SMAP稲垣吾郎さん大好きな主婦の日記 【無断転載禁止】

文化放送のフリーペーパーに吾郎が登場!

文化放送のフリーペーパー「フクミミ」11月号に吾郎が登場します。
しかも表紙&インタビューです♪
東京・神奈川・埼玉・千葉で配布しますが郵送でも受け付けます。
発行部数は今回特別に増刷して5万部だそうです。
一人でも多くのファンが手にできるといいですね。

配布場所や郵送での申し込み方法、問い合わせ先は→詳細

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華やかな渋谷にも漆黒の闇にもオザケンが流れていたあの頃 (「ゴロウ・デラックス」 10/13)

吾郎の顔がすっきりしてアイドルらしい感じに戻ってきました。髪と髭を伸ばして大人のワイルドな色気を漂わせていたのも素敵でしたが、アイドル然とした吾郎も大好きです。

オープニング。
「今回はデビュー作が7万5000部の大ヒットになっている、twitter発の作家さんがゲストです。」(外山さん)
「twitter発というのは今の時代ならではですね。外山さんもやってるんでしょ?」(吾郎)
「やってます。知らないうちにフォロワーが1万人いるんですよ。」(外山さん)

いつも通り席に着くと吾郎が訊きました。
「何でtwitterやってるの?」
「ラジオの番組でやってそのままになってるだけなんですよ。」(外山さん)
「あまり更新してないんでしょ?」(吾郎)「全然!」(外山さん)
「1万人が待ってるんだよ?」(吾郎)
「そんな事よく言いますよね。」(外山さん少し動揺)
いやいや、あなたのtwitterは34万人が待っているんですよ、吾郎。
それはともかく、
「この方すごいんですよ。本も面白くてさらっと読めた。」と吾郎は楽しそうです。

課題図書 : 「ボクたちはみんな大人になれなかった」 燃え殻

燃え殻さん、43歳。デビュー作「ボクたちはみんな大人になれなかった」が発売1カ月で7万5000部という異例のヒットとなり、糸井重里さんや堀江貴文さんなど各界の著名人から絶賛を受けるなど大きな注目を集めています。
しかし本職は作家ではなく、テレビの美術製作スタッフなのだそうです。
「燃え殻さんの会社にはゴロウ・デラックスも大変お世話になってるんですよ…ほらこれ!」と外山さんが言うと画面が変わり、歴史上の人物の等身大パネルが。「日本史有名人の身体測定」(2016年5月5日放送)で使ったものです。
「これ?等身大の?聖徳太子がやたら背が高い、っていう…」(吾郎)
「等身大パネルとかイラストとかフリップとか…。今日僕作ってきたんです。」と言いながら燃え殻さんは自己紹介用のフリップを取り出しました。ゲストさんがフリップを手作りしたのはゴロデラ始まって以来初めてです。
「写真も自分で選んだ?」(吾郎)
「ええ、イイやつを選びました。」(燃え殻さん)
「こだわりポイントは何ですか?」(吾郎)
「納期以外はあまりこだわってない。納期が遅れるとぶっ飛ばされるので、納期以外には分かりやすく。」(燃え殻さん)
「色合いは?この番組(のセット)に合わせたんですか?」(吾郎)「はいそうですね。」(燃え殻さん)さすがプロの仕事です。
まず「燃え殻」というペンネームについて。
「twitterを始める時に何も考えていなくて、当時元キリンジの堀込泰行さんの「燃え殻」という曲がすごい好きで、それをハンドルネームに…ほんと申し訳ないんですけど軽い気持ちで。」(燃え殻さん)
キリンジさんはSMAPのアルバムに曲を提供してくださったミュージシャンですから、ここでも吾郎と接点がありますね。
twitterでの巧みな文章が人気を集め作家デビューのきっかけとなりました。そのフォロワー数は14万人を超えています。その中でも人気のツイートを紹介。

『世界3大うるせえよ』といえば、ほぼ毎日ランチ食ってる食堂にいたビームスのバイヤーみたいな2人がヒソヒソ言った『普通の人っていつもコレ食べてんの?』とTSUTAYAのAVコーナーに入ってきたカップルの『やだ~変態』と今、満員電車で『この中で今日、海外行くの私達だけかな?』て男女だ


「はは!」吾郎は上を向いて笑いました。
「『世界3大うるせえよ』というのが面白いですね。」と外山さんも笑いました。
「ビームスのバイヤーみたい、って分かんないよね。」(吾郎)「僕も見た事ないですけどね。」(燃え殻さん)
「TSUTAYAのAVコーナーって、自分もいたって事ですね。」とさりげなく鋭く指摘する吾郎。「まあ、そうですね。よくいますよ。」とあっさり認める燃え殻さん。
「そういう気持ちをよく思い浮かべますね。」(吾郎)
「元々ラジオでハガキ職人をしてたので、それに近いものがある。はがきサイズの中に起承転結をつけなきゃいけない、それとtwitterが似てて、読んでくれた人が何かを感じてくれるとラジオに投稿が採用されたようで嬉しいんです。」(燃え殻さん)

そんな燃え殻さんの実体験をもとに書かれた恋愛小説が「ボクたちはみんな大人になれなかった」。1990年代を舞台に当時の流行や世相を織り交ぜながら大好きな彼女との別れまでを描いています。これには燃え殻さんと同い年の吾郎も共感したそうです。
「まさに僕らの世代の小説で、ね?まさにドンピシャなので。」(吾郎)
「年齢だけはピッタリなんですね。」(燃え殻さん)
「でもね、好きなものとかは同じですし…」との吾郎の言葉に「ほんとですか?」と燃え殻さんは身を乗り出しました。
「好きです、僕も小沢健二さん大好きですし、フリッパーズ・ギターも好きでしたし」(吾郎)「へぇ」(燃え殻さん)
「うん、読んでて分かるなぁ、って。(過ごした)世界とか環境は違うけど、サブカルっていうのかな、こういう者に対する憧れが…逆にすごいメジャーな中にいたからこそそういうものに憧れてました。」
「ああ、よかった。」と喜ぶ燃え殻さん。吾郎の話は燃え殻さんには意外なようでした。
「ご自身の恋愛を書くってどうでした?」(吾郎)
「何を書くかって言われたときに、テレビの美術の仕事も…ブラックと言うと悪いですけど、ねぇ(と外山さんと吾郎の顔を見て)、ブラックを通り越して漆黒の闇みたいなもので、そういう時に支えてくれた彼女の話をした時に『それ面白いじゃん』となって、だったらそれとその時自分が感じてた空気感…90年代から2000年位の混沌とした感じを一緒に書けると自分としては書きやすいなと思って、(題材に)選びました。」(燃え殻さん)

燃え殻さんの実体験がほとんどというこの小説は「元カノのFacebookを偶然見つけてしまう」という今の時代ならではのエピソードから始まります。その冒頭部分を吾郎が朗読。地下鉄に揺られながらFBの「知り合いかも?」の所に見覚えのある女性の顔のアイコンを見つけ「ボク」は目が離せなくなってしまいます。

彼女はかつて「自分よりも好きになってしまった」その人だった。
今でも彼女の事を時折思い出す事があった。
最後に会ったのは1999年の夏、場所は渋谷のロフト。
リップクリームが買いたいと出掛けたなんでもないデートだった。
別れ際「今度、CD持ってくるね」と彼女は言った。
それが彼女との最終回になった。
(中略)
マーク・ザッカーバーグがボクたちに提示したのは「あの人は今」だ。
ダサいことをあんなに嫌った彼女のフェイスブックに投稿された夫婦写真が、ダサかった。
ダサくても大丈夫な日常は、ボクにはとても頑丈な幸せに映って眩しかった。


「ボク」は彼女のフェイスブックをスクロールさせ、彼女の「今」を知ります。そして彼女との過去を思い出していきます。

酔った席で思わず熱心に彼女の事を話すと、よっぽど美人だったんだろうねぇと言われる事があるが、彼女は間違いなくブスだった。
ただ、そんな彼女の良さを分かるのは自分だけだとも思っていた。


「これも実話なんですよね。」(吾郎)
「ええ…Facebookで「知り合いかも?」で出て来ません?」(燃え殻さん)
「分かります。LINEとかでもね。始めたころに出て来ました。」(吾郎、さりげなく爆弾発言)
「知り合いどころか…、って感じで出てきたんです。」(燃え殻さん)
「へぇ…。ブス、ブス言ってますけど、誰に似てるんですか?有名人で言うと。」(吾郎)
「これは彼女自身が言っていたんですけど、『バカ殿に私似てるよね』って。」(燃え殻さん)「えー!」(外山さん)
「似てた」(燃え殻さん)
「彼女自身が『私、ブスなんだよね』って言う子だったんですよ。でも僕にはすごい自信満々に見えて、僕自身がカルチャーに弱い人間だったので、彼女から勧められる映画とか音楽とか、そういうものにすごい影響を受けて、『私ブスなんだよね』って堂々としているのが最強に見えたんです。」(燃え殻さん)
「『男は過去の自分に用がある、女は未来の自分に忙しい』ってありますけど。」(吾郎)
「それは実感なんですけど。そうじゃない人もいると思いますけど、僕は今すごい好きな事とか、自分の口癖とか、本とか今でも追いかけちゃう映画とか、彼女の影響が強くて過去を少し見ながら生きてるような気持になるんですね。で、彼女のFBを見た時に彼女が未来に向かって生きてるような気がして、『あっ、置いていかれてる』という気持ちになったんです。」(燃え殻さん)
「女の人ってそうなんですか?」と吾郎が外山さんに訊きました。「男は過去にこだわったりひきずったりとか…。」それを聞いて外山さんも「男の人はそうですね」と同意しました。
「女の人はスパッと…?」(吾郎)「うん、まあ過去は過去。」(外山さん)というやり取りを聞いていた燃え殻さんが「全員じゃないですけどね。」と補足しました。
「全員じゃないけど、この元カノは燃え殻さんの中に足跡を残せたというのがね…。」(外山さん)
「それだけ残せたって本人も分かってない。」(吾郎)「思ってないですね。」(外山さん)
すると吾郎は自分の事を話しだしました。
「僕もその世代の時に、お付き合いはしてなかったんだけど、憧れる女性がいて、2つくらい上でカメラマンのアシスタントをやってたんですよ。すごく影響が大きかったですね、その人が言ってる写真集とか」
「買って読んだりとか」燃え殻さんも共感しました。
「はい。映画もそうですし音楽の影響もそうですし…だからそこの共感もすごくできて。影響を与えてくれる人って存在として大きかったのは分かります。」(吾郎)

「ボクたちはみんな大人になれなかった」の特徴は90年代のサブカルチャーがふんだんにちりばめられている事。読者からも当時を懐かしむ感想がたくさん送られてきています。
そんな当時を思い出させる彼女との文通シーンを外山さんが朗読。

仕事が休みだった次の日の朝、無印良品に便箋を買いに急いだ。
無印良品はその頃のボクにとって、おしゃれの代名詞だった。
文通コーナーに手紙を出すのは初めてで、手紙の内容はさんざん考えた挙句
「小沢健二、好きなんですか?」
しか思いつかなかった。
返事はすぐにきた。
仲屋むげん堂の無料で配られる新聞をきれいに折り畳んだ封筒に入っていて、便箋はインドのお香のにおいがぷう~んとした。
彼女の手紙の文章も一行だった。
「小沢健二は私の王子様です。」
便箋には一緒に単館映画館に置いてあるチラシを何枚かコラージュしたものが、のりで貼り付けられている。
顔も知らない彼女にボクはもう惹かれ始めていた。
その匂い立つサブカル臭、ボクの知りたい興味の先を行っているような印象にすっかりやられてしまっていたんだと思う。
2回目の彼女への返信は丁寧に書いた。
フリッパーズ・ギターからいかにずっと小沢健二を聴き続けてきたか、オリジナル・ラブやコーネリアス、電気グルーブに対する愛についてもくまなく書いた。
彼女からの便箋も文通を繰り返すごとにどんどん枚数が増えていく。
主に、いかに渋谷系を偏愛し、大槻ケンヂの影響でインドに思いを馳せているかが書かれていた。
気付くと、彼女からくる手紙を読む事が休憩室での一番の楽しみになっていた。


この朗読のBGMが小沢健二さんの「Life」だったのが良かったです。小沢健二、フリッパーズ・ギター、コーネリアス、電気グルーブ、等のくだりでは吾郎はにっこり頷きながら聞いていました。
「小沢健二さん。芸能界でお会いする機会は少なかったんですけど、夜とか遊びに行ったり、クラブとかで…お会いすることが何度かあって。」と吾郎が懐かしそうに言ったので
「吾郎さん、クラブとか行ってたんですか?」と外山さんが訊きました。
「だって当時ってディスコが終わってクラブとかが出始めてきて、友達の影響もあったからしょっちゅう…」と吾郎が言うと燃え殻さんが
「僕、吾郎さんに本当に聞きたいことがあって。クラブとかに行って、小沢健二さんにも会ってしまう、そういう吾郎さんと僕は同い年なんですけど、僕の90年代って酷いんです。その90年代に吾郎さんはどうだったのか、それを詳しく聞きたいと思って、フリップを作ってきました。」とまたフリップを取り出しました。

題して「日向のゴロウ&日陰の燃え殻 ボクたちの90年代ライフ!」
同い年の燃え殻さんと吾郎がどれだけ違う生き方をしてきたのか、という表です。
(いや比較する対象が特殊すぎる、と思いますが…しかしフリップの出来は見事です。)

1992年 19歳(日本人宇宙飛行士・毛利衛さんが宇宙へ出発)
【燃え殻:鶯谷の専門学校に通い挫折生活】
【吾郎  :高級車マセラティを乗り回すセレブ生活】
最近ではネタになりつつあるマセラティですが、吾郎は「だって頑張って働いてたもん!」と強調しました。
「まあ、それはそうだと思います。」と燃え殻さんも外山さんも納得です。
「女の子と外でデートも出来ないしさぁ」と吾郎が愚痴ったので燃え殻さんは
「謝罪ですね」とフォローしました。
「それはね、車に行きますよね、お金が。」(外山さん)
「だって…税金対策しなきゃいけないじゃん?」(吾郎)
「やだぁ!そんな未成年!」と外山さんは笑いましたが、真面目な顔になって
「燃え殻さんは何の専門学校に行っていたんですか?」と訊きました。
「広告の専門学校だったんですけど、僕もそうだったんですけど全員やる気がないんですよ。」
「小説と一緒ですね。」(吾郎)
「ええ、小説のまんま。でも専門学校潰れちゃったんです。就職課に行っても”職業”のファイルが数枚しかなくて全然広告の仕事なんて無い。だから、これはどうしたものかな、という…。」(燃え殻さん)
「そうか、僕は同い年の等身大の生活を知らなかったから、今聞いてそうだったんだな、と。」(吾郎)
1995年 22歳(チビTやヘソ出しのファッションがブームに)
【燃え殻:エクレアが流れる工場で労働】
【吾郎  :70年代ソウルが流れるクラブで夜遊び】
「またイメージ悪そうですね…」と吾郎は小さな声で言いました。
「エクレア工場も小説に出てきましたね。(労働時間が)12時間。」(吾郎)
「12時間でしたね。(給料が)1日7000円くらい。」と燃え殻さん。働いているのはほとんどが外国の方だったそうで
「そういう意味では吾郎さんのクラブの夜遊びと近い。」と強引にこじつけました。でも、
「不安で不安で仕方なくて。学校だったら夏休みは8月31日で終わるじゃないですか。でも僕はエクレア工場で一番上の工場長の人に『辞める』って言わなかったら『このベルトコンベアがずっと続くんだろうな…』」と思いながら生きていたそうです。
「そういう若者がいたんだ、同い年で。何やってんだ僕は。」と吾郎はしみじみと言いました。
「いやいや、仕方ないですけどね。」と燃え殻さん。
「忙しいとかはあったけど…」(吾郎)「全然寝れないとかありました?」(燃え殻さん)
「そうですね。ドラマのスケジュールも今よりもタイトだったよね…。不安とか感じる時間もないくらいとにかくずっとキラキラキラキラ…。」(吾郎)
「不安は僕も一緒かもしれない。キラキラは全くないですけど、不安を深く考える時間が無いですよ。」(燃え殻さん)「やらなきゃいけないから」(吾郎)
「そう、その前に納期があるので、その納期の方が不安なんです。」(燃え殻さん)(スタッフから思わず笑い声が起こりました。)
「分かります分かります。」(吾郎)
「深刻に悩む時間が無かったから続けられたのもあったのかなあ、って。」(燃え殻さん)
「環境は違うけれどもお互い一生懸命やってたんだし、間違ってはいなかったから。」(吾郎)
「自分なりの一生懸命で。」(燃え殻さん)
「その結果ここに座らせてもらってる、立たせてもらってるのいうのは嬉しい事ですよね。」(吾郎)
「ありがたいな、と思います。」(燃え殻さん)
「だからすれ違ってるかもしれないですよ、渋谷とか原宿で。」(吾郎)
「絶対ないと思いますけど、あったら嬉しいです。」(燃え殻さん)

今回燃え殻さんと吾郎の会話を聞いていて不思議な感覚になりました。全く違う世界で違う人生を歩んできたのに、二人の間には小沢健二さんとかサブカルとかの共通項がありました。例えて言うなら、二人を隔てていたのは固い壁ではなく薄くて柔らかい膜のようなもので、二人とも好きな時に好きなようにそれに触れてきたのです。同じ時代を生きるってそういうことなのかもしれないと感じました。


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映画も始動♪

今朝早く、「新しい地図」の動画が新たにアップされました。
今度は吾郎、剛、慎吾の3人が登場してより洗練された感じになりました。剛は小さな女の子の手を引いて海辺を歩き、吾郎は闇の中グランドピアノにたどり着き、慎吾はもや(?)の中を進もうとしている…色々なメッセージが込められている気がします。ラストカットは吾郎の振り向いた表情なのですが、これがまた愁いを含んで色っぽくてドキリとします。まだご覧になっていない方はすぐにでも見て下さい(当ブログのサイドバーに「新しい地図」のトップページのリンクを張ってありますので、そこからYou Tubeを見に行ってください)。

そして同時に、3人が出演する映画も発表されました!タイトルは

「クソ野郎と美しき世界」。

挑戦的ですね(笑)。ミニシアター系映画みたいなタイトルにも思えますがどんな作品になるのでしょう。来年春の公開が早くも楽しみです。

その他にもサイトのキャラクター「図っくん」が登場したり、「 #ぷっくりニュース」募集のお知らせがあったりと色々な動きがありますので、「新しい地図」のサイトを是非確認してください。


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新しい笑顔の予告

おはようございます

昨日72時間ホンネテレビ」の新しい予告動画がアップされました。
3人の画像と音楽と字幕だけの動画ですが、私は不覚にも涙ぐみました。見ていると心が温かくなります。
これを見てフジテレビ27時間テレビの「生前葬」を思い出しました。
あの時象徴的に死んだ彼らが今(3人だけですが)新しく生まれ直そうとしているのではないか、そんなことを感じさせます。
72時間ホンネテレビが益々楽しみになりました。
皆さんも是非見て下さい。

abemaTVの予告動画はこのツイートから
(新しい地図のトップページのYou Tubeのアイコンをクリックしても見られます。)


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岩手の自然に包まれて (「ゴロウ・デラックス 10/6)

オープニング。
「今夜は第157回芥川賞受賞の方がゲストです。」(外山さん)
「デビュー作で芥川賞ですよ!」(吾郎)
ゲストは沼田真祐さん。登場するとまず「おめでとうございます」と吾郎から花束贈呈。ほっそりして大人しい感じの方です。
芥川賞直木賞受賞の作家さんが出演するのがすっかり恒例になりました。改めて豪華な番組です、ゴロウ・デラックス。

沼田さんは7月の受賞会見で「1本しかジーンズを持っていないのにベスト・ジーニスト賞みたいな」とデビュー作で芥川賞を受賞した気持ちを語りました。そして今回が初めてのTV出演です。
「受賞の知らせはどこで聞かれたんですか?」(吾郎)
「文藝春秋の近くのカフェで。」と沼田さん。物静かな話し方です。
「編集者の方がまず電話を取って?」(外山さん)
「僕の方に最初かかってきたらしいんですけど僕が気が付かなくて、編集者の方に電話が来て、二人でいたので、僕にもすぐ伝わったみたいな。」(沼田さん)
「ちょっと待ってください、気付かないっていうのはどういう事ですか?」外山さんが笑ながら突っ込みました。
「いや、僕には直接来ないって…これは僕の聞き違いかも知れないんですけど…携帯をバッグに入れていて気が付かなくて。」沼田さんはちょっと焦っています。
「会見の時もラフな感じで。」と吾郎。ゴロデラでは会見でのファッションの話題も欠かせません。
「はい、部屋着という感じで。シャワー浴びて汗が引いた後に羽織るような浴衣みたいなシャツだったんですね。」(沼田さん)
「それほど、絶対に取らないだろうと思っていたんですね?」(外山さん)
「そうですね。」(沼田さん)

課題図書 : 「影裏」 沼田真祐 (第157回芥川賞受賞作)

首都圏から岩手県へ転勤した会社員の今野が主人公。同僚で釣り好きの日浅と友情をはぐくむが日浅の転職をきっかけに疎遠になってしまう。そんな時東日本大震災が起こり、営業の仕事で釜石にいた日浅が被災したかもしれないと知る―――。

「影裏」を読み解くキーワードは3つあるそうです。
1. 巧みな描写力
これが芥川賞受賞の決め手になったそうで、選考委員の高樹のぶ子さんは「自然描写が非常に優れている。特に魚とか川とか、岩手の自然を描く筆力を私は買いました。」と評しました。
その岩手の自然を描写したシーンを外山さんが朗読。自然の様子を緻密に格調高く描いた文章です。

岩手という所はじつに樹木が豊富な土地だと夏が来て改めて思う。
とにかく山地が多く川が多い。それだけ森林の密度も濃厚だから、いたるところに生き物の気配がひしめいている。
川辺や谷間の林道を釣り歩いていて、釣りそのものに、倦きがくることはたしかにあった。
だが少し視線をめぐらせると、対岸の沢胡桃の喬木の梢にコバルトブルーの小鳥がいたり、林の下草からは山楝蛇(やまかがし)が、本当に奸知が詰まっていそうに小さいすべっこい頭をもたげて水際を低徊に這い出す姿を目の当たりにした。
一種の雰囲気を感じて振り向いたら、川づたいの往還に、立ち枯れたように直立している電信柱のいただきに、黒々と蹲る猛禽の視線とわたしの視線がかち合ったりした。


岩手の自然の豊かさに吾郎は心を動かされたようです。
「なぜ岩手を舞台に書こうと思ったんですか?」(外山さん)
「自分が住んでいる所を書くのが一番説得力があると思って。」(沼田さん)
「本当に山とか川とか行かれたんですか?」(吾郎)
「はい、近所で。車で5分くらいですかね。」(沼田さん)
ここでVTRを紹介。小説の舞台になった生出川(おいでがわ)を沼田さんの車で案内して頂きました。道中、なぜ生出川を舞台に選んだかを訊ねると
「あまり山奥の渓流の様なキレイ過ぎる所は選びたくなくて、ロマンチック過ぎてちょっと格好悪いと思って、里川って言うんですか、普通の所に流れる川を扱った。」そうです。でも車窓の外を流れる景色は緑豊かで、それだけできれいだと思いました。
そして着いた生出川はこじんまりした小川で両岸は一面草で覆われていました。
「ここへは結構釣りしなくても来ますね。ボーっとしに来たりとか。」と沼田さん。そのVTRを見ながら吾郎は「まさにこんな感じだよね。」と言っています。

勢いよく夏草の茂る川沿いの小道。
一歩踏み出すごとにとがった葉先がはね返してくる。

しばらく行くとその道が開けた。
行く手の藪の暗がりに、水楢の灰色がかった樹肌が見える。

(「影裏」より)


VTRでは沼田さんが釣りをする場所なども紹介。小説の中では生出川の上流の方の風景などもいろいろ混ぜて書いた、と沼田さん。スタジオにいる時より活き活きして見えます。
「ああいう感じだよね。」(吾郎)「読んでてね。」(外山さん)「それが描写ってものなんだね。」と吾郎は感心しました。

2. マイノリティ
芥川賞選考委員の吉田修一さんは「セクシャル・マイノリティを恋愛や性愛を通さず書いている。」と絶賛しました。
主人公今野の元恋人で性同一性障害を抱える副嶋和哉がSRS(性別適合手術)を受け女性として登場する、吉田さんが絶賛した場面を吾郎と外山さんで朗読。吾郎が今野、外山さんが副嶋役です。

モニターの時刻表示を確認すると、22時57分。まだそうみじめさばかり誇張されてつたわる時刻でもない。
充電コードはぶらさげたまま〈電話帳〉から副嶋和哉の名前を探した。
「びっくりした、なんか突然って感じで。」
記憶の中の面影と合わない、穏やかな女性の声だった。
「まあ何でもだいたい突然なんだけどね。」
別れる直前の夏だったか、SRS(性別適合手術)を施術するつもりだと和哉が公言していたことを、わたしは思い出した。
「変になつかしくなってさ、別に用事なんてないんだ。だから無意味な電話なんだよ。」
「用事がなくちゃ連絡しちゃいけないわけ?私が朝したメールだって、無意味だもん。」
「いってみればあれの反応なんだよな。そっちのメールがきっかけになって、こんな時間まで消え残ってて、しまいには電話してるっていうさ」
「そうじゃないかなと思ってわたしもとった。」


「ここドキッとしますよね。こういう人物を登場させた…セクシャル・マイノリティを描いたのはなぜ?」(吾郎)
「今まで生きている間に何人か、そういう人と友達になったり会う事はあったんです。結構大変だろうなという印象がありまして、彼ら彼女らが(自分の中に)残っていて、助けたいとかじゃなくてふっと出たんですね。」(沼田さん)
「小説の中ではマイノリティをテーマにしてされてるんですか?」(吾郎)
「いろんな状況で人はマイノリティになると思うんですね。そういうものをすくう…助けるじゃなくて掬い取るのが文学の役割だと思います。」(沼田さん)
「何というのか、芥川賞作品にはマイノリティの問題とかが必ず根底にありますよね。」(吾郎)
「結構偶然なんでしょうね。」(沼田さん)「えーほんとですか?」(吾郎)
「小説の大枠は決めるんですけど、そこから自然とそれていく、小説を書いている間に。『小さくまとまるなよ』という呼びかけがあって、そっちの方に行ってみるんです、失敗を覚悟で。」(沼田さん)
「コントロールが出来なくなった時が一番いいパフォーマンスが出来ますよね。」と吾郎は共感しましたが、これはSMAPのコンサートや自分の舞台で経験したことなんでしょうか。

3. 東日本大震災
選考委員の高樹のぶ子さんは「決して震災を全面に押し出した小説ではない。密やかに一歩引いているんですが、人間関係を描くことでそれを取り囲む大きな自然の怖さに言及していると思いました。」と評しました。「影裏」は芥川賞作品としては初めて東日本大震災を扱った小説でもあるのです。
その震災のシーンを吾郎が朗読。

あの日早朝から家を出て、午前中は契約を求めて釜石市内の住宅地を回り、けれど振るわず、あるいは首尾よく契約をもらって安堵した日浅が、さてここからは自由時間だと海岸沿いに車を走らせる。
14時46分。
ソイやアイナメ、マコガレイなどではち切れそうなクーラーボックスに腰を下ろして日浅は海を見ている。
ふと凄まじい揺れを、足もとから全身に感じて立ち上がり、思わずいったん、顔を空に向ける。
テトラポッドを軽くひと舐めするように、黒々と濡らして消える波の弱音を聞く。
この数十センチの小波はしかし、あの大津波の第一波なのだ。


「これを書かれた理由というのは?」(吾郎)
「『影裏』は2010~2011年の話なんですけど、あの時代の人や社会を書けばおのずと震災のにおいがしてくる。だからあくまでその時代の人を描いただけで、あの時代の人を書いたら震災のにおいがしたんです。」(沼田さん)
「あくまで時代が先なんですね。」(吾郎)
震災のにおいが立ち上ってきたと言いますが、沼田さんがそれを意識したのは途中からだったそうです。
「『影裏』というタイトルに込められた意味は何かあるんですか?」(外山さん)
「いや、全く意味はなくて、作中に”影裏”って言葉を自分で毛筆で書いてそれを部屋に飾ってるような70代の人が出るんです。その書かれる言葉は何でもよかったんですけど。」(沼田さん)
「その人が書いてた字が”影裏”っていうイメージだったんですか?」(外山さん)
「ええ、どんな言葉でもよかったんですけど、”影裏”は見た目もカッコイイですし…。」(沼田さん)
「ストーリーも”影裏”って感じですよね。でもそういう意味ではなかったんですね。面白い。」(吾郎)

沼田さんは岩手県で初の芥川賞作家になりました。それもあって岩手県内の本屋さんではPOPを作って祝福ムードだそうです。そこで番組は地元で開かれた沼田さんのサイン会にお邪魔しました。
会場の岩手日報本社には抽選で当選した100人のファンのほか、地元テレビ局からの取材陣も。初めてのサイン会にも緊張する事なく、沼田さんは一人一人に丁寧に話しかけながらサインをしていました。中に中学生の女の子がいましたが、実は沼田さんの生徒さん。沼田さんは塾で中学生に英語を教えているのです。その生徒さんは自分の先生が本を書いている事は全然知らず、芥川賞候補になった事を友達から聞いて知ったそうです。ちなみに感想は「先生を想像し過ぎて真面目に本を読めなかった(笑)。」とちょっと恥ずかしそうでした。
「嬉しいんですね、岩手の方は。」とVTRを見て吾郎が言いました。
「ほんとですよ、岩手県民として誇りに思うって。」と外山さんも同意しましたが、吾郎は沼田さんを見ながら
「そっとしておいてほしいタイプの方なんですね。」と言ったので沼田さんも思わず笑いながら頷きました。
「書きたい人なんだ。もういやなの、テレビとか。」と吾郎が続けると沼田さんはうつむいて「いえいえ」と首を振りました。
「しょうがないですよ、だって芥川賞取っちゃったんだもん。」と吾郎に言われて沼田さんは笑うしかありません。でも随分リラックスした表情になりました。
「今度会った時に羽田圭介さんみたいになってたらビックリしますよ。すげー喋るようになってたら。」吾郎のユーモアで沼田さんの緊張がだいぶほぐれたようでした。

「影裏」は新人純文学作家の登竜門である文學界新人賞も受賞しており、沼田さんは芥川賞とのW受賞という快挙を成し遂げました。そこで恒例のあの質問です。
「ちゃんと賞金は貯金してますか?」(吾郎)「文學界新人賞の賞金ですか?」(沼田さん)
「50万円」(吾郎)
「車検、自動車税、あと国民年金の滞納で全てなくなりました。」(沼田さん)
「(芥川賞賞金の)100万円は貯金しましょう。」(吾郎)
「そうですね、まだちょっと国民年金が…。」と沼田さんはちょっと困った顔をしました。
吾郎のこういう堅実なところも面白いですね。

AD山田くんの消しゴムはんこは「ヤマメを釣った沼田さん」。ヤマメもちゃんとそれらしく出来たようで沼田さんは満足したようでした。


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光と声を人の心に残す (「ゴロウ・デラックス」 9/29)

オープニング。
「今夜はですね、あの表参道ヒルズを設計された方がいらしています。」(外山さん)
表参道ヒルズ…真冬の朝早くからSMAP SHOPの為に並んだことを思い出します。その他東急東横線渋谷駅もゲストさんの設計だそうで、
「ヒカリエによく行きますよ。渋谷近辺はテリトリーなので。」と吾郎は嬉しそうです。

今回のゲストは安藤忠雄さん。建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞を始め数々の賞を受賞され、日本のみならず世界中で数々の建築物を手掛けています。今回は稀代の建築家、安藤忠雄さんの仕事術と素顔に迫ります。

課題図書 : 「安藤忠雄 仕事をつくる」 安藤忠雄

「面白かったですね。若い方に読んで頂きたいな。喝を入れられているような、我々も。」(吾郎)
登場した安藤さんは丁寧に「よろしくお願いします」と挨拶しましたがすぐ周りを見回して
「すごい絶望的な…絶望的なセットやね…」と言いました。
「『絶望的』っておっしゃったのは安藤さんが初めてですね。」(外山さん)
「それはどういう…?」と吾郎が恐る恐る尋ねると
「私はコンクリートで無装飾な建築作っとるじゃないですか…」と安藤さん。
確かに金のだるまが真ん中に鎮座ましましているゴロデラのセットは安藤さんの建築とは対照的です。

今進行中のお仕事は「(出身地の)大阪で一つ、日本全体で20くらい、あと海外で35件」と超多忙な安藤さん。海外のVIPからの依頼が多く世界中を飛び回っています。
そんな中代表的な作品の一つが、吾郎もなじみ深いという表参道ヒルズ(2006年)。表参道のランドマークとして親しまれてきた同潤会青山アパートメントを立て直したもので、建物の高さがケヤキ並木を超えないようにするなど安藤さんのこだわりが凝縮されています。
「僕は原宿に寮があって住んでいて、昔の同潤会アパートのイメージもあったので、表参道ヒルズが出来た時は衝撃だったんですけれども。」(吾郎)
「同潤会アパートの前は約7゜の勾配、坂でしょ?だからその坂をそのまま(建物の)中に引っ張ってきてる。」(安藤さん)
「あ!だから中が坂になってるんだ!」(吾郎)
「外が坂だから中も坂に。建築は周囲の環境をどう味方にするかという…。表参道ヒルズは坂を味方にした。」安藤さんの説明に吾郎も外山さんも感心しました。
「元々アパートだった部分も端っこに少し残っていますね。かっこいいですよね。」(吾郎)
「やっぱりそこにあったものを残すのも大事だと思うんです。」(安藤さん)
大変忙しい安藤さんですがマネジャーさんは置かず、スケジュール管理も全部ご自分でなさっています。手帳を見せて頂くと毎日が文字通り予定でびっちり。
「マネジャーさんに朝起こしてもらわなくて大丈夫ですか?」(吾郎)「大丈夫」(安藤さん)
「僕、出発の1時間前にマネジャーさんに電話で起こしてもらってる。ダメですね。」と吾郎は反省しました。
「でもそれだけびっしりなスケジュールで体力や身体は大丈夫ですか?」(吾郎)
「いや2009年に大手術したんですよ。胆のう、胆管、十二指腸、全部取った。その後『安藤さん大変や、膵臓の真ん中にがんがある。膵臓も全部取らなあかん、脾臓も全部取らなあかん。』だけど切らな仕方がないから全部切ったんですが、先に何かをしないといけないという希望があれば元気ですね。やっぱり向こうを見て生きないと。だから私は青春の限り生きようと、エネルギーのある限り生きようと思ってますね。」(安藤さん)
「それはご本からも感じましたし、若いころからそうなんでしょうね。」(吾郎)
安藤さんは現在76歳。内臓がほとんどないにもかかわらず今も世界中を飛び回っています。この仕事へのエネルギーはどこから生まれてくるのでしょうか。

ここで安藤さんが自身の半生を振り返った1節を吾郎が朗読。

つらかったのは、共に学び意見を交わす友人がいなかったことだ。
自分がどこに立っているのか、正しい方向に進んでいるのかさえ分からない。
不安や孤独と戦う日々が続いた。
そうした暗中模索が、責任ある個人として社会を生き抜くためのトレーニングとなったのだろう。
私の歩んできた道は、模範と言うには程遠い。
が、この一風変わった歩みが、若い人を少しでも勇気づける材料となれば幸いである。


「よく今まで問題なく生きて来られたなと思いますね。」と安藤さんが言う通り模範というには程遠い人生でしたが、その中でこそ安藤さん流の仕事術が育まれてきたのです。

ここから安藤さんの人生年表を紐解いていきます。
【17歳 緻密さ・計算力が元盛られる建築家 安藤忠雄は、元プロボクサーだった。】
「これびっくりしましたね!」と吾郎と外山さんは声を揃えました。
「家に近くにボクシングジムがあって、当時普通の人は給料が1万円だったんだけど(ボクサーなら)4回戦で4000円くれると。これはすごい、喧嘩してお金をもらえると(笑)。行って1ヶ月くらいでプロになりました。4回戦は喧嘩みたいなものですから。」(安藤さん)
当時の写真を見ると精悍でなかなかかっこいいです。
「ボクシング経験は建築に影響してるんですか?」(吾郎)
「人生は誰も助けてくれないという事を覚えました。四角いリングの中で逃げたら終わり、タオルが入ったら終わり。人生はある面では戦いだと思ってますので最後まで戦うというのは良かったと思います。」(安藤さん)
ボクシングから学んだファイティングスピリットが安藤さんの活力の源なんですね。
「プロボクサーだったなんて意外ですね。そして建築の道に進むわけですが…。」(外山さん)
【18歳 世界的建築家安藤忠雄の師匠は自分
「普通は師匠がいるものだけど。」と吾郎。
「誰も相手にしてくれない。家庭の経済的な問題もある、自分の学力の問題もある、大学に行けない、と。でも生きなければならないから、自分で考えて自分で行動した。誰も相手にしてくれないから。」(安藤さん)
「独学ですよね、高校卒業後。」(吾郎)
「どういう勉強の仕方をしたんですか?」(外山さん)
「本を見る。現物を見る。見に行った方がいいですよ。音楽も聞かないかん。建築も見に行かないといかんので、奈良京都はよく行きました。」(安藤さん)
「じゃあ足を使って見に行って…。教科書とかはどうしたんですか?」(吾郎)
「京都大学・大阪大学に行った友人に買ってもらって、そ~っと講義に入って行って聞いてました。」(安藤さん)もぐりの聴講ですね。
「プロボクサーの時もですが、なろうと決めたらさっとやるんですね。」(外山さん)
「一心不乱にやったのは生活がかかっとるから。建築で稼がないと食えないでしょ。そう思うとゆっくりしているヤツの何倍も学べます。」(安藤さん)
その努力が実り、1級建築士に見事合格。28歳で事務所を立ち上げ独立しました。しかし仕事はなくコンペでは落選続き。空き地を見つけては勝手に設計して地主にプランを持ち込み迷惑がられていたそうです。そんな不遇な時代でしたが、
【31歳 当時は売れていない建築士、しかし飲み仲間は政財界のドン。】
「佐治敬三(サントリー社長)さんね。北新地(大阪の飲み屋街)について行って、お金を払わずにサインして店を出る。佐治さんがいない時にサインしても全然請求書が来ない。請求書が来ないから北新地はいいな~と言ったら『俺が払ってるんだ!』と(笑))」(安藤さん)
「豪快で(笑)。」(吾郎)
「で15年くらい付き合った時に、『ひょっとしてお前建築家?』と聞かれて。」(安藤さん)
「それから依頼が来たんですね、サントリー美術館の。」(吾郎)
そこで大阪府のサントリー美術館を手掛けることに。佐治さんは設計にあまり口出しせず、安藤さんに任せてくれたそうです。しかしその裏で政財界をザワつかせるある事件が勃発しました。
「ちょうど同時期に、なんと、アサヒビールの社長さんからも…」(吾郎)
「アサヒビールの樋口さん(社長)が『京都の100年前の建物を美術館にしてほしい』と。両方とも競争相手じゃないですか。私はあまり気にならなかった。佐治さんも樋口さんも気にしなかった。でも周りは気にしてましたよ。『アサヒビールやってるのにサントリーもやってるんですか』と。二人は気にしないで『良いモン作れよ!』と言ってくれて。大阪のおじさんは面白いわ!面白いヤツを助けたい気があるんでしょうね。それで私は成長しましたね。」(安藤さん)
政財界のドンたちの後押しもあり頭角を現した安藤さん。そして1976年、安藤さんの代表建築が誕生しました。
それは「住吉の長屋」(日本建築学会賞受賞)。コンクリート打ち放しという発想を住宅に持ち込みその後の建築家たちに多大なインパクトを与えました。なんとこのお宅には空調設備は一切ありません。『本当に生活に必要なモノとは何か』を徹底的に突き詰めた結果だそうですが、安藤さんの遊び心もたっぷり入っています。
その模型を見ながら安藤さんが説明してくださいました。
「中庭があるんです。ここから光が入る。」
中庭で建物が左右に区切られていて光がたくさん入りますが、二階の寝室からトイレへの渡り廊下には屋根がないので一度外に出ることになります。その他にも玄関の上の天井が開いていて雨が降ると玄関が濡れる、と聞いて吾郎と外山さんはびっくり。
「いたずらをいっぱい作ってある。」と安藤さんは笑います。
「第三者から見たら住みにくい。でも依頼者は住みにくくないから40年住んでいる。完璧なエコハウスと言われているんですよ、冷暖房ないんだから。自分の体力にかかってる。いいじゃないですか。」
「夏、絶対暑いですよね。」(吾郎)
「便利なものが求められているじゃないですか、今。でもこれは便利なものじゃないですね。」(外山さん)
「便利だけが生活ではない。ちょっと不便な事があってもいい。これは便利を超えた家。稲垣さんもこういうのに住んでもらわないと。」と安藤さんに言われ吾郎は「はぁ…」とやや困惑しながらも
「利便性よりも自然との共生をなぜ選ぶんですか?」と訊ねました。
「私は昔長屋に住んでいましたから自然との共生が良いな、と。暑い時は暑い、寒い時は寒い。”生きてる”感じがじっくり来るじゃないですか。…と思う人はそれがいい。便利で機能的なのがいい人はまた別なのがいい、と。どっちもありますね。」(安藤さん)住む人と建築家の価値観が一致する事が大切なようです。
「気に入った所に住むって良いよね。うちのマンションの中庭に水が張ってあって、それがいつもキラキラして凄い気に入ってる。安藤さん風の建物なんですけど。」という吾郎の話を安藤さんも楽しそうに聞いていました。

「住吉の長屋」を始め様々な住宅を手掛けてきた安藤さんのテーマは一貫して「自然との共生」。その究極形は香川県直島の「地中美術館」(2004年)で、美しい瀬戸内の景観を壊さないよう一度建てた美術館を地中に埋め戻したのです。しかし自然との共生を追求するあまり時として困った事態も起こるようで、
【48歳 名建築「光の教会」誕生の裏では依頼主と意見が大激突
「これも持ってきてくださったんですよ。」と外山さんはいそいそと後ろの棚から模型を取り出しテーブルの上に置きました。「行ってみたいねぇ。」と吾郎も興味津々です。
正面の壁一面に大きな十字架型のスリットが切られそこから光が入るのですが、安藤さんは
「十字架の中にガラスを入れたくなかった。」のだそうです。
「でもガラスを入れないと…」(外山さん)
「寒い!けれども心を寄せ合うのに寒いのも良いんじゃないですか、と言ったらエライ怒られた。」そして
「行く度に『安藤さん、ガラスは取りませんよ』と言われる。『そのうちに取ってやる』と今でも思ってますが(笑)。」
因みに「今度開く展覧会(注)ではこの「光の教会」の1/1を作ろうと思ってる。コンクリートで。」だそうで、
「見たい!ガラスはどうします?」と吾郎が訊くと「今回は無しにしようと。」と安藤さん。
「そもそもガラスを抜きたいというのも自然との共生ですか?」(吾郎)
「自然が真っすぐ(教会の中に)入ってくる。光の教会を作りたいと思ったのは、はじめてヨーロッパに行って教会を見た時に光の美しさに感動したものですから。心の中にしっかり残ってる。例えば稲垣さんの歌声が心の中に残ってる人はいっぱいいるでしょ。同じように建築を通じて心の中に残る場所を作りたい。」(安藤さん)
「でもこのガラスの事のように、自分が本当にやりたいことができない時もあるじゃないですか。それでも建築家をずっと続けている理由は何ですか?」(外山さん)
「みんな同じでしょう。歌い続けている。作り続けている。自分の仕事に誇りを持っていたい。誇りを持てる仕事が見つかって良かったと思います。」(安藤さん)
「人の心に残り続ける…。やはり人なんですね、人が集う場所。僕らの仕事もそうですけど。」と吾郎が言うと安藤さんは頷きました。そしてちょっと考えてから
「やっぱり声と光やね。光が自分の心の中に残る、あの光きれいだったなと。声も綺麗だった、そういうものを作りたい。だから誇りをかけて生きてる限りやりたいと思ってます。」と力強く言いました。しかし吾郎が「ご自身はどんな家に?」と訊ねると
「マンションに住んでる。」と答えたのでスタジオ中が爆笑しました。
「あれ?一番便利なやつじゃないですか!」(吾郎)
「私は事務所は自分で設計したんですよ。事務所は自分の魂がいる所ですから家は便利がいい。マンション便利ですね~。」(安藤さん)
これには外山さんも大笑いでした。

安藤さんが吾郎(そしてSMAP)の歌と声を例えに出してくださったのが嬉しかったです。吾郎の、そしてSMAPの声を聴きたいと思っている人たちはきっとまだたくさんいるはずですから。


(注)「安藤忠雄展 -挑戦- 」は国立新美術館(東京・六本木)で12月18日まで開催中。


拍手ありがとうございます

朗報♪

吾郎のラジオ「編集長稲垣吾郎」がradikoのタイムフリー及びエリアフリー聴取で聴けるようになります!
今まで放送されていなかった地方でも聴けるようになりますし、放送時間はお仕事中という方、聴き逃してしまった方も大丈夫です。詳しくはradikoのHPをご覧ください。
10/4(つまり明後日)から対応になりますのでお楽しみに

私がradikoで番組を聴く理由は電波の受信状態がすごく悪いからなのですが、radikoが聴取数のデータを取っていて番組の人気のバロメータにもなっていると聞いて、普通にラジオで聞くよりはradikoで聴くほうが番組の応援になるのかなと思っています。

「編集長稲垣吾郎」をなるべく多くの方に聴いてもらいたいです。


拍手ありがとうございます

少しの我慢を思い出そう (「ゴロウ・デラックス」 9/22)

オープニング。
「今日のゲストはインタビューの名手の方です。」(外山さん)
「今ご挨拶に行ったら5分くらい喋ってました。喋りたくなっちゃうんですよ。」(吾郎)
今回もとても楽しくなりそうです。

阿川佐和子さん。5年ぶり2回目の登場です。今年5月には63歳で初めてご結婚されました。インタビューの名手に今回は吾郎と外山さんが色々お話を伺います。

「ご結婚おめでとうございます。」と吾郎がまずご挨拶。でも
「結婚されないみたいな話してましたよね。結婚にはこだわらないとか。」と続けました。
「それはそう思ってた。」と阿川さんは認めましたが、結婚願望自体は昔はあったそうで
「20代半ばくらいまではあったんですけど、お見合いをしてもなかなか決まらない。どうするの?って言っているうちにTBSでお仕事を始めて、子どもが産めない歳になった時に…私子供を育てたかったので、結婚する必然が特になくてもいいかな、と思った頃には『結婚にはこだわらない』と言っていました。」と答え、次の瞬間
「どうですかそちらは?」と吾郎に質問を返しました。
「僕はもう43歳なので、今日は色々聞きたいんだよね?僕たち独身なので。」と外山さんに同意を求める吾郎。
「結婚は…いいっすよ。」と阿川さんは楽しそうに笑います。
「すごく幸せそうですね。」(吾郎)「結婚して何か変わりましたか?」(外山さん)二人は興味津々です。
「内省的にはそんなに変わらない。でも外交的に…世間とか外に対して安定するっていうか…兄弟が『姉ちゃんどうするの?俺たちが老後の面倒を見るの?』という部分も含めて、そんなに皆を安心させるんだ、という事にびっくりしました。」(阿川さん)
「僕の親の世代も言いますよね、結婚して一人前とかやっと親に認められるとか。」(吾郎)
「でも結婚しない理由はそれぞれある訳ですよね。自分が納得する理由が。」(阿川さん)
「若い時には、パートナーがいたとしても『そういう仕事(=アイドル)をやってるから』と…それはゼロではなかった。今は逆に心配されちゃうのでそれはもう平気だと思うんですけど、その間に独りで生きていく術を自分で磨けちゃって…何でも出来るので。」いつの間にか吾郎は自分の事を話していました。
「ああ、じゃあもうダメだ…。」(阿川さん)
「だから今度家にラブドール入れようかなと思うんですよ。」と冗談を言ったので阿川さんも外山さんも笑いました。
「絶対人間として成長してないと思うんですよ、43歳のわりに。ここで人間成長しなかったらダメですよね…。」と吾郎は自分を振り返り、突然
「結婚しよう」と外山さんに言いました。
その途端外山さんは固まり阿川さんは「今日はどうもありがとうございました」と言ったのがおかしかったです。

課題図書 : 「バブルノタシナミ」 阿川佐和子

バブル世代がチャーミングに歳を重ねる為の阿川さん流の知恵が詰まったエッセイ集です。
まず「バブル」とは日本人にとってどういう時代だったのか、が分かる一節を吾郎が朗読。

たまたまフランスを訪れた際、フランスに長く住む日本人女性が教えてくれたのです。
「昔、日本人と言えば集団でやってきて、横柄な態度で爆買いをしていくイメージが強く、この国の人はみんな眉をひそめていたけれど、今そういう日本人観光客は少なくなったって。東日本大震災の時の毅然とした姿にも感動したというフランス人は今けっこう多いですよ。」
そう言われた途端嬉しくなり、同時に緊張感が走りました。
無作法な事していないか、自分は?


バブルとは1980年代後半~1990年代初頭に起こった未曽有の好景気の事で、「お金を使う事が正義」という価値観が蔓延した狂乱の数年間でしたが、阿川さんはTBSの情報番組でアシスタントを務めていて、アゲアゲな思い出は全然無かったそうです。
「番組が悪かったのかな?(笑)予算が膨らんだ話は1回も聞いたことがないし、日日のお給金を頂いてたんですけど、『阿川さん悪いね、予算の小さい番組で。今度外回りのレポートした時に1000円あげるから。』『やった!』なんて言っていましたから。…僕はデビューしてたでしょ?」(阿川さん)
「僕は(SMAP結成が)88年なので、このテレビ局に初めて来たのは89年でもう『ザ・ベストテン』が終わりそうな頃だったんです。先輩に光GENJIがいて、ジャニーズJr.としてここに来たのが初めてで。だからバブルとはすれ違いなんですよね。」(吾郎)
「SMAPは最初全然売れなかったから。」(阿川さん)
「そう、バブルが終わったくらいから僕らが出てきたイメージがあると思うんで。デビューが91年なので。」(吾郎)
「アフターバブルチームだったのね。」(阿川さん)
「でも91年には武道館で初めてのコンサートしてますよね。」資料を見ながら外山さんが言いました。
「バブルじゃないですか」吾郎は苦笑しました。「でも忙しすぎて遊んでる時間もなかったので。」
「お小遣いは貰わなかったの?」(阿川さん)
「お酒も飲まない、17歳ですから。夜の街にも行かないじゃないですか。」(吾郎)
「だからお金が貯まっちゃって、最初に買った車が」(外山さん)
「マセラティ。…バブルじゃん!」(吾郎)
「マセラティが最初の車なんですか?!」阿川さんは驚きました。
「ええ…僕が19歳くらいの時で。」(吾郎)
「このバブル男が!」と阿川さんは思い切り突っ込みました。

バブル世代でありながら阿川さんは自他ともに認める「アンチバブル」。お父様で作家の阿川弘之さんから「贅沢は敵だ」と厳しく教えられたからだそうです。
「バブルノタシナミ」にはお父様の忘れられないエピソードも書かれています。
「小学校に入るか入らないかの頃にどこかでイチゴを頂いた。ちょうどそのちょっと前に生クリームのショートケーキを頂いて。当時生クリームは珍しかったんです、バタークリームしかなくて。で(生クリームのケーキが)「なんて夢のようにおいしいんだろう!」と思った経験があったので「このイチゴは生クリームで食べたい」とポロッと言っちゃったんです。そしたら父が『なんだと!なんという贅沢を言う娘なんだ。どういうつもりでそんな事を言うんだ!』とぐわーと言われて、泣きに泣いて、そのイチゴは牛乳で食べたんですけど。そう言うので怒られるから『贅沢をすると罰が当たる』という感覚があるのかもしれないですね。」
吾郎は「厳しいなー」と驚きながらも「いや素晴らしいことだと思いますよ。」と言いました。それに対して阿川さんは
「素晴らしいかどうかは…。ケチと言われてますが。でもドカーンと買っちゃうこともあるんですよ。友達とイタリア旅行した時にせっかくだからブランド品を買って、ホテルに帰ってその日買ったものを並べた時に涙が出てきて、『なんでこんなに買う必要があったんだろうか』と。」
「絶対お父さんのトラウマですよ。」と吾郎は言いましたが「でもご自身ではケチって言っていますけど、そういう堅実な部分もあるからこそイタリアでバーンと買った時に楽しいじゃないですか。」とフォローしました。
「すごく物を大事にしていらっしゃいますよね。」(外山さん)
「もったいないじゃないですか。だからサランラップも2回使うしね。」(阿川さん)
「湯船浸かって1回で流す時ちょっと心痛くならない?」(吾郎)
「私流さない。でもその翌日に入る機会を失って翌々日になったら、ぬめーっとしてる(笑)。」(阿川さん)
「そう、僕も流さないです…。でもぬめーっとなったら…。」(吾郎)
「だったら流しときゃ良かった、って…(笑)」(阿川さん)「そうそう、一緒ですよね。」(吾郎)
「だったら紙袋問題は?包装紙リボン問題。」(阿川さん)
吾郎は紙袋は捨てられないが、包装紙やリボンは捨てているそうです。
「最近の紙袋はすごく素敵なデザインだから捨てられなくて、取っておくと棚いっぱい紙袋になる。」と阿川さん。
「それは結婚してて問題にならないんですか?パートナーの方とは?」(吾郎)
「うーん、だいぶ文句言ってるけど。」(阿川さん)

「そういう価値観って変えられないじゃないですか。そういう事を言ってるんですよ、僕らが40過ぎてこれから結婚する時に…」(吾郎)
「ああ、そういう価値観の差異が嫌?」(阿川さん)
「いや、合わせると思うんですよ相手に。」(吾郎)「でも自分の中では我慢してる?」(阿川さん)
「そう、そうするといつか爆発しちゃう。だったらはじけるバブルだったら最初から経験しなくていいんじゃないかな、と思っちゃう。」
我慢しちゃう、という吾郎に阿川さんと外山さんは「言わなきゃ」とアドバイス。さらに「僕優しいんです」という吾郎に外山さんは「こわい!そっちの方がこわい!言ってくれなきゃ。」とリアクションしました。
「嫌なのね?自分の中では。」と阿川さんは念を押しました。
「女性に言えないんですよ。押し付けられないんですよ、自分が嫌な事とか。」
「例えば?」「部屋の温度とかって、男女は合わないでしょ。女性は寒がりだし男は暑がりだし。そういうのは多分言えない。」
「言えないっていうのは…?」(阿川さん)「だったら一人の方がいい。」(吾郎)
「カギはここに置くと決めたとか?」(阿川さん)「決めたいですね…決めたいなー。冷蔵庫の中も、ただぐちゃぐちゃした緩い感じが嫌だ。」(吾郎)
「私と結婚できない(笑)。」(阿川さん)
「(結婚)出来ないでしょ、僕と。」と吾郎が外山さんに聞くと
「やってくださるんだったら別にいいですけど。」と外山さんは答えて笑い出しました。
「髪の毛とか落ちて気にしない人、結構いる。女の人は多分気が付かない人多いと思う。」と吾郎が言うと阿川さんは
「でも言われると『いけないことなんだ』と気が付く。」と冷静に答えました。
「そういう事って女性が一番言われたくないことじゃないですか。綺麗に片付けろよ、とかごみを落とすなよ、とか女性としてプライド傷つきませんか?」(吾郎)
「全然」阿川さんは即答し「それは考え過ぎ」と外山さんも同意しました。
「あ、それが嫌いなんだ、って分かった方が楽になると思う。」(阿川さん)
「言わなかったら我慢の一方。だから爆発する。」(外山さん)
「5年くらい我慢してから『あの時の君の髪の毛の始末が嫌だった』とか言われても…」(阿川さん)「『言ってよあの時!』ってなりますよ、ねえ。」(外山さん)
女性陣2人に言われて吾郎は考え込みました。
「人間はみんな違う、何が心地良いとか心地悪いとか。」(阿川さん)
「違いますよね。」(吾郎)
「男の人は電気つけっぱなしが好きだし…」(阿川さん)
「僕みたいに暗いのが好きで楽屋なんか占いの館みたいですよ。」(吾郎)
「えええ?!どうして電気つけないの?」(阿川さん)
「暗いのが好きなんですよ。」(吾郎)「家でも?食事する時は?」(阿川さん)「スポットライトだけ当てる(笑)」(吾郎)
「でも好きな女の子に『私明るい部屋でご飯食べたい』と言われたら…」(阿川さん)
「それはいいと思っちゃう。好きな子が明るい部屋でご飯食べたいというんだからいいんだろうなと、それは本気で思っちゃうんです。」(吾郎)
「そこが優しいのね。」(阿川さん)
「でもそれを続けているうちに嫌になってくる。」と吾郎が言ったので外山さんはまた笑いだしました。
「それが嫌になったんじゃなくて、女の子が嫌になってるだけじゃないの?」と阿川さんは鋭く指摘しました。
「それもあるのかなあ…。誰か紹介してくださいよ。」
「えー、難しすぎて紹介できない。」と阿川さんは言いましたが隣の外山さんを見て「この人どうですか?」と聞きました。
「なんか楽な気がしてきた、外山さんが。だって僕が自分でやればいいんでしょ?」(吾郎)
「同じ人同士だと成立しないでしょ」(阿川さん)
「違う所は持っていたいですよ、自分が神経質だったらおおらかなところを持っている人に惹かれる、みたいな。」とそこまで言うと吾郎は一瞬考え、外山さんに向かい
「結婚しよう」
と一言。外山さんはただ笑うしかありません。とそこで
「僕今ゲストになってる。」と吾郎は気づき、本の話題に戻りました。

可愛く歳を重ねる阿川さんにとって品格とは何か?という部分を外山さんが朗読。

品格とは自らにはめるタガである。
金を持っている者がことさらに威張り散らし、金のない者は世の理不尽に憤る。
子供は「金持ちになりたい」と憧れ、若い女性は容姿と性格を二の次にしても「金持ちと結婚したい」と夢を抱く。
金があるからこそこんなことができたと自慢し、金がない者は死ぬしかないと悲観する。
どの気持ちにも真実はあり正論は存在する。
でもそこにかすかな「我慢」という調味料を振りかけた時、人の品格は芽を吹くのではないだろうか。


「素晴らしい!」(吾郎)
「いやいや、私が出来てないんですよ。」(阿川さん)「でもこれ、できてる人いないんじゃないですか?」(吾郎)
「例えば少し年配の方で、すごく暑くて汗かいてるのに上着を脱がない人がいたりする。やっぱり昔の教育は、女性がいる場所で上着を脱ぐのは失礼である、という事をおっしゃって。私なんて、暑いとおしぼりで顔を拭きたくなるんですけど(笑)、あと腰が痛いから椅子に座ると足を上げたくなるんですけど、『あ、この場ではやっちゃいけないな』とか。『友達と喋っているこの口調で年配の方々がいる場で喋っちゃいけないな』とか、『我慢我慢』という場がたくさんある。でも『そんなの気にしないでいい』って時代が長くなると”いけないこと”という意識もなくなるし…。やはり品格って我慢だな、と。」(阿川さん)
「意識だけはちゃんと持たないと。いや意識だけじゃダメなんだけど…。自分でダメだなって思います。」と吾郎は反省しました。
「どこがダメなんですか?」とすかさず阿川さん。さすがインタビューの名手です。
「僕結構せっかちですし、イライラしますし。」(吾郎)「イライラするの?」(阿川さん)
「ダメな人に対してイラっとするんですよ。」(吾郎)「ダメって?」(阿川さん)
「何でこれが出来ないのかなって。あるじゃないですか、生きているとそういう事って。でも自分もできているかと言われたらできてないんですけど。」(吾郎)
阿川さんは目を輝かせて吾郎の話を聞き、それからこんな話を始めました。
「お店でね、すごい騒いでいる人達がいたの。周りが迷惑してるって分かんないのかなってずっとガンつけてたの。(なんなのよ!)って感じで怒っていたらお店の人が気が付いて、その人たちが帰った後に『どうも申し訳ありませんでした』って。『あなたが謝る事じゃないでしょう』って言って。それから1週間後くらいに別の小さなイタリアンレストランで、一緒にいた女がうるさかったんだけど私もつい酔っぱらって調子に乗ってたら、お店の人が来て『もう少し静かにしてください』って言われて『どうもすみません』…。」
「あ、言われたんだ。」(吾郎)
「自分はやっている事に気付きにくいんですよね。だから言わなきゃダメ、彼女に。」(阿川さん)
「彼女に?!」と吾郎はちょっと驚きまた少し考えました。
「お店でうるさいお客さんがいるんだったらそんなの気にしないような心の持ち主に本当はなりたい。それで店員さんが『すみませんでした』って後から謝ってきたら、なんて俺は悪い事をしてしまったんだ、それが店員さんに伝わってしまったんだ。だったら怒んなきゃいいのに、むしろその店に行かなきゃいいのに。って思う。」
「ほんとうは直接」(阿川さん)「言っちゃっていいんですか?」(外山さん)
「(掛け声をかけるような軽い調子で)『うるさいよ』って。」(阿川さん)
「言っちゃっていいんですかね。」(吾郎)
「稲垣さんなんてね、『うるさい』なんて言ったら翌日ネットニュースですよね。だから我慢しなきゃいけないことがいっぱいあって。」(阿川さん)
「可哀相。」と阿川さんと外山さんが声を揃えたので吾郎はちょっと戸惑いました。
「すみません、話が脱線しちゃって。本のお話できましたか?」と締めに入ると
「十分頂きました。世界文化社から出している『バブルノタシナミ』、おばさんの愚痴と言ってもよい本ではありますが、お気に召しましたらお手に取ってお買い上げ頂ければと存じます。本日はどうもありがとうございました。」と阿川さんが早口でまとめたので
「あのー、僕がいるんですけど」とAD山田くんが入ってきて、消しゴムはんこを披露しました。頬杖をついてワインを飲んでいるとても雰囲気のある作品なので阿川さんは感心していました。


私はバブルが始まった頃に会社員をしていましたが、確かにあの時代普通のOLの間でも株ブームが起こったりして、人々の欲望がむき出しになった感じがしました。その後長い不況になって今に至っているわけですが、その気分だけは今も残っているのかもしれません。「我慢」という調味料を加えてもっと魅力ある人間を目指したいですね。


拍手ありがとうございます

インスタグラマー香取、ブロガー稲垣、ユーチューバ―草彅

今日も情報が次から次へと入ってきて、追うのが大変でした。

一番大きなニュースは
「吾郎、剛、慎吾がAbemaTVで72時間ホンネテレビの生放送(11/2(木)21時~)」
です。(AbemaTVの予告ページはこちら。動画も見られるはずです。)
同時に3人がtwitterを開始、慎吾がインスタグラム、吾郎がブログ(アメブロ)、剛がユーチューブを始める事も告知されました。
ネットでの活動が解禁されたと思った途端にAbemaTV、インスタ、ユーチューブと多方面に進出する事になったので、情報の流れが速すぎて溺れそうになりました。でもまだ1カ月近くあるので、徐々に準備すればいいですね。

詳しくは「新しい地図」の公式サイトのトップページを見て下さい。3人の名前の下に、それぞれのSNSのアイコンがあり、そこからアカウントに飛べるので、フォローや読者登録、チャンネル登録などが出来るようになっています。

正直に言ってこういう展開になるとは思っていなかったので驚いていますが、こういう畳み掛けてくる感じはSMAPっぽいかもしれませんね。楽しみです。


拍手ありがとうございます


新しい地図、新しい旅

今朝起きてtwitterを開いてみると、大騒ぎになっていました。皆さんのワクワクウキウキしている様子が伝わってきます。

皆さんもう御存知と思いますが、吾郎、剛、慎吾の共同公式ファンサイト「新しい地図」が設立されました!
同名のファンクラブも発足し、サイトから会員登録が出来ます。
一部のWSでも取り上げられましたが、サイトにアップされた動画がとてもかっこいいです。3人は登場しませんが、「何かが始まる」楽しさを表現していて何度でも見たくなります。
前事務所を退社してちょうど2週間後にファンクラブを立ち上げた迅速さも心強いです。今までアイドルがやってこなかった事を次々にやって来たSMAPですが、これからの3人もきっと新しい事に挑戦してくれるでしょう。
私もNAKAMAになったので彼らの新たな旅立ちに立ち会う事が出来そうです。出来る限り一生懸命応援します。

「新しい地図」のtwitterアカウントはこちら

またtwitterの他、LINE、You Tube、Instagram、Facebookでも情報発信しているそうです。海外のファン向けのサービスも展開しています。それもすごいですね。
「新しい地図」公式サイトへのリンクは当ブログサイドバーに貼っておきますので、行ってみてください。


拍手ありがとうございます
以下他に思う事を少し。
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プロフィール

はちミツ

Author:はちミツ
【注意:当ブログの内容の無断転載は禁止します。】

稲垣吾郎さん大好き、5スマ大好き!の主婦。
吾郎ファン歴は24年目になります。
神奈川県在住。

近況
①毎週水曜日は「an・an」の「稲垣吾郎のシネマ・ナビ」をチェック!。
②吾郎出演映画「少女」は2016年10月8日公開♪
③吾郎出演ドラマ「不機嫌な果実」のDVD、Blu-RayBOXは2016年10月19日発売♪
④「ゴロウ・デラックス」(TBS)もお見逃しなく!


メールは↓へ。
walkwithgoro☆hotmail.co.jp
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