎のスナップが載っています。どちらもとてもかわいい吾郎です(扱いが大きいのはジョンの方ですが、ガイドの写真もとても面白いです)、かなり盛り上がったようなので放送が楽しみです。
そして気になる放送日は19日だそうです。つまり19日は19時から「金の正解!銀の正解!」、それに続いて21時から「ほん怖」と久々に吾郎祭りになります。今からテンションが上がりますね♪
あ、久々と言えば、髭なし吾郎さんも久々です。私は髭吾郎は好きなのですが今回はかなり長期間だったので、髭なしも新鮮でいいなあ、と思いました。


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中国、台湾、日本の間で (「ゴロウ・デラックス」 8/4)

オープニング。吾郎はダークスーツが本当によく似合います。
「今回のゲストは2度目のご出演です。前回は直木賞を受賞された時に来てくださいました。」(外山さん)
「あの時はこの方のお話はあまり聞けなかったんですよね。3人でいらしたんですよね、又吉さんと羽田さんと。あの時は2人ともちょっとアクが濃かったので…。」(吾郎)
吾郎の爆弾発言に思わず笑ってしまう外山さん。今日はじっくりお話を伺えそうです。

東山彰良さん。一昨年「流」が「20年に1回の良い作品」と絶賛され満場一致で直木賞を受賞しました。その時の芥川賞が又吉さんと羽田さんで、3人でゴロデラに来てくださいました。。
東山さんが登場して席に着くと「あれからもう2年ですか。」(外山さん)「早いね。」(吾郎)と3人はしみじみしました。
「その後(お二人と)お会いすることは?」(吾郎)
「去年別の作品(「罪の終わり」)で中央公論文芸賞を頂いたんですけど、羽田さんにはその授賞式でお会いしました。」(東山さん)
「息子さんたちが羽田さんのファンだそうで…。」(吾郎)
「あはは、そうなんですよ。息子たちは僕の本は全然読んでくれないんですけど、羽田さんの本は二人共『面白い面白い』って。」(東山さん)
「へえー。今お幾つなんですか?」(吾郎)
「長男が大学4年生で次男が高2です。」(東山さん)(←え、そんな大きなお子さんがいらっしゃるんですか?!)
「お父さんの本も実は読んでるんじゃないですか?」(外山さん)
「いや、次男に関しては絶対読んでないです。」(東山さん)
「ほんとですか?」(吾郎、半信半疑)
「直木賞を受賞した時も『お父さんの俳句が新聞に載った』位の盛り上がりぶりで。」(東山さん)
東山さんの例えがあまりに上手いので、吾郎も外山さんも笑ってしまいました。

先ずは直木賞受賞作「流」のお話から。
主人公は1970年代の台湾に暮らす若者、秋生(チョウシェン)。彼が、かつて中国大陸で戦った祖父の人生をたどる青春物語です。東山さんがご自分のお父様とお祖父様をモデルにして書きました。
「東山さんご自身は台湾のご出身ですか?」(外山さん)
「そうです。両親も中国大陸出身ですが戦争で負けて台湾に移った世代なので、僕は台湾で生まれました。」
東山さんのお話を吾郎は興味津々の表情で聞いています。
ご両親とのお写真(東山さん2歳)で見ると東山さんはお父様にそっくりです。「よく言われます。」と東山さん。
「お父さんが『流』の主人公のモデルですね。」(吾郎)
「そうですね。本当は祖父の物語を書きたかったんです。祖父は中国大陸で抗日戦争(日中戦争)を戦ってその後(内戦で)共産党と戦って、それで負けて台湾に移ったんですけど、その祖父の物語を書くとおそらく1930~40年代の中国大陸を舞台に戦争という背景で壮大な物語になりそうな気がして、でもそれを書ききる自信がなくて、まず父親をモデルにして、僕がよく知っている台湾を舞台に書いたのが『流』です。」
東山さんのお祖父様の体験談は、20世紀の中国と台湾の歴史そのものですね。それだけで驚きです。
「じゃ『流』を書く時取材で実際に中国にも行かれたりして?」(吾郎)
「はい。うちは中国の山東(サントン)省の出身なんですが、2009年位に当時ご存命だった祖父の兄弟分に会いに行ったんです。その時で90歳を越えてたと思うんですけど、父親に『今会いに行って話を聞かないと多分もう聞けないぞ』と言われて、父と二人でそのおじいちゃんに会いに行って、名前も経歴もほぼそのままで作品には反映させました。」(東山さん)
「前回はそういうお話を詳しく伺えなかったので…。」(外山さん)「そうそう、羽田さんと又吉さんとね。」と吾郎はいたずらっぽく笑いました。(あの時は羽田さんと又吉さんがしゃべくり倒していた印象が…。)
そしてご両親の出身地「山東」をひっくり返して「東山」というペンネームにしたそうです。
「デビューする時に中国名でそのまま行くか日本人風のペンネームをつけるかと考えたら、自分の書く小説のタイプがエンターテインメントでやっていこうと思ったので『中国名で書くと重くなるかな』と思ったんですね。だとしたら日本人風のペンネームをつける、で自分とゆかりのある名前をつけようと思って、山東省をひっくり返して東山にしたんです。」と東山さん。
「良いお名前ですね、作家さんって感じで、流れるような。」と外山さん。上品なペンネームですね。

台湾で生まれた東山さんは5歳の時、ご両親の留学先の広島へ。その後いったん台湾に戻り9歳の時一家で福岡に移住しました。
「言葉ってそこから…?」と吾郎が訊くと
「言葉はですね、日本に来た5歳の時にポンと保育園に放り込まれて知らないうちに身に付いたんです。」と東山さん。子供は自然に言葉を覚えるからスゴイですよね。
「漢字とかは覚えやすいものなんですか?」(吾郎)
「漢字は確かに覚えやすいんですけど、我々が使う漢字と違う意味の言葉もいっぱいあるので。よくある例では「手紙」は中国語ではトイレットペーパーですし。それはちょっと混乱します。」(東山さん)
「台湾って何語ですか?」(外山さん)
「色々あるんです。中国語、台湾(ビンワン)語、それから先住民の方々の言葉もありますし、意外と色々な方がいて言葉が全然違うんです。僕が喋れるのは中国語だけです。」(東山さん)
日常会話は問題ないという東山さんですが、「ただ小説は無理」だそうで、
「新聞を読むときは事実さえ伝わればいいんですけど、小説の場合は全体の雰囲気とか格調とか、そういうものが僕は漢字からは読み取れないんです。なのでよく『自分の作品を自分で翻訳したら?』って言われるんですけどそれは絶対出来ないです。」
これも言葉の不思議なところですね。

課題図書 : 「僕が殺した人と僕を殺した人」 東山彰良

課題図書は東山さんの最新作です。
1984年の台湾で友情を育む13歳の少年達。しかし30年後、彼らの一人が全米を震撼させた連続殺人鬼として逮捕される。いったい誰がなぜ殺人鬼になってしまったのか?その謎をめぐる青春ミステリーです。
冒頭、主人公のユン、アガン、ジェイが親友になるきっかけとなる喧嘩のシーンを吾郎が朗読。ユンは学校帰りにアガンとジェイに待ち伏せされます。アガンはともかく、ユンとジェイの間には特に確執はないのですが、

友達が間違ったことをした時に正してやるのは真の友達で、
友達が間違ったことをしたときにとことん付き合ってやるのが兄弟分だった。


「いきなり冒頭から激しいんですよね。」(吾郎)「喧嘩のシーンですね。」(東山さん)
「間違ったことをした時とことん付き合ってやるのが兄弟分。」吾郎は眉間に皺を寄せてもう一度読みました。
「いいですよね。」(外山さん)
「1984年に13歳…僕らと年代はそう変わらないけど僕らの子供の頃とは全然環境が違うね。」(吾郎)
「『流』もそうだったんですけど、人は勿論、景色がすごく浮かんでくるじゃないですか。」(外山さん)
「うん、匂いとか湿度とか感じますよね。」(吾郎)
「そう言って頂けると光栄です。」東山さんは嬉しそうです。

ところで人気の旅行先としていつも上位に上がる台湾ですが、この本には観光では知ることが出来ない台湾の文化や情景が描かれています。ここからは東山さんが撮ってきたプライベート写真を見ながら台湾について教えてもらいました。
物語の舞台は東山さん自身の故郷でもある台北市の廣州街。ユンは両親が牛肉麺(ニュウロウメン)屋を営むアガン、ダーダー兄弟の家に居候していました。という事で、まず牛肉麺屋の写真から。
「これ、屋台みたいに外で食べてるんですね。」(吾郎)
「そうですね。外でも食べられるし、中にも座れる場所がありますが、台湾は暑いので結構外で食べる機会が多いのかもしれないですね。」(東山さん)
「まあイメージ通りだね。(次の牛肉麺の写真を見ながら)これ、牛肉が入っている麺ですか?」(吾郎)
「まさにその通りです。五香という粉があって…八角とか入っている…」(東山さん)
「はぁ、そういう感じですか。」(外山さん)「いいじゃないですか、僕、火鍋とか好きですから。」(吾郎)
「それに近い感じです。薬膳とか入ってますね。」(東山さん)
「吾郎さんそういうの好きそう、あはは…」なぜか外山さんが笑いだしたので、吾郎が突っ込みました。
「何笑ってるの?」「だって…(笑)」「薬膳身体にいいじゃん。」「薬膳ね(笑)」「汗かきたいんだよ。デトックスしたいの(笑)。」
ここの吾郎と外山さんのやり取りが微笑ましかったです。
「これ実際に取材に行かれたんですね?」(吾郎)
「そうですね、ここは僕が生まれ育った所なので、取材に行くというよりも自分の記憶が正しかったか確認に行くという感じでした。僕が住んでいたのは廣州街という所で外省人(がいせいじん)が多かったんです。外省人というのは(戦後)中国大陸から渡ってきた、僕のような出自の人々なんですけれど、ユン、アガン、ダーダーはそういう大陸から渡ってきた人たちのエリアに住んでいる、という設定です。」(東山さん)
ユン、アガン、ダーダーが外省人エリアに住んでいたのに対し、ジェイは線路を挟んで西側、戦前から台湾に住み台湾語を話す台湾人のエリアに住んでいます。本の中にはこんな一節もあります。

子供のころ、ぼくたちは線路のむこう側へ行くことを禁じられていた。アガンはこっそり線路を超えてジェイと遊んでいたけれど、バレれば母親に麺棒でこっぴどくぶたれた。


ここで台湾人エリアの三水市場を東山さんが歩いている写真を拝見。
「ジェイがここに住んでいる設定なのでわざわざ見に行きました。これも僕の父親たち世代の話ですけど、うちの祖父は大陸から渡ってきたんですけど国民党の正規の兵士じゃなかったんですよ。遊撃隊をやっていたので正規の兵士のエリアに住めなくて、うちの家族は台湾人のエリアに住んでいたんです。そのために父親も叔母も結構戦う日常だったみたいですね。石を投げられてそれが頭に当たって血を流しながら学校へ行ったって話も聞いた事がありますし。そのおかげで、僕は中国語しか喋れないんですけど、父親たちは台湾語もペラペラ喋れる。そういう環境で育ったので。僕らが子供のころはそちらへ行くことは大人たちに止められていましたね。こっそり行くと怒られました。」(東山さん)
壮絶なお話に吾郎も外山さんも聞き入っていました。

本の中には台湾ならではの食文化についての記述もあります。

ぼくたちは男らしくこの一件を水に流し、台湾人の真似をして猪脚麺線(ディカミスア)を食べた。


少年たちが喧嘩の後仲直りの証として食べたという猪脚麺線の写真。いかにも美味しそうです。
「麺線というのに豚足が乗ってるんですよ。」(東山さん)「おいしそう。」(吾郎)
「とろみのあるスープで煮たりするんです。なのですごく細くて素麺を煮込んだような感じですね。」(東山さん)
(ちなみに牛肉麺は太くて丸くてまっすぐなスパゲティの様な麺でした。)
「(店の看板に)猪って書いてありますけど豚なんですね。」(外山さん)
「豚なんです。中国語では猪は豚なんです。」(東山さん)
「これもコラーゲンたっぷりでいいんじゃないの?」と吾郎はいかにもザ・イナガキな反応をしました。
「父親の世代、僕らより一個上の世代は、厄払い…悪い事があったらこれを食べて厄を落とすという食べ物なんです。」(東山さん)「へぇ…」(外山さん)
「それを子供たち、本の中の子供たちが真似をしてこれを食べに行くんです。」(東山さん)
「厄落とし=喧嘩の仲直り」というわけでしょうか。
次の写真は…
「朝食を食べている所だと思います。家の近所にある朝食屋さんですね。」(東山さん)
「あれ?皆さん自炊しないんですか?朝ご飯は。」(吾郎)
「自炊する家ももちろんあるんですけど、外で食べてもすごく安いんですよね。」(東山さん)「いいなあ。」(外山さん)
「子供たちも登校前に屋台に寄って食べていくとか、あと、買ってビニール袋に入れて食べながら行く子もいますし。それぞれのお気に入りの場所があって。」(東山さん)
「東山さんのお気に入りのメニューはあるんですか?」(吾郎)
「まさにこれです(写真が変わって大きくて長い揚げパンを持った東山さんが映りました)、これ私です。油で揚げた揚げパンと熱い豆乳を買って、道端に座ってつけて食べるのが好きで。例えば外国から来た方に『絶対美味しいから食べてみて』とは言えないようなものです。ソウルフードなので味は二の次なんです。」(東山さん)
「きょうはこれ、ドウジャン、ですか?」と外山さんが訊きました。
「中国語で豆漿(ドウジャン)と言いますが日本の豆乳と同じです。」(東山さん)
「今日はそれと揚げパンをご用意致しました。」(外山さん)
「え?俺牛肉麺がいい。」(吾郎)
と冗談を言いつつ、東山さんの好きな台湾の朝ご飯、揚げパンと熱い豆乳を試食。
太くて長い揚げパンをそのまま中鉢の豆乳に浸して食べる、そのお味は…
「懐かしくない?給食?」(吾郎)
「(日本にも)ないわけではないんですけど、そして外国から来てわざわざ食べる程のものでもないんですけど、食べちゃうんですよ。」(東山さん)
「分かります分かります。」(吾郎)「ちょっと甘いんですね豆乳が。」(外山さん)
「豆乳がおいしい。僕好きですよ。」(吾郎)
「ありがとうございます。」と東山さんは2人が気に入ってホッとしたようでした。

東山さんがこの本を書くにあたって最初に思い浮かべたのは、少年たちがある重大な計画を実行するかどうか神仏にお伺いを立てるシーンでした。彼らが使っていたのは台湾ならではの「ポエ(竹かんむりに交)」という2つの赤い木片。実際にスタジオに用意されましたが、三日月形の少し大きめの木片で裏と表で微妙にカーブの付き方が違います。
「読んでてこれが分からなかったんだよね。」と吾郎。
「これを2枚こうやって投げて、裏と表に分かれたらお伺いが通った、イエスをもらった、と。」(東山さん)「なるほど、そういう事か。」(外山さん)
「意外とシンプルですね、あんな大事な事をこれで決めちゃうんだもん。」(吾郎)
と、そのポエのシーンを外山さんが朗読。
ユン、アガン、ジェイはお寺に行きポエでお伺いを立てます。「事が事だから一人でも反対されたらやめよう」と言って…。それはジェイの継父を殺すことでした。

俺には殺したいやつがいます。
それは俺の継父の沈領東(シェンリンドン)です。もうこれ以上は耐えられません。あいつが死ぬか俺が死ぬか、ふたつにひとつです―――。
目を開き思いを解き放つ。
赤い木片はスローモーションのように落下し、乾いた音を立てて床の上ではじけた。
表と裏。
「シン(聖)ポエだ。」


「表と裏に分かれたという事は…?」(外山さん)
「シンポエと言って、願い事が聞き届けられたという事ですね。」(東山さん)
「人を殺していいですか?って神様にお伺いを立てるんですね。」(外山さん)
「これはちゃんと信じるんですね。世の中の事は信じてない、大人の事も信じてない、友達同士だって確執があるのに、これはちゃんと信じるんですね。」(吾郎)
東山さんは吾郎の言葉にうなずきながら
「この物語は1984年ですが、現代の台湾は日本と同じようにスマホ文化なんですよ。でもスマホをヒョイヒョイ使っている子たちもお寺に行ってこれを投げてお伺いを立ててるんですよ。これは僕の印象ですが、台湾はそういう土地柄だろうと思う。彼らが一応13歳で、占いで物事を決めるというのもこの年齢だからこそできたのかなと思います。」(東山さん)
「そこで13歳なんですね。」と外山さん。13歳って子供でも大人でもない年頃ですよね。

番組はエンディングへ。
「さあ、じゃ僕らもやりますか。」(吾郎){是非やってみてください。」(東山さん)
「一通り素敵なお話を色々聞けたので、そろそろ収録を終わらせてもいいかを…」(吾郎)
「伺ってみますか?」(外山さん)「撮れ高十分なんで、基本的には。」(吾郎)
セットの前に3人で立ち、吾郎がポエを両手で持ち、
「夜も深い時間なので、収録を終わらせてよろしいでしょうか。」と言って投げると、表と裏に分かれました。
「すごいですね、一回でなかなか出ないですよ。」と東山さんは感心しました。
(でももし表と裏に分かれなかったらどうなったんでしょう?)

来週のゴロデラは世界陸上の為お休み。再来週は岩下尚史さんが久々に登場します。楽しみです。


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【緊急】 明日のあさチャン!でゴロデラの告知

ついさっきtwitterで知った情報です(関東ローカルだったらすみません)。

明日の「あさチャン!」(TBS 7:00~8:00)でゴロデラの告知があるようです。
明後日のゴロデラは世界陸上の為お休みですが、来週(17日深夜)の課題図書は「告白 三島由紀夫未公開インタビュー」(岩下尚史著)。この告知の様です。吾郎が登場するかはわかりませんが、チェックできる方は是非。

明日の「あさチャン!」の内容についてはこちら


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追悼・日野原重明先生 (「ゴロウ・デラックス」 7/28)

オープニング。吾郎はダークグレーのスーツ、外山さんは落ち着いた紫のブラウスに白のスカートを着ています。
「こんばんは、ゴロウ・デラックスです。2017年7月18日、聖路加国際病院名誉院長日野原重明さんがお亡くなりになりました。享年105でした。この番組にも2年前にご出演して頂き、いろいろなお話を聞かせて頂きました。」(吾郎)
「105年という長い歴史の中で、日本の医療界の為に尽くし、数々の改革を成し遂げた方です。さらにその人生の中では日本の歴史的事件とも大きく関わり、社会に対しても影響を与えた方でした。」(外山さん)
「今夜は日野原重明さんを偲んで、以前ご出演頂いた時の未公開部分も含め、105年の生涯を振り返りながらお送りいたします。」(吾郎)

今回は2015年10月22日放送のVTRを振り返りながら、日野原先生を偲ぶ特集でした。日野原先生を尊敬し、先生を慕う気持ちが全体に表れたとても良い追悼番組だったと思います。

先生が聴診器で吾郎と外山さんを診察したり、実際に遭遇したよど号ハイジャック事件と地下鉄サリン事件について話してくださったことは強く印象に残っています。
よど号ハイジャック事件(1970年)の時日野原先生は58歳でした。この経験から、
「私たちの命は与えられたから、これからの私は誰かの為に尽くそう。」と思ったそうです。
1995年の地下鉄サリン事件では聖路加国際病院の外来を中止し、一日目に640名もの被害者を受け入れました。病院建て替えの際にチャペルや廊下にも酸素と吸引の設備を完備したので対応できたのです。
また、1996年には「生活習慣病」という言葉を作り社会に定着させました。時代の変化を先取りし日本の社会に求められる新しい医療を常に作ってきた方だと改めて思いました。

先生のご自宅訪問のVTRも懐かしかったです。外山さんの年配の方への接し方は優しくて敬意ががあって見ていてホッとします。

先生は今後の目標についても語ってくださいました。
「次のオリンピック(2020年)の時には私は109歳になる。オリンピックの時には聖路加国際病院ではいろんな仕事があって、選手村が出来るし、選手の健康管理やなんかをしなくちゃならない。だから今から109歳まで何とか元気で、109歳のオリンピックの大切な仕事を成就させる。でもオリンピックで私の生涯が終わるんでなしにまだ関所であって、ゴールはもっと先にある。先の事をいつも考えながら生活をしている。」と。
この時吾郎はじっと先生を見つめて静かにお話を聞いていました。これが収録された時期を考えると、吾郎の中で色々思う事があったのかな、と想像しました。

日野原先生の考えていたゴールが何だったのかは今となっては分かりませんが、2001年の著書「生きかた上手」からそのヒントになる部分を吾郎が朗読しました。この部分は今回の為に新しく収録したものです。

他人の為に役に立てたという事は、つまり自分という存在が生かされたという事であり、生きている実感をこれほど強く感じられる瞬間はありません。
人生の後半は、自分に与えられた知恵やセンスや体力を、今度は社会にお返ししていく段階です。
その自分を生かす場は自分で探し求めるのです。
私にはいつもこんなイメージが目に浮かびます。
地獄の入口で天秤を手にしてエンマさまが問うのです。
「自分の寿命を自分のためだけではなく、他人の為に使ったか。」と。もし天秤棒が「自分のため」の重さのせいで垂直に跳ね上がったりしたら、エンマさまは一言、
「極楽は無理だね」
と言うに決まっています。
人生のぎりぎりまで考え、感じ、働ける人間でありたい。
そのための努力を惜しまず、ときに耐えて、授かった知恵を若い人に与えたい。
それが私の生きがいであり、私の存在に意味を与えてくれるものです。

「うーん…」(外山さん)「…うーん。」(吾郎)二人は日野原先生の言葉をかみしめているようでした。

そしてエンディング。
「日野原先生は105年の自らの命をもって長寿と健康を体現された医師でした。」(吾郎)
「先生のように常に前向きに、そして健康を意識して日々を生きていきます。」(外山さん)
「今夜はゴロウデラックス特別篇をご覧いただきありがとうございました。日野原重明先生、どうか安らかにお眠りください。」(吾郎)


ところで、日野原先生のお話の中で私が一番感銘を受けたのは10年手帳の事でした。
「10年後までの約束が自分と出来ているのはいいですね。」
という吾郎の言葉にも感動し、日野原先生の真似をして、私も大学ノートで5年手帳を手作りして使っています。今年で2年目。毎日書くのは無理ですが細く長く使っていこうと思っています。


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