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Walking with GORO

稲垣吾郎さんとSMAPと新しい地図と。すべてが好きな主婦の日記 【無断転載禁止】

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2011-11-07 (Mon)  08:06

「泣き虫なまいき石川啄木」感想

舞台が終わって早1週間、全体の感想を書こうと思います。
今回私は18日マチネ、29日マチネ、千秋楽の3回を観ました。

冒頭とラストは海の近くの一軒家で妻節子が暮らし始める場面です。啄木(本名:一)が亡くなった後、結核の療養の為に東京から移って来たのです。節子の持ってきた荷物は夫一の書いた小説の原稿と膨大な量の日記。節子は日記と照らし合わせながら小説の原稿を整理し、出来れば出版したいと思っています。でも日記は一の遺言通りに焼いてしまうつもりでいます。

石川啄木の晩年の3年間を、妻が啄木の日記を読む形で振り返ります。

東京の床屋の2階に間借りしている石川一、妻節子、母カツ。一は小説家を目指しているがなかなか認められない。朝日新聞の校正係の仕事も口実をつけて休みがち。カツも節子も気が強く、嫁姑の喧嘩が絶えない。一の文才に惚れ込んでいる親友の金田一京助(後の言語学者)はそんな石川家を気にかけ、なにくれとなく金銭を援助している。石川家にはその他に一の妹で函館の伝道師学校に通っている光子がいて、仕事で上京したり休暇を貰ったりすると東京の家にやって来る。そして光子がいる時に限って騒動が起きる。

最初は嫁姑の言い争いに一が辟易している、ごく普通の場面で始まります。そこへ上がり込んだ金田一は、一がなかなか出勤しようとしないので電車賃がないのだろうと察し、こっそりお金を渡します。この場面は一と金田一の関係だけでなく、二人の性格も良く表わしていると思いました。金田一は素直でお人よし、育ちの良さを感じさせます。一方の一は人当たりが良く明るいのですがちゃっかりしていて、ちょっとズルイところも…。金田一が一にお金を渡すシーンはこの後何度も出て来ます。

ストーリーはこの後妻節子の家出、父一禎の同居と親子の確執、幸徳秋水事件を巡る一と金田一の論争と思想的決別(これが一つの山場になっています)、節子の不倫疑惑と一禎の失踪、一、節子、カツの結核発病と展開していきます。特に禅僧でありながら無類の酒好きでお金にだらしのない父一禎が同居するようになってからは、ただでさえ家計が苦しい石川家は更に困窮していきます。更に一を援助してくれていた親友が節子に恋文を送って来た事が発覚して、この親友と絶縁した事も貧しさに拍車をかけます。客観的に見ればかなり悲惨な状況ですが、井上ひさしさんの本はユーモアにあふれているので、色々な場面で沢山笑いが起きていました。
それでも一、節子、カツの三人が三人とも結核に罹っていると分かる場面は笑っていいのか分かりませんでした。客席では大きな笑いが起こっていましたが、私はおかしいとは思いながらもどうしても笑えませんでした。もしこの舞台が再演されたら、私はこの場面を自分の中で上手く消化する事が出来るかもしれません。その意味でも、是非再演して欲しいと思っています。

この作品は井上さんが離婚問題の渦中にいる時に書かれ、嫁姑の板挟みになる啄木に自分の姿を投影したとご自身が認めていることから、嫁姑の争いや家族の確執がテーマと取られがちだそうです。
でも、この作品は社会の矛盾にも目を向けていると思います。物語の中盤、一と金田一の息詰まるような論争のシーンでは、幸徳秋水事件(大逆事件)をきっかけに社会の矛盾を正したいと考え始める一とより現実的な方法で少しずつ社会を変えていくべきだと考える金田一の違いが明らかになります。
「ウチの家計は火の車です。(中略)そしてそれば僕のせいだと思っていた。でもどうやらそういう家は世の中に沢山あるらしい事が分かってきた。一生懸命生きているのに社会の横丁や路地裏に追い込まれているんです。」と一は言います。「社会の横丁や路地裏に囲い込まれている人々」に人間らしい暮らしを取り戻したい、という一の主張は最近ニューヨークで起きた反格差デモを連想させます。
一と金田一は、金田一の財布を投げつけあいながら論争をしますが(これが結構笑えます)、どちらも譲りません。脇で聞いていた一禎の「二本の刀が一度に一つの鞘に納まる事は出来ない」という言葉を聞いて、二人は決別を決意します。
しかし一は理想主義に走るだけではなく、校正係の仕事にも精を出す様になります。地に足をつけて何とか生活をしていこうと決めた時から一の家族への接し方も優しくなっていった気がします。
節子の不倫疑惑と和解の場面では、決別したはずの金田一が「妻に男から手紙がきた!」と取り乱して飛び込んで来て騒ぎを大きくします。このお芝居では金田一京助はコミカルな部分担当で、演じた鈴木浩介さんの飛ばしっぷりが冴えていました。
しかし、最後には一も節子もカツも結核に罹ってしまいます。その事に気付いた時、今までいがみ合って来た嫁姑は初めてお互いを気遣い抱き合って泣きます。それを見た一が
「近々死ぬと分かっていたら、こんなに優しくなれるのに…」と言う場面(これが一の最後の科白になります)は毎回泣けました。そして吾郎の科白回しがどんどん深くなって29日には悟った様な響きになり、千秋楽では祈りの言葉の様に聞こえました。

去年の「象」、今年の「ぼっちゃま」「啄木」と続けて観て、吾郎の科白回しの上手さ、声の良さが特に印象に残りました。今回は科白の量はあまり多くなかったかも知れませんが、家族間の葛藤に苦悩したり、そこから自分なりの答えを出したりと内省的な科白が多く、難しかっただろうと思います。そこをきちんと表現出来ていたのが良かったと思いました。
演技の上手さと安定感では段田安則さんが群を抜いていました。出番が多く全体のペースメーカーになっていたのがカツ役の渡辺えりさん。妹光子(石川家では一番常識的な人物)役の西尾まりさんも声が良く通って科白に迫力がありました。そして節子役の貫地谷しほりさんは何より可愛かったです。

すごく良いカンパニーですごく良いお芝居が見られました。心の宝物が一つ増えた感じです。
出演者・スタッフの皆さん、本当にありがとうございました。


拍手ありがとうございます
以下お返事

>Tさん
コメントどうもありがとうございます。
29日にご覧になったのですね。お会いしたかったです。開演前のロビーは吾郎ファンの社交場になっていて皆さんご挨拶していましたから、あの中にいらしたのでしょうか。ニアミスしていた筈ですね。
私は1回目だけが上手側の席で、2回目3回目は下手側の席でした。2回目は双眼鏡で吾郎の表情を集中的に見て、1回目と3回目は肉眼で全体を見ました。今思うと贅沢な見方が出来たと思います。
今回日本を代表する劇作家、井上ひさしさんの舞台に出られた事で、また実力が養われたと思います。来年以降、舞台や映画で役者として花開いて欲しいです。吾郎ならきっとできるでしょう。
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最終更新日 : -0001-11-30

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