Walking with GORO

SMAP稲垣吾郎さん大好きな主婦の日記 【無断転載禁止】

【TOP記事】 「稲垣吾郎シネマナビ」書籍化に向けて

町山智浩さんゲストのゴロデラで「要望を出すことの大切さ」を改めて教えられたところ、Kazuyoさんの吾郎ファンブログ「天使の呟き」で「an・anの連載コラム『稲垣吾郎のシネマナビ』の書籍化のお願いを出しましょう」という呼び掛けが上がりました。

詳しくは「天使の呟き」のこちらの記事→吾郎さんの映画コラム「シネマナビ」(an・an)を書籍化へ!

ご存知のようにan・anでの吾郎の映画コラムは15年以上続いていて、毎回映画の魅力を独特の言葉で紹介してくれています。映画(DVD)選びの参考になりまた読み物(ライターさんの書き起こしですが)としても楽しめます。ここは是非書籍化して頂きたいです。
なるべく多くの方のご協力を頂きたいです。どうぞよろしくお願い致します。

《葉書の宛先》
〒104-8003 
東京都中央区銀座3-13-10 
株式会社マガジンハウス  アンアン編集部
稲垣吾郎シネマナビ担当御中



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幸せな土曜日 (「金の正解!銀の正解!」「ほん怖」 8/19)

昨日は幸せな土曜日でした。
テレビを見て思い切り笑ったのは久しぶりな気がします。

クイズ「金の正解!銀の正解!」では面白可愛い吾郎が全開でした。椅子取りゲームで必死になる吾郎も麻婆豆腐の味覚当てクイズで一人だけ正解し大喜びする吾郎も全部愛しかったです。気が付けばTVの中で大笑いする吾郎を見て私も大笑いしていました。見ている人たちを無条件に楽しませることが出来る人がアイドルでありスターなんですね。昨日改めてそう思いました。
やはりテレビには稲垣吾郎が必要です!

でもこのクイズ番組に出られたのも「ほん怖」の番宣の為ですから、やはり「ほん怖」には感謝ですよね。今回どのドラマも怖くてまともに見られなかったのですが(こら)、吾郎とほん怖クラブの子供たちがぴったりくっついて怖がっている姿はいつにも増して可愛かったです。霊能力者の下ヨシ子さんも久しぶりに登場して心霊写真の解説をしてくださって懐かしい感じがしました。

ゴールデンタイムの全国放送に登場するのは7カ月ぶりという事もあり、私としては「稲垣吾郎祭り」を思い切り楽しみました。とはいえこれだけで終わっては困るので、またこの先が繋がるよう、番組HPには感想とお礼を書いてきました。


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今の胸の内を語る (「めざましテレビ」 8/18)

吾郎が出演すると聞いて、久しぶりに「めざましテレビ」を見ました。
普段は毎週月曜に放送されている「THE軽部真一」というコーナーの特別篇として吾郎のインタビューが行われたのです。勿論明日の「ほん怖」の番宣で心霊現象の様な撮影裏話もしましたが、後半では吾郎自身の現在の心境が語られました。
ビジュアルも完璧で、久しぶりに髭を剃り、眼鏡の奥の瞳はキラキラと輝いていてとても眩しかったです。吾郎の一言一言が印象深かったので、その一部を記録しておきます。

軽部「去年の年末、大晦日で一つ大きな節目がありました。そしてこの秋にまた一つ節目が来る。ご自身としてはどうなんですか?なにがしかの変化として受け止めていらっしゃるのか。」

吾郎「それは見ている方とか世の中的にはすごい変化だと思うので、何も変わらないよって澄ました顔をして言ってはいけないことだとは思うんですけども…ただもちろん、今ある現実は現実なので、それを受け止めながらもちろん前向きに…。でも仕事欲は尽きる事はないので、やっぱり役者の仕事は大好きなので、ずっとやってきている事ですし。役者の仕事ってその人のドキュメンタリーみたいな感じじゃないですか。ちゃんと内面が出る仕事なので、その人の魅力というか人となりというか。やっぱりいい人間になっていかないといい仕事も出来ないですし、自分をずっと磨きながら良い俳優になっていくことが出来ればと思っていますけどね。」

軽部「大きな変化があると稲垣吾郎さんのファンは心配すると思うんですよ。」

吾郎「もちろんそれは一番感じている事なので。心配をかけるという事は(語気を強めて)非常に申し訳ない事なのでやっぱり心苦しいですけど、でもこれはもう………(少し考え込んでから)自分で決めた事ですし…その現実というものは受け止めて貰わないといけないなと思いますし、でもその心配にこたえられるように、皆さんの中で何か欠けてしまっているものとかロスしているというか、それをまた満たしていかないといけないと思いますし。こうやって本音を語らせてもらってそういう事が伝わってもらえればいいかなとは思います。」


「ほん怖」の撮影現場では「年々子供がカワイイ」と感じるという吾郎。「もともと子供は苦手なタイプだったんですけど最近では可愛くなってきて、今日も一日一緒にいるだけで最後はちょっと寂しかったです。変わっていくんですね。」とにっこり。自分が変わっていく事を楽しんでいるのだなと感じました。それが吾郎の素敵なところでもありますよね。
「このタイミングで軽部さんにインタビューして頂ける事がすごくありがたいなと思いましたし。僕も言いたいことが言えたというか、嬉しいですね。」
最後に軽部さんとがっちり握手してインタビューは終わりました。

インタビュー自体たっぷり(7分くらい?)時間を取ってくれましたし、吾郎が出演した「白昼のベル」(1999年)や今回の「ほん怖クラブ」の撮影風景の映像をバックに流してくれましたし、全体として親切な作りだったと思います。今回このタイミングで吾郎が自分を語る場が出来て本当に良かったです。
吾郎が心に決めたように進んでいける事を願っていますし、そのためにこれからも応援を続けていこうと思います。


そしてこのインタビューを中居くんの45歳のお誕生日に聞けたのも嬉しかったです。


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8月19日は吾郎祭り♪

おはようございます
暑い日が続きますが皆さんお元気でしょうか。

一昨日の「あさチャン!」は三島由紀夫の「告白」の紹介でしたが「ゴロデラ」での吾郎のコメント部分も流してくれてありがたかったです。ゴロデラが放送されていない地域の皆さんは約7カ月ぶりにテレビで吾郎を見られたんですよね。そのことも含めて「あさチャン!」の公式サイトに感想とお礼を書き込んできました。視聴者からの反響は番組スタッフにまで届くそうなので、お手の空いた時に是非送ってください。それが続けばきっと力になるはずです。

ところで現在発売中の「週刊ザ・テレビジョン」と「TVガイド」に「金の正解!銀の正解!」での吾郎のスナップが載っています。どちらもとてもかわいい吾郎です(扱いが大きいのはジョンの方ですが、ガイドの写真もとても面白いです)、かなり盛り上がったようなので放送が楽しみです。
そして気になる放送日は19日だそうです。つまり19日は19時から「金の正解!銀の正解!」、それに続いて21時から「ほん怖」と久々に吾郎祭りになります。今からテンションが上がりますね♪
あ、久々と言えば、髭なし吾郎さんも久々です。私は髭吾郎は好きなのですが今回はかなり長期間だったので、髭なしも新鮮でいいなあ、と思いました。


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中国、台湾、日本の間で (「ゴロウ・デラックス」 8/4)

オープニング。吾郎はダークスーツが本当によく似合います。
「今回のゲストは2度目のご出演です。前回は直木賞を受賞された時に来てくださいました。」(外山さん)
「あの時はこの方のお話はあまり聞けなかったんですよね。3人でいらしたんですよね、又吉さんと羽田さんと。あの時は2人ともちょっとアクが濃かったので…。」(吾郎)
吾郎の爆弾発言に思わず笑ってしまう外山さん。今日はじっくりお話を伺えそうです。

東山彰良さん。一昨年「流」が「20年に1回の良い作品」と絶賛され満場一致で直木賞を受賞しました。その時の芥川賞が又吉さんと羽田さんで、3人でゴロデラに来てくださいました。。
東山さんが登場して席に着くと「あれからもう2年ですか。」(外山さん)「早いね。」(吾郎)と3人はしみじみしました。
「その後(お二人と)お会いすることは?」(吾郎)
「去年別の作品(「罪の終わり」)で中央公論文芸賞を頂いたんですけど、羽田さんにはその授賞式でお会いしました。」(東山さん)
「息子さんたちが羽田さんのファンだそうで…。」(吾郎)
「あはは、そうなんですよ。息子たちは僕の本は全然読んでくれないんですけど、羽田さんの本は二人共『面白い面白い』って。」(東山さん)
「へえー。今お幾つなんですか?」(吾郎)
「長男が大学4年生で次男が高2です。」(東山さん)(←え、そんな大きなお子さんがいらっしゃるんですか?!)
「お父さんの本も実は読んでるんじゃないですか?」(外山さん)
「いや、次男に関しては絶対読んでないです。」(東山さん)
「ほんとですか?」(吾郎、半信半疑)
「直木賞を受賞した時も『お父さんの俳句が新聞に載った』位の盛り上がりぶりで。」(東山さん)
東山さんの例えがあまりに上手いので、吾郎も外山さんも笑ってしまいました。

先ずは直木賞受賞作「流」のお話から。
主人公は1970年代の台湾に暮らす若者、秋生(チョウシェン)。彼が、かつて中国大陸で戦った祖父の人生をたどる青春物語です。東山さんがご自分のお父様とお祖父様をモデルにして書きました。
「東山さんご自身は台湾のご出身ですか?」(外山さん)
「そうです。両親も中国大陸出身ですが戦争で負けて台湾に移った世代なので、僕は台湾で生まれました。」
東山さんのお話を吾郎は興味津々の表情で聞いています。
ご両親とのお写真(東山さん2歳)で見ると東山さんはお父様にそっくりです。「よく言われます。」と東山さん。
「お父さんが『流』の主人公のモデルですね。」(吾郎)
「そうですね。本当は祖父の物語を書きたかったんです。祖父は中国大陸で抗日戦争(日中戦争)を戦ってその後(内戦で)共産党と戦って、それで負けて台湾に移ったんですけど、その祖父の物語を書くとおそらく1930~40年代の中国大陸を舞台に戦争という背景で壮大な物語になりそうな気がして、でもそれを書ききる自信がなくて、まず父親をモデルにして、僕がよく知っている台湾を舞台に書いたのが『流』です。」
東山さんのお祖父様の体験談は、20世紀の中国と台湾の歴史そのものですね。それだけで驚きです。
「じゃ『流』を書く時取材で実際に中国にも行かれたりして?」(吾郎)
「はい。うちは中国の山東(サントン)省の出身なんですが、2009年位に当時ご存命だった祖父の兄弟分に会いに行ったんです。その時で90歳を越えてたと思うんですけど、父親に『今会いに行って話を聞かないと多分もう聞けないぞ』と言われて、父と二人でそのおじいちゃんに会いに行って、名前も経歴もほぼそのままで作品には反映させました。」(東山さん)
「前回はそういうお話を詳しく伺えなかったので…。」(外山さん)「そうそう、羽田さんと又吉さんとね。」と吾郎はいたずらっぽく笑いました。(あの時は羽田さんと又吉さんがしゃべくり倒していた印象が…。)
そしてご両親の出身地「山東」をひっくり返して「東山」というペンネームにしたそうです。
「デビューする時に中国名でそのまま行くか日本人風のペンネームをつけるかと考えたら、自分の書く小説のタイプがエンターテインメントでやっていこうと思ったので『中国名で書くと重くなるかな』と思ったんですね。だとしたら日本人風のペンネームをつける、で自分とゆかりのある名前をつけようと思って、山東省をひっくり返して東山にしたんです。」と東山さん。
「良いお名前ですね、作家さんって感じで、流れるような。」と外山さん。上品なペンネームですね。

台湾で生まれた東山さんは5歳の時、ご両親の留学先の広島へ。その後いったん台湾に戻り9歳の時一家で福岡に移住しました。
「言葉ってそこから…?」と吾郎が訊くと
「言葉はですね、日本に来た5歳の時にポンと保育園に放り込まれて知らないうちに身に付いたんです。」と東山さん。子供は自然に言葉を覚えるからスゴイですよね。
「漢字とかは覚えやすいものなんですか?」(吾郎)
「漢字は確かに覚えやすいんですけど、我々が使う漢字と違う意味の言葉もいっぱいあるので。よくある例では「手紙」は中国語ではトイレットペーパーですし。それはちょっと混乱します。」(東山さん)
「台湾って何語ですか?」(外山さん)
「色々あるんです。中国語、台湾(ビンワン)語、それから先住民の方々の言葉もありますし、意外と色々な方がいて言葉が全然違うんです。僕が喋れるのは中国語だけです。」(東山さん)
日常会話は問題ないという東山さんですが、「ただ小説は無理」だそうで、
「新聞を読むときは事実さえ伝わればいいんですけど、小説の場合は全体の雰囲気とか格調とか、そういうものが僕は漢字からは読み取れないんです。なのでよく『自分の作品を自分で翻訳したら?』って言われるんですけどそれは絶対出来ないです。」
これも言葉の不思議なところですね。

課題図書 : 「僕が殺した人と僕を殺した人」 東山彰良

課題図書は東山さんの最新作です。
1984年の台湾で友情を育む13歳の少年達。しかし30年後、彼らの一人が全米を震撼させた連続殺人鬼として逮捕される。いったい誰がなぜ殺人鬼になってしまったのか?その謎をめぐる青春ミステリーです。
冒頭、主人公のユン、アガン、ジェイが親友になるきっかけとなる喧嘩のシーンを吾郎が朗読。ユンは学校帰りにアガンとジェイに待ち伏せされます。アガンはともかく、ユンとジェイの間には特に確執はないのですが、

友達が間違ったことをした時に正してやるのは真の友達で、
友達が間違ったことをしたときにとことん付き合ってやるのが兄弟分だった。


「いきなり冒頭から激しいんですよね。」(吾郎)「喧嘩のシーンですね。」(東山さん)
「間違ったことをした時とことん付き合ってやるのが兄弟分。」吾郎は眉間に皺を寄せてもう一度読みました。
「いいですよね。」(外山さん)
「1984年に13歳…僕らと年代はそう変わらないけど僕らの子供の頃とは全然環境が違うね。」(吾郎)
「『流』もそうだったんですけど、人は勿論、景色がすごく浮かんでくるじゃないですか。」(外山さん)
「うん、匂いとか湿度とか感じますよね。」(吾郎)
「そう言って頂けると光栄です。」東山さんは嬉しそうです。

ところで人気の旅行先としていつも上位に上がる台湾ですが、この本には観光では知ることが出来ない台湾の文化や情景が描かれています。ここからは東山さんが撮ってきたプライベート写真を見ながら台湾について教えてもらいました。
物語の舞台は東山さん自身の故郷でもある台北市の廣州街。ユンは両親が牛肉麺(ニュウロウメン)屋を営むアガン、ダーダー兄弟の家に居候していました。という事で、まず牛肉麺屋の写真から。
「これ、屋台みたいに外で食べてるんですね。」(吾郎)
「そうですね。外でも食べられるし、中にも座れる場所がありますが、台湾は暑いので結構外で食べる機会が多いのかもしれないですね。」(東山さん)
「まあイメージ通りだね。(次の牛肉麺の写真を見ながら)これ、牛肉が入っている麺ですか?」(吾郎)
「まさにその通りです。五香という粉があって…八角とか入っている…」(東山さん)
「はぁ、そういう感じですか。」(外山さん)「いいじゃないですか、僕、火鍋とか好きですから。」(吾郎)
「それに近い感じです。薬膳とか入ってますね。」(東山さん)
「吾郎さんそういうの好きそう、あはは…」なぜか外山さんが笑いだしたので、吾郎が突っ込みました。
「何笑ってるの?」「だって…(笑)」「薬膳身体にいいじゃん。」「薬膳ね(笑)」「汗かきたいんだよ。デトックスしたいの(笑)。」
ここの吾郎と外山さんのやり取りが微笑ましかったです。
「これ実際に取材に行かれたんですね?」(吾郎)
「そうですね、ここは僕が生まれ育った所なので、取材に行くというよりも自分の記憶が正しかったか確認に行くという感じでした。僕が住んでいたのは廣州街という所で外省人(がいせいじん)が多かったんです。外省人というのは(戦後)中国大陸から渡ってきた、僕のような出自の人々なんですけれど、ユン、アガン、ダーダーはそういう大陸から渡ってきた人たちのエリアに住んでいる、という設定です。」(東山さん)
ユン、アガン、ダーダーが外省人エリアに住んでいたのに対し、ジェイは線路を挟んで西側、戦前から台湾に住み台湾語を話す台湾人のエリアに住んでいます。本の中にはこんな一節もあります。

子供のころ、ぼくたちは線路のむこう側へ行くことを禁じられていた。アガンはこっそり線路を超えてジェイと遊んでいたけれど、バレれば母親に麺棒でこっぴどくぶたれた。


ここで台湾人エリアの三水市場を東山さんが歩いている写真を拝見。
「ジェイがここに住んでいる設定なのでわざわざ見に行きました。これも僕の父親たち世代の話ですけど、うちの祖父は大陸から渡ってきたんですけど国民党の正規の兵士じゃなかったんですよ。遊撃隊をやっていたので正規の兵士のエリアに住めなくて、うちの家族は台湾人のエリアに住んでいたんです。そのために父親も叔母も結構戦う日常だったみたいですね。石を投げられてそれが頭に当たって血を流しながら学校へ行ったって話も聞いた事がありますし。そのおかげで、僕は中国語しか喋れないんですけど、父親たちは台湾語もペラペラ喋れる。そういう環境で育ったので。僕らが子供のころはそちらへ行くことは大人たちに止められていましたね。こっそり行くと怒られました。」(東山さん)
壮絶なお話に吾郎も外山さんも聞き入っていました。

本の中には台湾ならではの食文化についての記述もあります。

ぼくたちは男らしくこの一件を水に流し、台湾人の真似をして猪脚麺線(ディカミスア)を食べた。


少年たちが喧嘩の後仲直りの証として食べたという猪脚麺線の写真。いかにも美味しそうです。
「麺線というのに豚足が乗ってるんですよ。」(東山さん)「おいしそう。」(吾郎)
「とろみのあるスープで煮たりするんです。なのですごく細くて素麺を煮込んだような感じですね。」(東山さん)
(ちなみに牛肉麺は太くて丸くてまっすぐなスパゲティの様な麺でした。)
「(店の看板に)猪って書いてありますけど豚なんですね。」(外山さん)
「豚なんです。中国語では猪は豚なんです。」(東山さん)
「これもコラーゲンたっぷりでいいんじゃないの?」と吾郎はいかにもザ・イナガキな反応をしました。
「父親の世代、僕らより一個上の世代は、厄払い…悪い事があったらこれを食べて厄を落とすという食べ物なんです。」(東山さん)「へぇ…」(外山さん)
「それを子供たち、本の中の子供たちが真似をしてこれを食べに行くんです。」(東山さん)
「厄落とし=喧嘩の仲直り」というわけでしょうか。
次の写真は…
「朝食を食べている所だと思います。家の近所にある朝食屋さんですね。」(東山さん)
「あれ?皆さん自炊しないんですか?朝ご飯は。」(吾郎)
「自炊する家ももちろんあるんですけど、外で食べてもすごく安いんですよね。」(東山さん)「いいなあ。」(外山さん)
「子供たちも登校前に屋台に寄って食べていくとか、あと、買ってビニール袋に入れて食べながら行く子もいますし。それぞれのお気に入りの場所があって。」(東山さん)
「東山さんのお気に入りのメニューはあるんですか?」(吾郎)
「まさにこれです(写真が変わって大きくて長い揚げパンを持った東山さんが映りました)、これ私です。油で揚げた揚げパンと熱い豆乳を買って、道端に座ってつけて食べるのが好きで。例えば外国から来た方に『絶対美味しいから食べてみて』とは言えないようなものです。ソウルフードなので味は二の次なんです。」(東山さん)
「きょうはこれ、ドウジャン、ですか?」と外山さんが訊きました。
「中国語で豆漿(ドウジャン)と言いますが日本の豆乳と同じです。」(東山さん)
「今日はそれと揚げパンをご用意致しました。」(外山さん)
「え?俺牛肉麺がいい。」(吾郎)
と冗談を言いつつ、東山さんの好きな台湾の朝ご飯、揚げパンと熱い豆乳を試食。
太くて長い揚げパンをそのまま中鉢の豆乳に浸して食べる、そのお味は…
「懐かしくない?給食?」(吾郎)
「(日本にも)ないわけではないんですけど、そして外国から来てわざわざ食べる程のものでもないんですけど、食べちゃうんですよ。」(東山さん)
「分かります分かります。」(吾郎)「ちょっと甘いんですね豆乳が。」(外山さん)
「豆乳がおいしい。僕好きですよ。」(吾郎)
「ありがとうございます。」と東山さんは2人が気に入ってホッとしたようでした。

東山さんがこの本を書くにあたって最初に思い浮かべたのは、少年たちがある重大な計画を実行するかどうか神仏にお伺いを立てるシーンでした。彼らが使っていたのは台湾ならではの「ポエ(竹かんむりに交)」という2つの赤い木片。実際にスタジオに用意されましたが、三日月形の少し大きめの木片で裏と表で微妙にカーブの付き方が違います。
「読んでてこれが分からなかったんだよね。」と吾郎。
「これを2枚こうやって投げて、裏と表に分かれたらお伺いが通った、イエスをもらった、と。」(東山さん)「なるほど、そういう事か。」(外山さん)
「意外とシンプルですね、あんな大事な事をこれで決めちゃうんだもん。」(吾郎)
と、そのポエのシーンを外山さんが朗読。
ユン、アガン、ジェイはお寺に行きポエでお伺いを立てます。「事が事だから一人でも反対されたらやめよう」と言って…。それはジェイの継父を殺すことでした。

俺には殺したいやつがいます。
それは俺の継父の沈領東(シェンリンドン)です。もうこれ以上は耐えられません。あいつが死ぬか俺が死ぬか、ふたつにひとつです―――。
目を開き思いを解き放つ。
赤い木片はスローモーションのように落下し、乾いた音を立てて床の上ではじけた。
表と裏。
「シン(聖)ポエだ。」


「表と裏に分かれたという事は…?」(外山さん)
「シンポエと言って、願い事が聞き届けられたという事ですね。」(東山さん)
「人を殺していいですか?って神様にお伺いを立てるんですね。」(外山さん)
「これはちゃんと信じるんですね。世の中の事は信じてない、大人の事も信じてない、友達同士だって確執があるのに、これはちゃんと信じるんですね。」(吾郎)
東山さんは吾郎の言葉にうなずきながら
「この物語は1984年ですが、現代の台湾は日本と同じようにスマホ文化なんですよ。でもスマホをヒョイヒョイ使っている子たちもお寺に行ってこれを投げてお伺いを立ててるんですよ。これは僕の印象ですが、台湾はそういう土地柄だろうと思う。彼らが一応13歳で、占いで物事を決めるというのもこの年齢だからこそできたのかなと思います。」(東山さん)
「そこで13歳なんですね。」と外山さん。13歳って子供でも大人でもない年頃ですよね。

番組はエンディングへ。
「さあ、じゃ僕らもやりますか。」(吾郎){是非やってみてください。」(東山さん)
「一通り素敵なお話を色々聞けたので、そろそろ収録を終わらせてもいいかを…」(吾郎)
「伺ってみますか?」(外山さん)「撮れ高十分なんで、基本的には。」(吾郎)
セットの前に3人で立ち、吾郎がポエを両手で持ち、
「夜も深い時間なので、収録を終わらせてよろしいでしょうか。」と言って投げると、表と裏に分かれました。
「すごいですね、一回でなかなか出ないですよ。」と東山さんは感心しました。
(でももし表と裏に分かれなかったらどうなったんでしょう?)

来週のゴロデラは世界陸上の為お休み。再来週は岩下尚史さんが久々に登場します。楽しみです。


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【緊急】 明日のあさチャン!でゴロデラの告知

ついさっきtwitterで知った情報です(関東ローカルだったらすみません)。

明日の「あさチャン!」(TBS 7:00~8:00)でゴロデラの告知があるようです。
明後日のゴロデラは世界陸上の為お休みですが、来週(17日深夜)の課題図書は「告白 三島由紀夫未公開インタビュー」(岩下尚史著)。この告知の様です。吾郎が登場するかはわかりませんが、チェックできる方は是非。

明日の「あさチャン!」の内容についてはこちら


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諸々

こんにちは。
早いものでもう8月。あれから一年…などとつい考えてしまいますが、これから拓ける新しい道を想像して明るく行きたいです。

・現在発売中の「週刊ザ・テレビジョン」にゴロデラの記事が1ページ載っています。相変わらず渋いお鬚吾郎さんが手先を使う作業に挑戦するらしいので、非常に楽しみです。

・フジテレビのクイズ番組「金の正解!銀の正解!」(土 19時~)に吾郎が出演するそうです。前回の最後に字幕で告知があったそうですが、現在番組HPに詳細はまだ出ていません。明日は放送休止なので、12日か19日のはずです。「ほん怖」の番宣だと思いますが、ゴールデンタイムの全国放送に吾郎が出るのはスマスマ最終回以来。本当に久しぶりです。

・来週のゴロデラは世界陸上の為お休みです。


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追悼・日野原重明先生 (「ゴロウ・デラックス」 7/28)

オープニング。吾郎はダークグレーのスーツ、外山さんは落ち着いた紫のブラウスに白のスカートを着ています。
「こんばんは、ゴロウ・デラックスです。2017年7月18日、聖路加国際病院名誉院長日野原重明さんがお亡くなりになりました。享年105でした。この番組にも2年前にご出演して頂き、いろいろなお話を聞かせて頂きました。」(吾郎)
「105年という長い歴史の中で、日本の医療界の為に尽くし、数々の改革を成し遂げた方です。さらにその人生の中では日本の歴史的事件とも大きく関わり、社会に対しても影響を与えた方でした。」(外山さん)
「今夜は日野原重明さんを偲んで、以前ご出演頂いた時の未公開部分も含め、105年の生涯を振り返りながらお送りいたします。」(吾郎)

今回は2015年10月22日放送のVTRを振り返りながら、日野原先生を偲ぶ特集でした。日野原先生を尊敬し、先生を慕う気持ちが全体に表れたとても良い追悼番組だったと思います。

先生が聴診器で吾郎と外山さんを診察したり、実際に遭遇したよど号ハイジャック事件と地下鉄サリン事件について話してくださったことは強く印象に残っています。
よど号ハイジャック事件(1970年)の時日野原先生は58歳でした。この経験から、
「私たちの命は与えられたから、これからの私は誰かの為に尽くそう。」と思ったそうです。
1995年の地下鉄サリン事件では聖路加国際病院の外来を中止し、一日目に640名もの被害者を受け入れました。病院建て替えの際にチャペルや廊下にも酸素と吸引の設備を完備したので対応できたのです。
また、1996年には「生活習慣病」という言葉を作り社会に定着させました。時代の変化を先取りし日本の社会に求められる新しい医療を常に作ってきた方だと改めて思いました。

先生のご自宅訪問のVTRも懐かしかったです。外山さんの年配の方への接し方は優しくて敬意ががあって見ていてホッとします。

先生は今後の目標についても語ってくださいました。
「次のオリンピック(2020年)の時には私は109歳になる。オリンピックの時には聖路加国際病院ではいろんな仕事があって、選手村が出来るし、選手の健康管理やなんかをしなくちゃならない。だから今から109歳まで何とか元気で、109歳のオリンピックの大切な仕事を成就させる。でもオリンピックで私の生涯が終わるんでなしにまだ関所であって、ゴールはもっと先にある。先の事をいつも考えながら生活をしている。」と。
この時吾郎はじっと先生を見つめて静かにお話を聞いていました。これが収録された時期を考えると、吾郎の中で色々思う事があったのかな、と想像しました。

日野原先生の考えていたゴールが何だったのかは今となっては分かりませんが、2001年の著書「生きかた上手」からそのヒントになる部分を吾郎が朗読しました。この部分は今回の為に新しく収録したものです。

他人の為に役に立てたという事は、つまり自分という存在が生かされたという事であり、生きている実感をこれほど強く感じられる瞬間はありません。
人生の後半は、自分に与えられた知恵やセンスや体力を、今度は社会にお返ししていく段階です。
その自分を生かす場は自分で探し求めるのです。
私にはいつもこんなイメージが目に浮かびます。
地獄の入口で天秤を手にしてエンマさまが問うのです。
「自分の寿命を自分のためだけではなく、他人の為に使ったか。」と。もし天秤棒が「自分のため」の重さのせいで垂直に跳ね上がったりしたら、エンマさまは一言、
「極楽は無理だね」
と言うに決まっています。
人生のぎりぎりまで考え、感じ、働ける人間でありたい。
そのための努力を惜しまず、ときに耐えて、授かった知恵を若い人に与えたい。
それが私の生きがいであり、私の存在に意味を与えてくれるものです。

「うーん…」(外山さん)「…うーん。」(吾郎)二人は日野原先生の言葉をかみしめているようでした。

そしてエンディング。
「日野原先生は105年の自らの命をもって長寿と健康を体現された医師でした。」(吾郎)
「先生のように常に前向きに、そして健康を意識して日々を生きていきます。」(外山さん)
「今夜はゴロウデラックス特別篇をご覧いただきありがとうございました。日野原重明先生、どうか安らかにお眠りください。」(吾郎)


ところで、日野原先生のお話の中で私が一番感銘を受けたのは10年手帳の事でした。
「10年後までの約束が自分と出来ているのはいいですね。」
という吾郎の言葉にも感動し、日野原先生の真似をして、私も大学ノートで5年手帳を手作りして使っています。今年で2年目。毎日書くのは無理ですが細く長く使っていこうと思っています。


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今年もほん怖♪

嬉しいお知らせです。
今年も「ほん怖」の放送が決まりました!

8/19 (土) 21:00~23:10 「ほんとにあった怖い話 夏の特別篇2017」

現在発表されているのはNEWS手越祐也くん主演ドラマの情報だけですが、番組HPには
「ほん怖クラブ館主 稲垣吾郎」
ときちんと書いてあります。

「不機嫌な果実SP」以来7カ月ぶりに全国放送の番組に登場しますね。「はい、吾郎さん!」もほん怖五字切り」も楽しみです。
果たして今年の吾郎さんはお鬚があるのかないのか、気になります。

久々の吾郎のTV登場を盛り上げたいので、お時間のある時に番組HPに是非応援メッセージを送ってください。お願いします。
ほんとにあった怖い話HP


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思い出の街を夜散歩 (「ゴロウ・デラックス」 7/21)

オープニング。
「さあ吾郎さん、今夜はロケです!」(外山さん)
「外でゴロウ・デラックスは久々!」(吾郎)
二人の声が弾んでいます。昼間から日が暮れ夜になるまでの街の様子が早送りで映し出されます。
「時刻は9時ちょうどです。今日は初台にやって参りました。」(外山さん)
「いいですね、心落ち着きますよ。初台は僕が生まれて初めて一人暮らしをした場所なので。この後僕が初めて一人暮らしをしたマンションにも…。」(吾郎)「え?行けるんですか?」(外山さん)「行けるんでしょ?」(吾郎)
「じゃ連れてってくださいよ。覚えてます?だって随分前でしょう?」(外山さん)
「いやいや、だってもう庭ですから。」(吾郎)
否が応でも期待が高まります♪

課題図書 : 「ピエール瀧の23区23時」 ピエール瀧

趣味は夜の散歩というピエール瀧さんが東京23区全てを夜に散歩した体験記です。
「読んでどうでした?」(外山さん)「すごいテーマですよ。」(吾郎)「ほんとに歩いてましたからね。」(外山さん)
「僕は夜散歩も好きだし、もちろん朝散歩も好きなんですけど…だから気持ちがすごいよく分かるなぁと思いました。…ただまあ、この方には敵わないですね。」(吾郎)
「すごいですよね、全部行ったんですよね。」(外山さん)「どっかにいらっしゃるんですよね。」(吾郎)
二人があたりを見回しながら少し歩くと、薄暗いビルの前に座り込んでいる人影を発見。
「瀧さん!」(外山さん)「普通にいますね。」(吾郎)
「あそこのお店がライス大盛り無料だな、と思って…。こんばんは。よろしくお願いします。」
現在50歳のピエール瀧さんが19歳の時故郷静岡から上京して初めて住んだ街が、吾郎と同じ初台だったのです。ということで今夜は瀧さんと吾郎の思い出の街初台を夜散歩します。これは楽しい企画ですね♪
早速吾郎が住んでいたマンションへ行く事に。「20歳位の頃に住んでいたんで、20年以上行ってないです。」と吾郎。「今もあるかなあ。」と瀧さん。
「瀧さんは何年前ですか?」(外山)
「俺は86年に上京してますからもう30年前ですかね。だってあそこの新国立劇場が昔病院の跡地でしたから。病院の跡地でちょっとヤバイ感じの…。絶対お化け出るっしょ、って感じの所だったんです。」(瀧さん)
吾郎ファンにとって初台と言えば新国立劇場、新国立劇場と言えば吾郎主演舞台「象」(2010)ですよね。いきなりその新国立劇場にまつわる話が聞けてテンションが上がりました(ちなみに「病院」と言われていましたが、実際は東京工業試験所という、国立の研究機関だったそうです。)
飲食店が立ち並ぶ通りを歩きながら
「この辺のお店には来ていたんですか?」(外山さん)
「この辺は全然ない。このお店もなかったし。」(吾郎)随分町並みは変わったようです。
「セブンイレブンもなかったし。」(吾郎)「この辺は入れ替わりましたね。」(瀧さん)「あ!セイジョーあった!」(吾郎)「そういうの嬉しいよね。」(瀧さん)
「あ、ここにビデオ屋があった!今はインド料理店になってるけど。」(吾郎)「そこでビデオ借りてたんですか?」(外山さん)「そう、だから(向かいの)セイジョーを覚えてる。」(吾郎)「なるほどなるほど。」(瀧さん)
と吾郎の思い出が甦ってきた所で、夜散歩の魅力が書かれた部分を吾郎が朗読。

夜の散歩は昼の散歩とは全然違う。
活気のある町や公園なんかもシンと寝静まってることが多い。
かと思うと、逆に夜の方が活気がある場所もあったりするから面白い。
(中略)
そう思えるほど、東京は奥深く、夜の表情が豊かな街であった。


「ほんとに23区全部行ったんですね。」(外山さん)
「全部行った。北区とか歩いた事なかったもんね。」(瀧さん)
一方、普通に散歩が好きで早朝散歩をするという吾郎。
「なるほど、それはだいぶおじいちゃん方面に…。」(瀧さん)「朝5時くらいから起きちゃって…(笑)」(外山さん)
「大好きなんですよ。でも夜もいいですね。」(吾郎)
「夜の散歩の利点は、暗いので周りの様子が分からないじゃないですか。半径50mくらいしか見えないから…。」(瀧さん)
「それで予期しない出会いがあるんですね?」(吾郎)
「そう、普段明るかったら曲がらない道も曲がれちゃうんです。」(瀧さん)
「暗いだけで分からなくなるよね。」(吾郎)「それが面白い。」(瀧さん)
(なるほどとは思いますが、でもそれはやはり男性の楽しみかも…。)
「暑くない?大丈夫?」と瀧さんは後ろを歩く外山さんを気遣って声をかけました。
「ちょっと蒸してきましたね。一番いい季節とかあるんですか?やっぱり春とか?」(吾郎)
「そうね…夏の夜も良いけど冬は無理。真冬の2月にやった事があって、その時『1月の下旬から2月下旬位までは止めよう』と言って止めたの(笑)。本当に歩く気が失せていくの。」(瀧さん)
「気持ちいいけどね。厚着してちょっと30分くらい歩くのは。」(吾郎)
「うん、そのくらいならね。」(瀧さん)「そのくらいなら僕も嫌いじゃないですよ。」(吾郎)
「でも5時間6時間になると『もういいんじゃねえか?』ってなってきちゃう(笑)。」(瀧さん)
そう言いながら歩いていくと、車がたくさん停まっている所に来ました。
「ここどこだろう」「駐車場?」「こんなにたくさん車が」「スタンドじゃないんですか?」と言いながら3人は自然に入っていきました。自動販売機の前に立っていた男性に「ここは何するところ?」と瀧さんが訊くと「タクシー会社です。」との答え。
朝8時出勤で朝方4時までの勤務と聞いて「そんな長いの?」と吾郎はびっくり。この運転手さんは割増料金の時間帯になる直前に休憩を取っていたのでした。夜の散歩ならではの出会いですね。
更に歩いていくと吾郎が見覚えのある看板を発見。「何屋さんだったんだろう?」かなり古い看板で脇には食堂と書いてあります。シャッターは下りていますが、瀧さんが張り紙を見つけ外山さんが読み上げました。
「朝4時半より飲めます」
「どういうこと?むしろ何時までやるの?」」(吾郎)3人は無言で考え込みましたが
「わかった!あそこにタクシー会社があったでしょ。朝5時ごろタクシーの仕事が終わって早めに上がった人が朝から飲めるとこ欲しいな、というので早めにやってくれてるんじゃない?」(瀧さん)
「ほんとだ!まさしく。絶対そうだね。…じゃ今起こしちゃいけない、寝てる時間だ。」(吾郎)3人はまた歩き出しました。
「こんな感じかなあ?この辺は…」と吾郎がつぶやくと、瀧さんがまた何かを発見しました。
「この箱、開けちゃいけない箱だと思う?」コインパーキングに黒い大きな箱が置かれています。吾郎が恐る恐るつま先で箱の留め金を外すと3人は思わず後ずさり。ディレクターさんがそうっと蓋を開けると中身は工具類でした。
「完全に忘れ物じゃないか。」(瀧さん)「忘れてますねこれ」(外山さん)中身を確かめると「イケマ」さんの持ち物の様です。「そこの工事現場だよ。」と吾郎は向かいに工事現場がある事に気付き、誰かいないかそちらへ見に行きました。
一方瀧さんは「他の人が興味を持たないように一筆メモ置いてあげよう。」と言って
「イケマさんへ 忘れちゃイケマせん」と大きく書いた紙を箱の中に入れました。
「何かありますね。」(吾郎)「ねえ、面白い。」(外山さん)
因みに朝になり駐車場に現れたイケマさんに番組スタッフがインタビュー。「すげーイタズラされてんな」と言いましたがいきさつを知って「逆にすいません」と恐縮していました。

そしていよいよ吾郎が初めて一人暮らしをしたマンションへ。途中コインランドリーも見かけましたが吾郎はコインランドリーを使った事がなかったそうです。
「そのマンションに元々ビルトインで付いてる乾燥機付きの洗濯機があったんで、ドイツ製の。」と吾郎が言うと
「20年前にドイツ製ですよ。」(外山さん)「アイドルすごいね。」(瀧さん)と2人は驚きました。
「じゃあ、電気とか水道とか止まった事ないでしょ。」(瀧さん)
「ないです。なんてったってアイドルなんで。」(吾郎)さらに
「高校生の時はジャニーズの原宿の合宿所にいて、卒業してから一人暮らしをしようかなと思って、17、8歳の時に。うち板橋だし、何となく新宿とかこっち寄りになっちゃう。世田谷とかって感じにはならなくて、実家にも近いし。」と思い出話をしてくれました。
「間取りとか家賃とかは?」と外山さんが訊くと
「ワンルームで広めで。家賃は…でも15万くらいはしたかも。」(吾郎)
「ええっ?!当時で?当時で?」と外山さんは驚きました。そんな話をしていると
「あ!ああ!見えてまいりました!」と吾郎が弾んだ声を上げました。ついに到着です。
「ああ、ここ!なるほどデザイナー感出てるね。当時ここ最新鋭だったでしょ。」と瀧さん。
今回は管理会社のご厚意で中にも入らせて頂けました。(ここでBGM「オレンジ」が流れ、思わずうるっとしました。)
「わあ、変わってないわ。」と吾郎は懐かしそうに言いましたがすぐ「昔は自転車はなかった。」と言いました。入ってすぐのスペースが今は自転車置き場になっていますが昔はおしゃれなエントランスだったそうです(当時の写真を見るとまるでホテルのロビーの様です)。
瀧さんと外山さんは大きな吹き抜けに感心しています、一方吾郎は
「エレベーター使ってなかったんです、2階だったから。」と言いながららせん階段を昇り始めました。「あ、この手触り変わってない。」
「なんか甦るものある?ちょっと一人にしてあげよう。」と瀧さん。優しいですね♪
階段を登り切って手すりに肘をかけ佇むポーズが決まってる吾郎。自宅の階段で立っているだけなのにどうしてこんなにかっこいいんだ!そして2階の廊下をすたすたと歩いて昔自分が住んでいた部屋の前まで行きドアに顔を近づけました。その様子を見て「怪しい…。」と外山さん。吾郎が階段を下りて戻ってくると、管理会社からお借りした部屋の中の写真を3人で見ました。
「部屋によって全部形が違うんですよね。鏡張りの部屋だったりとか…。」(吾郎)
「え!吾郎さんの部屋鏡張りだったんですか?」(外山さん)「うん、こんな感じでしたよ。」(吾郎)「鏡張りって…落ち着かない。」(外山さん)「これビルトインの(洗濯機)だ、ドイツ製の。」(吾郎)
「鏡ってラブホテルしか思いつかない。今言おうとして引っ込めたでしょ。」瀧さんは外山さんの言いたいことが分かったようです。「でもちょっとラブホテルっぽいよね。」と吾郎も小声で認めました。
「いやあ、素敵だ。吾郎さんのイメージ通りの感じで、きれいで。」と外山さんが褒めると
「かっこいいなあと思っちゃって。背伸びしたんですよ。」吾郎は一寸照れくさそうでした。20年ぶりに見る我が家に感慨ひとしおの様子です。
そしてもう一つ、吾郎には思い出深い場所があるそうで…。(BGMの「夜空ノムコウ」がさらにしみじみした感じを盛り上げます)
「変わっちゃった、駐車場。コインパーキングになっちゃったよ。ここマンション専用の駐車場だった。」(吾郎)
「今あんまり車に乗る人がいないから貸した方がいいんじゃないですか?」(外山さん)
吾郎は地下の駐車場へすたすたと入っていって中をのぞき込み(確かにガラガラでしたね)、
「僕ここに車停めてました、初めて買ったマセラティ。」と言ったので瀧さんはびっくり。
「ええ?!嘘でしょ?初めて買ったのがマセラティなの??」(BGMが「SHAKE」に変わる)
「もう、アイドルですからね。」(外山さん)「すみません(笑)」(吾郎)「俺原付だった。」(瀧さん)
さらにその駐車場がいっぱいで半年間だけマセラティを置いていたという別の駐車場へ。シャッターは閉まっていましたがまだありました。そしてそこで瀧さんが見つけたのはなぜかゴキブリ…。ゴキブリも夜散歩しているのでしょうか。そしてそれもちゃんとアップで撮るのがゴロウ・デラックスです(笑)。

瀧さんが初台に住んでいたのは1年くらいでお姉さんと一緒だったそう。その後隣の駅の幡ヶ谷に越して一人暮らしになったのだそうです。

「タイミングが良かったら俺の一人暮らししていた西新宿に…。でもここからでは遠くなるね。」(瀧さん)「でもまあ歩いてみましょうか。」(吾郎)
ということで、3人は瀧さんが30年前に暮らした思い出のアパートへ向かう事にしました。途中横断歩道を走って渡る時、瀧さんはジャケットを脱いで半袖シャツになっていましたが、吾郎はスーツにネクタイ姿でびしっと決めたままです。暑くないんでしょうか?どこまでもクールでカッコイイです。
渡り終わると瀧さんは「はい来た、俺ゾーン。あのデニーズは電気グルーブを結成したところ。」と言いました。
「ああ、あそこ!あのデニーズで!」(外山さん)「すごいね!」(吾郎)
「変わってない…。まだね、都庁の所が空き地だった。だから新宿と名の付く所へ来て、こんなにバカでかい空き地があるんだと思った、東京に。」(瀧さん)
30年ぶりなので、瀧さんはスマホの地図アプリで現在地を確認。道が分かると自信を持って歩き始めました。路地の曲がり角にあったパン屋さんも今はなくなり、だいぶ様子が変わったようです。
「ここじゃねえか?」と瀧さんが足を止めた場所は…「駐車場になっちゃったパターン…」(吾郎)
通りからカンカンカンと階段を上がって2階の通りに一番近い角部屋に住んでいたという瀧さん。身振り手振りを交えてその時の様子を懐かしそうに話しました。そして今その駐車場からは都庁がよく見えます。
「駐車場になってた。」(瀧さん)「(アパートを)見たかったなぁ。」(吾郎)
「久しぶりに来たけど…すげえ差を感じる(笑)。向こうはあんなにちゃんと残ってて(笑)。でも久しぶりに来れてちょっと嬉しい。」と瀧さんが言えば、吾郎も
「いや、当時の自分からするとさ、20年経ってこうやって自分がやらせてもらってる番組で、仲間たちと行けるとは思ってないじゃない。」ととても嬉しそうでした。
20年、ずっと芸能界で頑張って実績を積んできたからこの夜散歩ができたんですよね。

AD山田くんの消しゴムはんこは切手のデザイン。瀧さんが外山さんとやっているラジオ番組「たまむずび」のロゴをまねたのだそうです。「細かいところまで描かれてる。」と吾郎が褒めると「今日は時間がたっぷりあったんで。」と山田くん。「まだこいつら歩くのか?ってね。」と瀧さんは笑いました。
最後の挨拶が終わりカットがかかった途端思わず脚に手をやる外山さんを「蚊に刺されちゃった?」と吾郎は気遣っていました。

50歳のピエール瀧さんはとても素敵なおじさまです。瀧さんと吾郎は何となく雰囲気が似ているなと今回感じました。吾郎もあと6年くらいしたらきっとあんな素敵なおじさまになれますよね♪


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